" 銀ラ可 " ものカヾたり さて急行列車には , 10 月 1 日改正以降順次上記各列車と ほかに後の " 大和・鳥海・越路・大雪・まりも " に特別 2 等車を 1 ~ 2 両連結しはじめた . 具体的には , 10 月 1 日から霧島 11 月 15 日から阿蘇・雲仙・筑紫・安芸・青葉・みち のく・北斗・日本海・北陸・大和・鳥 海・越路・大雪・まりも 11 月 25 日から明星・銀河・彗星 の順に行なわれた . このリクライニング車の登場は , 体を十分に休ませる ことから俄然人気が出て , 3 等寝台車なき時代 , いわば 簡易寝台車とも考えられた . これによって " 明星 " に 1 両 , " 銀河・彗星 " はいずれも 2 両を並ロと置き替え連 結し , 5 日前から発売される客車指定券 ( 100 円 ) は発売 と同時に売り切れる , 夜行急行唯一の指定券であった . 26 年 4 月以降 , 2 等寝台車は新製「スロネ 30 」 , 3 等 座席車は「スハ 43 ・スハフ 42 」形式に順次置き替えが行 なわれ , 急行編成の質的改善は , ほば同時に 3 急行に実 施された . 座席車にあっては , 白熱燈 ( 2 列 ) の新形車 はちょうど螢光燈採用時のあの明るさに匹敵するほど , 車内のムードは一段とソフトなものとなって , 楽しい旅 づくりに貢献したのであった . いつほう , これら夜行急行けん引機関車は EF58 ・ 57 ・ 56 ・ 53 と , 東海道列車はバラエティーに富み , 主力は EF57 となって 650 ~ 700 トンけん引を行なっていた . また , 浜松以遠の非電化区間では C59 ・ 62 が主体とな って , 浜松ー大阪・神戸間をロングラン運転していた . 3. 稲沢電化と月光 ' 増発 昭和 28 年 7 月 21 日に浜松ー名古屋間 , 同年 11 月 11 日に稲 沢まで電化完成された . この時に東海道線の時刻改正が 実施され , " 明星・銀河・彗星 " に続き 4 往復目の急行 " 月光 " の運転開始である . この 4 本が今後の東海道線 夜行急行のべースとなり , たがいに覇を競いあって今後 の編成にみがきをかけることとなるのであった . 6 : 26 7 : 36 8 : 25 7 : 45 8 : 51 9 : 16 7 : 08 20 : 49 7 : 53 21 : 00 8 : 54 9 : 24 Ⅱ列車 ( 明星 ) ①②③ 50 50 34 東京ー名古屋 ( 下りのみ ) ④ 43 ⑥ 42 ⑤ 50 ⑥ 40 ⑤ 43 ⑦ 43 ⑥ 40 ⑦ 43 ⑥ 43 ⑧ 43 ⑦ 43 ⑧ 43 ⑦ 43 ⑨ 43 ⑧ 43 ⑨ 43 ⑧ 43 ⑩ 43 ⑨ 43 ⑩ 43 12 列車 ⑨⑩ 43 42 列車 ロ列車 ( 銀河 ) ①② 40 30 列車 ( 彗星 ) ① 40 ③ 30 ② 30 ④ 53 ③ 30 ⑤ 53 ④ 50 43 ⑩ 43 42 ⑩ @ 43 42 給列車 名古屋ー大阪 ( 下りのみ ) ロ列車 ( 月光 ) ①②③④ 4 ー 30 30 53 ⑤ 53 田列車 ⑩ @ 43 42 ( 下り ) 11 13 15 17 12 14 16 18 ( 上り ) 明星 銀河 彗星 月光 明星 銀河 彗星 月光 東 19 20 22 : 22 神 20 : 10 尸 : 15 00 : 30 : 30 泉 → → → 大 大 20 21 22 ・ : 30 : 10 阪 阪 神 東 → → → 上記により , 1 ・ 2 等寝台車時代の編成であるが , 特 プ 9 で , 落成前に大井工場でモックアップを作って検討され この 3 等寝台復活の前景気はそうとうな力の入れよう 車 4 往復には , いずれも 2 両連結されることになった . ることになり , " 銀河 " 系統の東京ー大阪間夜行急行列 急行・準急行列車 29 往復 58 本の列車に 1 ~ 2 両連結され 北海道用として計画された . この計画で , 全国主要夜行 は軽量としたナハネ 10 形が 100 両発注され , うち 10 両は 当時 , 軽量客車ナハ 10 形試作車をベースに , 客車構造 の新製が進められることになった . 延び延びとなったが , 民有車両による措置で急に「ハネ」 場することになった . 戦後いろいろな事情でその復活は それは東海道電化完成まえ , 昭和 31 年 3 月 20 日に再び登 昭和 17 年 7 月 16 日に 3 等寝台車が廃止されて 14 年ぶり , 4. 3 等寝台車復活 れ相当することとなる . となってしまって今はなく , 3 等寝台は B 寝台にそれぞ ば , A 寝台は現行の A 個室 , B は A 寝台 , c は全車廃車 し , 2 等寝台は C となった . これを現在と比較するなら おむね個室タイプのものを A , 開放タイプのものは B と なわれた . このときの料金体系は , 従来の「イネ」はお の称呼は「マロネ」と改称され , 優等寝台車の整理が行 車が 2 等寝台に格下げとなった . これで , 従来「マイネ」 さて , 昭和 30 年 7 月 1 日には , 永らく続いた 1 等寝台 フ 20 円 , 特急は 3 等 6 円 , 2 等 40 円となっていた . 京ー大阪間は 420 円であった . ちなみに急行は 3 等 300 円 , 2 等 ( 注 ) 特別 2 等車は特別 2 等車料金により , 地帯別料金制を採用し , 東 870 円時代であった . 座席確保が可能となり , それは東京ー大阪間の 3 等運賃 たほか , 始発駅着席券 ( 3 等 50 円・ 2 等 100 円 ) により となっている . このため上り先頭 10 号車は京都連結とし に " 明星”は他の急行列車に比べると輸送カ列車的性格
1 朝陽を浴びて京阪間を快走する C6230 けん引の東海道下り夜行急行 ( 昭 28 ) 写真 : 野口昭雄 車となっていた . これは , かって " つばめ " が大阪 , " は 神 尸 大 阪 東 と " が東京で受け持っていたのと同様に " 銀河 " は東京 , 12 20 7 : 08 : 00 → " 流星 " は大阪で受け持ち , 整備にサービスにおのおの 20 : 49 14 銀河 20 : 05 → 8 : 08 → 21 : 00 競っていた . また , この時誕生した姫路行き夜行急行は 16 ( 流星 ) 22 : 00 → 9 : 08 荷物列車の時刻を修正し , 客車の連結余力を活用して登 場することとし輸送力の活用を計り , あわせて東海道線 " 銀河 " ・ " 流星 " とも 1 ・ 2 ・ 3 等急行で , イネ・ロ ネ連結とたがいに運転していたが , この改正で " 銀河 " 夜行輸送力の増強を計た ロ・つ・ 昭和 25 年 5 月 11 日 , 東海道線に第 2 特急 " はと ' ' が増 は久しぶりに神戸延長が行なわれた . この時 , 神戸到着 発された . これよりさき " へいわ " は 1 月 1 日から " つ の列車は鷹取へいったん回送し , 折り返し宮原へ再び回 はめ " と改称されてデェットを組むことになり , 当初 送 ( 上り始発はこの逆になる ) し , かっての明石操車場 廃止後の神戸発着列車が実現して , 上りは神戸駅 1 番線 たがいに 9 時間運転で停車駅を補完しつつ運転されたほ からの始発急行が再現された . か , 5 月 1 日から " つばめ ' ' の 2 等車にスロ 60 形による リクライニング車を充当することでサービス向上が計ら に列車 Ⅱ列車 れ , さらに 2 等寝台の復活も行なわれて姫路行き急行は 広島延長とされ , この列車は " ひはり " と呼んでいた . 25 年 10 月 1 日改正で , 特急は 60 分スピード・アップを ロ列車 行なって 8 時間運転とようやく戦前なみに回復し , 浜松 で電機と蒸機との付け替え , そして大阪まで C62 による 列車 ロングランが行なわれたのはこのころである . この改正では列車番号の改称が行なわれ , 1 ~ 10 は特 急 , 11 ~ 20 は関西方面 , 31 ~ 40 は広島以西行とし , 関西 夜行急行は次のように改正された . 阪 神 示 大 東 ( 下り ) 6 : 26 → 19 : 30 11 7 : 32 13 銀河 20 : 30 7 : 45 15 ( 流星 ) → 9 : 24 22 : 30 ( 上り ) 列車 40 4 ー 39 列車 25 年 11 月 2 日から主要急行に列車名が付与され , ここ に " 銀河 " に続き 11 ・ 12 列車は " 明星 " , 。流星 " は " 彗 星 " と改められて夜の東海道を走ることになった . ( 注 ) この時命名された列車は , ほかに " 阿蘇 " ・ " きりしま " ・ " 雲仙 " ・ " 筑紫”・”安芸 " " 青葉”・ " みちのく”・”北斗”・ " 日本海”・ " 北 陸”があった . 8 : 25 → プ 8
刪 5 列車 ( 彗星 ) " 銀ラ可 " ものカヾたり ロ列車 ( 明星 ) 7 : 7 : 10 21 : 24 21 : 30 03 ( " 銀河 " の時刻 ) ( " 銀河 " の時刻 ) 列車 ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑩ @ 列車 上りのみ京都 ( 上り ) 14 明星 16 銀河 18 彗星 20 月光 戸大 20 : 50 → 神 列車 ( 銀河 ) ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩ @ @ ⑩ 阪東 22 : 00 → 9 : 22 : 30 → 9 : 23 → 8 : 03 ( " 明星 " の時刻 ) 21 : 00 → 7 : 28 彗星 " の時刻 ) ロ列車 ( 月光 ) 田列車 ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑩ @ ⑩ 10 列車 ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩ @ @ ⑩ ここで寝台急行 " 彗星 " は停車駅を整理され次のよう に限定されたほか , 下り最後部に寝台緩急車がないこと から座席車を連結し , オール指定席とした . 品川・大船・小田原・沼津・浜松・豊橋・岐阜・米原 通過とした駅 ( 9 駅 ) 東京・横浜・熱海・静岡・名古屋・京都・大阪 " 彗星 " の停車駅 車 ( 出雲 ) 26 列車 ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑩ @ ⑩ ・大津 ロ列車 ( 明星 ) ① 30 下りのみ ②③④⑤⑥⑦ 14 列車 ⑧⑨⑩⑩ @ 浜田一東京 大阪ー東京大社ー東京 浜田一東京 今回の改正で品川受持ち列車は " 銀河 " に " 彗星・出 雲 " を加え , 宮原では " 明星 " ・ " 月光 " を受持っことに なった . このように時刻でみると " 彗星 " の格下げとな るが , 編成からみると , 定期急行列車には 2 ・ 3 等寝台 車化されたため , むしろ " 明星”編成が格下げともいえ る . このようにしてでき上がったダイヤは , 東海道線全線 E F 58 で通し連転するものであった . 世相もしだいに安 定してきたこの時代ともなると , 関西地区では富士登山 客あるいは箱根・伊豆等への周遊客など多いことからし て , 年間 4 月 ~ 11 月末日まで富士駅に季節停車し , その 利便を計った . 6. " 彗星の寝台列車化 東海道電化の 1 年後 , 昭和 32 年 10 月 1 日東海道線の増発 が行なわれた . 東京ー長崎間 " さちかぜ " ( 現行 " さく ら " ) , 東京ー大阪間に臨時列車を不定期列車に格上げと した " さくら " , 他に東京ー名古屋間 " 東海 " , 名古屋ー 大阪間 " 比叡 " を増発し , いすれも 3 往復体制とした . 特に昼行列車の増発により利便が計られたが , 夜行列車 には不定期列車の定期・寝台列車化が行なわれた . これにより , " 彗星 " は上・下列車とも " 銀河 " の時 刻を " 彗星 " とし , " 彗星 " の時刻に " 明星 " または " 銀 河 " を順次繰り上げ措置をして実施された . 汚列車 ( 銀河 ) ①② 40 30 ロ列車 ( 彗星 ) ①② 円列車 ( 月光 ) ③ 60 ③ 60 ④⑤ 60 ④⑤ ⑥⑦⑧⑨ ⑥⑦⑧⑨ ⑩ ⑩ 田列車 ⑩ @ ⑩ 田列車 20 列車 ( 下り ) 京大 20 : 00 → 6 : 30 20 : 15 → 21 : ()() → 7 : 28 21 : 30 → 8 : 10 東 13 15 17 19 22 明星 銀河 彗星 月光 阪神 → 7 : 30 ( " 彗星”の時刻 ) 上記のように編成改正が行なわれたが , 各列車からマ ロネ 41 各 1 両を " 彗星 " に供出し , その分は座席車を組 み込むこととなった . さて , " 彗星 " のスタート当初はナハネの落成が間に 合わなかったため 10 ・ 11 号車を不連結とし , 比較的ミ 編成となったが , この " 彗星 " が時代のヒーローであっ たのは , ダイヤ上の仕組みからいっても当然かも知れな い . " 銀河 " にとっては痛恨の時刻改正であった 1 年後 , 年々増加する東海道線の輸送力増強のため , 33 年 10 月 1 日時刻改正が行なわれた . ビジネス特急 " こだま ' ' の営 業運転はならし運転などの計画もあってスロー・ダウン したが , " あさかせ " の 20 系化 , " はやぶさ” " はつか り " ( 台風で 10 日延期 ) の増発などと特急の話題の多い 時刻改正であった . この時 , 銀河系統の増発に " あかっき " が含まれてい た . 不定期急行で 2 ・ 3 等急行と特ロ連結として , 寝台 車は断念したつつましやかな急行とみられたが , 底力は ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑩ @ ⑩
1975 ー 2-9 写真 : 諸河久 山崎付近を通過する下り " 銀河” リれ 写真 : 三島富士夫 1975 ー 8- Ⅱ 台列車化 光 17 月 22 : 00 → 8 : 56 上り 14 列車は現行時刻のまま 18 列車と改称し , 19 金 星 22 : 10 → 9 : 20 列車名は現行どおり " 明星 " として , 寝台 神 戸大 阪東 ( 上り ) 列車化 14 明 星 20 : 45 → 7 : 10 18 列車は現行時刻のまま 14 列車と改称し , 21 : 13 12 銀 河 20 : 40 → → 7 : 40 21 : 20 列車名は現行どおり " 月光 " とする . 16 彗 星 22 : 15 → 9 : 00 さて , 36 年 10 月 1 日は特急大増発時刻改正で , その規 月 光 18 22 : 30 → 9 : 09 模は空前のものとなり , 151 系電車特急あるいは 80 系気 2022 金 星 23 : 00 → 9 : 36 動車特急など , 話題は豊富であった . ~ 22 この時の銀河系統の夜行急行群は , " 銀河 " ・ " 月光 " 今回登場の " 金星 " は , 東海道線で上り・下りとも併 の寝台列車化 , ほかに前述の " 出雲 " を京都経由に改正 結相手を上りは " 出雲 " , 下りは今回不定期列車に格上げ したため , その連結余力で。金星 " が誕生し " あかっき ' ' された " 信越・日光観光号 ' ' との組み合わせとなった . は廃止となった . また 3 月から登場した 153 系急行電車 これら列車の編成は次ページのようになる . は不定期を含めて 2 往復を 6 往復と増発された . 編成でおわかりのように , 3 等寝台車にもナハネ 10 ・ ( 注 ) 今回は客車急行を主体とするため , 急行電車については , 省略す 11 , オハネ 17 , スハネ 30 各形式をフル投入し , 特にオハ ネ 17 ・スハネ 30 は在来座席車の改造車であり , 各列車は さて , これにより時刻は次のように改正された . バラエティーに富んだ編成ではあるが , 。月光 " ・ " 彗星 " " 銀河 " ・ " 明星 " ・ " 金星 " と格付けされた編成に思え 京大 ( 下り ) 東 阪神戸 てならない . 7 : 10 11 銀 河 20 : 40 → → 7 : 45 7 : 16 さて , 37 年春のゴールデン・ウィークを前にオシ 16 が 13 明 星 21 : 10 → 7 : 45 落成することになり , それは " 彗星 " の 6 号車に組み込 15 彗 星 まれ , 寝台列車の旅が明るく楽しいものとなった . 従来 21 : 40 → 8 : 25 25
。つばめ " の客車よ / さよなら スハ 44 系客車小史 真柳哲也 1954 ー 3 ー 14 写真 : 高橋弘 44 系客車最盛期の C 62 " つばめ” 3 み 大阪行 " はと”に使用中のスハ 44 や 24 年 , 今日までの道程はけして平坦なものではなかっ ば , 戦後特急列車用の 3 等車としてデビューしてから早 もなってスハ 44 系客車の急行仕業は終りをつげた . 思え 昭和 51 年 2 月 , 東海道線の急行 " 銀河 " の車種変更にと 東海道線守山一野州間にて た . 特急仕業を追われローカル線で余生を送ったもの , 他の車種に改造されたものなどさまざまである . そこで スハ 44 系客車の急行仕業終了を機会に , 今まであまり語 られることのなかったスハ 44 ・スハフ 43 ・スハニ 35 の 3 形式の客車についてその足跡をたどって 写真 : 鈴木靖人みることにする . スハ 44 系登場の背景と特急用普通車の 系譜 戦後昭和 24 年 9 月に早くも東海道線に復 活した特急列車は , 翌 25 年名称を " 平和 " た . しかし , 当時客車はもちろんのこと鉄 道車両はいすれも不足の状態であったそ のため特急列車と言えども特に良い車両 を用いるわけにはゆかず , 3 等車はオハ 35 の流れをくむ戦後形のスハ 42 が , また 2 等車は戦前派の並ロのオロ 40 が使用さ れていた . その後同年 5 月には姉妺列車 " はと " が増発され国鉄の特急列車も復 活のきざしが見えてきた . また車両面で も新たな足跡をしるした , それは特ロの 愛称で親しまれたスロ 60 の出現である .
写真 : 鈴木靖人 " はっかり” DC 置き換え直後 , 臨時 " 第 2 みちのく”として使用されたスハ 44 系 . 常磐線金町にて 円 6 レト 8 週末準急 " いこい”に使用された 44 系客車 1963 ー 4 ー 21 写真 : 諸河久 伊豆箱根鉄道修善寺付近にて この年の 10 月改正で第 4 の九州特急 " みずほ " が新設さ となってしまった . そしてその改正で新設される初の東 れたが , この緩急車にスハフ 4311 ~ が使用され , 夜行で 北特急 " はっかり”に " さくら " の車両を用いることに はあるがひさかたぶりの特急復帰となったが昭和 38 年 6 なり , スハ 44 9 両 , スハフ 43 3 両 , スハニ 35 3 両の 15 両 月に " みすほ " も 20 系化され , これを最後にスハ 44 系の が , 1 年ぶりに上京し尾久区の配属となった . そしてこ 特急は永遠に終りをつげることになった . この時代以降 の " はつかり " が昼行特急としては最後のスハ 44 系使用 最近まではスハニ 35 を除く他の形式は夜行急行の指定席 の列車となることになった . 昭和 35 年 6 月長年親しまれ た東海道線の昼行特急が電車化され , これをもってスハ 車を中心に 1 ~ 2 両組み込まれていたが , 昨年あたりか 44 系の黄金時代は終りをつげることとなった . その後 , ら急激に廃車があらわれ , 昭和 51 年 2 月現在 , スハ 44 ー 2 ライトグリーンのスハ 44 系は一時的に臨時列車等に使用 両 , スハフ 43 ー 5 両の計 7 両のみとなってしまった . また されてはいたが , やがて塗装をもどし , 急行や観光団体 スハニ 35 は前記のとおり全車改造され荷物車となって生 き残っているものもあるが , 改造されるまでの間は , 日 専用列車に用いられるようになった . いつばう " はつか 中線・川俣線・高崎線・両毛線などで , ある時はタンク り " は半年後の昭和 35 年 12 月 9 日 " つばめ”・ " はと ' ' の 機関車に引かれて , またある時はローカル列車に組み込 後を追う形で気動車化されてしまった . これをもって昼 まれて使用されていた . なお , スペースその他の関係で 行特急におけるスハ 44 系の活躍に終止符が打たれたこと になった . ところが " はつかり ' ' 終了直後の昭和 35 年の 特急時代を中心としたことをおゆるし願いたい . 昭和 20 12 月から昭和 36 年 1 月にかけて年末年始臨の 1 っとして 年代中期から 30 年代の初期にかけては , C62 ・ EF58 ・ 運転された盛岡行臨時急行 " 第 2 みちのく " に " はっか スハ 44 のトリオが黄金時代であったが , 現在かろうじて り " に使用した 2 本帯入りのスハ 44 系が用いられファン 健在なのは E F 58 だけであり , 時の流れの早さを感じさ せる . 終わりになりましたが , 本稿を書くにあたり資料 を驚ろかした . また同年 3 月 1 日には改造なったスハ フ 4311 ~ を使用した品川区のスハ 44 系 6 連南紀観光号が ・写真等でご協力ご指導くださいました鈴木靖人氏に誌 連転され , スハ 44 系もいよいよ急行時代を向えた . さて 上をお借りして深くお礼申しあげます . にま一第誉物第を第第考
POST 重連で引くプルートレイン 高荷英利 国鉄の特急のうちでも根強い人気のあるのが プルートレインである . そのけん引機が通 と異なるとファンは急にいそがしくなる . 今年の元旦に上ってきた 8 レ富士は , プル トレインとしては非常に珍しい重連であっ た . しかも先頭についた補機は E F 60 の一般 形であり , せつかくの富士のヘッドマークも 隠れてしまった . EF60 の一般形が特急けん 引の任にあたるのもこれまた珍しいことであ り , 通常ではます見ることができない . なお 東京駅到着後 , 客車から切リ離された 2 両の E L はその位置を入れかえたので , 東京から 品川へ回送する時にもやはり E F 60 が先頭に たった . 回 8 レ E F 6067 十 E F 65507 はか 田町駅 1976 -1 ー 1 たった 1 両た・からその車両に割り当てられた 人はラッキー - である . この珍列車は , 日本交通公社のステッカー 付で , 1 月下旬から運転されている . しかし 不定期であるから , 運転されない日には貨物 列車が走る . また , 昨年 2 ~ 3 回運転された , 上り急行 ちくま 1 号 7802 レ全車両 14 系運転も固まって きたようだ . このちくま 1 号は E F64 重連十 14 系 10 両 ( うち自由車 5 両 ) で , 指定券なし で乗れる 14 系急行 . ファンには評判である . 381 系振り子式電車もあわせて , 中央西線 は , 珍列車でにぎわいを見せている . マ 12 系と 14 系混成列車 木曾福島駅 1976 ー 2 ー 4 きには , 貨物・混合列車共緩急車は連結され ていなかった △独特のスタイルをもっワフ 17 片上 1974 ー 5 ー 10 近鉄近況 井上美和 。天理教祖 90 年祭の期間中臨時列車が多数運 転され , 特に京都ー天理間特急には 18400 系 ・ 12200 系・ 10100 系等 2 ~ 4 連が , 団体臨 時列車には 11400 系・ 20100 系 3 連 , 12200 系 4 連が毎日運転された . 。建国記念日に , 南大阪線では例年どおり特 急・急行が増発され , 橿原神宮参拝客の便を はかった . 特に急行は、、橿原号 " と名をうっ て , 橿原神宮をかたどった方向板をつけて走 った マ上 20100 系団臨列車平端一二階堂 1976 ー 2 -3 下 6020 系 4 連急行、、橿原号 " 浮孔 ー坊城 1976 -2 -11 同和鉱業片上鉄道の話題 寺田裕一 元国鉄キハ 07 の走る鉄道として , また , 日本 12 系・ 14 系混成列車登場 ー鮮やかな塗装の鉄道として有名な片上鉄道 林雄二郎 の話題を二つお知らせする . スキー客で賑わう中央西線に , 先日急行客車 0 P C まくら木化進行中 用 12 系と特急客車用 14 系の混成列車が走った . 現在 , 片上ー和気 ( 8.6 ) の直線区間のす 2 月 4 日 , 私が撮影したときは上り ( 名古 べてが P C 化されている . 今後も柵原までを 屋方面 ) の回送であったが , ふだんは午後 2 徐々に交換してゆくとのこと . 時 5 分頃 , 木曾福島駅発の下り団体専用列車 0 四輪手荷物緩急車を廃車 に使用されている . 回送時の編成は名古屋方 片上鉄道独特の四輪手小荷物緩急車ワフ 15 ・ 面から (EF64) スハフ 14 ー 53 十オハ 12 ー 185 16 ・ 17 が老朽のため近く廃車され , 国鉄から 新しい緩急車を購入する . この車は大正末期 十オハ 12 -187 十オハ 12 -150 十オハ 12 ー 188 十オ ハフ 13 - 18 だった このように 14 系は最後尾 ~ 昭和初期につくられ , 片上鉄道が昭和 25 年 1 両であとの 5 両は 12 系である . 14 系は 12 系 に購入したもので , 途中何度も改造されて今 より車体が低いので , 1 両目と 2 両目とは段 日に至っている . 貨物列車や混合列車の後に ちがいになっている . 12 系と 14 系の混成列車 ついて走りまわっていたのに , 廃車になるの は非常に珍しいことであるし , それも 14 系は は残念である . なお , 2 月 6 日に訪問したと 一石神井公園間の高架複々線化工事は全く目 完成は 53 年予定 . 瀬戸線も工事区間は 2.1 夏は冷房化率 76 % にアップ , 本線の特急 , 急 途が立たず , いまのところ本格着工の見通し とわすかだが , 都心乗り入れ新線として大い 行 , 準急 , 区間急行 , 西大阪線の各列車がク は立っていない . 今年は 101 形 32 両を新たに に注目され , 52 年度完成目途に急ピッチで工 ーラー電車となる . 投入するほか , 狭山線で下山口駅 ( 仮称 ) の 事が行われる . 新造車は 20 両発注 , ことし夏 〔京阪電鉄〕 47 年 11 月着工の土居ー寝屋川 新設も計画に上がっている . までに幹線を主体に投入する計画 . 間の高架複々線工事は急ヒ。ッチで進み , この 〔京浜急行電鉄〕北品川一青物横丁間の直 〔南海電鉄〕高野線三日市町一橋本間複線 夏には守口市ー門真市間が部分開通する . 最 上高架化工事は今年夏すべて完成する予定 . 化工事は 47 年着工以来 , 着々と進み , ことし 終完成は 54 年 . 車両関係は新形 5000 形 7 両が 今年は 1000 形 20 両 ( このうち 8 両は代替新造 も同社の主要工事として全力で取り組む . ま 7 月ごろ京阪本線に投入される . 車 ) を新造するはか , 52 年度以降の輸送力増 たこれと並ぶ大工事として南海線多度出一石 〔阪急電鉄〕千里線淀屋橋橋梁かけかけ工事 強関係の計画では 53 年ごろまでにいま金沢文 津川間の連続立体化工事も本格化する . いす 神戸線園田付近の立体化に主力を注ぎ , 今津 庫ー横浜間で実施している 12 両運転を 4 本か れも 54 年完成 , 車両は高野線に 6100 形 12 両を 線でも 6 両化運転にともなうホーム延長工事 ら 8 本に運転本数を増やすはか , 全線の急行 投入する . も進める . 51 年は 6300 系 40 両 , 5100 系 8 両 6 両運転を 8 両運転とする . 〔阪神電鉄〕大物一姫島付近と西大阪 の 48 両を新造する予定 . 〔名古屋鉄道〕大手では最も新線建設が目 線の連続立体化工事はかなり出来上り , 52 年 〔近畿日本鉄道〕大阪線八尾 , 布施付近 , 立ち , 豊田新線 ( 赤池ー梅坪 ) , 瀬戸線 ( 土 3 月完成を目標に大詰めに入る . このほか今 奈良線永和ー小阪 , 南大阪線矢田付近 , 橿原 居下一栄 ) の都心乗り入れ工事の 2 つを逐次 年度以降 , 梅田一野田間の地下化 , 西宮付近 線筒井付近でそれぞれ連続立体化工事を進め 進める . このうち豊田新線は鉄道公団の民鉄 の連続立体化工事なども計画されている . ま る . 車両は今年度分 20 両を主要幹線に配備す 肩代わりエ事で , ことし工事は最盛期に入る . た車両関係は急行形がすべて冷房化され , 今 は翡わ 707
昭和 40 年 10 月 1 日以降 , 首都圏ー関西方面の大動脈列車 として , 悲運をこらえて夜空の星とともに走り続けた " 銀河 " も , またもとの 1 本となってしまった . ( 下り ) 103 銀河東京 22 : 45 大阪 8 : 00 ( 上り ) 104 銀河大阪 23 : 10 東京 9 : 36 編成はそのまま引き継がれて , 今日に至ろうとした " 銀河 " であった . このような星運の傾いた " 銀河 " に ースが生じた . それは , 天から降って湧いた ? 20 系 化の贈物であった . 実際には " つるぎ " を 2 段寝台化し 20 系化初日の " 銀河” 根府川橋りようにて 1976 ー 2 ー幻写真 : 編集部 たための転用車充当ではあったが , 全国 32 往復する一般 客車急行の , その優等生 / としての栄誉でもあった . さっそく , 本年 2 月 20 日の大阪発から " つるぎ”とと もに同時置き替えが行なわれ , かって通いなれた東海道 線を再び走る " 銀河 " , それは今後に , 大きくきらめく " 銀河 " であってほしい . リ車 ( 銀河 ) 104 列車 ①②③ ④⑤⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩⑩ 2 ー 20 20 20 20 フ 23 20 20 20 20 フ 22 ( 注 ) 6 号車にナハネ 20 の場合もある . るに当たり , 空気バネ関係へ供給中にプレーキをかける とプレーキがかかるまでに時間がかかったり , ききが悪 くなるおそれがでてきた . そのために電源車の荷物室に C380 形のコンプレッサを搭載し , 客車側でも空気源を 使用されないとのことであった . 編成を見ると , これは 持っこととなった . そこでカニからカヤに改造されたわ 昨日大阪に着いた " つるぎ " の編成から 11 号車のナハネ けで , 21 日東京駅で見たカヤ 2119 はヤの文字もステンレ 20 を抜いたものであることがわかった . そして , 昨日ま ス切り抜きで , 前回改正時のカヤ 24 が白ペンキ書きだっ で " 特急 " と入っていたであろう表示窓にははっきりと たことを考えればかなり以前から改造にかかっていたも 急行と表示されており 20 系の格下げが実感として感じ のと思われる . この日駅では客車区員と思われる職員が た . しかしバックサインには白い板が入っているだけで 数人力ヤの車内で機器類の様子を見ているようだった . " 銀河 " との表示はなくちょっとものたりない気がする . 乗客もすべて降車してからしばらくした後 , " 銀河 " は さて今度の格下げにより電源車にまたもや新形式があら 神田方向の引き上げ線へと 7 番線を去って行った . われた . 名称はカヤ 21 と言い , カニ 21 からの改造であ このようにして , 大きな動きもないまま代銀河”は 20 る . 番号は従来のカニ 21 と変わっておらず , この日来た 系へ , また " つるぎ”は 25 系へと変ばうしたが , 願わく ものはカヤ 2119 であったが , それではなぜこのような改 ば " 銀河”にバックサインだけでも取り付けてもらいた 造が行なわれたのであろうか . 今まで 20 系は台車の空気 いものだ . さらにヘッドマークをかかげて走る日が来る バネの空気源をプレーキ用のものからとっており , その ことをファンのだれもが思っていることだろう . また , 空気の供給はすべて機関車から行なわれていた . しかし この名門急行 " 銀河 " がこれからも廃止されることなく 今回本ダメ管引通しを装備しない機関車が常時けん引す いつまでも走りつづけることを願う . 山崎付近にて円 76 ー 2 ー 22 写真 : 後藤文男 25 系化された " つるぎ "
。宀み ①②③④⑤⑥⑦ 2. 特急復活と " 銀河 昭和 24 年 9 月 15 日 , それは戦後特急復活の時刻改正であ ネネロロロロフ 40 40 る . 東京ー大阪間昼行列車には特急 " へいわ " を増発し たが , 戦前には及ばなかったものの 9 時間運転で登場し この " 銀河 " の登場は , 当時としては豪華そのもので 2 た . 夜行列車にあっては , 1 往復増発したほか不定期列 等運賃は 3 等の 3 倍 , 1 等は 3 等の 6 倍であったため , 車の定期格上げも行なわれ , 3 往復となったほか東京ー インフレ時代には現在のグリーン車制度と異なり , 高嶺 の花でもあった . しかし , この列車へのカの入れ方は特 姫路間急行の増発も含まれていた . この時増発された急 あんどん 行には , 列車名を " 銀河 " と初めて急行に命名し , 戦前 別で , 特急同様行燈式のカラフルなバックサインを掲げ て連転した . だが他の夜行列車が座席定員ほどの乗車率 の 1 ・ 2 等急行列車と同じように計画された . ではなく , ちょうど年末・年始の帰省列車なみの混雑の 示 大 阪 姫 路 東 ( 下り ) なかにあって , 通路・洗面所もいつばいに詰まった実情 6 : 10 19 : 00 → 13 に , 優雅列車としての連転継続に困難もあり , 合わせて 15 銀河 20 7 : 54 : 30 → 輸送カ活用も行なわれた . 9 月 24 日以降 , 2 等座席車の 9 : 27 22 → 17 減車と 3 等座席車の連結を行ない , 戦後の 1 ・ 2 等急行 8 : 53 → 11 : 16 21 : 00 43 9 : 14 列車は残念ながらバックサインとともに解消することと 路 大 阪 東 姫 なったが , " 銀河”の列車名は残された . 5 : 45 → 19 ・ いつばう , 17 ・ 18 列車にも 1 等寝台車は連結されてい → 7 : 30 21 : 00 たため , この列車の編成は実質 " 銀河 " と同格でありな 9 : 40 22 : 00 がら列車名も付けられずに運転されていたが , 後に " 流 21 : 18 9 : 15 → 星 " として " 銀河 " のよき姉妹列車であり , ライバル列 21 : 38 京都駅にて 1953 ー 7 ー 8 写真 : 高橋弘 ( 上り ) 4 ( 0 一 8 っ〕 11 11 11 -4 ・ 19 : 12 夜の静寂のなか , C59 のけん引する上り東京行夜行列車の発車ベルが鳴る・ ・を項第ー強ア
~ 6 48 嵳まをを 東京駅にて 写真 : 諸河久 円 76 年 2 月 20 日 , 旧編成 " 銀河”の最終日 2 等寝台を 4 ・ 5 号車 ( 2 両 ) から 4 ~ 10 号車 ( 7 両 ) ー田列車 ( 銀河一号 ) 102 列車 ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑩ @ ⑩ とし , 座席指定車を 11 ~ 13 号車の 3 両に圧縮して , いく ぶん寝台列車化された . 昭和 43 年 10 月 1 日時刻改正では , かって我者顔で運転 田 3 列車 ( 銀河 2 号 ) 4 列車 した 153 系大阪急行電車が全員 ( 昼・夜とも ) 列車廃止 ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑩ @ ⑩ となるなど , " 東海 " 号も東京ー名古屋バターンから一 部静岡打ち切りとなるなど , 秋風のしみる改正ではあっ たが , " 銀河 " 系統は従来どおり 2 往復体制で安泰であ 昭和 45 年 3 月からの万博輸送では , この " 銀河 " は俄 った . このとき永らく続いた大阪ー姫路間の臨時延長は 然人気列車となって , ナイターの始まるころにはピーク 晴れて定期列車となり , 次のように若干スビード に達したため , 上り " 銀河 2 号 " の自由席を指定席に変 ・アッ プされたが , 従来の時刻を踏襲された . 更するなど , 旅客整理に懸命であった . このころ生まれ ( 下り ) 東 京大 阪 神 戸姫 窓がズラリと並んだスハ 44 系ともおわかれ / お客さんも知っているかな 101 銀河 1 号 21 : 45 → 7 : 17 東京駅にて 1976 ー 2 ー 19 写真 : 河井秀夫 7 : 51 8 : 32 103 銀河 2 号 22 : 40 → → 9 : 29 8 : 04 8 : 33 ( 上り ) 姫 路神 尸 大 阪東 102 銀河 1 号 21 : 30 → 7 : 05 21 : 58 22 : 31 104 銀河 2 号 → 9 : 39 21 : 05 → 22 : 00 22 : 40 上記のように , 各列車とも新幹線最終ひかり ( 東京・ 大阪とも 20 : 30 ) 発車後の , 東京または大阪ルート確保 のための補完ぶりがおわかりいただけることと思う . また , このときから列車名を系統別に統一したことか ら " 明星 " はその役目を解かれ , " 銀河 1 ・ 2 号 " で統 一されることになった . したがって " 銀河 1 号 " は , 旧 " 明星 " に相当することになるが , 両列車とも今回から 座席車を両列車に連結し , " 銀河 1 号 " は全車指定制 , " 銀河 2 号 " は自由席と大衆化された . 大一を スハ 44 25 29