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検索対象: 般若心経に学ぶ人生
39件見つかりました。

1. 般若心経に学ぶ人生

3 夫婦のつきあい方 夫婦の ある女性が、こんなことを言いました。 「一度は結婚しとかないとね」 「一度は」と強調するものですから、聞くほうは「えつ」と驚いてしまいますが、たびた び他の女性からも同じような言葉を聞くと、最近はそういう風潮になったのかなと思って しまいます。でも、その真意を質すため、 「一度は、ということは、いずれ別れるということじゃないですか」 と言いますと、平然として、 きずよ

2. 般若心経に学ぶ人生

のになっている。どこをどうおさえても「よし」ということになります。 武者小路実篤の詩に、 ししか一夏、も 春も ) 秋、もいいか夂、、も どっちもいし しい」といっているの というのがあります。「どっちでもゝ しい」ではなくて、「どっちもゝ しし」」い , っ です。「で」が入るか入らないかで意味はまったく異なります。「どっちでも ) 言葉は、なにか投げやりな冷たさがあります。「どっちもいい」ということであれば、す べてを認めて、その中にそのものが持っている良さを見出していこうという肯定の姿勢が 死 うかがえます。わだかまりのない、おおらかな心で、さまざまなときを迎えることができ 、 , 」ます ゅ ま ありかとうといって死ぬ さ と 手 6 わたしもいっかは死にます。そのとき、どのように死ねたらいいか、考えることがあり ゝますと、羨ましい死に方をした 8 ます。どうしてそんなことを考えるようになったかといし し ) しゝ 213

3. 般若心経に学ぶ人生

「生かされて生きている」という一言葉がありますが、この「生かされている」ということ に気がつくことではないでしようか。わたしたちは、自分が働き、自分が食べ、自分で生 きていると思っています。だが、そうなのでしようか 幼稚園の園児が、こんな質問をしたことがありました。 「先生、なぜお弁当を食べるとき、手を合わせるの」 「それはね、きみが持って来たお弁当の中身を見たら、わかることだよ。今日は何が入っ ているの ? 」 「うんとね、ご飯、ウインナー、鶏の唐揚げ、それにお野菜。別の入れものにくだものも あるよ」 わたしの子どものころとは、まるで質量ともに違うと思いましたが、それは問題外のこ とですから差し置くとして、 し 「どれどれ、おいしそうだね。この唐揚げは鶏だよね」 差 物 の 「うん、そうだよ」 幸「この鶏は、お弁当になる前は、どうだったの ? 」 「生きていたよ」

4. 般若心経に学ぶ人生

です。自分の物差しは所詮ゴムの物差しなんだと、きちんと認識しておくことです。間違 っても、わたしのはプラスチックだと錯覚してはいけない。 それから、自分が伸びているのか縮んでいるのかわからなくなったら、ほとけさまにお 訊ねすることです。つまり、ほとけさまは、この子をどう育ててほしいと願っておられる のかと考える。ほとけさまにおうかがいしながら、子育てをするということです。 盗むなかれ こういう話があります。 いちどろん 『大智度論』という本の中にでてくる話です。 ほうかんびく お釈迦さまの弟子に宝間比丘という僧がいました。彼はあるときお釈迦さまの所に行っ 「わたしに一つ言葉をお授けください。それを座右の銘にしたいと思います」 と申し上げました。お釈迦さまは、 「汝、盗むなかれ」 と教えられた。彼は、

5. 般若心経に学ぶ人生

で気をもんだり、出来がよくなかったら不満に思ったりします。しかし、それではまかせ たことになりません。 ですから、菩薩にまかせるということは、健康のときばかりでなく、病気になっても不 平をいわないことです。 では、耐えてよき日を待てばよいのでしようか 「待てば海路の日和」とか「にわか雨だよ、しばらくお待ち、やがて日も射す月も出る」 という一言葉が教訓として示しているように、嫌なことはじたばたせずにじっと耐えていれ ば、必ずやいい状態が来る、それを信じて我漫しようということなのでしようか。 る き 「おまかせする」とは、そうではなく、にわか雨を嫌だと思わないことなのです。雨もよ 生 し、日が射すもよし、月の出もよしと思う心境になることです。 と こ病気になったら、すべておまかせして「病気もまたよし」という心境になる、そういう わ 生き方をしたいものです。それが『般若心経』に学ぶ、病とのつきあい方だとわたしは考 えています。 気 197

6. 般若心経に学ぶ人生

先生のお父上が住職をなさっている寺に、長いことリュウマチを患っている人がよく訪 ねて来ては、 っ 「この病気は強情で、病気によく効くといわれるものはなんでも試してみたのだが、い こうによくならない。まったく嫌になる」 と、来る度に愚痴をこばすので、見かねた住職が、 「それなら、わたしが治してあげよう」 と言って、秘訣を伝授した。それは、 この病気は絶対に治らないと諦めなさいよ。それができたら、 なるよ」 そういうことでした。 あき そう教えると、彼は半ば呆れ、拍子抜けして帰ってしまったきり、寺にはもう来なくな りました。愛想づかしをしたのでしようか。 違うのです。彼は住職の言葉を忘れることができず、ずっと真剣に考えていたのです。 「諦める」ということの意味をです。そして、心の底から「病気は治らない」と諦めたと き、再び寺に来て、 いくらか木に 790

7. 般若心経に学ぶ人生

ができなかったんだよ。おばあちゃん、何度学校に呼び出されたことか : ・。だから、大 丈夫だよ」 そういう優しい言葉を聞かされていれば、孫も「死んでしまえ」なんて思わないでしよう。 わたしたち凡人は全財産を布施することも、命の布施をすることも思いどおりにはでき ません。ですから、 申し訳ないけれども、これだけしかできないのです。命の布施をすることも、全財産を布 施することも無理なのです。少しですが、どうか使ってください〉 と、お詫びと感謝の気持ちを持って、自分にできることを布施させていただくこと、そ れが大事なのです。 ならぬ忍、せぬか堪忍 こ一・んに′、 『般若心経』の具体的な実践論としては、この「布施」と、もう一つ「忍辱」があります。 「忍辱」とは、じっと耐え忍んで生きる、ということです。 自分もいろいろなものの命をいただいて、たくさんの人に迷惑をかけて生きているんだ。 〈わたしが用立ててくださいと送ったお金、こんなわずかなお金は布施じゃない。だけど、

8. 般若心経に学ぶ人生

この話はこのぐらいにしておかないと、ますます墓穴を掘ることになりますので、やめ ました。 くえいっしょ ところで、『阿弥陀経』に「倶会一処」という一言葉があります。これは「ともに再び極 楽浄土で会いましよう」ということです。しかしこの倶会一処は、彼岸の浄土の世界だけ のことではなく、此岸のこの現実世界の生き方にも関わっているのです。 わたしの友人が死ぬときに、奥様に「君と一緒で幸せだった」と言ったことは、「浄土 でまた会おう」ということでもあります。ですから、 「この世は仕方ないとしても、あの世に行ってまでつき合わされては、たまったもんじゃ ない。倶会一処なんて、とんでもない」 死 という人がいますが、それではあまりにも寂しいではないですか。わたしたちは、倶会 ね 一処が喜べるような生き方をすべきなのでしよう。 ゅ ま 死んだらどうなるの ? さ と さて次に、死んだらどうなるのかという不安があります。 8 死後の世界はあるのかないのか。どのように調べたら、それが証明できるのか。そんな

9. 般若心経に学ぶ人生

も食べず餓死したなんて話がありますが、使ってこそのお金なんですね。でも、使えば減 る。ですから、減らないように、増やすようにしながら使いたい。そのために世間の人は ことはありません。 努力するのでしようが、もしそれが努力なしにできたらこんないい 「使って減らぬ金百両」というわけです。 これは、所有欲以外のなにものでもありません。裏を返せば、もっともっとお金が欲し いということであって、満足することのない欲望ということでしよう。 次は「死んでも命があるように」というのです。生きとし生けるものは必ず死ぬ。それ 」というのです は認めないわけにはいきません。ですから、一応は認めて「死んでも が、しかし自分の存在が消えてしまうなんて、とても受け入れられない。自分はなんとか 永らえたい。そこで、「死んでも命があるように」と願うのです。 この戯れ歌は、言葉を換えていえば、「世間が幸福と見ているのは、所有欲の拡充と満 差足な状態の不変なんだ」とシニカルに謳っているのです。 物 の 福 わかものなどない、わたしすらない 幸 では、仏教では、これに対してどう答えているのでしようか

10. 般若心経に学ぶ人生

友人がいたからなのです。その人の死に方を知ってから、死に際のあり方について考える ようになりました。彼は慶応大学の近くにあるお寺の住職で、わたしの高校のときの先輩 ふさめ でしたから、友人というより師友といったほうが相応しいかも知れません。 あるとき彼は、 「ねえ、阿くん、魚の目ってできたことある」 と聞きました。 「ああ、子どものころにね。蛸の吸い出しが効くと言って、母が塗ってくれたことあるけ いドロドロした薬だったね。今、あんな薬、売っているかな」 と一一 = ロいますと、 「実は、僕も魚の目みたいなものが足の裏にできてね。病院に行ったら、手術をしなくて は駄目だと言われてね。尻の皮を移植して、大掛かりなことになっちゃってね」 と靴下を脱いで、足の裏を見せてくれました。わたしは 「魚の目で、こんな手術をするの。なにかばい菌でも入ったんじゃない」 などと、冗談めかして言いましたが、それがいかにとばけた一言葉だったか、後になって わかりました。それはガンだったのです。彼は人づきあいがよく、さまざまな集まりによ おか 214