時間 - みる会図書館


検索対象: 鉄道ジャーナル 1978年5月号
74件見つかりました。

1. 鉄道ジャーナル 1978年5月号

道の旅客輸送に求められるものは , 安全・迅速・ 快適である , といまさらいうまでもない . 現在で は運転保安・速度・車両など , どれひとっとってもじっ に進歩しているが , たったひとつだけ , 戸棚のなかにし まい忘れてときどき思い出す品物のようなものがある・ それは客車の座席の居住性だ・明治時代の板張りから 薄べリ , 合成皮 , モケット張りと , ずいぶん改善を重ね た跡をたどることができるし , 車室内装 , 照明 , トイレ どれひとっとっても格段に進歩している・ そのなかで , 置き忘れた品物のようなものが居住性 , つまり座席スペースの人間工学的な問題である・高い料 金を払ってグリーン車を利用すれば , あるていどこの問 題点は軽減されようが , すべてが解決したわけではない . こで特にふれたいのは , 少なくとも 300km 以上乗車す る急行用車両である・ 欧米鉄道が広軌であるにしても , 国鉄の普通車にあた る 2 等車の座席はずっとスペースの余裕をもっている・ 手もとに資料はないが , 国鉄の急行用普通客車 ( 電車 ) の 背もたせ間の効用間隔は 1085 くらい , 腰掛のあいだは 45 Ⅷていどだったと覚えている・ その結果 , 足を楽にしようとするには , どうしても対 向座席の下までのばさなければならない・現代の若い人 たちは体格がよく足も長い・同性どうしならば「失礼し ます」といって , 対向座席のあいだに伸すこともできよ うが , 対座する乗客が異性の場合は , やはり気づかいし なければならない・ 多くの人は , このような経験をされていると思う・何 時間も乗っていると , 背中と腰が責任をなすりあってい るように苦しくなる・それは背ずりの傾斜度が少なく , もも 股の部分が安定するには座席が浅すぎるからだ . 対向座席のあいだの間隔 , 腰掛の深さ , 背すりの傾斜 度をゆるくすれば , かなり楽になる . 乗客 1 人あたりの スペースを大きくとるには , 車長を伸ばすか , 定員を減 らさなければならない・現在の 20m 車体が技術的に安定 した長さであるとすれば , 収容力を減らすことだが , れには運賃収入につながる問題がある・ コスト安 , 大量輸送は鉄道の特質であるにしても , 3 時間以上を要する場合は快適な旅行が望ましい・西欧か ら訪れた外人から見れば , すいぶん切りつめた座席に見 えるだろう . すべての施設が快適になりつつある現在 , 急行車両の座席スペースだけが , 目をつぶって据置き状 態になっているのである . これは 60 分前後の乗車についてではない . そのていど の所要時間なら軽く腰をおろせるだけでよいと思う・ 国鉄の乗客は一日平均 1 , 900 万余人で , のべ 21 億人キ 鉄 てつどう・ざっがく 良 本島 居心地のよい旅客車 されているので急行を利用することになる・乗車区間が く目的地に到達したいが , 特急では停車駅がかなり限定 線には中間中小都市が多い . 中距離旅客は , 少しでも早 り , それを選ぶのは利用者である・わが国の主要幹線沿 特急料金・急行料金の内容価値は速度と座席設備であ は急行料金を多少合理的に調節しなければならない・ 営業費が増加する・これによって赤字を生じないために て列車回数を多くしなければならない・当然 , 作業量と 増加して各列車の収容力を維持するか , あるいは分割し 客車の座席スペースを広くとれば , 列車の編成両数を か . 恐らく 2 % もあるかどうか・ ている . このうち急行利用客は毎日どのくらいであろう 口になる・定期外普通乗客の平均乗車距離は 51 とされ 200km をわすか 2 ~ 3 km オー ーしたばかりに 500 円 から 700 円にハネあがる急行料金を , 快諾的に受け入れ る心理があるだろうか . これは個人的な考えだが , 庶民のひとりとして , 500 も遠い旅行に出かけるような場合には , 700 円の急行料 金にもほとんど抵抗を感じないのである・ そこで急行用客車の座席を拡大 , 快適にする見返りを 考えてみると , 急行は原則的に 200 以上を運転する特 急の補足的列車であり , 料金を 200km , 500 以上の 2 段階にして , その上限を同距離特急料金よりは低いが , 営業費にかかるぶんに見合うようにする・ すると , 100km ていどの急行利用者にとっては少しき びしい料金になるが , かわりに急行速度に近い快速列車 あるいは別料金不要の準急列車を , 利用者および鉄道自 体の合理的な時間帯に設置することが望ましい・ 現在 , 京都ー姫路間には急行なみの速度の新快速を何 本も運転している・需要にもよるだろうが , 沼津ー静岡 ー浜松 / 静岡ー浜松ー豊橋間には , わずか沼津一静岡間 に少数の快速があるだけで , 皆無にひとしい・東京ー小 田原ー熱海間や東北本線にいたっては皆無 . 地域的公平 に 120km 前後までは料金なし快速 , 遠距離急行は適切な 料金でもっと革新的な客車を実現してほしいものだ・

2. 鉄道ジャーナル 1978年5月号

新幹線の下り列車が岡山駅にさしかかるころ , 左手に見え る岡山鉄道管理局の建物の屋上 , 「ようこそ岡山へ」の看板 が目にはいる . 岡山県は中国地方東部にあって約 7 , 000km , 180 万人を擁し , 東瀬戸広域経済圏の中核をなしている . その県都である岡山市も人口 50 万をこえ , 山陰 , 四国方面 の玄関にあたり , 新幹線を軸とした鉄道交通 , および道路 交通上の要衝として栄えている . 新幹線は昭和 47 年 ( 1972 ) 3 月 15 日 , 、、ひかりは西へ、、のキ ャッチフレーズで新大阪ー岡山間が開業 , 岡山は大阪から 1 時間 , 東京から 4 時間余りの距離となり , 同時に山陽本 線の特急くつばめ〉くはと〉とく月光 > ( 夜行 ) が岡山発着に改め られ , 山陰へは伯備線経由のくやくも > が岡山仕立てで新設 されたため岡山駅は新幹線と在来線の乗換ターミナルとし て一躍 , 脚光をあびることになった . 新幹線岡山開業によ り , 岡山を中継しての山陰・四国方面の旅行客は増加した が , 3 年後の 50 年 ( 1975 ) 3 月 10 日の博多開業後は , 岡山を 素通りする山陽・九州方面への旅行者がふえた . ターミナルー岡山の駅勢 50 万都市ー岡山の玄関というより , 山陰・四国の玄関とい ったほうが似合う岡山駅は , 明治 24 年 ( 1891 ) 3 月 18 日の開 業である . その後 , 大正 15 年 ( 1926 ) に当時 , 中国地方最大 といわれた駅舎が , モダンな鉄筋コンクリートづくりで完 成し , 途中 , 何度か改築されたものの , 新幹線工事のため とりこわされた昭和 43 年 9 月まで , 岡山のシンポルとして 市民・旅客に親しまれた . 現在の駅舎は 42 年着工し , 46 年 3 月に一部開業 , 岡山駅開業 80 年を祝ったのち , 47 年 3 月 に正式開業したものである . 駅舎は地上 3 階 , 地下 1 階で , 新幹線ホームが 3 階に 2 面 4 線設けられている . 2 階はコンコースで在来線ホーム の跨線橋に通じており , 1 階は乗降ロ , キップ売場 , 待合 は 室などになっている . 在来線ホームは , 新幹線の直下に 1 面⑤⑥番線 ( 山陽本線下り ) がある . 隣りのホームは神戸寄 り , 向かって左側が欠き取られており , ここが赤穂線乗場 ⑧番線となっている . このホーム⑦⑨番線は伯備線用であ る . 以下 , ⑩⑩番線 ( 宇野線 ) , ⑩⑩番線 ( 山陽本線上り ) , ⑩⑩番線 ( ⑩津山線⑩吉備線 ) の順で , すべて地平ホーム . 一日の平均乗降人員は約 13 万人で , 開業当初の明治 25 年が 一日 1 , 500 人であったから , およそ 87 倍にふくれあがった ことになるが , 新幹線岡山開業の前後で , 開業前の約 8 万 人が一挙に 15 万人にはば倍増した実績がある . 新幹線博多 開業後の乗降客減も目立ったほどではなく , 始発の長距離 列車がへったことを考えると , 利用率はむしろ向上してい るといえよう . 旅客列車の発着本数は上下あわせて一日約 650 本で , う ち 120 本が新幹線 , 80 本が在来線の特急・急行列車である . 貨物列車はすべて西岡山貨物駅に発着し , 岡山駅は 9 番線 と 10 番線 , 13 番線と 14 番線の中間にある中線を通過する . また , 岡山には山陽本線の荷物列車 , 各支線の荷物車が発 着する . 岡山を中とした列車体系 旅客列車を各方面別にみると , 山陽本線では , 昼間の優等 列車はないが , 東京・大阪ー山陽・九州間の夜行寝台特急 や急行列車が夜半に下り , 未明から早朝にのばってくる . 東京方面へはく瀬戸〉くあさかぜ 1 号〉が有効時間帯にはいっ ている . 区間列車は姫路ー岡山間 , 岡山一三原間が多く , 岡山をはさんで前後を直通する列車は少ない . 姫路ー岡山 間は下り 25 本 , 上り 26 本の運転だが , そのうち下り 5 本 , 上 り 6 本が赤穂線経由であり , また上下各 2 本は本線経由の 快速である . 赤穂線経由の場合 , 所要時間は 30 分ほど延び 下り列車では , 姫路を後発となる本線経由列車が岡山先着 岡山・吉備路

3. 鉄道ジャーナル 1978年5月号

に対してサイリスタを採用した無接点位相制御の方式となっ ☆極寒の地の近郊形電車 711 系 ている・この方式は電圧の変化でモーターを制御する抵抗制 御 ( 抵抗による電圧降下を利用して結線を変えて制御する方 大自然が支配していた北海道が開拓され始めたのは明治以後 式 ) や低圧タップ切換制御 ( 変圧器の 2 次側のタップの切換え で , 昭和 43 年は開道 100 年目にあたっていた . その 100 年目 でモーターにかかる電圧を変化させる ) と根本的にシステム を祝うかのように , 函館本線の小樽ー滝川間 ( のちに旭川ま が異なり , モーターにかかる電圧を一定にして , 電流を断続 で ) が交流電化された・北海道内の国鉄では初の電化区間 ( 定山渓鉄道乗入れ区間を除く ) である・この区間を走る近 的に流して , その、入・切洋の時間を変化させてゆく方式であ 郊形電車として製造されたのが 711 系で , 本州以南の近郊形 る・この方式は直流の場合はチョッパ制御方式といわれて , 電車とはメカニズムも車体外観も車内配置も異なった , 一見 , 入・切の瞬間にサイリスタにゲート電流を送り , その指令に よって電流の流れる時間を制御するが , 交流の場合は 1 秒間 急行形電車のようなスタイルで登場した・ このスタイルには , 北海道の風土や気候 , そして都市構造 に 100 回 (50Hz) OV があるため , ゲート電流は入時だけ送れ からの特徴が重大な要素になっている・つまり , 厳寒の地を ばよい . そのため機器は小型で保守の面でも経済的であり , 走るために近郊形ながら両端部にデッキを持った 2 扉となり 効率のよい制御方式といえる・ この方式を採用した 711 系は , 粘着力が高く , 保守の面や 停車中の室内保温を考慮している・さらに駅間距離が長いこ 機器の集約化から IM 方式となっている・なお抵抗器を搭載 と , 東京ほどの混雑がないこと , 急行くかむい〉にも使用する していないために発電プレーキはなく , ほとんど平坦線を走 こと・・・などの理由もつけ加えられよう・これは気動車のキハ るために勾配抑速プレーキもない・ 22 形が本州などの暖地用のキハ 20 形と同じ使用目的ながら , 試作車は 42 年に 2 編成が製造され , さっそく各種の試験や スタイルや座席配置は急行形と同様な構造になっていること 試運転が行なわれた・制御方式やスタイルは他の近郊形とは からもうかがえる・ ( キハ 23 形→キハ 24 形キハ 45 形→キハ 違っていても , モーターは 113 系と同系の MT54A ( 150kW ) 46 形キハ 47 形→両運式キハ 40 形も同じ理由からスタイルが を , 歯数比も 1 : 4 ・ 82 と , その一族であることを示している・ 変化している・もちろん全車二重窓 ) 室内の座席配置も車端にロングシートを配してあることを見 一方 , メカニズムは本州以南の近郊形とは全く方式を異に 落せない・試作車はグモハ 711 + クハ 711 の 2 両編成として製 している・まず第 1 は交流区間だけを走るために , 交流専用 造され , 901 号編成は 2 段窓・折戸式扉 ( のちに引戸に改造 ) 電車になっていること・ 711 系は直流・交直流形の抵抗制御 札 53 28 58

4. 鉄道ジャーナル 1978年5月号

新をを第 △近鉄 2610 系は 4 車だがクロスシートっき団体用にも使う明星で S47 ⑩ 、お買物電車強として設計された富士急 5000 形室内はキハ 47 などに類似⑩ に「な第龜き 、近郊形としては最高水準の接客設備を誇る阪急電鉄 6300 系京阪 3000 系もよきライバルだ⑩ 上 ; 名古屋鉄道では 2 扉グロスシート車を主力に近郊輸送をこなしている ( 5500 系 ) 豊橋で S51 ⑩ 逆に , 中・長距離の輸送にも適合した国鉄の近郊形を生かせ どは通勤距離の長いことで知られており , 当然 , 生活基盤の ば , 私鉄のなかでも多少の定員減はあるとしても , ロングシ 広域化から派生する , 中距離の輸送に対する要請も強いと思 ートオンリーからの脱皮が望まれる・小田急の新宿ー小田原 われる・にもかかわらず , こうした輸送をすべて通勤形でま 間は東京ー横須賀間よりはるかに長い・ライバルの湘南電車 かなっているわけだが , そのあたりには国鉄と私鉄の性格の は 113 系である . 差が現われているといえるのではないだろうか・ 私鉄のおもな車両のなかで , 国鉄近郊形に近い車両をさが 例えば , 横須賀線はラッシュ時 , 最大 15 両編成で運行して すと , 阪急、 6300 系 , 名鉄 7000 系・ 7700 系・ 6000 系・近鉄 2610 いるが , これを 3 扉セミグロスの 113 系から , 4 扉ロングシ 系 , 西鉄 2000 系 , 京急 700 形などがあげられよう・近鉄は 4 113 系は中間車 ートの車両に取り替えた場合にどうなるか・ 扉 , 名鉄 6000 系は 3 扉 , そのほかは 2 扉のグロスシート車で で定員 128 人であるが , 103 系タイプの車両なら 144 人 , 15 ある・特別な料金をとらない列車 , あるいは車両としては , 両編成を考えると 1 列車あたり 240 人の差となる・つまり , その設備水準は高く , とくに阪急や名鉄 7000 系・西鉄などの 同じ定員を確保するとして , 約 1 ・ 7 両の編成減車が可能とな 転換グロスシートは国鉄を上回っている・ ( 国鉄では , 北九州 るわけである・横須賀線をロングシート化すればおそらく不 地区のキハ 66 のグループが同じ転換グロスシートを有してい 平不満が続出するだろうが , これだけの通勤線となると 3 扉 るだけである ) しかし , これらの私鉄でも , これをとりまく 車から 4 扉通勤形への移行も考えられてよいのである・東京 環境の変化により , 中距離形から近郊形へ , 近郊形から通勤 ー横須賀間は 60km を超え , 所要時間は 1 時間 15 分だが , ほ 形へと転向を余儀なくされた国鉄と同様の道を歩むことにな ば同じ所要時間である中央線の東京一高尾間は , 通勤形が走 るかもしれない・ っている・ 3 第 42

5. 鉄道ジャーナル 1978年5月号

客車列車による近郊輸送もある ( 福知山線列車の回送 ) 大阪付近で S53 ⑩ V 近郊形電車の配置がない北陸では急行形が代用石動付近で S52 の 案内 は、都市近郊の輸送洋でありながら , 長距離の輸送を考慮す のしていた横須賀線もついで 111 ・ 113 系に置き換えられた・ る余地がないという事態になった・ ( これは 1 つには , 中央線 こうした経過をたどれば , 長距離輸送を想定していた線区 が東京ー新宿間で地下鉄などと同様の , 都心到達手段として でも , 都市近郊にあって宅地化が進んだところでは順次 , 通 の重責を背負っていることもある ) 勤輸送に堪える車両と交換されてゆくことがわかる・戦前 , 地方都市を中心とした線区では , 直流区間であれば概して 長距離形と短距離通勤形の中間として完成された , セミグロ 首都圏や関西圏から捻出された旧型電車が投入され , 交流区 スシートっきの近郊形が , 戦後はむしろ長距離形の置換えと 間では適当な車種がなかったことや輸送需要などの関係 , 交 いう形で普及してゆくことになる点に注目せねばならない・ 流機関車の効率運用といった見地から機関車牽引の客車列車 ・地方線区ても似たような状況になったこと のまま残っている・首都圏や関西圏の新性能化のメドがつい 東海道の 111 系よりひと足早く , 交流電化の常磐線と北九州 た現在 , 旧型車の取替えとサービス改善といった営業的な立 地区に新性能近郊形のトップをきって , 401 ・ 421 系が登場し 場と , 一方で線区によっては増大する需要に物理的な限界を ている・常磐線については首都圏の通勤線区 , 北九州は博多 きたしたこともあって , 地方線区への新しい車両の投入が急 と門司・小倉 , あるいは下関方面との連絡 , さらにこれら両 務となってきた . また , 同一線区を走る車種の統一という作 端の都市に集中する通勤輸送を受け止めるという点から , 近 業も進められている・ 郊形の投入を評価できよう・一方 , 戦前の近郊形投入の嚆矢 こうした地方線区に投入される車両は , 電車・気動車・客 となった中央線では , さらに増加する通勤客をさばくため , 車を問わず , いすれもセミクロスシートを配し , 乗降時間短 4 扉ロングシート車という純通勤形の投入を迎え , 形態的に 縮のために , 出入口付近の機能が見直されている・ △山陽本線・宇部線には北九州の 421 系が乗り入れてくる床波付近で S50 ⑩ 地方線区用の一般形気動車も混雑に対応した設計に ( キハ 23 ) ・仙台で S52 ⑧ 40

6. 鉄道ジャーナル 1978年5月号

さかどらぶさ嚮は p あ小。きあ庁まり骼ぎー ☆読者論壇☆ 交流電車の投入 渡辺芳信 ( 秋田県 ) 3 月号の読者論壇欄で , 千葉さんが交流区 間の電車化について意見を述べられました が , 現在 , 国鉄に在職中で , 運転関係に携 わっている者として事情を説明したいと思 シロウト います . なお , 私は技術面には全くの素人 で , これは千葉さんに対する反論でない とを , 最初にお断わりしておきます . たしかに交流区間での普通電車列車は , 直流区間のそれに比べて , 本数が少なくな っていますが , それには次のような理由が 考えられます . ①直流電化が先に開発され , 伸展したこ とにより , 70 系・ 80 系などの電車が新開業 区間に使用され , さらにその代替用に新車 が投入されたものと思います . これに比べ 交流電化は歴史が浅く , しかも耐寒耐雪の 投術に乏しかったことも , 寒冷地用交流電 車の開発が遅れた一因だと思います . ②機関車運用との関連で , 奥羽・羽越本 線のように旅客列車の少ない線区では , 往 路に旅客列車をひいた EL が , 復路は貨物 列車をひくというように , 客貨両用にフル に E L を使っています . 秋田機関区の E D 75 は , 青森・酒田・山形など他区での滞泊 時間をできるだけ短くし , 貨物あるいは客 車をひいて , すぐトンボ返りできるような 運用を組んでいます . 客車のかわりに電車 が入れば , 機関車運用はそれだけムダにな る訳で , E L のロングランをしている東北 本線にも同様のことが言えると思います . ③現在 , 通勤列車などの一部を除き , は とんどの普通列車には荷物車・郵便車が連 結されています . この荷物車などがまた長 距離運用されるもので , 大阪・名古屋・金 沢・東京からの荷物車・郵便車が北海道ま で行きます . これらをまとめて , 荷物列車 にすればよいと思われるかもしれませんが ダイヤ上ムリだと思います . ④足回りが丈夫なら , 電車・気動車より も客車のほうが耐用年数の長いことははっ きりしていることで , 特に構造の簡単なハ ・ハフがそうです . 客室サービスの面では 劣るかもしれませんが , まだまだ使える客 車を安易に廃車するのはどうでしようか . 千葉さんは電車が万能のように思われて いるかもしれませんが , 必すしもそうでは なく , モーターが故障し , ュニットカット ( 気動車ならエンジントラブルによるカッ ト ) になり , 規定の速度で走れす , 時刻変 更をしたり , 機関車牽引になることがとき としてあり , 冬には雪による電気系統やハ ンタグラフ・架線のトラブル , ドア凍結な どで , 運休になったり遅れたりする訳です . 次に , 千葉さんは輸送量の面で仙台地区 と他地区を比較されていますが , 本数的に も , 定員の面でもそれほど差はないと思い ます . むしろ 1 両単位で考える客車と , 3 ・ 4 両のユニット単位で考える電車の差が , 逆の面 ( 混雑期 , 閑散期 , 故障時の増減車 など ) に現われてくることもあるのです . また , デッキからふり落とされて云々と あります . 私は開放式デッキが危険でない とは言いませんが , 車掌時代の経験からし ても , 片足だけステップに乗せ , 片足をプ ラブラさせたり , 手を広げたり , あるいは 気動車のドアにわざと足やカバンをはさん でしまらなくしたり , 駅員がヤキモキして いるのにわさ・とゆっくり乗ったり , 高校生 などの扱いには手を焼いたものでした . そ れでも冬になればヒ。タリとドアを閉めてし まうのです . 暑い , 寒いの理由はあるでし ようが , 身の危険には代えられない筈です . 千葉さんの意見に対し , 私なりに考えた 理由を述べました . 最初にお断りしたとう り , これは反論ではありません・読者諸氏 の意見をお聞かせください . ( 秋田鉄道管理局・運転部列車課 ) 座談会を読んで 藤田勲 ( 愛知県 ) 3 月号の座談会とタブレット欄で , 期せず して青函トンネルの利用法と北海道新幹線 のあり方について問題が提起された . 出席した国鉄当局の方は , 新幹線による 北海道連絡をあきらめ道内輸送専念を考え ているかのようである・ジャンボ機と新幹 線の所要時間・運賃・快適さを比べ , 札幌 ゆき新幹線は太刀打できない・・・と簡単に引 き下がらないでほしい . 1 人当りのエネル ギーコストからいって , 鉄道にまだまだ働 いてもらわなければならないのである . これは成田空港輸送にも言えることで , みすみす道路にゆだねるおつもりか・われ もわれもの自動車を放任しておいた日には 京葉間の交通はマヒしてしまう . 当分の間 は , 本欄の提唱のように , 房総特急の転用 や京成・地下鉄・京浜の通し運転で新空港 と都心や羽田を連絡するのが実際的だ . 日本人にこらえ性がなくなって ( トンネ ルは多い , 窓はあかない , 停車駅は少ない . スビード本位が裏目に出たか ) 2 時間半が 座席にじっとしている限度だというにいた っては , 自分たちの使命を放棄していると いっても過言ではない . 国鉄のお偉方は飛 行機で出張しているのではあるまいか . そ れに東京から札幌へ行くお客ばかりではな い . ありようは東京に集約されてゆくので ある . 時間のハンデを緩和するに足るサー ビス , 悪天候にも定時運転を確保して信頼 を得 , 頻繁運転で西へ向かう新幹線が成功 したように , 需要を誘発するのである . 日本の北から南まで , 背骨だけは新幹線 を通したい . 青函には狭軌も敷いて , 夜間 に貨物や寝台列車を通せば投資効果も上が り , また客貨とも本土と一貫輸送すれば , 鉄道の失地回復ができる . 保守作業は , そ のころには , 昼間に列車を止めて行なうの が常態となろう . 飛行機や船なら尻ごみし 面倒がる人も , 鉄道でなら気軽に往来する ようになる . 在来線に新線をつなぎ , 狭軌でスビード アップをはかるイタリア方式は , せつかく 過疎地を新規格の線路で走り抜けても市街 地では過密ダイヤを縫うようにして走らな ければならないので , 首をかしげる . 湖西 線 , 伊勢線 , 岡谷ー塩尻間 , 道央道東連絡 など , 短絡線はいいが , 並行線はただ追越 車線を増設しただけで , ムダな投資に終わ ると思う . 日本列島をネットワーグする国鉄さん , みすから墓穴を掘らぬよう頼みますよ . ☆読者論壇☆ さかどさ《よ韆窩は p あオっき星ヤほ、りるぎー 122

7. 鉄道ジャーナル 1978年5月号

武甲山麓に広い構内を持っ秩父駅 S51 第を姦。 ~ な物を = 、下 である・主支間 62 ・ 4m , 3 連延長 80m のパルチモア式である・ 浦山口駅のはずれの深い谷にかかっているのが浦山川橋梁 ならんでいる・自然と融合した近代的風景である・ ・側線 9 本 , 秩父鉄道の本線・側線 7 本が広い構内に整然と 正な工場建築 , 構内には原石搬入高架線のほか , 材料搬入線 埃つばいセメント工場のイメージとはほど遠く , 明るい端 ント秩父第 2 工場の近代的な建物が見えてくる・ されている・それも 2 のあいだで , 武州原谷には秩父セメ 武甲山が見える・まだ手をいれていない自然と生活環境が残 とんど直線 , 線路の両側は桑畑と森や林で , その向こうには 鉄橋をわたると線路は 12 ・ 4 % の上り勾配で武州原谷までほ 荒川に合流する・谷は深く , このあたりも風物は美しい・ 前後をいれて 3 連延長 80m , 横瀬川はつい 150 m くらい先で を休まずにかけ替えたもので , 上路鋼構桁中央支間 62 ・ 4m に 黒谷付近で支流を横ぎる横瀬川橋梁は , 46 年に列車の運行 趣きをそえている・ 長瀞の奇岩のあいだを流れるが , 鉄道橋は風景にとけこんで である・荒川はこのあたりで直角に曲折して , まもなく名勝 長 159m , レンガ橋脚の上路鋼構桁で , 古く単純で美しい鉄橋 近の荒川橋梁であろう・支間 19m x 6 連 , ほか 4 連で支間延 橋梁は大小 56 ヵ所ある・もっとも代表的な鉄橋は上長瀞付 いし 13 ・ 3 % でのばりつづける . は最急の 20 % になる・線路は終着の三峰口まで , なお 12 % な では 14 ・ 5 % から 15 ・ 6 % の急勾配になり , 武州中川まで 2 ・ 4 で 9 ・ 7 % ないし 9 ・ 9 % で上りつづける・御花畑から浦山口ま い・黒谷から大野原へかけて 12 ・ 4 % の上りになり , 秩父駅ま 羽生から黒谷まで , 駅間標準勾配が 10 % をこえる区間はな 50 キロの重軌条が使用されている・ 40 キロレールで , 残りのわずか 2 % は 30 キロと延長 180 m に ・線路と施設本線のレールは延長の 87 % が 37 キロ , 10 % が れて , 現在は 16 駅である . t, 熊谷 82 万 t などがおもな駅である・貨物取扱駅は集約さ 影森 466 万 t , 武川 429 万 t , 秩父 167 万 t , 武州原谷 86 万 貨物発着トン数の多い駅は中継を合せて , 年間トン数順に 駅付近や浦山川上流の風景はすぐれている・ 終着の三峰口まで山峡はいよいよせばまり , 線路は山麓に 切り開いた畠地を縫い , 勾配とカープの連続である・大都市 圏からそれほど遠くないところにあって , 平野と山峡を結ぶ 動脈が秩父鉄道の姿である・ 列車の運転 ー旅客電車秩父鉄道は年間客貨列車を 227 万キロ ( 50 年度 ) 走らせている・旅客電車は 144 万キロで全列車キロの 63 % に あたり , 電動車・制御車・付随車など 1 両ごとに走った距離 に東武東上線や国鉄乗入れ車両を加えると 547 万客車キロに なる・大都市周辺外の地方鉄道のなかでは相模 , 富山地鉄な どにつづいて多く電車 ( 車両 ) を走らせている・ 熊谷一三峰ロ間はだいたい毎時上下各 1 本のわりで電車を 運転し , 別に急行 1 往復がある . 寄居から三峰口まで東武東上 線急行 1 往復の乗入れ , また長瀞まで国鉄臨時列車の乗入れ がある・熊谷一三峰ロ間を普通電車は 1 時間 35 分前後 , 急行 は 1 時間 03 分を要し , 列車は 2 ~ 4 両編成である・羽生ー熊 谷間も朝の混雑時の 3 本のほかは , だいたい 1 時間 1 往復で 運転所要時間は 22 分前後である・ たけかわ ■貨物列車の運転電車で秩父方面に向かい , 武川をすぎる と 2 駅か 3 駅ごとに貨物列車と行違いがある・ 貨物列車キロは年間 144 万キロで , 走行キロこそ電車より すくないが , 輸送力はケタ違いである・貨物列車の設定は次 のようになっている・ 台・ 5300 台 ) 熊谷ー秩父間下り 8 本・上り 7 本 ( 300 秩父一三峰ロ間上下各 2 本 ( 500 台 ) 影森一武川間鉱石列車 寄居ー秩父間 上り 17 本・下り回送 18 本 ( 7000 ~ 7300 台 ) 下り 9 本・上り 9 本 ( 東武東上線渡も原石貨車混成 400 台 ) このほか , 秩父ー影森間 , 影森ー大野原 ( 秩セ工場 ) , 熊谷 ー武川間の区間運転 , 熊谷一羽生間 2 往復がある・影森 ( 武 甲貨物線 ) ー武川間は石灰原石のヒ。ストン輸送 1 , 000 t 列車 である・年間 420 万 t , 毎日平均 11 , 500 t の原石が武川か ら分岐する 3 ・ 8 の専用線にのせられて , もっとも近代的な 設備と規模をもつ秩父セメント熊谷工場へ運ばれる・ 好不況の波はあっても , これこそ秩父鉄道貨物輸送の支え なのである・石灰類やセメントは秩父ー寄居間を 400 台の列 車で東上線経由 , 日本セメント高麗川 ( 日高 ) 工場や下板橋の セメントサイロへも流れる・ ■輸送改善他の私鉄には例を見ないほどの大量輸送のため 単線の線路容量は限界にちかかったが , フルに活用するため 熊谷ー影森間の CTC 化を進め , 最近ようやく完成を見た・ 熊谷駅構内の運転指令所の表示パネルには , 明滅する点灯と 列車番号が表示され , 信号と列車の動きがひと目でわかる・ 単線の列車運行と保安には最大の効果を得られるが , これ以 99

8. 鉄道ジャーナル 1978年5月号

・を厚 20- 19 , 570 クハ 401 形 ( 1 ~ ) 形式図 ( 1 / 15 の ( クハ 421 形も同形 ) 585 682 418 ・ 天井燈 ツリ手 0a8 ・ー 006 、 , 0a8 大月 = 仕切位置」 C—t 、 拡声器 5 00 , 42 げ 723 , 075-3261 , 075 3 4 , 780 扇風機予備 1 520 1 419 00 70 3 、 090 -- - -.. 2Q1-- 毟 .. 1 , 300 ・一 495 4 ( ) 495 LI , 075 ーー - ・ 3 , 020 555 30 れ 9 0 290 00 320 1 , 300 4 , 780 1 , 30 2 , 950 目日ロロロロ日日ロ卩ロ 車側表示燈フタ 卩ロ日日 99 灰ザラ 088 860 2 , 850 ー一一」 2 , 920 13 , 800 20 .000 180 250 2 , 100 2 、 100 モハ 400 形 ( 1 ~ ) 形式図 ( 1 / 150 ) ( モハ 420 形も同形 ) 5 , 950 2 , 950 ー 4 , 250 99a 帽掛 いミ 9 」・・ 008 gaa'l 鬲 9 - 8 969 ・ 9 0 灰サラ 車側 表示燈フタ 088 860 2 , 850 13 , 800 20 , 000 3 , 100 2 , 100 250 2 、 100 して直流モーターを回す電車がっくられることになった . 形の運転室の高窓は 36 年度製 ( クハ 401 ー 23 号 ~ クハ 421 ー 21 ところで , その電車の形態についてはいろいろ考えられた 号 ~ ) からである・ らしいが , 走行区間があまり長くないこと , 少ない両数で輸 401 ・ 421 系と系列がわかれているのは , 中部地方を境にし 送力を確保できること , ラッシュ時の客扱い時間の短縮が図 て東日本 ( 常磐線側 ) が 50Hz , 西日本 ( 鹿児島本線側 ) が 60Hz れること・・・などから , 車体は 3 扉・セミクロスシートの電車 交流のため , M ′車に搭載している主変圧器の形式の違いから が設計されたのである・両線とも若干の増発があったにせよ で , 製造当初は 401 系と 421 系とを区別するために , 421 系 もともとは客車またはディーゼル動車の電車化置換えが主目 ( 60Hz 用 ) のスソ部分に細いクリームの帯を入れていた・ ( 1 的であったため , 運転上の合理化や近代化は図られたものの 月号の本項「 485 系のすべて」を参照 ) 利用者から見れば座席の減少 , 立席の増加というサービスダ この 401 ・ 421 系は , グハ ( Tc ) 401 ・ 421 形 , モハ ( M ) 401 ・ ウンの結果となり , 利用者の犠牲のうえに成り立った近郊形 421 形 , モハ ( M ′ ) 400 ・ 420 形の 3 タイプずつが製造され , Tc 電車といわれたこともあった・ MM ′ Tc の 4 両が基本編成になっている・増結する場合は同 性能面からみると , 101 系のメカニズムを基本とし , モー じ編成を連結するわけで , 編成はすべて 4 の倍数である . なお M ′車のパンタグラフ取付位置の屋根が低くなっているのは , ターは 100kW の MT46B 形 , 台車は DT21B ・ TR62 形とし ているものの , 歯数比を 101 系の 5 ・ 6 と急行用 153 系の 4 ・ 21 ( 特 直流用電車に見られる断面の小さいトンネルを通過できるよ 急用 151 系は 3 ・ 5 ) の中間をとって 4 ・ 82 にしてある・ うにしたためではなく , 交流用の大きなガイシや屋上の高圧 こうして生まれたのが国鉄初の量産形交直流電車であり , 機器を取り付けてあるためである . さらに最初の新性能近郊形電車 401 ・ 421 系である・スタイル 近郊形の新性能電車第 1 号となった 401 ・ 421 系の第 1 陣は は東海形と同じパノラミッグウインドの運転室まわりと両開 昭和 35 年に先行試作され , 各種の試験を行なったのち , 量産 扉を組み合わせたスッキリしたもので , ローズビングの塗色 車とともに 36 年 6 月 1 日から , 新しい輸送タイプとして東西 に正面の警戒色の映えた斬新なものであった・グハ 401 ・ 421 の交流区間で走り始めた .

9. 鉄道ジャーナル 1978年5月号

3 △常磐線で活躍する 50Hz 用の 401 系 ( 上野一日暮里間で ) S53 ー 2 ー 28 ⑩ く鹿児島本線の快速仕業についていたころの 60Hz 用 421 系 ( 香椎ー吉塚間で ) S38 ① 関西地区を例にとってみると , 京阪神間では緩行に 51 系や 70 スペース的には , 2 扉・グロスシート車に比べると座席数は 系の、旧性能近郊形洋というべき 3 扉・セミグロスシート車を 少なく , シートも狭いものの , 立席数が大幅に増大して , 1 車両あたりの収容能力が大きくなること , 逆をいえば , 2 扉 使用し , 米原方面や姫路方面へ足を伸ばす快速に 80 系を投入 していた . この場合 , 駅間距離や走行区間を考えると京阪神 ・グロスシート ( 電車・客車とも ) に対して少ない車両数でも 間の緩行が横須賀線に , 本線快速が東海道本線電車 ( 80 系 ) に 輸送力は確保でき , 通勤輸送にも昼間時の中 ~ 長距離輸送に あたるとみてよいと思う・ただし , 沿線の人口や運転間隔 , も使用できる、万能タイプ洋として , 近郊形電車は設計されて 運転パターンはこの場合は無視しての話である . いった . 現在ではこの万能タイプでも輸送力不足に悩む線区 が出現してきたが , それは登場時から現在までの都市構造の では , 電車の新性能化の視点を客車の新性能電車化に移し てみるとどうなるだろうか・ます電車化にさいして最大のメ 変化と見るしかないだろう・ リットになることは , 車両の運用の合理化が図られること , ☆近郊形新性能電車の第 1 号 401 ・ 421 系☆ 列車のイメージアップとスヒ。ードアップが図られることがま ずあげられる・この場合 , 幹線を例にとると , 電車化したも 新性能電車の近郊形第 1 号は , 常磐線用 401 系と鹿児島本線 のの列車本数が変わらないとしたらどうなるか・同じ形態の 博多ロの 421 系の交直両用電車である・ 30 年代前半から中期 車両 ( 室内配置 ) では , スビードはアップしたものの客車時代 にかけての新性能電車の投入線区を見ると , 東海道本線 ( 151 よりも増結しないかぎり列車の定員は増加しない・つまり輸 ・ 153 ・ 155 系 ) や中央線の国電区間 ( 101 系 ) , ちょっと変わっ 送力としての効果は現われないことになる・ たところで東北・日光線 ( 157 系 ) といった , 最重点線区が中 では , 沿線の人口分布は当時はどうなっていたのであろう 心であった・しかも直流形である・だが , 近郊形については 交直流形がます製造され , さらに常磐線・鹿児島本線に投入 か . 大都市人口集中はもう始まっていたわけだが , その余波 は近郊の衛星都市にもおよび , 大都市周辺 50km がべッドタ されたという点に注目したい . 両線とも , 一度に全区間を電化したわけではなく , 常磐線 ウン化しはじめた時期である・しかし , それよりも外側は , は勝田 , 鹿児島本線は久留米までで , その距離は 100km を少 従来とあまり変化のない状態で , 昼間帯は座席が全て埋まる ことはまれであった・そこで先ほどの横須賀線を考えると , し超えたくらい・そして , 電化方式は買電の交流 20kV だが あの距離で 3 扉・セミグロスシートで対処できるということ 常磐線は上野ー取手間はすでに直流電化で国電が走っていた つまり 30 分 ~ 1 時間の乗車は近郊形で十分だということにな し , 一方 , 鹿児島本線からは直流電化の山陽・宇部の両線に る・室内の基本バターンは 70 系とほば同様ながら , 1 , 300mm 乗入れ運転するため , 交直流形電車の製造が要求されたので の両開き扉が 3 ヵ所ついているということは , ラッシュ時の ある . それ以前 , 交流でモーターをまわす直接式や , 各種の 乗降時間の短縮 , しいていえばそれによる遅延の防止となり 整流器で直流に変化させて直流モーターを回す方式の実験を 行なっていたが , 性能や保守の面からシリコン整流器を採用 ダイヤ全体の乱れを防ぐ特効薬にもなるということだ .

10. 鉄道ジャーナル 1978年5月号

た国鉄への助成を行なうことを条件に , 国鉄関係法案を成立 させようと意見が一致した・ 国会が始まる前に各党が審議の段取りをきめてしまうのも 妙な話だが , ともかく問題の法案は 12 月 7 日に衆院 , 翌 8 日 に参院で可決 , 成立したのである・ 関係法案の成立で法定制緩和が実現したこと , 運賃改定の 役割が経費の増加ぶんだけに限定されたこと , 52 年度中は運 賃・料金値上げがなくなったことなどを踏まえて , 政府は 52 年 12 月 29 日に 4 度目の再建計画といえる「日本国有鉄道の再 建の基本方針」を閣議で了承した・ 昭和 39 年に開通した新幹線カメラ・編集部 これによると , 国鉄収支のパランスを回復する目標年度を 同じ年 1 月に 54 年度としていたのをひっこめ , 「 50 年代」 ( 1984 は国鉄の経営努力と国の助成のふたつの柱による結果になっ た・従来の、 3 本柱洋論から , 陸上運輸独占の時代が去った国 年まで ) という漠然とした表現で先送りした・それだけ国鉄 財政再建がむすかしいことを政府も認めたもので , これまで 鉄は , 過度の運賃・料金負担に耐えられないと , 国会が認め の再建計画のなかでは最も現実的なプランだ . たのである・この考え方はきわめて大きな変化といえる・「基 本方向」のなかでは , 「今回の運賃法の改正は運賃値上げの上 政府助成も 5 , 401 億円と , 前年度当初予算より 21 % 増加し 限を定めたものであって , 今後の運賃改定にあたっては経費 ているが , そのかわりに 53 年度から毎年 , 比較的小幅な値上 節減・増収努力を徹底し , 利用減についてもその中で吸収す げが繰り返されそうな気配になった・ るなど値上げ幅を極力圧縮するようっとめる」と , 安易な値 新しい運賃値上げのルール 上げをいましめている・ さて法案は 11 月 1 日の衆院本会議で可決されて参院に送ら 本誌が発売された直後の 3 月 31 日に , 国有鉄道運賃法の改正 ' でまた足踏みし , 11 月 25 日に時間切れで廃案に が施行され , いま書いたとおりの条件っきで運賃値上げの認 れたが なってしまった・驚いた政府はただちに臨時国会の召集をき 可権が運輸大臣に移る・政府の 53 年度予算案には , 国鉄の運 め , 共産党を除く与野党間の話合いによって政府が思いきっ 輸収入は 2 兆 5 , 087 億円と , 新たな値上げによる増収ぶんを 公共企業体・国鉄の値 20 電 2 遠料第白通 系車 ,. 等距金 2 紙行 プ特 級離は次ダ税 まま ル急 制逓運 5 イ法 東なを減輸カヤ改 ど採を大年改正 ↑東用 2 臣計正で 地認画 東 阪↑帯可ス特等 イ 間大制タ急運 3 賃 さ大 時間 ト倍 か阪 間 6 増料 定 36 40 時 金 ぜ間 制年 10 6 分間 10 緩度月 時 30 場 和か 1 9 分 月 下 10 50 6 月分 げ 日 月 7 1 4 日 1 月 月 日 日 1 1 日 日 ~ お , 、朝↓に 〈つばめ >< はと〉東京ー大阪間 8 時間連転 ( 川月 1 日 ) 朝鮮動乱起こる ( 6 月 ) 運賃遠距離逓減を 4 地帯制 ( 旧 2 地帯 ) へ 3 等の通行税免除 ( 4 月 1 日 ) 敗戦後初の特急〈へいわ〉運転東京ー大阪間 9 時間 ( 月 1 日 ) 忌 2 0 一 0 公共企業体としてスタート ( 6 月 1 日 ) インフレで % 値上げ ( 5 月 1 日 ) 心 11 つけ - い一 O -0- -0 0 0 O -0- O -0 O ( 0 ワー ( 0 東京ー大阪 ( 新大阪 ) 間で看板 1 列車を利用した運賃 ( 下段 ) と料 金 ( 上段 ) ( 3 等↓ 2 等↓普通車 ) 朝鮮戦争休戦協定 ( 7 月 ) 石炭・電力値上がリと人件費増を値上けでカバー ( 1 月日 ) 物価高と人件費増を値上げでカバー ( Ⅱ月 1 日 ) 第 1 次 5 カ年計画スタート ( 年度から ) 東海道本線全線電化〈つばめ >< はと〉東京ー大阪間 7 時間分 ( Ⅱ月 1 日 3 等寝台料金を新設下段 9 6 0 円 ( 3 月幻日 ) 周遊券発売開始 ( 2 月 1 日 ) 22 800 1 , 030 600 87 ( ) 500 770 27 ( 1952 ) 62 ( ) 9 ( ) 0 64 ( ) 400 24 ( 1949 ) 25 ( 195 ( ) ) 5 26 ( 1951 ) 28 ( 1953 ) ( 1955 ) 29 ( 1954 ) ( 1956 ) 33 ( 1958 ) 32 ( 1957 ) 34 ( 1959 ) 年 35 1960 ) 36 ( 1961 37 ( 1962 ) 3 最低運賃 1 ( ) 100 90