寝台特急 - みる会図書館


検索対象: 鉄道ジャーナル 1976年7月号
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1. 鉄道ジャーナル 1976年7月号

くマロネフ 29 形の前身ーマロネ 37400 形 ( 戦前 ) 時代 3 等寝台車の新製復活が , 軽量客車の試作に並行して計画さ 級車 . 戦後まもない昭和 23 年に占領軍用として製作された , れていた . 2 等寝台車は戦前製車両の改造復活にマロネ 40 ・ 区分寝室と開放寝室からなる豪華寝台車 . 冷房っきの 1 等寝 マロネ 41 など戦後の新製車が加わり , 長距離夜行旅行者の人 台車マイネ 40 として生まれ , のち国鉄が購入して東京ー大阪 気を独占していて , 利用しやすい大衆寝台車をつくれという に使用 , 30 年 7 月の 1 等寝台廃止で格下げされて 2 等寝台車 声が高まっていたのである . マロネ 40 となった . 全室プルマン式のマイネ 41 →マロネ 41 と こうして , 寝台の構造配置は戦前製ハネを基本とし , 車両 ともに豪華さを誇り , これまでの昼行特急には寝台車がない 限界を一杯にとって車幅を拡大することにより設備を改善し ため , これだけは特急として最豪華車両であった . た軽量 3 等寝台車ナハネ 10 形が 31 年 3 月に完成し , 東海道本 マロネ 40 と対照的なのが⑩号車のマロネフ 29. 同じ 2 等寝 線の夜行急行く銀河〉に組み込まれてデビューした . ビジネ 台車でありながら古い戦前製で , 寝台は進行方向に左右・上 スホテル程度の寝台料金を払うことで , 窮屈な座席に腰かけ 下 2 段にならび , 上段は舟形で天井に格納されていて夜間は て長い夜をすごす苦痛から解放される快適さが爆発的な人気 これを下ろし , 下段は座席を中央通路に引き出して使用する をあつめ , ョーロッノヾ・スタイルの外観と寝台車独得の夜汽 方式 . 上段・下段とも寝台使用時は隣席との境界の仕切りを 車ムードも魅力となり , 寝台車プームが広がりつつあった . 出してカーテンを吊り , 寝台スペースとする . 昼間は窓を脊 に内側を向いて腰かけることになるが , これは市内電車と変 くあさかぜ > は異色ずくめの新生特急らしく , 時代の寵児 わらない坐り方で , 快適な旅を楽しむ特急の設備としてはふ ナハ 10 ・ナハフ 10 ・ナハネ 10 と , これらの新鋭軽量座席車・ さわしくない . もちろん寝台料金は , マロネ 40 の区分寝室が 2 寝台車をそろえて登場した . ナハネ 10 は当時として大衆旅客 等寝台 A ( 上段 2 , 160 円・下段 2 , 760 円 ) , 開放寝室が 2 等寝台 に対する最大のプレゼントであったが , ナハ 10 とナハフ 10 は B ( 上段 1 , 680 円・下段 2 , 160 円 ) , マロネフ 29 が 2 等寝台 C クロスシートの一般用客車であり , 車内が近代的で明朗なっ ( 上段 1 , 200 円・下段 1 , 560 円 ) と区分され , 格差がつけられ くりである点を除けば , 特急の客車としてふさわしくなかっ た . 乗り心地 , 居住性 , ムードのすべてが先輩特急にくらべ ていたが , このマロネフ 29 とオハニ 36 を組み込んだことカゞ , て劣り , 特急に乗った気がしない・・・と評判がよくなかった . せつかくの新生特急くあさかぜ〉のイメージをダウンさせた ことは否定できない . ①号車のオハニ 36 が不評だったのは , もちろんである . ⑦号車の食堂車マシ 35 は , 昭和 26 年にくつは、め〉くはと〉用 なお , くあさかぜ > 登場時の料金は 3 等寝台がヒ段 720 円・ 中段 840 円・下段 960 円 , 特別 2 等車が東京ー博多 600 円 . 特 として製作されたもので , 冷房装置つき , 室内は明るいプル し、 料金は東京 - 博多が 2 等 2 , 400 円・ 3 等 1 , 000 円 . くあさかぜ > ー系の色の , 特急にふさわしい近代豪華車であり , 問題なく 合格 . ⑧号車の特別 2 等車スロ 54 はくかもめ〉用として 27 年に で東京から博多まで旅行すると , 3 等座席車で 2 , 460 円 , 3 等 寝台下段で 3 , 420 円 , 2 等寝台 A 下段で 5 , 220 円かかる計算 . 登場した新鋭 . 見通しのよい広窓がならび , 定員 48 名 , 天片 灯には当時めすらしかった蛍光灯を採用 , くつはめ〉くはと〉 20 年後の現在 , B 寝台利用で 8 , 110 円 , A 寝台利用で 13 , 000 円 ( 最高級の個室でも 15 , 110 円 ) だから , 物価上昇のわりには のスロ 53 とならぶ近代豪華車で , これも特急車両として合格 . ⑨号車の 2 等寝台車マロネ 40 はくあさかぜ〉編成中の最高 鉄道運賃は上がっていないといえる . 63

2. 鉄道ジャーナル 1976年7月号

0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 ・ 0 0 〇 0 0 0 0 0000 〇 0 0 ー℃ 0 8 or 0 0 ー 0 〇 0 0 0 0 0 朝ロロロロロロロロ ロロロ [ 備のほうで変化をつけ , 昼行・夜行それぞれ 1 ~ 2 本の看板 列車を走らせたっても , いいのではないか . いろいろ議論はあっても , 昼行の場合 , 新幹線電車が・国 鉄の顔 ' であることは間違いない・ところが < ひかり > くこ だま > とも車内設備が画一的・機能的すぎるので , 東京ー博 多間に一日 1 ~ 2 往復くらい , 特別なアコモデーションの車 両を使えばおもしろい . さきにふれた 961 形試作車には , 昼 行用のアイデアとしても , グループ旅行むき個室や会議室な どが設計されており , いくらもチェは出せるだろう . 特殊な 編成の車両をつくると運用はむすかしくなるだろうが , シン ポルづくりも大切なことである . 夜行の看板列車は , 走行線区といい所要時間といい , やは り東京ー博多間のくあさかぜ > が適当だろう・あるいは新幹 線との並行区間では芸がないというなら , 九州観光に便利な ように熊本か長崎まで延長してもしし 、、 . いまの < さくら > か くみずほ > のようなパターンだが , 途中駅での分割・併合は 好ましくない . つぎに述べるように風変わりな車両を前寄り と後寄りに 1 両ずつはさみ込みたいので , 分割してしまうと 編成全体としての機能がそこなわれてしまうのだ . この列車は , 車内で起きている時間のスペースを大切にし たい . 今後 , 東海道・山陽・鹿児島本線のスヒ。ードアップは あまり考えられないので , 所要時間は現行どおり東京ー博多 間の場合 16 時間 30 分 , 東京ー熊本または長崎間だと 18 ~ 19 時 間だ . いすれにしても平均的な睡眠時間を 8 時間とすると , 車内で眠っているより起きている時間のほうが長い . 始発から終着まで , せいぜい 10 時間程度の所要時間なら , べ ッドの寝心地だけをよくすれば寝台列車としては十分だが , 目ざめている時間がタップリある場合は , その間に対する配 慮が大切だ . 事実 , はやばやとペッドがセットされた寝台車 で , 食堂車もないようなときに , 眠くないので狭いべッドに入 るわけにもゆかず , 通路の腰かけは数が少ないうえ坐り心地 も悪く , 身のおきどころがなくて困った経験がおありだろう . 起きている時間のためのスペースを多くとると , 当然なが ら定員は減り , 収益率は悪くなる . しかも他の列車より車内 整備に格段の手間がかかろうから , 特別な料金を定めること にすればいい . 「特別な設備のある寝台列車」という意味で かりに「特別寝台列車」と名づけ , 所定の個室・ B 寝台料金 のほかに , 乗車距離にかかわらず定額の「特別寝台列車料金」 を設ける・一般の特急列車とは別格扱いで , 「特別寝台列車 料金」には現在の特急料金相当額も含めておき , 遅れなどの 場合の払戻し額は , 列車設定区間の特急料金に見合う額とい うような特例を設ければよい・ パーやサウナもあれは 列車は , いまの < あさかぜ > とおなじように電源車を別にし て正味 14 両とし , 上図のような編成をえがいてみた . 〔個室 A 寝台〕① ~ ④号車 B 寝台が 2 段式時代になった以上 , A 寝台は個室でプライバ シーを保ち , せめてビジネスホテル程度の設備はしたい . 個 1 09

3. 鉄道ジャーナル 1976年7月号

昭和 43 年 3 月 5 日第 3 種郵便物認可 通巻 1 1 3 鉄道ジャーナル七月号第十巻第八号昭和五十一年七月一日発行発行所Ⅱ鉄道ジャーナル社 3 と鉄道 陟第夜彳歹リ車 旅に強くなる鉄道の雑誌 鉄道に強くなる旅の雑誌 ・随想忘れえぬ夜汽車 ( 各界名人 ) ドキュメント ・カラー 夜汽車の旅路 ・ルポ私鉄異色夜行 東武山岳・夜行初夏のハイキンク、 ・体験ルポ寝台特急比較試乗記 ・ 2 色折込全国縦断夜行列車地図 3 段寝 ri ・電車寝台にも比較試 舌題の 2 段ハネを中心に ・新風土紀行⑤ 乗しその特徴から乗り心地まで徹底取材した列車ルポ 初夏の北陸路 ・特別グラフ 名作のなかの夜行列車再現 寝台特急く能登 > での旅立ち夜明けの日本海新緑と溪 流の黒部峡谷鉄道輪島の朝市京福電鉄で永平寺へ 小説・詩・映画・歌謡曲・・・夜行列車が舞台となった想い出 ローカル鉄道を足にした新しい旅 のあのシーンを現在の駅や列車それに模型を駆使して復 ・魅惑の列車シリーズ③ 活させようという異色企画 山陰特急くまっかぜ〉 ・特集工ッセイ 夜行列車への誘い 美しい山陰の海岸線を走るくまっかぜ > の歴史と旅情 ・特別読物 由緒ある絵画・写真・文献・・・など貴重な資料で紹介する夜 夜汽車の裏方さん 行列車の魅力 ! ・大百科列車カ ' タログ ・ 20 号記念特別企画 この夏ぜひ乗りたい夜行列車 売者参加座談会 / 旅鉄編集部の光と景彡 / なせ、旅と鉄道、か / 記念プレゼント / など プルトレから電車寝台・急行寝台・ ドン行寝台 さらには そのはかカ作満載 ! ! 客車列車まで・・・代表的な夜汽車を目的別・地域別に網羅し ・ユーラシア大陸横断紀行③ ( 岳真也 ) た一大知識集ー車内設備・サービスなどの採点つき ・ちいさな旅みーっけた⑧西鉄宮地岳線 ・実践講座 夜行列車を利用するコツのコッ ( 種村直樹 ) ・トッカンルポ大県帆船、、ポン丸さ潜入記 ' 6 のロ 〒 2 東京都千代田区飯田橋 4 ー 8 ー 6 日産ビル鉄道ジャーナル社 ・三ロ 二一一口 特価五五〇円 500 : 0 雑誌 6551 6 月 15 日発売予定 ! !

4. 鉄道ジャーナル 1976年7月号

付近の通勤ラッシュ時間帯が避けられる②下り上りとも岡 ン車 , 2 等は普通車 , 1 等寝台は A 寝台 , 2 等寝台は B 寝台 山以西が有効時間帯に入り , 中国・四国・山陰の一部を含め と呼び方が改められて , 現行の名称が生まれている . つまり て東京対九州の輸送が改善される③車両が博多で当日折返 くあさかぜ > 誕生当時の 3 等車は現在の渟通車 , 2 等車は同 し可能の最短時間で使用でき , 2 組の編成で運用が可能 じくグリーン車 , 3 等寝台車は B 寝台車 , 2 等寝台車は A 寝 などの利点があり , 関西無視を上回るメリットが認められた 台車のことである . のであった . さて , くあさかぜ〉の編成は博多寄りから , 3 等荷物合造 こうした思いきったダイヤがくあさかぜ〉で成功したこと 車 ( オハニ 36 ・・・①号車 ) + 3 等寝台車 x 3 ( ナハネ 10 ・・・② ~ ④ が , その後の優等列車のダイヤ設定の考え方を大きく変えた 号車 ) + 3 等車 ( ナハ 10 ・・・⑤号車 ) + 3 等緩急車 ( ナハフ 10 ・・・ ことは , 否定できない事実である . ⑥号車 ) 十食堂車 ( マシ 35 ・・・⑦号車 ) 十特別 2 等車 ( スロ 54 ・・・ ・プルー・トレイン誕生を早めた、寄せ集め ' 編成 ⑧号車 ) + 2 等寝台車 ( マロネ 40 ・・・⑨号車 ) + 2 等寝台緩急車 夜行寝台特急時代の幕をひらき , 特急大衆化の先鞭をつける ( マロネフ 29 ・・・⑩号車 ) の順 . 戦後の画期的な技術革新であ など新時代にふさわしいヒットを放ったくあさかせ > にも , る軽量客車が編成の半数を占めているのが特色であった . 大きな弱点がひとつあった . それは , 10 両編成の客車が新旧 客車の軽量化は昭和 28 年いらい , 国鉄の重要技術課題のひ 8 形式におよぶ見事な寄せ集めで , ほとんどが一般列車用に とっとして研究と開発が進められた . 客車は時代の進歩とと つくられたものであり , とくに 2 等寝台車 ( 現在の A 寝台車 ) もに木造車体から鋼製車体へ , さらに大型化への道をたどり , に古い戦前タイプが組み込まれていたことである . 標準型客車では自重が 30 t から 40 t にもおよんでいた . 日本 日本の鉄道は戦前からすっと , 1 等・ 2 等・ 3 等の 3 等級 のように勾配の多い狭軌鉄道では , 客車重量の増加は牽引両 制を採用してきた . 1 等は皇族や華族・プルジョア・将官軍 数の減少に直接つながり , 速度向上にも大きなプレーキとな 人など , ごく一部の特権階級が乗るエリート客車 , 2 等は金 る . 戦後の鉄道再建の原動力となる輸送力増強 , さらに効率 持ちや高級サラリーマン・将校軍人などが利用する上級客車 的な新時代の鉄道へと脱皮するためには , ムダな重量を極力 で , 3 等が一般庶民の乗る大衆客車であった . 鉄道のシンポ へらし , 強度を下げることなく軽い構造の客車を開発するこ ルである特急は , 大衆のための異色特急く桜〉を除いて原則 とが急務であった . 的に 1 等車・ 2 等車・食堂車・ 1 等展望車が組み込まれ , む 軽量客車はこうした情勢のもとに , ョーロッパ , とくにス しろこれに重点がおかれていた . 昭和 28 年に生まれたくかも イス国鉄の技術を参考にして設計が進められ , 30 年に試作車 め〉は山陽特急のため 1 等の需要はあまりないだろうとの予 がナハ 10 形として完成した . 同じ大きさで自重はわすか 23 t 想から 2 ・ 3 等編成となったが , 新しいかたちの大衆特急を に押えられ , 従来車にくらべて 2 / 3 の重量という画期的な技 めざすくあさかぜ〉も 2 ・ 3 等編成として登場した . その後 術革新であった . 31 年には量産車が登場し , 長距離急行に組み 36 年に 1 等が廃止されて 2 等と 3 等の 2 等級制になり , まも 込まれて各地の幹線にユニークな姿を見せるようになった . し / 、らよく なく 2 等を 1 等 , 3 等を 2 等と読み替えることになって , 3 一方 , 生活水準の向上と , 鉄道再建進捗にともなうサービ 等車という呼称はなくなってしまった . のち , 1 等はグリー ス改善の一端として , 戦争中に姿を消していた大衆寝台車一 62

5. 鉄道ジャーナル 1976年7月号

☆特別企画☆くあさかぜ > がモテルチェンジする夜 夢の豪華寝台特急 0 種村直樹 イラスい岡田徹也 ・あさかぜ ' 形とも呼ばれる 20 系プルー・トレインの固定編成客車が登場してから 20 年近くたった . 最近数年間に 14 系・ 24 系の寝台車が現われているがどちらも 20 系をベースにべット設備などを改良したものて根本的なシステムは変わ っていない . いまのところ国鉄は寝台車営業から人手をはぶく合理化策に懸命だがそれはそれとしてニュータイプ の豪華な寝台列車が現われてもよいころだ . ただ眠るだけてはなく移動しながら夜を楽しむ列車がほしい . 鉄道も合理 化や省力化だけてなく時代の進歩を鋭敏にとらえて国民生活の向上にマッチした設備サービスの改善に意欲的に取 り組むべきだという観点から < あさかぜ > をモデルに新しい時代のプルー トレイン像をえがいてみよう・ 増強とサービス改善がはかられてゆく . 変貌する夜行列車 1955 年 ( 昭 30 ) になると周遊券がお目見えして , 旅の PR 鉄道は , きわめて敏感に時代を反映する . 太平洋戦争までの も始まった . 3 等寝台車ナハネ 10 形は ' 56 年に復活 , 全国の ざいばっ 日本には財閥や軍 , あるいは華族といった特権階級がハバを 主な急行・準急に連結されたものの絶対数が少なく , きかせており , 1 ・ 2 等寝台車などは , 市民とは縁遠いもの はまだぜいたくな設備だった . ' 57 年 10 月 , 東京ー大阪間の だったという . 1931 年 ( 昭 6 ) に , いまの 3 段式 B 寝台に相 急行く彗星 > が初の寝台列車に衣がえして 2 ・ 3 等寝台車各 当する 3 等寝台車が登場したものの , 旅の習慣も定着してい 5 両と 3 等指定席車 1 両になり , 自由席がなくなってしまっ なかったし , 一般に夜行といえば固い座席ーー - ーそれもほとん たときは「乗りにくいキサな急行だ」と反感を持ったものだ . ど普通列車ーーで仮眠するのが常識だった . 20 系 < あさかぜ > はこんな時代に製造され , 1958 年 ( 昭 33 ) こんな背景だから , 本誌 5 月号の「 20 系プルー に登場した . 列車全体を一つの単位とする固定編成の考え方 く銀河 > の旅」で紹介された東京ー神戸間の ' 名士列車 ' 17 レ や個室寝台 ( ルーメット ) はいずれも日本で初めてだったし , ・ 18 レのようなかたちでしか寝台列車は育たなかった・ 冷房も希少価値があった . 当時の生活水準よりはるかにレベ 敗戦後の日本は民主主義国家に生まれ変わったものの , 戦 ルの高い列車で , ・動くホテル ' ・豪華列車 ' という表現も少 争による荒廃で混乱が続き , 旅どころではなく , 鉄道はアメ た寝台列車 < 彗星 > に反発した私 しもオー ーではなかっ、・ リカ占領軍が押さえていた . 1952 年 ( 昭 27 ) に日米間の講和 も , 夜行のイメージを塗りかえた 20 系にはひかれていった . 条約が発効し , ようやく日本人の手にもどった鉄道の輸送カ 初代の 20 系 < あさかぜ > の魅力は , 寝台列車というより , 106

6. 鉄道ジャーナル 1976年7月号

1 ァイーラウンジ B 個室 ところが , 青函トンネル工事も遅れたが , 全国新幹線網のほ うは , 計画見直し論も強くなって , なかなか札幌まで伸びそ うにない . 1982 ~ 1983 年ごろ , めでたく世界最長トンネルが お目見得すれば , せつかく掘ったものを使わないわけにはい かないだろうし , とりあえず在来線で使用開始となるかもし れない . もともと新幹線を通す計画のときにも在米線の貨物列車に 新しい < あさかぜ > がプルーのボディーはそのまま引継ぎ東 も使いたいと , 狭軌・準軌併用レールとする意見が強かった 京一九州間に登場して大好評ーーということになると , 1980 から , 在来線の列車が走ってもおかしくはない . 当然 , トン 年代の前半には , 同じような特別寝台列車が上野から札幌へ ネルと結ぶ津軽線と松前・江差線が強化され , 長距離列車も 直通することになるかもしれない・占領軍時代のように青函 走るようになるだろう . 連絡船で寝台車航送をしようというのではなく , 青函トンネ そうなれば , いまの北海道連絡列車は < ゆうづる > シリー ズが 9 時間 , 連絡船前後の乗換え時間が 4 時間半 , 道内の函 ルとのからみだ . 青函トンネルは青森県側は津軽線の津軽浜名駅付近から北 館ー札幌間が特急 4 時間 , 計 17 時間半にくらべ , 青函トンネ 海道の松前線湯ノ里駅付近に達する 53.9km の長大トンネル ルを経由すると 1 時間くらいはスヒ。ードアップできそうだ . ( 海底部分は竜飛崎一渡島吉岡駅付近の間 23.3km ) で , 日 乗換えの不便が解消されるから , 札幌・旭川あるいは網走・ 本鉄道建設公団が工事中の新幹線断面の複線トンネルで , 当 釧路までの直通寝台列車運転が検討されるにちがいない・ 初は 1979 年春に完成の予定だった . 東京からの所要時間は , ちょうど九州特急と同じくらいだ その後 , 工事費不足やトンネル内の出水などで工期が遅れ し , 急ぐ人は飛行機を利用 , 列車の客はレジャー的色彩の濃 いまのところ完成するのは 1982 年以後と修正されている・青 いノンビリ派が多いので ーーにも特別寝台列車の出番がこ 函トンネルが本格工事にかかったころは列島改造の田中内閣 ようというわけだ . 時代で , 全国新幹線網構想が描かれ , 青函トンネルができる こんな列車が走ったら , 新幹線用に考えておいた < オーロ ときまでには盛岡以北の東北新幹線と , 北海道内の札幌まで ラ > の愛称をプレゼントしてしまいたくなるだろう . 特別寝 の新幹線も完成し , トンネルとドッキングして , 東京ー札幌 台列車よ , 九州と北海道をめざして走れ一一一一 ! 間に新幹線電車が走りそうな勢いだった . ( レイルウェイ・ライター ) 赤字と借金だらけなのに格好を気にすることはない . そ れにサウナと娯楽室を誤解しておられるようだが , きわめ て健全なものだし , 品位にはかかわりないはず . 時代とと もに列車のサービスも変わらなければダメだ . 上野ー札幌間の直通寝台列車も !

7. 鉄道ジャーナル 1976年7月号

35 客車寝台特急列車の運転本数の変遷 ( 定期列車 ) 36 単位 : 往復 49 2 50 48 3 46 45 43 39 44 42 41 40 38 線 区 愛 称 31 あ さかぜ 1 さ ちかぜ 平 和 東 海 道 さ く ら 山 陽 は やさ 線 九 州 み す ほ 勢 富 紀 士 陰 線 瀬 山 出 紀伊・いなば は くつる 東 うづる 北 ゆ 奥 羽 線 あ けーての 星 あ かっき 陽 彗 星 山 星 線 九 州・ 明 安・ 日 本 海 日 本 海 縦 貫 泉 る つ 上越・北陸線 北 陸 24 6 2 2 方向への分割運転をする場入 日には , ど 転はできるものの , 善を繰り返しつつ両数を増やしたが , 日豊電化の 49 ・ 4 にいた こかに別の電源車を 1 両待機させる必要が生するため , 本年 り , 今後のプルーの運命を決定づける抜本的変革を迎えるこ 2 月の増備にあたっては , 比較的足の短い大阪ー新潟間の とになった・それは , これまでの寝台車の常識とされた「 2 < つるぎ > ( 季節によってはく日本海 > の下り 1 号 , 上り 2 段式 = A 寝台 ( 1 等寝台 ) 」という鉄則を打ち破り , 中段の 号にも使うが , これも途中 2 方向にわかれることはない ) に ない 2 段式 B 寝台が登場したことである・ これは , 日本の寝台車史上特筆大書されるべき出来事であ これをあてている . ここにおいて , 初めて 20 系寝台車が浮いてくるという事態 って , 下表でわかるとおり , A 寝台に比べ , なんら遜色のな が生まれたが , 長年 , 特急格上げのウワサが出ながら実現し い一級レベルの大衆寝台車が出現したということができる . なかった < 銀河 > に幸か不幸かこの 20 系が回ることになり , 寝台車のべッドの主要寸法 これまで続いた「プルー化 = 特急格上げ」というパターンは 幅 長さべッド上の高さ こで一応途切れることになった・これは当面 ' 余剰車 ' の 1015 1935 925 A 寝 くしくもプルーの未来を示唆 活用という考え方ではあるが , 101Cm 193Cm 113E する出来事と見ることができよう・ 上段 1955 705 103e B 寝 すなわち , これからは長距離を走る特急には 2 段式寝台を ( 24 系 2 研 ) 下段 70E 195Cm 103E あて , 比較的足の短い急行には・プルー ' が使った 3 段式 , つまり今回のく銀河 > 格下げ 20 系や , 14 系・ 24 系 ( 3 段のも この車両は , 上下段ともペッドの上に坐った場合 , よほど の ) が使われるようになり , かっ , 経過年数の大きい 20 系は の巨人でないかぎり頭がっかえるということがないため , 利 その過程で順次廃車・・・・・・ということになろうが , じつはその 用者には少々申訳ない話ではあるが , ペッド解体を行なわず プロセスは諸般の情勢を考えた場合 , 予想外に速いテンボで 朝方はそのまま終着駅まで座席代用として利用していただく 実現されるかもしれないと思える・ ことを立前に , 原則として完全夜間帯を走り抜ける列車か , なお , 個室の A 寝台と 14 系について付記すると , 現在の A 比較的運転時間が短く , 早朝に終着駅に着くような列車を選 個室は中廊下をはさんでレールと平行に配置されているので んで投入することとし , 当面 < あかっき > 2 往復 , と < 彗星 > 占有面積がとりにくく , ペッドを解体 ( 実際には起こして壁 1 往復がこれに置き換わった . 配属は全車向日町で総勢 91 両 に立てかける ) しないかぎり , 昼間用には適当でないため , である・またこれにより 24 系の 3 段式を宮崎と都城へ出し , これをレールを直角方向に変え , 室内スペースをもう少しと く彗星 > の 2 往復増発 , 置換えがこの改正で行なわれた・ って昼間はそのまま使用できるスタイルに改めることになり 5. プルーの未来を占えば また数々の利点を持ちながら新製が中止された 14 系も , 耐火 49 ・ 4 で登場した A 寝台なみの 25 形は , 当然のことながら 14 系 設備の完璧化をまって新しく 2 段構造で再登場し , 本線併結 , のワイドベッド化以上の好評を博し , 今後の寝台特急のサー 亜幹線単独運転という使われ方をする日も , そう遠くないと ビス水準のモデル車として位置づけられることになった . た だし , 電源車方式であるため , 途中でたんなる切りおとし運 いうことができるだろう . 34 33 32 3 3 3 3 2 1 1 1 2 1 1 1 1 1 1 1 1 1 [ → 1 1 14 1 人 1 宀 1 1 画 14 1 1 1 ・ 1 1 1 1 1 、人 1 1 よ 1 亠 1 よ 1 よ 1 1 1 人 1 画 14 14 1 人 1 亠 1- 14 1 人 11 1 1 1 1 1 人、 1 1 人 1 人 1 人 1 人 11 1 1 人 1 1 1 1 1 1 1 1 .2 2 2 2 2 1 1 1 1 1 1 1 7 5 6 4 4 2 2 1 2 1 2 1 2 1 1 1 1 1 一 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 27 28 20 13 8 8 8 4 4 4 3 3 3 1 一三ロ ムロ彡 / 105

8. 鉄道ジャーナル 1976年7月号

r ラン ED731000 に 九た下り < あさかぜ > は北九州の朝風を て小倉へ迫る (K) の西のターミナル 訳は九州の表玄関 間 28 分の旅は終わっ ホームには昔なっ い赤帽さんの姿も・ 小倉に着いた . 例の転任の親子づれが降りて行った・ホーム , , こでも歓迎の人波が拍手で出迎えている・昨夜 に立っと はぐっすり眠れたのだろう . 子供たちの顔も , すっきりして 朝食をとりに食堂車に行く・おどろいたことに , 従業員の ーもガラリと変わっている . やはり下関で交替したと メンノく のこと . 客の姿はまったくなく , 白い調理服のコックさんも テープルにもたれ , ばんやりと外の景色をながめていた . 後日 , 日本食堂下関営業所にこの日の営業実績についてた すねてみたところ , 売上げは東京ー下関間で 20 万 9 , 240 円だ ったという . どんな料理に人気があるのだろう ? ノ、ムサラ ダ ( 400 円 ) を注文した人が 31 人 . 幕の内 ( 650 円 ) 21 人 . ポ ーグカツレッランチ ( 650 円 ) 12 人 . ェビフライ ( 650 円 ) 12 人 . 朝定食は洋食 ( 600 円 ) 52 人 . 和食 ( 600 円 ) 40 人 . アルコール類は , 特級酒 ( 335 円 ) 13 本 . 1 級酒 ( 260 円 ) 5 本 , ビール大 ( 335 円 ) 86 本 , ビール小 ( 220 円 ) 5 本 , ウ ナハネフ 22 形式 ( 14 号車 ) ナハネフ 23 とおなじく 39 年から製造された丸妻非貫通の寝台緩 急車・ 500 番台はナハフ 20 の改造車で , 43 年と 46 年に全部で 5 両が編入されている・最後部の半室は展望車として乗客が自由 に出入りできる・定員 48 名・ ☆はるかなる旅の果て☆ 『博多においてなざした』 門司でまた機関車が交換 . ギンギラギンの銀色機関車から真 赤な ED731016 へ . 関門トンネルを介して直流 1 , 500V から 交流 20 , OOOV へ電気方式が変わるため , あわただしい . 寝台車のほうは広島を出てから下関まで客は減る一方だ たが , 門司を出ると , またいくぶんふえてきた感し下村車 掌長にたすねると , 下関と門司から 30 名ばかりの乗車客があ ったそうだ . もちろん , 終点の博多までの客である . この区 間は特定区間に指定されているので , 特急券も特急料金 600 円ナリ . すぐあとに特別快速の荒木ゆき電車が追っており , 博多到着も 12 分のちがいなのに , わざわざ 600 円の特急列車 に乗る人もいるのた・常連らしく , 乗り込むとすぐ , あいて いる寝台にゴロリと横になり , 悠々と新聞を続みはじめた・ 博多までわすか 1 時間の、寝台車の旅 ' である . 考えてみる と , タグシーにちょっと乗っても千円札が飛ぶ今日 , この 600 円はさほど高いとは思えない .

9. 鉄道ジャーナル 1976年7月号

24 系 25 形 学日寝台 昭和 40 年代の後半になって , 大手私鉄などで接客サービスの て車端へ寄せることによって , 寝台 1 列分の空間を確保して いる・寝台高さの改善とひきかえに , 接客設備は簡素化され レベルアップが進んだのを受けて , 国鉄でも旅客車の体質改 善を検討した結果 , 急行形普通車や通勤電車の冷房化 , 特急 編成もモノグラスで A 寝台車や食堂車はなく , 14 系で新設さ 形普通車への簡易リグライニングシート採用 , 座席ビッチの れた更衣室は廃止され , 下段寝台にもシーツがっかなくなる 拡大などを実施している . B 寝台についても電車寝台や 14 系 など , 合理化が目立っ . 客車以降 , 寝台幅が広げられたが , 第 1 次車として同時に製作された電源車は , 将米の 20 系置 3 段寝台構造ではまだ圧 迫感が強く , 身体を起こすと頭がっかえるなどの不便さのた 換えを考えて荷物室っきで登場した . 電源関係の機器はマヤ めに , 改善が望まれるようになってきた . 24 形と同じで , 20 系電源車と同じく寝台車寄りに荷重 3 t の 東海道・山陽本線では , 新幹線の開業と昼行ェル特急の整 荷物室と荷物車掌室がっき , 荷物用扉は引戸である・正面は 非貫通で , 2 段寝台を象徴して列車名表示窓に 2 本のヒゲが 備により夜行需要は減少しつつあったし , 一方で車掌補の不 足は深刻な事態を迎えていた . ついた . また , この系列から塗装工程合理化のため , 車体窓 こうした背景のもとで , 国鉄 は定員減による輸送力の減少ということはあっても , サービ 下の 2 条の飾り帯がステンレス製となり , カニとオハネフの スの改善と省力化による効果のほうが大きいとして , 新製 B 正面では車体すその帯が省略されている . 寝台はすべて 2 段寝台構造とする営業上の基本方針をきめた . 25 形式は 49 年春に , 電源車 8 両を含む 91 両が誕生し , 向日 2 段化することにより , 寝台空間の高さは約 1 m となり , 上 町運転所に配置され , 4 月 25 日のダイヤ改正から新大阪対九 半身を起こしても頭がっかえることはなくなり , 着替えも楽 州間寝台特急 3 個列車にデビューした . 50 ・ 3 ダイヤ改正か になるし , また , 寝台セットの状態でも座席として使用でき , らは編成の分割を行なうことになり , カニ 22 形を改造した 24 営業運転中の寝台設廃を行なわないですむため , 将来は車掌 系用電源車カニ 25 形が登場し , 鳥栖ー長崎間で使用されてい 補の乗務を減員または廃止の方向で合理化を進められるとい る . 51 年 2 月には 20 系客車の置換え用として第 2 陣の 60 両を 増備 , これは宮原客車区に配置されて < つるぎ〉く日本海 > に うメリットもある . こうして誕生したのが 24 系 25 形式寝台客 車である . 使用されている . 25 形式は 24 系寝台車の 2 段化という形であるため , 運転上 の性能・機能は 24 系 24 形式と共通の設計である . 室内は 24 形 今後の寝台車増備はすべてこの 25 形式になる模様だが , 九 式をそのまま 2 段化したのでは定員が極端にヘるため , 便所 州特急をはじめとする長距離列車の置換えにあたって , 新構 のひとつを直角に方向転換し , 屋根上のグーラーを小型化し 想の A 寝台車や食堂車などの新製も予定されている・

10. 鉄道ジャーナル 1976年7月号

特急・急行・準急主要駅発時刻表 ( 九州ー大阪ー東京連絡 ) り〕 急いい 準急 特急 準急ー急 急 急 特急 準急 準急 準急 準急 特急 準急 準急 特急 急 急 急 急 特急 特急 急 急 急 急 急 急 急 列車番号 501 ー 41 5 405 506 40 202 105 36 32 37 さか あか 桜 西 有 か 天 霧 阿 実 阜 天 あか さか 霧 西 桜 も 称 名 愛 ちせ させ 島 海 草 島 仙 蘇 穂 蘇 仙 さぜ ちぜ 第 草 島 海 島 9 . 30 10 . 00 墻 .40 ロ .25 ー 7 . 5 ー 9.0 、 19 . 00 ー 8.2 10 . 18 . 30 ー 3. 9 .05 9 .33 .0 浜 16. 19 ・ 25 ー 7. ー 7.4 ー 0.33 ー 1. 3 ー 3. 18 .55 ー 4 ヨ ) ー 3.5 ー ー 6.0 12 コ ー 6.35 ー 2 .4 20 ・ 00 ー 4. ー 5 ヨ 7 ー 6.0 岡 ー 2.3 13.3 21.31 い . 5 ー 5.2 ー 3.05 新 .5 16.35 6 .28 ー 4.5 松 ロ .05 ー 3.4 ー 4. に ー 4 ヨ 5 22 .00 ー 7 45 4 . 33 5 .03 名 古 13.1 23.55 9.42 屋 炻 .40 ー 2.0 ー 2.35 17 .0 ー 8.45 23 .25 .25 2 . 35 3 』 5 京 ー 0.3 都 1 . 54 6 コ 0 7 .03 8 コ 5 8. 3 9.2 ー ー 9 ヨ 0 2.4 ー 0. 18.34 20. 側 21. い 1 ・ 24 2 ー .5 22.2 1 .58 2.28 9 ・ 5 大 9 コ 阪 2.31 5. 6. ー 5 7.25 7 .4 8 . 3 20.0 20. ー 9.22 21. 22 . 2 ・ 01 22. 23. 戸 20.0 20. 1 . 28 1 . 58 3.00 4.4 5.35 6 .45 7.0 幻ヨ 2 . 30 8. 2L37 22.4 23 ヨ 23.4 0.39 1 . 09 路 幻コ 2L45 22. 3.48 3.3 4.32 5.37 6.0 6.3 3 .18 7.3 22. 23.5 0. 23 ・ 26 23.53 6 ・関 山 22.45 23.13 23.5 ー 5.04 2.05 3.02 4.08 4.35 5 は 6.03 4 ・ 38 0 コ 22.35 5 ・ 3 山 0. 5.54 1. い 2. 3. い 3.4. 4.1 5.07 0. 23.47 2 コ 2 ・ 45 3.2 22.49 4.40 5 ・ 1 0. 2 .50 3.2 3.5 5 .39 0. 2.3 3 ・ 0 3.5 0.30 原 20 . 55 21.25 3 ・ 2 島 広 2.22 2. 7 . 39 22 . 5 0.0 ー 1 .37 2 コ 2.5 2.03 1 .09 3. 4. 5. 5. 20.12 2 岩 3.05 22.08 23.1 0.15 0.4 l. 2 2 コ 2 3. キー 4 ヨ 5.50 6.35 19 ・ 46 1 ・ 2 山 3.5 4. ー 20.53 2L55 23.03 23.4 0 ヨ ー . 0 3 4.5 7 5. 6 . 25 8 . 7 コ 7.57 19.16 4.45 5.2 21.22 22.3 ー 23.07 23.3 0. 30 8.2 9 .13 20.20 7. 18 . 34 0 ・ 3 小 郡 4.45 5.0 5. 2L02 22. い 22.4 0. ー 0 1 コ 5 20. ( 用 23 .20 8.03 8.47 1 ? . 29 17 . 59 23.21 関 6.0 6.31 11.05 下 7.2 ー 9.4 20.55 21.32 22.0 22.5 8.3 9 ・ 2 10 .35 ー 8.4 ー 7. 14.0 ー 14.07 コ 0 18.02 18.05 18. 23. 6. 11.17 20.4 11.16 司 6. 7.45 17.46 22.3 8. 51 10.41 IR. 25 19.27 20.40 幻コ 21.47 8. 9.4 ー ー 0.27 14 ヨ 7 .20 ↓ 22 ・ 倉 18.15 18. 2 ー .0 小 6.3 ↓ 7. 8. 22.22 8. 1 9.00 14. 19 コ 20.2 20.5 21.3 9.5 ー ] 8.06 ー 0.37 22.2 新 6.51 14.35 ー 5 .3 八 17.45 川 .53 ー 4.50 】 5 .50 ー ] 8.57 21. 3 ー 8 . 3 り . 2 ー 0 コ 1 圧 48 2 ( L03 20 。 3 ー l. 05 17 . 35 佐 肥前山口 武 佐世保 行 中 佐 府 別 大 分 くさちかぜ〉の登場で , 日本の特急列車は東海道特急がくつ くあさかせ〉の成長と変遷 ( 旧編成時代 ) ←博多①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑩⑩東京→ ばめ〉 ( 1 レ・ 2 レ ) ・ くはと〉 ( 3 レ・ 4 レ ) , 山陽特急がくかもめ〉 7 レ・ 8 レ オナナナナナマスママ ( 5 レ・ 6 レ ) , 九州夜行特急がくあさかぜ〉 ( 7 レ・ 8 レ ) ・くさちかぜ〉 昭引 . Ⅱコ 9 ロ 東←京 E F 58 ロ くあさかせ〉運転開始 京←関 C 59 ハフシロネフ ( 9 レ・ 10 レ ) と , 5 往復の世帯に成長した . 列車番号は特急ほん 関←門 E F10 36 10 10 10 10 10 35 54 40 29 門←博 C 59 増 1 増 2 らいのヒト桁を設定順に埋め , スッキリした形であるのが特 オママスマナナナナナナナ編成替え増結 / 、ロ 色であった . ネフロンネネネハフネフ 36 40 29 54 35 10 10 10 10 10 10 10 ( 牽引定数増 ) 東京ー長崎は戦前に一時 , 特急く富士 > が 23 時間 30 分をか 広ー東 オマママナすナナナナナ 2 等車・食堂車を軽量 けて走っていた . くさちかぜ > はこれを一挙に 2 時間 50 分も 昭 32 コ 0. ロネ増結 ノ、ロロロ ネネネロンネネネハフナハネ 10 →ネハネ 11 ・ 短縮し , 20 時間 40 分で結んだ . 同区間の急行く雲仙〉は 25 時 ( くさちかぜ > 設定 ) 36 40 40 29 10 17 11 11 11 10 10 影響をおよばすことになった . 地方都市の小駅停車を両列第 間もかかっていたから , 特急の名に恥じないスヒ。ードである . くさちかぜ〉は上下とも博多で急行く桜島〉 ( 京都ー鹿 が振り分けることになり , 上下ともくあさかぜ〉は静岡・ 児島 ) に接続するダイヤで , 両列車を乗り継ぐことにより 24 山・小郡を通過させ , 代わりに浜松・尾道・三田尻 ( 現在ク 時間と十数分で東京ー鹿児島が結ばれることになった . それ 防府 ) を停車駅に改めた . これらの駅は , くさちかぜ〉でい まで同区間の所要時分は 28 時間 10 分 ( 下り急行く霧島〉 ) ~ 32 通過と停車が逆になっている . 編成も広島回転車をくさちえ ぜ〉にゆすり , 東京ー博多 11 両となり , 別表のように 3 等 時間 01 分 ( 下り急行くさつま〉 ) だったから , くさちかぜ〉 は東京ー南九州の輸送改善にも大きな役割を果たしたわけで 台車を新しい改良形のナハネ 11 に置き替え , 特別 2 等車に ロ 10 , 食堂車にオシ 17 が登場して , 軽量化が進んだ . そし ある . なお東京ー鹿児島は翌 33 年 10 月 , 第 3 の九州夜行特急 寝台車の比率がわずかながらふえ , 2 等寝台車 ( マロネ 4 の くはやぶさ〉が設定されて 22 時間 50 分に短縮されるが , 新幹 線博多開業が実現した現在では新幹線とエル特急く有明〉の が 1 両増結されて , くあさかぜ〉は豪華寝台特急への第一 を踏み出した . 乗継ぎでわすか 12 時間と , 当時の半分の時間で到達すること 33 年 4 月 , 山陽本線は姫路まで電化が進んだ . 九州特急ク が可能になった . 新幹線の威力があらためて認識されるが , 京都ー姫路 E L 牽引は秋のダイヤ改正まで見送られたが , くあさかぜ〉とくさちかぜ〉が呱々の声を上げた昭和 30 年代初 頭の鉄道は , 新しい時代を模索しつつ闇の中にひたすら光明 代の寵児くあさかぜ〉の唯一の欠点だった設備サーピスの多 劣りを抜本的に改善して , 近代的な列車に変身させるべく , をもとめて , 脱皮の努力を懸命につづけていたのである . 画期的な、寝台特急 ' 専用固定編成客車 ( 20 系 ) の設計と新製 くさちかぜ〉の登場は , くあさかぜ〉の使命と性格に若干の 着々と進んでいた . ( つづく ( 昭和 32 年加月一日改正 ) 門司鉄道管理局 さつま つくし 44 42 6 つ か さ つ く も 6.25 7 .42 7 コ 0 5 .5 ー 4.2 ー 5.32 4. 0.55 20.33 2L53 20.40 2 ー .0 7 20.00 20.2 ー 0.20 18 . 38 ー 8.01 ロ .45 1 26 ー 6.3 ー ー 6. ー 5. 16 . 35 ー 6.23 ー 5.13 16 . 16 .2 ー 3.2 14 . 50 14 . 01 ー 2.3 ー 3.40 ー 2.24 ー 0.4 ー 0.2 り ーー .32 12 . 29 9.0 ー 0. じ 11.24 406 505 8 106 有 明 508 9 38 204 203 201 1 2 ー .4 21. 22 コ 22.3 23.4 23.5 1.2 2. 3. 6.1 7.5 8. 7.5 9.2 8. ー 0.3 10.27 ] 2. 11. 13.2 11. 13.4 13. 14. ー 5.4 ー 17.5 16.0 ー 8. 16.3 ー 18.4. 18.0 20.2 9 0 ・ーー 2 3 9 8 6 -0 0 い 4 17 . 50 -0 -0 3 04 0 5 「・記事し上り岡山以遠は着時刻を示す。 13 ・ 21 9.35 4 0 -0 7 7 8 8 ー ' 9 0 0 り 4 っ ) -0 っ ) ・、 19.51 19.31 4 0 0- 04 0 ・ 0 -0 ・ 0 -0 -0 「ー 01 -0 、ー -0 っ 0 15 . 40 11. 12 .03 18.0 17.2 12 . 50 4 1 ・・、 4 0 1 加盟 り】 0 3 っ 0 り】 04 4 4 0 】 -0 1 ・・ 0 ・ 8 8 っ 0 《 0 0 6 0 0 ・ 9 0 ) 0 リ 児 昭 32 . 3 . 9 66