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検索対象: 鉄道ジャーナル 1976年9月号
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1. 鉄道ジャーナル 1976年9月号

く天王寺の停車時間は 50 分以上通路側は長距離ホー ムだが寝台側は国電ホームなので寝るに寝られす・・ 夜明け前の紀伊勝浦のホーム 大漁を期待して釣師は海に向かう 天王寺の夜・・・ 21 時 48 分 3 分遅れで環状線からの急勾配をのは、ってく南 . 残業疲れのやつれ顔 大阪ミナミ 一杯機嫌の赤ら顔いろいろな顔がつぎ 紀〉は入線した . 発車まで 52 分間の停車である . 波はまだ つぎと改札口を通り抜けて こ阪和線のホームに流れこ ないでいないようだ . 長い停車時間中に前部のスュニ 61 んでくる . 1 1 3 号車には新聞がつぎつぎに放りこまれてゆく . 南紀の 駅とは人間社会の縮図とはよくいったものまさにその 各都市町や村の明日の朝刊として大切な情報源の新聞 とおりである . 人の流れはどんどん入っては発車してゆく はいま積込みが終了した . 発車まであと 10 分 . 通勤電車に吸いこまれ波のようだ . 波を見ている私は 客車のほうでは座席はほば満員寝台車はマバラな利用 平日だというのに出漁する釣師に混しって 2 番ホームに 者が通路にべッドに好き勝手な姿勢で発車を待って たたすんでいる . 普通客車 924 レく南紀 > 号に乗車するため いる . これから名古屋まで 502.1 km ・ 14 時間 28 分の旅と である . ははど遠い・生活 ' が始まるのだ には旅立ちの魅力がある一というの べく通勤電車がパンタグラフを降ろしていた 長距離ドン行 はウソだ . 全区間を通して乗車する 阪和間無停車のく南紀 > は同区間の快速列車の性格も 今の私にはそんなロマンチックな心情は一かけらもない . かねそなえている . 和歌山ではいく人もが下車し家路に く南紀〉という愛称を持ち ニ急行なみの編成こそ立 向かっていった . 先頭部では E F 5866 号機が切り離され 派だがその底には普通列車・ドン行といういたって庶 和歌山市発のオハフ 3310 号車を従えた DF5030 号機が連結 民的な列車ということは避けられそうにない . 特急や急行 され紀州路近しの感が盛りあがってきた . 小駅を通過し などのお客さんとは趣が異なっているからだろうか . ながら闇を突き進むく南紀 > は螢光灯の帯を陸と海の境 定刻の 22 時 40 分く南紀〉は名古屋めざして天王寺をあ に身をくねらせながら夜明けに向かってひた走った . 朝 とにした . 国電区間の阪和線の駅々を通過し列車は快走 やけが海面に映え始しめたのは釣師たちが去った紀伊勝浦 してゆく . 国電の折返し駅ごとに明朝の始発電車となる よりも先の那智の付近だった . く和歌山着 23 時 30 分機 関車は竜華区の E F5866 から亀山区の D F 5030 に 第物・ 暁の紀州路の海夜行 列車だけが味わえる特権 樹カイ ( 那智で )

2. 鉄道ジャーナル 1976年9月号

生きている長距離普通列車 編 集 部 ま宿一 ご一に 07532 要、 ED75 が 15 両の客車をひく原ノ町発青森ゆき 233 レ ( 東北本線・岩沼で ) ' 74 ー 7 (Y) 暁の海岸線を , 昼下がりのスイッチパックを , 黄昏の田園地 もちろん荷物が最優先というのではなく , 乗客の乗車する車 帯を , 深夜のメインルートを , 今日も長距離普通列車は走っ 両も連結されており , 地方交通に貢献している・この乗客の 利用区間は , 狭い範囲での経済圏とほば一致しており , 利用 てゆく . 一時代前に比べると運転本数は削減され , 運転区間も短縮 客の大半は通勤や通学客 , つまり定期券利用者が大勢を占め されたものの , 全国にはまだ多くの長距離普通列車が生きっ ている・一部では観光用に使用される例もあるが , 休日や休 づけている・この長距離普通列車とはいったいどのような列 日の前日が主で , 平日はもつばら通勤・通学などの区間利用 車なのだろうか・その名のとおり , 長距離を走る普通列車で 者のための列車といえよう・ あるのは当然だが , 優等列車の数多く走る現在 , 長距離を通 最近 , 長距離普通列車に乗ることをすすめる旅行雑誌の記 して乗車する人は , ファン以外はあまりないであろう・ 事もみられるが , はたして長距離普通列車に乗る人が何人い かりに A という都市と B という都市が 300km 離れていると るだろう・たとえいたとしても , 旅先から次の目的地までし しよう・特急だと 4 時間 , 長距離普通列車だと 10 時間の所要 か利用しないだろう・ 時間となるが , 特急料金 1 , 400 円と 6 時間という時間差の優 一方 , 長距離普通列車としては異色の , 夜行列車の場合に 先度の比較ということになる・ 1 時間当り 233 円 33 銭 , 特急 なると事情が少し異なってくる・夜行であるために小駅を通 のほうが高いという単純計算になるが , 過し , 快速列車として運転されるものも多く , 区間利用者よ この金額が大きな問 題となってくるだろう . つまり , ビジネスマンには時間当り りも大都市間利用者の数が多い・そのなかに混じって区間利 の労働生産性が大きな問題だということである・時間と金額 用者も乗車し , 車内の雰囲気も少しちがった感じを与えてい てんびん の天秤は , 必然的に時間のほうが下がってくるのである・ る・だが , 夜が明けてふたたび昼行列車になると , 区間利用 しかし , 長距離普通列車は走っているのである・なんのた 者の多い , あの長距離普通列車となってしまうのである . めか . そのひとつに郵便や手小荷物の輸送がとりあげられる . 生活の糧を得るため , 生活の糧を運ぶため , 情報を各地に 小駅での荷扱いのため , 各町村への新聞輸送のため , とくに 配るため , 雨の日も風の日も , 同じ区間を毎日同じ時間に , 情報輸送に長距離普通列車は有効に利用されているのである . 今日も , 明日も , 長距離ドン行列車は走りつづけているのだ・ 23

3. 鉄道ジャーナル 1976年9月号

北陸本線 525 列車 乗車実績 図 2 -1 140 1 2 0 効 60 40 2 0 表 2 50 年 3 月時刻改正の規模 一日当リ上下一 列 車キロ 列車本 正 増 減 現 行 改 現行 改正 増減 95 , 129 32 , 648 新ひかり 2 ( ) 62 , 481 10 ( ) 12 ( ) 59 , 444 3 , 749 幹こだま 3 55 , 695 135 138 36 , 397 線計 Ⅱ 8 , 176 154 , 573 258 23 235 特急 200 , 319 196 , 154 △ 4 コ 65 496 43 453 在 22 ( ) , 1 幻 △ 43 , 287 急行 △ 64 263 , 408 1 , 171 1 , 1 ( ) 7 14 , 34 1 普通 16 , 443 16 , 539 785 , ( ) 24 799 , 365 96 線 計 75 1 , 248 , 750 1 , 215 , 640 △ 33 . Ⅱ ( ) 18 , 067 18 , 142 3 .287 合計 98 1 . 366 , 926 1.37 ( ) , 幻 3 18 .302 1 & 4 ( ) 0 ロ 10 位までの列車の平均キロでみても 156km 短くなった・ ( 43 年 10 月改正後一 669 km47 年 3 月改正後一 513km ) 13 本の「長距離ドン行」のうち , 4 本の列 車について , その業績をたどってみたのが図 2 である . 北陸本線 525 列車は , 糸魚川地区での通勤 ・通学輸送のはかに , 関西地区から北陸地区 への新聞輸送の使命をもった列車であった・ 時剥 山陰本線 831 ・ 824 列車は , 図 1 ー 2 にある 829 ・ 826 列車がこの改正により , 運転区間が 変更 ( 京都ー下関から京都ー出雲市に変更 ) となったため , 山陰本線で関西と九州を結ぶ 唯一の列車となった・ 以上 , 43 年 10 月改正後および 47 年 3 月改正後 における「長距離ドン行」の足跡をたどって みたが , その果たしてきた役割と特徴を要約 すれば , 次のようになろう・ ( 1 ) 運転線区の大部分は非電化区間であり , 時亥リーー 駅龜ーー ほとんどの列車が夜行列車である・列車 によっては , 一部区間で寝台車を連結し ており , 現在にいたるまで存続している ②かっては , 長距離夜行急行列車の補完的 140 役割を果たしたが , 特急・急行列車の増 発により , 現在は昼行運転区間だけが残 80 り , 地方都市の通勤・通学輸送列車とし 60 て存続している・ 率 40 ( 3 漣転区間中 , 昼間時間帯における乗車率 20 は 30 % ~ 50 % 程度と低く , また , 始発か ら終着まで直通して乗車する旅客はきわ 日寺刻 8 9 10 Ⅱ 旧円 20 5 6 7 に 1 3 秋 東 大弘青 新新村 めてまれではあるが , 1 地区ないし 2 地 区において通勤・通学輸送という重要な 代 館前 本 田 岡田 津田上 使命をもっている・ km 増発され , 列車本数で 16 , 539 本 , 列車キロで 799 , 365 km と 「長距離ドン行 その現状と今後 なった . 16 , 539 本の普通列車のうち , 現在の「長距離ドン行」は 29 ・現状 ページの表のとおりである・ 47 年 3 月改正後の「長距離ドン 最近における全国的な時刻改正は , 50 年 3 月に実施された新 行」と比較してみると , 600 k!ll 以上の列車はなくなり , 10 位 幹線博多開業である・この時刻改正により , 西日本地区は新 までの平均距離で 20km 短くなった・ ( 47 年 3 月改正後一 513km 幹線を軸に高速列車体系が完成された・ 現在ー 493km ) 一方 , 普通列車も表 2 に示すように , 全国で 96 本一 14 , 341 50 39 40 36 28 28 25 26 9 9 8 時剥 3 4 5 6 7 8 9 10 12 1 3 14 22 23 24 1 2 Ⅱ 宿 カロ金高富糸 直 肥 長 新 敦 示 米 泊焦 津 崎 岡 津潟 井 温沢岡山川 都 原 買 阪 山陰本線 824 列車乗車実績 150 142 140 車 80 60 40 20 60 56 53 33 44 12 3 20 21 22 23 9 10 1 1 12 1 3 国 燔 1 6 1 7 1 6 19 24 5 6 7 8 鳥 城和福 門ド小 益溟 大出 松木 長東 田 = 田知 市萩 田田 市市 司関串 江子 山奇山山 取 東北本線 2 列車乗車実績 凵 6 図 2 - 2 -4 ・つ」 CO C-D -4 ・つ 0 来車効率 92 94 56 57 54 54 45 35 22 盟 13 1 6 ド 7 18 円 20 21 7 8 9 1 0 Ⅱ 郡白黒 八 - ー女子 盛花北ー小 仙 白福 戸厚 岡巻上関田 石島 山河 尸 乗車実績 羽越本線 833 列車 5 42 23 32

4. 鉄道ジャーナル 1976年9月号

・山陰地区 長距離普通列車の宝庫であり , 走行距離 300km を超える列車 が , なんと 14 本もある・門司発福知山ゆき 824 列車は , 595 ・ 1 km を 18 時間 27 分かけて走る , 日本で最長距離 , 最長時間の 普通列車である・特急の車窓からながめているだけでは単調 そのものの山陰海岸も , 各駅停車で丹念にたどってゆけば , 再発見や新発見もあって楽しい . 824 列車はそんなユニーク な旅を演出してくれる貴重な列車だ・とくに益田一浜田間の 岩におおわれた海岸の美しさや , 砂止のかなたにタ日が沈む ふぜい 風情は捨てがたい・ 山陰の長距離普通列車のもうーっの名物は , その名も < 山 陰 > とつけられた , 京都ー出雲市の 826 ・ 827 列車 . 愛称を もっていることからもわかるように , B 寝台車が 1 両連結さ れており , 全国のみどりの窓口で寝台券を買うことができる . このほか , 走行距離が 500km を超えるものに , 豊岡発門司 ゆき 831 列車と , 浜田発福知山線経由大阪ゆき 726 列車があ る・いすれも早朝から深夜まで走り続ける働きものである・ 400km 台では , 浜田発舞鶴線経由東舞鶴ゆき 544 ~ 941 列車 , 長門市発豊岡ゆき 822 列車 , 京都発浜田ゆき 835 列車 , 大阪発 福知山線経由出雲市ゆき 721 列車と , 枚挙にいとまがない・ とはいえ , 現在工事が進められている伯耆大山一出雲市間の 直流電化が完成したあかっきには , 山陰本線の秩序も大幅に 変化することが予想され , 時代ばなれした汽車旅の味を乗せ て走る , 超長距離普通列車が見られるのも , 今のうちかもし れない・ ・南紀地区 紀伊半島のフトコロは意外に深く , 全区間を走破する 921 ・ 924 列車 < 南紀 > の走行距離は , 502.1 km におよぶ . 全国でも 3 番 目の足長普通列車である・途中 3 種の機関車が登場し , 天王寺ー新 宮では B 寝台車が 2 両連結される・ 海岸へ釣りに出かける太公望たち がご常連となっている・和歌山市 発亀山ゆきの 124 列車も , わりあ い長く , 384. 2km を走る・ く天王寺発名古屋ゆき 924 レ < 南紀 > (Y) ・・米原を起点に , 2 組 4 本の長距離 普通列車がある・米原一直江津を 走る 247 ・ 242 列車が 353. 9km , 米原ー長岡を走る 522 ・ 523 列 車が 426. 9km である・表定速度は約 33km / h しかなく , < 雷 鳥 > < しらさぎ > などのエル特急をはじめ , 数多くの高速列 車が行きかう北陸ラインでは , いかにも遅い・ただし , 福井 ー富山を走る快速電車をはじめ , この区間の普通電車は意外 に速い・ 25

5. 鉄道ジャーナル 1976年9月号

3 月に開かれた市議会で承認された市電廃止の 2 年延期にと 熊本市交通局 もなう合理化計画が , 5 月 10 日の市議会で了承された . 当初 の再建計画では , 2 号線は昭和 52 年度末で , 3 号線は昭和 50 ・沿革 西南の役ゆかりの地 , 森の都ーー熊本に路面電車が登場した 年度末で廃止することになっていたが , それそれ 54 年末と 52 のは比較的遅く , 大正 13 年 8 月 1 日 , 熊本駅前一浄行寺間と 年末とに延期されたため , その間に見込まれる赤字を少しで 水道町一水前寺間のこと . その後 , 路線の延長と , 熊本電気 も減らそうと練りなおされたのが , 今回の合理化案である . 営業時間の短縮と一部路線の延長を含むもので , 5 月 20 日か 軌道などからの路線の買収とにより , 昭和 34 年には総延長 25. 2km に達し , 最盛期を迎えた・しかし , このころからご多 ら実施に移されている . 分にもれすモータリゼーションに押されはじめ , 40 年 2 月に ・運行 はついに川尻線が廃止された・これを皮切りに , 47 年までに 運転系統は , 前述のように 5 月 20 日から一部変更となった・ 2 号線は現行どおり , 健軍町一熊本駅前・田崎橋間 9.2 て 坪井線・南熊本線・黒髪線など次々と廃止され , 現在にいた あるが , 3 号線のほうは始発から午前 9 時までは上熊本駅前 っている . ー神水橋 ( 7.9 ) , 9 時以後は上熊本駅前一健軍町 ( 9. 4km) ・現況 路線は , 幹線・熊本駅前一水道町 3.3 衂水前寺線・水道町 と変則的な系統となり , 運行区間は延長された . 一水前寺公園 2.1 衂健軍線・水前寺公園ー健軍町 3.3 衂上 運転間隔は , 2 号線の場合は早朝 6 ~ 7 分 , 朝ラッシュ時 熊本線・西辛島町一上熊本駅前 2.9 衂田崎線・熊本駅前一 3 ~ 5 分 , 昼・タは 5 ~ 6 分 , 夜は 7 ~ 8 分 , 深夜 15 ~ 16 分 , 田崎橋 0.5 の計 12. lkm で , 二本木ロー田崎橋間の 0. 2km を除 3 号線の場合は朝のラッシュ時 11 ~ 22 分 , 昼 20 ~ 30 分 , 15 ~ 25 分 , 夜 25 ~ 30 分と大幅に本数が減らされてしまった・また いて全線複線である・また , 上熊本線の洗馬橋ー新町間 0.3 は唯一の専用軌道部分となっている・、こは下町の雰囲気を 2 号線の朝・昼以外はダイヤ運転に切り替えられた . 全車ワンマンカーで , 後乗り・前降り方式がとられ , 降車 漂わせており , 今はなくなってしまった東京都電の大島三丁 のさいに料金箱へ運賃を入れる . 車内で両替えを申し出ると 目付近の専用軌道を彷彿させてくれる . 国府一体育館前間の 小さな紙袋に入った 50 円玉と 10 円玉 5 枚に替えてくれる . 運 約 0.6 以外は , 軌道敷内乗入れ禁止措置がとられており , また全区間とも安全地帯がととのい , 電報局前・水前寺駅前 転席の後にはゴミ箱が設置されており , 紙袋はここに捨てる ・体育館前などでは横断歩道橋から安全地帯へ降りられるよ ようになっている・運賃は大人 60 円・小人 30 円で , 全線乗切 うになっているほか , 熊本駅前・上熊本駅前などには屋根が 制のため , 乗換え券はない . パスと共通の回数券もあり , そ つけてあり , 利用客へのサービスに心がけていることを十分 の利用客がふえているようである・ ・車両 うかがわせてくれる・ 昭和 39 年には 90 両を誇った車両も , 路線の廃止とともに半減 し , 現在は 37 両にすぎない・前述のようにすべてワンマンの ボギー車で , ワンマン化は昭和 41 年から始まり , 44 年までに 完了した . 大阪市からの譲受車両が活躍したこともあったが 昭和 47 年までにすべて消えてしまい , 比較的短命に終わって . 城下町一熊本の街を走 る熊本市電市役 所前で ' 76 ー 4 (M) 熊本市交通局の路線図 ガみはもと上熊本駅前 本寺前 市 杉塘 所通 段山町 水 電 前町 報交 筋道 蔚山町 西辛島町熊 - 則后ー 新 . 月リ 神き 目リ 氿 辛島町 物第徳校前 河原町 大分へ 新町 昊服町 神水 八丁馬場 いし ぜ商業高鮫前 体育館前 水前寺公園前 玉府 水前寺駅前 本 健軍町 淑出所前 動物圜前 健軍校前 祗匱橋 ( まも 熊本駅前 こ本木ロ 田山奇格 寉児島へ みなみくまもと ・主要電停

6. 鉄道ジャーナル 1976年9月号

みとり 成がポンネット形と貫通切妻幵を両端にもっ 4 両の国鉄 特急では最短のミニ編成し力も肥前山口でくかもめ〉と くみどり〉を分割・併結する国鉄最初の併結運転電車特急 であるなど話題が多い . ・ 50 ・ 3 ' で惜しまれつつ消えた西 日本の名門特急くかもめ〉は九州ゆかりのくみどり〉と ペアの西九州の短区間ェル特急としてみごとカムバックし 有明海に群れをなして飛び交うことになったのである・・ ノ / ノ、 くかもめ〉 7 往復のうち上り 2 号と下り 5 号をのぞく 6 往復は小倉 ・博多ー肥前山口間をくみどり > と併結運転する . 写真は肥前山口駅 に近づく上りくみどり一号〉 ( 7.46 着 ; 右 ) とおなじくくかもめ一号〉 ( 7.50 着 ; 左 ) ・・・同地点で撮影 く晴れの飛翔を待つ 2 羽の・かもめ ' ( 南福岡電車区で ) ' 76 ー 6 ー 30 . の変身を待つクロ 4 田形 ' 76 ー 6 3

7. 鉄道ジャーナル 1976年9月号

貫通式切妻形の顔と顔を突き合わせた 併結特急の姿はなかなかユニークた 左は 583 系特急く金星〉の回送列車 ( 竹下一南福岡で ) を 国鉄の電車特急で初めての分割・併結列車であることだ . 形 ' 先頭車 ( クハ 48120 0 ) がいよいよ威力を発揮するかと思 長崎・佐世保線は典型的な亜幹線であり , 線路容量の有効 われた . ところが , くかもめ > とくみどり > がせつかく顔を 使用と輸送量の関係で戦前から両線の列車を , その基部で 突き合わせても貫通ドアは閉鎖したままで併結両列車間の ある長崎本線の鳥栖ー肥前山口間で併結運転し , この伝統 行き来はできない . 理由は , 貫通ドアを使うようにすると は戦後の優等列車増発でも受けつがれて , 多くの気動車急 作業が煩雑になり , 解結だけで数分を要し , ただでさえも 行をはじめ寝台特急くさくら〉くあかっき 1 号〉に実施され 作業時間の惜しい肥前山口での停車がさらに長びくため . 乗客も乗務員 ( くかもめ > に車掌長・専務車掌が各 1 人 , ている . 電車特急の新設にあたってもその伝統が踏襲され , 将来 くみどり〉に専務車掌 1 人 ) も互いに行き来ができないとい の分割・併結を考慮して設計された 581 系以降の・前面貫通 うのは , サービスが売物の特急としては不親切だろう . も手塚・秋月両運転士の 2 人である・長崎機関区からは江口 指導助役が添乗してきたので , さっそく近藤氏がパトンタッ チし , 報道陣の新しい質問攻めにあう・ 南福岡組は肥前山口で下車 . 長崎本線はこ こからカープの 多い単線区間となる・入りくんだ海岸線そいにレールをきし ませながら走りつづける 485 系もスビードは 60km/h 以上に は上がらす , 完全にその力を持てあました格好だ . 江口助役は「この海岸線は門鉄局管内でも一番イヤな区間 で , 乗務員は一様にいやがります . とくに E L でカープに突 っ込むときに出るレールのきしみ音はイヤなもの・本当に緊 張の連続です」と解説してくれる・ なにしろ最小半径 250m , 400m のカープは数知れすという 状況のため , 門司鉄道管理局は肥前七浦以南に大きなカープ ク第、 48 ー - 標識を上下合計 46 本建て , 乗務員が運転しやすいようにする など , とにかく安全運転には気をつかっているところ・「あ れがその標識です」と江口助役が指さす方向に , 黄地に黒字 の標識板が見えるが , サッと車窓をかすめて後方に飛び去っ て行く・ 小長井をすぎても , 左手 , 有明海上の雲仙岳や右手の多良 岳は山頂を雲間にかくし , ついに姿を見せなかった・多良付 近でちょっと降り出した雨もすぐやみ , 諫早では薄日さえ射 しはじめた . 雲仙登山口のこの駅では懸命にホームのかさ上 上 ; 雲仙観光の看板のある小長井駅で / 下一急カープを抜って走る

8. 鉄道ジャーナル 1976年9月号

ついに全廃されることになり , 6 月 17 日の早 NEWS FILE 道床更新計画は路盤噴泥 ( 砕石内に泥が混入 朝から , 伊那松島機関区でお別れ式が行なわ し噴き出す現象 ) および砕石の細粒化による ニュースファイノレ れた・区長と ED19 保存会員が惜別のことば 道床の劣化区間を更新するもの・これまで人 を述べたあと , 駒ヶ岳をデサインしたポード 力に頼っていたが , 今後は機械力を導入して 国 鉄 が取りつけられ , 日章旗と星条旗が飾りつけ 年間 55 の道床更新を行なう予定である・ られて出庫した・伊那松島駅では 1290 レで出 架線については山陽新幹線で採用されたへ 発式を挙行 , 乗務員に花東が贈られ , やがて ビーコンバウンド式に改良する計画で , 52 年 9 時 40 分ごろ , 長い気笛をひびかせてホーム ・ 2 段寝台化される < あさかぜ 51 号 > 度までにトロリー線延長 259 を取り替え , を離れた . 国鉄はこの夏 7 月 1 日から 9 月 30 日までに連 その後もひき続いて全線の取替えを行なう予 6 両がウェスチングハウスから輸入された 定である . 転を予定している臨時列車を発表した・ ED19 ( 輸入時は 6010 → ED53 ) も , 順次廃車 長大間合工事の概要これら大がかりな作業 最近の夏の人出は , 以前のお盆帰省を中心 となってこの日のお別れ式に臨んだのは最後 としたバターンが消えて , 全般に高原状を呈 に必要な工事時間は分岐器交換については , の 1 両となった E D 196 号機 . 往年のお召機 断面の異なるレール ( 50T と 60 キロレールの高 してきている・今年はとくに運賃値上げを目 E D 532 の生まれ変わりである・このあと E さの差は 14mm ) を使用すること , 分岐器自体 前に控えているだけに , 人出の伸びが予想さ D 196 は 18 日に 279 レで帰区 , 第一種休車とな がとくに長大 ( 長さ 71m 重さ 49 t ) である れ , 対前年で 99 % の列車を運転 , 座席数はほ ことなどから , 1 組の交換に最低 10 時間 , ば前年なみという輸送力が確保されている・ ( 東京都・海老原美宜男 ) ングレール交換については 2 区間の同時施工 定期列車の増発されていることもあって , 臨 ーー施設・建設ーー が必要なために約 12 時間となっている・これ 時列車だけをみると , 8 月中旬の最重点期間 ■新幹線の施設恒久対策の概要 新幹線の東京ー新大阪間は , 列車通過トン数 だけの長大間合いは夜間の保守作業枠では応 中で対前年 95 % , 全期間中だと 86 % と , かな じきれす , したがって午前中の列車を運休し り減っている・ の激増にともない設備の破壊・劣化が急速に 臨時列車のうち特急については , ほば例年 すすみ , 輸送の安全確保に万全を期すために て 0 時から 12 時前後までの工事間合いを確保 設備全般にわたって , 恒久的な安全対策が必 通りで , とくに目新しい列車はないが , 今夏 することになったものである . 要となった . このため , レール重量化 , 道床 この措置はすでに 50 年度 , 51 年 2 月 25 日と の目玉商品として , 東京ー博多間くあさかぜ 51 号 > ( 下り 8 月 7 日 ~ 21 日 , 上り 8 月 7 日 3 月 10 日の 2 回が実施されているが , 51 年度 更新 , 重架線化など大量の材料更新エ事が計 も同様に 9 月 8 日・ 11 月 30 日・ 12 月 14 日・ 52 ~ 22 日運転 ) が , 24 系 25 形ー 2 段ハネで登場 画され , 50 年度から一部の列車を運休し , 長 年 1 月 19 日・ 2 月 2 日・ 2 月 23 日・ 3 月 9 日 する・東京ロへの 2 段ハネ乗入れはこれが初 大工事間合いを確保して , これら大がかりな の 7 回が予定されている・なお , 工事日の決 めてであり , 近く実施される九州特急の一部 作業が進められている・今年度も 7 回にわた 置換えの先陣でもある・車両は宮原区配置の 定については , 多客期を避ける , 準備のため って 12 時間の長大間合いを設けて施工される に最小限 2 週間の間隔をあける , ダイヤ改正 ものを転用する模様で , この期間中のく日本 予定になっている・ 時期を避ける , などを考慮している . また , 海 > ( 下り 1 号・上り 2 引は運転されない レール重量化計画は , 東京ー新大阪間の本 これら長大間合い確保による工事分はレール 線レール ( 延長 2 , 084 ) および本線付帯分 交換 129 ( 51 年度予定分の 56 % ) , 分岐器交 ■ ED19 が引退 岐器 ( 128 組 ) について , 現在の 50T レール 飯田線で最後の活躍を続けていた ED19 形が 換 15 組 ( 同 100 % ) のほか , 側線分岐器 22 組 , が疲労史換限度 ( = 列車通過トン数 5 億トン ) 伸縮継目交換 41 組 , テルミット溶接除去 760 に達する昭和 56 年度までに 6 いロレールに交換 ロなどが予定されている・ するという計画である・すでに 47 年度から始 ーーー総務・営業ー - 一 まっており 50 年度末までに 552km ( 26 % ) と 第新幹線にも広告掲出 分岐器 10 組が終了 , 51 年度はレール 230 と 広告に関しては聖域であった新幹線にも , と 分岐器 15 組 , 52 年度からは , それそれ年間 300 うとう有料広告が掲出されることになり , 6 ・ 20 組のペースですすめ , 56 年度末までに 月下旬から東京駅新幹線ホーム階段の壁に電 完了の予定である . 照式の広告看板が取りつけられた・引き続き くマ最後の仕業につく EDI % 号機 他の駅の階段・ホームにも拡大され , 今年度 中には列車内にも採り入れられる模様 . 新幹 線は国鉄の看板でもあるだけに , 広告掲出に ついても , 新幹線にふさわしいもので , 業務 用掲示 ( 時刻表・案内など ) との調和のとれ るデザインであること , などが考慮される . なお , 新幹線広告のトップは東京駅周辺に店 舗をもつデバート 4 店 . ちなみに広告料は年 間 100 万円とか . ー一列車・運転ーー 8

9. 鉄道ジャーナル 1976年9月号

が誇らしげに・ この上り 2 号だけはくみどり > を併結し ない単独編成で , 長崎から 8 両で上ってきた本編成にくみ どり〉用の 4 両編成を肥前山口で前部に増結する特殊な運 用だが , 佐賀駅で祝賀式があったため飾付をしたもの . 前 日 , 南福岡電車区をおとすれたと、き , 私たちの目前で昔な つかしい、しおし ' から、かもめ ' へ変身 , 美しく化粧されて いたクロ 481 であった 祝賀式は電化初日の 7 月 1 日 , 長崎・佐世保線電化の目 玉商品である電車工ル特急の関係各駅でおこなわれた . 博 多が下りくかもめ 1 号 > , 佐賀が上りくかもめ 2 号 > , 長崎 が上りくかもめ 3 号〉 , そして佐世保が上りくみどり 2 号〉 ( くかもめ 3 号 > と併結 ) で . 初めは新幹線博多開業と同時 にスタートするはすだった電化が石油ショックなどの事情 で 1 年以上も遅れていただけに , 沿線の西九州各都市の喜 びも , ひとしお大きかったのだ . ームは発車時刻が迫っても乗客の列は短く , 意外なほど静 処女列車くかもめ 1 号 > くみどり 1 号〉の入線を待つ 7 番ホ 初日の下り くかもめ一号 > かだった . く有明〉くにちりん〉の島内ェル特急をはしめ大 阪・東京を結ぶ寝台特急がひんばんに発着する大博多駅ホ ームでは , 長崎・佐世保線の沿線都市の喜びとは裏腹に 特急の増発など関心がないらしい . 電化開業をつげるアナ ウンスも特になく , ホーム先端付近の熱気だけが浮き上が った感し . それも楽隊が吹奏楽を吹き鳴らして興奮のルッ ボ・・・といった趣ではなく , 花束贈呈とテーープカットをおと なしく待っといった地味さだ . かんしんの主役 , 48 5 系電 車くかもめ > くみどり〉の姿がなく , 門司側から入線してき たのが発車の 10 分ほど前 . 少なくとも起点のひとっ博多駅 ひょうし での出発式は , ちょっと拍子ぬけの光景であった . 初日の下り処女列車の編成は下図のとおり . 長崎ゆき 8 両 , 佐世保ゆき 4 両の併結 12 両編成は , それぞれ仲よく 4 M 4 T と 2 M 2 T の , 48 5 系 6 M 6 T . 編成の半分一一一中 央部の 5 ~ 10 号車の 6 両が自由席車 , 両端が指定席車とい う配置は , 特急ではめすらしい . 肥前山口で長崎ゆきくか もめ > と佐世保ゆきくみどり > を分割する関係であろう . 今回登場のエル特急くかもめ〉くみどり > の最大の特色は くみどり一号〉の編成 おもむき 長崎・佐世保 みどり 1 号佐世保ゆき ( 甼岐ー佐世ま逆編成 ) ① クノ \ 481 ( 203 ) 定員 56 長崎ゆき ⑤ モハ 484 モハ 485 サロ 481 サハ 481 モハ 484 モハ 485 クハ 4 田 72 かもめ 1 号 ②③④ ⑥⑦⑨ ( 283 ) ( 1 8 1 ) 64 72 定席 ( 78 ) 48 ( 275 ) 64 ( 1 ワ 3 ) ( 20 5 ) 72 56 自由席 ⑨ クハ 481 ( 240 ) 56 ⑩⑩⑩ モハ 484 モハ 485 クロ 4 田 ( 339 ) ( 242 ) ( 52 ) 36 定席 佐賀から乗務して肥前山口で交替というシステムで , 佐賀ー 肥前山口間は 2 人乗務の変則区間となっている・これは営業 運転になっても同じ仕業となるのは当然である・ 前述のように 1 人が 3 回 ' 線見 ' で乗り , 3 往復のノルマ を達成した乗務員が今度は本務で乗務し , 見習を養成する方 式が訓練運転で採用された・ 電化完成で長崎本線・佐世保線に初めてエル特急が実現し 博多 ( 一部は小倉 ) ー肥前山口間は 485 系 12 両編成 , あとは 8 両と 4 両に分かれるが , 佐世保 < みどり > の 4 両は , ェル 特急としては日本で一番短い編成の電車特急となる・ ・複線の平野部を快走 ( 博多→佐賀 ) 門司鉄道管理局が , この訓練運転用臨時電車を報道関係者に 公開試乗を実施したのは 6 月 8 日のこと・訓練運転は < かも め > < みどり > とも一日 5 往復を走らせているが , 時間帯か らみて取材 , とくに写真撮影に便利なようにと , 昼間の 9105 M ・ 9108M がえらばれた・試乗区間は鳥栖ー長崎間の往復・ 自・栖駅に到着した 9105M の編成は , クハ 481 ー 208 十モハ 484 ハッ ー 278 十モハ 485 ー 176 十サロ 481 ー 115 十サハ 481 ー 114 十モハ 484 一 277 十モハ 485 ー 175 十クハ 481 ー 207 の 8 両 . ハンドルを握っているのは , すでに 3 往復のノルマを消化 した野田和正運転士 . ( 37 ) そして見習として乗務したのはこ の日が第 1 回目の手塚松次運転士 ( 47 ) それに吉村西東車掌 ( 45 ) ー博多車掌区ーの 3 人・ほかに , 取材陣乗車にそなえ て南福岡電車区から近藤指導助役が添乗し , 何かと世話をし てくれる・ 鳥栖を出れば , 車窓の左右は、穀倉 ' 佐賀平野の広がりが展 開するが , 右手の背振山系は重苦しい梅雨空にこばまれて , 全容を見せようともしない・肥前山口までは複線区間だから 訓練運転で臨停個所が多いとはいえ ' 特 A9 ' のダイヤによ るスビードは快調である・ とくに , ディーゼルの音になれきった耳には , 電車のモー ター音は非常に心地よい・まして電車運転士は九州最大の電 車基地南福岡電車区所属で , 485 系は十分に手のうちを知り っくしたペテランだから , 電車は快調に走りつづけ , 新駅開 業後まだ日も浅い佐賀駅に , アッというまに滑りこんだ・ 訓練運転もこの日で 14 日目ともなれば沿線の人も電車には なれてしまったとみえ , 田作業にいそがしい農民は全く無頓 着で , 試乗組のはうがむしろガッカリしてしまうという皮肉 な風景もみられたはどだ・この線の電化がむしろ遅すぎたと た咸六えいだかせる・ ・海岸ぞいの急カープにいどむ ( 佐賀→諫早 ) 佐賀から長崎機関区の中村稔 ( 50 ) ・秋月常男 ( 48 ) 両運転 士が乗りこんできたので , 、こから肥前山口までは本務運転 士は野田・中村両運転士の 2 人となるわけだ・もちろん見習

10. 鉄道ジャーナル 1976年9月号

中間駅の CTC キサンツ駅前 は 上には非常プレーキのグサリが横に這っていた . 車内を歩いているうちに , 偶然 , 日本国鉄の作業服を着た現 1 等車の椅子はカーキ色のビニ レ張りで , クッションは 地人を見かけ , 足をとめて彼の顔と服とボタンとをしげしげ 窓に 2 本の鉄棒があって撮影に邪魔であった . よかったが , と見ていると , 「コンニチハ」と日本語であいさっしてきた . キンシャサ操車場を過ぎる . まことに広い構内で , 新鶴見 私がザイールにきているあいだ , すなわち 1974 年に , 彼は日 操車場の 2 倍ぐらいもあろうか . 椰子の木と雑草のあいだに 本に行き , 国鉄で半年間 , 保線技術を学んできた研修生グル タンク車 , 鉱石車 , 2 段デッキの車運車などの貨車群が点在 ープのうちの 1 人であって , 彼らの学んだことが現在とても する . この鉄道ご自慢のオートライユと呼ばれる気動車の白 役立っていると語り , 私にはなっかしい日本人の名前を次々 いスマートな姿も見られるが , 幾編成もあるこれら気動車は とあげていった . すべて動かない . マホロ氏の話では , 欧州連合により造られ キンシャサ市内を出ると , まもなく列車はサノくンナ地帯を たもので , 車体 , 工ンジン , 走り装置 , 電気装置など , それ 走る . 中間駅に着くとホームの客が私たちに向かって , やは それ製造国が違っているため , いったん故障したら修理は容 り「シノア」「シノア」と言いながら手を振る . マチサのタ 易でなく , ついにこのようになってしまったとのこと . イタンパーなどの保線用重機械が中間駅の側線に見える . 駅 マホロ氏がこの鉄道の顔役であることにはよい面と悪い面 の有効長は 600m. そして , 中間駅ではしばしば対向列車の とがあり , 後者の一例をあげてみると・・・・・・ . 車掌や食堂車の ため長時間待たされる . キンシャサから約 180 の通信・信 従事員がマホロ氏に頼み込み , 彼を通じて私にぜひ写真をと 号ケープルは地中埋設 , 踏切は自動踏切となっており , まこ ってくれという・いったんシャッターを切れば , 彼らは私の とに立派なものであるが , マホロ氏は「これも私がやったこ 事務所やアパートの住所と電話番号を聞き , 写真を手にする とだ」と自慢する . までは何度でも電話したり , 訪ねてきたりする . キンシャサ 列車は次第に森林の多い高地へと登って行き , 半径 200m の写真屋にカラー写真の現像を頼んだ場合 , 現像液が切れて ほどのカープがつづいてスピードは 20 ~ 30 / h ぐらいとな いるということでふつう 2 カ月ぐらいも待たされる . 仕上が る・信号は , 自動信号からパトン式のタブレット閉塞 ( ウェ りも全体に茶色がかった , とてもひどい色となり , サービス プ・アンド・トムソン式 ) 電気通票器に変わった . 枕木は鉄製 と木製で , パラストも厚く , 乗り心地も悪くはないが , コン 版 1 枚で 300 円ほど . 私たちは写真の現像をほとんど日本に 帰る仲間に託したので , それが返ってくるまでは , たびたび クリート枕木と 50kg レールのロングレール化による軌道強化 彼らの攻撃を受けるわけである . が実施されつつある . 最急勾配は 17 % , 最小曲線半径は 130 このように相手が写真を希望してくる場合はよいのだが , m である . 私が 1 等車内をカメラを持って歩いていたら現地人に「写真 このあたりまでくると駅の周囲にもほとんど人家は見あた を撮ってはいけない」と注意された . それに対し「私はマタ らないが , それでも遠くのほうに煙が立つのを見かけること により , 人が住み焼畑農業が行なわれていることが知れる・ デイから先 , ノくナナ港まで 150 の鉄道を建設するために派 このような駅では , 列車時刻表にはちゃんと停車時分が書い 遣された日本の鉄道員である」と答えると , 「よくきてくれ てあるにもかかわらず , 列車は通過してしまう . 車掌が乗客 た . それでは遠慮なく撮ってくれ」と歓迎された . 1 等車内 ちしっ は各ポッグスに 1 ~ 3 人の乗客がいる程度であるが , なかに の下車駅を知悉しているようにもみえず , 客扱いは一体どう は「この先の線路わきに貨車が何両か脱線転覆しているので なっているのであろう・もっとも , この車掌氏 , 勤務中に食 それを撮ったらどうか」と , わざわざ言いにくる客もいた . 堂車でビールを飲んでいた .