線等寒冷地に伸びるに従っ て , これら線区条件にマッ チした車両が要求されるよ うになった . すなわち , 動 カ近代化初期に製作された 151 系・ 153 系等は , 主電動 機は MT46 ( 出力 100kW ) を装備していたが , 勾配区 間での出力不足や加減速等 7 系総合的な車両性能向上を目 ざし , MT54 ( 出力 120kW ) が標準仕様とされるように なった . 次いで連続下り勾配線を運転する場合のノコギ リ運転 ( 気動車や旧形電車では下り勾配運転のさいに , い ったんプレーキを使用したら制限速度を大きく下回るま で緩解せず , 再び速度が上昇し制限速度になったら再度 これを行なうため , 運転曲線がノコギリ状になるためこ の名がある ) を避け , 円滑な運転ができるように抑速プ レーキが開発された . さらに大きな変化として交流電化 まき 64 がある . 昭和 30 年 , 将来の幹線電化に交流電化を採用す べく , 仙山線に交流電化の試験線を作り , 数種の電気機 関車により種々な試験を行ない , 交流電化の優位性 , 特 に高粘着性能の確認等の成果をおさめた . その後昭和 33 年に至り , すでに生まれていた新性能電車の成長と電化 の伸展を考えた場合 , 近い将来必ずや交直流電車の必要 性を生じるとの判断から , 同線区において日本で初の交 直流電車の試験が行なわれることとなった . このときの 電車はクモハ 73 形式と社買収雑形 2 両を一組として改造 されたクモヤ 491 形 2 編成であった . この電車は水銀整 流器式のもので , 現在の交直流電車に比較すればかなり 大時代的なものではあったが , 国鉄における交流電車の 元祖であったことには間違いない . そして , この電車の経 験は , その後のシリコン整流器の開発をあわせて , 初の 本格的交直流電車 401 系へと引き継がれていったのであ る . 世界に誇る新幹線電車でさえ , その源流はこのあた りにあることを考えれは , 直流で一応のラインナップを 作り上げていた電車に交流の可能性が加わったことによ 東海道臨時特急”ひび き”に活躍していた頃 の 7 系 . 今やこの姿 も見られなくなってし 戸塚ー大船間にて 写真 : 諸河久 円 63 ー 7 ー 7 せつつ 東海道電車急行のパイ オニヤ 3 系 . 東京から長驅大阪へ向 かう”せつつ”号 山科にて 写真 : 三島富士夫
街と海と稲穂と , そして花のある風景 総武・房総半島のゲタ電たち 田明雄 総武・房総半島方面への電化は昭和 10 年 7 月千葉までの 電化以来 , 永らく国電の運転はその入口である千葉で止 まっていた . しかし昭和 43 年 3 月 , 千葉一成田間の電化 開業を手はじめに , 続いて房総半島への電化工事が遂次 開始され , 47 年 7 月には房総半島一周の電化が完成し , 48 年 10 月東金線 ( 大網一成東間 ) ・成田線 ( 成田一我孫子 間 ) の電化 , そして 49 年 10 月の北総 3 線 ( 総武・成田・ 鹿島線全線 ) の電化開業によって千葉鉄局管内は木原・ 久留里両線を除いてすべての電化が完成し , すでに S L 列車は全く姿を消し , かっては気動車王国を誇った千葉 局も 50 年 3 月 10 日のダイヤ改正時から電化区間の全面電 円 75 ー 5 ー 5 千葉局 72 系電車の基地 , 津田沼電車区 車化によって現在では特急・急行・近郊形各系列の新形 電車が活躍し , また電車化によって普通・ローカル運転 ツヌ ) には首都圏 , 特に東京を中心とした主要国電線区 には 72 系旧形電車が集結して全線にわたって活躍してい の新性能電車化によって周辺部そして関西方面に転出し た 72 系旧形電車が京阪神間本線緩行電車・阪和線などの る昨今でもある . しかし同局管内で活躍する特急をはじめ , 急行・快速 新性能化によって千葉鉄局管内の電化進展にともなって についてはすでにいろいろと紹介されてご案内のとおり 再び東上がはじめられ , 逐次津田沼電車区への再転出に なので総武・房総半島の各線で普通列車およびローカル よって同区の 72 系は 47 年 3 月 50 両程度の配置が同年 7 月 運転として活躍する 72 系旧形電車群にスポットをあてて の房総半島一周電化完成時には 130 両と倍増され , さらに 50 年 3 月の北総 3 線電化開業時には 160 余両にも達し , みよう . 管内主要各線の普通列車 , ローカル連転の約半分 , 成田 総武・房総半島のゲタ電 ( 72 系旧形電車 ) 線 ( 成田一我孫子間 ) では一部の運用を除き , また東金 千葉以東の 72 系旧形電車の運転は 43 年 3 月の成田電化を ・鹿島両線では全運用を担っていた . しかし 72 系電車は 手はじめとして電化区間の開業にともなって次第にその この時点を最盛期として , 昨年 8 月末より 10 月にかけて 範囲も拡大され , 現在では未電化線区の木原・久留里両 113 系 60 両 ( 6 両編成 X10 本 ) の津田沼区配置によって 線を除いて管内全線にわたって運転され , 千葉を起点に 72 系電車による運用は逐次 113 系に置替えが開始され , 成田・総武・内房・外房の各線に扇状に広がっている . 72 系は順次減少の道をたどっていった . 千葉鉄局 72 系旧形電車の基地である津田沼電車区 ( 千 千葉鉄局 72 系旧形電車の現況 現在千葉局で活躍する 72 系電車は , クモハ 73 ・モハ 72 ・ クハ 79 の 3 形式があり , サハ 78 はすでに全車廃車されて 千葉の市街をあとに , 房総半島の南端 ~ と出発する内房線安房鴨川行き 千葉 1975 ー 5-5 72 系編成 姿を消してしまった . 昭和 51 年 1 月 1 日現在津田沼電車 区に在籍する 72 系旧形電車は 119 両 , このうち常時運行 されているのは 6 両編成 x 14 ( 84 両 ) ・ 3 両編成 x 2 ( 6 両 ) の計 9 ( ) 両で , このほか検査 ( 編成予備 ) 6 両 x 1 ・ 3 両 x 1 の 9 両 , 単車予備 9 両 , 置き替えその他 11 両の 合計 119 両となっており , これらは昨年 8 月最盛寺期の 約 30 % 減となっている . さて , 津田沼電車区を基地として管内各線 ( 総武・成 田・内房・外房・東金の各線 ) に連用されている 72 系編成 は , 6 両編成 X15 本 ( 編成番号 201 ~ 215 : 内 1 本予備 ) お よび鹿島線用として 3 両編成 x 3 本 ( 編成番号 301 ~ 303 : 内 1 本予備 ) の計 99 両で運行されている . 従来 ( 50 年
機関区機留線へ入区する . この EF65 は , 周防富田から 東京貨物ターミナルまでのロングランである . フレート ライナーは , ほとんどけん引機はロングランを行ない , また動力車乗務員も特急客や特急電のように大形仕業で ロングランを行なっている . E F 65 が解放されたあと , 汐留方に品川区の入換用 DL , DD13 が連結される . 13 時 14 分 . 発着 4 番線から推進で荷役線にむかい , 約 10 分 後 13 時 24 分コンテナ 13 番線に到着 . DD13 は解放され機 留線へ . 荷役場では , フォークリフトによりコキ車から コンテナの取りおろしが行なわれる . 通運業者のトラッ ク運転手は , 駅本屋にある通運事務所から , どのコンテ ナを自分のトラックに積み込み , どこへ配達するのか指 浜川崎塩浜 示をうけ , 当該コンテナの場所へ向かう . フォークリフ ようになる . フレートライナーは東海道を上ってきて , 平塚から東 トによりトラックにコンテナを積みこみ着荷主へ配達す 海道貨物線に入り新鶴見操を経由し , いったん汐留へ入 る . なお , 東京着のコンテナの中味は原料が中心であり る . そして , 機関車を品川方に付けかえて新幹線の東側 東京発のコンテナは , 製品そのうちでも書籍・菓子・医 薬品・雑貨などが多いそうである . また , 転勤シーズン 貨物線を通り , 品川駅手前で左へ大きくカープし新幹線 には引越荷物が多くなるということである . 大井支所への線路にそって東京貨物ター ナルへ向か う . このルートをとるフレートライナーが最も多く , そ この 1070 レにより到着したコキ車のコンテナの取りお のほか汐留へ入らす新鶴見操で機関車を付けかえて鶴見 ろしが完了すると , 今度は同じコキ車にコンテナの積み または尻手を経由し , 浜川崎・塩浜操を通り東京貨物タ こみが行なわれる . コンテナを積んだトラックが駅に到 着 , 運転手は事務所でどのコキ車に当該コンテナを積む トも , 7 本の列車が使用してい ミナルへ向かうル かの指示をうけ , コキ車のところへ向かいフォークリフ る . トによりコンテナをコキ車に積みこむ . そして , すべて d. 着発列車ルポ コンテナがコキ車に積みこまれる . 具体的な列車を例にあげてルポ風にのべてみよう . 17 時 50 分 . DD13 が汐留方コキフに連結され , コンテ 12 時 20 分 . 稲沢第二区の EF65 に引かれた山陽本線周防 ナ 13 番線から約 8 分 , 17 時 58 分着発 3 番線に到着 . 到着 富田発のフレートライナー「特急貨 B1070 列車」が汐留 後すぐ DD13 は解放され , 大井機関区機留線で休んでい 方から東京貨物ターミナル着発 4 番線に到着する . 間も た岡山区の EF65 が塩浜方のコキフに連結される . この なく E F 65 はコキフから解放され , 機まわしをして大井 EF65 は , 前日岡山から 72 レで新鶴見操までフレートラ イナーを引いてきたカマである . 18 時 41 分 . 「特急貨 B 1071 列車」は塩浜操・浜川崎・ 川崎新町・鶴見・新鶴見操経由で東広島へ向けて出発し ていった . e. コンビューターによる荷役作業 以上が現在行なわれているフォークリフトによる手作業 であるが , 将来はコンヒ。ューターを利用しての荷形作業 が行なわれることとなる . そのため ,EPOCS (Effectual Planning & Operation of Container System) = コンテ ナ情報システム , FIS (Freight TerminaI lnformation System)= フレート・ターミナル情報システム , DACS (DATA Collecting & Switching System) = データ交 換システムの 3 つの情報管理システムを導入する . まず EPOCS は , 指定券類を売るみどりの窓口マルス のコンテナ版のようなものである . 荷主の申し込みに対 し通運業者などにある端末機を通して受付可否が回答さ れる . 申し込み O K となると , 約東日の前日にコンビュー ターから出てくる「受託伝票」をもって通運業者のトラッ 図 2 東京付近のフレートライナー 輸送経路図 高 新座聞大宮 東北本線 ・・・将来線区 武 山手貨物線 野 越谷聞 武蔵野 常磐線 黐田川馬橋 新宿 西国分寺 梶ヶ谷 新鶴見割 田端 品 見 物・ 大船 汐留 東京貨物ターミナル 京葉線 日本一の広さと規模を誇る東京貨物ター ミナル 写真 : 小田知昭 58
団体旅客輸送計画 ( 回送は除く ) 函館青森盛岡ーノ関仙台上野品川 京都天理 8 便 30 40 い 505 ) ( またⅢ 8 便 ) い 855 ) : 百石 004 レ ( 羽越 , 湖西経由 ) 円 23 l/1 8 ~ 2 6 田 20 2 引 6 8234 し 百田レ 2332 し 27 ~ 2 / 25 亘壟日にわたる 名古屋京都 天理 レ ( 関西本線経由 ) 円 47 2 ~ 4 日問滞在 東京品川 田 03 レ 田 00 し′ 23 ~ 2 / 6 , 8 , 田 3234 , 巧 , ロ 36 関東略 20 田 04 96 引レ 9225 に 27 8 日問滞在 38 9646 レ 22 田 ( ヨ ) レ 26 ~ 2 / 5 , 7 ~ 田 , に ~ 図Ⅱ 6 , 円 引 02 レ 田 5 図系に両使用 2339 536 934 ヨ引 0 に に 29 ~ 2 / 2 , 4 , 9 ~ ロⅡ 6 , ロ , 円 , 20 , 23 , 24 230 6 田に 2 幻 6 8203 し - レ 28 , 2 , 6 ~ 8 , 風 22 , 26 2344 500 620 北海道 4 幻 33 便 850 東京 京都 天理 田 25 レ 2 / 5 , 幻 22 ロ 23 丐 5A ( または一 07 A) に 29 , 引 , 2 / 4 , 7 , コ 2 Ⅱ 8203 レ 500 824 ( 848 ) 4 幻 ( Ⅱ 39 ) 9525D 33 便 ロ 55 2 日問滞在 850 亘 620 に 502 8366 530 ロ 40 7 便 950 朝 405 ) ( またはロ便 ) 朝田 5 ) 4 幻 9526D 2 田 0 37 絽 2A レ引 , 2 / 2 , 6 , 9323336 2 月 5 ロ 06 円 56 奈良線キハ 6 両使用 甲府地区品川沼津塩尻名古屋京都 天理 9426 レ 6347 レ ( 東海道経由 ) 94 ロレ 円 02 ( 中央経由 ) 7802 レ 円 02 ( 8203 レ 2 / 3 , , 絽 , 25 33 便 850 500 に系に両使用 沼津京都天理 950 秋田山形福島上野 朝 ) 8 Ⅱ 0 レ 620 8345 レ 一円 , 幻 , 25 , 27 , 28 642 2 し 2 , 4 , 6 8 , Ⅱ , ロ , 円オ木 225 絽 43 9645 レ レ 25 , 2 月 , 8 2034 4 日間滞在 2034 4 日間滞在 8222 レ 706 9825 レ ( 関西本線経由 ) 甲府 09 9434 レ に系 6 両使用 レ 29 ~ 引 , 2 / 2 , 3 , 5 , 6 , 9 , ロ , 図Ⅱ 6 , 卩 , 円 ~ 幻 大館長岡 森田形 青秋山 甲府 900 9427 レ レ 26 ~ 30 2 / 2 , 5 , 93 昭 2 , ロ 36 , ロ に 44 94 Ⅱレ 田 34 9643 レ 6 日間滞在 田 34 絽 43 9645 レ 田 44 2 田 8 ユ 6402 レ ー 20.22 , 23 , 26.29 引 2 3 , 5 , 9 0 , にⅡ 5 642 620 8345 レ 94 Ⅱレ 9643 レ 6 日間滞在 44 8 2 レ 2348 レ 24 鄧観、・ 450 2355 6 引 3 レ レ 25 幻 46 引 0 に ロ 27 9637 レ 28 6 日間滞在 9634 レ 新 潟 ー 2 ロ 54 山 形 系貶両使用 秋 田 京都天理 ロ 52 京都 天理 略 ロ 04 亘 6003 レ ( 湖西 , 羽越経由 ) レ 26 ~ 2 / 23 530 仙台福島上野東京 ( ゴ引 02 レ 450 に 25 ~ 引 2 / 2 , 4 , 5 , 7 ~ 9 , 日 3 23 4 有 & 08 レ 2 月 , 3 , 6 , , ロ 亘 8502 レ ー 25 ~ 27.29 ~ 引 2 / 2 ~ 7 , 9 ~ に 3536546 ) 8502 レ Ⅱ 26 l, / 28 840 5 幻 円 30 9623 レ 7 35 盛岡 557 手城 岩宮 円 08 9627 レ 624 758 2 日 ~ 5 日間滞在 9642 レ 2035 レ 30 , 引 , 2 / 3 5 ~ 田 32 ~ ロ , 円 , 幻 系に両使用 2 円 44 2209 亘 8503 レ 長岡 700 28 2 幻 6 レ 26 ~ 2 月 5 6A 絽 52 ( または 26 A) l/31 ~ 2 / 20 東北 , 奥羽線一般車 6 両 奈良線キハ 6 両使用 853 9523D 田 20 5 日間滞在 9528D ー 9 05 い 929 ) 600 2 ー 56 ( 222 の 3488407 レ 9 引 7 レ 引 8 新津 会津若松郡山 上野東京 引 4D 29 ( または 233 つい 542 ) ヨ , 8502 レ 京都 天理 2308 田 40 い 826 ) 46 絽 40 い 826 ) 絽 46 8205 レ 2 月 ~ 2 / 幻 会津若松 904 ヨ 8502 レ 9627 レ 758 4 日間滞在 9623 レ 735 4 日問滞在 624 2 / 2 5 幻 引 4D 29 ( または 233 づい 542 ) 0 天理 京都 東京 546 丐 8A ( または 0A ) 853 ( 905 ) 2 / 6 , ロ 5A ( またはに 3 A) レ 28 - ・ 30 , 2 ヨ ~ 9 , に , 北関東 い 64 1) 9529D ロ 24 い 345 ) Ⅱ 44 ( Ⅱ 56 ) 8403 レ 絽 46 4 日間滞在 9524D に 05 い 24 1) ロ 2 A Ⅱ 46 ( または一 06A ) ~ ロ 36 , 絽 , 20 9237 レ 2 / 6 , ロ 56 い 532 ) 円 24 2 / 6 は一般車 6 両 2 / 8 , ロはに系 6 両使用 キハ 6 両使用 奈良線 70 び
POST クモハ 42 パワーアップ 神谷静治 飯田線で活躍する旧形電車が近々廃車になる とよくいわれるが , 現場職員の間では廃車が 間近いという話はなく , 廃車になれは 80 系に なるそうだ・・・程度しか知らない現状である . 廃車が近いと騒がれているこれら旧形電車 でも , 入場すれば小さな改造をいろいろやっ て出場してくる . 2 月 25 日出場した豊橋区の クモハ 42011 が最近では珍しいパワーアップ をしてきた . モーターを M T 15 から M T 40 に 取り替えた . 主抵抗器は 100 k W 用のままで ある . 台車は D T 12 を D T 13 に振り替えた . 台車は廃車になった 73 系のものの流用とおも われる . クモハ 42 形は飯田線運転士の間では 足が遅く不評であったが , これで運転士にも 喜ばれるであろう . このような改造をするこ とは , まだまだ当分は活躍する望みがありそ うな気がするが . 台車は DT13 運転十前面窓が H ゴムに変 わったクモハ 42011 豊橋区 1976 -2 ー 25 51 年 6 月 E D196 51 年 7 月 E D181 52 年 3 月 E D182 しかしながら , この期日が , そのまま廃車 計画とはならす , 遅くとも , 今秋までには全 廃されることになっているようだ . また , E D 18 ・ 19 → E D 62 に関連して , 中 央東線の ED61 重連連用も , 3 月改正で削減 されたもようである . 現地で確認したところ 1497 レが EF64 で運用されていた . E D 61 の運用削減に見られるように , E D 62 化の準備も完了の段階に入り , いよいよ , 国鉄最後の輸入機 ED18 ・ 19 も引退間近かと なった . 現在同形機の交換風景はまれで , E D19 同志は本誌が店頭に出るころには , すで に消え去っているであろう . マ去り行く E D 182 と主力機 E D 624 宮田 1976 ー 3 -5 ( 新編成 ) 922 ー 954 ー 900 - 910 - 909 - 927 - 957 804 ー 952 ー 901 ー 911 ー 908 ー 924 ー 854 932 ー 962 ー 904 ー 914 - 907 ー 920 - 950 原則として , 普通電車に限定適用されている が , 行楽日や西宮競輪・競馬開催の日に運転 される臨急にもよく使用され , 170 k W のハ イ・パワーをフルに発揮している . ともあれ これらの旧形電車が , 同期の桜である多くの 名車が消えた今なお , 110 km/ h 近いスピード でカ走する姿は圧巻である . △ 7 年」い ) に先頭に出た 920 系 957 ほか 900 ・ 920 系混成 7 連阪急六甲 1976 -3 -20 東海道本線から旧形電車消える 庄野毅司 京都ー西明石間を走っていた旧形電車が 2 月 26 日限リで姿を消し , 全編成がスカイプルー の 103 系に置き替えられ , 3 月 1 日からダイ ヤが若干変更された . 旧形電車は , 明石電車区にクモハ 73 を 2 両 けん引車として残すはかは , 一部転属 , 大部 分は廃車となる . 片町線や阪和線では , 転属 してきた電車が混色で活やくを始めてい . マ東海道線で最後の奉公をする旧形車クモハ 73379 ほか 7 連大阪駅 1976 -2 ー 25 マ 阪急 920 系先頭車に復活 ( 神戸線 ) 高尾修史 阪急初の高速車 900 系をベースに , M T 編成 の広幅貰通幌付きとして戦前の阪急のプリマ ドンナ 920 形十 950 形は , 戦後もかなり神戸 線の主として君臨してきたが , 最近は保安上 二燈化等の問題により , 800 系・ 805 系の中 間に挾まれており , 長年神戸線上において先 頭にその姿を見ることはなかったが , このと ころ今津線所属の 920 系との置き替えがあリ 実に 7 年ぶりに先頭車に復活した . 旧編成か ら新編成への移行は下記のとおりである . ( 旧編成 ) 805 -955 ー 900 ー 910 ー 909 -925 - 855 806 -956 ー 901 ー 911 ー 908 ー 926 -856 804 ー 952 -904 ー 914 ー 907 ー 924 ー 854 に , 大糸線信濃四ッ谷駅を白馬駅に , 中央本 の読み方がむすかしいなどを理由に豊栄駅に ニュース・スクラップ 線三留野駅を南木曾駅に , 飯山線越後外丸駅 改称してはしいと申請が出されていた . 同市 ◆ " ながさき " 号の愛称新設 は人口 3 万 8000 人 , 新潟市のべットタウンと を津南駅にそれぞれ改称している . ◆閑古鳥鳴く S L ホテル 門司鉄道管理局では , 門司港ー長崎間の夜行 いった性格で市の玄関口になっている . ◆長崎・佐世保電化 7 月 1 日開業 ・ 422 列車をさる 3 月 1 日から、、ながさ 土讃線中村駅構内にある S L ホテルに閑古鳥 421 き号 " と愛称を新設した . 両列車に 1 両連結 が鳴いている . 同ホテルは 1 昨年 4 月に S L 門司鉄道管理局では長崎本線・佐世保線の電 されている B 寝台車の寝台券が電算発売でき ファッの話題を集めてオープン . 当初こそ人 化 , CT C 工事がこのはど子定どおり完成する す , 利用者から改善を望む声が多かったため 気が上がり , かなりの客を集めていたが , や 見通しとなったため , 7 月 1 日に電化開業す 3 月 1 日から座席予約中央装置に組み込むた ることを発表した . それによると両線に初め はり打ち続く不況には勝てなかったわけ . ◆白新線葛塚駅も豊栄駅に改称 め愛称を新設したもの . てのエル特急が登場 , その愛称も長崎関係が ◆麻績駅を聖高原駅に改称 “かもめ " , 佐世保関係が、、みどり " と新幹 新潟鉄道管理局では , 白新線葛塚 ( くすっか ) 長野鉄道管理局は 4 月 1 日から篠ノ井線麻績 駅をさる 4 月 1 日から豊栄 ( とよさか ) 駅と 線博多開茎と同時に姿を消したなっかしい愛 駅を聖高原駅と改称した . これは地元麻績村 改称した . 同駅は昭和 27 年 12 月に開業したと 称名が 1 年 3 カ月ぶりに復活する . が振興需要施策として聖高原の観光開発にカ き所在地名が新潟県北蒲原邯葛塚町であった 輸送改善は , 対本州関係には変化はないが を入れているが , 麻績では聖高原への下車駅 が , 昭和 30 年に 2 村を合併して豊栄町 , さら 門司管内については長崎本線関係では特急 7 本を新設 , 急行は現行の 10 本が 6 本と 4 本減 であるということがわかりにくいので , 同村 に 45 年には 1 村を合併して豊栄市になったた からの陳情で改称したもの . なお , 同局では め , 50 年 2 月に同市から新潟管理局に①駅名 差し引き 3 本の増発、佐世保線関係は特急 6 昭和 43 年 10 月 1 日に信越本線相原駅を黒姫駅 が市名と同ヒでないのでまぎらわしい②駅名 本の新設 , 急行が 9 本から 6 本と 3 本の減 , 72 み 1 E D 1 8 ・ 1 9 終焉近し 鈴木雅晴 このところたびたび伊那松島区の E D 18 ・ 19 の近況が報しられ , 両形式の行き方が注目さ れているが , すでに , 伊那松島区には次期主 力機 E D 62 が 5 両配置されており , 今年に入 って E D 19 が急速にその勢力を弱めてきた . 入手した情報によれば , E D 18 ・ 19 の両形 式の使用期限は , 次のとおリである . 昭 51 年 2 月 E D 192 51 年 4 月 E D 193 いロロ u ツ
マンモス電機 EH ー 0 ・ EF66 真柳哲也・外山公夫 PART :I E Ⅱ 10 日本の国鉄では線路その他の関係でマンモス機関車とい うものが非常に少ない . 特に 1067mm という狭軌を使用 国鉄で唯一の E H という形式と , そのスタイルが魅力的 しているため , 電気機関車ではヨーロッパの車両に見ら な EHIO は , 今でこそ新系列電機の影にかくれてあまり ぬし れるような床上へ大きくはみ出すような電動機は使用す 目立たなくなってしまったようだ . しかし東海道線の主 ることができす , もしそのような電動機を使用すれば重 としての風格はいまだ失なわれていない . さて EHIO の 心が高くなり狭軌であるゆえに安定性がいちじるしくそ 誕生の背景および特徴については西尾源太郎氏が詳細に こなわれ , 高速運転は不可能となることであろう . この 述べておられるので , ここでは試作機・量産機の主な相 ような環境の中で生まれた E Ⅱ 10 と E F 66 という 2 つの 違点・改造および現況等を中心に EHIO の活躍を追って マンモス電機は時代こそちがえいすれも国鉄電気機関車 みたいと思う . それでは初めに E H 10 の試作機と量産機 の主な相違点について述べることにする . 史上大きな工ホックを作った車両として忘れることはで きない . ここでは現在でも東海道・山陽の 2 大幹線で活 試作機 E Ⅱ 101 ~ 4 躍するマンモス電機に焦点をあててご紹介することにし 昭和 29 年の 7 月から 9 月にかけて 4 つのメーカーから各 々 1 両ずっ作られた試作機は次のような特徴がある . ま 新鶴見機関区にて 円 76 ー 3 ー 27 写真 : 斉藤千春 マンモス電機のツラガマエ 避雷器 号 一連 レ令気 フ指電 ま : ・第を手ス刀 第名第・ 第ヮった = 、、こ ・ステラブ プ 5
内房線 72 系 外房線 113 系運用の普通列車 千葉 1975-5 ー 5 最近まで活やくしていた戦時改造の残党クハ 79025 茂原 1972 ー 7 ー 15 写真 : 横山駿一 8 月末 ) までの管内普通列車の運用は , 幕張区 ( 千 ) の 113 系と津田沼区の 72 系が分担していたが , 前述のと おり 113 系の千ハ配置によって津田沼区担当の普通列車 運用番号は 113 系 = 1 ~ 9 まで 9 運用 , 72 系は 6 両編成 = 61 ~ 74 まで 14 運用 , 3 両編成 = 91 ~ 92 の 2 運用とな っている . 参考までに 51 年 1 月 1 日現在の編成番号別 72 系編成車号表は表 1 のとおりである . 編成車号表で見るとおり , その主力はモハ 72500 台・ クハ 79300 台の新製 72 系がしめ , 72 ・ 79 = 920 台全金車 の顔もちらほら見られ , また 63 形改造の 73 ・ 72 も 72 はす べて車体更新車でかためられているなど各形式とも比較 的程度のよいものが集められている . いすれもかっては 首都圏の中心である京浜東北・中央・山手・総武各線で 見おばえのある面々たちである . これらの仲間の一員と してつい最近まで活躍していた稀少価値的存在であった 表 1 72 系編成車号表 編成番号 ←千葉 編成 車号 79325 72957 7 引引 72 刀 7 72555 72004 79450 7 幻引 73064 72603 72604 79399 72 田 2 729 幻 72535 トノー 初期の戦時設計四ツ戸車クハ 79 の生き残りである 79025 も 50 年 4 月廃車となって姿を消してしまった . さて , 鹿島線を除く管内各線で運転されている運用番 号 61 ~ 74 までの 6 両編成は TcMMMMTc の 4M2T が いちおうの基本編成となっているが , 配置形式や検査・入 場車もある関係上そうもいかず , McMMTcMTc ・ TcMM MTcMc のような変則編成 , また TcMMcTcMTc などの 3 M 3 T 編成もある . なお , 鹿島線用の運用番号 91 ・ 92 の 3 両編成は TcMMc の 2MIT が基本となっている . これらの 72 系編成は基地津田沼電車区のほか , 旧千葉 駅跡の東千葉駅構内 , 成田機関区跡の各電留線にも留置 されている . 72 系電車の運転状況 総武本線および成田・佐原経由の成田線回りの銚子方面 をはじめ , 内房・外房両線の房総半島方面への起点とな っている千葉駅は 2 番ホーム 3 ・ 4 番線から内房線 , 3 番 ホーム 5 ・ 6 番線から外房線が , そして「ハ」の字形に ひらいて 4 番ホーム 5 ・ 6 番線から佐倉 , 成東・成田 , 佐 原を経て銚子方面への総武本線および成田線がそれぞれ 11 プ 発車を待つ成田線 銚子行き 72 系 千葉 1975 ー 5 ー 5 51 . 1 . 1 現在 津田沼電車区 津田沼→ 2 田 202 203 204 205 206 207 208 209 幻 0 幻 2 幻 3 幻 4 幻 5 79 引 9 79343 79329 79339 79393 79347 7 引引 794 引 793 刀 794 田 793 幻 79387 7 引 59 79383 793 引 7 引 44 72693 72008 72703 79945 7 幻 47 72923 73063 7 幻Ⅱ 72605 72289 7 引 42 72944 72640 72928 72536 72638 72642 72 引 2 72545 726 Ⅱ 72 引 4 72609 72527 72062 72580 726 田 79480 72935 72863 72 田 4 72078 72602 72607 72608 79337 720 引 72050 729 田 72227 72 引 3 72600 725 幻 732 日 7 幻引 79422 79334 79388 79436 73 Ⅱ 0 73 引 8 79 引 4 79376 79354 79324 79300 79390 79402 794 給 79424 3 田 302 303 793 引 73289 73 円 9 7 引 56 79304 794 田 726 引 72690 72506
、 960 追分区に最後まで 残ったこの 2 両の 96 囲は筑豊からの 転属組 . 追分機関区にて 円 76-3 ー 2 写真 : 奥野和弘 その後再び組合との話し合いか行なわれたようで , 駅 D E101739 号か追分機関区へ来なけれは , 入換用蒸気機 構内南側の人れ換えをしていた人 2 の 39679 号か 15 時川 関車を止めにするかどうかまだわからないということで 分に作業を終えて炭水の補給を行ない , 続いて南側の人 こうなると蒸気機関車の最後という点でどうなるかわら れ換えをする入 3 ( 16 時 30 分 ~ 23 時 50 分 ) として機関車 なくなってしまった . しかし , 感謝状の日付は 3 月 2 日 の横に進み , 北側の人れ換えをする人 6 ( 16 時 ~ 23 時 50 で作製してしまったし , 参加する鉄道友の会の会員に対 分 ) の 79602 号と連結して構内線に人ってきた . ここで してはすでに 3 月 2 日を通知したので , その変更となる 両機関車は前部を向い合わせて停車し , その中間でいよ と大きな仕事となるので , ついに 3 月 2 日が最後となら いよ式か行なわれることになって一同は安心した . なくても感謝状の贈呈を行なうことにしてしまった . 参列者は国鉄本社広報部藁科安弘職員 , 西田五平機関 その後 , 3 月 1 日に片岡副支部長か北海道総局で再度 区長 , 助役 , 人 3 39679 号乗務員機関手木田和芳 , 機関 問い合わせをしたが , いせんとして判明せす , じつに最 助手石井春樹 , 人 6 79602 号乗務員機関手寺島謙二 , 機 後の最後まで大変な仕事になってしまった . このことは 関助手関根光雄の各氏 , 中村喜一追分町長 , 以下町関係 むしろ追分機関区の西田区長以下管理者側にえらい仕事 者 , 氏家清長国鉄 OB 会長 , 鉄道友の会北海道支部小熊 を持ち込んだわけで , まことに申し訳けなくさえ思うよ 米雄支部長以下 9 名が列につき , その他町民およびレー うになった . それでも追分町としては一つの記念すべき ルファンなど約 150 名が参集して , 15 時 45 分西田区長の 行事であると思うので , 何とかその実現に努力を続けた 挨拶で " さようなら 9600 ' ' の行事が開始された . 続いて いと考えていた . 西田区長から乗務員へ記念品の贈呈 , 小熊鉄道友の会北 海道支部長から追分機関区へ感謝状と記念品 , 蒸気機関 昭和 51 年 3 月 2 日は追分機関区へ感謝状を贈呈するため 車へ感謝状の贈呈 , 中村町長から記念品の贈呈 , 氏家国 に , 鉄道友の会北海道支部会員は 12 時 50 分に追分駅に到 鉄 ( ) B 会長から記念品の贈呈があり , 中村町長の挨拶で 着 , 追分駅と追分保線区に挨拶をして追分機関区へ出向 16 時 20 分に式を終了した . いた . ここで西田機関区長をはじめ助役各位どへい成 その後 16 時 30 分から 17 時まで機関区長室で懇談会か行 謝状などの贈呈について話をすすめた . 当機関区の職員 なわれ , 中村町長も機関区職員育ちであり , 氏家 ( ) B 会 は 423 名で , そのうち組合員約 270 名の国鉄動力車労働 長をはじめ , 国鉄広報部の藁科職員は " ェビソード鉄道 組合札幌地方本部 ( 動労 ) 関係とは 3 月 1 日の 21 時ごろ 百年一汽笛一声一 ' ' を書かれた和田和男氏であるので , 式を挙げることの諒解は得たが , 組合員約 120 名の国鉄 タ張線や室蘭本線の蒸気機関亜の話に花が咲き , 西田区 動力車札幌地方労働組合 ( 全動労 ) 関係のほうはまだ話 長のすはらしい努力によって明治 4 年旧暦 8 月 6 日から がついていないようであった . そのためか西田区長は , 連転された国鉄の蒸気機関車をはじめ在籍したすべての 贈呈式は機関区長室で行ないますということで , はなは だ残念に思ったので , できれは人換用蒸気機関車のとこ もの 9339 両の功績をしのぶ楽しいひとときを持っことが ろで感謝状などを贈呈したいことをさらに申し述べた . できたのは , ほんとうにありがたかった . ■ " さようなら 960 ( ) ' ' 式
参照されたい . 72 系運用による鹿島線を除く普通列車は昨年 8 月の最 盛期 22 運用あったものが 113 系の置き替えによって現在 では 14 運用に減少し , 72 系運用以外の普通列車には幕張・ 津田沼両区の 113 系 ( 地上形 ) 6 両編成 (TcMM ・ MM'Tc) が使用され , 時には 113 ・系 ( 地下形 ) の冷房車も使用さ れている . また津田沼電車区への入出庫のため千葉ー津 田沼間に 72 系の回送運転がある . 72 系電車運用の記録はいまのうちに 現在 113 ・ 113 ′系近郊形の新製増備が年々行なわれてお り , 50 年度第 1 次債務でも房総各線旧形電車置き替え用 も含めて 106 両の 113 系が発注されており , これらの東 海道東京ロよおび総武快速・スカ線投入によって在来車 の 113 系捻出による千葉局管内の 72 系旧形電車置替えが 開始され , 総武・房総半島の 72 系電車の運用が全面的に 新形電車化される日もそう遠くない状況である . 千葉県の行政・商業の中心 , 千葉市をはじめ , 成田・ 佐倉・銚子 , 木更津・館山・安房鴨川・勝浦など県下の 主要都市を結び , 内房・外房の海を眺めながら走り , と くに北総は県下の米どころ , 秋は稲穂の波に迎えられ , 南房総の外房線太海・江見付近の沿線はお花畑として知 られるなど , 街と海と稲穂と , そして花のある風景のな かを行く 72 系旧形電車の姿をいまのうちに記録にとどめ ておきたいものである . この稿をまとめるにあたり , 資料の提供などご協力い ただいた津田沼電車区関係者の方々 , ならびに同区の横 山駿一氏に感謝申し上げるしだいである . 表 2 線名別 72 系電車運用普通列車 昭和 51 年一月一日現在 線 名 総武本線 ロ 22M ロ 30M 364M ロ 25M 355M 成田線 ( 千葉ー 1424M 436M 447M 1461 M 458M 423M 銚子 ) 成田線 ~ 8 引 M ( 奇数 ) ( 偶数 ) 8 幻 M 822M ~ 852M ( 成田一 ( 844 ・ 846 ・ 852M を除く ) ( 82 い 845 ・ 8 引 M を余く ) 我孫子 ) ( 奇数 ) ( 偶数 ) 鹿島線 5 幻 M ~ 547 M 522M ~ 548M 内房線 に 3 M に 9 M Ⅱ 37 M Ⅱ 26 M Ⅱ 34 M Ⅱ 50 M ( 千葉ー 日 72 M Ⅱ 59 M Ⅱ 69 M 8 M 給 2 M 3 M 安房鴨川 ) 円 2 M Ⅱ 83 M Ⅱ 93 M 180 M Ⅱ 82 M ー田 M ( 保田・館山 723M 727M 724 M ー安房鴨川 ) 外房線 234M 259M ( 奇数 ) ( 偶数 ) 東金線 6 幻 M ~ 6 引 M 622M ~ 670M , 、 3 を ~ 絡 大網 1975-8-
祖母島付近にて 1976 ー 1 ー 15 写真 : 諸河久 行楽客を乗せて吾妻線を行く田 3 系 " 白根 " き換えに着手 , 同年 12 月の中央東線置き換えをもって両 り , この線の電化のメリットを最大限に生かすべく 381 線から 181 系はまったく姿を消した . 50 年 11 月の奥羽南 系振子構造特急電車を投入することとなった . 線電化は動力近代化の目標である 5000km の電化完成と 昭和 44 年以降 591 系試作電車により , くり返し行なっ いう意味で記念すべきものであり , 開業に当っては羽越 てきた振子台車の研究が実をむすび , ここに曲線におけ ・奥羽線の要所 , 秋田運転区に特急電車 66 両が配置され る驚異的なスヒ。ードアップを可能ならしめる電車が登場 た . 東北地区の青森・仙台・秋田の特急電車基地トリオ したのである . 運用開始以来 381 系による " しなの " は は , 現在はもちろん , 東北・上越新幹線開業後の同地区 ディーゼル特急に比し大幅なスビードアップの魅力で , の新幹線接続特急列車網整備の時点でも十分にその機能 連日高い乗車効率をしめし , 電車の威力を遺憾なく発揮 を発揮するものと期待される . ( 51 年 3 月現在の特急電 している . ( 特急電車運用系統図 11 ) 車の運用系統図 13 ) ・ 48 年 8 月関西線湊町一奈良間電化 こうして電車は爆発的に成長し , 動力近代化計画 15 年 ・ 49 年 4 月日豊線南宮崎電化 の一区切りをつけたところである . 本文中で参考のため ・ 50 年 11 月奥羽線羽前千歳ー秋田間電化 に掲げた特急電車の運用系統図を今一度 , 順を追ってご 昭和 49 年 7 月には , 北海道函館線にも特急 " いしかり " らんいただきたい . 電車の急速な伸びがよくおわかりい の運転が始まり , 485 系 1500 台車 22 両が海を渡った . い ただけると思う . 昭和 34 年 , わずかに東海道線に 1 本の つばう , このころから動力近代化初期に製作された 181 線が引かれた系統図 1 と現行のそれを見くらべるとき , 系・ 157 系等に老朽化のきざしが見えはじめ , 第一陣と 電車運用を仕事とする自分でも , ただ驚くばかりであ して上越線 " とき " 用として 183 系 10g 台車への置き換 えが行なわれた . 同時に信越・中央東線に残る 181 系の 5. 消えゆくパイオニア 置き換え用と信越線の輸送力増強をねらい , 489 系の直 前項までに述べたように電車は急激に輸送の第一線に上 流版である 189 系が開発された . 50 年 7 月信越線から置 を三宀つ 485 系シリーズの最新形 , 485 系 1 0 0 0 ・くわしくは来 月号でご紹介いたし寸す . 円 76 ー 3-24 写真 : 太田正行 70