く天王寺の停車時間は 50 分以上通路側は長距離ホー ムだが寝台側は国電ホームなので寝るに寝られす・・ 夜明け前の紀伊勝浦のホーム 大漁を期待して釣師は海に向かう 天王寺の夜・・・ 21 時 48 分 3 分遅れで環状線からの急勾配をのは、ってく南 . 残業疲れのやつれ顔 大阪ミナミ 一杯機嫌の赤ら顔いろいろな顔がつぎ 紀〉は入線した . 発車まで 52 分間の停車である . 波はまだ つぎと改札口を通り抜けて こ阪和線のホームに流れこ ないでいないようだ . 長い停車時間中に前部のスュニ 61 んでくる . 1 1 3 号車には新聞がつぎつぎに放りこまれてゆく . 南紀の 駅とは人間社会の縮図とはよくいったものまさにその 各都市町や村の明日の朝刊として大切な情報源の新聞 とおりである . 人の流れはどんどん入っては発車してゆく はいま積込みが終了した . 発車まであと 10 分 . 通勤電車に吸いこまれ波のようだ . 波を見ている私は 客車のほうでは座席はほば満員寝台車はマバラな利用 平日だというのに出漁する釣師に混しって 2 番ホームに 者が通路にべッドに好き勝手な姿勢で発車を待って たたすんでいる . 普通客車 924 レく南紀 > 号に乗車するため いる . これから名古屋まで 502.1 km ・ 14 時間 28 分の旅と である . ははど遠い・生活 ' が始まるのだ には旅立ちの魅力がある一というの べく通勤電車がパンタグラフを降ろしていた 長距離ドン行 はウソだ . 全区間を通して乗車する 阪和間無停車のく南紀 > は同区間の快速列車の性格も 今の私にはそんなロマンチックな心情は一かけらもない . かねそなえている . 和歌山ではいく人もが下車し家路に く南紀〉という愛称を持ち ニ急行なみの編成こそ立 向かっていった . 先頭部では E F 5866 号機が切り離され 派だがその底には普通列車・ドン行といういたって庶 和歌山市発のオハフ 3310 号車を従えた DF5030 号機が連結 民的な列車ということは避けられそうにない . 特急や急行 され紀州路近しの感が盛りあがってきた . 小駅を通過し などのお客さんとは趣が異なっているからだろうか . ながら闇を突き進むく南紀 > は螢光灯の帯を陸と海の境 定刻の 22 時 40 分く南紀〉は名古屋めざして天王寺をあ に身をくねらせながら夜明けに向かってひた走った . 朝 とにした . 国電区間の阪和線の駅々を通過し列車は快走 やけが海面に映え始しめたのは釣師たちが去った紀伊勝浦 してゆく . 国電の折返し駅ごとに明朝の始発電車となる よりも先の那智の付近だった . く和歌山着 23 時 30 分機 関車は竜華区の E F5866 から亀山区の D F 5030 に 第物・ 暁の紀州路の海夜行 列車だけが味わえる特権 樹カイ ( 那智で )
走ることはできないはすだ・心細くなりかけたところで , な んとか修理ができたらしく , ガタンと客車は大きく前に進み 出た . アクシデントは最小限にくいとめられたようだ . ききようおおなかやまななえ 桔梗・大中山・七飯ととまるたびに , パラバラと乗客が降 りてゆく . 43 列車は函館から郊外に帰宅する人のための終列 車でもあるようだ・各駅のホームでは , リャカーをひいた駅 員が必す待ちかまえていて , 荷物車からいくっかの荷物を降 ろす・ 七飯をすぎて藤城線にはいるころ , 左手後方に , 函館の灯 がチラチラとゆれているのが見える . やがてトンネルを抜け , 外はまったくの黒の世界となる . △△本州ー北海道連絡のフレートライナーがわすかな停車ののち室 蘭本線へ向けて発車してゆく ( 長万部駅で ) ' 76 ー 6 ー 16 暗闇の中に何を見たのか , DD51 が「ビ ッ」と鳴いた . △ 43 列車は郵便と荷物の積み降ろしが忙しく続けられる 寂しさが先に立っ旅の始まりである . のどかというよりも , ( 長万部駅で ) ' 76 ー 6 ー 1 5 ゞ生ルドヒ陰の 足しの感じもする 3 両の客車には , 函館発車時点でざっと数 ノいソ目かる えてみたら , 1 号車に 16 人 , 2 号車に 33 人 , 3 号車に 24 人の 客しかなかった・そのうちの約 1 / 4 が , カニ族とまでは呼べ ないものの , それに近い若い旅行者だ・ 大沼を出ると , 倶知安までは急行なみに小駅を通過する・車 内は静まりかえり , 車内放送もすでに終了している・ 「発車時間がすぎておりますが , 機関車が少々 , 故障してお 「列車追跡シリーズ」で車掌さんの話がないと , やはりしま りますので・・・・・・」 さっそく一つめの五稜郭でストップしたまま発車しない・ りがないだろうと思い , 車掌室のドアをノックした . 劇画週 どうやら暖房用のスチームのノくルプが閉まらないらしく , 函 刊誌から目を離して , 専務車掌氏がニコャカにこちらを見上 げる・函館車掌区の人で , 小樽まで乗務し次の日の 42 列車で 館駅で , すでに機関車の先端はもうもうたる蒸気に包まれて いた・電話で連絡を受けて待機していた機関区の係員が , し 帰ることになっているとのこと・いつもは , < ニセコ > < 宗 きりにカナヅチでトントンたたいている・蒸気を吹き出しな 谷 > < 北斗 > などに乗務していて , 1 カ月に一度くらいの割 がら走るわけにはいかないだろうし , かといって 6 月とはい 合で , 43 ・ 42 列車がまわってくるとか・ え , かなり冷えこんできているので , 暖房なしで夜の原野を 車掌さんに取材する場合 , 最初に名刺と『鉄道ジャーナル』 美瑛 ( 富良野線 ) / 美流渡 ( 万字線 ) / 愛別・中愛別・愛山 ( 石北本線 ) / 愛国・北愛国 ( 広尾線 ) / 愛冠 ( 池北線 )
新宮着 5 時田分 後部 2 両の寝台車は連結器を解錠してそのままホームに置いておく の新宮は観光・物資の基地としてま た鉄道の拠点としても重要な都市である . すでに夜行列車の使命を果たしたく南紀 > は こで 40 分 最前部のオハフ 3 引 0 の車内 乗客はいつまでたっても現われない 間停車する . 停車 9 分めにして天王寺をく南紀 > よりも 50 分遅く発車した夜行 D C 急行くきのくに 15 号 > に追いつ かれてしまった . 矛二の使命通学列車としての装いもこの 40 分間でと とのえられてゆく . 和歌山からの D F 5030 号機は D F 5014 号機と交換されていた . 新宮からの路線はそれまでの海 沿いの路からしだいに山の中の路にと様相を変化させてい った . オハネ 1267 ・オハネフ 1255 号車を新宮の駅に置き 発車時のナックルのはすれた時点でく南紀 > は終わり身 軽になった 924 レは活動前のローカル列車として単調なリズ ムを奏でつづけている . 新宮で走行距離の半分以上は過ぎてはいるがまだまだ 先は長い . とりすましたようなプルー・トレインく紀伊〉 は熊野市ですれ違っていった . 赤くなった目にはプル ・トレインの青はどぎつ過ぎる . 目はどうしても淡い空 の青と木々の緑に奪われてしまう . っかのまの静けさは各駅で拾ってゆく紀伊長島への通 学高校生たちに破られていった みち く新宮で D E50 同士が交替 D F5 田 4 〔亀〕が先頭にたっ
換えるようになっており , 各系統とも運転している市役所前 一高見馬場間では , 乗換え券による降車はできない . ・車両 ☆ボギー車 ボギー車は全車ワンマン化されており , 4 形式 65 両が活躍し ている・塗色は上半が黄色 , 下半が緑の , 太陽の国にふさわ しいスッキリしたもの . なお , 一部の車両が白帯をまいてい るが , これは全車ワンマン化された現在は必要ないというこ とで取りのそかれつつあるが , 塗色のアグセントとして残し てもよいように思う . また一時期 , 市民の目を見張らせなが ら走り回った全面広告車は , 48 年 10 月 1 日から県条令で禁止 されたため , 現在は下半分だけの広告車となり , 中途半端な ような気がする . 全面広告車が必ずしも利用者に不快の念を 与えるとは考えられないのだが・・ 460 形 ( 461 ・ 462 ) 2 両 専用軌道を走る 462 号車 郡元で ' 76 ー 4 (M) 昭和 36 年に 400 形 ( 旧都電 ) の機器と , 600 形と同一仕様の車 体で落成した . 台車はナニワ NK ー 51 空気パネ台車を使用 , →乗客の減少→赤字→廃止という , たいへんオーソドッグス ワンマン化は 44 年である . な廃止への道をたどった . 500 形 ( 501 ~ 515 ) 15 両 当市交通局と廃止された仙台市交通局との違いは , 第一に 当市のほうが道路幅が広いこと , 軌道敷内からグルマをしめ 昭和 30 年から 32 年にかけて , 東京都電 7000 形をモデルに正面 2 枚窓 , 当市初の左右非対称車体で落成したが , 44 年のワン 出し , 路面電車の通行を確保していることだろう . 通勤・通 マン化のさいに正面窓が 600 形と同じ 3 枚窓にされ , 面白味 学などに利用される交通機関の第一条件は定時運転の確保に をなくしている . 車体は東洋工機 , 台車は住友金属製 . あり , 「速く走る」にこしたことはないが , それにも増して 要求されるのは毎日ほば同じ所要時間で運転してくれること 600 形 ( 601 ~ 616 ) 16 両 昭和 34 年から 5 年間にわたり製造会社をかえて製作された . であろう . そのためには軌道敷内からのグルマの締出しはも 正面 3 枚窓 , 屋根上前照灯の今日の鹿児島市電のスタイルを ちろんのこと , この考えをもう一歩進めて電車優先信号の設 っくり出した車両 . 605 号車以降は空気パネ台車を履いてお 置などを考えてもよいだろう . り , たいへん乗り心地のよい電車である . ワンマン化改造は 現在 , 国道 3 号線上にある加治屋町一伊敷町間のラッシュ 43 年 ~ 44 年である . 601 ~ 604 号車は日立製 , 605 ~ 612 号車は 時のグルマの軌道内への乗入れを認めていることは , 大量輸 ナニワ工機製 , 613 ~ 616 号車は帝国車輛製である . 送機関を優先させる考えから少々はずれているように思う . 800 形 ( 801 ~ 832 ) 32 両 といっても , 増えすぎたクルマを簡単に締め出せといっても 昭和 42 ~ 44 年にかけて大阪市電の 2600 形を購入 , ナニワ工機 パイバスの建設や路面電車の路下化などの対策 無理であり , で 600 形に準じたスタイルに改造し , ワンマン化したもので , を考え出す必要があろう . 現在では当市の代表車ともいえるようになった . この形式だ 車両はどれも車齢が若いため , 車内は清潔で明るい感じが け C M カーがある . ナニワ工機製 . する . 技術面でも , 空気パネを一部の車両に採用するなど , ☆連節車 乗り心地がよく , スピーディー . それらの車両のなかでピカ 連節車は一形式 4 編成 ( 8 両 ) で , 塗色はボギー車と同じ . ーと考えられる 700 形連節車が , ラッシュ時にフルに出庫し ツーマン運転のため最初から白帯はなかった・ て活躍しないのが惜しまれる・また日中・夜間の運行間隔が 700 形 ( 701AB ~ 704AB ) 4 編成 8 両 少し長すぎるようだが , 優秀な車両の増発により解決してほ 昭和 41 ・ 42 年に , 反市電の P C C カー 3001 形の機器を購入 しいものだ . し , 中間台車 ( NK26 ディスクプレーキっき ) を新製した . 現行の乗換え制度は少しややこしく思われるが , ョーロッ 車体は , 701AB ・ 703AB 号車の 2 編成が大阪市電 3021 ~ 3024 号 パに見られるような , ある時間内は乗換えが自由という制度 車を購入後 , ナニワ工機で改造したもので , 702AB ・ 704AB 号 の採用を検討してはどうだろう . デパートのエレベーターの 車の車体はまったくの新造・性能面では , 30kW モーター x ように , やってきた電車に簡単に乗り , 必要なところで自由 4 , 直角カルダン駆動 , 間接自動加速式制御機 , 電空併用プ に下車や乗換えができるのが , 路面電車の本来の姿であるは レーキつきと , 最高の設備を要しているのにもかかわらず , ずだ . 鹿児島市電も , 市民の本当の足として , 利用しやすく 平日の朝ラッシュに一編成だけ一回運行で , もったいない気 便利な交通機関をめざして前進してもらいたいと思う . がする . なお , 701AB ・ 703AB 号車は休車中である . 当交通局とほば同規模の仙台市電が本年 3 月 31 日限りで廃止 された . グルマの激増による道路の渋滞→定時運転の確保難
列車編成メモ ア年乙月〃日第クみ列車 和歌山駅 夭王寺駅 機どんけび乙乙 スユニ乙 / / / け カ \ 7 / り / げ ナ八ル / 乙 2 ハ / り / り た \ フ / りけ 0 / オハネ / 2 乙 7 2 れ好 7 / Z びび 旌 ) オノ / 7. オノは″夕ま 和歌山駅 機つ F げりけ乙 わ \ フけ j / り スュニ / / / J ナハフ / り / び ナハ / り / り 2 ナハ / り / り 3 ハフルけ 3 / オハネ / Z 乙 7 2 オハイフけ 5 矼 ) 八フルは和山山問 Ⅳり 3 5 / 年る月日第 9 列車 亀山駅 新客駅 機クびり / 4 オハフ 3 け / り スユニイ / / / ナハフ / りな カハ / り / り 2 ナハルルけ ナハフ / り 4 ア年乙月 / 6 日第 9 々列車 % 古駅 を山駅 機のりび / 7 マニ乙りけ乙 ~ ナハフ / りけ ナハ / り / りけ ナハル / り Z ナハフ / り / び スユニ乙〃 / マニル 2 は山一名す問 3 第 を 1 3 亀山からは D D 引 767 号機が新たな先頭に立つ終着駅名古屋まで 59. 9km•l 時間 35 分 はあたりまえである . 空席は坐るヌシのないまま終着駅 では列車の進行方向が逆になる . 新たに に向かって揺れつづけている . 四日市も桑名も乗客に 先頭車となったナハフ 1033 号車の前には 見離されたような 924 レは重苦しいエンジンの音を雨空に マニ 60302 をつけた DD51767 号機か連結された . ラストス 轟かせながら輪中地帯を走りそして名古屋の街なかに入 ート名古屋めざして発車ー走れども走れども乗客 はいっこうに増えない . 名古屋に向かう人々は並走する っていった ? 14 時間 28 何のための 924 レ誰のためのく南紀〉 近鉄へと行ってしまうからだ . 2 時間に 1 本しかない関西 分も乗車して私にはわからなかった . 本線よりも 1 時間に 3 本の近鉄特急に乗客が指向するの
・ナハネ 20 形 ( 6 ~ 10 号車 ) 20 系客車の編成の % を占める大衆寝台車で博 多寄り車端に和式便所 2 ヵ所と 3 人用化粧室 があり , 寝室 , 乗務員室 , 出入台の順でなら んでいる・寝台は新登場ナハネ 11 形と同様の 上中下 3 段向合せ式であるが , 昼間は上段・ 中段寝台を上へはね上げて畳むことができ , 座席使用時の圧迫感をなくしている . また , 背ズリを別に設け , 下段のシート ( 座プトン ) の前端を 6cm 上げて奥のほうへ傾斜させて坐 りやすくするなど , 座席使用時の居住性を改 善した . さらに , 各寝台プロックの海側窓下 に固定式の小テープル , 下段寝台の廊下側に 折畳み式の小テープルを設け , 廊下には折畳 み式の椅子を配置するなど , 各所にキメこま かい配慮がなされている . 冷房は , 床下に 2 台のユニットグーラーを そなえ , 冷却空気は車両中央の仕切の中にあ る風導管を通って天井裏へ送られ , 廊下天井 裏の風導管によって各区分室へ均等に吹き出 す . 寝台定員 54 人 , 自重 29 t , 台車は TR55 形 . 一般急行用のナハネ 11 形を基本にした寝台 車とはいえ , 冷房化をはじめ寝台構造と付属 設備の大幅な改善など , 戦前からの実用一点 張りの寝台車から , 旅を楽しむことにポイン トをおいて居住性を飛躍的に向上させた大衆 寝台車であり , このナハネ 20 形の出現がプル ・トレイン発展の原動力となったというこ とができよう . ・ナハ 20 形 ( 11 号車 ) 20 系設計の時点 ( 32 年 ) でも < あさかぜ > の オール寝台列車化は冒険だとして実現せず , 旧編成の 3 等座席車を 20 系客車に置き変える 格好でナハ 20 形とナハフ 20 形が各 1 両 , 編成 に組み込まれた . △ナハフ 20 形 3 等緩急車の外観形式図マ ( 1 / 200 ) き一・を ロロロロロロロロロロロ目 0 ロロロ マナハ 20 形 3 等車の形式図 ( 1 / 20 の をすをまれ を・を電を 目ロロロロロロロロロロロロロロロロ ナハフ 20 形の室内 ナハ 20 形・ナハフ 20 形の座席 ナハ 20 形に設けられた売店
佐賀地方にはワラ葺きの曲屋づくり農家が今も多く残っている 有明海に舞うくかもめ〉 「 3 分ほどで肥前山口です . この列車は長崎ゆきと佐世保 ゆきにわかれます . 長崎ゆきが 1 分 , 佐世保ゆきが 2 分と まります」・ いよいよ新特急おめあての分割だ . ダイヤではそれぞれ 3 分・ 6 分の停車だが , 遅れているためか , 正味の停車時 いすれにしても 1 分では下車できない 分がそうなのか ので , 分割作業を撮影してくみどり〉で佐世保へ向かう白 しに作業を 井カメラマンに取材をまかせ , 8 号車から一、 この駅での解 ながめる . 試運転では独立運転だったから , 結作業は今日がブツッケ本番というわけ . 助役さんやカレ チ氏も真剣な顔で , もどかしげに作業を見守る . ホームで はすでに発車のベルが鳴っている . くみどり〉が静かにバックして 3 m はど離れたところで とまると作業完了 . この間およそ 3 分 . 上りの場合はくみ どり〉が先に到着してホーム前寄りにとまり , くかもめ > が二度も軽く停車しながら近づいて連結するので , もっと 時間がかかる . 小型ローラーまで繰り出してアスファルト舗装に懸命の 肥前山口でのくかもめ〉とくみどり > の分割作業左 ; 連結器を解錠 して工アホースを切り中 ; 編成後部のくみどり〉が静かにバックす ると右 ; 編成は 2 つに別れる ホームには , 上りのローカル気動車が 2 編成ならんでいる . 電化で登場した新顔は特急形電車と交流機関車だけで , 例 外的に快速電車 ( 通勤形 ) が 1 往復 , 長崎・佐世保へ運転され るはかは , 急行・普通列車は気動車のまま . 電気機関車も 全部はそろっていないのか , 初日の下り < みすほ > はまだ DD51 の牽引で , 新旧車両の展示会といった感じだ . くみどり〉を置き去りにして発車したくかもめ〉は , 軟 号地盤のため門型構造のポールが林立する長崎本線を , 次 第に進路を南に取りつつ長崎へ向かう . 線路は単線となり 速度も目立って落ちてきた . 肥前竜王を通過 . 右手に山が 迫る . まもなく右へ大きくカープ . 私の乗った最後尾 8 号 車から , 窓に顔を押しつけることなく , 急カープを切る前 分割作業完了 ! この問およそ 3 分停車時間ギリギリの作業だ かと 0 当き
△ナロ 20 形の外観 ( 左 ) と室内 ( 右 ) ー第・をま トをルまを すをを 慮を↓第 . 000 効果もはかってある . き , 仕切の中の立上がり風導管で天井へ上げてから , 天井裏 ご自慢の冷房は床下にユニットクーラー 2 個をそなえ , 冷 の風導管によって室内に均等に吹き出させる . 床下に風導管 却空気を寝室中央両側の立上がり風導管を通して天井にみち を通したため座席部の床面が通路より 10 Ⅷ高くなっているの びき , 室内に均等に吹き出させる . 自重 30t , 台車は TR55 が特色である . 定員 48 人 , 自重 30t , 台車は TR55 形 . 形 . 室内デザインは日車製と日立製で異なり , 腰掛モケット ・ナシ 20 形 ( 5 号車 ) ・カーテン・ジュウタンの色も変えてあったが , 現在は統一 博多寄り車端に喫煙室と電話室があり , 食堂 , 調理室とつづ されている . く . 喫煙室は 2 人向合せのポックスで , 営業終了後は座プト ・ナロ 20 形 ( 4 号車 ) ンと背ズリを引き出して寝台にし , 食堂従業員が仮眠できる プルー ・トレインが登場してしばらくは 2 等・ 3 等とも座席 構造・食堂は先輩のオシ 17 形 ( 軽量客車 ) とおなじく , 通路 車が一部組み込まれており , オール寝台化が進められたのち の両側に 4 人がけのテープルが 5 脚ずつならび , 掃除のとき も 50 年 3 月までくあさかぜ > にはグリーン車 ( 当時の 2 等座 は椅子をテープルの下の棚にのせて , 容易に床が掃けるよう 席車 ) が健在であった・これがナロ 20 形である . に考えられている . 車内は博多寄り車端に和式便所と化粧室 , 次に客室 , 車掌 最大の特色はメーカー ( 日車・日立 ) 別に照明や室内デザ 室・荷物保管室 , 洋式便所・化粧室 , 出入り台の順 . 客室の イン・配色などを変えたこと・これまでの実用重点主義から 腰掛は前年に登場した新しい軽量タイプ特別 2 等車ナロ 10 形 デザインにも力が注がれ , 遊びの余裕も出てきたわけで , 時 と同一のリグライニングシート . 窓が二重ガラス固定のため 代の趨勢もさることながら ' ュメの豪華列車 ' づくりへの意 非常時にそなえて左右各 1 ヵ所に非常脱出窓が設けてある . 欲のあらわれともいえた . この窓は , ガラスの客室側にゴムチープを置き , 空気を入 もうひとつの特色は調理設備 . 乗客の目にふれることのな れてガラスと車体の気密を保たせてあり , 窓横のレバーを引 い舞台裏だが , 電化の時代にふさわしく電子レンジ・電気冷 くと空気が抜けて窓ガラスが落下する仕組 . 蔵庫・電気温水器などをそなえた・オール電化調理室 ' で , 冷房は床下に 2 個のユニットグーラーを置き , 冷却空気を 20 系固定編成客車のご自慢のひとっ . 自重 30t , 台車は TR 座席部床下の風導管を通して客室の博多寄り仕切までみちび 55 形である . ナロ 20 形 2 等車の形式図 ( 1 / 20 の 4 は 89
△ 924 レは学生列車から行商列車に姿を変えた . 商品をたくさん詰め込んだ風 呂敷包みを背負って乗り込んでくる . 松阪まで行くのだそうだ ( 三瀬谷で ) 対向くはまゆう一号 > く夏の花カンナ山問の小さな駅で が後着先発 ( 三瀬谷で ) 線の母体となった参急に破れた伊勢電の精一杯の主張を は日本一降雨量の多い土地だ . そのため 紀伊半島 示すかのように二度と鉄路の敷かれることのない橋台だ 林業が活発で桧の貯木場が駅構内にあ けがものいわぬモニュメントとして残っていた . 松阪で ったり山の斜面に植林されていたりしている . 列車は山 は集中豪雨のような激しい雨にナハフ 1033 号車の屋根は 間深く分け入ったり川ぞいの町を駆け抜けたりしながら 空席だらけの客車を転がしている . 乗客の大半は松阪あた 打たれるがままに耐えていた ローカル線・ローカル駅・ローカル列車・ローカル特急 りに向かう大きな荷物を背負った行商人ばかりだ . この 4 つが顔を合わせたのは津の一つ手前の阿漕 平野部の多気に出たとたんに雨が降り始めた . 徳和では 雨に打たれた旧伊勢電の橋台が立っている . 大近鉄名古屋 だった 櫛田川を渡る 924 レ ( 多気ー徳和間で )
小檜駅 1 番ホームに定時着・右手の 3 番ホームには , これも 定時で , 釧路からのくからまっ > が到着・長距離ドン行同士 の「華やかな」出会いのシーンである . 43 列車が 44 列車とと もに , 釧路ー小樽間の 423 ・ 424 列車の姉妹列車として , 釧路 までロングランしていたのも , そんなに昔のことではないと 聞く . くからまっ > のサポはすぐさま「札幌行」に取り替えられ た . 7 時 58 分発の札幌ゆき 829 列車になるものと思われる・ 43 列車のほうは , 11 分の停車時間のあいだに , 機関車の交 換と客車の増結をすませた・新しく現われたのは , 赤い電機 3 両の客車を増結給水を受けるスハ 32 ( 小樽駅で ) ' 76 ー 6 ー 15A 石狩湾ぞいを快走する ( 張碓一銭函で ) ' 76 ー 6 ー 22 カメラ・白井朝子 知 2 85 ? 第国一