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検索対象: 鉄道ファン 1976年5月号
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1. 鉄道ファン 1976年5月号

大津町駅と大津橋瀬戸電軌のガソリンカーク 2221 の姿がみえる ー乗車証には " ガントレット ' ' の写真を使用しセット を入れる袋の台紙は , 表面に開業当時の車両・時刻表・ 運賃表の写真を , また裏面には瀬戸線の古い乗車券の写 真をデザインして , 消えゆく外濠電車と懐しい瀬戸電を しのばせるものである . 発売期間は各駅が 2 月 10 日から 2 月 14 日まで , また各サービスセンターは 2 月 10 日から 当分の間発売している . いつばう , 当会ではこれとは別に " さようなら外壕 線 " として堀川一土居下間をイラスト風にデザインした 沿線地図と写真を 2 枚 1 組で発行した . 希望者には下記 の要領でお頒けしますのでお申し込み下さい . ・ 1 セット 2 枚 1 組 15 ( ) 円 返信用封筒に住所・氏名を記入の上 , 返信用切手を 貼布して 〒 482 愛知県岩倉市稲荷町郷廻 558 ー 9 米田尚方名鉄 MC 区電車愛好会記念券係宛お 送り下さい . 送金は現金書留か定額小為替でお 願い致します . 以上名鉄瀬戸線堀川一土居下間 , 廃・休止にともない " さ ようなら外濠線 ' ' としてレポートしたものである . 五色のテーフ。を切り堀川駅を発車する " さよなら電車 " 702 十 759 1976 ー 2 ーい 発車式 ' ' を行なた時の主役であるモ 7 ( ) 2 十モ 759 で前後 の装飾もそのままであた . 大津町駅長のあいさつの後 螢の光と駅で見送る人々の拍手に送られて , やみの中へ 消えていった . 歴史 明治 38 年 4 月 = 瀬戸自動鉄道 , 矢田一瀬戸間 14.6km 開 通 . セルポレー式蒸気原動車 3 両で運 転 . 明治 39 年 3 月 = 矢田一大曽根間 1.3km 開通 . 明治 39 年 12 月 = 社名を瀬戸電気鉄道株式会社と改める . 明治 40 年 3 月 = 電化工事完成 . 明治 42 年 12 月 = 外濠線 ( 大曽根ー土居下一堀川 ) 特許 . 明治 44 年 5 月 = 大曽根ー土居下間 2.9km 単線開通 . 明治 44 年 10 月 = 土居下一堀川間 2.2km 単線開通 . 大正 2 年 11 月 = 大曽根ー堀川間複線開通 . 大正 6 年 5 月 = 本社を大曽根駅構内に移転 . 大正 10 年 2 月 = 小幡ー大曽根間複線化完成 . 大正 10 年 4 月 = 軌道法から地方鉄道法に変更 . 昭和 4 年 12 月 = 大曽根ー瀬戸間複線化完成 昭和 11 年 11 月 = 急行ガソリンカーを運転 . 昭和 14 年 9 月 = 名古屋鉄道へ合併 . 電車営業キロは 21 km, 自動車営業キロは 94.2km. 昭和 18 年 12 月 = 土居下・東大手・大津町付近の部分的な 単線区間 ( ガントレット ) を複線に改良 本町のみ未改良 . 昭和 21 年 7 月 = 大曽根車庫を喜多山へ新設移転 . 昭和 25 年 2 月 = 尼ケ坂付近線路変更 . 昭和 25 年 8 月 = 急行列車運転開始 . 昭和 30 年 2 月 = 守山町を守山市に改称 . 昭和 31 年 10 月 = 尼ケ坂ー大曽根間線路変更 . 昭和 33 年 1 月 = 追分を瀬戸市役所前と改称 . 昭和 39 年 3 月 = 喜多山駅ビル完成 . 昭和 41 年 3 月 = 特急運転開始 , モ 900 形入線 , 守山市を 守山自衛隊前に改称 . 昭和 43 年 8 月 = 栄乗り入れ免許申請 . 昭和 46 年 11 月 = 新瀬戸駅ビル完成 , 旭新居を尾張旭に , 尾張横山を新瀬戸に改称 . 昭和 47 年 5 月 = 栄乗り入れ免許 . 昭和 48 年 8 月 = モ 37 ( ) ( ) 形 10 両投入 . 昭和 49 年 12 月 = 文化庁から特別史跡名古屋城外濠の現状 変更許可 . = 準備工事開始 . 昭和 5 ( ) 年 4 月 記念セット乗車券の発売と当会発行のさようなら外 濠線 ' ' 記念券の頒布 名鉄では廃止区間に関係する普通乗車券六種類 , 車内補 充券二種類の合計 10 枚に堀川一大曽根間を 2 月 14 日 ( 上 ) 中は何回でも乗車できる " ワン・ディ・フリー乗車証 1 枚をセットにして 60 ( ) 円で発売した . ワン・ディ・フリ 1972 ー 5 さよなら電第 95

2. 鉄道ファン 1976年5月号

写真 : 野口昭雄 4 昭和 27 年 , 東海道下り夜行急行を引いて大阪到着間近の C59 圏 幹線最終 " ひかり " 20 時 30 分以降 ( 相互 ) に設定 , 初列 正で整理された . しかし , 低迷したダイヤは昭和 22 年 6 月 21 日 , 急行列車に 2 等車の連結を行なうなど , 次第に 車の到着する 9 時頃に到着するダイヤとして , 東京ー大 息吹きはじめた . 阪間夜行急行のパターンを確保している . これにより , 昭和 23 年 7 月 1 日 , 戦後初めて画期的時刻改正が行な 新幹線の補完列車として , 新幹線開業後の新しい使命を われたが , この時はスヒ。ード・アップよりも増発主体の もっこととしている . 今回は , この夜のしじまをひたすら走り続ける " 銀河 " 改正で , 不定期列車を含め各線に急行・準急行列車が誕 生した . これにより大阪夜行急行は , 不定期 1 往復増発 を追って , 「銀河ものがたり」とする . ( 毎日運転 ) されて , 次のようになった . 1. 戦後の東海道線 ( 下り ) 東 示 大 昭和 20 年 8 月 15 日 , 戦争が終結して最初の時刻改正は 11 ※ 2017 17 : 55 → 5 : 49 月 20 日に行なわれた . 21 : 30 → 11 9 : 23 東京ー博多間 1 往復 , 門司 2 往復 , 大阪 2 往復の設定 ( 上り ) 大 阪 東 で行なわれたが , 5 往復中 2 往復は不定期列車 ( という 18 : 30 6 : 15 12 より運転休止 ) 措置であった . もちろん直通ローカル列 ※ 2018 21 : 50 → 9 : 45 車の増発も考慮されたが , 車両不足などもあってか , ま また , 同年 11 月 10 日には 11 ・ 12 列車に 1 等寝台車の連 た乗客の気もすさんで極度に荒廃し , 窓は板張り , 座席 結が復活した ( マイネ 40 ) が , 戦後日本人が乗れる寝台 のモケットは破れているといった設備を現在と比較する 車としてお目見えした . のが無理で , 靈泥以上の差でもあった . しかし運転は続 昭和 24 年 2 月 1 日 , 静岡電化完成 , 5 月 20 日には浜松 けられて , 次の時刻であった . まで電化が完成したころ , 4 月には次のように不定期急 東 京大 行列車の時刻修正が行なわれた . ( 下り ) : 52 ( 漣転休止 ) 泉 大 ( 下り ) 東 阪 21 : 00 → 8 7 21 : 40 → 9 : 50 ※ 2017 20 : 30 8 : 04 103 大 阪東 ( 上り ) 21 : 30 → 9 : 23 11 : 06 ( 運転休止 ) 大 阪 東 ( 上り ) 20 : 00 → 8 6 示 18 : 30 → 6 : 15 21 : 00 → 9 : 06 12 104 しかし , 20 年年末から 21 年 1 月には石炭不足による列 ※ 2018 19 : 20 ー→ 7 : 00 車削減が行なわれ , 大阪夜行急行 1 往復体制 ( 実質 ) は このため 1 等寝台車は , 比較的時間のよい不定期急行 列車へと連結替えが行なわれた . 23 年 7 月 1 日まで見送られたが , それまでに昭和 21 年 11 月 10 日 , 大阪夜行急行は前記 103 ・ 104 列車のみに時刻改 16

3. 鉄道ファン 1976年5月号

—REPOR アー - ー 西武山口線のコッペル今年も発車 / 斎藤精宏 再開が待たれていた西武山口線の s L 運転は今年も 3 月 したが , 国鉄の SL が消え去ってしまった現在貴重な存 6 日土曜日からと決まり , すでに 2 月 17 日に所沢工場か 在となりました . なお雪の山口線をお望みの方々のため らコッペル 2 号機が山口検車区にもどりました . そして 3 月中の降雪記録を日記で調べたのが別表です . 3 月後 23 日から試運転が始められ , 初日には客車 4 両を引いて 半にも雪の降る加能性は多分にあり , カメラファンには 3 往復の運転を行ないました . SL の向きは今年は 1 号 見逃がすことのできない被写体です . 当地の雪は水気が と 2 号が逆向きになり , 運転ダイヤは変わりありませが , 多く , 比較的気温が高いのですぐとけてしまうので午前 休日ダイヤでは 2 台の S L 同志の昔なっかしいタブレッ 中が勝負です . うまく撮るとナローとは思えないほど迫 ト交換が中峯信号所で見られます . 力のある写真となります . 蛇足ながら桜満開の日も書い 山口線にコッペルが登場して今年で早 5 年目を迎えま ておきました . どうぞ皆さん山口線へおいで下さい . 桜の季節には貴力も山口 線にいらっしゃい 円 74 ー 4 ーに 今年の運転に備えて試運転を始めたコッペル 2 号機 昭和 3 月降雪の日 4 月桜開の日 45 年 10 46 47 48 49 50 をを 12, 出 , 27 705

4. 鉄道ファン 1976年5月号

鉄道ファン 昭和 51 年 5 月 1 日発行毎月 1 回発行昭和 36 年 11 月 10 日第 3 種郵便物認可昭和 36 年 6 月 13 日国鉄東局特別扱承認第 1098 号 講 A A 、 A ー影第 A 、 MAGAZINE ■神戸市交・上信電鉄新車ガイド ■、つばめ " の客車よ / さよなら ・ " 銀河 " ものがたり

5. 鉄道ファン 1976年5月号

固定であるため転換せざるを得なかったわけである . 京 都では京都ー梅小路ー丹波ロの三角線を用い , 所要時間 号 26 27 28 29 30 引 32 33 34 35 36 37 38 1 時間 16 分であった . また竹下ではこれがたいへんで , 香 列車名 稚・志免の三角線を用い 1 時間 43 分の時間を要した . また つば め この方向転換のために香稚・勝田線の一部橋りようを強 は と かも め 化せざるを得なかった . 昭和 30 年になると東海道の電化 さく ら も米原まで西進し , " つばめ " ・ " はと " も乗客の増加が はつかり 目立つようになった . そのため , 基本はスハ 44 を 1 両加 みすほ えた 11 両となり , それに加えてほば 1 年を通じてスハ 44 が 1 両増結されていた . また今までの客車のイメージを その後ふたたび " かもめ " に投入することを条件にスハ 一新させたナハ 10 が出現したのもこのころであった . と 44 系を手ばなしたと言われる . そして , 3 等車をナハ 10 ころで , このころスハニ 35 は宮原・品川・竹下の各区に 系とすることになった . そして 6 月 5 日の京都発をもっ おのおの 3 両ずっ合計 9 両が配置され特急に使用されて てスハ 44 系の " かもめ " は終了し , その後 2 度ともどる いたが , 残りの 3 両は仙台にいた . そのころまだ東北線 ことはなかった . 竹下区のスハ 44 系はそれぞれ宮原とロ には特急はなく , 主に急行を中心にローカル列車の一部 川の両区に分散して転属し , 夏期多客増発用として使用 にも使用されていたもようである . すでにスハ 44 系の将 されることになった . 東海道の臨時特急としては昭和 30 来を暗示するかのようであった . さて , 翌昭和 31 年 11 月に 年 3 月 19 日から " さくら " がスハ 43 系を使用して運転さ は待望の東海道線全線電化が完成しそれに呼応して , 大 れていたが , この転属によりスハ 43 はスハ 44 に置き換え 時刻改正が行なわれた . " つばめ”・ " はと " はライトグリ られることになり , 名実ともに特急となったわけであ ーンに塗られたスハ 44 系を用いて , 11 月 19 日さっそうと る . 新生 " さくら " は同 32 年 7 月 20 日 ~ 9 月 9 日まで第 スタートを切った . しかし塗装は従来ブドウ色の上に塗 1 回の運転が行なわれた . 当初 " さくら " の受け持ちは たためいくぶんライトグリーンの色が暗くなってし 品川・宮原両区共 1 編成すつで , 交互に運行されてい た . そして当然のことながら三角線が使用され方向転換 まったようだった . そのころ九州では東京ー博多間の特 が行なわれていた . また同年 10 月の時刻改正により車両 急 " あさかぜ " が新設されたが , この列車は " かもめ " の受け持ちが変更となった . すなわち東京ー大阪間の特 と異なり方向転換はしないことになった . そのため手間 急は宮原区で , 東京一九州間の特急は品川区で持っこと のかかる " かもめ " の方向転換をなくすべく門鉄では本 になったのである . さて 44 系となった " さくら " は 1 年 社にスハ 44 系の回転クロス化を提案した . そしてその翌 後の翌 33 年 10 月の改正で " こだま " の登場とともに廃止 年の昭和 32 年 6 月 , 門鉄ではスハ 44 系を回転クロス化し ( 特急関係 ) スハ 44 系客車使用期間一覧 ノ、ロロ スハフ 43 最後の特急 仕業となった九州特 急鱸みずほ” 横浜にて 円 62 ー 2 ー 18 写真 : 三島富太夫 つを←

6. 鉄道ファン 1976年5月号

写真 : 鈴木靖人 " はっかり” DC 置き換え直後 , 臨時 " 第 2 みちのく”として使用されたスハ 44 系 . 常磐線金町にて 円 6 レト 8 週末準急 " いこい”に使用された 44 系客車 1963 ー 4 ー 21 写真 : 諸河久 伊豆箱根鉄道修善寺付近にて この年の 10 月改正で第 4 の九州特急 " みずほ " が新設さ となってしまった . そしてその改正で新設される初の東 れたが , この緩急車にスハフ 4311 ~ が使用され , 夜行で 北特急 " はっかり”に " さくら " の車両を用いることに はあるがひさかたぶりの特急復帰となったが昭和 38 年 6 なり , スハ 44 9 両 , スハフ 43 3 両 , スハニ 35 3 両の 15 両 月に " みすほ " も 20 系化され , これを最後にスハ 44 系の が , 1 年ぶりに上京し尾久区の配属となった . そしてこ 特急は永遠に終りをつげることになった . この時代以降 の " はつかり " が昼行特急としては最後のスハ 44 系使用 最近まではスハニ 35 を除く他の形式は夜行急行の指定席 の列車となることになった . 昭和 35 年 6 月長年親しまれ た東海道線の昼行特急が電車化され , これをもってスハ 車を中心に 1 ~ 2 両組み込まれていたが , 昨年あたりか 44 系の黄金時代は終りをつげることとなった . その後 , ら急激に廃車があらわれ , 昭和 51 年 2 月現在 , スハ 44 ー 2 ライトグリーンのスハ 44 系は一時的に臨時列車等に使用 両 , スハフ 43 ー 5 両の計 7 両のみとなってしまった . また されてはいたが , やがて塗装をもどし , 急行や観光団体 スハニ 35 は前記のとおり全車改造され荷物車となって生 き残っているものもあるが , 改造されるまでの間は , 日 専用列車に用いられるようになった . いつばう " はつか 中線・川俣線・高崎線・両毛線などで , ある時はタンク り " は半年後の昭和 35 年 12 月 9 日 " つばめ”・ " はと ' ' の 機関車に引かれて , またある時はローカル列車に組み込 後を追う形で気動車化されてしまった . これをもって昼 まれて使用されていた . なお , スペースその他の関係で 行特急におけるスハ 44 系の活躍に終止符が打たれたこと になった . ところが " はつかり ' ' 終了直後の昭和 35 年の 特急時代を中心としたことをおゆるし願いたい . 昭和 20 12 月から昭和 36 年 1 月にかけて年末年始臨の 1 っとして 年代中期から 30 年代の初期にかけては , C62 ・ EF58 ・ 運転された盛岡行臨時急行 " 第 2 みちのく " に " はっか スハ 44 のトリオが黄金時代であったが , 現在かろうじて り " に使用した 2 本帯入りのスハ 44 系が用いられファン 健在なのは E F 58 だけであり , 時の流れの早さを感じさ せる . 終わりになりましたが , 本稿を書くにあたり資料 を驚ろかした . また同年 3 月 1 日には改造なったスハ フ 4311 ~ を使用した品川区のスハ 44 系 6 連南紀観光号が ・写真等でご協力ご指導くださいました鈴木靖人氏に誌 連転され , スハ 44 系もいよいよ急行時代を向えた . さて 上をお借りして深くお礼申しあげます . にま一第誉物第を第第考

7. 鉄道ファン 1976年5月号

なかなかで , 2 月・ 6 月を除いて通年運転する列車であ った . このため , 夜行急行は再度時刻立て替えが行なわ れ , 次のように 5 本の列車が運転されることになった . 京大 阪神 東 ( 下り ) 13 明星 20 : 15 → 6 : 41 ※ 1015 あかっき 20 : 30 → 7 : 00 7 : 20 15 銀 河 21 : → 7 : 27 月 光 17 21 : 45 → 8 : 24 19 彗 星 22 : 00 → 8 : 46 戸大 阪東 神 ( 上り ) 14 明 21 : → 7 : 28 星 21 : 24 銀 河 → 8 : 02 16 20 : 50 → 21 : 30 20 彗 22 : 00 → 9 : 03 星 18 月 光 22 : 30 → 9 : 23 22 : 40 → 9 : 42 ※ 1016 あかっき 下り・上りとも深夜出発して , 終着駅には通勤 以上 , 時間終了後に増発する形となった . 34 年 9 月 22 日には , 急行関係では 3 階建て急行 " 能登 ・那智・伊勢 " の増発が行なわれた . 東海道・北陸・関 西・紀勢線と運転線区もバラエティーに富み , そのため か銀河系統のスジを先取りされたこともあって , 同系統 列車の見直しが再度行なわれた . このため時刻は次のよ うになったが , " あかっき " は上下とも " 彗星 " の補助 列車として続行運転となり , 寝台列車化された . この " あ かっき " 寝台列車化は先輩格の " 明星・銀河・彗星 " と きらめくスターにとって重ねての惨事だともいえる . 京大 阪神 東 ( 下り ) 13 明 星 20 : 15 → 6 : 45 7 : 20 銀 河 15 21 : 00 → 7 : 27 月 光 21 : 45 → 8 : 24 17 19 彗 星 22 : 00 → 8 : 46 ※ 1019 あかっき 22 : 15 → 9 : 14 神 戸大 阪東 ( 上り ) 14 明星 21 : 00 → 7 : 27 21 : 24 16 銀河 → 8 : 03 20 : 50 → 21 : 30 03 ( 寝台列車 ) 20 彗星 22 : 00 → 9 : . 23 ( 22 : 20 → 9 ・ ※ 1020 あかっき 18 月光 22 : 40 → 9 : 41 この頃の東海道線は , おおむね 15 分へッドの夜行急行 体系となっていたが , まったくきらめく時代であった . いつほう客車整備も順次行なわれ , 特に特別 2 等車と 普通 2 等車 ( 現グリーン車 ) , そして 3 等車の格差にア ンバランスのあることから , 2 等車は今後特別 2 等車化 することとし , 指定席と自由席を設けることとして進め られた . 32 年 10 月から順次ナロ 10 形 33 両も落成し , このうち 27 両を " つばめ " ・ " はと ' ' 用に充当するなど行なわれ , 銀 EF611 ー → 7 : 57 ( 寝台列車 ) 円 6 レに一 28 金星・出雲 " を引いて東京に着いた EF6 Ⅱ 22 レ " 写真 : 三島富士夫 河系統の 2 等車は同列車からの捻出分スロ 54 を主体に次 のように編成されたため , 輪切りにされた青大将組み込 み時代が過渡期には生じた . 編成は。あかっき " の 2 , 6 月運休を前提として , 銀河系統列車は各列車とも 2 通 りの編成で , あらかじめ計画されていたが , " あかっき " 運休時は各列車の 3 等座席車 2 ~ 3 両を 3 等寝台車に置 き替えて , 座席車で輸送力の調節が行なわれたが , " あ かっき " 運転時の列車編成は次ページのとおりである . 昭和 30 年代もなかばになると , 新婚旅行もはなやかに なって , これ等列車にはスロを大安日に連結するなど , 実は宮崎行 " ことぶき " の前身 , いわばミニことぶき役 をもおおせつかって , 昭和 39 年新幹線開業まで続けられ るのであった . 7. 新幹線開業までの東海道線夜行急行 東海道線の夜行旅客は年々増加の一途をたどり , 昭和 35 EF61 とスハ 44 系客車の上り”銀河 " 根府川橋りようにて 1967 ー 2 ー 18 写真 : 諸河久 → 7 : 59 ( 寝台列車 ) 23

8. 鉄道ファン 1976年5月号

REPORT 南海電鉄と鉄道友の会阪神支部の共催で 12 月 28 日 , 開業 の昔をしのび , なんば一住ノ江 ( 昔の大和川駅に最も近 い ) 間に非電化用のキハ 55 を使用して祝賀列車を運転し た . 当日は , なんは駅の第一期整備改良工事が完成して いる南海線 7 番降車ホームで列車の出発式が行われ , 野 村董阪神支部事務局長の司会で , 嶋村信男南海電鉄専務 取締役 , 鉄道事業本部長や同列車の乗務員に対し鉄道友 の会から花東が贈られた . 11 時 53 分五色のテープが舞う なかを列車は出発 , ノンストップで住ノ江には 12 時 04 分 に到着した . なお , 南海電鉄では 12 月 9 日南海会館高島 屋ホールで記念式典を挙行 , 川勝伝社長の「社業百年を めざして前進しよう」との挨拶 , 社員表彰 , 社是朗唱 , 新社歌の発表などが行なわれた . 〇加太線の正月ダイヤに 7100 系登場 南海線の支線である紀ノ川一加太間 ( 単線 9.6 キロ ) に 伊豆急近況 田 3 系と 157 系の交換風景 教習のため 1 月 5 ~ に日の 8 日間留置された 183 系伊豆高原 1976 ー 1 ー 9 加太支線に本線急行用 7100 系が正月の臨時ダイヤに登場 モハ 7135 十クハ 7954 八幡前 1976 ー 1 ー 3 は通常 1521 形しか運用されていないが , 車両運用の関係 からお正月の臨時ダイヤに急行用の 7100 系が 1 / 1 と 1 / 3 の両日に登場 , 初詣の人達を喜ばせた . る誘導無線を各車両に取付ければよいが , 国鉄乗り人れ が約半数あるため , 社車国鉄車共通に使用できるよう携 帯用無線を使用することになった . また , 車両編成は電 カ節減と運用の都合で早朝および深夜は 2 ~ 4 両編成で 日中は 4 両 , 6 両編成が多いが 2 両・ 8 両編成が 1 本ある などバラエティーに富みファンを喜はせている . また 伊東線では伊豆急車川両編成の堂々たる編成が主で 6 両 ・ 8 両もある . このように区間・時間帯によって 2 両か ら 10 両の多彩さは伊豆急の魅力の一つであろう . 伊豆急行研究会 伊豆急行は今年の 12 月で開通 15 周年を迎えたが , 最近の 不況で大きな動きはないが , 特急あまぎ 157 系が 183 系 1000 化にともない , 昨年 12 月 16 日にあまぎ 1 号 ( 6021M ~ 6022M ) のスジを使い 183 系 10 両編成で東京ー伊豆急下 田間を直通性能試運転を行なった . 年が明け 1 月 5 日 ~ 12 日の間乗務員 , 検修員の教習のため伊豆高原 3 番線に 留置した . このときは留置線の関係上 MM をカットし , 8 両編成で人線した . 183 系は 1 月 25 日のあまぎ 1 号から使用され , そして 3 月 1 日から全あまぎ号が 183 系化され , 157 系はお召列 車以外はなくなる . 1 月 13 日と 20 日に天皇皇后両塋下は一ド田須崎御用邸で ご静養のため , 原宿一伊豆急下田間に 157 系 5 両編成で お召列車が運転された . 社車は最近携帯用無線機を使用し , 伊東一伊豆急下田 間で列車無線を実施するため各車両に設置台を取り付け る準備工事を行なっている . これは各私鉄で使用してい 、あまき 伊豆高原 円 76 ー 1 ー 9 上り”あまぎ 2 号”と伊豆急車 河津 1976 ー 1 ー 5 ノ 03

9. 鉄道ファン 1976年5月号

きっ 3 ぐコ ーナー 業当時の本練早 , 南島原 , 多比良町などの駅舎 で 5000 組発売した . 図柄は伊豆急線内を走る と SL の写真組み合わせ , 入場券は 1 種島原駅 157 系のカラー写真 . 郵便による申し込みは 〔国鉄〕 の開業当時の写真 ( 提供 : 本田勝己・立島輝 〒 413 ー 02 伊東市八幡野 1151 同社電車部営 ◆青函船舶鉄道管理局 雄・松崎洋 ) ④ 業課へ 50 円切手貼付け封筒を入れ定額小為替 1 月 24 日から「第 10 回大沼雪と水の祭典記念 ◆富山地方鉄道 , 立山開発鉄道・大山観光開 で申し込むこと ( 提供 : 杉山裕治・長谷川弘 急行券」を 1 種 300 円で函館駅 7000 枚 , 大沼 和・市川健三・金沢初男・太田正行 ) ⑧ 発 公園駅 3000 枚発売した . 図柄は大沼雪と氷の ◆名古屋鉄道 12 月 27 日から「第 31 回おおやま国体記念乗車 祭典のカラー写真 ( 提供 : 元木良平・岩崎清 券」を 3 枚 1 組 640 円で 5000 組発売した . 図 2 月 14 日「瀬戸線近代化、、栄 " 乗リ入れ工事 司・子吉明夫・梅木次雄 ) ① 着工外濠区間 ( 堀川一土居下間 ) 廃止記念乗 柄は富山地鉄車両と雷島・極楽坂スキー場・ ◆北海道総局 車証」および乗車券 ( 硬券 ) 1 セットを 600 春の立山のカラー写真 ( 提供 : 佐藤基亜・西 2 月 1 日から「第 27 回さつはろ雪まつり記念 尾博保・吉川宏 ) ⑤ 円で発売した . 図柄は本町橋上ガントレット 急行券」を 1 種札幌駅大人 , 小人各 4000 枚 , ◆近畿日本鉄道 と車両のカラー写真 ( 提供 : 佐藤基亜・木村 光夫・野崎昭三・白石久夫・久田進一 ) ⑨ 小樽 , 岩見沢 , 滝川 , 東室蘭 , 苫小牧各駅で 1 月 26 日から「大理教教祖 90 年祭記念入場券」 各駅 2000 枚すっ発売した . 図柄は青年よ大志 を 1 種 60 円で近鉄難波・上本町・京都・近鉄 ◆秩父鉄道 を抱け・栄光の S L のイラスト ( 提供 : 三橋 奈良・近鉄名占屋で各 1 万枚 , 大理で 2 万枚 , 1 月 18 日から「秩父札所巡拝記念乗車券 No. 石治・松山昭男・河田耕一・渡辺一 ) ② は加を 2 枚 1 組 300 円で発売した . 図柄は 大理教輸送部で 3 万枚発売した . 図柄は大理 教教会本部正面カラー写真 ( 提供 : 田村善一 札所 11 番南石山・常楽寺と 12 番仏道山・野坂 寺 ( 提供 : 相沢吉人・佐瀬繁治 ) ⑩ 2 月 1 日から「冬のオホーック観咒記念急行 ・毛利安孝・竹川修三・岩崎清司・林和夫 ) 券」を網走駅のみ 2 種 ( 1 種 300 円 ) を各 5000 〔記念きつぶ発売案内〕 ◆札幌市交通局 枚すっ発売した . 図柄はオホーーックの流氷 . ◆小湊鉄道 3 月 1 日から同社初の「開業 50 1 月 28 日から「第 27 回さつはろ雪まつり記念 トーフツ湖の白島のイラスト ( 提供 : 堀尾武 周年記念乗車券」を 3 枚 1 組 500 円で発売 吉国三 ) ③ 図柄は S L 2 ・ジハ 1 ・キハ 200 . 申し込み 乗車券」を 1 種 200 円で 5000 枚発売した . 図 ・粟屋博・近藤明徳・ こ私鉄〕 柄は雪像のカラー写真 ( 提供 : 橋本玲子・尸 先は〒 290 市原市五井 1872 同社記乗係へ 沢茂治・難波敬一 ) ⑦ ◆筑豊電気鉄道 3 月 21 日から「筑豊電鉄開 島原鉄道 ◆緲豆急行 1 月 6 日から「開業 65 周年記念乗車券・急行 業 20 周年記念乗車券」を 1 種 60 円で発売 . 図 2 月 15 日から「特急あまぎ 157 系さよなら記 柄は 2 両連接車のカラー写真申し込み先 券・入場券」を 12 種類 1000 円で発売した . 内 念入場券」を 5 枚 1 組 300 円で伊豆高原 , 伊 〒 806 北九州市八幡西区黒崎 3 ー 14 ー 3 同 は急行券 5 純で 1 号・ 15 号・ 23 り・・ C 1203 豆熱川 , 伊豆稲取 , 河津 , 伊豆急下田の 5 駅 社業務部連輸課へ 号など S L のモノクロ写真と乗車券 6 種で開 中村 文雄 ◆旭川鉄道管理局 ④ 当 0 6 一ー、 1 % 幺 0 拿第 を製和 ① れま里 ② は夏・第式社 ッ溢隯 0 を き県 きゞあはさ 見、を 田み 0 第を ⑧ のを物和 物れ第務を 物第物 ⑥ 50 円・ ⑦ 10 円ま - ID ′ FREE ⑩ 108

10. 鉄道ファン 1976年5月号

" 銀ラ可 " ものカヾたり さて急行列車には , 10 月 1 日改正以降順次上記各列車と ほかに後の " 大和・鳥海・越路・大雪・まりも " に特別 2 等車を 1 ~ 2 両連結しはじめた . 具体的には , 10 月 1 日から霧島 11 月 15 日から阿蘇・雲仙・筑紫・安芸・青葉・みち のく・北斗・日本海・北陸・大和・鳥 海・越路・大雪・まりも 11 月 25 日から明星・銀河・彗星 の順に行なわれた . このリクライニング車の登場は , 体を十分に休ませる ことから俄然人気が出て , 3 等寝台車なき時代 , いわば 簡易寝台車とも考えられた . これによって " 明星 " に 1 両 , " 銀河・彗星 " はいずれも 2 両を並ロと置き替え連 結し , 5 日前から発売される客車指定券 ( 100 円 ) は発売 と同時に売り切れる , 夜行急行唯一の指定券であった . 26 年 4 月以降 , 2 等寝台車は新製「スロネ 30 」 , 3 等 座席車は「スハ 43 ・スハフ 42 」形式に順次置き替えが行 なわれ , 急行編成の質的改善は , ほば同時に 3 急行に実 施された . 座席車にあっては , 白熱燈 ( 2 列 ) の新形車 はちょうど螢光燈採用時のあの明るさに匹敵するほど , 車内のムードは一段とソフトなものとなって , 楽しい旅 づくりに貢献したのであった . いつほう , これら夜行急行けん引機関車は EF58 ・ 57 ・ 56 ・ 53 と , 東海道列車はバラエティーに富み , 主力は EF57 となって 650 ~ 700 トンけん引を行なっていた . また , 浜松以遠の非電化区間では C59 ・ 62 が主体とな って , 浜松ー大阪・神戸間をロングラン運転していた . 3. 稲沢電化と月光 ' 増発 昭和 28 年 7 月 21 日に浜松ー名古屋間 , 同年 11 月 11 日に稲 沢まで電化完成された . この時に東海道線の時刻改正が 実施され , " 明星・銀河・彗星 " に続き 4 往復目の急行 " 月光 " の運転開始である . この 4 本が今後の東海道線 夜行急行のべースとなり , たがいに覇を競いあって今後 の編成にみがきをかけることとなるのであった . 6 : 26 7 : 36 8 : 25 7 : 45 8 : 51 9 : 16 7 : 08 20 : 49 7 : 53 21 : 00 8 : 54 9 : 24 Ⅱ列車 ( 明星 ) ①②③ 50 50 34 東京ー名古屋 ( 下りのみ ) ④ 43 ⑥ 42 ⑤ 50 ⑥ 40 ⑤ 43 ⑦ 43 ⑥ 40 ⑦ 43 ⑥ 43 ⑧ 43 ⑦ 43 ⑧ 43 ⑦ 43 ⑨ 43 ⑧ 43 ⑨ 43 ⑧ 43 ⑩ 43 ⑨ 43 ⑩ 43 12 列車 ⑨⑩ 43 42 列車 ロ列車 ( 銀河 ) ①② 40 30 列車 ( 彗星 ) ① 40 ③ 30 ② 30 ④ 53 ③ 30 ⑤ 53 ④ 50 43 ⑩ 43 42 ⑩ @ 43 42 給列車 名古屋ー大阪 ( 下りのみ ) ロ列車 ( 月光 ) ①②③④ 4 ー 30 30 53 ⑤ 53 田列車 ⑩ @ 43 42 ( 下り ) 11 13 15 17 12 14 16 18 ( 上り ) 明星 銀河 彗星 月光 明星 銀河 彗星 月光 東 19 20 22 : 22 神 20 : 10 尸 : 15 00 : 30 : 30 泉 → → → 大 大 20 21 22 ・ : 30 : 10 阪 阪 神 東 → → → 上記により , 1 ・ 2 等寝台車時代の編成であるが , 特 プ 9 で , 落成前に大井工場でモックアップを作って検討され この 3 等寝台復活の前景気はそうとうな力の入れよう 車 4 往復には , いずれも 2 両連結されることになった . ることになり , " 銀河 " 系統の東京ー大阪間夜行急行列 急行・準急行列車 29 往復 58 本の列車に 1 ~ 2 両連結され 北海道用として計画された . この計画で , 全国主要夜行 は軽量としたナハネ 10 形が 100 両発注され , うち 10 両は 当時 , 軽量客車ナハ 10 形試作車をベースに , 客車構造 の新製が進められることになった . 延び延びとなったが , 民有車両による措置で急に「ハネ」 場することになった . 戦後いろいろな事情でその復活は それは東海道電化完成まえ , 昭和 31 年 3 月 20 日に再び登 昭和 17 年 7 月 16 日に 3 等寝台車が廃止されて 14 年ぶり , 4. 3 等寝台車復活 れ相当することとなる . となってしまって今はなく , 3 等寝台は B 寝台にそれぞ ば , A 寝台は現行の A 個室 , B は A 寝台 , c は全車廃車 し , 2 等寝台は C となった . これを現在と比較するなら おむね個室タイプのものを A , 開放タイプのものは B と なわれた . このときの料金体系は , 従来の「イネ」はお の称呼は「マロネ」と改称され , 優等寝台車の整理が行 車が 2 等寝台に格下げとなった . これで , 従来「マイネ」 さて , 昭和 30 年 7 月 1 日には , 永らく続いた 1 等寝台 フ 20 円 , 特急は 3 等 6 円 , 2 等 40 円となっていた . 京ー大阪間は 420 円であった . ちなみに急行は 3 等 300 円 , 2 等 ( 注 ) 特別 2 等車は特別 2 等車料金により , 地帯別料金制を採用し , 東 870 円時代であった . 座席確保が可能となり , それは東京ー大阪間の 3 等運賃 たほか , 始発駅着席券 ( 3 等 50 円・ 2 等 100 円 ) により となっている . このため上り先頭 10 号車は京都連結とし に " 明星”は他の急行列車に比べると輸送カ列車的性格