経験 - みる会図書館


検索対象: 自警録 心のもちかた
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1. 自警録 心のもちかた

4 こう気づかぬとき、不意々々と現るる感想をいうように思わるる。たとえばわれわれが子供 ちぶさ のとき、母の乳房につけるころに見たり聞いたり、または感じたりしたことは、われわれの かたすみ わす 心の、いわば片隅に隠れ、忘れられているらしく思われるが、必すしも消滅し去るものでな 元来、人が事物を記億するのは、たいがい四歳以上になって見聞したことにかぎる。しか して三歳、または二歳のころ、まったく無意識的に見たり聞いたりしたことは、根底より消 ひそ え失せるかと問わば、けっしてそうでない どこかに潜んでいて、いっかことに触れ機に接 なんびと して、何人にも聞いたこともないことを想い浮かべるのは、よく各人の実験し、また他人に ついても見聞することである。われわれがなにかするときに、 こういうことはかって ~ 則にも あった、いつであったか、その時を忘れたが、確かにあったと思い出すことがある。またあ るいはまったく新しい所、 たとえは外国に行って、その風景などもなんとなしにかってど こかで見たように感することもある。しかるに実際はいかに考えても、見たはすがないとい うがごとき類は一種の潜在識の作用であろう。この潜在識はわれわれ個人として経験したこ とばかりのものにかぎらない。われわれの祖先が経験したことまでも材料となる。 たとえば私でも一度か一一度は経験しない人はあるまいが、寝ておって、高い所から落ちる ひやあせ 夢を見て、冷汗をかいて目ざめることがある。かくのごとき夢はどこの国の人でも見る夢で あって、おそらく人類共通の経験に基づいたことであろう。

2. 自警録 心のもちかた

っ たまには誰が告げるとはなしに、ふと心に有難味を覚えて、ほとんど相手知らすに帽を脱し、 っ】ひざます むせ 跪いて、有難さに、涙に咽ぶこともある。誰しも必すこの経験があるだろう。もしこの経 ほうりう 験のない人あらば、そは不幸な人である。天の恩はいうまでもなく、朋友や親などのするこ めんどう とに、とかく秘密にわたって、受ける本人は夢にも知らぬことがしはしばある。なにか面倒 な事件があって、これを処理しに出かけると、案外にもすでに半分以上解決されておったな どとい、つことがある。 しんちゃく これは不思議と思って、だんだんその理由を質すと、前日友人が来て半以上悶着を解決し ておいてくれたなどということが、数日あるいは時によっては数年経って初めて発見される みすか ことを自らも経験したし、世には必す同じことを感じた人が数多あろう。 今もなお不明なる僕の受くる恩 はなはだ事が私事にわたるようで、ことに小なことで、人に語るに価もないか知らぬが、 かほどな些細なことも、好意をもってすれば、かほどに人の心を感動せしむるものであると いう証拠に、ここにこれを述べる。 さつぼろ 僕か札幌の郊外に一個の墓をもっている。札幌の天地は僕の青年時代に学問したところで、 さなきだに第二の故郷として慕わしいが、この慕わしき念をいっそう深からしむるものは、 せきひ この小さき基地である。ゆえに折々かの石碑の周囲に雑草がはびこって、見すばらしくなり した ありがたみ さっろ たた あまた あたい まうたっ

3. 自警録 心のもちかた

ひんこうはうせい あるいは道徳を語る人でも同じことである。あの人は品行方正の人だとか、まことに正し しようしん がお い曲った事のない人だとか言われると、すぐさま君子顔になって、他人を見るに小人をもっ てして、世ことごとくれり我独り澄めり底の考えに逆上する。かく言う僕も他人より賛辞 を受けたことはないが、上に挙けた例の一部にあたっているかも知れないと思えば、この辺 が筆を止めるところであろうか。僕にしてかくのごとき弱点はさらにないという自信がさら のばせ に鞏ければ、もっと大胆に論じたいが、自分で顧みて折々は逆上そうになったこともあった。 終りに述べる僕の実験談は普通に言う逆上るのとは違うけれども、その性質においては同じ であるし、かっ僕に取っては逆上の訓戒としてしばしば記慮にのばる経験であるから、恥を 晒してここに述べよう。 一円の小遣いを一円の財布に投じた経験 僕が十一、二歳のころ東京に遊学していた際に、郷里から兄が上京して来た。その節の土 こづかいせん 産として大様金一円貰ったことがある。そのころ僕の小遣銭は一週間に二十銭と定まってい たからして、一円紙幣を手にしたことはおそらくそのとき初めてであったろう。そこで僕の たいきん 頭に第一に浮かんだ問題は、この大金を沁るべき相当な財布を得ることであった。ただちに ふくろものや 袋物屋に走って種々の財布や紙入れを見た。中にすこぶる気に入ったのが一つあったから、 ただ それを取ることに定めて、値を糺すと一円ということであった。すなわち懐中に持参の一 かた かえり 力いちゅう みや

4. 自警録 心のもちかた

の財布に投じた経験 第十六章富貴の精神化 : 弁士の富論物質的米国人と思想的米国人富貴は 方法なり目的にあらす富者の権利と義務経済状 態と道徳的態度の変化ストライキの動機でも英人と 米人とは違う黄金は土芥か宝珠か 第十七章実業を精神化せよ・ : 米国実業家の人生観個人的利益と国家社会の利益 個人の最良なる利益はすなわち社会国家の利益国家 のためという誤解の危険「国家」というよりも健全な る個人思想が大切人生を甘からしむる心がけ 第十八章知らぬ恩人に対する感謝・ : 英国碩学の観たる神道の要旨知恩は日本民族の特長 日本人ははたして恩知らす 恩の観念は固有か輸入か か思わぬところに恩人が潜んでいる人も知らす 218 198 208

5. 自警録 心のもちかた

紀田順一郎著 文庫の整理学 細田三喜夫著 話中国故事物語 山下秀雄著 ( 解説・伊丹 + 三 ) 書 日本のこと、はとこころ る え 五十沢一一郎著 考 中国聖賢のことば新約中国古典抄 と 田中菊雄著 ( 解説・紀田順一郎 ) 現代読書法 渡部昇一著 秘術としての文法 かっての教養書中心の文庫も、最近は質量ともに著し し 0 い変化をみせている。本書は文庫をいかに選択し、 かに活用していくかを具体的書名を挙げて解説した。間 文庫の豊かな世界を拓く必携のガイドブック。 中国故事に精通した著者が、『論語」「史記」「十八史 略」等の古典や史書の原典をもとに「管鮑の交わり」 9 「四面楚歌」など、日本人に馴染み深い故事のいわれ富》 を語る。現代人の生き方にも深い示唆を与える書。 よ 人間にとってことばとは何か、民族にとって言語とは 何か。長年外国人に日本語を教えた経験から、母国語既 を内面から支え動かす潜在的思考のバターンの模索か 7 ら、日本語の内に秘められた日本の心を探る新言語論。 庫 文 中国聖賢の遺したことばを個性的な感情移入で訳した ュニークな書。堅苦しい訓詁学を超越した自由無碍の 3 彿 学 立場で中国古典を眺め、東洋と西洋のこの異質な哲学 を美事に一編の詩語に訳出した東洋における福音書。社 1 三ロ 読書に法があるのか。本書は読書に関しての先達の論講 文や文献等を紹介しながら、自らの読書体験を織りまぐ せて読書に当っての基本的な考え方や方法を懇切に教 授する。いかに読むべきかを説く読書論中の白眉の書。 生成文法など新言語学は実践には役だたない。読解カ を飛躍的に向上させ、新しい世界へ目を開かせる伝統 文法の秘術的な力を、該博な知識と卓抜な比喩により 8 語る「英知と経験の学である伝統文法の威力を説く。

6. 自警録 心のもちかた

刀読者中にも必すかかる経験あらん あ あわれ 仮りに読者中憫な人に逢いこれを救った人があったとする。自分は何の求むるところもな ぎきよう ぎせん く、一片義侠の心をもってしたとするも、一方にはその事たるや偽善からやったとかあるい は慈善ぶっていると非難された経験もあろう。あるいは他に求むるところあり、この挙に出 たのであろうと疑われたものもあろう。 読者中、親に孝行してことに目立ったことがあれば、同時に奴め親に孝行ぶってるなど 批評を受けた経験もあろう。 1 いくん 読者中病身の細君を親切に看護する者あれは、これを褒める者があると同時に、彼奴め かかあのろ 嚊に愡いと批評された経験もあろう。 こども 読者中もし小児に何か教えることがあれば、褒める者あると共に、いやに物知りぶると難 せられたこともあろう。 また読者中繊弱なる女子に助言するなりまたはその他の親切をいえは、彼奴はチト怪しい と疑われたこともあろう。 おおやけ ちょちく こころざ りんしよく 公の事に奔走すれば野心家と疑われ、老後他人の厄介になるまいと貯蓄に志せば吝嗇 あなど と、っそく 奴と侮られ、一挙手、一投足、何事にしても、吾人のする事なす事につき非難を挿むこと のなきものはない。 これが世の中である。 多く行えば行うほど非難の声が高くなる。世にはびこるというは多く行う人で、こういう せんしやく うたか やっかい きやっ

7. 自警録 心のもちかた

168 婦人子供のみならす、大人にも主観と客観とを混同する者が多いといったが、最もよく理性 きたうれ の発達した人、あるいは心の寛大なる人ならば、右のごとき混同を来す憂いはない。ゆえに一 般の教育が進むにつけ、あるいは個人が年とりて種々な経験を経たり、あるいは若い者でも おちい 少し思慮を深く用うる者であれば、この過ちに陥ることは少ない。必すしも、世間通りに従 だくだく ・小うちょう う理由はない もしなにもかも唯々諾々と、世の風潮によるならば、進歩することはなくな おしうつ る。しかし争うほどの事ならざる以上は世と共に推遷るのが、自分のためかっ世間のためで あんねい あろう。すなわち社会の安寧はそれで持って行く。 世の中の人に心を合せけん水と魚とを見るにつけても しかるに何事についても消極的に世に処すれば、どれほど広き世間もただただ狭苦しくな るのみで、 しやくすん 世の中が四尺五寸になりにけり五尺のからた置き所なし と嘆くにいたるであろう。 好き嫌いで人を判断する過誤 きら さしみ 刺身の嫌いな者は医師よりいかに刺身の消化よきこと、滋養分の多きことを説かれても、 何とかけちをつけて毒でもあるかのごとくけなす。これに反し酒の好きな者は医師がいかに ちょう その害を説くも、百薬の長なりと頑張って聴かぬものが多い。心の好き嫌いと物の善悪を混 さしみ あやま しようぶん せまくる

8. 自警録 心のもちかた

これに反し第二の考えは相手の人には力がある、しかも自分より優れたカがある。しかし 彼らはこの力を誌用せぬ。自分に対して善用するだろう。我もこれに酬ゆるに相手を軽蔑し ばかものし あるいは馬鹿者視したりせす、最善を尽すべしと決心する。双方が共に相許し合い、尊敬と 同情をもって結びつけられる。何の怖気が起こるべき理由かあらん、何で怖気の起こるべき 余地かあらん。 信じてかかれば怖気ない そこで僕が自分の恥を晒らして物語り、怖気る人の参考に供したき要点は、相手を信じて きゅうちょ、つふところ かかれということである。渡る世間に鬼はない、鬼でさえ頼めば人を食わぬ。窮鳥懐に入 おくびよう れば猟夫もこれを殺さぬ。怖気たり臆病な人も、他に信じてかかれば怖るることがなくなる。 僕はこの一時の経験により、自分の心理状態に一大改革を経たように思う。あるいは読者中 には、粗雑にしてかっ乱雑なる僕の演説を聞かれた人もあろうが、こんにち日本においても 聴衆の前に立ち、何らの腹案もなく述べ出す。 学術上のことはさて措き、日ごろ思っている考え、日ごろける感情を述ぶるに、何の怖 ざくろ れることもない。ありのままに口を開け、「腸見せる柘榴」同然にやる。隠したところが、 数百の聴衆は僕よりもいっそう鋭敏なる眼をもって見つつある。隠さんとしても隠しきれぬ。 急に君士顔を装ったとて、また言葉だけにをつらねたとても、音調に得た所がなければ、 おそ

9. 自警録 心のもちかた

6 無垢であるならば、眠る間に働く人生もまた無垢なるものとなる。 りめさかゆめ 「夢は逆夢」とか、 「あたらぬものは夢とちよばいち〔さいころばくち〕」 ことわざ などいう諺は、夢をもって未来をドする方法に用いんとするより起こる言であって、夢 は過去の経験や思想より起こるとすれば、当たる当たらぬの論も無用で、夢ということも ことわざ なくなって、「思うこと寝言」なる諺こそ事実に適うなれ。 甫の「李」の詩に「故人 2 「我一、 " 町「協。冊鱗」と詠じたのも、後一→の、 ゅめ おも わす こひしさのねてや忘ると思へどもまたなごりそふ夢のおもかげ と歌われたのも、詩仙にかぎらぬ情である証拠は、われわれル人も折々経験して明らかであっ て、これはすなわち潜在識の作用によることが多いと思う。 宝船以上の夢見る秘訣 せんざいしき しろうと 僕の素人的の考えでは、潜在識は知識を、心という土蔵の奥にある葛籠の中に入れて、しま いこんだように思われる。ゆえに日ごろよき考えと、しからざる考えとをめ入るるによって、 たた しよう 潜在識の陸質に異同を生することはいうまでもない。潜在識はその本を質せば、意志にさか のばって、自分のカのおよはざる方面より来たる知識もあるが、その大部分は自分の希望ど おりのものを選んで入れることができる。 たからよね

10. 自警録 心のもちかた

や が代って見事に遣って見ようというものもあったであろう。あまり邪推をまわすようではあ るが、ふつうの人情より考えてかくありそうに思われる。彼が成功したと同時に、大采を 受けたことは歌にも歴史にも記してある通りであるが、またその後においてただちに彼の名 誉を傷つけんとしたり、彼を怨みんだ者から見れば、彼が人目を惹き世にびこったこと を喜はぬものがいかに多かったであろう。 むかし わが輩は話にまぎれてとかく昔時のことのみを述べたが、我々が今日においてしかも毎日、 ささ、 些細なことにおいてもそれぞれに所信と決心とをつらぬくにはどこかに喜ばぬ人あり、確か しようとっ おくびよう に自分と衝突しているものがあると覚悟する必要がある。僕は性来臆病なるゆえ、僕自身の る まんへん ま 為すことにおいてこれは万遍なく済んだなと思うごとに、その結果、必す不愉快なることを 憎 数多聞かねばならぬと思わぬことはない。またたまたま善事を為したと心の底に喜ぶときに、 者 るこれがためにいかなるところに、 いかなる人が如何なることを企て、この善事をさんと 蔓するものがあろうと、恐れを懐かぬことはない 世こういう考えが善いというのではない。聖人ならこんな考えなく、何のるところなく善 や らゆうしん 章事を行るであろうが、普通人はしばしは善事をするのでなく、たまたま衷心より世のためだ おくびよう 第と思うことをすると、一方に臆病の考えが起こり、これを害する人も必す起こると覚悟する せしよう を要す。僕自身のわすかの経験においてもそういうことが多い。しかしてまた世上聖人君子が 少なき以上、同じ経験を履めるものが多いであろう。 あまた