「しや、どうしたらいいの」と、ナターシャはおびえて叫んだ。 「よし、ぼくが、つまくやってあげよ一つ : : 」そこで私は汚れてしまった片方のオー をマーヴラに拭いてもらうというロ実で、台所へ入って行った。 とナターシャはうしろから声をかけた。 「慎重にやってね、ワーニャー マーヴラのところへ入って行くと、アリヨーシャはまるで待ちかねていたように私に寄って来 「イワン・。へトローヴィチ、ねえ、ぼくはどうすればいいんでしよう。相談に乗ってください。 ュ」きのうカーチャに約束しちゃったんです、きようのちょうど今時分訪ねるって。すっぽかすわけ 人にはいきません ! ぼくはナターシャをもちろん愛しています、彼女のためなら火の中、水の中 れというくらいですけど、でもお分りでしよう、むこうもまるつきり切れてしまうわけにはいかな ら げ 虐「構わないから、行けばいいじゃないですか」 「でもナターシャはどうします。悲しがるにきまってるでしよう。イワン・。へトローヴィチ、な んとか助けてください : : : 」 「あなたは今カーチャのほうへ行ったらいいと思いますね : : : ナターシャがどれほどあなたを愛 しているかは知ってるでしよう。あなたはここにいると退屈なんじゃないか、無理にいてくれる んじゃないか、そんなことばかりナターシャは考えてるんです。無理は何よりもいけない。しか し、まあ、あっちへ行きましよう、ぼくが助けてあげますから」 「ああ、イワン・ベトローヴィチ ! あなたはなんていい方なんだろう ! 」 325 よご シューズ
「もういいよ、カーチャ、もういいもうたくさんだ。きみはいつも正しくて、ぼくはいつも間 違っているのさ。きみのほうが心がきれいだからね」とアリヨーシャは言い、立ちあがって別れ の手を差しのべた。「すぐ彼女の家へ行こう。レーヴィンカのとこには寄らずに : : : 」 「レーヴィンカのところへ行ったって何もすることがないでしよ。でも、私の言うとおりにして うれ くれて嬉しいわ」 「きみはだれよりも可愛い人だよ」とアリヨーシャは悲しそうに答えた。「イワン・ベトローヴ イチ、ちょっとお話したいことがあります」 わき と 私たちは二、三歩、脇へ寄った。 び 人「今日のぼくは恥知らずでした」とアリヨーシャは私に囁いた。「下劣なことをしてしまいまし た。世の中にたいして申しわけないと思います。とくにナターシャとカーチャにたいしていけな ナ ( フランスの女性です ) に紹介し げいことをしました。実は夕食のあとで父がアレクサンドリー 虐てくれて、とても魅力的な女性なので、ぼくは : : : 夢中になってしまって : : : しかしこんなこと はどうでもいいんです。ぼくはナターシャやカーチャと付き合う価値のない男です : : : じゃ、さ ようなら、イワン・ベトローヴィチ ! 」 「彼はいい人だわ、やさしい人だわ」と、私がふたたびそばに腰を下ろすと、カーチャは急いで 口を開いた。「でも彼のことはあとでいろいろお話しましよう。今はそれより打ち合せておきた こうしやく いことがあるんです。あなたは公爵のことをどうお思いになる ? 」 「たいへんな悪人だと思いますね」 「私もなの。じや意見が一致したわけですから、話が楽になるわ。で、ナターリヤ・ニコラーエ 370 ささや
104 窓から捨ててしまったのかもしれない。腹を立てたら、そのくらいのことはやりかねない人でし よう。そうやって捨ててしまってから、捨てたことを悔んで、悲しんでるのかもしれない。そう 思ったから、マトリヨーナと一緒に窓や通風孔の下を探しに行ったんだけど、何も見つからなか ゆくえ った。まるで行方知れずなの。一晩じゅう泣き明かしたわ。だって寝る前に十字を切ってやらな かったのは、これが初めてでしよう。ああ、悪いしるしよ、これは、悪いしるしよ、イワン・ペ トローウイチ、いし 、しるしであろうはずはない。そして夜が明けて、それでもまだ涙が乾かずに 泣きつづけたの。だから天使の訪れを待つみたいに、あなたを待ってた。少しは気が晴れるかと と思って : : : 」 人そして老婦人はさめざめと泣いた。 れ「ああ、そうそう、話すのを忘れていた ! 」と、思い出したことを喜ぶように、老婦人はとっぜ ら ん言った。「うちのひと、みなし児のことを言ってなかった ? 」 虐「聞きましたよ、アンナ・アンドレーエヴナ、親のいない貧しい女の子を引きとって、養女にす る相談がまとまったそうじゃありませんか。本当ですか」 「とんでもない、あなた、とんでもない ! みなし児なんて、いやよ ! そんなことをしたって、 私たちの情けない運命を、私たちの不幸を思い出すたねになるだけよ。ナターシャのほかには、 だれも欲しくないわ。今までも、これからも、娘はあの子だけ。でも、うちのひとがみなし児な んて言い出したのは、どういうわけかしら。あなたどう思う、イワン・。へトローヴィチ。私の涙 を見て、慰めるつもりかしら。それとも、実の娘を思い出の中からさえ追い払って、別の子に愛 情を移させる気なんだろうか。今ここへ来る途中で、私のことを何て言ってました ? うちのひ かわ
「意志の弱い子供ですよ、あのアリヨーシャという人は。意志が弱くて、残酷な人よ。私、前か らそう思っていたわ」とアンナ・アンドレーエヴナはふたたび口を開いた。「結局、教育がわる かったから、あんな薄つ。へらな男ができてしまったのね。あれほど惚れているナターシャを棄て るなんて、まったくなんてことだろう ! かわいそうに、ナターシャはどうなるのかしら ! そ あき の縁談の相手のどこがいいんだろう、呆れるわ ! 」 「噂によれば」と私は反対した。「その女性は非常に魅力的な娘さんだそうです。ナターシャも そう言っていました : ・・ : 」 「そんなこと嘘よ ! 」と老婦人は私の言葉をさえぎった。「なにが魅力的なもんですか。あなた 人方文士というものは、スカートがひらひらしていりや、どんな女性でも魅力的なんじゃないの。 れナターシャが褒めるのは、あの子の気位の高さのせいよ。アリヨーシャを抑えつけることができ ら ないのよ。なんでもかんでも赦してしまって、自分一人で苦しむんだから。今までにもう何度裏 ほんとに、イワン・ベトローヴィチ、私はもうぞっとして 虐切られたかしら ! 薄情な悪党よー しまうわ。みんな自尊心のとりこになってしまった。せめてニコライだけでも心を和らげて、あ の子を赦して、うちへ連れてくればいいのに。そしたら思うぞんぶん抱きしめて、ゆっくり顔を 見られるのに ! ナターシャは痩せたでしようね」 「痩せました、アンナ・アンドレーエヴナー 「かわいそうに ! 実はね、イワン・。へトローヴィチ、困ったことがあるのよ ! そのことで、 ゅうべも今日も、泣き暮したの : : : いえ、なんでもないのよ ! あとでお話するわ ! とにかく は何度も遠まわしに言ったの、赦してやってくれということをね。はっきり一一一口う勇気はなくて うそ おさ
「ううん、苛めたりなんかしない」 「じゃ、どうしてなの」 「なんとなくいやなの : : : だめなの : : : 私あのひとに意地悪をするし : : : あのひとはとってもい い人だし : : : でもあなたの家に置いてくれたら、私、意地悪なんかしない、働くわ」と、ヒステ リックに泣きじゃくりながら少女は一一一口った。 「どうして彼に意地悪をするの、ネリー」 「だって : と「というわけで、あの子は『だって』しか言わないんですよ」と、涙を拭いながらアレクサンド きようふう 人ラ・セミョーノヴナは話を結んだ。「なぜあの子はこうも不仕合せなんでしよう。あれが驚風っ れていうのかしら。どうお思いになります、イワン・ベトローヴィチ ら 私たちはネリーのそばへ戻った。少女は横たわり、枕に顔を埋めて泣いていた。私はその前に 虐ひざまずき、少女の手をとって接吻した。少女は手を振りほどき、 いっそう激しく泣き出した。 私はなんと言っていいものやら分らなかった。そのとき、イフメーネフ老人が部屋に入って来た。 「こんにちは、イワン、用事があって来たんだよ ! 」と老人は言って、部屋を見まわし、私がひ あお ざまずいているのを見て驚いた顔になった。老人はこのところずっと病気だった。顔色は蒼く、 けいべっ 痩せ細っていたが、まるでだれかに虚勢を張るように自分の病気を軽蔑し、アンナ・アンドレー エヴナの言うことを聞いて横になることをせずに、相変らす用事で出歩いていたのである。 「じゃ、私は失礼しますわ」と、アレクサンドラ・セミョーノヴナは老人をじろじろ見ながら一 = ロ った。「フィリツ。フ・フィリップイッチに、なるべく早く帰れって言われましたし。うちに用事 436 や ぬぐ
「ねえ、アリヨーシャ、それより肝心なお話をして ! 」と気の短いナタ 1 シャは叫んだ。「何か 私たちのことを話してくださるんじゃなかったの。あなたったら、ナインスキー伯爵の家でどう とかっていう話ばかりじゃないの。あなたの伯爵なんか、私、関係ないわ ! 」 「関係ないだって ! 聞きましたか、イワン・ベトローヴィチ、関係ないそうです。ところが、 これが一番肝心なところなんだなあ。今に分るさ。話を最後まで聞けは分るよ。まあ、話をつづ けさせてくれ : : : つまりね、ナターシャ、イワン・。へトローヴィチもよくお聞きください、 ( ざ つくばらんに一一 = ロってしまおう ! ) ぼくはなるほど、ときどき非常に、非常に思慮の浅いことをす とるかもしれない。それどころか時には ( いや、むしろしばしば ) まるつきりの馬鹿であるかもし 人れない。でも今度ばかりは大いに老獪に : : : その : : : 知性的にやってのけたんです。ですから、 ぼくが必すしも : : : 馬鹿ではないことが分れば、あなた方にも喜んでいただけると思う」 れ ら「まあ、なんてことを一一一一口うの、アリヨーシャ、もういいわよ ! かわいい人ー 虐アリヨーシャは愚か者だと人に思われることが、ナターシャは我慢できなかった。私がアリョ 1 シャにたいして歯に衣きせずに、あなたは馬鹿なことをしたと指摘してやるたびに、ナターシ ヤがロに出しては何も言わないけれどもみるみる仏頂面になったことが、いくたびあったことだ おとし ろう。それはナターシャの一番痛い部分だった。アリヨーシャが貶められることを我慢できない のは、彼女が自分でもひそかにアリヨーシャの限界を意識していたためかもしれない。だがその 考えをナタ = シャは決して口に出さず、アリヨーシャの自尊心を傷つけないように気を配ってい た。ところがそんな場合アリヨーシャは妙に敏感になり、いつもナターシャの内心を見破るのだ きげん った。ナターシャはそれに気づくとひどく悲しげになり、すぐさまアリヨーシャの機嫌をとった こ きぬ
の前に腰を下ろし、私の小説を読んでいた。少なくとも本は開かれていた。 「イワン・。へトローヴィチ ! 」と公爵は嬉しそうに叫んだ。「やっとお戻りになられて、こんな にしいことはありません。今もう帰ろうかと思ったところでした。一時間以上もお待ちしてい しつよう ましてね。実は伯爵夫人が非常に執拗に頼むものですから、今夜あなたと一緒に伺うと約束して しまったのです。夫人はぜひともあなたを紹介してほしいとおっしやるのですよ ! 私がここへ 伺うことについてはあなたのお許しをすでに得てありますから、それでは一つ早目に、あなたが どこへもお出掛けにならぬうちに伺って、ご一緒においで願おうかと、そう思ったのです。とこ ろがいざ伺ってみると、女中さんはあなたがお留守だと一言う。がっかりいたしましたよ。どうし 人たらいいだろう ! あなたをお連れすると約束してしまったのですからね。仕方なく、十五分ほ ひろ れど待ってみようと腰をおろしました。ところが、とんだ十五分です。あなたの小説を拡げました ら ら、すっかり読みふけってしまった。イワン・ベトローヴィチ ! これは実に傑作ですな ! こ 虐れを読めば、あなたのお気持はすっかり分ってしまう ! すっかり泣かされましたよ。私が泣い たのですよ、めったに泣かない私が : : : 」 「じや一緒に行こうとおっしやるんですね。実は今 : : : とくに行きたくないわけではないのです が、しかし・ : : ・」 「お願いです、いらしてくださいー 私の顔を立ててください。一時間半もお待ちしたんです よー : それにぜひとも、お話したいことがありますしーー・なんのことだかお分りでしよう ? 今度のことについては、あなたのほうがずっとよくご存知だから : : : 二人で考えれば何か解決が つくかもしれません。何か一致点が見出されるかもしれないでしよう。お考えになってみてくだ 349
ヤは喜びと後悔で胸がいつばいになって叫んだ。「きみはそんなにやさしいのに、ぼくときたら : ああ : ・・ : 白状してしまおう ! たった今、台所でイワン・ベトローヴィチに頼んだんだ、こ こから出掛けるのに手を貸してくれってね。それでこのひとがこんなやり方を考え出したんだ。 でも、ぼくを裁かないでおくれ、天使のようなナターシャ ! ぼくには罪は全然ないんだ、だっ てきみをこの世の何よりも、何千倍も愛しているんだもの。だからこそ、ぼくは新しいアイデア を思いついた。つまりね、カ 1 チャに何もかも打ち明けようと思うんだ。ぼくらの現在の状態や、 きのうの出来事も、今日すぐ洗いざらい話してしまう。カ 1 チャはぼくらを救うためにきっと何 とか考え出してくれると思う。だって心の底からぼくらに関心を寄せてるから : : : 」 人「とにかくお行きなさい」とナターシャは笑顔で答えた。「それからね、私もカーチャとお付き 合いをしたいわ。どうしたらいいかしら」 れ ら アリ = ーシャの喜びは限りなかった。青年はさっそく二人が知り合う方法を空想し始めた。ア 虐リ「一ーシャの考えでは、それはたいそう簡単なことだった。すなわち、カーチャがうまい方法を 考えつくだろうという。熱っぽく、むきになって、青年は自分の考えを繰りひろげた。そして今 日のうちに、二時間もしたらむこうの返事を持って来て、今夜はナターシャの住居ですごすと約 束した。 「本当に来てくださる ? 」と、青年を送り出しながらナターシャは訊ねた。 ? じや行ってくるよ、ナターシャ、きみはぼくの恋人なんだ、永遠の恋人な 「疑ってるのかい んだ ! じゃ、さようなら、ワーニヤ ! あ、しまった、うつかりワーニヤなんて呼んでしまい ました。イワン・。 ~ トローヴィチ、ぼくはあなたが大好きなんです、きみと呼んではいけません 327
う力がいしないかもしれません」 「あら、どうして ? 」 「原因はいろいろ考えられますが、主なところは、私と公爵との関係ですね」 「公爵は不誠実な人だわ」とカーチャはきつばり言った。「それとも、イワン・。へトローヴィチ、 私、お宅へ伺ったらどうかしら ! そんなことをしても悪くないかしら ? 」 「あなたご自身はどう思います ? 」 「私は構わないと思うわ。それじゃ、いずれお伺いすることにして : : : 」カーチャはにつこり笑 とって付け加えた。「こんなことを申し上げるのは、あなたを尊敬しているだけじゃなくて、あな 人たが大好きだからなんです : : : それに、いろいろ教えていただけるでしよう。あなたが大好きだ わ : : : 私がこんなことを言っても、べつに恥ずかしいことじゃありませんわね 2 ら 「何を恥ずかしがることがありますか。私にもあなたはもう肉親のように大切な人です」 虐「じや親友になってくださる ? 」 「ええ、なりますとも ! 」と私は答えた。 「でもあの人たちはきっと、それは恥ずかしいことだ、若い娘にあるまじき振舞いだって言う わ」と、ふたたびお茶のテープルを囲んでいる連中を指してカーチャは言った。ここで気づいた のだが、。 とうやら公爵は、思うぞんぶん話をさせるために、わざと私たちを二人きりにしておい たらしい。 「私にはよく分っていますけど . とカーチャは言い足した。「公爵は私のお金が欲しいのよ。あ の人たちは私のことをまるつきりの赤ん坊だと思っていて、はっきり私にそう言ったりするんで
からなんです」 「あなたに教えるほど頭がいいなんて、どうして分ります ? 」 「だってそれは ! 」カーチャは考えこんだ。「なんの気なしにこんなことを言ってしまいました けど、それより一番大切なことを話しましようよ。教えていただきたいんですけど、イワン・。へ こいがたき トローヴィチ、ナターシャの恋敵である私は、そう確かに感じている私は、一体どうしたらいい んでしよう。だからこそ二人が仕合せになれるかどうかをお訊きしたんです。そのことを、私、 昼も夜も考えていますの。ナターシャの立場は恐ろしいわ、ほんとに恐ろし い ! だって彼はも とうナターシャを愛さなくなって、そのかわりにますます私を愛している。そうじゃありません ? 」 人「そうらしいですね」 れ「でも彼はナターシャを欺しているんじゃないわ。だって愛さなくなったことに自分では気がっ ら いていないんですもの。でもナターシャはきっと気づいているのね。どんなに苦しんでいるかし 虐ら ! 」 「で、あなたはどうするおつもりです、カチェリーナ・フヨードロヴナ」 「計画はいろいろあります」と娘はまじめに答えた。「でも私、迷っているんです。ですから、 それを解決してくださらないかと思って、あなたを一日千秋の思いで待っていましたの。こうい うことを、あなたは私なんかよりずっとよくご存知でしよう。今の私にしてみれば、あなたは神 様みたいな存在なんです。実は初めのうち私はこう考えました。彼とナターシャが愛し合ってい るなら仕合せにならなければいけない、だから私は自分を犠牲にして二人を助けなければいけな い。そうじゃないかしら ? 」