機関車 - みる会図書館


検索対象: 鉄道ジャーナル 1976年7月号
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1. 鉄道ジャーナル 1976年7月号

プルー・トレイン誕生期の牽引機 戦後 10 年をへて , くつばめ > < はと > くかもめ > の 3 特急が 出そろったころ , 九州特急復活を望む声は強くなり , 昭和 31 年 11 月 19 日 , 米原ー京都間電化により東海道本線の全線電化 が完成したのを機会に , 東京ー博多間に < あさかぜ > がデビ ーした . このときの編成は一般客車の寄せ集めで , 塗装も 一般色のままであったが , 牽引機関車は特急仕業ということ で , 当時の代表的旅客用大型機 E F58 と C59 があてられ , 関 門トンネルでは E F 10 が受け持っていた . くつばめ > < はと > は東京ー大阪間を EF58 でロングラン して , 電気機関車の威力をいかん無く発揮していたし , 塗色 もスハ 44 系客車とあわせてグリーンに変更され , 特急専用機 として風格を高めていた . しかし , くあさかぜ > は未電化区 間への直通列車であり , EF58 は京都で C59 と交替 , 九州内 も C59 であったが , 石炭事情の好転から全体に牽引力の向上 が図られることになって , 翌 32 年春からは定数 36 から 42 へと アップ , < あさかぜ > には広島回転車 2 両が増結されている . この年 10 月から < さちかぜ > は定期化されて長崎へ進出した が , 鳥栖以西は C59 が入線できないため , 博多ー長崎間は C 57 に白羽の矢が立った・ 33 年 10 月 , < あさかぜ > は新製の 20 系客車に置き換えられ 電源車マニ 20 をふくむ 13 両編成 ( 換算 40.5 両 ) となった・ E F58 の守備範囲は電化の完成した姫路まで伸び , 姫路ー広島 ・広島一下関間は C62 , 下関ー門司間は E F10 , 門司ー博多 間は C59 で牽引した . 当時 , 、動くホテル ' と絶賛をあびた 20 系も , 走行性能は一 般客車と大差なく , 空気パネっき T R55 系台車により乗り心 地は改善されたものの , プレーキシステムはほば従来どおり で , 最高速度も 95km/h であった . 電源車での集中給電方式の 採用と , 固定編成化により , 機関車は S G ( 列車暖房用蒸気 発生装置 ) 搭載車である必要はなくなったが , 高速性能と近 代的スタイル , 配置状況の点で EF58 に代わるものはなく , 塗色を客車と同じプルー ( 車体スソにクリームを配した塗分 けで、現在のカラーとは異なる ) とし , 客車乗務員との連絡 用電話と電話ジャックをとりつけた九州特急専用機を指定 , 原則的には限定の運用としていた . 35 年 7 月 , 東京ー鹿児島間の特急くはやぶさ > を 20 系化す るにあたり , 新型電源車カニ 22 を製作 , しだいに伸びる直流 電化区間ではパンタグラフ集電により電動発電機を駆動し , 従米の全区間ディーゼル発電の不合理を改めることにした . 実際には電化区間の比率 , 荷物輸送との関連で < さくら > に 連結されることになったが , このカニ 22 では近い将米の電源 無人運転にそなえて , 異常時のパンタグラフ非常下げ , およ び電源装置の起動・停止をはじめとする制御操作を機関車の 運転台からも行なえるようになっており , これにあわせて E F58 の一部にこれらの制御機器と電気連結器が取りつけられ た . このため , 少なくとも < さくら > の牽引には , これらの 装備を施した EF58 が最優先で使用されることになった・ もともと機関車の運用は , それぞれの機関車の用途にあっ た , その機関車の性能をフルに発揮できる最も合理的な運用 であることが望ましいのは , いうまでもない . E F 58 はその 製作時期や SG 搭載ということからも , この種の特急牽引仕 業には必すしも適任ではなく , 九州特急の需要が高まるにつ れて , 新しい高性能機関車の投入が待たれるようになった・ 一方 , 電気機関車と蒸気機関車の付替え駅は , 電化の進展 にともなって 35 年に岡山 , 37 年広島と , しだいに西へ移って ゆき , E L の特長を生かしたロングラン運用となった . 36 年 には鹿児島本線・門司港ー久留米間の交流電化が完成 , 門司 構内の交流化によって , 関門のヌシは EF30 にかわり , 37 年 に ED73 が落成すると門司ー鳥栖間の C59 ・ C61 はこれと置 つい き換えられた . ED73 は旅客用の ED72 と対をなす貨物用機 で , 軸重切替え式中間台車と s G っきの高価な ED72 の製作 両数をおさえ , 20 系の固定編成を生かして貨物列車との共通 運用が図られたが , 特急用機関車運用に新しい方式がスター トした点で画期的なものといえる・ 新系列機関車の登場 九州内で電機牽引が始まって約 1 年後の 38 年暮れには , 東海 道・山陽本線の直流区間にも新しい牽引機が登場した . 九州 特急もくさくら > < みずほ > < はやぶさ > くあさかぜ > の 4 列車がそろい , 急増した需要に応えるため , 年末年始の多客 期に先がけて 12 月 20 日から 20 系の 15 両化が実施された . 増結 にあたり , 瀬野一八本松間は EF58 牽引の上り列車では補機 の連結を必要とするため , 新系列の EF60 の起用となった・ EF60 は , DE タイプ交流機 , あるいは ED60 などで好成 績を得ていた高速電動機 , ニヤ制御方式 , 再粘着性能の 強化など , 新機軸をもりこんで製作された貨物用機である . F 形ながら EHIO に匹敵する出力・性能を誇るが , 特急牽引 のために連絡用電話と電源車パンタの非常下げスイッチを付 加した特急用 500 番台が別に製作され , EF58 にかわって東 京ー広島間の全特急を受け持っことになった . このグループ は塗色が 20 系客車にあわせて青 15 号に変更され , 側面には 2 本のクリーム色帯が入った・運転上の性能は他の EF60 と同 ーであり , 特急牽引の間合いに貨物列車牽引の運用も可能で あったが , 両数を最少限とし , 特急牽引機としての効率を高 めるため限定運用のかたちがとられていた . 新幹線開業の 39 年 10 月 , 西と北へ 2 系統のプルー ンが新設された . ーっはく富士 > で , くみすほ〉の大分編成を分離 した形で東京ー大分間に運転開始 . もうーっはくはくつる > で , 上野ー青森間の急行く北上〉を格上げして東北本線初の寝 台特急としてスタートしている . 山陽本線は全線の電化が完 成して九州特急はすべて東京ー下関間が EF60 のロングラン となり , く富士 > の門司ー大分間では < みずほ > に続いて D

2. 鉄道ジャーナル 1976年7月号

こ 6 ~ 7 年ですっかり大衆化しましたね . 最近は観光旅行 の若い娘さんたちがジーパン姿でよく乗ってこられます . そ の点 , 車内に華やかな色どりができて結構なのですが , とき かっーぞ にはなまめかしいネグリジェで通路を闊歩されまして , いさ さか面くらうこともあります . これも時代の移り変わりなん でしようね」 昭和 16 年 ( 1941 ) から 35 年間も乗務しているというへッド 車掌補の北村さんは感慨ぶかげに語っていた . 2 号車の車掌室では , 石光車掌長が車内補充券を発行して . ほとんどが入場券で乗車してきた客のキップである東 「このところ車内発行のキップがグンと減ってきました . 以 の発行だという . 京一下関間の復割乗車券などが目についた . 全部で 7 ~ 8 枚 前はひと列車で 30 件から 40 件もあったのが , いまは多客期で もせいぜい 20 件ぐらいでしよう・それだけ がふえ , キップが求めやすくなったということでしようね・ ・みどりの窓口 ' て 59 両が新製されている・ 改造を行なって 500 番台の車号となった・ 33 年から 45 年にかけ 専務車掌室っきで新製 , 以前の車両も 45 年に専務車掌室取付け 2 段・ 14 区画があり , 定員は 28 名・ 38 年以降製造の 100 番台は 全室がプルマンタイプの開放寝室で , 中央通路をはさんで上下 ・ 0 ナロネ 21 形式 ( 3 号車 ) て地味で , 一般の人にはほとんど知られていないが , 荷物車 積み卸しにあたっている . この荷扱専務車掌の仕事はいたっ る . そこには荷扱専務車掌が乗務し , 駅に着くたびに荷物の ( 新聞・テレビ用 ) などの急送品や貴重品が積み込まれてい 連結されており , その荷物室には東京から新聞・証券・原稿 1 号車の前部に , カニという記号の荷物室っき電源車が もちろんドアの開閉はない . 京都の運転停車は、荷扱 ' のため で , 京都は 3 分 , 大阪は 4 分の停車 . 客扱いはしないので , この両駅とも実際は停車なのだ . いわゆる・運転停車 ' の扱い 機関車乗務員交替は ? とふしぎに思われるだろうが , じつは 阪の両駅は「通過」のしるしがついている . では , 大阪での ところで , 時刻表を見ると , < あさかぜ 1 号 > は京都・大 の機関車乗務員たちによってパトンタッチされてゆく . 機関区の担当 . < あさかぜ 1 号 > の始発から終着まで , 9 人 門司ー博多 ( 正確には博多から客車回送で竹下まで ) は鳥栖 ー広島と広島一下関は広島運転所 , 下関ー門司は門司機関区 , ー大阪は梅小路機関区 , 大阪ー岡山は姫路第二機関区 , 岡山 ら名古屋までは浜松機関区の機関車乗務員が担当し , 名古屋 ンドルを握る機関士は出発いらい 3 人目というわけ . 浜松か すでに熱海で一度交替しているので , 、こから名古屋までハ 浜松到着 21 時 45 分 , 2 分停車 . 機関士と機関助士が交替する . 9 人の機関士がパトンタッチ ☆眠りと歓楽を乗せて・☆ うから , いわゆる乗車券だけの発行ですむということだ・ 客 . しかし , 特急・寝台券だけはあらかじめ求めているとい 稲垣専務車掌の発行も 10 件たらずで , ほとんどが入場券の ができますからね」 おかげで手間がはぶけて助かります . そのぶん , ほかの仕事

3. 鉄道ジャーナル 1976年7月号

マシ 35 形の食堂内部と外観 写真 ; 国鉄・車両設計事務所 デピューは異常すくめであり , 新しい時代が到来しつつある ぶ代表列車であった急行く筑紫〉の 24 時間 56 分 ( 表定速度 48.1 ことを感じさせたものであった . km/h) を一挙に 7 時間 31 分もちぢめ , 新特急にふさわしい駿 ・牽引機は E F 58 ・ C 59 ・ E F 1 0 のトリオに 足ぶりであった . 特急にはその時代を代表する急客用大型機関車が選ばれるの 牽引機は東京ー京都が E F58 ( 東京機関区 ) で通客甲 B 速 が通例である . 昭和 31 年当時は幹線の主要旅客列車はすべて 度・定数 55 ( 牽引重量 550 t まで ) , 京都以西は蒸機牽引とな 客車列車であり , 東海道・山陽すじの旅客列車の新鋭主力機 り京都ー下関・門司ー博多が C59 ( 前者は下り = 広島第一機 は電化区間が EF58 , 未電化区間が C62 と C59. このときま 関区 / 上り = 下関機関区 , 後者は門司港機関区 ) で通客甲 A でくつばめ〉くはと > は E F 58 と C 62 が牽引しており , 新特 速度・定数 40 ( 400 t ) , 下関ー門司が E F10 ( 門司機関区 ) 急も同じコンピかと思われたが , 山陽路の牽引機にはべテラ で停客乙 B 速度・定数 40 ( 400t ) と定められたが , 東京ー京 ン C 59 が登場することになった . 都 , 京都ー博多はそれぞれくつばめ〉くはと > ・くかもめ〉と くあさかぜ > のダイヤは東京ー博多 17 時間 25 分運転で , 東 機関車の顔ぶれ , 速度・定数は同じであり , すべて先輩特急 海道特急 ( つばめ・はと ) と山陽特急 ( かもめ ) の所要時分 の実績を流用したもの . 牽引定数が最小値の 40 に押えられる を単純にプラスしたかたち . 途中停車駅は上下とも横浜・熱 ため編成は 400 t が限度だが , 10 両編成の半分を登場したば 海・静岡・名古屋・京都。大阪・神戸・姫路・岡山・福山・ かりの軽量客車にしたおかげで総重量は 360t しかなく , 1 両 広島・徳山・小郡・下関・門司の 15 駅 . 駅間平均 73. m で , 増結の余地を残した余裕ある設定であった . しかし上り列車 下関・門司の機関車付替えを含む 2 駅連続停車があることを の合は , 瀬野一八本松の急勾配を登りきるためにくかもめ〉 考えると , いちおう特急らしい停車駅の設定といえる . ただ と同じく広島で D52 を後部補機につけ , 八本松で運転中に切 上下とも京都・大阪・神戸・姫路の 4 駅は深夜の着発で , は り離す方法がとられた . たして停車させる必要があったのか今から考えると疑間もあ 門司ー博多の牽引機に選ばれた C59 は , その年の夏 , 初の るが , 夜行特急そのものが営業的に成り立っかどうか危ぶま 九州入りをしたばかり . 当時の九州は一部のローカル線に新 れた当時としては , 停車させるほうがむしろ常識であったと しい液体式ディーゼル動車が活躍をはじめていたが , 関門ト いえるだろう . 全区間の表定速度は 68.8km / h で , 改正くつば ンネルの門司側を除いて電化区間はなく , 幹線からローカル め > くはと〉の 74.3km / h より劣るが , 電気牽引区間の延伸と 線まですべて蒸気機関車の天下であった . 全般に線路規格が 山陽・鹿児島本線内のスピードアップにより戦前の特急く燕 > 低 ' く , 幹線でも乙線が最高であり , 輸送量もさほど大きくな のスヒ。ードに匹敵する高速列車で , これまで東京ー博多を結 かったことから , 戦前はもちろん戦後も C 59 ・ C 62 ・ D 52 な 60

4. 鉄道ジャーナル 1976年7月号

い第多ー第京、 いよいよ交流機 ED73 の登場だ 門司で機関車がまた変わる < 下関→博多→東京→。、、 下関と一巡 4 日の < あ さかぜ > 乗務行路を終 えた客室乗務員は所属 車掌区のある下関で下 車し新しいメンパー に交替する . ョロシ おっかれさ 張りのある下村車掌長 のアナウンスがさっそ く車内に響きわたる 門司から折尾へかけての北九州では西鉄北九州線の電車が時おり車窓をかすめる 食堂車は長距離特急には欠かせないサービスだ 車の時点でマルになり , その後すっと定時運転できました . 給水は所定どおりに岡山と広島で完了しました . 現在 , 欠水 車両はありません . それから , 浜松ー広島間 , 広島公安室の 警乗員が乗りましたが , 異常はありませんでした」 短い停車時分にすませる引継ぎだけに , 列車編成表を片手 にテキパキと進められる . 「おっかれさま , ゆっくり休んでください」 最後部 14 号車の車掌室では稲垣専務車掌が吉田茂尊専務車 掌と交替 , またヘッドの北浦旭車掌補も迫田義男車掌補と交替 この間に最前部では機関車の付替え作業が進められていた . 門司までの関門トンネルは新鋭交直流機関車 EF81301 がひ く . ホームに立っと , 海峡を渡ってくる風が肌寒かった . ナハネフ 23 形式 ( 7 号車 ) 39 年から始まった九州特急のオール寝台車化にもとづいて製作 された切妻貫通形の寝台緩急車・ 45 年までに 20 両が新製された が , 座席の緩急車ナハフ 21 からの改造編入車 4 両も加わり , ちらは 500 番台で区別されている . 窓割りも変更されているの で見分けはつかない・定員 48 名・

5. 鉄道ジャーナル 1976年7月号

多電流式電気機関車 各国の電化が進んで , 国境まで完成すると , 国によって異な る電気方式の区間を , どのようにして直通するかが大きな問 題になってくる . また , フランス , イギリス , ルグセンプル ク , スペイン , チェコスロパキア , ューゴスラビアなどの諸 国は , 国内に 2 種類以上の電気方式を持ち , これらの区間相 互の直通運転もむずかしい . 日本でも事情は同じで , 東北本 線の黒磯 , 山陽本線の下関ー門司間などに , 交流と直流の接 続区間がある . それでは , このように異なった電気方式が接 続するところでは , どうやって直通運転をしているのであろ うか ? 大別して次の 4 方式である . 1 ・電気方式の異なる区間のあいだに短い非電化区間があっ て , 電気機関車かディーゼル機関車て連絡する方式これは 最も簡単な方式で , 日本の北陸本線・米原ー田村間で実施し ているが , 機関車を 2 回も付替えなければならないため時間 のロスが多く , 今では電車だけは交直両用電車が直通してお り , 4 の方式との併用になっている . ヨーロッパにはこの方 式のところはない・ ( 図 14 ) 2. 2 方式併設駅 ( 電流切換なし ) 異なった電気方式が接 続する駅の本線の途中にデッド・セクションを設け , 駅の真 中から半分ずっ異なった電気方式とする . ョーロッパではす でに戦前 , スイスとイタリアの国境駅キアッソ CChiasso) な どで使われている方式で , この駅に進入する列車は駅の入口 でパンタグラフを下ろし , ホームに停車する . 停車した位置 ではすでに電気方式が変わっているので , 別の機関車がきて 到着した列車の機関車をはずしてひき出し , 別の線を回って 駅の反対側 , つまりいま列車をひいて到着した機関車が自力 で走れる区間へ突放する . 貨車の入換のときのように , タグラフを下げた到着機関車を別の機関車が牽引して入換線 に入り , 今度は逆に後部からこの到着機を全速力で後押しを してから連結器をはすし , 急プレーキをかける . こうすると 推進機関車は自分の動ける電気方式の区間で止まり , 押され て連結器をはずされた到着機は惰力で , 自分の走れる駅の反 対側まで転がっていく . これも , かなり原始的な方式で , ョ ーロッパでは古い接続駅に使われているが , 日本にはない . ( 図 15 ) 3. 2 方式併設駅 ( 電流切換式 ) 接続駅の一部の架線は , 2 方式の電流のいすれも送れるようにしてあり , 一方向から 列車が到着する場合 , 駅の到着線の架線には到着する機関車 用の電気を送っておき , 列車が到着して機関車がはずされ , その機関車が引上線に入るまではそのままにしておく . い たん到着機が引上線まで入ってしまうと , 今度は到着線の架 線の電気を別の電流に切り換え , 留置線で待機していた別の 機関車が列車に連結されて発車していく . この方式は単相交 流 50Hz 電化の登場と同時に生まれた接続方式で , ョーロッ パでは 1956 年 , ルクセンプルク駅に最初に設けられた . 日本 図 図 図 図ロ 問接接続式 ディーゼル関車 運転区間 A 電化方式 ー非電化区間 2 電流方式接続駅 ( 非切換式 ) A 電化方式 ー宀 + ←ー + ・ B 電化方式 2 電流方式接続駅 ( 切換式 ) A 電化方式 + t-++++ + +-H ー B 電化方式 → + ← *-* - 両方式切線 本線接続式 A 電化方式 + + H ー + ・日電化方式 では東北本線の黒磯駅がこの方式で , 以前 , 仙山線の作並駅 でも , 使われていた . ( 図 16 ) 4. 本線の途中にデッドセクションを設け , 2 電流両用車両 て直通する方式日本は大部分がこの方式で , 運転上は最も 簡単だが , 高価な 2 方式直通車両を多数製作しなければなら ない . ( 図 17 ) ョーロッパで最も古い 2 電流接続駅は , オーストリアとイ タリアとの国境にあるプレンナー (Brenner) 駅で , 1928 年に接続設備が完成した・当時はオーストリアの単相交流 16 2 / 3Hz とイタリアの 3 相交流 3. 6kV が接続し , 駅の中央に セクションのある非切換式であったが , 現在はイタリア側が 直流 3 , 000V に変更されている . ョーロッパの 2 電流接続駅 は表 62 のとおりだが , 面白いのはフランス・イタリア国境の ペンチミリア駅で , イタリア側が直流 3 , 000V , フランス側 が交流 50Hz / 25kV で , 駅の構内だけが直流 1 , 500V になっ ている・これは , フランス側の機関車がすべて交流 50Hz / 25 kV と直流 1 , 500 V の両用機なので ( フランスのマルセーユ から北は直流 1 , 500V を使用しているため ) 直流 1 , 500V 区間 に自由に乗り入れられるし , イタリアの直流 3 , 000V 機関車 も電圧が半分になるだけなのでややカが弱くなるが , 運転に 支障がないため , 両国の中間をとって駅の構内だけ直流 1 , 500 V としたもの . こんな例は , ほかにはない . ただ , フランス のモダーヌ , オランダのローゼンダールの駅は直流 1 , 500V だが , 隣国のイタリア , ベルギーの直流 3 , 000V 電気機関車 127

6. 鉄道ジャーナル 1976年7月号

' 申田方から < あさかぜ 1 号 > が静かに入線してくると 13 番線ホームはにわかにざわめき長い夜の旅の序曲がはじまる ( K ) ムいホームの両側に先発の < 出雲 > と 5 分後に発車する < あさかぜ 1 号 > が仲よく並ぶ旅情あふれるひとときである E F 65529 はコックさんが , 丹念にフライバンや流しをみがきあげてい カニ 2111 る . きよう 4 月 9 日の下り < あさかぜ 1 号 > の編成は左表の 1 号車 ナロネ 22102 2 ナロネ 22154 とおり . 3 ナロネ 21551 回送で東京駅に向かうときは 14 号車が先頭だが , 東京から 4 ッ ナハネ 20508 5 ッ ナハネ 201 はその逆になる・現車 15 両 , 換算 47.0. 機関車は東京機関区 6 ナシ 2020 所属の EF65529. この機関車は下関まで通しでロングラン ナハネフ 238 8 ナハネ 2063 する . 9 ナハネ 20311 17 時 28 分 , 回送列車は東京駅へ向かって発車した . 東京で 10 ナハネ 208 11 ッ ナハネ 2014 は 11 番線にいったん停車し , すぐに神田方の側線に引き上げ 12 ナハネ 20507 13 られる . そして機関車を有楽町方につけかえると , 18 時 09 分 , ナハネ 20312 14 ナハネフ 2214 13 番線ホームに入った . 隣の 12 番線には , 特急 < 出雲 > 2001 列車が入っている . プルー トレインがホームをはさんで 2 個編成ならんでいる光景は , なんとなくどっしりとした風格 を感じさせ , いかにも長距離列車の始発駅らしいムードだ . ☆ ' 星の寝台特急 ' の門出☆ 看板列車に乗務する誇と自信 ホームには , あわただしさがただよっていた . ビーンと張り つめた緊張感が , 肌に感じられる . 長距離列車ホーム独特の 小気味よい雰囲気だ . 列車に乗り込む人 , 見送る人 , ホーム のそこかしこでは , めまぐるしい動きが絶えす渦を巻いてい るのだが , ふしぎとそこに , 言うにいわれない安らぎのよう 1 1 物”第りは ー 3 ー 2

7. 鉄道ジャーナル 1976年7月号

r ラン ED731000 に 九た下り < あさかぜ > は北九州の朝風を て小倉へ迫る (K) の西のターミナル 訳は九州の表玄関 間 28 分の旅は終わっ ホームには昔なっ い赤帽さんの姿も・ 小倉に着いた . 例の転任の親子づれが降りて行った・ホーム , , こでも歓迎の人波が拍手で出迎えている・昨夜 に立っと はぐっすり眠れたのだろう . 子供たちの顔も , すっきりして 朝食をとりに食堂車に行く・おどろいたことに , 従業員の ーもガラリと変わっている . やはり下関で交替したと メンノく のこと . 客の姿はまったくなく , 白い調理服のコックさんも テープルにもたれ , ばんやりと外の景色をながめていた . 後日 , 日本食堂下関営業所にこの日の営業実績についてた すねてみたところ , 売上げは東京ー下関間で 20 万 9 , 240 円だ ったという . どんな料理に人気があるのだろう ? ノ、ムサラ ダ ( 400 円 ) を注文した人が 31 人 . 幕の内 ( 650 円 ) 21 人 . ポ ーグカツレッランチ ( 650 円 ) 12 人 . ェビフライ ( 650 円 ) 12 人 . 朝定食は洋食 ( 600 円 ) 52 人 . 和食 ( 600 円 ) 40 人 . アルコール類は , 特級酒 ( 335 円 ) 13 本 . 1 級酒 ( 260 円 ) 5 本 , ビール大 ( 335 円 ) 86 本 , ビール小 ( 220 円 ) 5 本 , ウ ナハネフ 22 形式 ( 14 号車 ) ナハネフ 23 とおなじく 39 年から製造された丸妻非貫通の寝台緩 急車・ 500 番台はナハフ 20 の改造車で , 43 年と 46 年に全部で 5 両が編入されている・最後部の半室は展望車として乗客が自由 に出入りできる・定員 48 名・ ☆はるかなる旅の果て☆ 『博多においてなざした』 門司でまた機関車が交換 . ギンギラギンの銀色機関車から真 赤な ED731016 へ . 関門トンネルを介して直流 1 , 500V から 交流 20 , OOOV へ電気方式が変わるため , あわただしい . 寝台車のほうは広島を出てから下関まで客は減る一方だ たが , 門司を出ると , またいくぶんふえてきた感し下村車 掌長にたすねると , 下関と門司から 30 名ばかりの乗車客があ ったそうだ . もちろん , 終点の博多までの客である . この区 間は特定区間に指定されているので , 特急券も特急料金 600 円ナリ . すぐあとに特別快速の荒木ゆき電車が追っており , 博多到着も 12 分のちがいなのに , わざわざ 600 円の特急列車 に乗る人もいるのた・常連らしく , 乗り込むとすぐ , あいて いる寝台にゴロリと横になり , 悠々と新聞を続みはじめた・ 博多までわすか 1 時間の、寝台車の旅 ' である . 考えてみる と , タグシーにちょっと乗っても千円札が飛ぶ今日 , この 600 円はさほど高いとは思えない .

8. 鉄道ジャーナル 1976年7月号

ロッ / の金失道と歹リ車の方代 ( 28 ) ヨ 山之内秀一郎 写真は筆者彡または提供 電気機関車⑦ 第 03 卩ト △ヨーロッパで最強力を誇る スイス国鉄の日 e % 形機関車 フランス国鉄の 2 電流式機関車 BB20200 形 ( 写真 ;LA VIE DU RAIL) ン彡望 くフランス国鉄の高速強力・交直流機関車 BB25200 形 ( 写真 ; LA VIE DU 日 A に )

9. 鉄道ジャーナル 1976年7月号

EF65 の投入については , 20 系客車のプレーキの AREB 化 改造にともない , 電空帰還器の取付け , 元空気溜圧力の増圧 ( 9 kg/cm2 化 ) , 元空気溜管の引通し , プレーキの電気指令用 電気回路 , 高速域で増圧回路を ON とする速度検出装置 , 停 電時も電気指令を可能とする蓄電池の搭載などの装備を持ち あわせて連絡用電話 , 電源車パンタの非常下げスイッチおよ びこれの電気連絡器 ( 後期の増備車には電源車パンタ用スイ ッチはない ) を取りつけた 500 番台を製作した . このタイプ は 40 年夏に落成 , 東北本線や山陽本線で試運転・性能試験が 行なわれ , 8 月 25 日には < 富士 > を牽引してその性能が確認 されている . 40 年 10 月からは , 九州特急の全列車が EF60 か らこれに置き換えられ , 43 年に予定された 110km / h 運転にそ なえることになった . 8 形 ( 直流機 ) は < あさかぜ > 20 系化のとき東京ー姫路間を牽引した ' プルー この種の改造は , CLE プレーキを採用し , 電磁および元 ー機 ' 第一号その後 EF60500 にパトンを渡して一時は消えたが 47 年に復活 現在は 予・いなば > く北陸 > など一部のプルー・トレインを直流区間で牽引している 空気溜管引通しを併用した 10000 系高速貨車による特急貨物 ( 上野で ) ' 75 ー 4 カメラ :RGG 列車増発とのからみで , ED75 ( 東北 ) ・ ED73 ( 九州 ) EF70 ( 北陸 ) にもおよび , いすれも高速用として 1000 番台 の車号があたえられていた . 20 系客車の AREB プレーキ化 改造は 43 年春までに全車について完了し , 試験・訓練ののち いよいよ 10 月からスビードアップが図られることになって , 東海道・山陽本線は E F65 , 鹿児島本線は E D73 , 常磐線・ 東北本線は ED75 , 北陸本線は E F70 によって , 100 / h ま たは 110 / h 運転を実施した . この高速用装備は従来の 95km / h を超える速度で運伝するた めのもので , 95km / h あるいはそれ以下を最高速度とする場合 は関係がない・しかし , 20 系では元空気溜管の引通しを機会 に , これまでプレーキ管によっていた給水用五道コッグ・台 車空気パネなどへの圧力空気補給を元空気溜管を通して行な うよう改めたため , 20 系客車の牽引機は速度の高低によらず 少なくとも元空気溜管引通しのできる機関車に限定されるこ とになり , 上記以外の線区でも所要の機関車については改造 がほどこされている . 機関車運用と効果 こうした機関車の限定運用は , 特急列車の運転回数が少ない 区間では不経済なものになりやすく , 長いローテーションの あいだにわずかに存在する特急仕業のために , 改造が必要と なる . これをできるだけ合理的な運用とするために , 特急仕 業を行なう機関区の集約化や , 特急牽引だけのローテーショ ンとすることなど , 効率の向上が図られている . 51 年 4 月現 在 , 20 系特急を受け持っ機関区・運転所は青森・秋田・福島 ・宇都宮・田端・長岡・東京・富山第 2 ・米原・広島・門司 の 11 ヵ所 ( ほかに補機 EF16 の水上 ) だけで , EF65 ・ ED 75 ・ E D 73 などがその任についている . E F58 は , 九州特急用として最高速度・牽引力の点で一度 は見はなされたものの , 47 年以降 , フレートライナー増発 , 夜行規格ダイヤ化のために , 一部区間で最高速度を 100km/h 73 8 1 を 5 形 ( 交流機 ) は東北特急 < はくつる > の仙台ー盛岡間の牽引機として登場した . 現在 0 番台が東北本線・常磐線 78 番台が奥羽本線のプルー・トレインを牽引している ( 東北本線・浅虫ー西平内で ) ' 73 ー 1 カメラ ; RGG , 1 形 ( 交流機 ) は ED78 形とともに急勾配の連続する奥羽本線・福島一山形間の専用機 . 出で < あけばの > ( 1 ・ 2 号 ) を牽引している・写真は一般列車を牽引中のもの ( 関根ー大沢で ) ' 74 ー 10 カメラ ; RGG 'EF 1 0 第

10. 鉄道ジャーナル 1976年7月号

表 65 西ドイツの複電流式機関車 交流 16 % Hz / 15kV 交流 50Hz / 25kV 表 66 ベルギーの複電流式機関車 式 ( 旧 ) 式 ( 新 ) 配置 長 ( m ) 重 ( t ) 出力 ( PS ) 自 全 軸 形 形 イギリス 西ドイツ フランス 国 製造年 製造所 両数 (km/h) 最高速度 スウェーデン スイス イタリア 27.8 34.6 18.0 12.8 29.8 31.0 30.2 33.6 48.3 56.2 58.2 35.8 68.2 64.5 69.6 70.0 電気方式 E310 181 BoBo 17.0 4 , 320 D m 4 1968 クノレップ A E G 29 150 R e6 / 6 Re4/411 E 666 E 444 87000 103 CC40100 C C 6500 形式 181.200 BoBo 17.9 82.5 4 , 000 160 1974 E 320.01 182 .001 BoBo 16.4 82 3 , 680 120 1 1960 E320.11 182.011 BoBo 16.4 3 , 320 120 1 B B C E320.21 182.021 BoBo 16.4 84 3 , 400 120 1 S S W 1 A E G クラウス・マッフ 1 ・イ E344 183 BoBo 16.4 3 , 200 100 表 67 ョーロッパの代表電気機関車 である . このほか , 形式 軸配置 全長 ( m ) 自重 ( t ) 出力 (PS) 最高速度 (km/h) 両数 製造所 製造年 注 150 BoBo 17.8 3 , 600 150 5 B N 3 電流式 1962 A C E C 160 BoBo 15.5 3 , 780 160 8 4 電流式 1966 A C E C B N 180 C C 22.1 114 5 , 800 180 6 1973 A T B N - 、ンシェ′レクラウス・マッファイ 1960 1960 1962 出力 / 重量 (PS/t) 軸配置 C ・ C ・ C ・ C' CGC6 BGB6 BoBo CoCo BGBG BGBGB6 1 ' Do 十 Do 十 D01 BoBo 出力 (PS) 9 , 750 10 , 600 6 , 320 8 , 400 5 , 660 5 , 080 9 , 400 6 , 000 8 , 000 4 , 900 自重 (t) 115 118 114 80 273 120 80 115 1 軸当リ 出力 ( P S ) 1 , 230 810 1 , 770 1 , 580 1 , 400 1 , 420 1 , 270 1 , 570 1 , 000 1 , 330 70 64 70 88 36 表 68 電気機関車性能の変遷 1879 1899 1904 1914 1920 1923 1925 1926 1927 1929 1935 1935 1939 1944 1944 1952 1953 1956 1957 1960 1962 1963 1964 1965 1967 四 68 1972 1973 1974 年 130 国 スイス ドイツ スイス ソ 連 イギリス スイス フランス イタリア スウェーデン ドイツ フランス スイス スウェーデン オーストリア スウェーデン イギリス フランス イタリア スウェーデン フランス スイス スウェーデン スイス ドイツ スイス フランス イタリア ドイツ フランス スイス イタリア 形式 シーメンス 試作機 Ce4/4 E S 9 B e5 / 7 E330 Ae3/6 1 E 4000 E 500 E16 E 626 262A E Ae8 / 14 E18 A e8 / 14 Ae4/4 CC7100 R a E646 E10 B B 9200 E 3001 R b 1042 D m 4 Re4/411 CC40100 E03 R c E444 C C6500 R e6 / 6 87000 Chs200 軸 配置 1 ℃ 1 ' B ・ B ・ 出力 (PS) 2 , 500 1 , 770 350 150 10 , 700 5 , 080 10 , 600 8 , 000 4 , 560 4 , 900 8 , 560 6 , 000 5 , 450 9 , 750 5 , 330 4 , 3 3 , 300 5 , 570 4 , 930 5 , 320 3 , 6 5 , 050 4 , 400 3 , 6 11 , 4 4 , 050 8 , 250 5 , 340 2 , 800 3 , 440 3 , 600 920 1 , 650 2 , 600 自重 1 軸当り出力 / 重量最高速度 (PS/t) 1 ・ EI ・ 1 ℃ 1 ・ 2 ℃。 1 B 田 3 2 ・ D2 ・ 1 ・ D01 ' B 田 0 2CC2 1 ・ Bo 1 Bo 1 十 1 ・ Bo 1 Bo 1 ・ 1 ・ Do 1 ・ Bo 1 BO 1 十 1 ・ Bo 1 Bo 1 CoCo B3B8 C ℃ 3 BGBG B 田田 B 田 B ・ B ・ B 田 6 B 田 BoBo B 田十 B 田 3 B 田 3 B 田田 CC BoBo B 田 3 C ℃ CC B 田 5 1D0 十 Do 十 D01 (t) 39.9 90 84 30 153 80 120 115 112 118 80 273 83 80 110 107 102 236 109 244 159 111 121 192 出力 ( PS ) 500 590 88 1 , 340 1 , 270 1 , 770 1 , 330 1 , 140 1 , 230 1 , 430 1 , 000 1 , 360 810 1 , 330 1 , 090 830 1 , 390 1 , 230 890 900 840 1 , 100 600 1 , 430 1 , 010 1 , 030 890 467 860 9 230 550 870 33.8 37.1 35.4 55.0 47.2 47.9 58.0 68.0 41 . 5 64.3 50.8 76.5 58.5 88.4 63.7 (km/h) 13 36 60 110 75 200 160 140 220 180 135 200 220 140 130 120 160 160 150 145 150 150 120 80 100 150 100 130 120 120 120 100 100 4 , 320 150 5 A E G クノレップ 1965 最高速度 (km/h) 220 220 200 160 4 電流式 E410 184 BoBo 17.0 84 75 140 140 200 200 後の E01 べチンゲン 1 号機 機関車 スイス最初の 気機関車 世界最初の電 注 135 試作機 試作機 試作機 改良形 関車 ゴタルに機 機関車 モーリアンヌ 後の 2 D2 ー 5500 後の BB1600 3 相交流機 チェコには B 0 B 0 形の直 流 3 , 000V ・交流 50H z/25kV 両用機 4 電流式機関車 Ee 3 / 3 Ⅳ形 10 両があ 用の 2 電流式機関車 Ee 3 / 3 Ⅱ形 6 両 ビン機関車改造の Ae4/6 Ⅲ形と入換 があり , スイスには前述したガスター 160 km/h) 499 形 ( 5200PS , 87t , これまで紹介したように , ヨーロッパ ヨーロッパの代表機関車 区間を直通できるようになっている . インの機関車の一部も異なった電圧の 機関車である . また , イギリス , スペ り , オーストリアの 1050 形も 2 電流式 である . 20 世紀の初期に比べると , 機 て各時代の代表機をまとめたのが表 68 次に , これを歴史的にふり返ってみ 両である . っても , 機関車技術の最高峯をゆく車 で , 1 軸当り出力 , 重量当り出力をと ると , 最強力機はスイスの Re 6 / 6 形 ド機関車 Ae 8 / 4 形 11852 号を別にす であり , 超大型で 1 両しかないゴタル イタリアの E444 形と計画中の E666 形 イツの 103 形 , フランスの CC6500 形 , したものだが , 高速機の代表機は西ド ッパの代表機と思われる機関車を紹介 ノく口メーターになる . 表 67 は , ョーロ 重量当りの出力などが , 機関車技術の ろう . 同時に , 動軸 1 軸当りの出力 , 力が大きいこと , 速度が高いことであ 機関車の性能の代表的なものは , 出 だろうか ョーロッパの代表的電気機関車はどれ な機関車を製作してきた . それでは , 各国は技術を競い合いながらいろいろ