溜からプレーキシリンダへ圧力空気が流れてプレーキがかか 特急形客車とプレーキ性能 り , この状態から再びプレーキ管を増圧すると , シリンダの 在来線列車の運転最高速度は , 「運転取扱基準規程」におい 圧力空気は大気中へ排出され , 同時にプレーキ管を通じて補 助空気溜に圧力空気が送りこまれる・このプレーキ管の減圧 て , 線路種別から特甲線 95km / h , 乙線 85km / h と定められ ・増圧をシリンダの増圧・減圧に変換する装置が制御弁で , ている・ところが , 最近の車両技術の進歩や線路強化工事の 制動 , 重なり ( 一定のプレーキ力を保つ ) , ゆるめ込めの 3 っ 進展にともなって , これとは別に , 区間と車種および列車種 の働きをすることから三動弁と呼ばれる . 客車の制御弁には , 別に応じた特定速度が設定されるようになった ( 表 5 ). 車両 本米の最高許容速度は , 動力装置・走行安定性・プレーキ性 急プレーキ作用や階段ゆるめ ( プレーキを徐々にゆるめる ) 能の 3 つの条件によって制限されるが , 一般に , 動力車では などを付加した A 制御弁 ( 動作弁 ) と呼ばれるものが使われ 動力装置の構造 , 2 軸貨車では走行安定性でおさえられ , 客 ている . 国鉄の客車ではこの A 制御弁と V 形プレーキシリン 車ではプレーキ性能によるところが大きい . 日本の鉄道は新 ダを組み合わせた AV システムが軽量客車のグループまで使 幹線を除いて , プレーキをかけて止まるまでの距離が 600m 用され , 初期の 20 系も基本的には同じ方式の A S システムで あった . この場合 , 圧力空気源として機関車の元空気溜だけ 以内でなければならないと定められており , 現行のプレーキ を使用すること , プレーキ指令の伝達を空気圧指令によるこ システムでこの条件に合格するところまで , 最高速度を低く しなけれはならない・これは古い規定で理論的な根拠もない と , 制御弁がスペリ弁の構造であることなどの理由で , 編成 数値なので , 現状にそぐわない点もあるが , 閉塞区間などの の前後で制動・ゆるめのタイミングのズレが大きく , 速度が 問題もあって改正は簡単ではない・しかし , 実際に速度向上 高くなるにつれて空走距離が伸びるなどの欠点がある . での大きな障害になっていて特急形電車では動力装置の許容 制御弁の働きを三動弁に例をとって示すと , 図 2 のように 速度が 160km / h であるにもかかわらす , プレーキ距離の規 制動時は釣合ビストンが左に動いて補助空気溜とシリンダを 定から 120km/h におさえられている . また , 客車列車では 結ぶ通路が構成され , ゆるめ時には釣合ビストンが右に動い てプレーキ管と補助空気溜 , およびシリンダと大気中を結ぶ 電車列車に比べて低い制限速度が適用されているが , これも 昭和初期に原型が完成した自動プレーキと , 応答性に優れた 通路が構成される . 重なり位置では釣合ビストンの左右両側 最新の電磁直通プレーキの性能の差によるものといえる . でプレーキ管圧力とシリンダ圧力が釣合った状態が保たれる このように , プレーキの性能は列車のスビードアップに対 ことになる . また , シリンダに導かれる圧力空気は補助空気 して重要な条件の一つになっていて , 特急形客車では一般の 溜の空気であるから , 減圧量に対するシリンダ圧力は補助空 自動プレーキを改良した新システムを導入して , 高速運転に 気溜とシリンダの容積比できまる . シリンダ圧力の最初の 1 気圧 ( 約 1 kg/cm2) は大気圧にさからってビストンを押し 備えているものの , 速度のわずかな向上のために牽引機関車 出すのに使われるから , ポイルの法則から両者の関係式は , が限定されるなど , 得失両面がみられる . 次のようになる・ 自動プレーキでは , 編成全体に引き通したプレーキ管が , 運 ( シリンダ圧力 ) ( 補助空気溜容積 ) 転台のプレーキ弁操作による指令を , 空気圧指令のかたちで ( プレーキ管減圧量 ) x ( シリンダ容積 ) 伝える働きをする . 運転中は対大気圧で 5kg / cm2 の圧力空 気がこめられていて , これを減圧することで各車の補助空気 補助空気溜とシリンダの容積比は , ふつう 3.25 として設計さ れ , 両者の圧力が釣合ったときにプ 図 2 三動弁 レーキ力は最大となるから , プレー キ管圧力 5kg / cm2 ( ゲージ圧力 ) のときのシリンダ最大圧力は , 先の 関係式から 3. 6kg/cm2 となる・ のときのプレーキ管減圧量は約 1.4 kg / cm2 であるが , 常用プレーキ操 作ではこれ以上の減圧を行なっても シリンダ圧力は高くならない . れを無効減圧という ) 軸重 ( W ) に対 する制輪子力 ( p ) の割合をプレーキ 率といい , この最小値は 1 軸ごとに 機関車 50 % , 客車 70 % と定められて いる . 制動時に車輪が滑走しないた めには , 粘着係数を″ , 制輪子と車 輪の摩擦力を f として , PfSvW であることが必要で , 鋳鉄制輪子の 場合は速度による f の変化が″の変 三弁 ま■一 = 補目カ 空溜 ゆるめ込めイ立置 表 5 おもな特定速度適用区間 高性能列車その他の その他列車 特急列車 (95)km/h 主ビストン 区 フし一キシリン 9 、、 島 東 泉ー 島一大 垣ー草 津 大 津 - 大 阪 草 阪 ー神 大 関 120 尸ー下 神 司ー博 門 科ー近江塩津 山 原 - 金沢 米 野ー宇都宮 110 上 字都宮ー青森 100 120 大宮 - 高崎 110 運転取扱基準規程第 121 条から抜梓 高性能列車とは気動車および新性能電車で 編成された列車をさす 110 110km/h 110km/h ( 95 ) プし一キ仁 110 110 100 100 120 重なり位置 110 100 110 90
1g00 形高速貨車が新製された . この貨車では 100km / h 運転 に対応するため , 従来の方式と異なる応荷重装置・電磁機構 ・新型膜板式制御弁・パッグ式プレーキシリンダ・レジン制 輪子など数多くの改善がなされた C L E プレーキシステムが 採用されている . この膜板式制御弁が伝統的な A 制御弁にか わる三圧力式 c 制御弁で , プレーキ管圧力・シリンダ圧力と 基準となる定圧空気溜圧力の , 3 圧力相互の釣合い作用によ って作動する . この制御弁にはプレーキ管から逆止弁で約 プレーキ管 5 kg/cm2 に込められた供給空気溜 , K 圧力調整弁によって 図 3 三圧力式制御弁 大膜板 約 5kg / cm2 に込められた定圧空気溜が付属している . 図 3 化よりも大きいために , 高速域ではプレーキ力が不足し , 低 こでプレーキ管を減圧すると , 定圧 はその原理図である . 速域では過大となって滑走しがちである . 同様に積車・空車 空気溜圧力に押されて給排弁棒が動き , 供給空気溜とシリン によってもプレーキ力に過不足が生じるため , プレーキ率速 ダを結ぶ通路が構成され , シリンダ圧力がある程度高まり小 膜板でプレーキ管圧力と釣り合うと給排弁棒が下がり , 増圧 度制御装置や応荷重増圧装置を導入して改善している・ 制輪子の摩耗がひどくなってくると , プレーキシリンダの はストップするわけで , 常に定圧空気溜圧力を基準にしてプ 行程も伸びることになるが , この場合 , 当然シリンダ容積が レーキ管圧力に反比例したプレーキシリンダ圧力が保たれる ことになる . 両者の圧力の関係は , 大小膜板の面積比できまる・ 増えてシリンダの圧力は落ち , プレーキ力も弱くなる . これ を防止するために導入されたのが中継弁方式である . この方 A 制御弁では , プレーキシリンダに供給したあとの補助空 気溜圧力とプレーキ管圧力とを釣り合わせていたのに対し , 式によると , シリンダのもれも補充でき , またシリンダの大 三圧力式では空気溜の容積とは無関係に , シリンダ圧力とプ きさや数も自由に選べるという利点がある . 中継弁は制御弁 レーキ管圧力との釣合いで作動するため , シリンダ圧力は指 と一体になっており , プレーキ管減圧に応じて補助空気溜の 空気を作用空気溜へ送り , これと同じ圧力の空気を別の大き 令に基づき一定に保たれる . そのほか , ①スペリ弁を使用せ な供給空気溜からプレーキシリンダへ導く働きをする . 中継 ず膜板やリンクにより作動するため減圧に対する応答性がよ 弁方式は「 R 」の記号で区別されており , 最近の自動プレー い②最大減圧量は 1. 4kg / cm2 におさえられることがなく , 非常プレーキの状態までプレーキ力を連続的に加減できる キのほとんどに採用されている . ③供給空気溜への込めは逆止弁によっているため , 減圧に対 ・ 20 系客車 (AREB) 長大編成と高速運転を考慮して , 空気圧によるプレーキ指令 しても逆流することがなく , 反覆してプレーキ操作をしても 十分な空気源が得られる④同じ膜板構造の応荷重増圧装置 の後部伝達の遅れを解消し , 空走時間・距離の短縮と込めの 迅速化を図るために電磁給排弁を取りつけ , プレーキ指令は を簡単に組みこめるといった数々の長所がある・ 電気指令に改められている・これによりプレーキ指令の同期 高速貨車では電磁っきとし元空気溜管をひき通していたが , 化が可能になったが , さらに高速域での鋳鉄制輪子の摩擦係 43 年新製のスニ 40 形では , 高速貨車用 C L E から電磁および 数の低下を補うため , 40km/h に減速するまでシリンダ圧力 元空気溜管ひき通しをはすした C L 方式を採用 , 制御弁は三 を増圧し , プレーキ力を確保するプレーキ率速度制御装置を 圧力式で , 空気パネ圧で荷重を検知して応荷重する装置を内 蔵した c 制御弁である ( CL の L は応荷重装置っきの意味 ) ・ 採用している . この電磁弁式 ( E ) , 速度制御っき ( B ) を付 加したことで , 基本的には従来の自動プレーキを踏襲しなが またプレーキ管減圧の伝達を速めるために急動弁が別にとり ら , 制御弁を A 中継弁としたこととあいまって電車なみの優 つけられている・ れたプレーキ性能が得られ , 110km / h 運転が行なえるよう ・ 12 系客車以降 (CL) 昭和 44 年に登場した 12 系客車では , C 制御弁の膜板のかわり になった . 20 系客車への取付けにあたっては , 元空気溜管を にセルフシール形べロフラムを使用 , 台車空気ノくネ圧を検知 機関車から引き通し , A 中継弁を大小 2 重膜板とした複式中 して応荷重する U 応荷重弁っきとした三圧力式 KU 制御弁に 継弁に , 機関車からの電気指令で消励磁する切換え電磁弁を よる C L 自動プレーキシステムを採用している . このシステ 併用している . これに対する機関車側の改造個所は , EF65P 形の場合 ムではプレーキ途中における減圧速度を向上させるため , A 急プレーキ弁を併用しているが , 同じ三圧力式の C 制御弁と ①プレーキ管減圧を感知して電磁弁に指令を出す電空帰還器 比べ , 急動作用やゆるめ保証作用の強化など , 性能の改善が のプレーキ弁への組み込み , ならびに車端に 9 芯の電気連結 図られており , 電気指令によらす空気圧指令だけで伝達速度 器とりつけ②元空気溜管ひき通し用の空気ホース増設③ を向上 , 110km / h 運転を可能にしている・制輪子も速度に プレーキ率速度制御装置の採用などである . ED75 形の高 よる摩擦係数の変動の少ないレジン制輪子の両抱き式と改め 速用などにも同様の装備がされているが , 機関車本米の最高 られ , 高速から停止まで安定した減速度が得られている . 速度との関連で , E F65 形以外は 100km / h が最高速度にな この CL システムは 12 系以降の 14 系・ 24 系にも引き継がれ , っている . 高速運転に対して機関車を限定する必要がないため , 機関車 ・三圧力式制御弁 昭和 41 年 , 貨物列車の速度向上と長大編成化の必要からコキ 運用の合理化にも役立っている・ プレーキ シリンタ、、 供縮空気潤 小膜板 排升棒 定圧空気溜 EX 逆止弁
EF65 の投入については , 20 系客車のプレーキの AREB 化 改造にともない , 電空帰還器の取付け , 元空気溜圧力の増圧 ( 9 kg/cm2 化 ) , 元空気溜管の引通し , プレーキの電気指令用 電気回路 , 高速域で増圧回路を ON とする速度検出装置 , 停 電時も電気指令を可能とする蓄電池の搭載などの装備を持ち あわせて連絡用電話 , 電源車パンタの非常下げスイッチおよ びこれの電気連絡器 ( 後期の増備車には電源車パンタ用スイ ッチはない ) を取りつけた 500 番台を製作した . このタイプ は 40 年夏に落成 , 東北本線や山陽本線で試運転・性能試験が 行なわれ , 8 月 25 日には < 富士 > を牽引してその性能が確認 されている . 40 年 10 月からは , 九州特急の全列車が EF60 か らこれに置き換えられ , 43 年に予定された 110km / h 運転にそ なえることになった . 8 形 ( 直流機 ) は < あさかぜ > 20 系化のとき東京ー姫路間を牽引した ' プルー この種の改造は , CLE プレーキを採用し , 電磁および元 ー機 ' 第一号その後 EF60500 にパトンを渡して一時は消えたが 47 年に復活 現在は 予・いなば > く北陸 > など一部のプルー・トレインを直流区間で牽引している 空気溜管引通しを併用した 10000 系高速貨車による特急貨物 ( 上野で ) ' 75 ー 4 カメラ :RGG 列車増発とのからみで , ED75 ( 東北 ) ・ ED73 ( 九州 ) EF70 ( 北陸 ) にもおよび , いすれも高速用として 1000 番台 の車号があたえられていた . 20 系客車の AREB プレーキ化 改造は 43 年春までに全車について完了し , 試験・訓練ののち いよいよ 10 月からスビードアップが図られることになって , 東海道・山陽本線は E F65 , 鹿児島本線は E D73 , 常磐線・ 東北本線は ED75 , 北陸本線は E F70 によって , 100 / h ま たは 110 / h 運転を実施した . この高速用装備は従来の 95km / h を超える速度で運伝するた めのもので , 95km / h あるいはそれ以下を最高速度とする場合 は関係がない・しかし , 20 系では元空気溜管の引通しを機会 に , これまでプレーキ管によっていた給水用五道コッグ・台 車空気パネなどへの圧力空気補給を元空気溜管を通して行な うよう改めたため , 20 系客車の牽引機は速度の高低によらず 少なくとも元空気溜管引通しのできる機関車に限定されるこ とになり , 上記以外の線区でも所要の機関車については改造 がほどこされている . 機関車運用と効果 こうした機関車の限定運用は , 特急列車の運転回数が少ない 区間では不経済なものになりやすく , 長いローテーションの あいだにわずかに存在する特急仕業のために , 改造が必要と なる . これをできるだけ合理的な運用とするために , 特急仕 業を行なう機関区の集約化や , 特急牽引だけのローテーショ ンとすることなど , 効率の向上が図られている . 51 年 4 月現 在 , 20 系特急を受け持っ機関区・運転所は青森・秋田・福島 ・宇都宮・田端・長岡・東京・富山第 2 ・米原・広島・門司 の 11 ヵ所 ( ほかに補機 EF16 の水上 ) だけで , EF65 ・ ED 75 ・ E D 73 などがその任についている . E F58 は , 九州特急用として最高速度・牽引力の点で一度 は見はなされたものの , 47 年以降 , フレートライナー増発 , 夜行規格ダイヤ化のために , 一部区間で最高速度を 100km/h 73 8 1 を 5 形 ( 交流機 ) は東北特急 < はくつる > の仙台ー盛岡間の牽引機として登場した . 現在 0 番台が東北本線・常磐線 78 番台が奥羽本線のプルー・トレインを牽引している ( 東北本線・浅虫ー西平内で ) ' 73 ー 1 カメラ ; RGG , 1 形 ( 交流機 ) は ED78 形とともに急勾配の連続する奥羽本線・福島一山形間の専用機 . 出で < あけばの > ( 1 ・ 2 号 ) を牽引している・写真は一般列車を牽引中のもの ( 関根ー大沢で ) ' 74 ー 10 カメラ ; RGG 'EF 1 0 第
表 65 西ドイツの複電流式機関車 交流 16 % Hz / 15kV 交流 50Hz / 25kV 表 66 ベルギーの複電流式機関車 式 ( 旧 ) 式 ( 新 ) 配置 長 ( m ) 重 ( t ) 出力 ( PS ) 自 全 軸 形 形 イギリス 西ドイツ フランス 国 製造年 製造所 両数 (km/h) 最高速度 スウェーデン スイス イタリア 27.8 34.6 18.0 12.8 29.8 31.0 30.2 33.6 48.3 56.2 58.2 35.8 68.2 64.5 69.6 70.0 電気方式 E310 181 BoBo 17.0 4 , 320 D m 4 1968 クノレップ A E G 29 150 R e6 / 6 Re4/411 E 666 E 444 87000 103 CC40100 C C 6500 形式 181.200 BoBo 17.9 82.5 4 , 000 160 1974 E 320.01 182 .001 BoBo 16.4 82 3 , 680 120 1 1960 E320.11 182.011 BoBo 16.4 3 , 320 120 1 B B C E320.21 182.021 BoBo 16.4 84 3 , 400 120 1 S S W 1 A E G クラウス・マッフ 1 ・イ E344 183 BoBo 16.4 3 , 200 100 表 67 ョーロッパの代表電気機関車 である . このほか , 形式 軸配置 全長 ( m ) 自重 ( t ) 出力 (PS) 最高速度 (km/h) 両数 製造所 製造年 注 150 BoBo 17.8 3 , 600 150 5 B N 3 電流式 1962 A C E C 160 BoBo 15.5 3 , 780 160 8 4 電流式 1966 A C E C B N 180 C C 22.1 114 5 , 800 180 6 1973 A T B N - 、ンシェ′レクラウス・マッファイ 1960 1960 1962 出力 / 重量 (PS/t) 軸配置 C ・ C ・ C ・ C' CGC6 BGB6 BoBo CoCo BGBG BGBGB6 1 ' Do 十 Do 十 D01 BoBo 出力 (PS) 9 , 750 10 , 600 6 , 320 8 , 400 5 , 660 5 , 080 9 , 400 6 , 000 8 , 000 4 , 900 自重 (t) 115 118 114 80 273 120 80 115 1 軸当リ 出力 ( P S ) 1 , 230 810 1 , 770 1 , 580 1 , 400 1 , 420 1 , 270 1 , 570 1 , 000 1 , 330 70 64 70 88 36 表 68 電気機関車性能の変遷 1879 1899 1904 1914 1920 1923 1925 1926 1927 1929 1935 1935 1939 1944 1944 1952 1953 1956 1957 1960 1962 1963 1964 1965 1967 四 68 1972 1973 1974 年 130 国 スイス ドイツ スイス ソ 連 イギリス スイス フランス イタリア スウェーデン ドイツ フランス スイス スウェーデン オーストリア スウェーデン イギリス フランス イタリア スウェーデン フランス スイス スウェーデン スイス ドイツ スイス フランス イタリア ドイツ フランス スイス イタリア 形式 シーメンス 試作機 Ce4/4 E S 9 B e5 / 7 E330 Ae3/6 1 E 4000 E 500 E16 E 626 262A E Ae8 / 14 E18 A e8 / 14 Ae4/4 CC7100 R a E646 E10 B B 9200 E 3001 R b 1042 D m 4 Re4/411 CC40100 E03 R c E444 C C6500 R e6 / 6 87000 Chs200 軸 配置 1 ℃ 1 ' B ・ B ・ 出力 (PS) 2 , 500 1 , 770 350 150 10 , 700 5 , 080 10 , 600 8 , 000 4 , 560 4 , 900 8 , 560 6 , 000 5 , 450 9 , 750 5 , 330 4 , 3 3 , 300 5 , 570 4 , 930 5 , 320 3 , 6 5 , 050 4 , 400 3 , 6 11 , 4 4 , 050 8 , 250 5 , 340 2 , 800 3 , 440 3 , 600 920 1 , 650 2 , 600 自重 1 軸当り出力 / 重量最高速度 (PS/t) 1 ・ EI ・ 1 ℃ 1 ・ 2 ℃。 1 B 田 3 2 ・ D2 ・ 1 ・ D01 ' B 田 0 2CC2 1 ・ Bo 1 Bo 1 十 1 ・ Bo 1 Bo 1 ・ 1 ・ Do 1 ・ Bo 1 BO 1 十 1 ・ Bo 1 Bo 1 CoCo B3B8 C ℃ 3 BGBG B 田田 B 田 B ・ B ・ B 田 6 B 田 BoBo B 田十 B 田 3 B 田 3 B 田田 CC BoBo B 田 3 C ℃ CC B 田 5 1D0 十 Do 十 D01 (t) 39.9 90 84 30 153 80 120 115 112 118 80 273 83 80 110 107 102 236 109 244 159 111 121 192 出力 ( PS ) 500 590 88 1 , 340 1 , 270 1 , 770 1 , 330 1 , 140 1 , 230 1 , 430 1 , 000 1 , 360 810 1 , 330 1 , 090 830 1 , 390 1 , 230 890 900 840 1 , 100 600 1 , 430 1 , 010 1 , 030 890 467 860 9 230 550 870 33.8 37.1 35.4 55.0 47.2 47.9 58.0 68.0 41 . 5 64.3 50.8 76.5 58.5 88.4 63.7 (km/h) 13 36 60 110 75 200 160 140 220 180 135 200 220 140 130 120 160 160 150 145 150 150 120 80 100 150 100 130 120 120 120 100 100 4 , 320 150 5 A E G クノレップ 1965 最高速度 (km/h) 220 220 200 160 4 電流式 E410 184 BoBo 17.0 84 75 140 140 200 200 後の E01 べチンゲン 1 号機 機関車 スイス最初の 気機関車 世界最初の電 注 135 試作機 試作機 試作機 改良形 関車 ゴタルに機 機関車 モーリアンヌ 後の 2 D2 ー 5500 後の BB1600 3 相交流機 チェコには B 0 B 0 形の直 流 3 , 000V ・交流 50H z/25kV 両用機 4 電流式機関車 Ee 3 / 3 Ⅳ形 10 両があ 用の 2 電流式機関車 Ee 3 / 3 Ⅱ形 6 両 ビン機関車改造の Ae4/6 Ⅲ形と入換 があり , スイスには前述したガスター 160 km/h) 499 形 ( 5200PS , 87t , これまで紹介したように , ヨーロッパ ヨーロッパの代表機関車 区間を直通できるようになっている . インの機関車の一部も異なった電圧の 機関車である . また , イギリス , スペ り , オーストリアの 1050 形も 2 電流式 である . 20 世紀の初期に比べると , 機 て各時代の代表機をまとめたのが表 68 次に , これを歴史的にふり返ってみ 両である . っても , 機関車技術の最高峯をゆく車 で , 1 軸当り出力 , 重量当り出力をと ると , 最強力機はスイスの Re 6 / 6 形 ド機関車 Ae 8 / 4 形 11852 号を別にす であり , 超大型で 1 両しかないゴタル イタリアの E444 形と計画中の E666 形 イツの 103 形 , フランスの CC6500 形 , したものだが , 高速機の代表機は西ド ッパの代表機と思われる機関車を紹介 ノく口メーターになる . 表 67 は , ョーロ 重量当りの出力などが , 機関車技術の ろう . 同時に , 動軸 1 軸当りの出力 , 力が大きいこと , 速度が高いことであ 機関車の性能の代表的なものは , 出 だろうか ョーロッパの代表的電気機関車はどれ な機関車を製作してきた . それでは , 各国は技術を競い合いながらいろいろ
RJ 技術解説シリ ース < 第 プノレ ー・トレインの電源車 カニ 24 形式の全景カメラ・ RGG 国鉄・車両設計事務所 旅客車主任技師 田中宏 電源車の発達変遷 ・トレインは , 大電力を必要とする冷暖房のほかに プルー 全車両の電灯や洗面所の温水・冷水器 , 食堂車の電気レンジ ・電気冷蔵庫などの電力をまかなうために , 14 系を除いて , 列車の最前 ( 後 ) 部の荷物車に大型の自家発電機を搭載してい る . プルー・トレイン第 1 号である < あさかぜ > で出現した 電源車マニ 20 形式は , 車長 18m , 荷物積載量は 3 t とし , 250 k V A のディーゼル発電機 2 台を積んだ . つづいて昭和 35 年のくはやぶさ > の 20 系化ではカニ 22 形式 が登場した . このカニ 22 形式は , ディーゼル発電機 2 台のほ パンタグラフ・電動発電機を各 2 台すっ備えており , 直流電化区間を走行するときは架線から電力を受け , 非電化 区間と交流電化区間では , ディーゼル発電機を運転する方式 カニ 22 形式のもうひとつの特徴は , ディーゼル発電機の制 御は従米どおり乗務員が行なうが , 電動発電機の場合には電 気機関車からの遠隔操作でパンタグラフの上げ下げと電動発 電機の起動・停止 , 故障の場合の回路切換えや各種表示灯の 92 点滅などができるようになったことである . 無人運転での万 ーの火災に対処して , 機関車に警報ブザーを備え , 電源車に は炭酸ガス消火装置が設けられている . 新型電源車の登場 昭和 48 年に 24 系の特急用寝台客車が誕生したときカヤ 24 形式 が生まれ , つづいて 49 年にカニ 24 形式が製造された . 20 系の ディーゼル発電機の電力 250kVA ( 600V ) x 2 から , 300 k V A x 2 に出力が増強されている . 24 系の出現によって , 20 系の電源車にふたとおりの改造が 行なわれた . ひとつはカニ 22 形式の電動発電機とパンタグラ フを撤去して荷物室のスペースを広くし , そのうちの 2 両は ディーゼル発電機を 600V から 440V に改造することによって 形式もカニ 25 形式として 24 系の電源車としたこと , もうひと つは 20 系特急寝台客車が急行用として使用されるようになっ たため , どの機関車でも牽引できるようにカニ 21 形式の荷物 室に空気圧縮機を搭載してカヤ 21 形式とし , 客車の空気パネ に空気を供給できるようにしたことである・主要諸元は別表 のとおり .
戦後の画期的な高性能機関車 スイス BLS 鉄道 Ae 4 / 4 形 ( 写真 ; LA VIE DU RAIL) ー」三を二 第イ 1 れを ョーロッパの最強力機関車スイス国鉄 Re 6 / 6 形 ( 写真 ; LA VIE DU RAIL) 表 69 ヨーロッパ各国の電気機関車と電車 1973 ランス タリア ギリス ランダ レギー センプルク ストリア レトガル レウェー 、マーク インランド ゴスラビア 鉄道略号 D B S N C F F S B R N S S N C B C F L CFF/SBB 0 B B R E N F E C P N S B D S B V R J R J N R 1954 486 103 143 319 740 95 71 1 , 472 1 , 055 498 E L E C 1 , 636 102 170 12 108 164 847 4 , 638 322 510 386 1962 966 36 151 904 318 392 903 20 184 107 178 1 , 831 1 , 824 1 , 313 E L E C 105 111 177 102 392 79 140 470 1 , 141 6 , 982 493 704 678 3 , 500 E L 1 , 997 301 158 794 35 369 551 1 , 161 223 113 333 1 , 843 2 , 235 2 , 514 E c 1 , 369 1 , も 26 559 7 , 194 1 , 361 844 261 191 728 243 521 135 249 50 14 , 924 関車の出力は 30 倍になり , 1 軸当りの出力も 20 倍になった・ こうしてみると , 第 1 次大戦の始まるころに最初の技術進歩 があって , トン当り出力が 20 ~ 30 馬力になり , イタリアの 3 相交流機 E330 形の 34.6PS / t がひときわ光っている・次に 第 2 次大戦後に初めて 1 軸当り出力が 1 , 000 馬力をこえ , 最 高速度も 150km / h となった名機が , ドイツの E18 形であっ た . 9 年後に登場したスイス B L S 鉄道の Ae 4 / 4 形はトン 当り出力が 55 馬力と大きく飛躍し , 先台車をなくした高速機 のはしりである . 第 2 次大戦後は , 1 軸当り出力 1 , 000 馬力 以上 , トン当り出力 50 ~ 70PS / t が一般となっていくが , そ の中でも時代を画す名機はフランスの B B 9200 形 , スイス の Re 4 / 4 Ⅱ形 , ドイツの E10 形であり , いずれも現在の代 表機関車の一部として活躍中である . ◎機関車に主要都市の名 とくにイギリスでは戦前から SL の一両一両に ヨーーロッ / ヾ 城や軍艦の名前をつけていたが , 最近 , 電気機関車に主要都 市の名前をつけている国がある . まずスイスは Ae 6 / 6 形と Re6 / 6 形にスイス主要都市の名前を , フランスでも CC40100 形・ C C6500 形・ B B 8500 形・ B B 15000 形・ B B 25000 形の 各電気機関車のほか , C C73000 形ディーゼル機関車 , RGP 形ガスタービン動車の一部にもフランス主要都市の名前をつ けている . ( 例 ) CC40109 号 ; カンヌ , CC72080 ; 号ミ ールーズ , RTG2003 / 4 ; リョン . 名前をつけた機関車はそ の都市で命名式を行ない , 側面に都市のマーグをつける . T を E ニュース 1976 年春のダイヤ改正から , 利用客の少なかったプリュッセル ~ ケルン間の TEE くディアマン > が廃止になる・また , パリ ~ ジュッセルドルフ間の T E E くモリエール > も廃止が話題に なったが , もうしばらく様子をみることになった・ ドイツ T E E < ラインゴルト > < 工ラスムス > のドームカーも今春から引 退し , 新しいパー車に置き換えられる・
松山市駅で ' 76 ー 3 モニ 30 形号車 古町車庫で ' 75 ー 11 モニ 30 形 31 号車 モハ 50 形 1g2 号車 古町車庫で ' 75 ー 11 ってきた . ナニワ工機製・ 電車である・ モハ 50 形 ( 62 ~ 69 ) 8 両 メインルートである城南線では , 電車が走る道路以外の道路 昭和 35 年から 37 年にかけて製造された自重 12 t の軽量車で , がかなりよく整備されているうえに , きびしい交通規制が実 出力も 50kW に増した・前年につくられた呉市電 1000 形など 施されているため , クルマの流れはスムーズで , 電車は赤信 の影響をうけ , 一見パスのようなスタイルの電車で , 車体側 号で停車させられる個所があるにしても , ゆとりをもって走 板に補強の帯が 2 本ついている . このグループのスタイルが 伊予鉄道市内線の標準型となった・ナニワ工機製・ ることができる . 道後は温泉だけでなく , 動物園があったり , サクラの名所 モハ 50 形 ( 70 ~ 79 ) 10 両 でもあるため , いつも観光客の絶え間がない・とくに行楽シ 昭和 38 年から 40 年にかけて登場した最新鋭車・補強の帯がな ーズンになると , 平日でも臨時便を出さないと客をさばきき くなり , 自重も 1 t 増して 13 t になった・当初ついていた台 車は調子が悪かったため , 先ほど廃止になった名古屋市電の れない状況である・ 一方 , 環状線は一般利用客から好評であり , 地味な生活路 台車に交換されている・ 線といえる・営業成績も悪くないようだが , 一部の通勤通学 前述のとおり , 広告電車として使用されるのはこのグルー 客からは道後方面から城北方面への上一万での乗換えが不便 プである・ 62 ~ 69 号車とともにおもに城南線・本町線で使用 であるとの声もある・また城北の単線部分では , 前述のよう されている・帝国車輛製・ に家が建ちこめたため , 警報機の音がやかましいとの苦情が モハ 50 形 ( 81 ) 1 両 出ているが , これは電車の恩恵を直接受ける地元住民の理解 昭和 31 年の日立製・他の車両に比較して車体が長く , 幅が狭 と協力があれば解決できる問題であると私は思う・ いのと , 屋根上に以前は普通型のパンタが付いていた関係か 会社側は城南線のロングレール化など施設や車内設備の近 ら種々の機器があるため , 大変目につく存在である・この車 代化を積極的に押しすすめており , この 3 月に完成した塗装 両は昭和 46 年に廃止となった南海電鉄和歌山軌道線の , もと 専門工場によって , 手入れのゆき届いた電車が , さらに美し モ 321 形 324 号車を購入したもので , 塗装はもちろん , ヘッ ドライトも伊予鉄式に改造された・出力の関係からおもに環 くなるであろう・ さて最近 , 札幌から例のスマートな連接車についての紹介 状線で使用されている・ モハ 50 形 ( 1001 ~ 1003 ) 3 両 が会社にきている由である・車両面で現在困っているわけで 昭和 42 年に廃止された呉市電から譲り受けたもと 1000 形 . ナ はなかろうが , 車齢 20 年を越えたものが 4 分の 1 になった現 在 , 連接車の入線を期待するのは私ひとりではないと思う・ ーもそのまま伊予鉄道モハ 50 形 1001 ~ 1003 号車となった・ 伊予鉄道軽量車の先輩格にあたる車両なので 62 ~ 69 号車とほ とんど同一・昭和 34 年 , ナニワ工機製・ 今月の担当桑田 ー男 ( 文・写真とも ) モニ 30 形 ( 30 ) 1 両 昭和 27 年に自社工場でつくられた小型工事車 . 塗色は電動客 車にまだ単車がいたころのもので , 車体がこげ茶 , 窓まわり ■路面電車再発見シリーズのパックナンパー がクリーム , 手すりがグレーである . 郊外電車と共用の工場 現代の路面電車 ' 76 年 1 月号 ( 106 号 ) がある古町駅構内に置かれ , 車体検査や修理のため入場する 西日本鉄道福岡市内線 / 北九州線 2 月号 ( 107 号 ) 車両の移動や回送に使われている・ 3 月号 ( 108 号 ) 京都市交通局 / 東京都交通局 仙台市交通局 / 東京急行電鉄世田谷線 モニ 30 形 ( 31 ) 1 両 4 月号 ( 109 号 ) 南海電気鉄道大阪軌道線 / 京阪電気鉄道京津 5 月号 ( 111 号 ) 昭和 46 年に土佐電鉄から譲り受けた電動客車を自社工場で電 線 / 岡山電気軌道 動貨車に改造したもの・車体中央に z パンタを付けるための 富山地方鉄道富山市内線 / 射水線 / 加越能鉄 6 月号 ( 112 号 ) 細長い台があり , 塗色はクリームー色である・使用目的はお 道高岡軌道線 もに傍系会社のデパートや秋祭りなどの行事の PR をする花 パックナンパーをご希望の方はお近くの書店にお申込みください・ 137
さかどまらぶさ嚮豸・は住 P あオっき曽 + まり 5 つるぎ覊 形式の 6000 系 ( 宝塚線用 ) も登場し , かって の特急車 920 系・ 710 系まで紹介されています . 記念乗第雰 発行のきっかけは幼少年に鉄道 ( 阪急電車 ) を理解してもらうのが目的で , 阪急沿線の約 300 の小学校にくばり , 梅田駅にある阪急総 合案内所でも一般に無料配布したところ , あ っというまに全部なくなってしまい , 好評を 阪急電車て PR 用小冊子を発行 3 博したとのこと・将来はもう少しグレードア す第行 1 レールファン好みのポスターなどで P R 活動 ップした冊子も計画しているとのことです . 蓄士田駅。 , 沸】 - 河口謝駅 ~ 山中第 : 大月 ~ - 河口・口 = = , 、イラントう ツ 1 : 円 - プ今ィ みロ 3 マ 3 円物日を 鉄道等 5 の活発な阪急電車では , 幼少年向きの小冊子 鉄置 50 円 ・世界一のキップ ' か出ます 「はしればくらのはんきゅう電車」を発 書留で〒 403 山梨県富士吉田市松山 331 ー 1 富 富士急行 行しました・この小冊子は車両・保安・保守 士急行鉄道部記念乗車券係まで申込みの などについて子供にわかりやすくイラストで 富士急行では創立 50 周年を記念して世界でも こと . 問合せは 03 ー 374 ー 2221 富士急テレフ 紹介し , そのままぬり絵にも使用できるもの 初めてのジャンポ織物のキップを発売する・ オンサービスまで . かいきおり で , 体裁は 2 色オフセートの 16 ページ , 最新 この織物キップは , 沿線の特産の甲斐絹織の 旅は赤字線に乗って 伝統技術をいかして織りあげるもので , 裏面 は上質の和紙で裏打ちしてある・サイズは 38 北海道の美深町では「日本一の赤字線で秘境 cmx28cm と超大型で , 壁かけなどの装飾品に を訪ねてみませんか」という売込みで観光キ もなるといわれている・デザインは「たびた ャンペーンを始めた・美深町には日本一の赤 びの旅」などでおなじみの真鍋博氏・ 字線の美幸線 ( 美深ー仁宇布間 21.2km 49 年 発売価格は 1 , 000 円で , 5 月 30 日に発売・ 度営業係数 3 , 859 ) があり , 日本一の赤字線 富士急線の主要駅 , パスの主要営業所 , 富十 のために町の名が有名になったとして , 赤字 急本社 ( 東京都渋谷区初台 1 ー 55 ー 7 ) , 首都圏・ 線に便乗して松山湿原を売り出そうというも 大阪・名古屋・福岡の富士急案内所で発売さ の . 町長みずから東京でチラシをくばるとい れるが , 一枚すっ織りあげるために , 生産枚 うカの入れようだが , 赤字線とともにどこま 数が限られるので , 今から予約を受けつけて で稼げるか , 見つめてみる必要があるのでは いる・郵送の場合は送料とも 1 , 140 円を現金 なかろうか・ 旧泰緬鉄道に C 56 を静態保存する ご協力をお願いします / 塚本和也 タイ・ビルマ国境の熱帯ジャングル地帯を越えて , 実在した泰緬鉄道に C56 が 活躍していたことは , 今日 , 鉄道ファンにひろく知られているところです . この 鉄道の大部分は戦後に撤去されて , タイ側 130km ばかりがナムトク・ノンプラ ドック線として現存しつい最近まで C56 も元気に走っていました . ( ' 76 年 3 月 , ほとんどが廃車または休車 ) 泰緬鉄道が戦時の悪条件下に建設されたこ とと , この軍用鉄道建設に関係した鉄道隊・連合軍捕虜・現地労務者などの中か ら , 栄養失調や悪疫による多数の犠牲者を出したことが , 戦後の過酷をきわめ た戦犯裁判の事態を招き , 悲劇が悲劇を呼んだのでした . しかし今日 , 関係者 の努力により , 少なくとも日本では泰緬鉄道の史実は正当に評価され , まぎれ もない真実として世界中に知られています . 今回 , 泰緬鉄道に関係された旧鉄 道隊の方々を中心に , 今年廃車された C56 形 1 両を , . タイ国鉄道総局から払下 げを受け , クワイ河橋梁公園 ( メクロン鉄橋のすぐはとり ) に静態保存しよう との構想が生まれ , はば実現の見通しとなりました . この趣旨は , 戦後、タイ 国の平和なローカル線に生れ変わリ旧泰緬鉄道沿線の地域開発に大きな貢献を 3 ・ 保存委員会幹事構成委員長清水寥人 ( 推進本部・代表 ) した C 56 を保存し , 日本人の心の遺産とし、かつ日泰友好関係をいっそう深め よう・・・との考えによるものであります . これに要する諸経費は , 旧鉄道隊の生 委員佐々木一三 ( タイ国交渉・現地推進 ) 存関係者を中心とする募金による浄財でまかなわれますが , この機会に , 一般 委員塚本和也 ( 一般・鉄道ファン ) 鉄道ファンの深いご理解とご協力を懇願する次第です . はかに鉄 5 ・鉄 9 ・鉄道特設隊関係者など各隊委員 4 ・ 推進本部・問合せ先群馬県高崎市乗附町 1854 ー 59 あさを社内 「泰緬鉄道 C 56 保存委員会谷 0273 ー ( 27 ) 1. C56 保存のための諸費用募金期間昭 51 . 5 . 1 . ~ 6 . 末 ー 1161 2. 対象旧鉄道隊関係者および一般篤志家・鉄道ファン 委員代表清水寥人 さかどさ《ら・よ : さ憑、は朝 p あオっき + まりみつるぎ出 はしれ。ばくらの はんきゅう電車 秘でんしや、 気第を - ツ 多ルイを
くあさかぜ > の門司ー博多の牽引機は初期のころー時特急くかもめ〉・急 行くさつま〉と共通運用になっていた . ヘッドサインを両脇にかかえて上り くさつま〉の先頭に立つ C 5 引 ( 博多で ) * マ下関ー門司の関門トンネル区間はまだ直流電化であり EF 田の活躍舞台だ った当時はくあさかせ〉もくかもめ〉もこの短い区間で特急のシンポルー ( 門司で ) ' 57 カメラ・山之内秀一郎 ヘッドマークをつけて走っていた どのマンモス機関車は使われておらず , 鹿児島本線の主力機 鉄道の激動期に生まれ出た、鉄路の風雲児 ' の不敵な風貎をみ も C 57 ・ D 51 を中核に , C 61 ・ C 55 ・ C 51 ・ D 50 などの一般 るような気がする . ・夜行特急に徹したダイヤ設定 幹線用大型機関車に限られていた . 関係者の意気ごみと期待・不安のなかにスタートした夜行特 しかし東海道本線の電化が進むと近い将来の電化西進にそ 急くあさかぜ〉は初日から満員の盛況 . 指定券を入手するこ なえて , C59 ・ D52 の転用と輸送力増強をかね , 九州の大動 とがむすかしく , 苦情が出るほどで , 予想以上の好評をおさ 脈である門司港ー鳥栖 ( 複線化は戦争中に完成 ) の線路を強 めた . G N P 世界第 2 位へノシあが日本のエネルギーは , 化し , 30 年暮れに D52 が初めて入線 , つづいて翌 31 年には C 59 も九州の土を踏んだ . 第一号は C5982 で , 試運転を重ねた 、戦後は終わった ' 30 年代初頭 , すでにたくましい活動を開 始していたはすであり , やがておとずれるレジャー時代へっ のち秋には早くも特急くかもめ > の先頭に立ち , さっそうと ながる九州人の東京指向の潜在需要を , このくあさかぜ〉は 風を切って筑紫路にたくましいドラフトを轟かせていた . くかもめ > の C57 時代 , 平坦区間である門司ー博多は通客 みごとに発掘したのであった . 直通急行で一昼夜をかけての 甲 A 速度で定数 32 ( 320 t ). 360 t のくあさかぜ〉を牽引す 苦しい道中と , 中央へのユメをくかもめ〉利用の関西に転嫁 るには定数 36 ギリギリで通客甲 B 速度 , 余裕をもたせて定数 せざるをえなかったのが , くあさかぜ > 運転開始で一挙に解 決されたのである . 博多発 16 時 35 分・東京着翌 10 時 00 分 , 東 40 をとれば通客乙 A 速度に下げなければならない . スピード 京発 18 時 30 分・博多着翌 11 時 55 分一一その日の仕事を終えて が身上の特急は 1 分の時間が勝負であり , 10 両編成 360 t の 乗れば翌日には東京での朝の会議に出席でき , 所要をすませ 新特急を牽引して東京ー博多を 17 時間半以内で結ぶには , 鹿 軽くイッパイ飲んで東京駅に駆けつけると翌日の昼前には博 児島本線内も最高スピードの通客甲 A 速度で突っ走る必要が 多に帰りつけるという現代人むきのダイヤが , ますモーレッ ある . C 57 よりはるかに強力な C 59 であれば通客甲 A 速度で 社員に受けた . ハネの上段を取り , 書類を目の前の荷物棚に 定数 40 が可能 ( 54 ) ーの表を参照 ) となり , スヒ。ードのカべを破 広げて夜中まで会議の作戦を練った人も・・ . 汽車旅に弱い人 ることができる . や老人には 17 時間半というスヒ。ードと , 寝台で横になって行 くあさかぜ〉誕生の陰には , 昭和 16 年 ( 1941 ) に生まれた けるという快適さが受けた . 幹線重量旅客列車用の名機 C59 の威力があった . そしてそれ 東京ー博多を夜行特急で直通するという空前のダイヤは , が幹線電化で余剰となった大型 S L 転用の思わざる効用であ 当然ながら関西地区の猛反対に会い , 3 通りの案が計画され一 ることを考えるとき , 戦後の大きな転換期に新しい使命をに て激しい論議がくり返された . 決定されたダイヤは , ①東京 なって生まれた夜行特急くあさかせ〉に , 動力近代化を急ぐ
ル之 さかどさ《ら・よ韆嚮は P あオっきあまり 5 つるぎ罍ー 地方公共団体などのカで静態保存し , その保 もとに通勤地獄の解消をはじめとする旅客輸 ういった小さなトラブル ません・しかし , 守・管理などは各地区のレールファンが積極 が国鉄のイメージダウンにつながるたけに関 送の改善はペース・ダウン , かわって新幹線 的に協力する・このようにすれば , 比較的低 係者の反省を求めます・ ( 埼玉県・大崎純ニ ) の建設・貨物ターミナルの整備などが重点的 費用で多数の PC 保存が可能になるのではな にすすめられるようになってきています・貨 客車保存とその方法について 物輸送の全廃は極論としても , ライナー網・ し、か・ 格下げやローカル線への転出の例では , ス S L が百有余年の歴史を持つならば , P C も 基地の整備・拡充とともに , 経営全般にわた ハ 44 系 ( 東海道や山陽の特急→急行指定席→ その例外ではない・ SL が動力面で貢献して って庶民の納得のゆくような姿勢を明確にう 普通一般用 , ローカル線入り ) や 20 系 ( 寝台 きたのに対し , P C は接客面で貢献してき ち出すことこそ , 国鉄再建の早道ではないで 特急→寝台急行 < 銀河 > ) などがあげられる・ た・しかしながらこの数年 , S L プームの陰 ( 福岡県・神崎旭 ) しようか・ ( D C ではキハ 26 の 300 ・ 400 番台 , E C で でこれらの P C が余儀なく全廃に追い込まれ 水の出ない特急 はサハ 75 ・サハ 85 など ) また , 四国では早 ている・ p C 保存はたんに興味本位的なもの くから気動車化されたが , 国鉄多度津工場を にとまらず , 各時代における生活様式・生活 春闘統一ストの切れ目 , 4 月 17 日から 18 日に はじめ , 多度津駅前 , 高松 , 小松島などの公 水準・時代背景などを知るうえにも , 歴史の かけて , 山陰方面へ所用があって出かけたと 園に S L が静態保存されている・なかには年 遺物としてその意義は大きい ころ , スト旬間であるにもかかわらず , 往復 に何回かレールファンの手で定期的に清掃さ レールファンにとっては第一線での保存を ともほば定時運転で , ホッとしました・しか れている例もある・特異な存在としては国鉄 要望したいのだが , 一般利用客や鉄道の発展 し , 但馬から京都へ < あさしお 2 号 > に乗車 多度津工場では古典客車の再現がすでに完成 に悪影響をおよばし , また交通博物館などで し途中で水を飲もうとしたところ , 冷水器の しており , 高知を皮切りに , 列車ホテルによ の保存も敷地などから考えて限りがある・そ ランプがついているのに , 赤く濁った水が出 る P C ・ S L の保存もなされている・これは こで第一線で働けなくなった車両は格下げた てきたのです . 4 月は 14 日から 16 日にかけて P C ・ S L に限らす , D C ・ E C ・ D L ・ E り , ローカル線への転出などでできる限り動 拠点ストが打たれ , 主要幹線はマヒ状態であ L についても同様だと思う・ 態保存を行ない , それでも老朽・余剰が出た ったわけですが , 運転中に濁り水が出るとい 今や , レールファンの積極的な態度や姿勢 場合は , 各車両に縁のある土地 , 動態保存最 うことは , 水タングの入換えをやっていない 証しでしよう・あるいは機器の故障かもしれ ? ( 香川県・松浦一巳 ) 後の地の公園 , 国鉄工場 , 駅などに , 国鉄・ が大切なのでは 遂に出た〃外 5 しライラリ第 現地録音取材決定盤 / / 日本製 C56 型機関車添乗なる。 初めて音になる貴重録音盤 . 〃 クワイ河を走る 〔予約特典〕 未公開大型カラーポスター進呈。 機関区 ( カンチャナプリー ) 停車中の s し . コンプレッサー始 動 / カンチャナプリーにて ( SL 通過 ) / SL 機関車添乗 ( 出庫 ー走行ー停止 ) タイ音楽 ( アンカール合奏 ) / ・・ 特典 タイ鉄道の旅 写真入り豪華解説書付 構成 = 利根常昭 ・ ULP - 03 305 ステレオ LP Y2 ′ 200 この鉄道は第二次大戦中タイに進攻した日本 軍が前線への物資輸送路としてタイ ~ ビルマ国 境に作リ上げたもので、 C 56 型蒸気機関車か 日本から海を渡って行った。戦後、日本軍は 引揚げた 56 はそのまま現地に残りタイ南 部鉄道ナムトーク支線と改称された泰緬鉄道 このレコーーードは泰緬鉄道最後 を走リ続けた 利根常昭 の C56 のドキュメント U 羅 0 ユ : オンコ - ド 発売元 : テイチク株式会社 ル之 さかどき《ら , 泰ぶさ憑おふ P あオっき曻Ⅲまりはるぎ罍ー 123