特別速報・長崎・佐世イ電化と一 ヾイバルかもめ〉くみど > 西海のエル特急 くかもめ > くみどり > カメラ・白井朝子 文・竹島紀元 博多→長崎・佐世保 下り処女列車一号 ・特記以外の写真はすべて ' 76 ー 7 ーば電化初日 ) 撮影 つゆ 長い梅雨が一段落し夏もまぢかに迫った 7 月一日西九 州長年の悲願であった長崎本線・佐世保線の電化がついに 開業 485 系特急が緑一色の由面にカラフルな姿を映して 小倉・博多ー長崎・佐世保問を突っ走った . 諸般の事情で 急行は気動車列車のまま残るというやや中途はんばな電 くさくら〉時代は東京ー長崎間に約円 化開業ではあるが 時問半を要していたのが新幹線博多開業で田時問 20 分にち ぢまり一年後の電化による電車特急くかもめ〉の出現で さらに 30 分短縮凵 0 時問のカべを破ったことは長崎・佐 世保線の全線 C T C 化とあわせてその意義は大きい . 雲 仙・西海のニ大国立公園をもつ西九州は観光輸送の面で も新しい夜明けを迎えたわけだ . またリ / ヾイバルしたくかもめ〉くみどり〉はくみどり > 編 / 花 ' 九州 ' 北部 0 ー大車両基地ーー南電車区にぞろ 0 、した特急電車群く有明〉くに ん〉 , まじってくしおじ > が見んくれは一どり
くみどり〉は佐世保へ くかもめ 1 号〉と別れてわすか 4 両のミニ編成になった佐 世保ゆきくみどり 1 号〉は , くかもめ〉の 3 分後に発車 , 長崎本線を左に見て佐世保線を早岐へと向かう . 途中の主 要駅 , 武雄温泉と有田は 3 往復ずっ停車を振り分けてあり 1 号は武雄温泉を通過して有田に停車する . かって C 57 が補機 C 11 の力を借りて越えた 25 ~ 16.7 % 。の 急勾配も , 新鋭 4 8 5 系電車ではそのけわしさをほとんど感 M 1 0 0 毅ー しさせない . しかし停車駅と停車時間が多いこともあって 佐世保線内のくみどり 1 号〉の表定速度は 46.5 ~ 54.2km / h とドン足 . それでも気動車急行く弓張〉より十数分も速い . 早岐では線形の関係で進行が逆になる . くさくら > の牽 引機に C 11 が登場するなど , わすか 8.9 km を走るのに運転 上の苦労が多く , スピードを競う特急には大きなネックだ . 運転士もクハ 4 81 からクロ 4 8 1 へ移動 . この早岐でのくみ どり〉の停車時間は 5 ~ 10 分と , かなり長い . 博多から 2 時間 09 分の ' 小さな旅 ' を終え , 12 時 30 分 , め ざす佐世保に着いた . かっての軍港 , 今は西海国立公園の 観光基地 , そして松浦線の起点だ . 下車した乗客は数十名 . 特急の終着にしては , ちょっとさびしい光景であった . △独立した佐世保特急くみどり〉下り側の先頭車はクハ 48 。形 マ左 ; 終着近い車内はこ・らんのとおり ( グリーン車 ) / 右 ; ほば定刻に終着・佐世保へ マ早岐では務めを終えた佐世保くさくら > の編成と並ぶ 第くら ーミまリをゑ
が誇らしげに・ この上り 2 号だけはくみどり > を併結し ない単独編成で , 長崎から 8 両で上ってきた本編成にくみ どり〉用の 4 両編成を肥前山口で前部に増結する特殊な運 用だが , 佐賀駅で祝賀式があったため飾付をしたもの . 前 日 , 南福岡電車区をおとすれたと、き , 私たちの目前で昔な つかしい、しおし ' から、かもめ ' へ変身 , 美しく化粧されて いたクロ 481 であった 祝賀式は電化初日の 7 月 1 日 , 長崎・佐世保線電化の目 玉商品である電車工ル特急の関係各駅でおこなわれた . 博 多が下りくかもめ 1 号 > , 佐賀が上りくかもめ 2 号 > , 長崎 が上りくかもめ 3 号〉 , そして佐世保が上りくみどり 2 号〉 ( くかもめ 3 号 > と併結 ) で . 初めは新幹線博多開業と同時 にスタートするはすだった電化が石油ショックなどの事情 で 1 年以上も遅れていただけに , 沿線の西九州各都市の喜 びも , ひとしお大きかったのだ . ームは発車時刻が迫っても乗客の列は短く , 意外なほど静 処女列車くかもめ 1 号 > くみどり 1 号〉の入線を待つ 7 番ホ 初日の下り くかもめ一号 > かだった . く有明〉くにちりん〉の島内ェル特急をはしめ大 阪・東京を結ぶ寝台特急がひんばんに発着する大博多駅ホ ームでは , 長崎・佐世保線の沿線都市の喜びとは裏腹に 特急の増発など関心がないらしい . 電化開業をつげるアナ ウンスも特になく , ホーム先端付近の熱気だけが浮き上が った感し . それも楽隊が吹奏楽を吹き鳴らして興奮のルッ ボ・・・といった趣ではなく , 花束贈呈とテーープカットをおと なしく待っといった地味さだ . かんしんの主役 , 48 5 系電 車くかもめ > くみどり〉の姿がなく , 門司側から入線してき たのが発車の 10 分ほど前 . 少なくとも起点のひとっ博多駅 ひょうし での出発式は , ちょっと拍子ぬけの光景であった . 初日の下り処女列車の編成は下図のとおり . 長崎ゆき 8 両 , 佐世保ゆき 4 両の併結 12 両編成は , それぞれ仲よく 4 M 4 T と 2 M 2 T の , 48 5 系 6 M 6 T . 編成の半分一一一中 央部の 5 ~ 10 号車の 6 両が自由席車 , 両端が指定席車とい う配置は , 特急ではめすらしい . 肥前山口で長崎ゆきくか もめ > と佐世保ゆきくみどり > を分割する関係であろう . 今回登場のエル特急くかもめ〉くみどり > の最大の特色は くみどり一号〉の編成 おもむき 長崎・佐世保 みどり 1 号佐世保ゆき ( 甼岐ー佐世ま逆編成 ) ① クノ \ 481 ( 203 ) 定員 56 長崎ゆき ⑤ モハ 484 モハ 485 サロ 481 サハ 481 モハ 484 モハ 485 クハ 4 田 72 かもめ 1 号 ②③④ ⑥⑦⑨ ( 283 ) ( 1 8 1 ) 64 72 定席 ( 78 ) 48 ( 275 ) 64 ( 1 ワ 3 ) ( 20 5 ) 72 56 自由席 ⑨ クハ 481 ( 240 ) 56 ⑩⑩⑩ モハ 484 モハ 485 クロ 4 田 ( 339 ) ( 242 ) ( 52 ) 36 定席 佐賀から乗務して肥前山口で交替というシステムで , 佐賀ー 肥前山口間は 2 人乗務の変則区間となっている・これは営業 運転になっても同じ仕業となるのは当然である・ 前述のように 1 人が 3 回 ' 線見 ' で乗り , 3 往復のノルマ を達成した乗務員が今度は本務で乗務し , 見習を養成する方 式が訓練運転で採用された・ 電化完成で長崎本線・佐世保線に初めてエル特急が実現し 博多 ( 一部は小倉 ) ー肥前山口間は 485 系 12 両編成 , あとは 8 両と 4 両に分かれるが , 佐世保 < みどり > の 4 両は , ェル 特急としては日本で一番短い編成の電車特急となる・ ・複線の平野部を快走 ( 博多→佐賀 ) 門司鉄道管理局が , この訓練運転用臨時電車を報道関係者に 公開試乗を実施したのは 6 月 8 日のこと・訓練運転は < かも め > < みどり > とも一日 5 往復を走らせているが , 時間帯か らみて取材 , とくに写真撮影に便利なようにと , 昼間の 9105 M ・ 9108M がえらばれた・試乗区間は鳥栖ー長崎間の往復・ 自・栖駅に到着した 9105M の編成は , クハ 481 ー 208 十モハ 484 ハッ ー 278 十モハ 485 ー 176 十サロ 481 ー 115 十サハ 481 ー 114 十モハ 484 一 277 十モハ 485 ー 175 十クハ 481 ー 207 の 8 両 . ハンドルを握っているのは , すでに 3 往復のノルマを消化 した野田和正運転士 . ( 37 ) そして見習として乗務したのはこ の日が第 1 回目の手塚松次運転士 ( 47 ) それに吉村西東車掌 ( 45 ) ー博多車掌区ーの 3 人・ほかに , 取材陣乗車にそなえ て南福岡電車区から近藤指導助役が添乗し , 何かと世話をし てくれる・ 鳥栖を出れば , 車窓の左右は、穀倉 ' 佐賀平野の広がりが展 開するが , 右手の背振山系は重苦しい梅雨空にこばまれて , 全容を見せようともしない・肥前山口までは複線区間だから 訓練運転で臨停個所が多いとはいえ ' 特 A9 ' のダイヤによ るスビードは快調である・ とくに , ディーゼルの音になれきった耳には , 電車のモー ター音は非常に心地よい・まして電車運転士は九州最大の電 車基地南福岡電車区所属で , 485 系は十分に手のうちを知り っくしたペテランだから , 電車は快調に走りつづけ , 新駅開 業後まだ日も浅い佐賀駅に , アッというまに滑りこんだ・ 訓練運転もこの日で 14 日目ともなれば沿線の人も電車には なれてしまったとみえ , 田作業にいそがしい農民は全く無頓 着で , 試乗組のはうがむしろガッカリしてしまうという皮肉 な風景もみられたはどだ・この線の電化がむしろ遅すぎたと た咸六えいだかせる・ ・海岸ぞいの急カープにいどむ ( 佐賀→諫早 ) 佐賀から長崎機関区の中村稔 ( 50 ) ・秋月常男 ( 48 ) 両運転 士が乗りこんできたので , 、こから肥前山口までは本務運転 士は野田・中村両運転士の 2 人となるわけだ・もちろん見習
肥前鹿島を過ぎるとやがて有明海に沿い路盤の悪い単線を右へ左へ急カープを切りながら諫早へと走る長崎本線きっての難コースだ り , 早岐・諫早を経由して長崎へ抜けるのが , 当時の長崎 部 3 両の車体があざやかに見える . 時速は 60km / h ほどしか きざ 本線のルートだったわけだ . 地盤が悪く急峻な地形をぬっ 出ていないが , グググ・・・ときしむ音が響き , 小刻みに車体 て海岸まわりの路線が開通し , 現在の長崎本線が全通した が震えている . 左右の揺れもひどくなった . 線路の状態が のは昭和 9 年 12 月のこと . しかし戦後の 30 年初頭まで佐世 グンと悪くなったことが , よくわかる . 保・大村線経由 ( 早岐まわり ) の旧ルートが長崎への動脈 長崎本線が有明海ぞいに走る肥前山口一諫早間の歴史は であり , 優等列車もこのルートで運転されていた . 長崎・ 意外に新しく , そして名だたる難コースだ . 鳥栖から九り、 佐世保線の旅客列車は遠く戦前から , 鳥栖ー肥前山口間を 西端への鉄道は九州鉄道 ( 株 ) の手で建設され , 明治 31 年に 併結運転する方式がとられていたが , 早岐の機関車が鳥栖 早くも早岐経由で浦上・佐世保まで開通し , 38 年には終点 の長崎まで全通した . つまり , 現在の佐世保・大村線を通 まで直通し , 長崎の機関車は肥前山口で折り返す運用がっ 急として京都ー博多間に誕生した . 東海道すしでは特急くつば め > くはと〉が華々しく活躍していただけに , 西日本地区利用者 かもめの の期待は大きく , 京都ー博多間で戦前のく富士〉より 1 時間半 も速いという駿足を誇ったが客層の関係から 1 等展望車なしの 旅路 二流特急 ' という声もあった . スハニ 35 ・スハ 2 ・ 3 等編成で , 44 >< 3 ・マシ 49 ・スロ 54 X 3 ・スハフ 43 の特急形客車 9 両編成 , 牽引機は京都ー下関間 C59 , 下関ー門司間 EFIO , 門司ー博多 間 C 57 のトリオ . 上り列車のみ広島で D 52 を後部補機につけて ' セノハチ ' の険を越え , 八本松駅の構内で走行中に解放した . スロ 54 は当時の最新豪華車両だったが , 利用が少ないため 1 両 をスハ 44 に置き換え , 32 年には 3 等座席が一方向固定ロマンス シートのため終着駅での大がかりな編成転換をは」 : く目的から 軽量客車ナハ 11 系が組み込まれ , 特急としての風格と人気が落 ちた . そして昭和 36 年 , 、 36 ・ 10 ' ダイヤ大改正による気動車特 ーかもめ ' の愛称が生まれたのは昭和 12 年 ( 1937 ) - ー戦前の日本 急大増発で新鋭 82 系特急形気動車に衣がえし , 京都ー長崎・ の鉄道の黄金時代で , 先輩く燕 > く富十〉く桜〉各特急のあとを追 崎間の併結特急になり , 長崎とのエンが生まれた . って東京ー神戸間にデビュー . もちろん客車特急で , 東京ー沼 その後 , 40 年 10 月に運転区間を京都ー長崎・西兜児島間に 津間は E F 50 , 以西を C 53 が牽引した . 臨時く燕〉を入れると けんらん 43 年 10 月には京都ー長崎・佐世保間に変更した . 併結区間は京 東海道・山陽すじに 5 往復の特急が走り , 絢爛と覇をきそった 都ー小倉間で , 小倉ー長崎間と小倉ー佐世保間 ( 筑豊経山 ) は が , 第 2 次大戦の戦況悪化とともに次々と廃止され , く鵰〉 ( 当時 おなしくかもめ > の愛称で別々に走る異色特急として注目を集 は漢字使用 ) も 18 年に姿を消した . これが一世である . めたが , 50 年 3 月 15 日の新幹線開業により廃止された . 二世くかもめ〉は昭和 28 年 3 月 15 日 , 戦後はしめての山陽特 かもめ
△念願の電化開業を迎えたミナト長崎の玄関一 駅と歩道橋の張りめぐらされた駅前広場市内 1 は今日も元気に走っている ゞ、通 = ・ 1 関本保、 新世 くかもめ一号 > の一時問あとに続行のくか もめ 2 号〉が長崎へ顔を見せる ぶじ務めを終えたくかもめ一号〉はすぐお化 粧をおとして素顔にもどり 36 分後には小倉 ゆきくかもめ 4 号〉となって折り返すまさ にトンポ帰りのエル特急マ 力とめ EKåMOYE を物第・第、・一第イ ' 第 電化祝開通ー : 佐世保線 門司港ゆきくみどり〉 ! ? いかにも 初日らしい光景た注意されてすぐ 手巻きで正規のサボに変えられた 。や当 0 コ KO 第
ラのりほ ! 第経一 0 : 2 、要 コー、一い 09 当第第 工かしめ - 特急 FOR NAGASAKI 下りくかもめ一号〉くみどり一号〉が スタートする博多駅 7 番ホーム前端 ではささやかな出発式が・・ 層ビルの建設が目立ちはしめ , 今では近代的なオフィスや カモメは帰ってきた ホテルがひしめく , 活気にみちた玄関口に変貌してしまっ けんらん つゆ 梅雨あけが近づくと九州の雄都ー福岡の町々には絢爛たる たのだ . 十余年の歳月の流れと経済の高度成長があったと 博多山笠の飾付が空高くそびえ , 祭ずきの博多っ子たちの はいえ , 新幹線の威力をあらためて感しさせられる . 7 月 1 日 , 午前 10 時 . 新幹線の斜下に広がる在来線 7 ・ どよめきのなかにいつか夏がしのび寄る . 8 番ホームの下り先端は数十人の人垣でざわめいていた その ' 百万都市 ' 福岡の表玄関ー博多駅の景観は , 昨年 3 月の新幹線開業ですっかり変わった . 近代的な明るい高架 ホームの太い柱には色あざやかな紅白の幔幕 . 10 時 25 分 , ホームに立っと , 東側に新幹線ホームが一段高く城壁のよ 7 番ホームから発車する長崎・佐世保ゆき下りエル特急の うにつらなり , わすか 7 時間で東京を直結する長大編成電 処女列車くかもめ 1 号〉くみどり 1 号 > の出発式が , まもな 車くひかり〉がホワイトとアイボリーの流麗な姿をやすめ く始まろうとしていた . 10 時 02 分 , 定刻より 3 分ほど遅れて , 駅本屋寄りの 3 番 ている . 明治 42 年に建設された古い地平旧駅を捨てて東側 ホームに長崎からの上り特急くかもめ 2 号 > が 2 時間半の 約 6 0 0 m の高架新駅に移ったころは , 市の中心繁華街から 遠いのと地価の異常な高騰のため周辺は草ばうほ、うの広大 旅を終えて , 静かに翼をやすめた . 今ではめすらしくなっ な空地だった . それが , 新幹線工事が始まったころから高 たポンネットタイプの珍車クロ 481 の前頭には美しい飾付 交通新聞・九州支局長 試運転 \ かもめ〉 ( 鳥栖→長崎 ・訓練運転はくかもめ > と < みどり > を分けて 国鉄線の電化は , いわゆる工事局の工事が終わり , 本社 ( 一 部は通産省 ) の監査が行なわれて「訓練運転を実施してよろ しい」とされ , はじめて訓練運転ー - ーいわゆる ' 練習運転 ' 開始となる手順となっている・ 長崎本線・佐世保線の場合も , 5 月 12 日に石原本社電気局 長の監査で O K をもらい , 訓練運転のはこびとなった・そし て , 門司鉄道管理局が南福岡電車区 , 長崎・早岐両機関区の 電車運転士を対象に , 1 人 3 回を目標に訓練運転電車を走ら せたのが , 5 月 26 日であった・ 訓練運転は , 南福岡電車区を出た電車が , 鳥栖ー長崎間 , 鳥栖ー佐世保間でそれぞれ別個に実施した・本来ならば肥前 山口で長崎ゆき < かもめ > と佐世保ゆきくみどり > の解結作 業を行なうはすだが , 訓練運転ではその作業の手間をはぶく ため , 南福岡の基地を出るときから < かもめ > 編成 , < みど り > 編成で組み立てられたのが , 大きな特色といえよう・ 訓練運転は特急編成 ( 485 系 ) で行なわれ , 南福岡の乗務 員は出区から肥前山口まで , 長崎・早岐両機関区の乗務員は 0 R S A 日 0 つばさ 試乗記 9 1 0 5 M 下肥前山口 ( 9105M ) 08 : 57 佐賀 1 三ロ 09 : 21 09 : 24 09 : 36 09 : 41 11 : 06 11 : 17 12 : 54 11 : 44 12 : 10 14 : 23 12 : 55 14 : 50 15 : 05 ( 9108M ) 15 ; 24 14 : 37
くわらせて走る . 左手に並走する国道のすぐ向こうには褐 色の海原 . 時おり , 小さな入江にそって急カープを切る . 潮のひいた泥沼には , 傾いた小さな漁船の姿も・・ 11 時 03 分 , 多良駅を通過 . すぐ西には標高 983m の多良 岳がそびえている . この一帯はナゾの女王国一耶馬台国が あったともいわれるところ . 島原半島に大きく抱かれて眠 る有明海のはるか南に雲仙岳が望まれるはすだが , あいに くの曇り空で , 灰褐色の世界が一面に広がっている . 深い緑の木々と雑草に , 眼のさめるようにあざやかな車 体を浮き上がらせて急カープをぬうくかもめ〉のスピード は , せいぜい 60km/h どまり . 並行する国道を , 荷物を満載 した大型トラックの列が少しすっ先行してゆく . 道路は小 さな入江を橋で一直線に突っ切ってゆくのに , 鉄道は R250 ~ 300m のカープで半円を描きながら迂回する . まさに , 新 しい交通機関と歴史の重味を背負って生きる鉄道の , 対照 的な光景だ . しかし , よく観察していると , コンスタント な速さで走るくかもめ〉のはうが全体的にはクルマより先 行している . それは高速大量輸送に生きる鉄道の底力とい うべきであろうか . ウサキ、とカメの寓話ではないが , 苦し い競争とはいっても油断せす , 適切な対策と努力さえ怠ら なければ , 鉄道の生き残る道はきっと残されているはすだ . 急と新幹線が接続するのは下り 7 本 , 上り 6 本で , 東京ー 名分である・新幹線接続高速列車網 ' の形成といっても , 特 の。ェル ' 運転を構成する苦しさだ . そのため , 設定の大義 数本の急行く出島〉く弓張 > まで含めて , はば 1 時間へッド をスタートする . 運転時刻が 1 ~ 4 時間と不揃いであり , ぞろ を発車し , 上りは朝と , 日中・さみだれ ' 式に長崎・佐世保 くみどり〉が 6 往復 , 下りは正午前後とタ方に博多・小倉 ・エル特急 ' といっても , 長崎くかもめ〉が 7 往復 , 佐世保 幹線の近代化輸送改善の困難さを物語っているといえよう 味でいかにも中途半端であり , 日本のさいはてに生きる亜 ェル特急くかもめ > くみどり〉の登場は , そういった意 を犠牲にして鉄道の健全な発展は望めない . の生活と密接に結びついたものである以上 , ローカル輸送 きた地域利用者の立場への理解であろう . 鉄道が沿線住民 の綿密な分析 , 将来性の判断 , そして鉄道の発展を支えて 下にドジョウがいつもいるか・・・ , 要はその線区の輸送需要 らの成功をふまえての積極商法ととることもできる . 柳の 車の増発が輸送需要の開拓につながった実績も多く , それ 可欠である . また他地区の例でもみられるように , 優等列 ることは明確で , この観点からみれば工ル特急の設定は不 ・観光地へのスピードアップとサービス改善の一環でもあ 長崎・佐世保電化が新幹線博多開業による島内主要都市 いて少し考えてみよう . は前にふれたが , もう一方の柱であるエル特急の意義につ 方の柱が島内幹線電化によるメリットを期待していること とエル特急新設であるのは明らか . 大局的にみて電化の一 その・生き残る ' ための起死回生の策のひとつが今回の電化 長崎・佐世保間ではわすか 3 往復というさびしさである . また , 上下ともくみどり〉が 1 往復少ないため , 上下と も併結区間で , くかもめ > とくみどり > の号数が違うケー スが生して不便であり , 急行く出島〉く弓張 > グルーープの混 在も原因して列車系統が複雑で , スッキリしない . 特急と ほば同数の急行が残ったことは地域利用者へのサービスと いう面で喜ぶべきことだが , 「数自慢キッカリ発車自 由席」が売物のエル特急の看板が泣こう . 初日の試乗では 席だけはタップリあったが , これは喜んでばかりもおられ まい . 気動車急行とくらべて博多ー長崎間で 30 分 , 博多ー 佐世保間で 20 分しか速くないというドン足 ( 下り 1 号の場 合 , 表定速度はくかもめ > が 63.7km / h , くみどり〉が 54.4 km/h) とともに , 早急に改善とイメージアップの努力をし ないと , シーズン以外は赤字特急になるような気がする . 一方 , ローカル旅客改善では 1 往復の快速電車が登場し たものの , 下りは夜ふけ ( 長崎着 23 時 40 分・佐世保着 23 時 12 分 ) 上りは早朝 ( 長崎発 5 時 01 分 , 佐世保発 5 時 47 分 ) のビジネスむきでないダイヤで , 間合使用ということが露 骨にわかる . 投資を極端に押えられた苦しい状況の中で長 崎・佐世保全線の C T C 化まで実現させ , 急行・通勤形電 車の新製投入まで手が回らなかったのだろうが , 全般的に 利用者へのキメこまやかな配慮がもっとはしかったと思う . ともあれ , 前号でくわしく紹介されたような経緯と関係 者の努力で , 待ち望まれた西九州地区の電化はスタートし た . そして今 , くかもめ〉は褐色によどむ有明海に流麗な 姿をうっして西海へ飛ぶ . 北国からの渡り鳥であるカ モメが港に棲みついて人々の生活を守るように , 遠い昔の 東海道特急から三転して西海のエル特急に生まれかわった 新生くかもめ > は , きっとこの地に定着し , 西九州発展の 先頭に立って逞しく成長してゆくことであろう . 間半の飛翔の翼を静かにたたんだ . くかもめ〉は終着駅ー長崎のガランとしたホームに , 2 時 をぬけるともう長崎市内 . 12 時 53 分 , 定刻より 3 分遅れて をめざす . 諫早を出ておよそ 15 分 , 長崎トンネルの長い闇 頸部の丘陵地帯をトンネルで次々とつらぬいて , 一路長崎 喜々津を出ると 4 年前に完成した線増別線に入り , 半島 系電車は高加速にものをいわせてグングン足を早める . め > 最後のコースだ . 5 分の遅れを取りもどすべく , 485 いよいよくかも 停車を 1 分にちぢめて , すぐ発車 へ島原鉄道が分岐している . そして長崎・西彼杵半島への交通の要衝 . 北へ大村線 , 南 そのぎ の細い頸部に位置し , 九州中央部 , 島原半島 , 佐世保方面 , 長崎本線沿線の最後の都会一諫早は西南へ伸びる長崎半島 ルをぬけると , 小さな町なみが広がり , そこはもう諫早 . り , やっと特急らしい 90km / h 前後にもどった . 短いトンネ あびて緑の平地を諫早へと進む . スピードもグングン上が に難コースを駆けぬけたくかもめ 1 号 > は , 薄日を全身に もてる力を押え , 60km / h 前後のスピードを保ちながら慎重
佐賀地方にはワラ葺きの曲屋づくり農家が今も多く残っている 有明海に舞うくかもめ〉 「 3 分ほどで肥前山口です . この列車は長崎ゆきと佐世保 ゆきにわかれます . 長崎ゆきが 1 分 , 佐世保ゆきが 2 分と まります」・ いよいよ新特急おめあての分割だ . ダイヤではそれぞれ 3 分・ 6 分の停車だが , 遅れているためか , 正味の停車時 いすれにしても 1 分では下車できない 分がそうなのか ので , 分割作業を撮影してくみどり〉で佐世保へ向かう白 しに作業を 井カメラマンに取材をまかせ , 8 号車から一、 この駅での解 ながめる . 試運転では独立運転だったから , 結作業は今日がブツッケ本番というわけ . 助役さんやカレ チ氏も真剣な顔で , もどかしげに作業を見守る . ホームで はすでに発車のベルが鳴っている . くみどり〉が静かにバックして 3 m はど離れたところで とまると作業完了 . この間およそ 3 分 . 上りの場合はくみ どり〉が先に到着してホーム前寄りにとまり , くかもめ > が二度も軽く停車しながら近づいて連結するので , もっと 時間がかかる . 小型ローラーまで繰り出してアスファルト舗装に懸命の 肥前山口でのくかもめ〉とくみどり > の分割作業左 ; 連結器を解錠 して工アホースを切り中 ; 編成後部のくみどり〉が静かにバックす ると右 ; 編成は 2 つに別れる ホームには , 上りのローカル気動車が 2 編成ならんでいる . 電化で登場した新顔は特急形電車と交流機関車だけで , 例 外的に快速電車 ( 通勤形 ) が 1 往復 , 長崎・佐世保へ運転され るはかは , 急行・普通列車は気動車のまま . 電気機関車も 全部はそろっていないのか , 初日の下り < みすほ > はまだ DD51 の牽引で , 新旧車両の展示会といった感じだ . くみどり〉を置き去りにして発車したくかもめ〉は , 軟 号地盤のため門型構造のポールが林立する長崎本線を , 次 第に進路を南に取りつつ長崎へ向かう . 線路は単線となり 速度も目立って落ちてきた . 肥前竜王を通過 . 右手に山が 迫る . まもなく右へ大きくカープ . 私の乗った最後尾 8 号 車から , 窓に顔を押しつけることなく , 急カープを切る前 分割作業完了 ! この問およそ 3 分停車時間ギリギリの作業だ かと 0 当き
年 9 月一日発行 ( 毎月一回一日発行 ) 通巻Ⅱ 5 号昭和 49 年 8 月 30 日国鉄首都特別扱承認雑誌第円 23 号昭和 43 年 3 月 5 日第 3 種郵便物認可 特集・長距離ド 行の魅力と現状 長崎・佐世保電化と くかもめ〉くみどり〉 がもめい K A M 0 M E 長崎本線に 件望呆線 0
貫通式切妻形の顔と顔を突き合わせた 併結特急の姿はなかなかユニークた 左は 583 系特急く金星〉の回送列車 ( 竹下一南福岡で ) を 国鉄の電車特急で初めての分割・併結列車であることだ . 形 ' 先頭車 ( クハ 48120 0 ) がいよいよ威力を発揮するかと思 長崎・佐世保線は典型的な亜幹線であり , 線路容量の有効 われた . ところが , くかもめ > とくみどり > がせつかく顔を 使用と輸送量の関係で戦前から両線の列車を , その基部で 突き合わせても貫通ドアは閉鎖したままで併結両列車間の ある長崎本線の鳥栖ー肥前山口間で併結運転し , この伝統 行き来はできない . 理由は , 貫通ドアを使うようにすると は戦後の優等列車増発でも受けつがれて , 多くの気動車急 作業が煩雑になり , 解結だけで数分を要し , ただでさえも 行をはじめ寝台特急くさくら〉くあかっき 1 号〉に実施され 作業時間の惜しい肥前山口での停車がさらに長びくため . 乗客も乗務員 ( くかもめ > に車掌長・専務車掌が各 1 人 , ている . 電車特急の新設にあたってもその伝統が踏襲され , 将来 くみどり〉に専務車掌 1 人 ) も互いに行き来ができないとい の分割・併結を考慮して設計された 581 系以降の・前面貫通 うのは , サービスが売物の特急としては不親切だろう . も手塚・秋月両運転士の 2 人である・長崎機関区からは江口 指導助役が添乗してきたので , さっそく近藤氏がパトンタッ チし , 報道陣の新しい質問攻めにあう・ 南福岡組は肥前山口で下車 . 長崎本線はこ こからカープの 多い単線区間となる・入りくんだ海岸線そいにレールをきし ませながら走りつづける 485 系もスビードは 60km/h 以上に は上がらす , 完全にその力を持てあました格好だ . 江口助役は「この海岸線は門鉄局管内でも一番イヤな区間 で , 乗務員は一様にいやがります . とくに E L でカープに突 っ込むときに出るレールのきしみ音はイヤなもの・本当に緊 張の連続です」と解説してくれる・ なにしろ最小半径 250m , 400m のカープは数知れすという 状況のため , 門司鉄道管理局は肥前七浦以南に大きなカープ ク第、 48 ー - 標識を上下合計 46 本建て , 乗務員が運転しやすいようにする など , とにかく安全運転には気をつかっているところ・「あ れがその標識です」と江口助役が指さす方向に , 黄地に黒字 の標識板が見えるが , サッと車窓をかすめて後方に飛び去っ て行く・ 小長井をすぎても , 左手 , 有明海上の雲仙岳や右手の多良 岳は山頂を雲間にかくし , ついに姿を見せなかった・多良付 近でちょっと降り出した雨もすぐやみ , 諫早では薄日さえ射 しはじめた . 雲仙登山口のこの駅では懸命にホームのかさ上 上 ; 雲仙観光の看板のある小長井駅で / 下一急カープを抜って走る