旅費は僕が手伝おう」 きせ読 というや、青年は毅然として、 「私は独立を重んじます。旅費などは貰いたくありません」 と立派にい ) しきった。これを聞いた友人は奇の思いをなし、青年に、 「君は独立をたいそう重んするようで、まことに結構であるが、果たして独立の意味が分かっ たてか とが ているか。一時旅費を立替えてもらうのが独立を失デと思うはあながち咎むべきでない。それ くらいの考えはむしろ持ってもらいたい。 しかるにそれほど独立を重んする君が、すでに一一、 三日前より毎日二、三時間を費して僕に求むることは、決して独立を重んする精神とは受取 立 りがたい。君が僕の家に置いてくれと要求する意味は、雨を防ぐの方法を与え、 = 一度の食 独 の事を今後一年一一年ないし五年十年とも寄食させよというのではないか。仮りに一年としても と これを金銭に換算したら君に提供した旅費の何倍かに当たる。少額を受取れば独立を害し、 立 しちょう 独 多額を受ければ独立自重の心を害さぬ理由は解しがたい」 の 心と説いたそうである。 章 第使わるる者必すしも独立を失わぬ 僕は決して先輩の家庭に寄食するをもって独立を失えるものとは言わぬ。僕の家にも書生 はいる。この人をもって独立なきものとは思わぬ。なんとなれば書生が家にいることは僕の便 きしよく
にかける世評は修養の補助悪口は一時的のもの か多い 譏謗の大部分は介意の価なし知らぬ人の 批評には弁解が要らぬかかる悪口は自然に消える 言語よりも実行をもって弁解せよ悪口に対する理想 的 ' 能甞区 第八章世に蔓延こる者は憎まる : 世に蔓延る者は憎まる古今の事例はこれを示す 意志の遂行と社交の遠慮はいかに調和するか 所信の 貫徹に潜める大苦心善事の背後にも敵がある読 者中にも必らすかかる経験あらん 第九章心の独立と体の独立 : 友人を擲った少年時代の追懐心の独立と体の独立と は密着動機は立派でも年とともに堕落独立とは 何を意味するか使わるる者必すしも独立を失わぬ 身は縛られても心は独立心の独立と誤解しやすき考 え風俗習慣に逆らうは独立にあらず 124
引風俗習慣に逆らうは独立にあらす なお心の独立と思い違いやすきことは風俗習に逆らいさえすれは心の独立を現すものの しんさい ごとく思う一条である。通常の服より違った衣を着れば、独特の人才にでもあるかのように かみ 思う人も少なくない。髪を長くしてみたり、赤い着物で外出したり、一本歯の下駄を履いた りすることは、馬鹿でもやり得ることで、心の独立をめる値いはない。人が社会に住んで いるあいだは法律のほかに世俗の制裁を受けねはならぬ。もっとも世の要求することなら何 なお でもこれに従えというではない。みすから反りみて縮からば千万人といえども、吾れ律かん しちょう たれびと かどだ との独立自重の心は誰人にもなくてはならぬけれども、いわはどちらでも好いことに角立てて 世俗に反抗するほどの要なきものが多い。風俗習の中には主義として争うに足らぬものが たくさんある。 佐藤一斎の『言志四鑵』に印く、 もと 「寛懐俗情に忤らざるは和なり、立脚俗情に墜ちざるは介なり」〔『言志後録』一一 と。この簡単なる一言をもってよく吾人の世に対する関係を尽している。 心の独立を計るに身を世俗より去る必要はない。むしろ世に入り込んで独立の実を揚ぐべ きこそ吾人も務めであれ。味わうべきは左の歌である。 山深く何かいほりを結ぶべき心の中に身はかくれけり ざせん みやまぎ 座褝せば四条五条の橋の上ゆき来の人を深山木と見て かん力い 、一ろも
律の保護を受け、もって生命財産の安固を保ちながら、その国の不をるごときは、決し て国民たる個人の独立 ( 打といわれぬ。こんなことは発国奴の所として誰もむ。それと かげ 同じく役所や会社に勤務する者が上官や重役と異なる独特の意見を有するなら、陰でかれこ れ言わすに第一着に社長なり長官なりに意見を述すべきである。 しゅうぶおう いんちゅうおうう ぶおう 白夷叔斉のみ 周の武王が殷の紂王を伐たんと出征したとき、民みな武王の意を迎えたが、仁 ぶおう は独立行動にでて、武王の馬を咄いてめた。左右の者ども両人を兵せんとした。すなわ しゆくせい たいこうーう ち輿論は値夷叔斉を罪せんとした。このとき太公望は独特の意見を述べて、 「止義人なり」 しゆくせいたいこう 立 といって扶けて去らしめた。値夷叔斉も太公も群衆に逆らった心の独立は好みすべきであ 独 ぶおう ひそ の るが、もし二人の兄弟が武王に反対して、密かに出版物を播き散らしたり、あるいははに徒 体 ぶおう と党を組んだり、あるいは公然と演説するにしても事実を曲けて武王や太公の政策やら人身を 、一うき 独攻撃したならば、彼らは決して義人でもなければ、善人でもなく、後世は彼らを舌臣賊子と よろん 、ーし 呼ぶであろう。なせなれば、彼らの考えは輿論とは異なり、いわゆる独立思想であったとし 章ても、同意を求むることあれば、やはり彼らには他人を頼む心のあることが判かる。しかる しゅうあわ しゅようさんかく 第に彼らは真に心の独立を重んじ、ついには我が心に叶わぬ周の粟を食わすとて首陽山に隠れ、 歌を詠じて罅死したところは、たしかに両人は心の独立を重んじた証拠である。 りつ たす つみ
すねえもん とくがわいえやす 支え得なかった時、胖強右衛門〔 ? ー一五七五〕が万苦を冒して重囲を潜り、徳川家康に 思えて救いを乞い、再び城に帰らんとして武田軍に擒えられ、城に向かい、援軍来らぬと告 しり、一う けよと命ぜられ、送られて城下に至った時、城を仰いで大声に主公の大軍すでに出発したれ は来援三日を出でぬであろう、諸君努力せよと叫んだ。ために、身は舌刀雨下に寸断せられ たか、心の独立はついに侵されなかった。 一指だも動かされぬほど縛られながらも、なお心 中に言わんと欲することを敢然として口に出すがごときは、真の心の独立で、百万の敵も彼 のロを塞ぐことはできぬ。いわんや彼の心を屈するにおいてをや。 心の独立と誤解しやすき考え そむ ただ注意すべきはこの精神を誤解して扶持をくれる人に背き、人に拘わらねば、それが心 の独立なりと思うことで、これは疑いもなく間違いである。世には往々にして自分の会社の アラをさらけ出し、はなはだしきは親の罪なり秘密なりを発き、あるいは上官の悪口を言っ たりして、それで我が思想の自由なりと思うは、物によるべきことであるけれども、おおい に熟慮を要する。 孔子も子は父のために隠し、父は子のために隠すと教えたごとく〔「論語』子路〕、隠すこ とが国家に危冪を与うるならいざ知らす、会社の内幕を語りいたすらに他に告ぐるがごとき は裏切り同然で、これを思想の独立と混同すべきでない。身は一定の国籍の下にありて、法 おか おか らとううか
利であり楽しみであり、否必要であるゆえ頼んでも家に居らしむる。書生もまた同じく思う どうきょ シンパイオシス ゆえ、互いに申合せて同居するのである。動物学者の symbiosis と称する生活を同じゅうす きようせいてき る共棲的現象である。ゆえに置く人も独立を失わす、置かるる人も独立を失う訳はない。そ ま、つき A う こで役所に使わるる者も会社に働く者も、俸給を受けるからとて、必すしもそれたけで身の ひょうしゃ 独立を失うものでない。また実際の手続きとしては被傭者は志願し会社に入る。しかして志 願すといえは一方よりのみ頼み、会社の恩恵のみを受けているように聞こゆるも、実は会社 きようきりう 」」ゅし、、つ は世の有為なる青年に向かって入ってくれと頼むようにも思われる、いわゆる需要と供給 との相互に応じ合ったことである。 かくのごとき場合には契約の両者が依然として独立の心を失わぬのである。また身は一見 縛られているようであるが、一方の嫌というのを縛るのでなく、自由の契約である。自分の 心に面白くなしとあれはその契約を解くことも出来る。役人も国家の命令により身を縛られ るとは論するものの、あくまでも心の盲を要求されない。 いかに国家の命令とはいえ、役 人にして国家の為す所に腑に落ちぬことがあれば、その命令を拒むことは出来なくとも、自 分より進んで職を辞することは出来る。 身は縛られても心は独立 凡人の情なさには、僕の身の自由を制裁し得る人、すなわち僕の生活の道を制する人はっ
であり、かっ漢学の素養も、より多くあったので、文字の遣い方も正しく、また彼の議論も 今より顧みれば正当であったが、なに思いけん僕は突然床よりムッと起き上がり、彼の上に てつけん 馬乗りに乗り、彼の頭を目がけて鉄拳を食わし、 おれめし 「俺の飯を食ってるくせに、なせ反対するか」 かつばっ と怒町ったことがある。彼は僕よりも驅幹長大にして、活発にかっ短気の男であったが、 この時ばかりは何も手向かいだもせす、擲られたままにその夜を過ごし、翌日は丁寧に礼を 述べ他の下宿に移ったことがある。 立 虫心の独立と体の独立とは密着 の 今ここにかくのごとき愚かな子供談をし、しかも自己の恥を曝すのは、この経験が永く僕 体 と の頭に留まり、四十年後の今日もこれを追懐すれは、自分が生来短慮なりしことを明らかに 立 独 すると同時に、種々の教訓を受くるのである。 の おれめし 、 . し 表題の心の独立と体の独立ということもその一つである。僕が友人に対して俺の飯を食い 章ながら反対するのはけしからんという一喝は、たしかに僕の穢陸の曲を曝露する。しかるに 第これが十二、三歳の腕白小僧の一時の感情にとどまるか、はたまた天下万民の心の内にもこ ういう考えが潜めるかと問わは、右のごとく露骨にいわすとも、人を使う人の心中深く潜伏 する考えではあるまいか。また使わるる人の心にも同じくこの思想が存在しておりはせぬか。 かえリ そよう こどもばなし せい さら
ー」し事 - つ″い た。その時この通人は数多の婦人を呼び出し、友人のためにその経歴を紹介したが、かくす しき るあいだについ三、四カ月前に来た新しき女があったが、あれはどうしたかと、通人は頻り しんざんもの あこまか に新参者を求めたりしに、登計らんや新参者は数多の列座中にあったので、それが分った時 ひとかた の通人の驚きは一方ならなかった。わすかに百日も経たぬ間にこれほどに処女と商売人とは あ 変わるものかと、開いたロがしはらく閉じなかった。 僕は多く不浄の談をならべるようではあるが、身を縛られた例は奴隷制度の廃止された今 にちしようぎ たと レ」ろみす 日、娼妓をもって例うるのほかなしと思い ここに引例したのである。がしかしその実泥水 に居らなくとも泥水よりいっそう深き秘れに心の染まれるものが世には多くありはせぬか。 しようを」 あいぞう 身は一見独立のごとくして、心は娼妓よりもなお独立なく他人に依頼し、しかも他人の愛憎 によりその日を送れるものが多々ありはせぬか。 独立とは何を意味するか かってある青年が僕の友人を訪うて、どうぞ書生として寄寓させてくれと頼んだ。友人は すでに家には書生もおり新たに入れる余地がないと断り、かつまた上京するときの目的がは なはだ明らかならぬゆえ、この青年に帰国を勧告したが、彼は旅費がないから帰国されぬと いう。友人も、 「君とこうしてするのも他生の縁であろう。君が親もとに帰る考えがあるなら失敬ながら つうじんあまた と と あまた ことわ
% 換言すれば俸禄をもって他人の身体を抑える者は、心そのものをも制し得る考えをもってす る者が多くありはせぬか。俸禄を受ける者は知らす知らすのうちに心まで自分の主人のため に車われることはありはせぬか。 さらに具体的にいえは知人の因」恵によりて位地を得、俸繪を受くる者は、その知人あるい はその上官・社長・重役らの説に心ならすも服従し、反対説あるもこれを述ぶることを憚り、 またらの行動をいさぎよしとせざることあるもこれを黙認し、あるいはかえって進んでこ れを弁護することありはせぬか。 先般ある会社の重役が検挙せられたときの談を聞くに、部下の者は始めて日ごろよりいだ いていた重役に対する不満を述べたという。日ごろそれほどその人の人格手腕に対し疑いを あらかし うたか 有したならば、何ゆえに予め警戒しなかったかと思えば、非難する人の人格そのものも疑 たなおろ わしくなる。また役所などで上官が代れは部下の者が後任者を迎うるに前任者の棚卸しをもっ よ てするは常にあることで、それほど宜くなければ交替前に何ゆえに前任者に注意しなかった かげぐち ー . ささか は、つっ′、 かと思えは、陰口をいう者の人格の下劣にして、些の俸禄のために心の独立を失い、ロに言 え わんと欲することを得言わす、はなはだしきは心に思わんと欲することさえも、まったく思 いなどれい わす、機械的に否奴隷的に使われていたと思わざるを得ぬ。体の独立はなくとも、心にさえ 独立していればよい、たとえ体は束縛せられていても、精神が自主瑟念をいだいていれば よいなどというが、心の自由と体の自由とは関係がすこぶる密着して離し得ぬ場合が多い。 21 ・つ学っ′、 おさ しゅわん
124 第九章心の独立と体の独立 友人を擲った少年時代の追懐 なが この問題は永く僕の心に蟠っているもので、今日もまだことごとく解決したとは断言し ちか かねるが、近ごろことに感じたこともあるから、愚考を述べて世人の教えを乞いたい。 はし」ら 僕が十三、四のころであった。まだ東京英語 話の順序として自己の恥曝しから始めたい。 もと 学校〔第一高等学校の前身〕に、下宿から通学していたとき、友人某が九州の親許より来る とうわく おく とどこお 学資金が後れたために寄宿料、食料、月謝の支払いに滞りが起こり大いに当惑せるを見、 ぎきようしん 僕は彼を自分の下宿につれて来たことがある。かくいうといかにも義侠心ありげに聞こえる が、実は日ごろ親しく交われる友人間のことゆえ、一時の急を救わんとする自然の友情より 起こったことで、あながち誇るべきことではないが、これに反し僕が彼に対する態度は実に 恥すべきものがあった。 それはある夜同室に枕をならべて眠りにつきながらの話に、ワシントン〔 G. Washington なんこう くすのきまさしげ 32 ー 99 〕と楠正成〔一二九四ー一三三六〕との比較論が始まり、僕が楠公を愛国者と称 なん、一う したのを、彼はこれを訂正し、楠公は愛国者でなく忠臣だといった。彼は僕よりは二歳年長 わたかま