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検索対象: 自警録 心のもちかた
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1. 自警録 心のもちかた

か、こんにち日々の新聞に見ることを考えれは、今後五年こは ) ゝ ( ( し力なる新熟字、新思想が世 そうぞう ふつかっ に行わるるかは想像出来ぬ。よし新熟語が必すしも新思想を表さなくとも、旧思想が復活す ることであるとするも、一たび死んだ思想が再び蘇生し来たりて人心を動かすのであること ( 日らかである 勝敗は長年月を経て始めて決定す 僕はつねに失望する人を慰めんとするとき、あるいは自ら失望し落せんとするとき、み すから励まして、「マア十年待て」といっている。ついこの間もしばらく会わなかった友人が 来訪し、こ、つい、つことをいった。 「僕の友人で一時世にもて囃され、名望一時に高まったものがある。僕は友人にそれを喜ん だとき、なるほど僕を褒める声があちこちに聞こゆるようであるが、これはすでに極度に達 したのであろう。二、 三カ月経てばそろそろ悪口が始まり、四、五年の後には黽者のごと ひひょう き批評を受けるであろう。しかしてまたその後にいたり相当の位地に帰るであろう。そのサ しゅんかんき イクル ( 循環期 ) は十年は出ない。 七、八年ならんといったが、いかにも今日まで五カ年にな るが、彼のいったごとき傾向が現れんとしつつある」 しんしよう と。これは尋常の人であるから、その批評もまた七、八年で一循環するのである。もし非 常の人物であるならば、彼に対する誤解も五年七年では済むまい。あるいは百年二百年もっ 0 はや

2. 自警録 心のもちかた

338 通俗雑誌に書いたり、通俗講演をしたりして、世間からとかくの批判をうけては、大学の 権威にもかかわるという考えが、当時は濃厚であった。しかし新渡戸の考えは違っていた。 学者がいたすらに専門偏重に第するのはよくない。教育の目的は人格形成にあるから、大学 おもわ 人もその目的に奉仕すべきである。大衆に阿るのでなくて、理想と確信を堅持して、しか も平易に民衆に語らねばならぬ、というのであった。 こうして新渡戸は、とくに平易平明に心がけた。『実業之日本』に書いた文章は、家のお 手伝さんに読んできかせ、「それでよく分かります」と言うまで書き直したという。それで 為にする雑誌から非難をうけたり、友人から誤解されたりもしたが、そこは本書第七章「譏 謗に対する態度」にあるように、「無言実行の弁解」に終始した。 これら通俗の文章から、多くのすぐれた修養書が世に出た。『修養』 ( 明治四十四年 ) 、『世 渡りの道』 ( 明治四十五年 ) 、『自警』 ( 大正五年、昭和四年の第十五版から『自警録』と改 題 ) 、『人生読本』 ( 昭和九年 ) 、またそれに類するものとして、『随想録』 ( 明治四十年 ) 、『随 感録』 ( 大正二年 ) 、『折にふれ』 ( 大正三年 ) 、さらに『婦人世界』や『婦人画報』などへの 文を集めたものとして、『婦人に勧めて』 ( 大正六年 ) 、『一人の女』 ( 大正八年 ) があり、クエ イカーの集会の話からは、もっとも味わうべき『人生雑感』 ( 大正四年 ) が生まれた。 新渡戸のこれら一連の社会教育活動の根本は何であろうか。それは、万人の内なる光、内 なる種子の存在をかたく信じるクエイカーの信仰である。そしてその信仰に基づく、人格観

3. 自警録 心のもちかた

引 ( こ人と成る ( 一 学を修めて結婚するまでのニ十九年問 いなのすけ たかしようこう 新渡戸は幼名稲之助といい 、文久二年 ( 一 ( 二 ) 八月三日 ( 新暦九月一日 ) 、盛岡鷹匠小 路に、南部藩士新渡戸十次郎と妻せきの三男末子として生まれた。上に兄二人姉四人があっ た。十歳の明治六年、東京英語学校に入り、同十年、札幌農学校二期生として、内村鑑三、 みやヘきんこ 宮部金吾らとともに入学。東京在住中からキリスト教に関心を寄せ、英語聖書を買い求めた。 一札幌でクラークの書き残した「イエスを信する者の誓約に、二期生ではまっさきに署名。 とやままを」かす 明治十四年、二十歳で卒業、東京大学へ入る時の外山正一教授との問答に、「われ太平洋の 橋とならん . と〔う言葉がある。明治十七年渡米、 ) 「ンズ・ホプキン = 大学で三年間経済 学、史学、農政学を修む。この間クエイカーとなるついでドイツのボン、ベルリン、ハレ の大学で学び、二十三年ハレ大学から学位を受く。二十四年アメリカ人メアリー・エルキン トンとフィラデルフィアで結婚して帰国。 ( ニ ) 日本のため ( 一八九一ー一九一九 ) 札幌農学校教授就任から国際連盟事務局次長と なるまでのニ十八年問 帰国後ただちに札幌に奉職、廃校の危機にあった母校の体制を整え、語学から農学にわたる 多くの科目を担当、有志学生に自宅で聖書を教える。夫人に贈られたある遺産をもとに明冶 二十七年、働く青少年のための遠友夜学校を開く。過労のため三十一年農学校を辞任、渡米 静養中に『武士道』を書く。三十二年台湾総督府勤務を承諾、三十四年から五年間で台湾糖

4. 自警録 心のもちかた

業改良の基礎を築く。 三十九年、一高校長兼東京帝大教授に就任、大正二年まての校長在任中、全人人格教育によ り多くの人材を育てる。また通俗雑誌に執筆。女子教育の重要性を痛感し、東京女子大学の創 立に努力、初代学長となる。その他東京女子経済専門学校、津田英学塾、普連土女学校、恵 泉女学園、杵屋三味線学校にも力を貸す。 ( 三 ) 世界のため ( 一九一九ー三三 ) ーー国際連盟事務局次長就任から死までの十四年間 しようだく 大正八年、欧米視察中、バリで新設の連盟事務局次長に推され承諾、七年間っとめる。知的 協力委員会 ( 今のユネスコ ) を担当し、アインシュタイン、ベルクソンらと国際理解と平和 しんリよく 教のため尽力。昭和二年帰国後、太平洋問題調査会の第三回会議の京都開催にあたり、理事長 に就任、四年同会議を立派に主宰。六年、八年の会議には日本代表団の首席として活躍。軍 社 ばっ 厓閥を批判して右翼の迫害をうける。 生七年から一年間アメリカで百余回の講演を行なう。八年帰国後、準備を整えてカナダのバ 造ンフでの第五回太平洋会議に出席、会議終了後発病し、十月十六日ヴィクトリア市ジュビリ 戸ー病院で、キリストに従う武士の子らしく、平和の戦陣に討死、七十二歳、多摩墓地に葬ら 新る。 新渡戸は農学者、法学者、農政家、教育家、外交家で、英・独の学に通じ、キリスト者で きねや

5. 自警録 心のもちかた

292 第二十五章理想と実現 幼少時代の理想の回顧 毎春年の改まったについて、年ごとに起こる感じが再び湧き出で、儀はもう歳になった なアと、年を数え二十年前、三十年前に比べて、どれほど進んだか思い較べると、ただ恥す かしきことばかり多い。青年のとき描いた理想が、いわゆる世の中の実際に擦れて摩した こともあまたある。しかし年に較べれば、自分ながらまだ理想を割合い余計に抱いておるが ごとくに信する廉もないではない。 僕が三十六のころ、ドイツ見物に数週間ベルリンに費やしたことがあったが、その際ある よもやま 文士に会って、四方山の文談を聞いたときに、話がゲーテ〔 Goethe 〕とシラー〔 Schiller 〕に 移って、両氏の性格および文才と、後世に及ばせる偉業を論じた。そのとき僕はその文士に たす 尋ねた。 あこカ カーライル〔 carlyle 〕が、かってゲーテを賞めたなかに、青年はとかくシラーに潼れ しりよ て、ゲーテを疎んするの傾向があるが、三十歳に至れば、思慮もやや熟し、人生のなにも わかけ のたるかもいくぶんか判明し、ここにおいてかゲーテの偉大なることを認めてシラーの若気 かど

6. 自警録 心のもちかた

人生にかける橋 こうのべたのは札幌農学校で新渡 「今日の教育家は福沢で、未来の教育家は新渡戸だ 戸より三期下の地理学者志賀重昻だが、この言葉は今日もその真実性を失わない。そして、 その真実性をもっともよく示す著作の一つが本書である。 本書は大正五年十月、実業之日本社から出版された。新渡戸は明治四十一年十一月、実業 こんせ、 之日本社社長増田義一の懇講を容れて、同社の編集顧問となり、『実業之日本』誌に毎月、 修養講話を連載した。真剣に生きようとする勤労青少年のために書かれたそれらの文は集め られて、『修養』 ( 明治四十四年 ) 、『世渡りの道』 ( 明治四十五年 ) そして本書となり、さらに 『人生読本』 ( 昭和九年 ) となった。 る新渡戸は農学博士、法学博士、また外国の学位をも持ち、東京帝国大学教授であり、英語、 ドイツ語の著作もいくつかある、当代きっての国際的知識人であった。本書にもその博大な カ 知識が背景にあり、行文を奥行深いものとしているが、ここに取り上げられている主題も、 人 それを盛った文章も、まったく平易そのもの通俗そのもので、七十年も前に書かれたとはと うてい思えないほどである。まるで新渡戸その人の側に坐ってその座談を聞く思いがする。

7. 自警録 心のもちかた

旅費は僕が手伝おう」 きせ読 というや、青年は毅然として、 「私は独立を重んじます。旅費などは貰いたくありません」 と立派にい ) しきった。これを聞いた友人は奇の思いをなし、青年に、 「君は独立をたいそう重んするようで、まことに結構であるが、果たして独立の意味が分かっ たてか とが ているか。一時旅費を立替えてもらうのが独立を失デと思うはあながち咎むべきでない。それ くらいの考えはむしろ持ってもらいたい。 しかるにそれほど独立を重んする君が、すでに一一、 三日前より毎日二、三時間を費して僕に求むることは、決して独立を重んする精神とは受取 立 りがたい。君が僕の家に置いてくれと要求する意味は、雨を防ぐの方法を与え、 = 一度の食 独 の事を今後一年一一年ないし五年十年とも寄食させよというのではないか。仮りに一年としても と これを金銭に換算したら君に提供した旅費の何倍かに当たる。少額を受取れば独立を害し、 立 しちょう 独 多額を受ければ独立自重の心を害さぬ理由は解しがたい」 の 心と説いたそうである。 章 第使わるる者必すしも独立を失わぬ 僕は決して先輩の家庭に寄食するをもって独立を失えるものとは言わぬ。僕の家にも書生 はいる。この人をもって独立なきものとは思わぬ。なんとなれば書生が家にいることは僕の便 きしよく

8. 自警録 心のもちかた

ば、とかく人生の半分も来ぬうちに花どころか葉も根もみな枯らしてしまう。すなわち種無 しになってしま、つ。 僕が新年を迎えるごとにもっとも強く心に省みることは、幼少時代の思想と今日と、どれ かど ほど隔ったかという廉である。これをもっと具体的にいえば左のごとき問題が起こる。 一、幼少の折、母を失ったときに、親に対して孝をつくすことができなかったが、せめて ばうきやく 母の希望であった点は忘却せすして、遅れながらもこれを達しようと、こういう考えが 浮んだ。年改まるごとにいま母に対するの観念と、および実行が幼少のときの思想とど れほど一致するか。 一、子供のときに飲んだくれの醜態を見て、は酒にふけることは決してしまいという考 現 えを抱いた。して年経るごとに、今日修のなすことがはたしてこの思想にかなっておる 実 と 、刀 理 一、幼少の折、学校で学問の大事なことを聴いて、よし学者にならなくとも、勉学読書は おこた 章 暇あるごとに怠るまいと思った。年改まるごとに、今日のわがなすことが、この点にお 五 十 いてどうであろうと対照してみる。 第一、幼少の折、かって、あるところで話を聞いたことによって、人を怨み悪み嫉むことは、 下品なものということを大いに感じたことがあったが、年経るごとに今日ははたして修 ねた つ」 が人を怨まないか悪まないか嫉まないかと昔にくらべてみる。 へだ いとま にくねた

9. 自警録 心のもちかた

ひょ、つ ) 一 責を分かたねばならぬと思い、西郷が来るや裔や、ただちに彼を兵庫に引連れ、明日君が 」こ寺すれば、生命はないぞ。到底助からぬものと思えば、むしろここで刺しルえて 君公の前ーイ 死する積りだといった時、西郷は、 「ウン、二人死ぬのはつまらぬ。二人が死ねば島津家は真っ暗になってしまう。一人残るが よい。俺は罪を得たから死ぬが、汝は生き残って俺の代りに君公に仕え、二人前を働いてく ほんそう といって出仕した。幸いにして何のこともなく一命は助かり、引き続き国事に奔走したが、 世には随分念の入った言悪口がある。しかしこれがために軽々しく一命を捨て、ヤケとな り、あるいは他を怨むことを要せぬ。ジッとしてそれを放任すれば、自然にその悪口も消え、 度 態真実のみが残って、最後の勝利を得る。 す 言語よりも実行をもって弁解せよ 謗 譏かくいったならば、あるいは正直の人は、 なんじ 章「人より受ける悪口はそう軽く見るべきものでない。汝は軽い例はかりを挙げたから、人を 第してこれを軽い事のように思わせるが、これが歴史となって百年も二百年、千年も二千年の 後までも残り、しかも誤りを伝え世に害毒を流すことが多い。 川西洋歴史にていうならクロムエル〔 O. Cromwell 〕のごときは、彼を贈む人の言が世に伝わ おれ きさま

10. 自警録 心のもちかた

講談社学術文庫 定価はカバーに表 小してあります。 新渡戸稲造 ( にとぺいなぞう ) 1862 年盛岡生まれ。明治・大正・昭和期の教 育家。札幌農学校 , ジョンズ - ホプキンス大 学卒業。母校の他 , 京都・東京の両帝国大学 の教授 , 第一高等学校校長 , 東京女子大学の 初代学長等を歴任 , また国際連盟事務局次長 として活躍した。貴族院議員となってからは , クリスチャンとしてまた平和主義者として険 悪化する日米外交の修復に努めた。 1933 年没。 主著には「農業本論」「武士道」などがある。 自警録ー一心のもちかた 新渡戸稲造 1982 年 8 月 10 日第 1 刷発行 1992 年 4 月 1 日第 17 刷発行 発行者野間佐和子 発行所株式会社講談社 東京都文京区音羽 2 -12-21 〒 112 ー 01 電話編集部 ( 03 ) 5395-3512 販売部 ( 03 ) 5395 ー 3626 製作部 ( 03 ) 5395-3615 装幀蟹江征治 印刷株式会社廣済堂 製本株式会社国宝社 ◎ Kodansha 1982 Printed in Japan 落丁本・乱丁本は , 小社書籍製作部宛にお送りく たさい。送料小社負担にてお取替えします。 なお , この本についてのお問い合わせは学術文庫 編集部宛にお願いいたします。 旧 BN4 ー 06-15856 た 3 ( 学術 )