写真 : 野口昭雄 4 昭和 27 年 , 東海道下り夜行急行を引いて大阪到着間近の C59 圏 幹線最終 " ひかり " 20 時 30 分以降 ( 相互 ) に設定 , 初列 正で整理された . しかし , 低迷したダイヤは昭和 22 年 6 月 21 日 , 急行列車に 2 等車の連結を行なうなど , 次第に 車の到着する 9 時頃に到着するダイヤとして , 東京ー大 息吹きはじめた . 阪間夜行急行のパターンを確保している . これにより , 昭和 23 年 7 月 1 日 , 戦後初めて画期的時刻改正が行な 新幹線の補完列車として , 新幹線開業後の新しい使命を われたが , この時はスヒ。ード・アップよりも増発主体の もっこととしている . 今回は , この夜のしじまをひたすら走り続ける " 銀河 " 改正で , 不定期列車を含め各線に急行・準急行列車が誕 生した . これにより大阪夜行急行は , 不定期 1 往復増発 を追って , 「銀河ものがたり」とする . ( 毎日運転 ) されて , 次のようになった . 1. 戦後の東海道線 ( 下り ) 東 示 大 昭和 20 年 8 月 15 日 , 戦争が終結して最初の時刻改正は 11 ※ 2017 17 : 55 → 5 : 49 月 20 日に行なわれた . 21 : 30 → 11 9 : 23 東京ー博多間 1 往復 , 門司 2 往復 , 大阪 2 往復の設定 ( 上り ) 大 阪 東 で行なわれたが , 5 往復中 2 往復は不定期列車 ( という 18 : 30 6 : 15 12 より運転休止 ) 措置であった . もちろん直通ローカル列 ※ 2018 21 : 50 → 9 : 45 車の増発も考慮されたが , 車両不足などもあってか , ま また , 同年 11 月 10 日には 11 ・ 12 列車に 1 等寝台車の連 た乗客の気もすさんで極度に荒廃し , 窓は板張り , 座席 結が復活した ( マイネ 40 ) が , 戦後日本人が乗れる寝台 のモケットは破れているといった設備を現在と比較する 車としてお目見えした . のが無理で , 靈泥以上の差でもあった . しかし運転は続 昭和 24 年 2 月 1 日 , 静岡電化完成 , 5 月 20 日には浜松 けられて , 次の時刻であった . まで電化が完成したころ , 4 月には次のように不定期急 東 京大 行列車の時刻修正が行なわれた . ( 下り ) : 52 ( 漣転休止 ) 泉 大 ( 下り ) 東 阪 21 : 00 → 8 7 21 : 40 → 9 : 50 ※ 2017 20 : 30 8 : 04 103 大 阪東 ( 上り ) 21 : 30 → 9 : 23 11 : 06 ( 運転休止 ) 大 阪 東 ( 上り ) 20 : 00 → 8 6 示 18 : 30 → 6 : 15 21 : 00 → 9 : 06 12 104 しかし , 20 年年末から 21 年 1 月には石炭不足による列 ※ 2018 19 : 20 ー→ 7 : 00 車削減が行なわれ , 大阪夜行急行 1 往復体制 ( 実質 ) は このため 1 等寝台車は , 比較的時間のよい不定期急行 列車へと連結替えが行なわれた . 23 年 7 月 1 日まで見送られたが , それまでに昭和 21 年 11 月 10 日 , 大阪夜行急行は前記 103 ・ 104 列車のみに時刻改 16
1 朝陽を浴びて京阪間を快走する C6230 けん引の東海道下り夜行急行 ( 昭 28 ) 写真 : 野口昭雄 車となっていた . これは , かって " つばめ " が大阪 , " は 神 尸 大 阪 東 と " が東京で受け持っていたのと同様に " 銀河 " は東京 , 12 20 7 : 08 : 00 → " 流星 " は大阪で受け持ち , 整備にサービスにおのおの 20 : 49 14 銀河 20 : 05 → 8 : 08 → 21 : 00 競っていた . また , この時誕生した姫路行き夜行急行は 16 ( 流星 ) 22 : 00 → 9 : 08 荷物列車の時刻を修正し , 客車の連結余力を活用して登 場することとし輸送力の活用を計り , あわせて東海道線 " 銀河 " ・ " 流星 " とも 1 ・ 2 ・ 3 等急行で , イネ・ロ ネ連結とたがいに運転していたが , この改正で " 銀河 " 夜行輸送力の増強を計た ロ・つ・ 昭和 25 年 5 月 11 日 , 東海道線に第 2 特急 " はと ' ' が増 は久しぶりに神戸延長が行なわれた . この時 , 神戸到着 発された . これよりさき " へいわ " は 1 月 1 日から " つ の列車は鷹取へいったん回送し , 折り返し宮原へ再び回 はめ " と改称されてデェットを組むことになり , 当初 送 ( 上り始発はこの逆になる ) し , かっての明石操車場 廃止後の神戸発着列車が実現して , 上りは神戸駅 1 番線 たがいに 9 時間運転で停車駅を補完しつつ運転されたほ からの始発急行が再現された . か , 5 月 1 日から " つばめ ' ' の 2 等車にスロ 60 形による リクライニング車を充当することでサービス向上が計ら に列車 Ⅱ列車 れ , さらに 2 等寝台の復活も行なわれて姫路行き急行は 広島延長とされ , この列車は " ひはり " と呼んでいた . 25 年 10 月 1 日改正で , 特急は 60 分スピード・アップを ロ列車 行なって 8 時間運転とようやく戦前なみに回復し , 浜松 で電機と蒸機との付け替え , そして大阪まで C62 による 列車 ロングランが行なわれたのはこのころである . この改正では列車番号の改称が行なわれ , 1 ~ 10 は特 急 , 11 ~ 20 は関西方面 , 31 ~ 40 は広島以西行とし , 関西 夜行急行は次のように改正された . 阪 神 示 大 東 ( 下り ) 6 : 26 → 19 : 30 11 7 : 32 13 銀河 20 : 30 7 : 45 15 ( 流星 ) → 9 : 24 22 : 30 ( 上り ) 列車 40 4 ー 39 列車 25 年 11 月 2 日から主要急行に列車名が付与され , ここ に " 銀河 " に続き 11 ・ 12 列車は " 明星 " , 。流星 " は " 彗 星 " と改められて夜の東海道を走ることになった . ( 注 ) この時命名された列車は , ほかに " 阿蘇 " ・ " きりしま " ・ " 雲仙 " ・ " 筑紫”・”安芸 " " 青葉”・ " みちのく”・”北斗”・ " 日本海”・ " 北 陸”があった . 8 : 25 → プ 8
銀河 ' , それは夜空にきらめく美しい星のもと東海道メ り , これがセールス ガロポリスをひたすら走り続ける寝台急行列車である . ポイントでもある . 戦前からも東京ー大阪・神戸間夜行急行バターンはあ これは列車設定上 , って , その歴史をひもとけば特急 " 富士・さくら " より とかく有効時間帯の も古い伝統の列車でもある . その " 富士 " が , かって 1 良否として重要な検 ・ 2 等特急であってみれは , 夜の格調ある列車は " 銀河 " 討事項の一つであ ともいえる . " 銀河 " , それは戦後 24 年 9 月 15 日に列車名 を認知されたハンデはあるものの , そこには永く続いた そのようなことから東京ー大阪との都市間を結ぶ列車 伝統があったのである . は , 必然的に昼行と夜行の到達時間差を生むこととなり 現在では , この " 銀河 " は九州特急群にその人気をさ とかく " 銀河 " を計画するうえで , あるいはその歴史に らわれてしまったが , もともと東京一大阪 , 京都ー博多 おいて , 到達時分差はあまりないのが特徴ともいえる . の " つばめ " と " かもめ " の運転時分の和で計画したの しかし , 近年の東京や大阪付近の朝晩の通勤・通学列 が , 九州特急の成功した経緯でもあった . しかし " 銀河 " 車を確保するために , 通勤時間帯の確保が大きくクロー にあっては , 夜のスヒ。ードよりも大阪・神戸 , そして東 ズアップされると , やむなくこれら時間帯を避けて運転 京相互の発着時分の良否が列車設定上のポイントでもあ されることになっているが , 新幹線開業後はおおむね新 指 定 △伝統ある東海道夜行急行 " 銀河 " にもしへッド・マークがついたなら・・・・・そんな夢を誌上で実現すべく , 本誌編集部作製のヘッド・マークを東京機関区 のご協力を得 , EF5894 ( 宮 ) につけて撮影しました . 円 76-2-24 写真 : 編集部 プ 5
特急物語 EXTRA ー東海道夜行急行史ー " 銀可 " ものカヾたり 猪ロ信 ゞ 1 を 三 F5804 EF66 7 0N6 、 ・、い : 朝いいド
。宀み ①②③④⑤⑥⑦ 2. 特急復活と " 銀河 昭和 24 年 9 月 15 日 , それは戦後特急復活の時刻改正であ ネネロロロロフ 40 40 る . 東京ー大阪間昼行列車には特急 " へいわ " を増発し たが , 戦前には及ばなかったものの 9 時間運転で登場し この " 銀河 " の登場は , 当時としては豪華そのもので 2 た . 夜行列車にあっては , 1 往復増発したほか不定期列 等運賃は 3 等の 3 倍 , 1 等は 3 等の 6 倍であったため , 車の定期格上げも行なわれ , 3 往復となったほか東京ー インフレ時代には現在のグリーン車制度と異なり , 高嶺 の花でもあった . しかし , この列車へのカの入れ方は特 姫路間急行の増発も含まれていた . この時増発された急 あんどん 行には , 列車名を " 銀河 " と初めて急行に命名し , 戦前 別で , 特急同様行燈式のカラフルなバックサインを掲げ て連転した . だが他の夜行列車が座席定員ほどの乗車率 の 1 ・ 2 等急行列車と同じように計画された . ではなく , ちょうど年末・年始の帰省列車なみの混雑の 示 大 阪 姫 路 東 ( 下り ) なかにあって , 通路・洗面所もいつばいに詰まった実情 6 : 10 19 : 00 → 13 に , 優雅列車としての連転継続に困難もあり , 合わせて 15 銀河 20 7 : 54 : 30 → 輸送カ活用も行なわれた . 9 月 24 日以降 , 2 等座席車の 9 : 27 22 → 17 減車と 3 等座席車の連結を行ない , 戦後の 1 ・ 2 等急行 8 : 53 → 11 : 16 21 : 00 43 9 : 14 列車は残念ながらバックサインとともに解消することと 路 大 阪 東 姫 なったが , " 銀河”の列車名は残された . 5 : 45 → 19 ・ いつばう , 17 ・ 18 列車にも 1 等寝台車は連結されてい → 7 : 30 21 : 00 たため , この列車の編成は実質 " 銀河 " と同格でありな 9 : 40 22 : 00 がら列車名も付けられずに運転されていたが , 後に " 流 21 : 18 9 : 15 → 星 " として " 銀河 " のよき姉妹列車であり , ライバル列 21 : 38 京都駅にて 1953 ー 7 ー 8 写真 : 高橋弘 ( 上り ) 4 ( 0 一 8 っ〕 11 11 11 -4 ・ 19 : 12 夜の静寂のなか , C59 のけん引する上り東京行夜行列車の発車ベルが鳴る・ ・を項第ー強ア
0 物ー 第。 = 籥を . 呻記訒朝諏いーー ったが , 列車番号の歴史もとんだところで繰り返される 100 台を付与されて 101 ~ 104 列車と , 3 桁化されてしま トレインに売られてしまったため , かっての列車番号の はされたが , 両列車の列車番号 10 台は関西発のプルー いつほう " 明星 " は , かろうじて寝台列車として存置 へ転用されて 1 年の夢と化した . 列車化して姫路へ延長された . このとき食堂車は " せと " て " 銀河 " は , 一般座席車 ( 指定席車 ) を連結した輸送 となり , ここに 2 往復体制の身になるのであった . そし に負けて , ついには " 銀河・明星 " に後事を託すること 復増発して 15 往復となると " 月光・金星 " はこのバンチ " ひかり " を 6 往復増発して 20 往復 , " こだま”を 3 往 幹線開業後初の時刻改正を行ない , 東京ー新大阪間直通 て , 輸送列車化が行なわれた . しかし 40 年 10 月には , 新 替え , 往年の " つばめ・はと " に使用したスハ 44 を使っ の 1 等寝台車「マロネ 40 」 2 両を 2 等座席車 2 両に置き でダウンしたが , さらに 40 年 3 月 25 日には“銀河・明星 " ものだと思わすにいられない . 刪列車 ( 明星 ) . 3 まで走った " 銀河一号・紀伊” 保上ヶ谷一戸塚間に て 円 72 ー 3 写真 : 外山公夫 写真 : 外山公夫 1975 ー 7 根府川一早川間にて " 銀河 51 号” 12 系客車使用の 102 列車 ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑩ @ 23 列車 ( 銀河 ) 田 4 列車 ( 下り ) 川 1 明 103 銀 ( 上り ) 102 明 川 4 銀 9 : 49 9 : 13 9 : 21 9 : 50 21 : 53 22 : 28 → 9 : 33 21 : 55 22 : 35 阪 尸 神 大 戸姫 阪東 21 : 00 → 7 : 30 → 10 : 43 路 星 河 星 河 東 姫 京大 21 : 00 → 7 : 28 22 : 40 → 路神 21 : 00 → これで夜行列車の体系は , 当分引き継がれることとな るが , " 銀河 " にあっては , 大阪ー姫路間臨時延長とし て運転されることとなった . 28 ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑩ @ ⑩ ( 注 ) スハ 44 ・スハフ 43 は全車座席指定 この改正で永らく続いた " 銀河 " は , 品川から宮原へ 移管したため両列車とも宮原で受け持っことになったが けん引機関車は , 従来どおり E F 58 によるロングランで 行なわれた . 昭和 41 年になると , 寝台車の冷房化が推進されて , ナ ハネ 11 をオハネ 12 , オハネ 17 をスハネ 16 化など , この冷 房改造車はおおむね山陽夜行急行列車から重点的に実施 されたため , 昭和 41 年 10 月 1 日以降は " 明星・銀河 " の オハネ 17 形はスハネ 30 形に取り替えが行なわれた . 昭和 42 年 10 月 1 日には , 山陽・九州線に 581 系座席・ 寝台両用電車が登場すると , " 月光 " と命名されて 581 系電車は " 月光形”などと呼ばれたが , そのころの列車 名 " あかっき " は山陽夜行のプルー・トレインに , " 金 星 " は現行 " つるぎ " に相当する富士行き夜行急行に登 場し , 東海道の 7 光り ( 7 往復 ) 時代の列車名が西へ , あるいは北陸で活用されることになった . さて , 冷房改造ビッチもフル操業されると , 東海道線 にも順欠冷風の恩恵にあずかり , スハネ 30 をスハネ 16 へ と置き替え対称列車となって , この改正で " 銀河 " は ,
び 58 に 6 正規編成は貫禄十分 , ずっしり重味のある”銀河 " @ スハフ ⑩オ、 ⑩オ、 ⑨オ ⑧オ ⑦ス ⑥ス ⑤ナハネ E ④ナハネ 9 ③スロ ①マロネ四 図列車 年 6 月 1 日には 80 系湘南電車を東京・姫路から相互に夜 行運転し , " はりま”を不定期列車として運転するなど , また多客期には 155 系電車を活用して " すばる " を臨時 列車として運転するなど , 電車の夜行運転が行なわれる ようになった . そして , 36 年 3 月 1 日からは 153 系電車による " 金星 " の運転が行なわれた . 昼は " なにわ " を電車化して ( せ つつを含み ) 昼・夜のペアーを組むこととなった . さし あたり現代では寝台・座席両用電車と似かよった運用と いえる . 電車にもサロ 152 ・サハシ 153 と新形式車を組 み込んで , 2 等電車のリクライニング化 , ビュフェによ る食堂サービスなど , 長所はそれなりにあって乗客に大 いに喜ばれた . この " はりま”・ " 金星 " の登場で , 夜行列車の考え方 について , 客車は寝台列車化し , 座席輸送力は電車でお のおの使命列車とすることを今後進めることで計画し効 率・効果をあげることとした . 東海道線夜行では " 明星 " が寝台列車化され , 3 本目 の寝台列車が誕生したが , 寝台列車の時間帯を考慮し , 一部列車番号・列車名を次のように振り替えた . 下り 13 列車を現行時刻のまま " 月光 " と改称 17 列車は現行時刻のまま " 明星 " とし , 寝 ハネ置替 列車 ( 銀河 ) ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑩ @ ⑩ @ ハネ置替 列車 ロ列車 ( 月光 ) ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑩ @ ⑩ @ ハネ置替 田列車 @ スハフ ⑩ナハネロ @ ナ ( ネロ車 @ スハフ ⑩スハネ 0 ⑩ナ ( ネ 9 ⑩スハネ ⑩ナハネ 9 ⑨スハネ ⑨ナハネ田 ⑧スハネ ⑧ナハネ田 ⑦スハネ ⑦ナハネ田 ⑥スロネ ⑥ナハネ E ⑤オロネ ④オロネ田 , ⑤ナ ( ネロ ③オロネ 9 っ④ナ ( ネ凵 星②言ネ如は③ナ ( ネ凵 ①マロネ陣②マロネ ①スハフ 20 列車 ・印 : 座席指定車 ハネ置き替え : ”あかっき”運休時 , 、ネ充当車 2 み
なかなかで , 2 月・ 6 月を除いて通年運転する列車であ った . このため , 夜行急行は再度時刻立て替えが行なわ れ , 次のように 5 本の列車が運転されることになった . 京大 阪神 東 ( 下り ) 13 明星 20 : 15 → 6 : 41 ※ 1015 あかっき 20 : 30 → 7 : 00 7 : 20 15 銀 河 21 : → 7 : 27 月 光 17 21 : 45 → 8 : 24 19 彗 星 22 : 00 → 8 : 46 戸大 阪東 神 ( 上り ) 14 明 21 : → 7 : 28 星 21 : 24 銀 河 → 8 : 02 16 20 : 50 → 21 : 30 20 彗 22 : 00 → 9 : 03 星 18 月 光 22 : 30 → 9 : 23 22 : 40 → 9 : 42 ※ 1016 あかっき 下り・上りとも深夜出発して , 終着駅には通勤 以上 , 時間終了後に増発する形となった . 34 年 9 月 22 日には , 急行関係では 3 階建て急行 " 能登 ・那智・伊勢 " の増発が行なわれた . 東海道・北陸・関 西・紀勢線と運転線区もバラエティーに富み , そのため か銀河系統のスジを先取りされたこともあって , 同系統 列車の見直しが再度行なわれた . このため時刻は次のよ うになったが , " あかっき " は上下とも " 彗星 " の補助 列車として続行運転となり , 寝台列車化された . この " あ かっき " 寝台列車化は先輩格の " 明星・銀河・彗星 " と きらめくスターにとって重ねての惨事だともいえる . 京大 阪神 東 ( 下り ) 13 明 星 20 : 15 → 6 : 45 7 : 20 銀 河 15 21 : 00 → 7 : 27 月 光 21 : 45 → 8 : 24 17 19 彗 星 22 : 00 → 8 : 46 ※ 1019 あかっき 22 : 15 → 9 : 14 神 戸大 阪東 ( 上り ) 14 明星 21 : 00 → 7 : 27 21 : 24 16 銀河 → 8 : 03 20 : 50 → 21 : 30 03 ( 寝台列車 ) 20 彗星 22 : 00 → 9 : . 23 ( 22 : 20 → 9 ・ ※ 1020 あかっき 18 月光 22 : 40 → 9 : 41 この頃の東海道線は , おおむね 15 分へッドの夜行急行 体系となっていたが , まったくきらめく時代であった . いつほう客車整備も順次行なわれ , 特に特別 2 等車と 普通 2 等車 ( 現グリーン車 ) , そして 3 等車の格差にア ンバランスのあることから , 2 等車は今後特別 2 等車化 することとし , 指定席と自由席を設けることとして進め られた . 32 年 10 月から順次ナロ 10 形 33 両も落成し , このうち 27 両を " つばめ " ・ " はと ' ' 用に充当するなど行なわれ , 銀 EF611 ー → 7 : 57 ( 寝台列車 ) 円 6 レに一 28 金星・出雲 " を引いて東京に着いた EF6 Ⅱ 22 レ " 写真 : 三島富士夫 河系統の 2 等車は同列車からの捻出分スロ 54 を主体に次 のように編成されたため , 輪切りにされた青大将組み込 み時代が過渡期には生じた . 編成は。あかっき " の 2 , 6 月運休を前提として , 銀河系統列車は各列車とも 2 通 りの編成で , あらかじめ計画されていたが , " あかっき " 運休時は各列車の 3 等座席車 2 ~ 3 両を 3 等寝台車に置 き替えて , 座席車で輸送力の調節が行なわれたが , " あ かっき " 運転時の列車編成は次ページのとおりである . 昭和 30 年代もなかばになると , 新婚旅行もはなやかに なって , これ等列車にはスロを大安日に連結するなど , 実は宮崎行 " ことぶき " の前身 , いわばミニことぶき役 をもおおせつかって , 昭和 39 年新幹線開業まで続けられ るのであった . 7. 新幹線開業までの東海道線夜行急行 東海道線の夜行旅客は年々増加の一途をたどり , 昭和 35 EF61 とスハ 44 系客車の上り”銀河 " 根府川橋りようにて 1967 ー 2 ー 18 写真 : 諸河久 → 7 : 59 ( 寝台列車 ) 23
" 銀ラ可 " ものカヾたり さて急行列車には , 10 月 1 日改正以降順次上記各列車と ほかに後の " 大和・鳥海・越路・大雪・まりも " に特別 2 等車を 1 ~ 2 両連結しはじめた . 具体的には , 10 月 1 日から霧島 11 月 15 日から阿蘇・雲仙・筑紫・安芸・青葉・みち のく・北斗・日本海・北陸・大和・鳥 海・越路・大雪・まりも 11 月 25 日から明星・銀河・彗星 の順に行なわれた . このリクライニング車の登場は , 体を十分に休ませる ことから俄然人気が出て , 3 等寝台車なき時代 , いわば 簡易寝台車とも考えられた . これによって " 明星 " に 1 両 , " 銀河・彗星 " はいずれも 2 両を並ロと置き替え連 結し , 5 日前から発売される客車指定券 ( 100 円 ) は発売 と同時に売り切れる , 夜行急行唯一の指定券であった . 26 年 4 月以降 , 2 等寝台車は新製「スロネ 30 」 , 3 等 座席車は「スハ 43 ・スハフ 42 」形式に順次置き替えが行 なわれ , 急行編成の質的改善は , ほば同時に 3 急行に実 施された . 座席車にあっては , 白熱燈 ( 2 列 ) の新形車 はちょうど螢光燈採用時のあの明るさに匹敵するほど , 車内のムードは一段とソフトなものとなって , 楽しい旅 づくりに貢献したのであった . いつほう , これら夜行急行けん引機関車は EF58 ・ 57 ・ 56 ・ 53 と , 東海道列車はバラエティーに富み , 主力は EF57 となって 650 ~ 700 トンけん引を行なっていた . また , 浜松以遠の非電化区間では C59 ・ 62 が主体とな って , 浜松ー大阪・神戸間をロングラン運転していた . 3. 稲沢電化と月光 ' 増発 昭和 28 年 7 月 21 日に浜松ー名古屋間 , 同年 11 月 11 日に稲 沢まで電化完成された . この時に東海道線の時刻改正が 実施され , " 明星・銀河・彗星 " に続き 4 往復目の急行 " 月光 " の運転開始である . この 4 本が今後の東海道線 夜行急行のべースとなり , たがいに覇を競いあって今後 の編成にみがきをかけることとなるのであった . 6 : 26 7 : 36 8 : 25 7 : 45 8 : 51 9 : 16 7 : 08 20 : 49 7 : 53 21 : 00 8 : 54 9 : 24 Ⅱ列車 ( 明星 ) ①②③ 50 50 34 東京ー名古屋 ( 下りのみ ) ④ 43 ⑥ 42 ⑤ 50 ⑥ 40 ⑤ 43 ⑦ 43 ⑥ 40 ⑦ 43 ⑥ 43 ⑧ 43 ⑦ 43 ⑧ 43 ⑦ 43 ⑨ 43 ⑧ 43 ⑨ 43 ⑧ 43 ⑩ 43 ⑨ 43 ⑩ 43 12 列車 ⑨⑩ 43 42 列車 ロ列車 ( 銀河 ) ①② 40 30 列車 ( 彗星 ) ① 40 ③ 30 ② 30 ④ 53 ③ 30 ⑤ 53 ④ 50 43 ⑩ 43 42 ⑩ @ 43 42 給列車 名古屋ー大阪 ( 下りのみ ) ロ列車 ( 月光 ) ①②③④ 4 ー 30 30 53 ⑤ 53 田列車 ⑩ @ 43 42 ( 下り ) 11 13 15 17 12 14 16 18 ( 上り ) 明星 銀河 彗星 月光 明星 銀河 彗星 月光 東 19 20 22 : 22 神 20 : 10 尸 : 15 00 : 30 : 30 泉 → → → 大 大 20 21 22 ・ : 30 : 10 阪 阪 神 東 → → → 上記により , 1 ・ 2 等寝台車時代の編成であるが , 特 プ 9 で , 落成前に大井工場でモックアップを作って検討され この 3 等寝台復活の前景気はそうとうな力の入れよう 車 4 往復には , いずれも 2 両連結されることになった . ることになり , " 銀河 " 系統の東京ー大阪間夜行急行列 急行・準急行列車 29 往復 58 本の列車に 1 ~ 2 両連結され 北海道用として計画された . この計画で , 全国主要夜行 は軽量としたナハネ 10 形が 100 両発注され , うち 10 両は 当時 , 軽量客車ナハ 10 形試作車をベースに , 客車構造 の新製が進められることになった . 延び延びとなったが , 民有車両による措置で急に「ハネ」 場することになった . 戦後いろいろな事情でその復活は それは東海道電化完成まえ , 昭和 31 年 3 月 20 日に再び登 昭和 17 年 7 月 16 日に 3 等寝台車が廃止されて 14 年ぶり , 4. 3 等寝台車復活 れ相当することとなる . となってしまって今はなく , 3 等寝台は B 寝台にそれぞ ば , A 寝台は現行の A 個室 , B は A 寝台 , c は全車廃車 し , 2 等寝台は C となった . これを現在と比較するなら おむね個室タイプのものを A , 開放タイプのものは B と なわれた . このときの料金体系は , 従来の「イネ」はお の称呼は「マロネ」と改称され , 優等寝台車の整理が行 車が 2 等寝台に格下げとなった . これで , 従来「マイネ」 さて , 昭和 30 年 7 月 1 日には , 永らく続いた 1 等寝台 フ 20 円 , 特急は 3 等 6 円 , 2 等 40 円となっていた . 京ー大阪間は 420 円であった . ちなみに急行は 3 等 300 円 , 2 等 ( 注 ) 特別 2 等車は特別 2 等車料金により , 地帯別料金制を採用し , 東 870 円時代であった . 座席確保が可能となり , それは東京ー大阪間の 3 等運賃 たほか , 始発駅着席券 ( 3 等 50 円・ 2 等 100 円 ) により となっている . このため上り先頭 10 号車は京都連結とし に " 明星”は他の急行列車に比べると輸送カ列車的性格
" 金可 " ものカヾたり た臨時列車に , 大阪一三島間臨時急行 " エキスボ・こだ ま " を運転して観客輸送に一役買った列車もあった . さて , 万博の終わった 45 年 10 月 1 日には , 戦後の 1 等 寝台車「マロネ 40 ・ 41 」形は第一線から引退し , 「オロ ネ 10 」形にバトン・タッチするなど車種変更が行なわれ たほか , " 銀河 1 号 ' ' の指定席車を再度「オハネ 16 ・オ ハネフ 12 」に置き替えて寝台列車化したが , " 銀河 2 号、 ' の上りの指定席の解除は嬉しい悲鳴となって , 改正後引 き続き行なわれた . その後は , 新幹線岡山開業まで若干 の時刻修正が行なわれた程度であった . 9. 新幹線の時刻改正と " 銀河 新幹線の時刻改正は必ず在来線との接続を考慮する必要 があり , 新幹線と在来線とがたがいに接続することによ って , その効果は一段と発揮されるのである . 昭和 47 年 3 月 15 日 , 新幹線は岡山へと延長され , 新大 ホット・レホート 阪ー岡山間の在来線特急・急行列車の整理が行なわれて 昼行列車は全列車 , 夜行については新大阪接続を考慮す ることで , ほば全列車存置された . この改正で , 東海道 線では夜行列車の検討が加えられ , そのなかに " 銀河 " および " 紀伊 " の編成縮小が含まれた . 紀伊勝浦・鳥羽 ・王寺行きの , 旧 " 那智・伊勢・大和 " の 3 階建て列車 であった . 岡山へ新幹線を延長することにより , " 銀河 " の大阪ー姫路間はその役目を終わったこと , 新幹線の増 発により " 銀河 ' ' そのものの旅客需要の減少が見こまれ ること , 同様に " 伊勢・大和 ' ' についても考えられるこ とから , " 銀河 " は従来の 2 往復のうち 1 往復を " 那智 ' ' と併結してマッチさせることとなった . これによって , " 銀河 " は 75 % にその実力を低下させられ , 次のような 時刻となった . " 銀河 " ・ " つるぎ " 変ばうへの 3 日間 今や東海道線に残った唯一の夜行急行となった " 銀河 " は新幹線の補佐として東京ー大阪間を結んでいる . この 名門急行 " 銀河 ' ' が新たなる 1 歩を印す時が来た . それ は全国の急行列車に先がけて初の 20 系使用列車となった ことである . " 銀河 ' ' の歴史については猪口氏が詳細に 書かれているので , ここでは " 銀河 " の 20 系への移り変 わりを中心に , 関連した " つるぎ ' ' をふくめて , その模 様をお伝えしよう . 今回の改正は , 宮原区に 25 系を投入し " つるぎ ' ' を置 き換え余剰となった 20 系を " 銀河 " に使用するというも のである . 25 系はいすれも新製車両で昨年の暮から今年 の始めにかけて新潟鉄工と富士重工で作られたものだが その回送のもようは一部ファン誌上で紹介されている . さて置き換えは 2 月 19 日から 21 日にかけて行なわれたが 日を追って各地のもようを紹介することにする . 2 月 19 日 東京ロでは今日をもってスハフ 43 連結の " 銀河 ' ' は終り となり , また大阪ロでは上り ( 新潟行 ) 20 系 " つるぎ ' ' の最 終日となった . 午後 10 時 , 東京駅 13 番線では蒸気を吹き上 けた EF58 に引かれた " 銀河 ' ' が人線してくる . それを 待ちかまえるファンは約 50 人はいるだろうか . みな一様 に三脚とフラッシュを持ち , さかんにシャッターを切っ ている . 最近のファンは情報の人手が早いようで , ほと んどの人が客車にカメラをむけており , 特にスハ 44 ・スハ フ 43 の回りには多くの人が集まっていた . 機関車が 12 番 30 真柳哲也・木田昌広 線を通過し列車の先頭に回るころ編成のメモを始めたが 最近は列車編成のメモをとる人が増えたようで , この日 も 4 ~ 5 人の同志を見かけた . 今日は機関車の次に美し いプラウンのマニ 36 が連結されている . 疑問に思い車体 回りを見わたすと 51 ー 2 大宮工となっており全検出場車の 回送のようだった . そう言えば今日の上り " 銀河 " には 現金輸送車マニ 30 が連結されていたようだったが , この 他にも年末・年始には年賀郵便輸送用の郵便車 ( 今年は スュ 13 ) が連結されることもあり , そのような方面でも けっこう利用されている . 利用と言えばこの " 銀河 " は 利用率が高く , この日も座席をふくめて 80 ~ 90 % もの乗 車効率であった . 今改正により座席車は姿を消すことに なったが , こうなるといつでも利用できるというメリッ トがなくなり利用者にとっては不便になると言わざるを えない . そのようなことを考えているうちに定刻の 10 時 45 分多くのファンに見まもられながら , 東京駅を後にし てイ・丁った . 2 月 20 日 今日から大阪ロでは " つるぎ " ・ " 銀河 " とも置き換えが 完了し新編成となって出発する . いつばう東京ロでは旧 編成での最後となるが , スハフ 43 は宮原にすでに 1 両し かなく , そのためスハフ 42 を用いている編成である . き のうあれだけファンが見られた東京駅だけに本当の最終 日となるきようはさぞかしたくさん押し掛けるのではな いかと思っていたが , 以外にも昨日より若干少ない 30 数