車両 - みる会図書館


検索対象: 鉄道ジャーナル 1976年9月号
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1. 鉄道ジャーナル 1976年9月号

廃車 ( C62 の廃車第 1 号 ) となるという暗い出米事が起きた . 世界最初の海底道路トンネルである・関門トンネル ' が開通 したのも , この年であった . 86 して画期的なものであった . その基本的構想は次のとおりで , あらゆる点で日本の客車と られ , 早くも 12 月には日本車輛と日立製作所に発注された . まった第 1 次 5 ヵ年計画の一環として , ただちに設計が進め 寝台車を主体とした特急専用客車 20 系は , 昭和 32 年度から始 20 系特急形客車の登場 かたちで結実したのである . が・プルー・トレイン ' 20 系固定編成特急形客車の登場という ぜ > が生まれ , それを完成させるべく車両設計技術者のユメ 昭和 31 年 , まず運転技術者のユメが先行実現してくあさか たのも無理からぬことであった . 若い技術者たちが , 時代にふさわしい豪華列車の登場を夢み 歩は大きく遅れていった . 新しい鉄道づくりに意欲を燃やす ないこととはいえ , 世の中の急速な発展にくらべて客車の進 除いて優等車の新製は見送られ , 輸送力増強のため止むをえ 新修繕や車内近代化も急がれていた . 当然 , 特別なケースを のころであり , 戦前の標準型であったオハ 35 ・オハフ 33 の更 した 60 系客車が次々とローカル列車に登場していたのも , そ 異様な姿を見せていた . 大正時代の 17m 級木造客車を鋼体化 災客車・電車を応急復旧した , お * 且末な 70 系客車も , 各地で ( いすれも同系の緩急車を含む ) などがその産物である・戦 いた . オハ 35 形に始まり , スハ 42 ・スハ 43 ・オハ 46 各系列 と旅客輸送量増大にともなう大衆客車の新製増備に追われて 製をやめて標準 3 等車の増備に専念し , 戦後は戦災車の復旧 った昭和 10 年代の中ごろから , 輸送力増強のため優等車の新 生えていた . 国鉄の客車は日中戦争が泥沼化し戦時色が深ま というュメと胎動は , すでに 29 年代の後半から国鉄部内に芽 一方 , 新生日本にふさわしい豪華編成の特急を走らせよう 関係者・利用者の最大の願いであった・ 組み込まれており , 特急にふさわしい編成に ! というのが , 足 . とくに 2 等寝台車には古い戦前タイプのマロネフ 29 形が あり , 設備サービスが商品の一つである特急用としては格不 の要請にこたえるのが精一杯の一般急、行用の実用的な客車で えて , 大衆的な 3 等車は新鋭軽量客車化されたものの , 時代 ズであった . 32 年 10 月から新製のナハネ 11 形寝台車に置き換 だあまり特急らしからぬ新旧寄せ集め編成であるのが玉にキ な特色で , 異常なまでの人気をあつめていたが , 設定を急い 長距離の夜行の旅に欠かせない寝台主体の列車という画期的 た夜行特急 < あさかぜ > は , そのスピードと便利な時間帯 , 2 年前の昭和 31 年に東京ー博多間にさっそうとデビュ 用の新しい固定編成客車ーー冷暖房完備の 20 系が登場した . こうした明暗の話題が相次いだ昭和 33 年の夏 , くあさかぜ > ・従来の客車との混用を考えない / 編成内での車種・順位・ 両数はつねに一定にし途中駅での解結は考えない ( ただし 同車種のものは互換性がある ) / 編成内での各車両の向き はつねに一定とする / 列車全体の電源を最前部の荷物車に 集中する ( 各車両に発電機を設備しない ) / 窓は固定とし 全車冷暖房とする / 編成単位でメーカーに発注する 明治 5 年の鉄道創業いらい , 日本の鉄道の客車はすべて 1 両単位で考えられ使用されてきた . 欧米の鉄道でも , TEE 用客車の一部を別として , この事情はおなじである . 1 両単 位のほうが自由自在に運用でき互換性もあるので , 各線区の いろいろな列車に使うことを前提とする客車では都合がよく 予備車も少なくてすみ , 効率がよく合理的だからである . しかし特急のように , 運用が限定された特殊な列車で , し かも特別なサービスが要求される場合は , 必ずしもこの基本 にとらわれる必要はない・とくに , 新しい時代の優等列車に ふさわしい客車として , 冷暖房をはじめ近代化設備サービス を完備した電化車両とする場合 , 各客車に電源を搭載するの は設計上無理があり , 合理的ではない . 固定編成として電源 車から集中給電すれば , この問題は解決する . また , 車両を ユニットにすることや , 固定編成的な考えをとりいれること は , 当時並行して開発が進められていた新性能通勤形電車 101 系や , これを発展させた 151 系にだま形 ' 電車で実現さ れつつあった . 客車の近代化にあたっても , < あさかぜ > 用 の新型客車の設計に , こうした思想がさして抵抗もなくとり いれられたのであろう . 20 系客車の第一陣は < あさかぜ > 用として , マニ 20 ・ナロ ネ 20 ・ナロネ 21 ・ナロ 20 ・ナシ 20 ・ナハネ 20 ・ナハ 20 ・ナハ フ 20 の 8 形式が 33 年 8 月に完成した・そして 9 月 4 日 , 営業 時とおなじ 13 両編成で東京駅 4 番ホームで展示され , 多数の 見学者の眼を見張らせたのち , 十河総裁はじめ約 200 人の関 係者を乗せ , E F58 に牽引されて濃紺の車体を初秋の陽に美 しく輝かせながら , 平塚へと湘南路をひた走った・ 20 系客車が登場して 18 年 , 利用者やファンにはすっかりお なじみとなり , ご自慢の豪華設備も老化と生活様式の発達で 見劣りがし , 新しい 14 系・ 24 系客車 , さらには・ 2 段ハネ ' の 出現で < 銀河 > など急行への格下げ使用が始まっているが , 日本の客車の新しい方向を切りひらいたユニークなその構造 と設備を , あらためて振り返ってみることにしよう・ ・マニ 20 形 ( 博多寄り先頭車 ) 荷物車に , 全編成に供給するための発電装置と制御装置を搭 載した車両 . 車内は博多寄りから運転車掌室・電源室・技術 員室・荷物室・荷物車掌室と配置され , 全体の約 60 % のスペ ースを電源室が占めている・記号は荷物車であるが , 荷物室 は新聞・原稿便を収納するためのもので荷重はわすか 3 t, 、電源車 ' とよばれるように本来の使命は電源車である . 電源装置は , DD13 形ディーゼル機関車に使用のものとほ ばおなじ D M F31 S G ディーゼル・エンジン ( 340 P S ) 2

2. 鉄道ジャーナル 1976年9月号

換えるようになっており , 各系統とも運転している市役所前 一高見馬場間では , 乗換え券による降車はできない . ・車両 ☆ボギー車 ボギー車は全車ワンマン化されており , 4 形式 65 両が活躍し ている・塗色は上半が黄色 , 下半が緑の , 太陽の国にふさわ しいスッキリしたもの . なお , 一部の車両が白帯をまいてい るが , これは全車ワンマン化された現在は必要ないというこ とで取りのそかれつつあるが , 塗色のアグセントとして残し てもよいように思う . また一時期 , 市民の目を見張らせなが ら走り回った全面広告車は , 48 年 10 月 1 日から県条令で禁止 されたため , 現在は下半分だけの広告車となり , 中途半端な ような気がする . 全面広告車が必ずしも利用者に不快の念を 与えるとは考えられないのだが・・ 460 形 ( 461 ・ 462 ) 2 両 専用軌道を走る 462 号車 郡元で ' 76 ー 4 (M) 昭和 36 年に 400 形 ( 旧都電 ) の機器と , 600 形と同一仕様の車 体で落成した . 台車はナニワ NK ー 51 空気パネ台車を使用 , →乗客の減少→赤字→廃止という , たいへんオーソドッグス ワンマン化は 44 年である . な廃止への道をたどった . 500 形 ( 501 ~ 515 ) 15 両 当市交通局と廃止された仙台市交通局との違いは , 第一に 当市のほうが道路幅が広いこと , 軌道敷内からグルマをしめ 昭和 30 年から 32 年にかけて , 東京都電 7000 形をモデルに正面 2 枚窓 , 当市初の左右非対称車体で落成したが , 44 年のワン 出し , 路面電車の通行を確保していることだろう . 通勤・通 マン化のさいに正面窓が 600 形と同じ 3 枚窓にされ , 面白味 学などに利用される交通機関の第一条件は定時運転の確保に をなくしている . 車体は東洋工機 , 台車は住友金属製 . あり , 「速く走る」にこしたことはないが , それにも増して 要求されるのは毎日ほば同じ所要時間で運転してくれること 600 形 ( 601 ~ 616 ) 16 両 昭和 34 年から 5 年間にわたり製造会社をかえて製作された . であろう . そのためには軌道敷内からのグルマの締出しはも 正面 3 枚窓 , 屋根上前照灯の今日の鹿児島市電のスタイルを ちろんのこと , この考えをもう一歩進めて電車優先信号の設 っくり出した車両 . 605 号車以降は空気パネ台車を履いてお 置などを考えてもよいだろう . り , たいへん乗り心地のよい電車である . ワンマン化改造は 現在 , 国道 3 号線上にある加治屋町一伊敷町間のラッシュ 43 年 ~ 44 年である . 601 ~ 604 号車は日立製 , 605 ~ 612 号車は 時のグルマの軌道内への乗入れを認めていることは , 大量輸 ナニワ工機製 , 613 ~ 616 号車は帝国車輛製である . 送機関を優先させる考えから少々はずれているように思う . 800 形 ( 801 ~ 832 ) 32 両 といっても , 増えすぎたクルマを簡単に締め出せといっても 昭和 42 ~ 44 年にかけて大阪市電の 2600 形を購入 , ナニワ工機 パイバスの建設や路面電車の路下化などの対策 無理であり , で 600 形に準じたスタイルに改造し , ワンマン化したもので , を考え出す必要があろう . 現在では当市の代表車ともいえるようになった . この形式だ 車両はどれも車齢が若いため , 車内は清潔で明るい感じが け C M カーがある . ナニワ工機製 . する . 技術面でも , 空気パネを一部の車両に採用するなど , ☆連節車 乗り心地がよく , スピーディー . それらの車両のなかでピカ 連節車は一形式 4 編成 ( 8 両 ) で , 塗色はボギー車と同じ . ーと考えられる 700 形連節車が , ラッシュ時にフルに出庫し ツーマン運転のため最初から白帯はなかった・ て活躍しないのが惜しまれる・また日中・夜間の運行間隔が 700 形 ( 701AB ~ 704AB ) 4 編成 8 両 少し長すぎるようだが , 優秀な車両の増発により解決してほ 昭和 41 ・ 42 年に , 反市電の P C C カー 3001 形の機器を購入 しいものだ . し , 中間台車 ( NK26 ディスクプレーキっき ) を新製した . 現行の乗換え制度は少しややこしく思われるが , ョーロッ 車体は , 701AB ・ 703AB 号車の 2 編成が大阪市電 3021 ~ 3024 号 パに見られるような , ある時間内は乗換えが自由という制度 車を購入後 , ナニワ工機で改造したもので , 702AB ・ 704AB 号 の採用を検討してはどうだろう . デパートのエレベーターの 車の車体はまったくの新造・性能面では , 30kW モーター x ように , やってきた電車に簡単に乗り , 必要なところで自由 4 , 直角カルダン駆動 , 間接自動加速式制御機 , 電空併用プ に下車や乗換えができるのが , 路面電車の本来の姿であるは レーキつきと , 最高の設備を要しているのにもかかわらず , ずだ . 鹿児島市電も , 市民の本当の足として , 利用しやすく 平日の朝ラッシュに一編成だけ一回運行で , もったいない気 便利な交通機関をめざして前進してもらいたいと思う . がする . なお , 701AB ・ 703AB 号車は休車中である . 当交通局とほば同規模の仙台市電が本年 3 月 31 日限りで廃止 された . グルマの激増による道路の渋滞→定時運転の確保難

3. 鉄道ジャーナル 1976年9月号

基を床上に置き , たわみ継手を介して交流発 電機を回転させ , 出力 250kVA ・ 600V ( 60 (z) の 3 相交流を発生させる . この 3 相交 流は , 編成各車両の床下にある変圧器で 200 V または 100V の交流に変えられ , 車内灯・ 冷暖房・ウォーターグーラー・温水器や食堂 車料理室設備などの電源に使われる . 電源室 の側面はフィルターっきの空気取入れ窓が左 右各 2 ヵ所に設けられ , 全長の 17.5m やや短 かめな車体 , 博多寄りの丸味のある非貫通前 面 , 屋根上の大きな取外し式モニター屋根と た . 日本の鉄道で初めての電源車であり , 作 業中はすさまじいエンジン音が四囲を圧し , 屋根からは排気の煙を出していたところから 「これが < あさかぜ > の新しい機関車だ」と 思っていた旅客もかなりあったようだ・ 床下には発電用ェンジンの片道分の燃料で ある軽油 3 , 400 を収納するため 2 個のタン クを装架 , 運転車掌室には , 機関車と 4 号車 ( 2 等車 ) の乗客専務室と通話できる連絡電 話を設置・また荷物室の荷物積卸しロは , 上 下に開くシャッターで重さをパネで釣り合わ せているため軽く開閉できるのが特長 . 自重 40. 5t , 台車は TR54 形 . ・ナロネ 20 形 ( 1 号車 ) 連結順位は博多寄りから 2 両目だが実質的に は客車の博多寄り最前部 . 日本一豪華で寝台 料金も最高の , ・ルーメット ' で知られる 1 人 用個室寝台車 . 豪華寝台特急を伝統とする < あさかぜ > の目玉商品となった 2 等寝台車 ( A 寝台車 ) である . 車内は博多寄り車端に 2 人個室の座席使用時 あさかを △マニ 20 形電源車の外観形式図マ ( 1 / 20 の 上下 4. ロ 圜 △ナロネ 20 形 2 等寝台車の外観 形式図マ ( 1 / 20 の ロロロ / 確イ 0

4. 鉄道ジャーナル 1976年9月号

急カープの手前には 大きなカープ標識が建 てられている マ車内はどの車両もゆ ったり閑散期だから 仕方ないが一日も早く 一人前のエル特急に育 ってほしいもの 門司港へ / ロ 玄 畑 筑 山地 △貸振山 前ロ 佐世保有田泉 佐世保線 早山支嬉野 肥前鹿島 大分へ 九十九島 づいた . 海岸ぞいの線路を全面的に改修し , 戦後の主力機 ローカル特急の停車駅にはふさわしい . 30 秒停車 . C 51 ・ C 57 ・ D 50 ・ D 51 が大手をふって通れるようになっ 車窓左手の広大な田圃の彼方の低いコンクリートの城壁 たのは , 特急くさちかぜ〉 ( 現在のくさくら〉 ) が登場した 防波堤が近づき , 視界がせばまって丘陵部に入る . 最 昭和 32 年ごろからである . 初の短いトンネルを抜けると , 左車窓に海が迫ってくる . ひドた およそ 15 分で肥前鹿島 . ローカルの小駅だが , この地方 干潟で有名な有明海である . すぐまたトンネル . いよいよ いうとくいなり の中心ー鹿島市の玄関で , ホームには「祐徳稲荷神社」の 海岸ぞいの難コースにかかったのだ . 肥前浜から小長井に 大きな看板が . 駅からバスで十数分の祐徳稲荷は , 伏見 かけて約 25km は , とくに線路条件がよくない区間である . 稲荷・豊川稲荷とともに日本三大稲荷の一つで , 九州では トンネルと急カーープ , 丘陵が海岸線まで迫った狭い海ぞ 太宰府天満宮についで参詣客の多い , 庶民信仰のメッカ . いの細道を , くかもめ 1 号〉は 8 両編成の車体を右に左に 経ヶ岳 る岳 半 鉄道当 原雲 6 半 長騎 戦後初の山陽特急くかもめ > は昭和 28 年 3 月日西日本 地区の期待をになって颯爽と 登場した C 57 Ⅱ牽引でタ闇 迫る門司駅を発進する下り処 女くかもめ > ( 筆者撮影 )

5. 鉄道ジャーナル 1976年9月号

RJ 技術解説シリース < 第 13 ロ 鉄道車両の冷房装置 国鉄・車両設計事務所・旅客車 井出盛 やグリーン車に限られていた冷房車も , 43 年ごろから急行普 1. 沿革 国鉄の車両冷房は , 昭和 11 年 , 特急 < つばめ > の食堂車 1 両 通車に , さらに 45 年には通勤電車にまで広がり , 51 年現在で に , 翌 12 年 , さらに食堂車 2 両に発電機式 ( 車軸発電機による ) 11 , 800 両を超えている . が , 13 年に特急 < かもめ > の食堂車 1 両に直接駟動式 ( 車軸 2. 冷房装置の方式 冷房装置には , 大別すると表 2 の通り天井分散 , 天井集中お の回転を直接圧縮機に伝える ) が取り付けられた . 15 年以後 よび床下集中がある . 分散式と集中式の特徴を比較すると表 は戦争のため一時 , 使用中止された . 2 の通りである . 重心を下げ , 曲線を高速で運転する特急重 戦後は , 連合軍専用車に対して 21 年からマイネ 41 ・マシ 35 両では床下集中式を考えている . ・カシ 36 形式に , 順次 , 冷房装置が取り付けられた . しかし ヒートボンプ方式は , 暖房時に外気温度が 5 。 C 以下になる 本格的な幕開けは 33 年のことで , 特急 < あさかぜ > で初めて と室外側の熱交換器が氷結を起こし , 成績係数が落ちて , 十 編成全体が冷房化され , 編成の一端にディーゼルエンジンと 分な暖房能力が得られなくなる・したがって , 東北・北海道 発電機を搭載した電源車を連結し , この電源車で発電した交 などの寒地では使わないほうが得策である . 流電源により , 各車の冷房装置を運転する方式が採用された . 3. 冷房装置の構造と冷凍サイクル 一方 , 電車についても同じころ , ビジネス特急くこだま > 冷房装置は , 図 3 に示すように機器を一つの枠組にまとめた が誕生し , 電車であるため床下には電気部品が多いので , 冷 いわゆる・ユニット式 ' となっている . これは性能をメーカ 房装置を取り付けるスペースが足りないことから一般市販の 出荷時に明確にでき , 車体の配管工事を廃止して , 冷媒漏れ ウインド形ュニットグーラを特別な形に組み替え , 屋根から の心配をなくし ( 冷媒漏れを防ぐため , 結合部はローづけに 天井にかけ取り付けた天井分散式ュニットクーラを開発し , より完全密閉 , また密閉形圧縮機を使用 ) 信頼性を高め , 万 取り付けたのが最初である . また , 気動車にも同様な考え方 ーの故障時にも簡単に着脱できるようになっている・また , 鋼 で特急 < はつかり > から取り付けられた . そして 35 年には , 板製の底板と仕切り壁により , 車内側と車外側に区切られ , 新幹線に冷暖房兼用のヒートホンプ式空気調和ュニットが採 車内側に対しては防水構造となっている・ 用された . 図 5 は冷凍サイグルの原理図で , 圧縮機から吸入 , 圧縮さ その後 , 世の中の冷房普及に合わせるように , 当初は特急 表 1 国鉄の旅客車冷房装置の技術開発の過程 : ↓一旧形 , 〒 : : : ・標準形 式式関機機 機電電 発 ル発 レ 度 電ゼ 睡 ゼ 年カ接 直発 動車軸駆動デデ 各 集 圧縮機開放形半密閉形 メキ . ルク . ロ一フィーにー 冷媒 下 床 目タイプスプ 項分類 50 45 40 35 30 25 20 31 21 イテ・イネ・ロネ・シ 25 : 雑形 3 31 マロネ 41 PC 32 1 マロネ 41 ツ ト 36 38 PC 40 34 すロネ 10 ( AU31B ) (AU21D) PC 33 PC20 系 DC キ与急 35 ( A U 12 ) ( A U 13 ) ( A U 13 S 44 ( AU13A ) PC12 系、一 -1 PC24 系 ( A U 12 ) 43 ( AU 13 E ・ AU72 ) EC 急行 45 (AU75) EC ・ DC 通勤・近効 TEC961 pc ク・リーン車 39 AU14 寝台車 46 AU76 PC14 系 48 AU33 EC 特急 ( 381 ) 43 ( AU91A ・ 92A ) TEC951 し一一 - 39 (AU56 ・ 57 ) TE C A tJ 76 A U 77 屋 房ー根 R 全中電動発電機 上 閉 形 33 集中形グーラと分散形グーフ ( 手前 ) EC 特急 4 & AU94 ) 標 ディーゼル発電機 形 電動発電機 試作 主 変圧 各車集中各車 ツ 床下屋根下 広印暖乂一曇ノ ト 94

6. 鉄道ジャーナル 1976年9月号

るなど , 食堂車自体が長距離急行からも次々と姿を消してい る現在からみれば , よき時代であったといえよう・ ←ー↑専 : 1 2 3 4 5 6 7 8 9 1 東←々臣 マナナナナナナナナナナナナ 20 系固定編成に置替え E F 58 定員 64 名 , 自重 29t , 台車は TR55 形 . のち , 寝台車に改 昭 33. 10. 1 姫←広 C 62 ロロロ フ・ノレーー・ トレイン化 広←関 C 62 ネネネロシネネネネネハフ 造されてナハネ 20 形の仲間入りをし , このユニークなナハ 20 関←門 E F 10 20 20 21 21 20 20 20 20 20 20 20 20 20 門←博 C 59 形はナハフ 20 形とともに残念ながら現存しない . ・ナハフ 20 形 ( 12 号車 ) 最大の特色は , 2 人がけの回転式腰掛を採用したこと . ロマ 下りの最後部 , 上りの最前部に位置する 3 等緩急車で , 室内 ンスシートはすでに特急の座席として定着しており , これま はナハ 20 形とおなじつくりであるが , 最後部の山側には運転 で固定式のため運用や終点で方向転換に難があったのを , 新 車掌室が設けられている . 下り列車の場合 , 最後部の大きな しく回転式とすることで解決した・しかし , 片端の座席から 窓から展望車さながらに流れ去る景色が楽しめるのが特色 . 順に向きを変えてゆく必要があるので , 現在の特急形電車・ 気動車の座席のように , 好みの一脚だけ向きを変えて向合せ 深く丸い屋根と , その下の曲面ガラスを使った大小 3 個の展 望窓 ( 1 つは車掌室 ) 照明式のスッキリしたパックサインと にすることはできない・いわば回転式座席の過渡期の産物と ともに , ナハフ 20 形の東京寄り車端は 20 系固定編成客車の魅 いえるものであった . なお , 冷房機構はナロ 20 形とおなじで 力ある特徴であった・定員 68 人 , 自重 28. 5t , 台車は TR55 あり , 床下に風導管が通っている関係で座席の床は通路より 一段高いのが特色 . 座席への出入りに多少の難があるが , 一 形 . やはり寝台緩急車に改造されて現存しない . 般の車両に比べて , なんとなく車窓の感じが新鮓だというの 落成した 20 系はすべてに新機構が盛り込まれていたため , す で , わりに好評のようであった . ぐに 1 編成が西の整備基地ー竹下客車区に回送されて , メーカ もうひとつの特色は , 博多寄りの車端に売店を設置したこ ー技術者による最後の整備と検修要員の取扱い訓練が開始さ と . 固定窓のため駅で窓があけられす弁当を求めにくいため れた . そして 33 年 10 月 1 日 , 新生 < あさかぜ > の上り列車と 食堂車から遠い位置にいる 3 等座席客へのサービスとして考 して東京へと晴れの旅立ちをしたのである . えられたもので , 弁当などをここで販売することになった・ 座席車の寝台車化にともなって早く消えてしまったが , 乗客 この 10 月ダイヤ改正からくあさかぜ > は東京ー姫路間が E F58 のロングランとなり , 姫路ー下関間を C62 が牽引するこ の弁当入手のことまでキメこまかく配慮した車両が設計され とになった・重厚な外観の電化車両に衣がえした編成は徹底 した軽量構造の威力で換算車両数は 40 ・ 5 にとどまり , 牽引定 数 46 に十分の余裕をもち , 約 15 分のスピードアップが可能に なって , 東京ー博多間は 17 時 10 分に短縮された . こうして < あさかぜ > でデビエーした 20 系デラッグス編成 は快適な旅を待ち望んでいた旅客に圧倒的な好評をもって迎 えられ , 名実ともに国鉄の看板列車の位置を不動のものにし た . 同時にこのダイヤ改正から , 旧 < あさかぜ > 編成を転用 して , 長崎特急 < 平和 > ( < さちかぜ > を改称 ) と編成を共 通運用にした第 3 の九州夜行特急くはやぶさ > が東京ー鹿児 島間に設置され , 東京一九州間はいっそう太いパイプで直結 されることになったのである . ( つづく ) 93 C62 牽引で早朝の瀬戸内を快走する下り 20 系くあさかぜ > ( 光一下松で ) ' 62 ー 2 カメラ ; 黒岩保美 あさかせ

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レールウェイ・トビックス FS—069A 132 ページ . 定価 1 , 000 円 ( 送料 200 円 ) で 1 , 000 部限定 案内所で発売されています . 発行は阪急電鉄で , B 4 版 図集」 ( 縮尺 1 / 100 ) が 7 月上旬から梅田駅の阪急電車総合 現在 ' 阪急 ' で走っている全車両を網羅した「車両形式 阪急の「車両形式図集 協力・阪急電鉄株式会社 下 ; 室内 ( 6101 ) く上 ; 列車種別行先表示幕 ( 側面 ) 下 ; T 車用の FS069A 台車 ( 658 ) △上 ; M 車用の FS369A 台車 ( 5 1 ) とのことです . 6000 系主要諸元 定 座 要 寸 法 主 駆 歯 制 運 集 尸 連 冷 暖 放 員 ( 人 ) 席 ( 人 ) 最 車 最 車 車 電 動 6000 140 50 38.5 19 , 000 18 , 400 2 , 750 2 , 700 4 , 095 6600 150 56 37.5 19 , 000 18 , 400 2 , 709 2 , 700 4 , 095 6100 140 50 38.0 19 , 000 18 , 400 2 , 750 2 , 700 4 , 040 FS—369A 6500 150 56 37.0 4 , 040 2 , 700 2 , 709 18 , 300 19 , 000 ( 鋼 ) 25. 大 体 大 体 大 形 動 装 長 長 高 式 機 置 比 式 能 6550 150 56 2 ( アルミ ) 21.7 4 , 040 2 , 700 2 , 709 18 , 300 19 , 000 車 御方 転性 プレーキ方式 直流直巻補償巻線補極他自差通風式 SE -607 形 140kW ー 375V ー 410A 平行カルダン駆動中空軸たわみ板継手方式 5.31 = 85 / 16 電動力ム軸式発電プレーキっき無接点総括制御方式 MM31—A2 加速度 2.43km / h / s 常用減速度 3.7km / h / s 最高速度 110km / h 発電プレーキ連動 , HRD ー 1 ー D 形電気指令式 , 電磁直通空気プレーキ方式 電装 電動発電 閉装 結装 房装 房装 送装 置 機 置 置 置 置 置 PT—06BMX2 PT—06BMX2 自動列車停止装置 列車無線装置 74 CLG ー 350P200V120kVA 150MHz 帯空間波列車無線装置半複信移動局 10W 高周波軌道回路連続制御方式 1920HZ 12V トランジスタ式 10W 分散車内車外放送装置 先頭車 13.0kW 中間車 14.4kW シーズ線ヒータ・連転台 600WX2 台温風器 RPU ー 3003A 形 ( 10 , 500kca レ h ) X3 運転台寄り = ヒジ形自動連結器・恒久連結寄り = 半永久形密着連結器 TKRA—I s 形ラック連動両開式上戸閉機 ( 戸閉保安装置再開閉装置っき )

8. 鉄道ジャーナル 1976年9月号

レールウェイ・トヒ。ックス 阪急電鉄の宝塚線用 6000 系通勤車 山村定雄 ている . 外部塗装は阪急伝統のマルーン色なので , 外見的に 昨年 , 6300 系 ( 京都線特急用 , ' 76 年プルーリポン賞受賞 ) ・ 2200 系 ( 神戸線通勤用 , チョッパ制御車 ) など相次いで話 は区別できない . 内装は従米の鋼鉄車同様のアルミデコラを採用している . 題の電車を登場させた阪急に , 今回は宝塚線用通勤車として アルミカーに対する今後の考え方は , 6 両を製造して今回の 阪急初のアルミ車体 2 両の中間車を加えた 8 両固定編成の新 2 両と連結 , オールアルミカーによる 8 両編成として運用さ 形式車 6000 系の 1 編成がデビュー この車両の特色は , 昨年テビ、一した 2200 系と同じ車体に れる計画である . 制御器は 5100 系と同じ電動力ム軸式 , モーターは 140kW 5100 系と同じ走り装置である制御装置とモーターを採用し , 375V , 駆動装置は平行カルダン駟動の中空軸たわみ板継手式 , 6300 系・ 2200 系同様 , ワンハンドル運転台っき車両である . プレーキ装置は , 発電プレーキ連動 HRD ー 1 ー D 形全電気 したがって 6300 系・ 2200 系につづいて 6000 系の登場により , 指令式による T 字形ワンハンドルマスコン , 台車は S 形ミン 神戸・宝塚・京都の 3 本線に , ワンハンドルの新車トリオが デン , 冷房装置は 1 両 3 台の集約分散式 . なお , 5100 系との デビューしたことになる . 相違点は , ①ワンハンドルの採用②窓寸法の変更③表示 車両の概要は , 基本は 19m 車体 , 片側 3 扉両開きの通勤車 幕装置の取付け④ 2 サイクル形冷房装置の採用⑤ MG 形 で , 話題のアルミ車体は付随車 2 両について , 試作的にアル 式の変更など . ミ化されたものである . 車体の主要寸法は , できるだけ 6000 6300 系が特急用の量産形であるのに対し , 6000 系は通勤用 系の鋼体車と同様の設計とし , 強度の関係から側構体の厚み の量産形となるもので , 今後 , 増備のうえ神戸・宝塚両線に は鋼体車 100mm に対しアルミ車 112mm となっている . アルミカ 投入される . 試運転は 5 月 29 日から京都線・正雀一高槻市間 ー最大の長所は , 重量が軽く , 電力費の節減 , 線路保守費の で , 6 月 10 日から宝塚線に配置されて練習運転ののち , 7 月 低減などとともに , 鋼体車に比べて腐食しにくいこと . 自重 は鋼製車 1 両 25.2 t に対しアルミ車 21.7 t で , 3.5 t 軽くなっ 中旬から営業運転に使用される・ 右ページ 上 ; 手前から 6g1 ・ 6551 ・ 6501 ・ 6560 ・ 6570 ・ 6601 ・ 6581 ・ 6101 下 ; 手前から 6101 ・ 6581 ・ 681 ・ 6570 ・ 658 ・ 6501 ・ 6551 ・ 6g1 左 ; アルミ車体の 6570 ・ 6560 < 右 ; 連転台 ( 6101 ) 2200 0 2 」 0 2 講 70 0 〔 9 結 0 09t3 06 「一 96q7 9937 0 ロ 床面 999 098 999 一 OC 一 0 皀 6 860 し 435 2 , 100 2,100 2,800 つ」 -8 9 、 2900 350 ( 連転台側 ) ミ半永ス産着連結 ミっ 2200 780 800 800 200 2 0 ( 員通路側 ) ZOI 0 08 好 96 せ 970 09 マ 60t 0 510 四 5 000 : 6000 形 ( Mc ) 形式図 1 / 200 800 780 830 830 830 780 4 , 390 480 1360 2 , 910 1300 1 、 300 1300 72

9. 鉄道ジャーナル 1976年9月号

レールウェイ・トピックス 大阪市交通局 地下鉄 2 号線 ( 谷町線 ) 延長用 大阪市の地下鉄は , 51 年 6 月現在で 6 路線 70.2 の路線網が 整備されているが , 今後とも予想される輸送需要の増大に対 処し , 都市交通の根幹としての役割をまっとうするため , さ らに路線網の拡充が進められている . 現在すすめられている工事は , 谷町線 ( 地下鉄 2 号線 ) を 南北に延長するもので , 都島一守口 6. 4km , 天王寺一八尾 南 10.4 虹このうち都島一守口間の開業は昭和 52 年 4 月の予 定で , これにより市北東部の旭区や守口市など , 人口密集地 と都心を直結することになり , 谷町線は , 御堂筋線・四つ橋 線・堺筋線とならぶ , 南北方向交通の一大幹線となる . 都島一守口間にはホーム長 160m の島式ホームをもつ 5 駅 が設けられる・天王寺ー守口間の所要時分は 31 分で , 6 両編成 の列車をラッシュ時には 3 分ごと ( 都島一守口間は 6 分ごと ) に運転する予定で , 運用される最大列車数は 21 列車となる . 3047 ・新 30 系のアウトライン る紫色の着色テープを貼りつけ , 乗客案内に一役かっている . なお列車の正面と側窓の下には , 谷町線の号線識別色であ 乗務員がすばやく故障処置をとれるようにした・ キであることは同じであるが , 故障検知機構を充実させ , 4. 空気プレーキ装置は , 全電気指令式の電磁直通プレー 3 ・全車 , 貫通路部に引戸を設けた . 2. 客席の座席をプルマ式モケット張りとした . 的に取り付けた . 全車の窓がいっせいに開閉できる・一斉開閉装置 ' を試験 1. 客室側下窓を固定化し , 上窓は乗務員の操作により , の 6 両編成 . 既存の 30 系車両から設計が変更された点は , ミ合金製車体の車両で M1c—M2E'=T'—T—M1—M2Ec 車が逐次搬入されている . 在来の 30 系車両を基本としたアル この都島一守口間の延長で必要となる車両数は 58 両で , 新造

10. 鉄道ジャーナル 1976年9月号

長を完了し , 現在の路線が出来あがっている・なお , 路線の 鹿児島市交通局 縮少は全くない・ ・沿革 ・路線・施設 鹿児島市電の歴史は , 大正元年 , 鹿児島電気軌道株式会社が 路線は全線複線 , 軌間 1 , 435mm , 架線電圧 600V で , 総延長は 谷山一武之橋間 ( 6.4 ) に 4 輪単車 7 両をもって鉄道を開 19.388 ( 岩崎谷付近の 0.464km と , 谷山一郡元間 4. 39km は 通させたのに始まる . その後 , 着々と発展をとげ , 昭和 3 年 専用軌道で , 他は併用軌道 ) である . に鹿児島市に買収された時点での路線は 15.6 車両は木造 車庫・工場は交通局に , 変電所は車庫内・脇田・長田町・ 車 52 両であった・しかし , 第 2 次大戦中に戦災にあい , 工場 玉江小前の 4 ヵ所にある . また , 軌道敷内は全線にわたりク などの施設や車両を多数焼失してしまい , 25 年ごろから完全 ルマの乗入れが禁止されている . ( ただし国道 3 号線上にあた な立て直しがはかられた・その結果 , 車両は昭和 30 年に落成 る伊敷町一加治屋町間の約 4 では , 7 ~ 9 時 , 17 ~ 19 時ま した 500 形を軸に新車の投入が順次おこなわれ , 路線も , 34 でグルマの乗入れを認めている ) 年に伊敷線の延長 , 循環線の完結 , 36 年には清水町までの延 日豊本線 鹿児島市交通局の路線図 系統図 お堀端をゆく 812 号車 私学校跡で ' 76 ー 4 (M) ②③① 水町 産児当駅前 市役所前乗挟え籾こよる 降車禁止 高兄馬場 カロ屋町 敷町 かごしま 産児島駅前 市役所前 高見馬場 にしかごしまカロ治屋町 前島文を 郡元 みなみかごしまま鹿児駅前 枦町 西児島 駅前 交通局 郡元 谷山 各系統の時間帯別の運行へッド 運行区間 終発 10 分 ( 10 分 ) 7 分 ( 6 分 ) 6 分 ( 6 分 ) 1 鹿児島駅前一谷山 6 分 ( 8 分 ) 9 分 ( 8 分 ) 8 分 ( 8 分 ) 15 分 ( 15 分 ) 2 清水町 - 郡元 7 分 ( 8 分 ) 7 分 ( 6 分 ) 6 分 ( 6 分 ) 10 分 ( 10 分 ) 3 鹿児島駅前一伊敷町 6 分 ( 8 分 ) ( ) 内は休日 18 : 30 ~ 線 合山