くマロネフ 29 形の前身ーマロネ 37400 形 ( 戦前 ) 時代 3 等寝台車の新製復活が , 軽量客車の試作に並行して計画さ 級車 . 戦後まもない昭和 23 年に占領軍用として製作された , れていた . 2 等寝台車は戦前製車両の改造復活にマロネ 40 ・ 区分寝室と開放寝室からなる豪華寝台車 . 冷房っきの 1 等寝 マロネ 41 など戦後の新製車が加わり , 長距離夜行旅行者の人 台車マイネ 40 として生まれ , のち国鉄が購入して東京ー大阪 気を独占していて , 利用しやすい大衆寝台車をつくれという に使用 , 30 年 7 月の 1 等寝台廃止で格下げされて 2 等寝台車 声が高まっていたのである . マロネ 40 となった . 全室プルマン式のマイネ 41 →マロネ 41 と こうして , 寝台の構造配置は戦前製ハネを基本とし , 車両 ともに豪華さを誇り , これまでの昼行特急には寝台車がない 限界を一杯にとって車幅を拡大することにより設備を改善し ため , これだけは特急として最豪華車両であった . た軽量 3 等寝台車ナハネ 10 形が 31 年 3 月に完成し , 東海道本 マロネ 40 と対照的なのが⑩号車のマロネフ 29. 同じ 2 等寝 線の夜行急行く銀河〉に組み込まれてデビューした . ビジネ 台車でありながら古い戦前製で , 寝台は進行方向に左右・上 スホテル程度の寝台料金を払うことで , 窮屈な座席に腰かけ 下 2 段にならび , 上段は舟形で天井に格納されていて夜間は て長い夜をすごす苦痛から解放される快適さが爆発的な人気 これを下ろし , 下段は座席を中央通路に引き出して使用する をあつめ , ョーロッノヾ・スタイルの外観と寝台車独得の夜汽 方式 . 上段・下段とも寝台使用時は隣席との境界の仕切りを 車ムードも魅力となり , 寝台車プームが広がりつつあった . 出してカーテンを吊り , 寝台スペースとする . 昼間は窓を脊 に内側を向いて腰かけることになるが , これは市内電車と変 くあさかぜ > は異色ずくめの新生特急らしく , 時代の寵児 わらない坐り方で , 快適な旅を楽しむ特急の設備としてはふ ナハ 10 ・ナハフ 10 ・ナハネ 10 と , これらの新鋭軽量座席車・ さわしくない . もちろん寝台料金は , マロネ 40 の区分寝室が 2 寝台車をそろえて登場した . ナハネ 10 は当時として大衆旅客 等寝台 A ( 上段 2 , 160 円・下段 2 , 760 円 ) , 開放寝室が 2 等寝台 に対する最大のプレゼントであったが , ナハ 10 とナハフ 10 は B ( 上段 1 , 680 円・下段 2 , 160 円 ) , マロネフ 29 が 2 等寝台 C クロスシートの一般用客車であり , 車内が近代的で明朗なっ ( 上段 1 , 200 円・下段 1 , 560 円 ) と区分され , 格差がつけられ くりである点を除けば , 特急の客車としてふさわしくなかっ た . 乗り心地 , 居住性 , ムードのすべてが先輩特急にくらべ ていたが , このマロネフ 29 とオハニ 36 を組み込んだことカゞ , て劣り , 特急に乗った気がしない・・・と評判がよくなかった . せつかくの新生特急くあさかぜ〉のイメージをダウンさせた ことは否定できない . ①号車のオハニ 36 が不評だったのは , もちろんである . ⑦号車の食堂車マシ 35 は , 昭和 26 年にくつは、め〉くはと〉用 なお , くあさかぜ > 登場時の料金は 3 等寝台がヒ段 720 円・ 中段 840 円・下段 960 円 , 特別 2 等車が東京ー博多 600 円 . 特 として製作されたもので , 冷房装置つき , 室内は明るいプル し、 料金は東京 - 博多が 2 等 2 , 400 円・ 3 等 1 , 000 円 . くあさかぜ > ー系の色の , 特急にふさわしい近代豪華車であり , 問題なく 合格 . ⑧号車の特別 2 等車スロ 54 はくかもめ〉用として 27 年に で東京から博多まで旅行すると , 3 等座席車で 2 , 460 円 , 3 等 寝台下段で 3 , 420 円 , 2 等寝台 A 下段で 5 , 220 円かかる計算 . 登場した新鋭 . 見通しのよい広窓がならび , 定員 48 名 , 天片 灯には当時めすらしかった蛍光灯を採用 , くつはめ〉くはと〉 20 年後の現在 , B 寝台利用で 8 , 110 円 , A 寝台利用で 13 , 000 円 ( 最高級の個室でも 15 , 110 円 ) だから , 物価上昇のわりには のスロ 53 とならぶ近代豪華車で , これも特急車両として合格 . ⑨号車の 2 等寝台車マロネ 40 はくあさかぜ〉編成中の最高 鉄道運賃は上がっていないといえる . 63
トレインの電ラ原、車 m ⅢⅢⅢⅢⅢ間 20 系の電源車 あさかを 長務 車事 た計 生式両 誕形車 年ニ供 マ提 和の 昭 E 昭和 34 年に誕生したカニ 21 形式 提供 ; 車両設計事務所 昭和 35 年に誕生したカニ 22 形式客車ながらパンタグ ラフを 2 台備えた異色車両 提供 ; 車両設計事務所
ティーラウンジ A ( 丸テープルのおかれ たティーラウンジの向こうはゲーム室 ) 人井と壁に変化をつけた食堂内部 室は , 20 系の 1 人用個室が列車の進行方向と並行して 2 列な 私のように , たえず食堂車に顔を出す客もいるのだから , 1 らべた結果 , あまりにも窮屈だったから , やはり客車 B 寝台 週間交替くらいで何か一品だけでも目先のかわった ' おすす のようにペッドは通路と直角におく . め料理 ' を出せないものだろうか . 室内にはペッドのほか , 折畳み式のライティング・デスグ を設ける . ポールペンやレターセットの備付けはないが , あ 〔パー・サウナ車〕 6 号車 とで紹介する売店で販売する . 室内のデスク・べッドの照明 この車両が売りもの . プルー・トレインの食堂車を観察して にも工夫をこらす . できればテレビを各室におきたい . コイ いると , 夕食時間帯から 22 時半ごろの「ラスト・オーダーで ン式でもやむをえまい . ほかにラジオ , 水道 , クツみがきの す」と声がかかるときまで , 食堂というより酒場の感じが強 布 , スリッパなど , もちろんュカタをサービスする . い . 飲みだすと腰が長くなり , 本当に食事したい人がなかな 2 人用のツインべッド個室は設けないが , 隣合せの個室の か席につけないこともあるので , 飲むコーナーを分離するこ 間にドアをつくり , ふだんは施錠しておき , お客から申し出 とにし , 6 号車の食堂車寄りの半車をあてる . があれば専務車掌が保管するマスタキーであけて , 行き来で ・コーナーはカウンター式とし , さしてスペースをと きるようにする . アコーディオンドア方式ならツインペッド らないから通路を分離する . 男のパーテンだけでよいが , 洋 の 1 室に化けさせることも可能だが , あまり簡単な仕切りの 酒・ビールだけでなく , 九州の焼酎やフグのヒレ酒なども飲 ため招かれざる客が侵入するようでは困る . みたい . ジュークポックスをおくのも結構だ . かって < あさかぜ > 個室に強盗が入った前例もあり , 防犯 入口近くには気のきいた売店を設け , ここで公衆電話の取 ブザーをつけておいたほうが安心・イザというときは車掌室 扱いをする . 売店では , おみやげ品のほかに < あさかぜ > の などで一斉に鳴る仕組にしておこう . イラスト入りの封筒・便せん・絵ハガキ・タオル・ハンカチ などを販売する . 日付入りの乗車記念券を売って車掌長がサ 〔食堂車〕 5 号車 インするというのもおもしろいだろう . 列車全体を売るのだ . 車幅からみて , 新幹線のように通路を別にとることはむずか 売店に『鉄道ジャーナル』や『旅と鉄道』などもあれば , 申 しいと思われるので , 従米の食堂車スタイルを踏襲する . し し分ない . かし 14 系のような安つばい造作では困る . 装飾や照明にも気 残りの半車はサウナ・コーナーだ . 太平洋戦争前の 1935 年 をくばって , 落ち着ける雰囲気にしたい . ( 昭 1 のには , 特急く富士 > の 1 等寝台車にシャワーパスが メニューは , せめて < ひかり > 食堂車程度に充実させる . 設けられていた . いまさらシャワーだけでは鮮度がないので ぞうさ
昭和 33 年に登場した国鉄初の固定編成客車・昼行列車の電車 化・気動車化がすすむなかで旧態依然たる長距離夜行列車の 体質改善を図ることを目的に設計・製作されたもので , 客車 列車における・新系列 ' に相当する . 従米の 1 両単位の設計 から一歩進んだ編成単位という設計思想が導入され , 一般客 車との混結を行なわない固定編成方式と , 一端に配した電源 車により各種電力を発電・供給する集中電源方式はその成果 である・これはむしろ夜行特急としての接客サービス上に大 きな意味を持つもので , 列車の前頭から最後部まで統一的な 性能とサービス水準が確保されるとともに , 流麗な編成美で 乗客に強くアビールすることになった・ 車体構造はナハ 10 に始まる軽量構造を踏襲したが , 換気装 置の関係で屋根は深くなり , 最大高さ 4 , 090mm と車両限界 いつばいまで広がった・夜行列車として静かな車内と快適な 乗り心地を得るために , 窓は複層固定式となり , 冷房装置が 取り付けられた . 台車は空気パネっき TR55 系とし , 車端に は横揺れ防止用ダンパが取りつけられ , 連結器は丸妻側を除 いて密着自動連結器で , 連結面の一端には汕圧の , 他端には ゴムの緩衝装置が併用されて前後方向の衝撃を吸収している・ 走り装置は高速運転に適するよう中空車軸や 800mm 車輪 ( 一般客車は 860mm ) を使用してパネ下重量の軽減を図った ほか , プレーキシステムはシンリダを台車つきとして基礎プ レーキ装置を簡略化した A S システムを装備していたが , の方式では制動能力には大差なく , 最高速度もこの関係で 95 km/h であった . のち特急客車列車の速度向上 C110km/h) にともなって , A S から応答性のよい AREB に改造されて いる . また乗降用扉は折戸式で開閉は手動だが , 走行中は一 斉鎖錠される・ メーカーは日本車輛と日立製作所で , とくに室内テサイン は両者に競作させる異例の措置がとられたため , 日立製は車 号を 51 以降として区別している・ 20 系客車は 33 年から 45 年までの間に 16 形式 473 両 ( 簡易電 源車を除く ) が新製されたが , 大きくわけて 33 ~ 35 年の九州 特急置換え用 , 38 ~ 40 年の寝台特急チャンネル新設用 , 43 ~ 45 年の寝台輸送力増強用の 3 段階がある . 第 1 次車は 33 年の くあさかぜ > 用 8 形式 ( マニ 20 ・ナロネ 20 ・ナロネ 21 ・ナロ 20 ・ナシ 20 ・ナハネ 20 ・ナハ 20 ・ナハフ 20 ) 37 両と , 34 年の くさくら > 用 34 両 ( 新形式 = カニ 21 ・ナロネ 22 ・ナハフ 21 ) 35 年の < はやぶさ > 用 39 両 ( 新形式 = カニ 22 ) の計 110 両で 列車はいすれも個室寝台やグリーン車を連結した豪華編成で あった . 第 2 次車は < みすほ > 置換え用 , くあかっき > くは くつる > などの新設用として 192 両が製造されたが , 編成は やや単純化され , また 39 年からは緩急車の寝台化が計画され ナハネフ 22 ・ナハネフ 23 を新製 , ナハネフ 20 ・ナハネフ 21 を 改造により増備している . 第 3 次車は最後の新製車でもあり く日本海 > < あけばの > の新設 , くあさかぜ > の増発などに あてる目的で 171 両が製造されている . 46 年度以降は 14 系・ 24 系の増備がすすんだが , 20 系は新製されていない・今後は 老朽化を理由に第 1 次車は廃車 , 第 2 次車は急行格下げの方 向へ進む模様である .
24 系 25 形各形式 オハネ 25 形式中間の B 寝台車・上段寝台は作りつけでなく 14 系・ 24 系と同様に電動により昇降する構造だが , 原則として寝 台の設廃は行なっていない・乗務員室はない・定員 34. オハネフ 25 形式寝台緩急車・後位の乗務員室が拡充されたた め , ドア位置が山側と海側で若干すれている . 定員 32. カニ 24 形式マヤ 24 形と同じ 300kVA のディーゼル発電装置を 2 基搭載した電源車・荷物室がついたため車長は 18. 5m に伸び た・発電装置は無人運転されるが , 1 基が故障した場合は自動 的に負荷が半減される . 台車はコイルバネっき T R66. くオハネ 25 一一宿目 △カニ 24 マオハネフ 25 89
伊野ー後免町間には直通する電車がないので , 終点で乗継券 を発行する・駅案内のアナウンスはテープによるが , 市街地 の駅ではその駅近くの商店名を入れた簡単なコマーシャル・ アナウンスを行なっている・終端駅にある発車時刻表の片す みに「暴風の際は運転を中止する場合があります」との注意 書は , 台風銀座一高知ならではの感が強い・また座席の一部 に老人と身障者のための優先席を設けている・ ・車両 現在の車両は全車が昭和 25 年以降製造の車両であり , 車齢 20 年以上の車は 18 両だけである・しかし最後の新車 624 ~ 631 号 車の 8 両が 39 年に入線以来 , 新造はなく , その後は他社から の譲受車で間に合わせている・ 電動客車 ( ワンマン車 ) はクリームの地色に屋根がグリー ン , 窓下の帯がプルー , すそがマルーンで , これは自社のパ スの塗色に合わせたのだという・ 200 形 ( 201 ・ 202 ・ 204 ~ 221 ) 20 両 昭和 25 年から 32 年にかけて日立・帝車・自社工場などで , 都 電 3000 形をモデルに 21 両が製造された・ 203 号車が事故で廃 車されたため現在は 20 両が在籍している・製造が長年にわた ったため外観上の相違が見られる . 201 ・ 202 ・ 204 ・ 205 号車 の 4 両が , グリーンの部分が多い旧塗装のツーマン車で残っ ている . 500 形 ( 501 ) 1 両 車体は 200 形とほば同様であるが , 直角カルダン・弾性車輸 高知市の中心部を走る 800 形 ( 右 ) と 6 形重連 堀詰で ' 76 ー 3 ・間接自動制御など新しい技術を使って昭和 29 年に登場した・ 知寄町 3 丁目ー葛島橋東詰間で ' 76 一 3 国分川を渡る 600 形 しかし試作の域を出ず , 現在は直接式に改造され , 実質的に 700 形と同じく山陽電気軌道から購入した・車体・性能とも は 200 形と変わらなくなった・ に 700 形とほば同一である . 600 形 ( 601 ~ 631 ) 31 両 貨 1 形 ( 1 ) 1 両 昭和 32 年 , 都電 7000 形をモデルに自社工場とナニワ工機で製 昭和 27 年に自社工場で古い木造電動貨車の台枠を再生し , 改 造された優秀な路面電車で , 土佐電鉄を代表する主力形式で 造して生まれた事業用車で , ときには小さいトロッコを引い ある・ 603 ~ 607 ・ 610 ・ 611 号車が直接制御 , 他は間接非自動 てレールの運搬などに使用される . 車体はマルーン 1 色で , 制御で間接制御車は重連が可能である . 601 号車は現在 , 地色 ビューゲルがついている・ を白に塗り , シューによる汚れ方のテストを行なっている・ このほか中型トラックに空中作業台を取り付けた架線作業 700 形 ( 701 ~ 703 ) 3 両 車がある・ 昭和 46 年に廃線となった山陽電気軌道から購入した車両・大 きな改造もなく使用されている・ 800 形とともに大きな窓と 当軌道線ではラッシュ時の運転間隔が区間によって 2 分を割 折戸は当線では異色的存在である・乗りごこちは大変よい・ る・また数は少ないが連結運転が行なわれ , 輸送力の増強を 800 形 ( 801 ~ 804 ) 4 両 0 3 とさいっく 舟戸 東新木 介良適 高須 基島東喆 知寄町一丁目 こうち ンム ド園遧池町通店式通町 矩 些文新田 宝知 上上上上上桝 木辺児 永寄 寄 咼 町町町 町町形県大中堀 町 須通 を格の誌 土四 = 選 / 相 / 辻 丁 丁丁丁 丁丁前 通一丁目丁 格通こ丁目 通三丁目 粭通四丁目 残矯岸壁通 雅通五丁目 おおっ 多目 ご後免東町 後免中町 後免曲町 東エ業前 仕告通 線篠原 小篭通 長崎 明見 一條 領石通 北浦 主要電停 133
~ の名古屋駅では先発の < 出雲 > ( 左側 ) と並ぶ 着を重ねてかけ , それを幕にしてわすかのスキにポケットか 調理室には熱気がムンムンとたちこめ , まっ赤に焼けたレ ら貴重品を抜きとる手口 . このプランコは , たいていスリも ンジの上で , フライバンがジューシューと音をたてていた . かねており , 洋服がけにめばしい・獲物 ' がないとなると , と 「エビフライあがったよっ」 たんにスリに変身する . 車内ですれちがいざま , これそ、と思 「はい , ビーフシチュー」 うカモから財布を抜きとるのだ . 新婚旅行でウキウキしてい 調理係と調理助手が威勢よく声をかけ合う . 寝台車では安 はこし るカップルなどは , 絶好のカモだという . 、箱師 ' といわれた らかな寝息が交差しているというのに , こでは息つくまも 昔のスリは一種の仁義めいたものを持っていて , 新婚旅行客 ないほどの忙しさなのだ . はねらわなかったそうたが , 最近は , そんなことおかまいな ・トレイン ' 人間模様☆ しに , 片つばしから手を出してくる . 車掌の収入金までねら 、プニング・・酔客 ' 深夜の合唱 ' う猛者も現われたというから , 汕断もスキもあったものでは ない . 「車掌さんは , いませんか・ 「食堂車に , まだだいぶお客さんがいるようですけど , あの 丸首シャツの上にジカに上着をはおった客が , 寝ばけ顔で お客さんがぜ、んぶ寝るまでは安心できませんね・ほとんどの 車掌室に現われた . 稲垣専務車掌が応対に出ると , その客は お客さんはイッパイ入ってますから , それだけ注意力が散慢 ちょっと興奮気味に声をふるわせて話し出した . 最後部 14 号 になっている . いい気持で通路を歩いていると , すれ違いざ 車のうしろ側のデッキで 5 , 6 人の男性客が大声でケンカし まに素早くやられるんですよ . こうして制服で巡回している ている , 早くなんとかしてくれないとうるさくて眠られない だけでも牽制になりますからコマメに歩いているんですが , というのだ . 稲垣専務車掌は公安員と一緒に駆けつけた . 14 『そんなにチョコチョコ歩きまわられると目ざわりだ』なん 号車に行くと , 確かにドア越しに大きな声が聞こえる . 耳を て , お客さんからとんだお叱言をもらうこともあります・・・」 かたむけると , それはいささか音階の狂った歌声であった . 食堂車の営業時間は 23 時まで , 名古屋に着く少し前まで営 ナハネ 20 形式 ( 4 ・ 5 ・ 8 ~ 1 3 号車 ) 業しているわけだ . 20 時をすぎると , ほとんどの客は食事よ りアルコールをもとめて食堂車にやってくる . 長い汽車の旅 なのだから , せめて寝る前ぐらいは好きな酒でも・・・という人 たちだ . 寝っかれない夜の眠りグスリがわりに・・・という人も あろう . 食堂車はそんな客たちでにぎわっていた . ビール・ 酒・ウイスキーと , 飲物はすべてそろっている . オンザロッ グを注文すれば , アイスバケットやマドラーまでもテープル に運んでくれる . 値段も街のパーよりもはるかに安いので , 安心してのめるというものだ . そして , なによりも楽しいの は , 旅先の解放感というようなムードが食堂車にはあふれて いることだ . 落合食堂長はじめ 3 人のウェイトレスたちは車内を泳ぎま いそがしく行き米する . わるように , ☆ ' フルー 大世帯を誇る 20 系のなかでも最もポビ、一ラーな存在・オハネ 12 などと向じく横形 3 段スタイルで , 定員は 54 名 . 500 番台は 他形式からの改造車で , 501 ~ 503 と 506 ~ 508 はナロ 20 から , 510 ~ 512 はナハ 20 から , 513 はナハフ 20 から改造したもの・ 39
☆特別企画☆くあさかぜ > がモテルチェンジする夜 夢の豪華寝台特急 0 種村直樹 イラスい岡田徹也 ・あさかぜ ' 形とも呼ばれる 20 系プルー・トレインの固定編成客車が登場してから 20 年近くたった . 最近数年間に 14 系・ 24 系の寝台車が現われているがどちらも 20 系をベースにべット設備などを改良したものて根本的なシステムは変わ っていない . いまのところ国鉄は寝台車営業から人手をはぶく合理化策に懸命だがそれはそれとしてニュータイプ の豪華な寝台列車が現われてもよいころだ . ただ眠るだけてはなく移動しながら夜を楽しむ列車がほしい . 鉄道も合理 化や省力化だけてなく時代の進歩を鋭敏にとらえて国民生活の向上にマッチした設備サービスの改善に意欲的に取 り組むべきだという観点から < あさかぜ > をモデルに新しい時代のプルー トレイン像をえがいてみよう・ 増強とサービス改善がはかられてゆく . 変貌する夜行列車 1955 年 ( 昭 30 ) になると周遊券がお目見えして , 旅の PR 鉄道は , きわめて敏感に時代を反映する . 太平洋戦争までの も始まった . 3 等寝台車ナハネ 10 形は ' 56 年に復活 , 全国の ざいばっ 日本には財閥や軍 , あるいは華族といった特権階級がハバを 主な急行・準急に連結されたものの絶対数が少なく , きかせており , 1 ・ 2 等寝台車などは , 市民とは縁遠いもの はまだぜいたくな設備だった . ' 57 年 10 月 , 東京ー大阪間の だったという . 1931 年 ( 昭 6 ) に , いまの 3 段式 B 寝台に相 急行く彗星 > が初の寝台列車に衣がえして 2 ・ 3 等寝台車各 当する 3 等寝台車が登場したものの , 旅の習慣も定着してい 5 両と 3 等指定席車 1 両になり , 自由席がなくなってしまっ なかったし , 一般に夜行といえば固い座席ーー - ーそれもほとん たときは「乗りにくいキサな急行だ」と反感を持ったものだ . ど普通列車ーーで仮眠するのが常識だった . 20 系 < あさかぜ > はこんな時代に製造され , 1958 年 ( 昭 33 ) こんな背景だから , 本誌 5 月号の「 20 系プルー に登場した . 列車全体を一つの単位とする固定編成の考え方 く銀河 > の旅」で紹介された東京ー神戸間の ' 名士列車 ' 17 レ や個室寝台 ( ルーメット ) はいずれも日本で初めてだったし , ・ 18 レのようなかたちでしか寝台列車は育たなかった・ 冷房も希少価値があった . 当時の生活水準よりはるかにレベ 敗戦後の日本は民主主義国家に生まれ変わったものの , 戦 ルの高い列車で , ・動くホテル ' ・豪華列車 ' という表現も少 争による荒廃で混乱が続き , 旅どころではなく , 鉄道はアメ た寝台列車 < 彗星 > に反発した私 しもオー ーではなかっ、・ リカ占領軍が押さえていた . 1952 年 ( 昭 27 ) に日米間の講和 も , 夜行のイメージを塗りかえた 20 系にはひかれていった . 条約が発効し , ようやく日本人の手にもどった鉄道の輸送カ 初代の 20 系 < あさかぜ > の魅力は , 寝台列車というより , 106
転換期に ) たっ・ プノレー ト レイ ン ' 国鉄本社・旅客局営業課・補佐 田崎乃武雄 次の日に着くならく星の寝台特急 1 . ープルー ' の誕生 第《第の寝台特 3 ) 標気その 目じるしは星 。 ! 第のとお第マークを 第ヤついています☆ー , 中三式ß台 ☆☆、こ電 BS' ☆・☆客第はれ ! B 物 ベストコンディ ? イで目的地 ~ : 」 を、なちと台て気ィ 3 絡う第村的地・・、 物い時、 : 行動物、一が差第えままを ー仕事を終えて移動は夜に・、・ : 三 ] 講時をつルに ・、・いわば効第的なケし 、に物最てす 現在 ' 寝台特急 ' といえば , すべてプルーに白帯をまいた , い わゆる ' あさかぜ ' スタイルばかりを想像するが , 昭和 31 年 に寝台特急 No. 1 のくあさかぜ > が復活したころは , 口一カル や急行と全く同じ車両を集めて編成しただスピードが速い ということと , パックサイン ( のちにはヘッドマーグも ) が ついているということだけが , 他と違う特色であった . 寝台特急は , 復活以来約 2 年間 , そんな姿で運転していた が , 世の中の落ちっきとともに , 国鉄の寝台特急も現在のよ うな完全冷暖房 , 防音装置っきの ' 動くホテル ' 20 系寝台に 変身することになった・これが 33 年 10 月で , 以来 , 国鉄の特 急寝台車は , すべてこの 20 系に代表されるプルー ・トレイン で統一されることになり , 34 年に < さくら > が , 35 年に < は やぶさ > が , 38 年に < みずほ > が・・・と各線区にわたる増発・ 急行格上げがこの 20 系寝台で行なわれてきたのであった・ 2. ' プルー ' ニ世登場 この間 , 国民の体位はますます向上し , 市中のホテルも質的 に着々整備されてくると , 寝台幅が 52 上・中・下段の相 互間隔が 74 衄 ~ 845 という ' カイコ棚 ' では , どうにも狭く てやり切れないという声が高まってくる . おりしも大阪で万国博が開催され , その団体輸送用に 12 系 という客車が開発された . これは座席車ながら数両単位で 1 編成を組み , 冷暖房からドアー開閉まで , 必要な電源はすべ て自らまかない , 電源車の必要がない構造であったため , 少 なくとも同一条件下では , 電源車のぶん , 1 両は余計に連結 できるというメリットと , もし途中で 2 方向へ分割運転する 場合でも , それまでの悩みであった分岐駅に電源車を待機さ せておかなければならないというデメリットがない , という 魅力をもっていた . プルーの第 1 次改善車 14 系は , この 12 系を手本としたもの で , べッド幅は一挙に 52 → 70 , 長さは 190Cm → 1955 とワ イド化が図られ , ついでに中段も , 昼間 , 座席に使用するこ とを考え , 電動式で上昇できるよう改善が行なわれた・ 104 この 14 系は , じつは 46 年 10 月に 10 両が落成し , 当時まだ急行 だった < 瀬戸 > ( 下り 2 号・上り 1 号 ) に 4 両すっ組み込ま れて試用されたが大好評で , 新幹線岡山開業の 47 ・ 3 に , 別に 84 両を追加し , 品川配置の < さくら > ・ < みずほ > ・ < あさ かぜ > ( 下り 2 号・上り 3 号 ) がこれに置き換わった . この 47 ・ 3 改正をきっかけに , プルーの 20 系→ 14 系化は , 急ヒ。ッチで推進されることになり , 同年 10 月には , 早くも 94 両を , 今度は向日町に集中配置し , < あかっき > を 1 往復増 発 , 2 往復をこれに置き換える措置がとられている . また , これによって浮いた 20 系は , まだ寝台輸送力が不足していた 日本海縦貫線と東北本線へ回し , 前者ではくつるぎ > の格上 げに , 後者では < ゆうづる > の増発にあてられた . 3. ' プルー ' ニ世と三世は年子 ところがその直後の 11 月 6 日 , 客車急行のくきたぐに > が場 所もあろうに北陸トンネルという長大トンネルで出火し , れが大惨事に発展してしまった・火元は寝台車ではなかった が , 寝台車というのは・就寝 ' することが前提の車両であり , その車両が自家発電用のディーゼルエンジンをみずから抱え て走るのは , 万一のことを考えた場合に得策ではないのでは ないかという議論が起き , せつかく電源車 1 両分の増結がで き , 途中での分割運転自由自在という 14 系構想は残念ながら 一応中止され , 再び電源車連結方式に戻ることになった・ これが , 48 年 10 月改正時から登場した 24 系で , 寝台そのも のの構造は基本的には 14 系と変わるところはない・この車種 は 118 両が一度に新製され , ひとまとめに向日町に投入して < あかっき > を 1 往復増発 , 1 往復置換え , 同じく < 彗星 > についても 1 往復増発 , 1 往復置換えが行なわれた・ なお , これにともなって 14 系は向日町から九州の早岐へ移 され , < あかっき > < 彗星 > の増発用に , さらに浮いた 20 系 は , やはり輸送力の不足していた < あけばの > の増発用に 秋田へ配置替えされている . 4. 革命児 4 プルー ' 四世ー 24 系 25 形 ・トレインはこの数年 , こうして目まぐるしい体質改 プルー
35 客車寝台特急列車の運転本数の変遷 ( 定期列車 ) 36 単位 : 往復 49 2 50 48 3 46 45 43 39 44 42 41 40 38 線 区 愛 称 31 あ さかぜ 1 さ ちかぜ 平 和 東 海 道 さ く ら 山 陽 は やさ 線 九 州 み す ほ 勢 富 紀 士 陰 線 瀬 山 出 紀伊・いなば は くつる 東 うづる 北 ゆ 奥 羽 線 あ けーての 星 あ かっき 陽 彗 星 山 星 線 九 州・ 明 安・ 日 本 海 日 本 海 縦 貫 泉 る つ 上越・北陸線 北 陸 24 6 2 2 方向への分割運転をする場入 日には , ど 転はできるものの , 善を繰り返しつつ両数を増やしたが , 日豊電化の 49 ・ 4 にいた こかに別の電源車を 1 両待機させる必要が生するため , 本年 り , 今後のプルーの運命を決定づける抜本的変革を迎えるこ 2 月の増備にあたっては , 比較的足の短い大阪ー新潟間の とになった・それは , これまでの寝台車の常識とされた「 2 < つるぎ > ( 季節によってはく日本海 > の下り 1 号 , 上り 2 段式 = A 寝台 ( 1 等寝台 ) 」という鉄則を打ち破り , 中段の 号にも使うが , これも途中 2 方向にわかれることはない ) に ない 2 段式 B 寝台が登場したことである・ これは , 日本の寝台車史上特筆大書されるべき出来事であ これをあてている . ここにおいて , 初めて 20 系寝台車が浮いてくるという事態 って , 下表でわかるとおり , A 寝台に比べ , なんら遜色のな が生まれたが , 長年 , 特急格上げのウワサが出ながら実現し い一級レベルの大衆寝台車が出現したということができる . なかった < 銀河 > に幸か不幸かこの 20 系が回ることになり , 寝台車のべッドの主要寸法 これまで続いた「プルー化 = 特急格上げ」というパターンは 幅 長さべッド上の高さ こで一応途切れることになった・これは当面 ' 余剰車 ' の 1015 1935 925 A 寝 くしくもプルーの未来を示唆 活用という考え方ではあるが , 101Cm 193Cm 113E する出来事と見ることができよう・ 上段 1955 705 103e B 寝 すなわち , これからは長距離を走る特急には 2 段式寝台を ( 24 系 2 研 ) 下段 70E 195Cm 103E あて , 比較的足の短い急行には・プルー ' が使った 3 段式 , つまり今回のく銀河 > 格下げ 20 系や , 14 系・ 24 系 ( 3 段のも この車両は , 上下段ともペッドの上に坐った場合 , よほど の ) が使われるようになり , かっ , 経過年数の大きい 20 系は の巨人でないかぎり頭がっかえるということがないため , 利 その過程で順次廃車・・・・・・ということになろうが , じつはその 用者には少々申訳ない話ではあるが , ペッド解体を行なわず プロセスは諸般の情勢を考えた場合 , 予想外に速いテンボで 朝方はそのまま終着駅まで座席代用として利用していただく 実現されるかもしれないと思える・ ことを立前に , 原則として完全夜間帯を走り抜ける列車か , なお , 個室の A 寝台と 14 系について付記すると , 現在の A 比較的運転時間が短く , 早朝に終着駅に着くような列車を選 個室は中廊下をはさんでレールと平行に配置されているので んで投入することとし , 当面 < あかっき > 2 往復 , と < 彗星 > 占有面積がとりにくく , ペッドを解体 ( 実際には起こして壁 1 往復がこれに置き換わった . 配属は全車向日町で総勢 91 両 に立てかける ) しないかぎり , 昼間用には適当でないため , である・またこれにより 24 系の 3 段式を宮崎と都城へ出し , これをレールを直角方向に変え , 室内スペースをもう少しと く彗星 > の 2 往復増発 , 置換えがこの改正で行なわれた・ って昼間はそのまま使用できるスタイルに改めることになり 5. プルーの未来を占えば また数々の利点を持ちながら新製が中止された 14 系も , 耐火 49 ・ 4 で登場した A 寝台なみの 25 形は , 当然のことながら 14 系 設備の完璧化をまって新しく 2 段構造で再登場し , 本線併結 , のワイドベッド化以上の好評を博し , 今後の寝台特急のサー 亜幹線単独運転という使われ方をする日も , そう遠くないと ビス水準のモデル車として位置づけられることになった . た だし , 電源車方式であるため , 途中でたんなる切りおとし運 いうことができるだろう . 34 33 32 3 3 3 3 2 1 1 1 2 1 1 1 1 1 1 1 1 1 [ → 1 1 14 1 人 1 宀 1 1 画 14 1 1 1 ・ 1 1 1 1 1 、人 1 1 よ 1 亠 1 よ 1 よ 1 1 1 人 1 画 14 14 1 人 1 亠 1- 14 1 人 11 1 1 1 1 1 人、 1 1 人 1 人 1 人 1 人 11 1 1 人 1 1 1 1 1 1 1 1 .2 2 2 2 2 1 1 1 1 1 1 1 7 5 6 4 4 2 2 1 2 1 2 1 2 1 1 1 1 1 一 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 27 28 20 13 8 8 8 4 4 4 3 3 3 1 一三ロ ムロ彡 / 105