品川 - みる会図書館


検索対象: 鉄道ファン 1976年7月号
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1. 鉄道ファン 1976年7月号

言をに 向け EL は , 常磐線勝田から田端操・山手貨物線経由で 塩浜操・神奈川臨海鉄道経由して千鳥町へ輸送され , 富 士重工宇都宮工場で新製されたナイジェリア向け PC は 日光線鶴田から同じルートで輸送された . 6. 車両転配 中央東線の 115 系化のため , 日本車輛豊川工場から三鷹 区へ新製 115 系が , 東海道 , 品川 , 山手貨物 , 新宿 , 中 央線経由で到着 . ねん出された旧形 71 形が , 三鷹区から 次の職場である広島へ同じルートで回送されていった . 7. 廃車予定車回送 南武線で使用されていた旧形 73 形は , 一部 101 系に置き かわっているが , ねん出され , 廃車予定となった 73 形は いったん武蔵小金井区へ回送 , 武蔵小金井から中央線 , 新宿 , 山手貨物 , 品川 , 東海道線経由で解体される大船 工場へ回送される . このさい , 南武線 73 形は , ATS— B 形のみ設置されているため , 可搬式 A T s ー s 形を設 置して回送されることとなる . 8. 電気試験車 , 軌道検測車 電気試験車クモヤ 191 や高速度軌道検測車マヤ 34 を旧形 電車がはさんだ軌道検測車 , 架線試験車クモヤ 93000 な " おじゃま虫”というニックネームをケえたい貨車移動用のディ・ -- ゼル機関 どが年 4 回ぐらい運転されている . 車 . 山手線内では巣鴨駅で見られる . 1976-3 写真 : 後藤文男 9. お召列車 お召列車は原宿宮廷ホーム発着が原則であるが , 最近公 については , 本誌 180 号「初詣団臨レポート」にくわし 式お召 ( 植樹祭・国体 ) は , 東京駅発着であり , 原宿発 くのべられているので , これを参照していただきたい . 着は , 伊豆・那須のご用邸でのご静養のために , 原宿ー なお , 来年もこれとほほ同じバターンで運転されるであ 伊豆急下田間 , 原宿ー黒磯間に運転される 157 系御料車 ろう . また , 集約臨には , ほとんど電車 ( 155 ・ 167 ・ 165 編成のお召列車だけである . なお , この 157 系御料車編 系など ) が使用される . 成の方向転換は , 品川一恵比寿ー蛇窪一品川の三角線で 行なわれる . 試運転は , 品川一東京間で行なわれるが , 以上 , 山手線 ( 山手貨物線をふくむ ) を走るウグイス 品川一黒磯間 ( 山手貨物線経由 ) で行なわれる場合もた 色の 103 系と貨物列車以外の列車をとりあげて解説した . びたびある . 文章の中に出てくる臨時列車は , ほとんど今年へ入って なお , 山手貨物線品川一新宿間で , 田町電車区の電車 からの新しいものをとりあげた . たいへん身近であるた 連転士が 167 系を使用して 2 往復乗務員訓練が行なわれ めに見のがされがちな山手線にも , けっこうおもしろい る . 列車が走っていることを知っていただけれは幸いであ 10. 品川始発 る . 年末やお盆時の上野駅混雑緩和のため , 奥羽・磐越西線 山手沿線に広く活躍する DDI 3 形 . 若番がそろっていることもファンにと 方向への急行列車は , 品川駅始発に変更となる . そのた って大きな魅力・ 池袋にて円 76-4 写真 : 後藤文男 め , 品川・大宮のルートは , ほとんどが東京・上野経由 ( 高架経由 ) であるが , 2 ~ 3 本は山手貨物線経由で運 転される . 11. 団臨 山手貨物線経由となる列車は , 千葉地区←東北・高崎・ 東海道線方面と , 中央線←東北・高崎・東海道線方面 , そして東海道線→東北・高崎線の一部列車である . 団体 臨寺列車は , ます 1 月の初詣臨 ( 成田臨・高尾臨など ) , 舂夏秋の集約臨 ( 小・中学生のⅡ光・鎌倉などへの修学 旅行・遠足など ) が中心で , そのほか大口団体の臨時列 車が月 1 度ぐらいの割で運転されている . なお , 初詣臨 : マ 8 工に第当 234 当 23

2. 鉄道ファン 1976年7月号

荷物電車・配給電車配置表 品川電車区 2 ・ 004 ・ 85 . 86 ・ 007 ・ 0 田・ 0 Ⅱ・ 012 ・ 013 ・ 016 ・ 030 ・ 033 クモル 23 ()()0 ・ ()01 ・ ) 2 ・ 003 ・ ( 4 ・開 6 ・ 87 ・ 0 Ⅱ・ 020 ・ 1 2 両 1 両 10 両 7 両 クモニ 1 3 クモル 24 051 0 ( 用・ (Å)I ・ 82 ・ 00 生・ 85 ・ 020 ・ 021 クル 29 写真 : 太田正行 1976-4 恵比寿にて △クモャ円 1 るため運転される . 2. 配給電車 配給電車は , 工場と各電車区の間で部品などのやりとり を行なうために運転される電車であり , 東京地区と大阪 地区の電車区あてにだけ運転されている . 他地区では客 車または貨車を「配給車代用」として列車に連結する . さて , 配給電車は荷物電車とちがい不定期運転であり 毎日は運転されない . 平日を中心に運転されている . 使 用車両は , 17 メートル車からの改造のクモル・クルであ り , 所属は品川区である . 編成は , 主にクモル十クル ( またはクモル ) の 2 連 . なお , 配給電車の運転士は , 運転区間が広範にわたるため , 東京周辺は , 品川電車区 荷物電車運用表 品川区 MC3 クモニ 13 KO ー 第三 = 三三 写真 : 太田正行 1975 ー 10 ー 29 五反田にて △クモヤ 93000 桜木町 東神奈 蒲田 大崎 回灯 200 テ 回 K ロ田デ に .23 川 に .52 ロ .06 K ロ田デ 図 .23 図引デ 40 デ .52 ロ .47 .29 給 .46 回剛 600 デ .38 .44 ロ .08 ロ .22 回 K ロ 02 デロ .00 い 3.38 ) い 3. ロ ) 図 .02 い 4.03 ) ー 6.02 い 6 コ 3 ) .30 ロ 503 デ ー 6.44 い 6.28 ) い 6.43 ) 回灯 304 デ ロ .54 回灯 405 デ」 3 ー 4.06 い 4.09 ) い 4 」 6 ) ー 4.44 い 4.43 ) K ロ 02 デ ー 4.55 い 4.57 ) 灯 503 デ ー 5 コ 2 い 5.23 ) K03 ロ .32 写真 : 大田正行 △クモハ 73 に引かれるマヤ 34 品川にて円 75 ー 10 マナイジェリア向け客車目白にて 1975 ー 8 ー 22 写真 : 太田正行 K05 K 05 デ 9 ー 0 5 2 3 5 4 5 5 5 東新 京宿 回 YD に田デ 回引 300 デ D 田デ に .00 ー」 2. 井 ロ .30 三鷹 コを一 ロ .49 .35 YDO ー ム .03 回引 600 デ 回 YD 円 00 デ 20.05 回 YD に田デ 回引 402 デ D 03 デ 回 YD 円 00 デ 図 .54 .20 YDO ー .49 田 .2 &—0 ロ . 引 ( ) 時刻は土休日 回 D ロ 02 デ 20.05 27

3. 鉄道ファン 1976年7月号

山手線 イラスト・マップ 新宿ノッホビル 駅名の由来となった工ビスビール 立川 甲府 新宿 駒込ー大崎は山手貨物線と並走 山手線 1 〇 3 系と赤羽線 1 〇 1 系のねくら 池袋電車区 渋谷駅前の 忠大ハチ公 00 0 中央線 恵比寿 赤羽線 原宿 赤羽 目黒 目白 高田馬場 新大久保 池袋電車区 池袋 配首 300 両を越える 2 階建の品川電圭区 山手貨物線 大塚 五反田 大塚て生き残り最後の 都電荒川線を オーハーワロス 代々木 博多 新大阪 新鶴見 新幹線 品鶴線 品川電車区 , 大井工場 00 0 ファッショナフルな街の ファッショナフルな駅原宿 0 駒込 新宿ー新大久保閻て中央線を オーハーワロス 横須賀 横浜・大船 ロロ →大宮 新橋駅前の CI ・ 1 292 レンカ造しつの東京駅 上野の IIJ の西郷さんと パンタらやん 品川名車区 田電車区 東京機関区 田町 東北本線 →大宮・高崎・宇都宮 →柏・水戸 常碆線 フルートレインけん引の EF65 ぅ 00 や あ召機 EF5861 等のねぐら 東京機関区 眺望抜群の浜松明買易センタービル ( 本誌 111 号 ) なんと 10 線区 ( 日本一 ) 名車切申の推進運転もここだけの珍風景 イラスト : 広吉秀治 東京地下駅に展示されている C6215 の

4. 鉄道ファン 1976年7月号

山手線電車の移り変わり 吉川文夫 川一渋谷ー新宿ー池袋ー田端は山手の台地を走っている 山手線は東京の都心部をぐるりと一回りする国電の線区 が , 上野ー神田一東京ー田町あたりは下町のなかを高架 でめるが , この一回りのうちの山手線は品川一池袋ー田 線で走っているのが現状である . 端間だけであって , 品川一東京間は東海道本線 , 東京ー 東京の地図のなかで山手線の占める位置はかって東京 ・ということは 田端間は東北本線に属するのが正しい・・ すでにご存知のとおりである . しかし一般の都民は山手 の人々が下町と山手をもって都心部と周辺部を区分した 線といえは , この 1 周する区間すべてを含めて言ってい ように山手線の輪の中とその沿線を都心とし , これから ることが多い . 今日 , 特に線区の正式名称にこだわらな 放射状にのびる私鉄や , 中央・常総・京浜東北などの国 電区間を東京の郊外として区別している . しかし宇宙は いで , 通俗的な名称としての山手線を使用させていた だく . また池袋ー赤羽間の折り返し区間も赤羽線とかチ 拡大しているのと同様 , 東京も大きく拡大しつつあり , ョコンとしか走らないので「赤ちょん」とか言われてい 郊外という言葉から「東京」と「横浜・千葉・埼玉」の るが , これも昭和 47.7.14 までは山手線であった . とい 首都圏に区分されるときもままある . 交通機関的に見た うより本来はこちらが本線で , 池袋一田端は発生的には 場合の山手線は私鉄にとっては東京という城の城郭であ って , 地下鉄または地下鉄乗人れ以外はすべてこの山手 分岐線なのである . 明治のころの東京は下町と山手という形で , 都心部と 線を都心への接続点としており , それより内部へは立入 その周囲を区分していた . 江戸時代から市街地としてひ 禁止となっている点が目立つ . それゆえ山手線はこれら らけた今日の区でいうと中央・港・台東・千代田などが の私鉄からの乗客をうけついで , 東京の中心街へ運ぶ役 下町であり , これに対し , やや高台になった新開地を山 割をつとめているわけである . 首都圏で生活している人 手と呼んだのである . 日本鉄道が品川一池袋ー赤羽間の 間集団にとっては山手線はこれらの接続役としてまこと 品川線を開通されたのが明治 18 年 , そして池袋から田端 に便利な存在で , 同窓会や鉄道ファンの集まりでも山手 までの豊島線の開通とあわせて山手線と改めたのが今日 線の沿線を会場として選定すれは , だいたい皆んな集ま るにも「会場が不便だ」と苦情が出ないのが常である . の山手線の名称のはじまりで , 山手線一回りのうち , ロロ 図 1 明治 42.12 の電車運転区間 1. 明治のころ 国電のはじまりは , 甲武鉄道が今日の中央線を電化して 赤羽 電車運転していたものを明 39. の買収により引き継いだ 四輪単車であるが , 国鉄の手により電化工事がなされた のはこの山手線が 1 番目で , 日本鉄道からの買収線区 , 品川一池袋ー田端ー上野 , 池袋一赤羽間を電化し , 品川 一鳥森に電車線を新設して電車連転を開始した . この時新造された電車はホデ 1 ~ 10 号ボギー車で , 甲 武鉄道の引継車が四輪単車であったのに対して全長 52 ' ー 11 ″と大形になった . この車両はのちの改番でホデ 6100 形とされたが , モニタルーフ , オープンデッキ , 屋根の先 端部にポールをつけた木造車で , 車体は日本車輛 , 電気 品はドイツのシーメンスシュケルト社製であった . 甲武 から引き継ぎの単車デ 963 形などは連結運転時の総括制 御が可能であったがこのホデ 6100 形は直接制御装置式で 車体を大きくしたから , との判断であったのかも知れな いが , 数年後には 2 両連結運転が開始されることになり 制御器を改造せざるを得なかった . このホデ 6100 形 6100 ~ 6109 の 10 両の仲間は大正 5 年に新宿庫の火災で 5 両を 焼失したが , 阪急 90 形となった 3 両と , 国鉄に残存して たびたび改造をうけながらも残った 2 両はサハ 25029 , やまのて したまち 田端 池袋 飯田橋 上野 昌平橋 中野 0 東京 ( 未開業 ) 0. 新橋 四谷 森 黒 電車運転区問 ー東京市内 . ロロ 36

5. 鉄道ファン 1976年7月号

北についてはその相互連絡の主体が武蔵野線に移行され 蔵野線開業後も同線へ運用されていないことは特筆に値 たため , 非常に密度は低いようである . すると思われよう . また山手貨物線へは年間をとおして団体のための臨時 ⑥高崎第二区 EF15 高崎第二区のいわゆる " 上越形 " の EF15 は最近まで山 旅客列車が比較的多く運転されており , これらのけん引 には EF13 ・ 15 ( 八 ) EF57 ・ 58 ( 宇 ) EF64 ( 甲 ) 等 手貨物線に多く乗り入れていたようであった . しかし武 があたっており , 非常にバラエティーに富んでおり興味 蔵野線の開業により , 山手貨物線への乗り入れは昼間わ がつきない ( これらについては本誌 180 号を参照された ずか 3 往復となったようである . い ). 特に団体とは関係なく , 多客時に中央東線に運転 ⑦宇都宮区 E F65 ” される臨時列車 ( 例 8404 レ " たてしな 51 号 " 等 ) は必す山 51.3 の武蔵野南線の開業以前は同区の EF65pp が山手 手貨物線経由で品川までの回送がともない , EF64 が品 貨物線の主力機であり , 多くの列車をけん引して新鶴見 川入りする姿は多客時ならば毎日見ることができよう . 操へ乗り入れていたようだが , 高崎第二区同様武蔵野線 の開業後は山手貨物線への運用は激減し現在は昼間 2 往 これは 50 年 3 月に飯田町客車区が廃止されたことによ 復足らずとなってしまったようである . り , 中央線関係の客車は品川区扱いになったためであり , 同線の新しい魅力といえよう . 東海道・山陽線方面からの 60 系電機 現在山手貨物線に乗り入れてくる東海道・山陽方面から < 尾久・上野一品川間連絡列車 > の新系列電機は浜松区の E F60 , 稲沢第二区・吹田第二 田端操ー大崎間の山手線の西半分が首都圏を起点とする 区・岡山区の EF65 および米原区の EF65F と相変わら 貨物列車の " 接点 " ならば , 東半分の田端 ( 尾久 ) ずのにぎやかさをみせている ( これらの運用については ロロ 表を参照していただきたい ). またこれらはいずれも武 川間は各線の旅客列車における " 接点 " ということがで きよう . 現在東北・高崎・常磐の各線からの東京乗り入 れはみられなくなり , " 接点 " としての性格はうすらい だかのように思われる . しかし尾久・品川の客車区の連 ー第←ー 絡列車 ( 例 1941 レ等 ) が定期で毎日運転されている . こ れらは車両の貸渡・返却の激しい多客時に特に編成が長 大化するのを除き , 通常 2 ~ 6 両の短い編成である . け ん引は伝統的に昔から東京区の EF58 があたっており , 現在では東京区の EF58 では唯一の定期仕業となってし まった . また運用の関係から浜松・宮原・米原各区の E F 58 が運用されることもまれにみられるようである . その他隅田川一品川間には荷物の連絡列車 ( 例 2935 レ ) も運転されており , これらの小運転列車には一昔前まで は東京駅の入換も兼ねて東京区の EF50 が運用されてい たが , その後同区の EF53 に置き換えられ , 現在では同 △山手線の荷物電車クモニ 13 新橋付近にて 1975 ー 1-15 写真 : 諸河久 区の E F 10 ・ 15 が運用されており , これらのけん引する 配給電車クモル 24 ・クル 29 のコンビ 荷物列車は同線の大きな魅力ということができよう . 写真 : 後藤文男 高田馬場付近にて 1976 ート 24 ー山手線の荷電や回送列車などのバラエティー 読者の方々で , 山手線にクモニ 13 単行の荷物電車やクモ ル 24 の配給電車の走るのを見たことのある方もいらっし やることと思う . 本稿では , いわゆる「山手線」 ( 山手 貨物線をふくむ ) に運転される荷物電車・配給電車・エ 場入出場などのための回送 , 団体臨時列車などの特殊な 1. 荷物電車 荷物電車は , 品川区のクモニ 13 が使用され , 1 日 5 連用 走っている . この荷物電車は , 新聞輸送が中心で東京駅 ( 一部は新宿駅 ) へまず回送され , 東京駅で新聞を積み 込み各方面へ向かう . 新聞休刊日でも , スポーツ紙があ マ 20

6. 鉄道ファン 1976年7月号

ーを第第を 笊ツ山橋で国鉄とオー ークロスする京急 ”快特” 10g 系 1976 ー 4 ー 10 写真 : 小田知昭 ■山手線と出会う私鉄電車たち なわれ , 泉岳寺で都営 1 号線と接続している . 京浜急行 はオールマイティーの 1000 系特急が押上まで , 都営は 東京に集まる私鉄は , そのほとんどが山手線の駅を起点 5000 系の急行が川崎まで乗り入れている . 行楽時や年の として郊外に向かって放射状に伸びている . この起点は 始めには京成の車両もはるばる成田から三崎口までの直 ターミナルとして栄え , 特に複数の私鉄が乗り入れる渋 通連転で乗り入れ色彩りをそえている . 谷・新宿・池袋は副都心とまでいわれるようになった . 戦 五反田 < 東急池上線 > 山手線大崎寄りの高架 3 階か 前は陸上交通事業調整法により私鉄は山手線内に乗り入 ら蒲田へ向けて走る小規模の都市間連絡線で , 昔から東 れることができなかったので , 郊外からの私鉄の乗客は 急旧形車の宝庫として有名で , いまも名車 3450 形が主力 都心へ出るのに , 必ず山手線に乗り換えなくてはならな で活躍している . 山手線から出る私鉄線で全車旧形車で かった . 今日では , 地下鉄による相互乗り入れが盛んに 統一されているものは他にはなく , 貴重な存在であるが 行なわれるようになり , 必すしも山手線に乗り換える必 冷房車が 1 両もないため乗客の評判はすこぶる悪い . 要性はなくなった . しかし , ビジネスはともかく , ショ ッヒ。ングは相変わらず私鉄のターミナルが中心で , 私鉄 五反田では東急池上線の旧形車を楽しめる 1976 ー 4 ー 10 写真 : 小田知昭 系のデパートが繁盛している . 山手線に乗れは居ながら にして東京の私鉄を知ることができ , また国鉄とは一味 違うバラエティーさを楽しむことができる . 国鉄特急の 魅力を満喫したあとは , 色とりどりの私鉄電車の魅力を 味わってみるのもよいだろう . 品川く京浜急行線 > 山手線に隣接した高架ホームに 発着する赤い電車で , 川崎・鶴見などの京浜工業地帯の ど真中を走り抜け横浜から三浦半島にまで至る , 関東で 品川を出るとすぐ は珍しい広軌を採用した私鉄である . にトラス橋で , 山手線・京浜東北線・東海道本線などを オーバークロスしている . 昭和 8 年までは , この付近 ( 八ッ山橋 ) から品川駅前まで京浜国道を走り , 市電も 乗り入れていた . 現在では乗り入れは地下鉄によって行 ーぎのクツ , , 、をロチを

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よーよ 1 山手当丿 0 0 さらに , 防火対策も強化するとともに , 客室のシートも 寸法 , クッション等が改善され新形式に近いものとなっ た . これらの改良を行なった最初の車両はクハ 103 ー 269 で , 山手線の池袋電車区に配置された . 山手線ではまず 量産冷房車のクハから置き替えられ , さらに従来の未冷 房編成へもおよぶようになった . また同時に中間車も冷 房付の新車が落成したが両数が少ないために全車冷房車 という編成は少なく , 両端の 3 両ずつが冷房車で中間 4 両が未冷房という編成が多く見られた . さらに , 中には 先頭車のみ ATC 準備車に置き換えたために冷房電源が なく , 先頭車のクーラーすら使用できない編成もあらわ 山手線の車両基地池袋電車区に並ぶ】 03 系 ATC 準備車 1976 ー 4 ー 18 写真 : 斎藤千春 れロの悪いファンの間では " キセル編成 " というアダナ が付けられていた . しかし , ATC 関係の新車の増備な いつばう先頭車ではヘッドライトがシールドビーム 2 燈 どによって , 昭和 50 年 1 月現在冷房化率は 31 % になった . 化され , 正面のスタイルが変更された . 昭和 49 年に国鉄 ところが ATC 関係の工事は順調には進まず使用開始は では大都市の国電区間に ATC を採用することを決定し 昭和 54 年まで延期されることになったようである . その 首都圏では , 山手線の他にも京浜東北・赤羽・根岸の各 ため在来車を改造した ATC 搭載車は今のところ登場し 線が選ばれ , 当初は昭和 51 年使用開始を目標に車両・地 ていない . ところが昨年から先頭車ならぬ中間車の改造 上両方の工事が行なわれることになった . 車両面では A が行なわれファンを驚かせた . この中間車の改造は冷房 TC 関係機器の搭載が可能なクハ 103 を新製し , それを 取り付けおよび行先表示機の新設で最近多く見られるよ 在来のクハと置き替え , 不足分については在来のクハを うになったようだ . しかし , これらの改造冷房車は中央 改造することになった . 新しいクハ 103 は当然のことな 線の 101 系冷房車と同様に窓がユニットサッシ化されて がら冷房車であるが , 運転室窓が上昇し正面のスタイル おらず , 客室のシートも従来のままなので乗ればすぐ識 も一変した . また , ATC 関係の機器を搭載するスペー 別することができる . スを確保するため運転室が広くなり , 運転室直後の戸袋 さて現在山手線の 103 系は池袋・品川の両電車区に分 窓がメクラになった . けて配置されている . このうち品川区は実際には大崎に あり , 2 階になった検車庫と留置線がユニークな電車区 で , 昭和 43 年 10 月に完成し約 400 両の収容能力がある . 京浜東北線の南行き電車で大井町駅に入る直前に右手に 見えるのがそれである . 現在は 103 系 260 両 ( Tc 一 52 両 T ー 52 両 , M ・ M ′ー各 78 両 ) を中心に , 荷電のクモニ 13 配給電車クモル 24 等が配属されている . ところで , この 上野 クモニ 13 やクモル 24 ・クル 29 等は ATC 化されれば AT C 制御に適合改造がむずかしいところから廃車にされる 御徒町 公算が強く , 写真を撮影するのも今のうちと言ったとこ 秋葉原 ろであろうか . また 103 系では先行試作車の 901 ~ および c S30 形制御器を使用した超多段制御器使用試作車 911 神田 ~ が配置されている . 先行試作車の 901 ~ は現在では量 産車との統一改造を行なっているため外観から判断する 東京 ことはむずかしくなってしまった . 池袋電車区には 103 系が 280 両 ( Tc ー 56 両 , T ー 56 両 , M ・ N'I / ー各 84 両 ) 配置されており , その他には赤羽線用 の 101 系が 40 両同居している . ここ池袋区の 103 系には A T c 準備車が多く , また冷房車も品川区より多くなっ ている . ちなみに同区在籍のクハ 103 ー 56 両のうち , 269 以降の ATC 準備車は 42 両を数えている . 電車区の規模 は品川区より少さいが , 配置両数も若干多くなっている ようだ . そして , この池袋電車区の名物は何と言っても 田端 大塚巣鴨駒込 00 西日暮里 池袋 日暮里 鶯谷 山手線の午前 8 時 30 分 目白 高田馬場 新大久保 新宿 代々木 原宿 これだけの電車が 走っています / 2 8 渋谷 有楽町 恵比寿 新橋 浜松町 目黒 田町 五反田 大崎 品川 カット : 野中美行 76

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後に取り付けるようになった . そのため , 回送時におい ところで , 時刻表等を見るとスタンプの有る列車として てもヘッドマークをかかげた姿にお目にかかれるように " あさかせ " ・ " さくら " が記載されているが , 現在では なったわけで , ファンにとっては二重の喜びとなった . 列車に搭載されていないようで , 聞くところによれば一 なお , その他の列車は宇野および下関でヘッドマークを 部盗難にあったものもあったようだが , ディスカバー 付け換えて上京して来ている . さて , 客車の方に目を移 ジャパンのキャンペーン終了時に中止したとのことであ すことにしよう . 今東京駅では 25 形を除くすべてのプル る . さて , 東京ロでは新顔のプルー・トレイン 24 系も今 ・トレインが見られ , まるで客車の展示会のごとくで では , すっかり品川の住人として定着したようだ . 使用 ある . 登場以来早や 18 年の歳月を送ったプルー・トレイ 列車は " はやぶさ " 富士”・ " 出雲”の 3 本であるが , ンの老舗 20 系は品川区持ちの車が " あさかせ 12 号 " に , 電源車にはステンレス帯のカニ 24 が使用されており ( 除 また下関・広島転持ちの車が。あさかぜ 21 号 " および " 瀬 く " 出雲 " ) 客車とのアンバランスな感じはぬぐえないよ 戸 " に用いられるのみとなった . この内 " あさかぜ 12 号 " うだ . 一部にはカニ 24 のステンレス帯を白線に変えるの に用いられているナロネ 22 は全国で唯一の A 個室付寝台 ではないかとの憶測が流れたが , 1 年たったにもかかわ 車として貴重なものとなった . ところで個室寝台車はも らす変化が見られないところを見ると , その臆測ははす う現われないのではないかと思われたが , 近い将来新登 れたようだ . また近ごろでは東京ロの 24 系を , 二段式の 場するとのウワサも流れており , ぜひとも新しい構想の 25 形に置き換える計画も出ているようなので , 逆に客車 下ですはらしい寝台車が出現することを望んでやまな の方がステンレス帯に統一されそうである . い . さて , 分散電源の採用により分割・併合に便利な 14 夕暮のひととき , 山手線のホームが混雑するころ , か 系は " さくら " ・ " みずほ " ・ " いなば・紀伊 " ともつばら ん高いホイッスルをひびかせて出発してゆくプルー 複数の目的地を持っ列車に使用されている . 所属はいす レインを見るとき旅情をさそわれるのは鉄道ファンのあ れも品川区であるが , この内 " いなは・紀伊 " には寝台 なただけではないだろう . このように長旅のムードいっ 車の代わりに座席車 ( オハ 14 ・スハフ 14 等 ) が用いられ ・トレインとは正反対の性格を持っ特急列 はいのプルー ることが間々あるようだ . これは 14 系の防火対策工事に 車も東京駅に乗り入れてくる . それはこれからご紹介す よる予備車捻出によるためであるが , このような珍編成 る " あまぎ”をはじめとする観光特急列車群である . プ ・トレインの第 1 グループと第 2 グループの間 , ち は早いうちに記録しておくと良いだろう . 東京駅”プルトレ・アワー " のはじまり 円 73 ーに一 25 写真 : 諸河久 09 ミ E 「 6 0 25

9. 鉄道ファン 1976年7月号

写真 : 宮松コレクション 木製の大形電動車デハ 6 引 00 形ーモハ 10 まり , 大 14. に完了している . く貨物列車との併用線から電車専用線への独立である . 大正 8.3.1 には中央線の万世橋ー東京間が開通し , 中 貨物列車は速度が遅く , 後続電車がつかえることがしば 央線と直通の有名な「の」の字運転がはじめられた . こ しばであったようだ . この間のいきさつをオールドファ れは中央線の中野から東京まで走り , 山手線に入って品 ン庄田不二夫氏は次のように綴っておられる * 2 ). 川一新宿ー池袋ー上野と直通するもので , その経路が平 「大正 7 年秋・・・・山手線の貨物は 2700 形式の独り舞台 仮名の「の」の字に似ているところから言われた俗称で でしたが , ラッシュアワーなど一度貨物列車が入ると ある . 大 9. ~ 11. にかけては自動連結器への交換が実施 その後のダイヤは滅茶苦茶といってよいくらいで , そ され , 架線も大 7. ~ 9. にわたって単線式に改良された . の直後の電車に乗ってみると 2700 の物凄いドラフトの 大 12. の大震災では多数の焼失車を出したが , 大 13. 電 音を聞きながら閉塞待ちで , 一度代々木で見た風景が 圧を 600V から 1200V に昇圧し , 50 馬力級電動車を整理し 2 編成すなわち 2 運行の合併運転です . これは停滞し た . これらの電車は目蒲電鉄・駿豆鉄道・阪急などへ譲 ている沢山の電車をさばくための処置ですが , 代々木 受されたり電装を解され付随車に改造されたりしている 駅は当時のホーム長さも短かく , 一度に客扱いができ 大正 14.11.1 上野一神田間の高架線開通により , 山手 ないので , まず前部 2 両が客扱いをすませてもう一度 線は今日見られるような環状運転となり , 中央線との直 列車を前進させ , 次に後部 2 両の客扱をして発車する 通「の」の字連転は打切りとなった . この環状運転時の というしまっ・・ ダイヤを見ると一周約 82 分 , 手動ドアーの 4 ~ 5 両編成 貨物併用区間の電車専用線化は大 4. の品川一大崎間に始 の電車のことを思えば , せいいつばいの努力であったと タ陽に映える木製電車 写真 : 杵屋栄二 品川にて いえる . ちなみに現在のデータイムの山手線は 103 系高 性能車で約 60 分で 1 周している . 車両の方はこれまで電動機・制御装置とも製造ごとに 違っていたような感がしていたが , 大 3. のデハ 6310 形に よって山手・中央線用形とでもいえるスタイルが確立さ れた . 電動機は 50 馬力 , 扉は全部引戸の 3 ッ扉で , 大 10. 以降から車体は大形となり , 運転室と客室が分離されて ゲタ電として理想形の窓配置となったデハ 23500 形が登 場 , デハ 33500 形は電動機が 105 馬力 , 台車 TR14 形 ( 現 在の D T 10 形 ) となっている . けっきよく大正末期において , 環状線の完成・貨物線 との分離と現在の山手線の姿は達成されたわけで , 電車 庫も品川と池袋の 2 カ所で規模こそ違うが車庫の老舗は すでに開設されていた . 38

10. 鉄道ファン 1976年7月号

1 第 - ミ、第を一 川Ⅱ題川 0 = ⅶ 0 叮 0 , 00 , 000 , , 0 、 00 , , ~ , 、。、… , ト当 目黒から恵比寿へ貨物 線をオ ーノ、一・クロス する 10 ー系 写真 : 三島富士夫 103 系の量産形 第 1 次冷房車 原宿にて 1973 ー 5 ー 26 写真 : 諸河久 えが以前からもあるが , 都市部の交通機関のスピードア ップとして有効な方法かも知れない . 「の」の字がなく「やまて」と発音する . 7. 現在の「山手線」と将来 現在の山手線の環状運転区間は 103 系の単一車種であり , かってのバラエティーさはない . しかし , 昭 49. 春から A T C 準備のクハ 103 形が入ったことにより , 銀色の帯 を入れた精悍な面がまえのクハ 103 と , 在来形のクハ 103 とが混在して走っている . ちなみに昭 50.3.31 現在の車 注 1 ) この当時の様子については期界の大先輩 , 朝倉希一さんの東京十五 両数は品川〔南シナ〕区 297 両 , 池袋〔北イケ〕区 321 両で 区物語開発社昭 50.10 刊がたいへん参考になる・ 注 2 ) 庄田不二夫院電懐古追記京都鉄道趣味同好会省電今昔史、。 . 品川は在来からの関係で大井工場関係の配給電車や荷物 2 P. 57 昭 25.3. 車クモニ 13 が配置されている . 〔参考にさせていただいた文献〕 山手線の将来問題としては武蔵野線の開通により通過 ・沢柳健一国電再人門鉄道図書刊行会昭 49.12 本数の減った貨物線の活用問題がある . 中央線の電車の ・省線電車史綱要東京鉄道局電車掛昭 2.3 ように急行・緩行線として電車線に転用したらという考 ・沢寿次山手線物語日本交通公社昭 46. に み 6