肥前鹿島を過ぎるとやがて有明海に沿い路盤の悪い単線を右へ左へ急カープを切りながら諫早へと走る長崎本線きっての難コースだ り , 早岐・諫早を経由して長崎へ抜けるのが , 当時の長崎 部 3 両の車体があざやかに見える . 時速は 60km / h ほどしか きざ 本線のルートだったわけだ . 地盤が悪く急峻な地形をぬっ 出ていないが , グググ・・・ときしむ音が響き , 小刻みに車体 て海岸まわりの路線が開通し , 現在の長崎本線が全通した が震えている . 左右の揺れもひどくなった . 線路の状態が のは昭和 9 年 12 月のこと . しかし戦後の 30 年初頭まで佐世 グンと悪くなったことが , よくわかる . 保・大村線経由 ( 早岐まわり ) の旧ルートが長崎への動脈 長崎本線が有明海ぞいに走る肥前山口一諫早間の歴史は であり , 優等列車もこのルートで運転されていた . 長崎・ 意外に新しく , そして名だたる難コースだ . 鳥栖から九り、 佐世保線の旅客列車は遠く戦前から , 鳥栖ー肥前山口間を 西端への鉄道は九州鉄道 ( 株 ) の手で建設され , 明治 31 年に 併結運転する方式がとられていたが , 早岐の機関車が鳥栖 早くも早岐経由で浦上・佐世保まで開通し , 38 年には終点 の長崎まで全通した . つまり , 現在の佐世保・大村線を通 まで直通し , 長崎の機関車は肥前山口で折り返す運用がっ 急として京都ー博多間に誕生した . 東海道すしでは特急くつば め > くはと〉が華々しく活躍していただけに , 西日本地区利用者 かもめの の期待は大きく , 京都ー博多間で戦前のく富士〉より 1 時間半 も速いという駿足を誇ったが客層の関係から 1 等展望車なしの 旅路 二流特急 ' という声もあった . スハニ 35 ・スハ 2 ・ 3 等編成で , 44 >< 3 ・マシ 49 ・スロ 54 X 3 ・スハフ 43 の特急形客車 9 両編成 , 牽引機は京都ー下関間 C59 , 下関ー門司間 EFIO , 門司ー博多 間 C 57 のトリオ . 上り列車のみ広島で D 52 を後部補機につけて ' セノハチ ' の険を越え , 八本松駅の構内で走行中に解放した . スロ 54 は当時の最新豪華車両だったが , 利用が少ないため 1 両 をスハ 44 に置き換え , 32 年には 3 等座席が一方向固定ロマンス シートのため終着駅での大がかりな編成転換をは」 : く目的から 軽量客車ナハ 11 系が組み込まれ , 特急としての風格と人気が落 ちた . そして昭和 36 年 , 、 36 ・ 10 ' ダイヤ大改正による気動車特 ーかもめ ' の愛称が生まれたのは昭和 12 年 ( 1937 ) - ー戦前の日本 急大増発で新鋭 82 系特急形気動車に衣がえし , 京都ー長崎・ の鉄道の黄金時代で , 先輩く燕 > く富十〉く桜〉各特急のあとを追 崎間の併結特急になり , 長崎とのエンが生まれた . って東京ー神戸間にデビュー . もちろん客車特急で , 東京ー沼 その後 , 40 年 10 月に運転区間を京都ー長崎・西兜児島間に 津間は E F 50 , 以西を C 53 が牽引した . 臨時く燕〉を入れると けんらん 43 年 10 月には京都ー長崎・佐世保間に変更した . 併結区間は京 東海道・山陽すじに 5 往復の特急が走り , 絢爛と覇をきそった 都ー小倉間で , 小倉ー長崎間と小倉ー佐世保間 ( 筑豊経山 ) は が , 第 2 次大戦の戦況悪化とともに次々と廃止され , く鵰〉 ( 当時 おなしくかもめ > の愛称で別々に走る異色特急として注目を集 は漢字使用 ) も 18 年に姿を消した . これが一世である . めたが , 50 年 3 月 15 日の新幹線開業により廃止された . 二世くかもめ〉は昭和 28 年 3 月 15 日 , 戦後はしめての山陽特 かもめ
ネグラの南福岡電車区を右に 見て・・・右手の電車はクモヤ 740 形 け加えた . 私の乗った自由席 8 号車には数人のファンがい 10 時 25 分 , くかもめ 1 号〉くみどり 1 号〉の併結列車は処女 運転らしい狂騒もなく , 静かにホームを離れた . 天気予 て控えめに取材しているが , 定員の 1 / 3 ほどの車内はいた 報は雨と報していたが , 薄日の射すおだやかな空模様 . だ って静か . 発車前からゴロリとシートに横になって眠って いる男もいる . このくかもめ 1 号〉は名古屋からの寝台電 が行く手の空はどんよりと曇り , 梅雨がまだ去っていない 車特急く金星〉と , 早朝に新大阪を出たくひかり 51 号〉 , ことを教えている . 台風 7 号も九州西岸に近づいていると おなしく広島発の季節くこだま 445 号〉を受け , 長崎に昼 いう . やはり長崎は雨だろうか・ すぎに着く便利な時間帯のエル特急にしては , 意外に乗客 軽やかに高架を駆け下り , べテラン 485 系特急形電車は 西の果てをめざす . 昨年 3 月 , 新幹線博多開業の陰に消え が少なく , 指定席が約 2 / 3 , 自由席が半分ほどの入り . 客 去ったかもめ ' は西海に群舞する電車工ル特急として , 電 足が極端に落ちる時期ではあるが , 長崎までの所要時間が 急行より 30 分前後しか違わないのに料金は 500 円 ( 佐賀ま 化なった長崎本線に帰ってきたのである . でだと 60 0 円 ) も高くっくので , 後続の急行く出島 2 号〉 ? 東京に近い 発車してすぐ , 停車駅と到着時刻をつげる簡単なアナウン を選んだ人もかなりあるのではないか スがあり , 最後に「長崎・佐世保ゆき処女列車です」とつ 総武・房総地区の観光・ビジネス路線ならともかく , 九州 線橋も完成して 7 月 1 日の開業の日を待っていた . わすか 26 分で長崎を折り返した電車は 9108M となって鳥栖 をめざしたが , 肥前浜駅では強風で飛来した雨樋が電車線を 支障し , 停電で一時停車したのもご愛嬌・・・と , 自信満々の訓 練運転風景で , あまりにもアッケないような気さえした・し かし全くの新線ではなく , これが正常な姿だと思えば , 電化 のメリットを存分に知らされた試乗ということができよう . カメラ・編集部 長崎駅を出て鳥栖へ向かう折返し試連転列車 ( 9108M ) 開業をひかえてホ ームのかさ上げ工 げ作業の最中で , 電化開業ムードもようやく高まりつつある ようだった・ ・自信を持って開業の日を待つ 諫早からは , 長崎トンネルを抜けるとすぐ終点である・トン ネルを出ると左手に原爆落下中心点の平和公園がのそまれ , 。詩とロマンの町 ' 長崎のプロローグとして十分なお膳立てと いえようか・ なにか薄暗い感じだった長崎駅も , いろいろな電化関連工 事で非常に明るくなっていた・そして , どっしりとした大跨 どい 浦 62
特別速報・長崎・佐世イ電化と一 ヾイバルかもめ〉くみど > 西海のエル特急 くかもめ > くみどり > カメラ・白井朝子 文・竹島紀元 博多→長崎・佐世保 下り処女列車一号 ・特記以外の写真はすべて ' 76 ー 7 ーば電化初日 ) 撮影 つゆ 長い梅雨が一段落し夏もまぢかに迫った 7 月一日西九 州長年の悲願であった長崎本線・佐世保線の電化がついに 開業 485 系特急が緑一色の由面にカラフルな姿を映して 小倉・博多ー長崎・佐世保問を突っ走った . 諸般の事情で 急行は気動車列車のまま残るというやや中途はんばな電 くさくら〉時代は東京ー長崎間に約円 化開業ではあるが 時問半を要していたのが新幹線博多開業で田時問 20 分にち ぢまり一年後の電化による電車特急くかもめ〉の出現で さらに 30 分短縮凵 0 時問のカべを破ったことは長崎・佐 世保線の全線 C T C 化とあわせてその意義は大きい . 雲 仙・西海のニ大国立公園をもつ西九州は観光輸送の面で も新しい夜明けを迎えたわけだ . またリ / ヾイバルしたくかもめ〉くみどり〉はくみどり > 編 / 花 ' 九州 ' 北部 0 ー大車両基地ーー南電車区にぞろ 0 、した特急電車群く有明〉くに ん〉 , まじってくしおじ > が見んくれは一どり
くわらせて走る . 左手に並走する国道のすぐ向こうには褐 色の海原 . 時おり , 小さな入江にそって急カープを切る . 潮のひいた泥沼には , 傾いた小さな漁船の姿も・・ 11 時 03 分 , 多良駅を通過 . すぐ西には標高 983m の多良 岳がそびえている . この一帯はナゾの女王国一耶馬台国が あったともいわれるところ . 島原半島に大きく抱かれて眠 る有明海のはるか南に雲仙岳が望まれるはすだが , あいに くの曇り空で , 灰褐色の世界が一面に広がっている . 深い緑の木々と雑草に , 眼のさめるようにあざやかな車 体を浮き上がらせて急カープをぬうくかもめ〉のスピード は , せいぜい 60km/h どまり . 並行する国道を , 荷物を満載 した大型トラックの列が少しすっ先行してゆく . 道路は小 さな入江を橋で一直線に突っ切ってゆくのに , 鉄道は R250 ~ 300m のカープで半円を描きながら迂回する . まさに , 新 しい交通機関と歴史の重味を背負って生きる鉄道の , 対照 的な光景だ . しかし , よく観察していると , コンスタント な速さで走るくかもめ〉のはうが全体的にはクルマより先 行している . それは高速大量輸送に生きる鉄道の底力とい うべきであろうか . ウサキ、とカメの寓話ではないが , 苦し い競争とはいっても油断せす , 適切な対策と努力さえ怠ら なければ , 鉄道の生き残る道はきっと残されているはすだ . 急と新幹線が接続するのは下り 7 本 , 上り 6 本で , 東京ー 名分である・新幹線接続高速列車網 ' の形成といっても , 特 の。ェル ' 運転を構成する苦しさだ . そのため , 設定の大義 数本の急行く出島〉く弓張 > まで含めて , はば 1 時間へッド をスタートする . 運転時刻が 1 ~ 4 時間と不揃いであり , ぞろ を発車し , 上りは朝と , 日中・さみだれ ' 式に長崎・佐世保 くみどり〉が 6 往復 , 下りは正午前後とタ方に博多・小倉 ・エル特急 ' といっても , 長崎くかもめ〉が 7 往復 , 佐世保 幹線の近代化輸送改善の困難さを物語っているといえよう 味でいかにも中途半端であり , 日本のさいはてに生きる亜 ェル特急くかもめ > くみどり〉の登場は , そういった意 を犠牲にして鉄道の健全な発展は望めない . の生活と密接に結びついたものである以上 , ローカル輸送 きた地域利用者の立場への理解であろう . 鉄道が沿線住民 の綿密な分析 , 将来性の判断 , そして鉄道の発展を支えて 下にドジョウがいつもいるか・・・ , 要はその線区の輸送需要 らの成功をふまえての積極商法ととることもできる . 柳の 車の増発が輸送需要の開拓につながった実績も多く , それ 可欠である . また他地区の例でもみられるように , 優等列 ることは明確で , この観点からみれば工ル特急の設定は不 ・観光地へのスピードアップとサービス改善の一環でもあ 長崎・佐世保電化が新幹線博多開業による島内主要都市 いて少し考えてみよう . は前にふれたが , もう一方の柱であるエル特急の意義につ 方の柱が島内幹線電化によるメリットを期待していること とエル特急新設であるのは明らか . 大局的にみて電化の一 その・生き残る ' ための起死回生の策のひとつが今回の電化 長崎・佐世保間ではわすか 3 往復というさびしさである . また , 上下ともくみどり〉が 1 往復少ないため , 上下と も併結区間で , くかもめ > とくみどり > の号数が違うケー スが生して不便であり , 急行く出島〉く弓張 > グルーープの混 在も原因して列車系統が複雑で , スッキリしない . 特急と ほば同数の急行が残ったことは地域利用者へのサービスと いう面で喜ぶべきことだが , 「数自慢キッカリ発車自 由席」が売物のエル特急の看板が泣こう . 初日の試乗では 席だけはタップリあったが , これは喜んでばかりもおられ まい . 気動車急行とくらべて博多ー長崎間で 30 分 , 博多ー 佐世保間で 20 分しか速くないというドン足 ( 下り 1 号の場 合 , 表定速度はくかもめ > が 63.7km / h , くみどり〉が 54.4 km/h) とともに , 早急に改善とイメージアップの努力をし ないと , シーズン以外は赤字特急になるような気がする . 一方 , ローカル旅客改善では 1 往復の快速電車が登場し たものの , 下りは夜ふけ ( 長崎着 23 時 40 分・佐世保着 23 時 12 分 ) 上りは早朝 ( 長崎発 5 時 01 分 , 佐世保発 5 時 47 分 ) のビジネスむきでないダイヤで , 間合使用ということが露 骨にわかる . 投資を極端に押えられた苦しい状況の中で長 崎・佐世保全線の C T C 化まで実現させ , 急行・通勤形電 車の新製投入まで手が回らなかったのだろうが , 全般的に 利用者へのキメこまやかな配慮がもっとはしかったと思う . ともあれ , 前号でくわしく紹介されたような経緯と関係 者の努力で , 待ち望まれた西九州地区の電化はスタートし た . そして今 , くかもめ〉は褐色によどむ有明海に流麗な 姿をうっして西海へ飛ぶ . 北国からの渡り鳥であるカ モメが港に棲みついて人々の生活を守るように , 遠い昔の 東海道特急から三転して西海のエル特急に生まれかわった 新生くかもめ > は , きっとこの地に定着し , 西九州発展の 先頭に立って逞しく成長してゆくことであろう . 間半の飛翔の翼を静かにたたんだ . くかもめ〉は終着駅ー長崎のガランとしたホームに , 2 時 をぬけるともう長崎市内 . 12 時 53 分 , 定刻より 3 分遅れて をめざす . 諫早を出ておよそ 15 分 , 長崎トンネルの長い闇 頸部の丘陵地帯をトンネルで次々とつらぬいて , 一路長崎 喜々津を出ると 4 年前に完成した線増別線に入り , 半島 系電車は高加速にものをいわせてグングン足を早める . め > 最後のコースだ . 5 分の遅れを取りもどすべく , 485 いよいよくかも 停車を 1 分にちぢめて , すぐ発車 へ島原鉄道が分岐している . そして長崎・西彼杵半島への交通の要衝 . 北へ大村線 , 南 そのぎ の細い頸部に位置し , 九州中央部 , 島原半島 , 佐世保方面 , 長崎本線沿線の最後の都会一諫早は西南へ伸びる長崎半島 ルをぬけると , 小さな町なみが広がり , そこはもう諫早 . り , やっと特急らしい 90km / h 前後にもどった . 短いトンネ あびて緑の平地を諫早へと進む . スピードもグングン上が に難コースを駆けぬけたくかもめ 1 号 > は , 薄日を全身に もてる力を押え , 60km / h 前後のスピードを保ちながら慎重
ラのりほ ! 第経一 0 : 2 、要 コー、一い 09 当第第 工かしめ - 特急 FOR NAGASAKI 下りくかもめ一号〉くみどり一号〉が スタートする博多駅 7 番ホーム前端 ではささやかな出発式が・・ 層ビルの建設が目立ちはしめ , 今では近代的なオフィスや カモメは帰ってきた ホテルがひしめく , 活気にみちた玄関口に変貌してしまっ けんらん つゆ 梅雨あけが近づくと九州の雄都ー福岡の町々には絢爛たる たのだ . 十余年の歳月の流れと経済の高度成長があったと 博多山笠の飾付が空高くそびえ , 祭ずきの博多っ子たちの はいえ , 新幹線の威力をあらためて感しさせられる . 7 月 1 日 , 午前 10 時 . 新幹線の斜下に広がる在来線 7 ・ どよめきのなかにいつか夏がしのび寄る . 8 番ホームの下り先端は数十人の人垣でざわめいていた その ' 百万都市 ' 福岡の表玄関ー博多駅の景観は , 昨年 3 月の新幹線開業ですっかり変わった . 近代的な明るい高架 ホームの太い柱には色あざやかな紅白の幔幕 . 10 時 25 分 , ホームに立っと , 東側に新幹線ホームが一段高く城壁のよ 7 番ホームから発車する長崎・佐世保ゆき下りエル特急の うにつらなり , わすか 7 時間で東京を直結する長大編成電 処女列車くかもめ 1 号〉くみどり 1 号 > の出発式が , まもな 車くひかり〉がホワイトとアイボリーの流麗な姿をやすめ く始まろうとしていた . 10 時 02 分 , 定刻より 3 分ほど遅れて , 駅本屋寄りの 3 番 ている . 明治 42 年に建設された古い地平旧駅を捨てて東側 ホームに長崎からの上り特急くかもめ 2 号 > が 2 時間半の 約 6 0 0 m の高架新駅に移ったころは , 市の中心繁華街から 遠いのと地価の異常な高騰のため周辺は草ばうほ、うの広大 旅を終えて , 静かに翼をやすめた . 今ではめすらしくなっ な空地だった . それが , 新幹線工事が始まったころから高 たポンネットタイプの珍車クロ 481 の前頭には美しい飾付 交通新聞・九州支局長 試運転 \ かもめ〉 ( 鳥栖→長崎 ・訓練運転はくかもめ > と < みどり > を分けて 国鉄線の電化は , いわゆる工事局の工事が終わり , 本社 ( 一 部は通産省 ) の監査が行なわれて「訓練運転を実施してよろ しい」とされ , はじめて訓練運転ー - ーいわゆる ' 練習運転 ' 開始となる手順となっている・ 長崎本線・佐世保線の場合も , 5 月 12 日に石原本社電気局 長の監査で O K をもらい , 訓練運転のはこびとなった・そし て , 門司鉄道管理局が南福岡電車区 , 長崎・早岐両機関区の 電車運転士を対象に , 1 人 3 回を目標に訓練運転電車を走ら せたのが , 5 月 26 日であった・ 訓練運転は , 南福岡電車区を出た電車が , 鳥栖ー長崎間 , 鳥栖ー佐世保間でそれぞれ別個に実施した・本来ならば肥前 山口で長崎ゆき < かもめ > と佐世保ゆきくみどり > の解結作 業を行なうはすだが , 訓練運転ではその作業の手間をはぶく ため , 南福岡の基地を出るときから < かもめ > 編成 , < みど り > 編成で組み立てられたのが , 大きな特色といえよう・ 訓練運転は特急編成 ( 485 系 ) で行なわれ , 南福岡の乗務 員は出区から肥前山口まで , 長崎・早岐両機関区の乗務員は 0 R S A 日 0 つばさ 試乗記 9 1 0 5 M 下肥前山口 ( 9105M ) 08 : 57 佐賀 1 三ロ 09 : 21 09 : 24 09 : 36 09 : 41 11 : 06 11 : 17 12 : 54 11 : 44 12 : 10 14 : 23 12 : 55 14 : 50 15 : 05 ( 9108M ) 15 ; 24 14 : 37
佐賀地方にはワラ葺きの曲屋づくり農家が今も多く残っている 有明海に舞うくかもめ〉 「 3 分ほどで肥前山口です . この列車は長崎ゆきと佐世保 ゆきにわかれます . 長崎ゆきが 1 分 , 佐世保ゆきが 2 分と まります」・ いよいよ新特急おめあての分割だ . ダイヤではそれぞれ 3 分・ 6 分の停車だが , 遅れているためか , 正味の停車時 いすれにしても 1 分では下車できない 分がそうなのか ので , 分割作業を撮影してくみどり〉で佐世保へ向かう白 しに作業を 井カメラマンに取材をまかせ , 8 号車から一、 この駅での解 ながめる . 試運転では独立運転だったから , 結作業は今日がブツッケ本番というわけ . 助役さんやカレ チ氏も真剣な顔で , もどかしげに作業を見守る . ホームで はすでに発車のベルが鳴っている . くみどり〉が静かにバックして 3 m はど離れたところで とまると作業完了 . この間およそ 3 分 . 上りの場合はくみ どり〉が先に到着してホーム前寄りにとまり , くかもめ > が二度も軽く停車しながら近づいて連結するので , もっと 時間がかかる . 小型ローラーまで繰り出してアスファルト舗装に懸命の 肥前山口でのくかもめ〉とくみどり > の分割作業左 ; 連結器を解錠 して工アホースを切り中 ; 編成後部のくみどり〉が静かにバックす ると右 ; 編成は 2 つに別れる ホームには , 上りのローカル気動車が 2 編成ならんでいる . 電化で登場した新顔は特急形電車と交流機関車だけで , 例 外的に快速電車 ( 通勤形 ) が 1 往復 , 長崎・佐世保へ運転され るはかは , 急行・普通列車は気動車のまま . 電気機関車も 全部はそろっていないのか , 初日の下り < みすほ > はまだ DD51 の牽引で , 新旧車両の展示会といった感じだ . くみどり〉を置き去りにして発車したくかもめ〉は , 軟 号地盤のため門型構造のポールが林立する長崎本線を , 次 第に進路を南に取りつつ長崎へ向かう . 線路は単線となり 速度も目立って落ちてきた . 肥前竜王を通過 . 右手に山が 迫る . まもなく右へ大きくカープ . 私の乗った最後尾 8 号 車から , 窓に顔を押しつけることなく , 急カープを切る前 分割作業完了 ! この問およそ 3 分停車時間ギリギリの作業だ かと 0 当き
が誇らしげに・ この上り 2 号だけはくみどり > を併結し ない単独編成で , 長崎から 8 両で上ってきた本編成にくみ どり〉用の 4 両編成を肥前山口で前部に増結する特殊な運 用だが , 佐賀駅で祝賀式があったため飾付をしたもの . 前 日 , 南福岡電車区をおとすれたと、き , 私たちの目前で昔な つかしい、しおし ' から、かもめ ' へ変身 , 美しく化粧されて いたクロ 481 であった 祝賀式は電化初日の 7 月 1 日 , 長崎・佐世保線電化の目 玉商品である電車工ル特急の関係各駅でおこなわれた . 博 多が下りくかもめ 1 号 > , 佐賀が上りくかもめ 2 号 > , 長崎 が上りくかもめ 3 号〉 , そして佐世保が上りくみどり 2 号〉 ( くかもめ 3 号 > と併結 ) で . 初めは新幹線博多開業と同時 にスタートするはすだった電化が石油ショックなどの事情 で 1 年以上も遅れていただけに , 沿線の西九州各都市の喜 びも , ひとしお大きかったのだ . ームは発車時刻が迫っても乗客の列は短く , 意外なほど静 処女列車くかもめ 1 号 > くみどり 1 号〉の入線を待つ 7 番ホ 初日の下り くかもめ一号 > かだった . く有明〉くにちりん〉の島内ェル特急をはしめ大 阪・東京を結ぶ寝台特急がひんばんに発着する大博多駅ホ ームでは , 長崎・佐世保線の沿線都市の喜びとは裏腹に 特急の増発など関心がないらしい . 電化開業をつげるアナ ウンスも特になく , ホーム先端付近の熱気だけが浮き上が った感し . それも楽隊が吹奏楽を吹き鳴らして興奮のルッ ボ・・・といった趣ではなく , 花束贈呈とテーープカットをおと なしく待っといった地味さだ . かんしんの主役 , 48 5 系電 車くかもめ > くみどり〉の姿がなく , 門司側から入線してき たのが発車の 10 分ほど前 . 少なくとも起点のひとっ博多駅 ひょうし での出発式は , ちょっと拍子ぬけの光景であった . 初日の下り処女列車の編成は下図のとおり . 長崎ゆき 8 両 , 佐世保ゆき 4 両の併結 12 両編成は , それぞれ仲よく 4 M 4 T と 2 M 2 T の , 48 5 系 6 M 6 T . 編成の半分一一一中 央部の 5 ~ 10 号車の 6 両が自由席車 , 両端が指定席車とい う配置は , 特急ではめすらしい . 肥前山口で長崎ゆきくか もめ > と佐世保ゆきくみどり > を分割する関係であろう . 今回登場のエル特急くかもめ〉くみどり > の最大の特色は くみどり一号〉の編成 おもむき 長崎・佐世保 みどり 1 号佐世保ゆき ( 甼岐ー佐世ま逆編成 ) ① クノ \ 481 ( 203 ) 定員 56 長崎ゆき ⑤ モハ 484 モハ 485 サロ 481 サハ 481 モハ 484 モハ 485 クハ 4 田 72 かもめ 1 号 ②③④ ⑥⑦⑨ ( 283 ) ( 1 8 1 ) 64 72 定席 ( 78 ) 48 ( 275 ) 64 ( 1 ワ 3 ) ( 20 5 ) 72 56 自由席 ⑨ クハ 481 ( 240 ) 56 ⑩⑩⑩ モハ 484 モハ 485 クロ 4 田 ( 339 ) ( 242 ) ( 52 ) 36 定席 佐賀から乗務して肥前山口で交替というシステムで , 佐賀ー 肥前山口間は 2 人乗務の変則区間となっている・これは営業 運転になっても同じ仕業となるのは当然である・ 前述のように 1 人が 3 回 ' 線見 ' で乗り , 3 往復のノルマ を達成した乗務員が今度は本務で乗務し , 見習を養成する方 式が訓練運転で採用された・ 電化完成で長崎本線・佐世保線に初めてエル特急が実現し 博多 ( 一部は小倉 ) ー肥前山口間は 485 系 12 両編成 , あとは 8 両と 4 両に分かれるが , 佐世保 < みどり > の 4 両は , ェル 特急としては日本で一番短い編成の電車特急となる・ ・複線の平野部を快走 ( 博多→佐賀 ) 門司鉄道管理局が , この訓練運転用臨時電車を報道関係者に 公開試乗を実施したのは 6 月 8 日のこと・訓練運転は < かも め > < みどり > とも一日 5 往復を走らせているが , 時間帯か らみて取材 , とくに写真撮影に便利なようにと , 昼間の 9105 M ・ 9108M がえらばれた・試乗区間は鳥栖ー長崎間の往復・ 自・栖駅に到着した 9105M の編成は , クハ 481 ー 208 十モハ 484 ハッ ー 278 十モハ 485 ー 176 十サロ 481 ー 115 十サハ 481 ー 114 十モハ 484 一 277 十モハ 485 ー 175 十クハ 481 ー 207 の 8 両 . ハンドルを握っているのは , すでに 3 往復のノルマを消化 した野田和正運転士 . ( 37 ) そして見習として乗務したのはこ の日が第 1 回目の手塚松次運転士 ( 47 ) それに吉村西東車掌 ( 45 ) ー博多車掌区ーの 3 人・ほかに , 取材陣乗車にそなえ て南福岡電車区から近藤指導助役が添乗し , 何かと世話をし てくれる・ 鳥栖を出れば , 車窓の左右は、穀倉 ' 佐賀平野の広がりが展 開するが , 右手の背振山系は重苦しい梅雨空にこばまれて , 全容を見せようともしない・肥前山口までは複線区間だから 訓練運転で臨停個所が多いとはいえ ' 特 A9 ' のダイヤによ るスビードは快調である・ とくに , ディーゼルの音になれきった耳には , 電車のモー ター音は非常に心地よい・まして電車運転士は九州最大の電 車基地南福岡電車区所属で , 485 系は十分に手のうちを知り っくしたペテランだから , 電車は快調に走りつづけ , 新駅開 業後まだ日も浅い佐賀駅に , アッというまに滑りこんだ・ 訓練運転もこの日で 14 日目ともなれば沿線の人も電車には なれてしまったとみえ , 田作業にいそがしい農民は全く無頓 着で , 試乗組のはうがむしろガッカリしてしまうという皮肉 な風景もみられたはどだ・この線の電化がむしろ遅すぎたと た咸六えいだかせる・ ・海岸ぞいの急カープにいどむ ( 佐賀→諫早 ) 佐賀から長崎機関区の中村稔 ( 50 ) ・秋月常男 ( 48 ) 両運転 士が乗りこんできたので , 、こから肥前山口までは本務運転 士は野田・中村両運転士の 2 人となるわけだ・もちろん見習
年 9 月一日発行 ( 毎月一回一日発行 ) 通巻Ⅱ 5 号昭和 49 年 8 月 30 日国鉄首都特別扱承認雑誌第円 23 号昭和 43 年 3 月 5 日第 3 種郵便物認可 特集・長距離ド 行の魅力と現状 長崎・佐世保電化と くかもめ〉くみどり〉 がもめい K A M 0 M E 長崎本線に 件望呆線 0
△念願の電化開業を迎えたミナト長崎の玄関一 駅と歩道橋の張りめぐらされた駅前広場市内 1 は今日も元気に走っている ゞ、通 = ・ 1 関本保、 新世 くかもめ一号 > の一時問あとに続行のくか もめ 2 号〉が長崎へ顔を見せる ぶじ務めを終えたくかもめ一号〉はすぐお化 粧をおとして素顔にもどり 36 分後には小倉 ゆきくかもめ 4 号〉となって折り返すまさ にトンポ帰りのエル特急マ 力とめ EKåMOYE を物第・第、・一第イ ' 第 電化祝開通ー : 佐世保線 門司港ゆきくみどり〉 ! ? いかにも 初日らしい光景た注意されてすぐ 手巻きで正規のサボに変えられた 。や当 0 コ KO 第
みずき な・・・と思う . 原と書いて・はる ' ( ばる ) と読むのが九州の 車窓を一瞬、なかばる ' の駅名板がかすめた . ああ九州だ 山地のなだらかな山なみをながめつつ佐賀へとひた走る . 鹿児島本線と変わらない . 筑後平野の田園地帯を , 北に筑紫 改良化された立派な動脈で , カープも少なく , 乗り心地は くカープし , 長崎本線に入って進路を一路西にとる . 複線 その扇形庫を車窓左手にチラと眺めて , 列車は右に大き ふれる面影は全く残っていない . に扇形庫が名残りをとどめているが , わすか数年前の力あ き上げて , ここの空はいつも暗くかげつていた . 構内の端 見える . かっては , たむろする大型 S L の群れが黒煙を噴 に混しって , 電化で追われる D D 51 形ディーゼル機の姿も ぐ発車 . 構内左手の機関区一帯には , 真紅の交流機関車群 2 回の臨時停車で鳥栖到着は 5 分遅れ . わずか 30 秒です た青田にネズミ色の雲がうつって陰欝な光景だ 囲は緑一色の山野である . 空は本曇りとなり , 水をたたえ 博多を出て二十数分 , 約 23km. このあたりまでくると周 ュの今日では , 複線ではもう限界であろう . 間とならぶ九り、 lil のメインストリートだ . 特急・急行ラッシ 線への乗入れ優等列車がひしめくこの区間は , 門司ー博多 いでいるらしい . 鹿児島本線の列車をはじめ長崎・久大本 先行の急行くかいもん 2 号 > か各停 3123 M が進路をふさ 「たびたび恐れ入りますが信号が赤です . お待ちください」 基山の手前で , 列車はまたストップした . でも速く走る必要があろう . 行と大差ないという汚名をそそぐためにも , 1 分でも 2 分 いうハンディをもつくかもめ > くみどり〉は , スピードが急 コースがひかえ , 停車駅が多いうえ肥前山口で解結作業と なすけない . わすか 1 ~ 2 分の数字ではあるが , 前途に難 分で走るから , くかもめ 1 号〉くみどり 1 号〉のドン足はう もかかる . 二日市に停車する電車急行くぎんなん > でも 25 くかもめ > くみどり > グループは 25 分 , この 1 号だけが 26 分 わすか 23 分で走破し , 客車特急くみすほ > は 25 分で結ぶが 岐駅ー鳥栖まで 28.6 km , 特急はノンストップ . く有明 > は く , しつに快適な走りつぶりだ . 博多から , 長崎本線の分 特急形電車では , 100 km/h 近い高速でも振動がほとんどな 鹿児島本線は線路の状態がよく , 空気バネ・密閉構造の ' 水城 ' の遺構である . た巨大な水濠 長さ約 1 km , 紀元 66 4 年 , 外敵を防ぐために水辺に築かれ 瞬 , 緑の木々におおわれた小高い丘を突っ切る . 高さ 10 m まもなく水城 . つむし風のようにこの小駅を通過すると一 地名の特徴だ . 新中原 ( しんなかえ ) 白木原 ( しらきば る ) 原田 ( らだ ) 田原坂 ( たえざか ) 伊原 ( いをえ ) など , 例は多い . 田植も一段落したらしく , 広い田圃には人影もない . 面に広がる緑色の苗が黙然とたたすむ , 静かな梅雨どきの 田園風景だ . 右車窓には背振連山が墨絵のように薄ネズミ 色にかすんで , つづいている . 高架にかかり , 新しい佐賀駅に滑りこんだ . ユ 1 時 18 分 , 8 分の遅れである . 数えるはどの乗客が下車しただけ . 広 いホームはガランとして , ェル特急の処女運転には拍子ぬ けの光景だ . 佐賀は九州最小の県である佐賀県の中心であり県庁所在 地 , 、葉隠れ ' の武士道精神で知られる城下町だ . 目ばしい 産業もなく , 高架からながめると底い家並がこぢんまりと つづく静かなたたすまいの , 落ち着いた町である . 2 分停車ののち , 白い高架を滑るように西へ向かう . ホ ームはすれで上りくかもめ 3 号 > くみどり 2 号〉とすれ違っ . くかもめメは上り 3 番手で , 長崎で発車式をした列車 . た その影響か , 約 5 分の遅れである . 町並はすぐ消え , 車窓左右にまた平野が広がってきた . 瓦屋根の農家にまして , 古いワラき屋根が眼をたのし まがりや この地方に多い曲屋だ . 母屋から鍵 ませる . ほとんどが , 形に付属部屋が出たっくりで , 東北・北陸に多い . 都会も 地方も生活が画一化され , 農村地帯の開発が進んで , 日本 全国から風土の特色が消えてゆく今日 , 失われゆく伝統や 風習に接すると心がなごみ , 、旅 ' が実感として迫ってくる . 久保田を通過 . 上り線に E D 7697 と E D 75307 のひく貨 物列車が 2 本ならんでいる . E D 76 は鹿児島運転所 , E D 75 は門司機関区の所属 . ともにロングランで長崎・佐世保 まで入っているわけだが , とくに長崎・佐世保電化用の E D76 は鹿児島に集中配置され , 近代化動力車の特徴のひと つである集中配置・ロングランによる合理的運用を可能に したもので , 今回の電化の大きな特色でもある . 昭和 36 年にスタートした九州島内の交流電化は , 縦貫幹 線を主軸として進み , 鹿児島本線の全線電化 , 日豊本線宮 崎電化を果たして長崎・佐世保へと伸びたわけだが , これ ら各幹線は輸送事情が似ていることから , 電車・機関車と もに主力形式を統一し , 共通運用をはかっている . 電化の スタートが比較的遅かったこと , 九州という独立した島で あることなど有利な条件がこれを可能にした大きな理由で あろうが , たんに西九州地区の輸送改善だけでなく , 九州 鉄道全体としての大局的見地から長崎・佐世保電化が進め られたことを忘れてはならない . 電車化によるスピードア ップが僅少なことや , 急行が気動車のまま残ったことなど 中途はんばな電化に終わったのは事実だが , 奥羽・羽越電 化の前例があるように , 最近の電化は広地域の鉄道近代化 輸送改善へと主眼が変わってきた . 電化がかって単一線区 の輸送力増強の手段であったことを考えると , 時の流れと いうものであろうか たんば