車体 - みる会図書館


検索対象: 鉄道ファン 1976年6月号
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1. 鉄道ファン 1976年6月号

式の電気機関車・ディーゼル機関車はあちこちで採用さ の技術者から関ヶ原越え区間だけが 6 動軸の EF15 では れていた ( 40 ~ 46 ペーシ参照 ). わが国でも戦前に計画 無理だというのなら , EF15 の主電動機にその区間だけ された東京ー下関間標準軌新幹線弾丸列車構想のなかで ドライアイスを使ったりして冷風を強制的に吹きつけて 温度上昇を抑える等したらどうかとの提案も出たりして も東京ー沼津間は電化区間として 8 動軸の貨物用電気機 まだ完成せぬ関ヶ原区間の主電動機温度上昇について真 関車がプラン設計されていたと記憶する . 国鉄の車両設 剣な検討が行なわれたが , 結論として上述のような理由 計関係者の間でも終戦直後の昭和 21 年頃からすでに将来 で 8 動軸の電気機関車を新設計することになった . の貨物列車長大化に備えて 8 動軸の電気機関車はプラン このような構想により”マンモス機関車 " と呼ばれる 設計を開始していたと伝えられているから , 158 トン貨 EHIO 形電気機関車が登場することになったが , このさ 物列車が要求されてもそれに対応できる技術配慮をして い機関車の全長をできるだけ詰める意味で従来の電気機 いたことがうかがわれる . 関車にはつきものであった先台車をやめることにして軸 配置は記号で〔 B ー B 〕ー〔 B ー B 〕という動軸だけのス ■マンモス機関車の足まわり ィーベル方式の足回りとなった . 先台車がないことに基 これまでの電気機関車は E F 15 ・ 58 に至るまでほとんど づいて車体の前に取り付けられるデッキ装置もなくなっ がデッキ付のもので , 走行部の構造はがんじような鋳鋼 た . 車体も 2 分割して ED 形機関車の永久連結の形態が 製または引抜厚鋼棒を機械加工したいわゆる棒台ワクと 採用された . ED の重連であれば両運転台になるのが片 称される主台ワクがあって , 動輪と主電動機および減速 連転台の 2 車体永久連結であるから車体長は理論的に最 歯車装置を支持していた . このような構造では動輪軸距 が長くなるので先台車を必要とした . しかるに電車のよ も短いものになる . この 8 動軸で先台車なしの 2 車体構造の電気機関車は うにスイーベル式のボギー台車構造で 2 軸ずつの動軸を スイスの B L S 鉄道の貨物用にも採用されていて , 強力 一単位とした台車にして固定軸距も短く , かっ台車の回 貨物用または山岳急行旅客用としては合理的な設計構造 転もしやすくすることによって , 誘導の役目をする先台 車の必要はなくなった . 貨物用電気機関車として先台車 ということができ , すでに欧米諸国では 2 車体永久連結 修繕のため 2 車体を分割された EHIO 物 . 2 車体は中間引張棒によって連結され , 車体間の渡りは鋼製ホロによっている・そして連結部の妻板にはやや傾斜 写真 : 久保敏 がついて急曲線の通過に支障のないようになっている・ 04 い 3 み

2. 鉄道ファン 1976年6月号

黒色に黄帯を配した”急行便”貨車の先頭に立っ EH 10 の姿はまさに“熊ん蜂”のニ ックネームがピッタリだ . 康 森 真 用するように 2 個ずっ取り付けられたから , 片側 16 個左 なしとすることができたことの最大のメリットは機関車 右合計で 32 個もある . 全重量をすべて粘着重量として利用することができるこ 機関車の台車ワクの塗色は従来黒色であったが , 車体 とである . また先台車やデッキのないことによって車両 が黒色になったことにも関連して灰色が採用された . こ 全長をできるだけ短くして貨物列車にとって大切な停車 れも目新しいことの一つであって , 台車まわりの点検が 場線路有効長をフルに活用して貨車連結両数をふやすこ 明るくて容易であるとの検査員の声も聞かれた . とにも役立つものであった . 歯車比は 1 段減速であることに変わりないが , E F 15 主台ワクは揺れマクラ付の 2 軸ボギー構造で DT101 が 20 : 83 = 1 : 4.15 であるのに対して 21 : 77 = 1 : 3.67 に 形動力台車と名付けられた . まだこの機関車が誕生した なり , 動輪直径は同じ 1250 ミリメートルであるから最高 当時の設計では鋼板プレス溶接のビルドアップ構造の台 速度は 85 キロメートル / 時となった . 車両称号規程によ 車ワクは採用されていなかったので , この機関車の台車 れば電気機関車およびディーゼル機関車で形式 10 番台は ワクも一体鋳鋼製である . 先台車なしなので動力台車の 時速 75 キロメートル / 時 ( 戦前は 65 キロメートル / 時 ) 走行性をよくするために旅客車なみの上下揺れマクラを までとなっているのであるが , E H は貨物用だけという 持っ構造にして , 車体重量はほとんど中心心ザラで受け ことで 75 キロメートル / 時をオーバーしているにもかか 側受にはわずかの重量を負担させるように設計されてい わらず 10 番台の名称があえて付けられた . これも EHIO る . 側受はスキ間なしの構造で防振ゴムで受けるように の変則である . その後貨物用でも高速のものが次々と登 なっている . 場して , EF65 ・ 66 などと 50 番台のものが幅広く貨物に 主電動機は EF58 や EF15 に採用されていた MT42 形 使用されているのはご承知のとおりである . と同じ , 時間定格出力 325 キロワットのものであるが , 近い将来東京ー大阪間あるいはそれ以上のロングランを ー E Ⅱ 10 の車体について させることも考慮してフェルト給油装置を設けたり , 車 さて , 車体であるが , デッキがないから当然乗務員は車 軸との受箱の油容量を増大するなどの改良を施して新し 体の側面からのみ乗降すれはよく , 正面妻の出入口扉は く MT43 形と称することになった . これまで主電動機は 必要がない . 重連運転の必要もこのような超大形機関車 出力が同じである場合は多少構造や絶縁耐力などの性能 としては使用されることがないと考えられた . したがっ 変更があっても形式の番号は変更せず MT 〇〇の A とか て当時流行した湘南電車のような 2 つ窓の固定窓となる B と称していたが , EHIO の場合には思い切って MT43 べき構図が当初画かれていたが , 連転室内に走行中の風 と新形式を与えている . 8 個モーターの 1 時間当り定格 をとり人れ , また日除けに効果あるように傾斜窓式の独 出力は , 325 x 8 = 2600 キロワットとなり , 当時としては 日本最大出力の機関車になった . 現在の EF66 形は 6 動 特のスタイルが採用された . 窓も 1 枚窓全面に近いよう 軸で 1 時間定格出力は 3900 キロワットである . な中央に細い骨が入って 2 枚に仕切ったような視野の広 プレーキシリンダは各軸 1 個ずつの方式を採用したの い構造になった . この窓付近のスタイル設計は鉄道ファ ンの意見がとり入れられたものである . 当時鉄道友の会 もこの機関車が最初である . 砂箱は各動軸に前後とも作 35

3. 鉄道ファン 1976年6月号

写真所蔵 : 本島三良 各軸に 2 個の主電動機をもっ世界最強力機関車として有名なスイスのⅡ 852. 今は引退してしまって , その活躍ぶりは見られない・ いう変わった軸配置をもっている . 前者はプフリ式で最 とスイスロコが作った 11300 ( 旧 11000 ) でプフリ式とシ 大引張カ 50t , 後者は SLM リンク式で 60t の引張力を ャンツ式駆動装置を片台車ずっ使った 3 車体式の試作機 もつ . 851 の方は 1961 年に改造されて前面がポンネット である . 本格的なゴッタルド機関車としては 1931 年製の 形から半流線形に変わっている . 11801 と 1932 年製の 11851 があり , IA ( ) ー A01A0 ー A01 と 11852 は各軸に二個の主電動機をもっ世界最強力機関 車として有名で , 制御方式は高圧タップ切換式の整流子 電動機機関車で , 両方の車体に主変圧器・タップ切換器 をもっている . 同じスイスの B L s 鉄道 270 形も直接式 だが新しいので二軸ボギー式である . ドイツ国鉄の機関車の中で , プロイセン王立鉄道とハ イエルン州鉄道からひきついだ初期の交流機関車の中に 風変わりなダブル・ユニットロコがある . 中でも E 91 は 3 車体の両端に一台ずっ主変圧器を搭載し , 中央車体が キャプになっているものと , C ー C 形で三車体のものが ある . スエーデン国鉄はキルナ鉱山の鉄鉱石輸送に 5200 トン けん引の重量貨物列車を走らせており , 古くからダブル・ ノルウェーのに形 スエーデンのキルナ鉱山の鉄鉱石輸送に偉力を発揮する Dm3 形 み 2

4. 鉄道ファン 1976年6月号

世界のマンモス機関車 敏 久保 E-3 3 車体構成のマンモス電機ではツキー山脈越えに使用された・ : ルウォーキー・セントボール鉄道のギャレスモータ式 EP 2 形 . シカコ。・、 A—I 連結形 機関車の発達の歴史は大出力化への歴史でもある . でき A—2 連節形 るだけたくさんの客車や貨車をけん引したい , できるだ ーット機関車 B ーダブル・ユー け高い速度で走りたいという希望は大量輸送システムと ーット機関車 しての鉄道のサービス改善やコストダウンにつながる大 C ーマルチ・ユー ダブル・ボディ機関車は主回路装置は一組しか持たず , きな要素であった . 特に広大な大陸を横断する単線鉄道 曲線通過性能などの理由から車体を 2 分割しているタイ の場合には列車単位の増大やスビードアップは線路容量 プで , わが国の EHIO をはじめ直流機関車はこのタイプ の増大や人件費の節減にいちじるしい効果があった . が多い . 連節形は Bo—Bo—Bo 形が代表的だが , 走行 機関車の出力はいうまでもなく定格引張カ x 定格速度 性能の面からそう大形でないのにかかわらず車体を分割 で定まるものであるから , いわゆる大出力機関車には主 しているもので , ここでいうマンモス機関車には入らな として貨物けん引用に使われる引張力の大きい機関車と いと考えてもよく , 他の大形機と比較するとちょっと異 旅客用の高速形機関車とがある . 引張力の最大値は動輪 上重量 x 粘着係数できめられてしまうので , 大きな引張 質である . ダブル・ユニット機関車は , ョーロッパの直接式交流 力を得るためには動軸数を増やす ( 軸重は線路の制約か 機関車やアメリカの機関車にみられるようにほとんど同 ら定められるので ) か粘着性能を向上するしかない . じ機能をもった二つの機関車を永久連結にしたもので , つばう高速性能は 1 軸当りの主電動機出力を大きくする それぞれ独立の主回路装置をもっており , 片運転台の機 ことができれは動軸数を増やす必要はない . 関車を背中合わせに重連したようなものだが , 機器配置 ここでは , EHIO 形と同じように二つ以上の車体を持 は点対称になっていないのが通例である . った世界のマンモス電機をとりあげてみようと思うが前 マルチ・ユニット機関車はスエーデンの Dm 3 形や , に述べた分類からいえは " 高引張カ形 " に属するもので アメリカの一部に見られるように運転台のない中間機関 ある . 車を組み込んだもので , 電車と同じような考えに立って いる . それでは重連や三重連とはどう違うのだろうか ? ダ プル・ボディ形は大出力にした場合 , ー車体では機器が収 容しきれないために二つの車体に分散配置しているので ■マンモス機関車の分類 よく内容をみる 複数の車体をもったマンモス機関車も , といくつかの種類があることがわかる . A ーダブル・ボディ機関車

5. 鉄道ファン 1976年6月号

パン・タグラフが中 央に寄ったスタイ ルの試作形 EH104 写真 : 三森康亘 パンタグラフの取 り付け位置も変更 された量産形の EH IOI 5 東京機関区にて 写真 : 三森康亘 た容積を設けることができた . 広々とした運転室は乗務 は国鉄当局とかなり友好的に密接して会活動をしており 員にとってはきわめて好評であった . 当時としては狭い 会員達の有志が積極的に国鉄幹部などにもいろいろ建設 運転室に慣れていた連転関係者達にとって , あまりにも 的なアイディアを進言していた時代で , 会員の萩原政男 運転室環境が良くなりすぎたことと , 揺れマクラ付のボ 氏 ( 萩原建築デザイン事務所を経営 ) のアイディアがも ギー台車機造から乗心地い良くなったことと併せて , か とになって国鉄車両設計事務所でとり上げられて実用化 えって居眼り運転が生じやすいのではないかと心配する したものと記憶している . この窓まわりの構造はクモハ 者もあったくらいである . 101 以降の新性能通勤電車の正面窓にもとり入れられた . 2 車体間の連結は蒸気機関車の機関車とテンダ間のよ 前照燈は流線形の EF58 よりもさらに車体に埋め込まれ うに中間引張棒 ( ドローバー ) とバネ式緩衝装置によっ た形になった . て永久連結され , 車体間の渡りは鋼製ホロによっておお 車体の機器室は 2 車体にまたがり双方に電気機器を重 われている . 連結面間の距離は 340 ミリメートルという 量が均等になるように配置されている . 特に新設計され 短いものにして連結部の妻板はやや傾斜をつけて急曲線 た機器としては強力な電動機総出力に対応して高速度シ の通過に支障ないようにしてある . 永久連結面間には主 ャ断器に一段と高性能なものが要求され開発が行なわれ 回路および制御回路の電線を連結しなくてはならないが て , C B 16 形となった . この高速度シャ断器は E F 60 ・ EHIO による電線連結の技術はその後モハ 101 をはじめ E F 80 などにもその後使われているものである . とする新性能電車にも採用されて MM' を電線でつなぐ 機器室を従来よりも余裕ある広さにとってもなお両端 ことによって 2 両ユニットが電気車両には一般的なもの の運転室はデッキ付の在来の電気機関車よりも広々とし 36

6. 鉄道ファン 1976年6月号

三 3 ーを ! 、、ゞこノよ都 たところではあまり変わったように思われないようだ . ず外観上最も目立つのは車体中央に寄ったパンタグラフ 昇降スラップは台車に取り付けられるようになり , 砂箱 とモニターであろう . モニターは量産機よりかなり大き の寸法および連結面の形状・飾り帯の幅 (70mm) 等に く通風用のガーラントべンチレーターがよく目立つ . ま 変化があらわれた . さらにスカートの一部が分割されス た昇降用ステップが車体に取り付けられ , 連結器回り・ ノープロウが取り付けられるようになった . スカート・台車の形状等が量産機と若干異なっている . 高速運転用試験機 E Ⅱ 1015 さらに車体中央の帯の幅が 50mm と量産機より狭くなっ 将来の旅客用高速電機の試験用として EH1015 は昭和 30 ていることも忘れてはならない点である . ところで試作 年 10 月東芝において作られた . そのため車体関係は量産 機の重量が予定より若干重くなり , なおかっ機器配置の 機と同様でありながら主電動機および歯数比等が異って 関係で軸重が均一になっていなかったという話は有名で いる . 一般の EHIO の主電動機は MT43 であるが , この あるが , ここに EH103 の完成当時の軸重を一例として 15 号機では SE174 と呼ばれるものを使用している . こ あげることにする . の S E174 は定格回転数が 1000rPm となり ( MT43 は 800 動軸 .28 16.02 15.56 . 74 16.15 .41 .84 . 20 軸重 (t) rpm), また小形軽量化も計られた . いつほう歯数比は 17 : 77 となり ( 一般形は 21 : 77 ) 高速特性を向上させて 量産機 E Ⅱ 105 ~ 14 , 16 ~ 64 いる . また一時的にではあるが電磁直通プレーキが取り 昭和 30 年から製作が開始された量産機では , まずパンタ 付けられて試験が行なわれたが , 昭和 33 年稲沢二区へ転 グラフが車端に移ったことが大きな特徴である . またそ 属のさいに使用中止となり , さらに昭和 35 年に関係機器 れにともないモニターの形が小形になった . そして軸重 が撤去されてしまった . これら電磁直通プレーキに関す の均一化を計るため車体が 200mm 延長されたが , 一見し E Ⅱ 10 形形式図 No. ー ~ 4 8 7 6 5 4 3 2 1 区図図 0 皿 図区図 ・ / 0 い 0 / 04 よ 0 、ドンなを 502 3 ん 0 3 / 00 ~ 300 3 イ 00 ~ ~ 300 3 ル 0 / 900 / 900 円 00 3000 イ 50 3450 図、図 = 〇 〇 4 0 工図図、図 一二図 ' 図ロ / 0 し / 00 0 0 、 CZ / イ 3 囮 0 3 / 2 ~ 500 76

7. 鉄道ファン 1976年6月号

軸上重量は 14.8 トンである . しかるにでき上った試作機 E H101 号機 ( 川崎車輛製 ) では空車重量で 128.7 トン , EH102 号機 ( 日立製作所製 ) で空車重量 126.59 トンの 実側値であった . 動軸重量では運転整備で最大 16.4 トン になり , 計画より 10 % 強の軸重増加になった . 軌道構造 さえ許されれは貨物用機関車で軸重の大きいのは許容さ れるところであるが , やはり重量増加は軌道に対しても おもしろくないし , 車両価格構成上も望ましくないので 量産車の 5 号機以降はあらゆる面から重量軽減のための 設計改良が行なわれ , 1 年がかりで検討された上 , 昭和 30 年度に製作された 23 両の EH 105 ~ 27 号機にその成果 が実現した . その結果実測重量は空車重量で 114.77 トン となり試作時の空車重量よりもさらに 2.7 トンほど軽量 化が行なわれた . 空車における動軸重量は平均 14.35 ト ンとなった . ただし機関車の全長はこの軽量化設計変更 で 200 ミリメートル長くなり , 全長は 22500 ミリメートル となった . これは車体そのものは同じであるが , 連結面 間距離が 200 ミリメートルだけ長くなったものである . EHIO 形の車体塗色は , これも前述萩原政男氏の意見 特徴ある前面窓まわり・カ強いマンモス電機として貫禄十分のツラガマエ がとり入れられたものと記憶する . 今まで電気機関車の 写真 : 三森康亘 標準塗色は茶褐色のブドー色 2 号であったが , マンモス 機関車のシンポル塗色としては黒が採用され , 逆に足ま として踏襲されるようになった . わりの台車は灰色を使った . この車体を黒色に決めるこ パンタグラフもこの機関車から新しい形式が登場した とについても , 最初試作車では EH101 と EH104 が黒 P S 15 形と称するもので , 外形上の変化としてはワク組 色で EH102 と EH103 は茶褐色であった . 量産車から が N トラス構造で , それまでのタスキ状のオーソドック は黒色に統一されるにおよび , すべての機関車が黒色の スから変わった . この形状変更は軽量化をはかったもの ボディに黄色の細帯 2 本が入ったもので , 現在に至るも である . パンタグラフの車体取り付け位置は最初 1 号機 そのままになっている . この黒い車体に黄色の帯を配し から 4 号機までの試作車には内側に寄った E F 56 とか E たのは戦前からの宅扱い小口急配用貨車ワキ 1 などのポ F 571 号のようなスタイルであった . 車両設計事務所と ギー有がい貨車が黒色に黄帯を配して使われていたこと しての考え方としては 2 車体永久連結方式であるから主 からヒントがあったもので , E H 10 によって高速のボギ 機器回路の電線長をできるだけ短くして , 配線上の安全 ー貨車を長大編成して最高 85 キロメートル / 時の輸送を と重量軽減を考えて永久連結部にパンタグラフを寄せた イメージしたものである . 鉄道ファンの仲間ではこの色 かったわけである . この両パンタの中心距離 4400 ミリメ 彩イメージから " 熊ん蜂 " のニックネームを与えるもの ートルであった . しかるに試作機が登場して試運転を沼 があるが , 強力な貨物用機関車らしいことを言いあらわ 津機関区を中心に開始した頃 , 電気局電車線保守担当技 したものと思う . 術陣の方から , この機関車はあまりにもノヾンタグラフ間 が近寄りすぎて架線の総体押上げ作用が局所的に大きす ぎるので架線保守上困る , またさらに架線とバンタグラ ■米原電化の完成とその後 フの集電にも悪影響が生じるおそれがあるのではないか 昭和 30 年 7 月 20 日東海道本線電化工事の一部分ではあっ との苦情が出た . そこで鉄道技術研究所の測定技術員も たが , 稲沢一米原間の電化開通が行なわれ , 関ヶ原越え 参加して実測データを検討した上で , 量産の 5 号機以降 区間もついに無煙化した . 当時私は国鉄本社連転局機関 は車体の外寄りに改めることにした . 改良されたパンタ 車課 ( 今の車務課 ) の課長補佐をしていたが , 運転局長 グラフ取り付け位置間隔は 15800 ミリメートルとなった . から代理を命ぜられ米原機関区の電気機関車受け人れ設 備完成式に出席した . そのとき難所の関ヶ原も試作の E ■試作から量産へ H10 が楽々と連続勾配を貨物列車を引いて登ってゆき , つぎに , 試作機の実測結果で問題があったのは機関車全 また近く大阪まで電化完成する次の年の準備として量産 重量の超過である . 設計時の空車重量は 117.5 トン , 運 の EHIO がたくさん勢揃いしつつある情景を眼のあたり 転整備で 118.4 トンであった . 連転整備における平均動 に見て感慨無量なるものがあった . 当時国鉄中部支社運 37

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p E N N S Y L V A N 】 A 機関車で , 後にのべるアメリカの E p 2 形と同じダイレ 600 形という機関車は GE 製の ED14 に似た箱形車体の 珍らしいダブ・ルボディ形のものがある . P. O. 鉄道の E レアン鉄道が作った第三軌乗式の旧形直流機関車の中に フランス国鉄はバリ・リョン地中海鉄道 , バリ・オル も見かける . 4 9 41 アメリカで最強力の六 ニヤ鉄道のタ・プル・ロコ 28 形 . 3 ( 期 ) t の貨物列車を引 いて 50 km/h のスピード で走破する . ペンシルノくニア鉄道の GE 製ダブル・ロコ クトドライプ ( ギャレス ) 形の機関車で車軸にモータの 電機子を取り付けてある変わり種だが走行特性がきわめ て悪かったらしく , 1929 年に 1 車体の機関車に改造され てる . ( 付図参照 ) ソ連は EHIO とよく似た VL8 形を 1955 年に製作して から直流回生プレーキ付の VLIO , 交流の VL80 交直両 アメリカのマルチ・ユニット形ロコ . シカゴ・ミルウォーキー・セント玉ール鉄道の EF 3 形 0 ■ー

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PS 22 B パンタグラ フの姿で , 全検終了 後の本線試運転をす る EHIO 幻 芦屋ー西宮間にて 1976 ー 2 ー 23 写真 : 岩堀春夫 するもようであるから , 大きなパンタグラフを付けた E 新形の PS15 を使用していた . PS15 は旧形電機用とし H 10 の姿をカメラにおさめるのは今の内ということにな ては最後のバンタグラフで , 以後より小形な PS17 へと ろうか . 大きな車体に小さなパンタグラフと全体にアン 移っていった . EHIO が他の形式のバンタグラフを取り バランスな感じはぬぐえないようだが , 見方によっては 付けた例としては , 過去に一例だけ見ることができる . そ 新生 E H のごとく感じられる面もある . 読者のみなさん れは EH1035 で昭和 34 年 6 月にスリ板試験のため No. 2 はどちらのタイプをお好みであろうか . なお表 3 に改造 パンタグラフを P s 14A に交換したもので , その後本来 の P S 15 にもどされている . ところが最近になって , 従来 表 3 E Ⅱ 10 パンタクラフ改造一覧 ( 予定をふくむ ) 用いられてきた p s 15 の部品の補充がつかなくなりこの まま P S 15 を使用することがむすかしくなってきた . そ こでこのさい直流電機すべてに使用できる新標準パンタ 入場予定日 吹 改造確認 EH ー 02 ー 2 月 23 日 グラフを開発することになった . このいきさつや構造に ついては松田清宏氏が述べておられるので参照願いたい EH ー 030 稲 改造確認 3 月田日 さてこのようにして登場した下枠交差の PS22B はます 吹 EH ー 054 4 月 6 日 E H10 に取り付けられることになった . その第 1 号機は 吹 EH ー 0 6 4 月日 本年 2 月 23 日に鷹取工場で落成した EH1021 で , その後 吹 EH ー 0 ー 2 4 月 23 日 3 月には 30 号も交換されている . 今後は順次 PS22B に 予定 予定 予定 ( 注 ) 改造は鷹取工場 EH 64 EHIO ラストナン・ノく一 No. 64 柏原ー近江長岡間にて 円 75-3 ー 9 写真 : 諸河久 プ 9

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の終了したものと今後の予定 ( 一部 ) をあげる . 塩害対策 手スリおよびステップ EHIO は東海道・山陽を走る関係で , 海岸線を走ること 完成当時の EHIO は前面のスタイルもあっさりしており が多い . そのような区間ではガイシ等に塩分を含んだゴ 手スリ類もほとんどなかった . その後保守作業や誘導者 ミが付着し , 雨などにより絶縁破壊をおこすことがあっ の便を計るために手スリおよびステップ等が追加され た . そこで , このような事故をなくすためにパンタグラ た . その主なものとしては , まず前面窓下の手スリおよ フ台および渡り母線等の絶縁強化を行なった . またヨロ び連結器上のステップがある . これらはいずれも前面窓 イマドに対しても錆止等の改良を行なっている . このよ ガラスの清掃やワイバー等の保守の便を計るために取り うな一連の工事を合わせて塩害対策工事と称し , 昭和 34 付けられたものである . この内ステップは連結器解放テ ・ 35 年に行なわれた . しかし工事対象機は吹田第二区の コの関係で中央部で分かれている . 改造工事は昭和 36 年 車両に多く , 稲沢第二区の車両については履歴等によっ から 42 年ごろまで続けられた . また同じころスカートに ても記録を発見するにいたっていない . 取り付けられている誘導者用ステップが改良され , テー 機関車塗色の変更 ルライト脇の手スリも大きくなっている . これらの改造 EHIO が出場した当時は , 試作機と 15 号機を除いて黒の は新系列電機と合わせるために行なわれたものと思われ ボデーに灰色の台車回りといういでたちであった . また る . さらに昭和 45 年になると一部の車両に対してではあ 車体が茶褐色であった 2 ・ 3 号機はいずれも早い時期に量 るが誘導者用ステップにスペリ止が取り付けられた . ( 58 産機と同じ塗色に統一された . そして高速試験用の 15 号 ・ 60 号等 ) 機についても試験終了後 , 稲沢第二区へ転出したさい茶 色から黒にあらためられたものと思われる . さて , 車体は 下り貨物を引き , 根府川付近を行くトッブナン六一 ップ朝 戸イいイい 4 一 4 レ 4 4 イみイ」み . い帳をン