赤間一海老津間にて 1963 ー 10 ー 5 写真 : 三島富士夫 んビジネス準急として , 昭和 34 年 4 月 1 日からキハ 55 ・ 26 形 4 両とし , のちにキロ 25 も連結して連転された . この " くまがわ " の登場で , " 有明 " は " くまがわ " に道をあけることとなり , 博多一熊本間で 40 分もスヒ。ー ドアップされると , 旅客は薄情なもので , " ひとよし に人気が集まるのもむべなるかな ! となった . このため " 有明 " は , その旅客層をビジネス客から一 般客へ転換し , 地味な列車となってしまった . しかし c 59 を使用して , これ以上のスピードアップを望むことは しよせん無理で , " くまがわ " との太刀打ちは気動車化 以外無理であった . ところでこの " 有明 " 気動車化は , 西鹿児島にて円 62-9-27 写真 : 関崇博 鹿児島本線を行く 55 系 " くまがわ” ( 上り ) 熊 本博 多門司港 11 : 0() 106 有明 8 : 25 → → 12 : 45 11 : 03 長 崎博 多 門 司広 島 12 : 幻 14 : 02 8 : 00 → → 19 : 05 12 : 25 14 : 10 田 6 列車 406 田 5 列車 マスオ オオ オオ オス ロロ フフ ( ま ) 106 列車には熊本一鳥栖間にマニー両を連結 , スロはとうぶんの間 運用休止 405 列車 406 列車 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧⑨ ⑩ マオ ス オ オ オ ス オ スオ ス フ ロ ハ フ ノ、 フハ フ 広島一早岐門司ー早岐 " 有明 " にあっては C 57 けん引 , 長崎準急 は関門トンネル ( E F 10 ) をのぞき鳥栖ま で C59 とし , 鳥栖以遠は C57 に改められた ほか , 佐世保線内・武雄一永尾間には , c 11 による補助機関車が連結された . 1 ー 4 DC 準急の登場と有明 昭和 33 年 4 月 25 日 , 気動車急行 " ひかり 第第物 0 の博多一別府間登場は , 九州島内列車の刺 激となって , その駿足ぶりは " ひかり " の ごとくとでもいうか , アッという間に結ぶ この列車は九州内急行の大ヒットであった この " ひかり " は後にまた述べることと するが , これに続いた気動車準急は , いわ ば " 有明 " と同系統ともいえる人吉ー門司 港間 " くまがわ " の登場であった . もちろ " 錦江”と”第 2 かいもん " 57
籵阜車場向 0 1 / 山手貨物線列車ダイヤ 昭和引年 3 月現在 0 設イ / 2 ノ / ク 、 0 / をミ物 9 をノれを 本 本 線 島 本 線 門司港一宮崎間準急ー往復運転開始 ( 50 い 502 ) 宮崎準急都城へ延長 ・ 502 ~ 幻 2 ) 都城準急は京都から直通となる ( 2 凵ー 5 田 門司港ー大分間準急ー往復増発 ( 507 ・ 508 ) 都城準急は列車番号改称 ( 205 ーー 505 ・ 506 ~ 206 ) 都城準急は急行格上げし , 東京直通 ( 、、たかちほ " となる ) 門司港ー大分間臨時準急ー往復増発 臨時準急定期格上け 大分準急を宮崎へ快速で臨時延長い 2 6 まで ) 大分準急ー往復 , 宮崎へ臨時延長 ( 準急として ) 宮崎準急定期格上げ 期 日 39 - 3 - 2 0 39 0 - 本 線 島 期日 22- 6 - 29 23 - 7 - 24- 9 5 2 5 0 - 26 - 凵 -25 28- 3 5 2 8 - 凵 - 長崎準急は単独運転し , 定期格上げ 2 9 - ー 0 - 30 - 3 - 2 5 30- 7 - 20 長崎準急は広島へ延長 - ー 9 東京ー博多間、、あさかぜ " 運転開始 33- 4 - 25 33- 5 - 33 - 8 - 34- 4 - 上り " ひかり " を三角始発に改正 新幹線開業 、・ひかり " を、・にちりん・くさせんり " と改称 " にちりん " ( 博多・門司港 - ーー西鹿児島 ) と " べつぶ " ( 広島一別府 ) を結 び , " 青島 " ( 広島・門司港ーーー西鹿児島 ) と改正 、・くさせんり " ( 博多一熊本・三角 ) と、、ながさき・弓張 " ( 博多ーーー長崎・ 佐世保 ) を結び " 九重 " ( 長崎・佐世保一本・三角 ) と改正した 博多ー小倉ー大分一 ( 久大 ) ーー博多問 " ゆのか " に , 西鹿児島・鹿 屋編成を併結して " にちりん・佐多 " とした 気動車特急 " みどり " を電車化 ( 58 ー系 ) " 有明 " ( 博多態本 ) と " やくも " ( 米子一一博多 ) を結び , “やえ がき " 〔現さんべ〕 ( 米子一 - - 壟本 ) と改正 、・山陽 " を電車化し岡山一一態本間 " 有明 " と改正 博多一羆本間準急 " ぎんなん " を運転開始 態本間準急 " 有明 " 運転開始い 07 ・田 8 ) 門司港 40 0 - " 有明 " に長崎編成併結 ( 長崎線は臨時準急 ) 4 い 3 - 2 5 58 ー系特急電車の運転開始 " みどり " の電車化による捻出車で鹿児島特急 " 有明 " を運転開始 急行電車 " 有明 " を " しらぬい " と改称 " かいもん " ー往復は " なぎさ " とし , 羆本一一一西鹿児島問に改正 42 0 - 特急みどり " は 48 ー系に系式改正急行 " にちりん " を特急格上 " ゆのか " は久大線内急行とし " 由布 " となる 4 3 0 - 4 5 - 3 - 特急、・有明 " 7 両→ 9 両化 鹿児島電化完成 " 有明 " を電車化 ( 583 系 ) したほかー往復 " かいもん " を格上 げし , 電車特急 2 往復となる 新幹線岡山開業 " 有明 " ー往復増発し , 3 往復となる 博多 - 小倉別府間に臨時気動車急行 " ひかり " 登場 “ひかり " を豊肥線経由態本へ延長 門司港編成を併結 博多ー熊本間 " ひかり " を定期化し , 準急とした 、・ひかり " の門司港編成を都城へ延長 " ひかり " を西鹿児島へ再び延長 特急 " にちりん " 7 両→隔日 9 両化 4 5 0 - 門司港 ~ 人吉間に " くまがわ " 運転開始 " 有明 " を気動車化し , 博多ーー - 熊本問に改正 34 - 9 - 22 博多ー西鹿児島間 " かいもん " 運転開始 博多一佐世保間 " 弓張 " 運転開始長崎準急は " ふたば " と命名 3 5 47- 博多ー -- ・大分間 485 系特急 " にちりん " 増発 4 -27 47 - 気動車 " にちりん " 通年 9 両化 7 47 0 - 岡山一下関問特急ー往復を , 大分へ臨時延長 ( みどり 2 ・一号 ) 48- 3 - 上記・・みどり " を定期格上 , " 日向 " を編成増強 大阪一西鹿児島間特急 " なは " を電車化 ( " 日向 " と分離運転 ) 4 8 - ー 0 - 宮崎電化完成 肥薩・吉都線経由 " おおよど " を運転開始 “日向 " を電車化 , ・・みどり " ー往復宮崎延長 博多ー大分問、・にちりん " を宮崎延長 “にちりん” 8 往復に増強 " 第 2 ひかり " を大分小倉 別府問に運転 壟本 ( 大分客車準急の気動車化 ) 35 - 3 0 博多 ~ 長崎間準急 3 往復運転開始 、・ふたば " は広島一鳥栖間となる " ふたば " を気動車急行とし , 岡山一博多間に改正 " かいもん " を博多一西鹿児島 ( 山川 ) 間増発 35 - 6 - 36 - 「 0 - 西鹿児島 - ーー博多間急行 " フェニックス " 登場 7 - 37 - 37 0 - 4 - 25 49 - 広島・一別府間 " べつぶ " を運転開始 、、第 2 ひかり " を、、ひまわり " と改称宮崎客車準急は " 青島 " とした 新幹線博多開業 " 有明 " 田往復に増強 " 有明 ' ' 3 0 50 - 8 - 7 50- 50 0 - " にちりん " 年表 ・・にちりん " の食堂車 " つばさ " に転用のため減車 " にちりん " に座席車増結 フェニックス " は小倉経由 宮崎延長 ( 青島の格上げ・気動車化 ) " ひかり " を急行格上げ
ー劇日劇 〔ョ第ーツ ををーを第ト さて , 永らく続いた気動車準急 " 有明 " は , 下り。、やく も " 博多着後 " 有明 " の発車のわずかな間合いで , 竹下 気動車区で給油・仕業検査を行なっていたが , 熊本にこ れらの設備完成によって昭和 40 年 10 月 1 日改正で , " や くも " と " 有明 " の直通運転が行なわれ , ここにやえ がき " とし , " やくも”は同年 11 月 1 日から連転される 山陽特急 , 新大阪ー浜田間特急に栄転した . ( 下り ) 米子博多熊 本 18 : 51 やえがき 9 : 55 → 803D → 21 : 08 18 : 54 ( 上り ) 熊本博多米 子 10 : 31 やえがき 8 : 10 → 804D → 19 : 48 10 : 38 この列車は , のちに 43 年 10 月 1 日改正で " さんべと 改められ , 44 年 10 月 1 日には鳥取ー熊本間列車として , 今日なお健在である . 1 ー 5 電車急行としての有明 山陽本線の電化は , 昭和 39 年 10 月 1 日に完成した . この 日はまた , 新幹線は東京ー新大阪間開業の日であった . しかし , 北九州の電化は 1 年後の 40 年 10 月 1 日に見送 られた . このための暫定措置として東海道線で捻出され た 151 系電車が , サヤ 420 の電源を頼りに博多への乗り 入れが行なわれたこともあった . さて , 北九州の電化完成後は , 南福岡電車区に急行用 電車 475 系電車 116 両が増備されて ( 別に 24 両増備 ) , こ こに 475 系電車による岡山一熊本間 " 有明 " が登場する ことになった . この急行 " 有明 ' ' は , 岡山一博多間気動車急行を電車 化し熊本延長を行なうこととなった . 電車化された " 有 明 " は次の時刻となり , アコモデーションの良さとその 快速ぶりで , 人気を挽回することとなった . ( 下り ) 岡山門 司 博多熊 本 14 : 32 15 : 40 401M 有明 8 : 30 → → 17 : 49 14 : 33 15 : 43 ( 上り ) 熊本博 多 山 門司岡 13 : 57 15 : 06 402M 有明 11 : 58 → → 21 : 11 14 : 00 15 : 07 かっては島内であまんじていた急行も , このように長 距離急行へと発展し , さらには下り熊本到着後 , そして 上り " 有明 " の熊本発車の間合いで博多ー熊本間に準急 行電車 ' ぎんなんを運転する活躍ぶりで , 編成は新製 475 系 12 両で , 次の編成となった . ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑩朝 Tc M Mc TB Ts Ts M ・ Mc Tc TB M ・ Mc 455 474 475 455 455 455 474 475 455 455 474 475 このように , 東海道線 153 系電車のビュフェの交直流 版としてサハシ 455 形が 2 軒 ! 組み込まれ , 寿司屋に 替わり " おそはやさん " が開店し , 山陽路の話題がまた 増えた . に一 K E ミ、 475 系電車による”有明” 幡生付近にて 写真 : 奈良崎博保 円 66- レ 3 1 一 6 気動車特急 有明 山陽線に交直両用特急用 485 系電車あるいは急行用 475 系電車の登場は , 東海道新幹線とのバイプ役として , ま た使者としての重責を担ってのデビューであった . この 急行は , のちに新幹線の岡山あるいは博多開業により , 順次その使命を地元九州へ指向して , 発展的解消した今 日となっている . さて昭和 42 年 10 月 1 日 , 日豊線幸崎までの電化完成時 に特急 " みどり " の電車化が行なわれた . 581 系寝台・ 座席両用電車として昼行は " みどり " , 夜行は " 月光 " と して活躍することになった . この月光形電車の登場で当 時山陽・九州線気動車特急 3 往復を 2 往復としたため次 の措置により , 九州島内特急が誕生することになった . 改正 宮崎⑥ 宮 崎⑦ 大 分⑥ 佐世保⑥ 長 崎⑥ 長崎⑥ 西鹿児島⑦ 西鹿児島⑦ 佐世保⑦ 大分⑥ いそかぜ いそかぜ かもめ 有明 か も め みどり ロ両 電車化 58 ー系 50 両 くろしお 円両 上記により , 一部列車の併結を改正したものもあるが 捻出車 13 両 ( キハ 82 = 4 ・キハ 80 = 5 ・キロ 80 = 2 ・キシ 80 = 2 両 ) を鹿児島配置とし , 列車名は一般公募により , 急行から召しあげて " 有明 ' ' とした . ( 主 ) 急行”有明”は , このため " しらぬい " と改称された . さて , 通いなれた鹿児島本線での " 有明 ' ' は , 6 時間 次のようにダイヤが決定された . 20 ~ 25 分連転で , ( 下り ) 2011D 有明 門司港 6 : 50 西鹿児島 13 : 15 ( 上り ) 2012D 有明 西鹿児島 17 : 00 門司港 23 : 20 59
" くさせんり ' ' は博多で長崎・佐世保線準急列車 また , とデュエットを組み , 長崎・佐世保ー小倉ー大分一熊本 ( 三角 ) 間急行として九重と命名された . この " 九 重 " の登場で , " フェニックス " の馬蹄形運転に対して コの字運転と , う回運転の誕生は九州独特の技ともいえ ユーモラスでもある . さて , 系統の修正により " にちりん " は 1 年にして解 消され , その点 " ひかり " は時刻表からは消えてしまっ " にちりん ' ' が復活したのは , その後の昭和 41 年 3 月 25 日である . 博多ー小倉ー大分一 ( 久大線経由 ) ー博多 間循環急行 " ゆのか " が狙われた . すなわち博多ー小倉 一大分間を召しあげ , 西鹿児島まで延長された . さらに 欲には欲を重ねて , 宮崎まで鹿屋編成を併結することで けっきよく博多ー西鹿児 島・鹿屋・久大線経由博 多行きの " にちりん・佐 多・ゆのか " ができあが った . この " にちりん " の運 別府 転により , 日南線内のミ ニ準急も晴れて博多入り するなど , 孤島化の目立 つ宮崎にあっては , ヒッ トであった . ( 上り ) 宿 10 : 50 にちりん指 博 多 23 : 06 502D 14 : 20 2502 D ~ 佐多鹿 宮 崎 屋 11 : 42 ( 14 : 26 ) ( 502D ) 18 : 28 ゆのか博 別 府 多 14 : 40 613D ( 19 : 23 ) 上り列車の " ゆのか " は , 別府で 1 時間程度の時間が あるためにいったん別府打ちきりとしていたため , 別府 ー博多間は " つるみ " の格上げとして行なわれた . 朝 ⑩ ⑦ ⑧⑨⑩⑩ ③④⑤⑥ ①② 58 58 28 58 28 28 58 58 28 58 58 58 28 “イ左多” “にちりん” 博多ー別府一 ( 博多 ) 博多ー西鹿児島 ( 指宿 ) 博多ー鹿屋 “ゆのか” 2 ー 4 特急 " にちりんの登場 昭和 43 年 10 月 1 日 , 東北線は青森電化が完成し , 583 系 電車を投入して " はつかり " の電車化が行なわれた . " っ ばさ " に 81 系気動車を転用し , 寒地向 80 系を向日町 , そ して捻出された暖地用 80 系気動車を " にちりん " 用とし て 16 両転属した . これにより , 鹿児島には " 有明 " 用と 合わせ 29 両の特急気動車が配置され , 日豊線では先輩格 の " 日向 " とともに活躍することとなった . この特急 " にちりん " は , 急行 ' ' にちりん " を格上げ して行なわれたため , 併結の " 佐多 " は " にちりん " 接 続急行として封じ込められ , " ゆのか " にあっては別府 以北を 475 系電車急行にその座を譲り , 博多一日田一別 府間急行とし , 列車名は由布 ' に統一された . さて , このように併結列車を整理し 1 本立ちした " にちりん " は次の時刻により , 80 系 7 両編成のいで立ちであった . ( 下り ) 2011 D にちりん博多 7 : 35 西鹿児島 16 : 20 佐多鹿 西鹿児島 ( 下り ) にちりん博 西鹿児島 17 : 51 多 501 D 7 : 20 (501D)— ( 15 : 08 ) 佐多宮 崎 鹿屋 17 : 57 2501D 15 : 12 ( 501 D) ~ ( 10 : 33 ) 博多 14 : 15 ゆのか別 府 614D 10 : 45 1 日豊本線財部を通過す る 80 系 " にちりん” 円 75 ー 2 ー田 写真 : 坂井直人 67
れることになった . この急行 " 山陽 " の登場は , " かもめ " なみの速さで キロ 25 = 1 ・キハ 55X3 両の計 4 両 , 広島一博多間には キハ 55 = 2 両増結した 6 両編成でスタートしたが , その 人気は上々であった . この改正時には鹿児島本線に " か いもん ' ' 1 往復が , 博多ー山川間に観光客の利便性をも 考慮し , とりあえず 109 ・ 110 ( D ) 列車として次のように 博多からのビジネス形で増発された . 博 多熊本西鹿児島山 川 ( 下り ) 8 : 58 → 12 : 25 107 ( D ) 第 1 かいもん 7 ・ → 13 : 30 . 10 → 9 : 01 12 : 28 多 山 川西鹿児島熊本博 ( 上り ) 16 : 40 20 : 16 108 ( D ) 第 2 かいもん 15 : 38 → → 22 : 08 16 : 53 20 : 20 ( 注 ) 上・下とも博多一八代間 " えびの " 併結 この列車は昭和 36 年 10 月 1 日 , 特急気動車大増発時刻 " かいもん・有明 " 系統列車は , 改正で再編成されて , 次のように列車番号・時刻とも改正された . 本西鹿児島山 川 博多熊 ( 下り ) 10 : 38 → 14 : 11 105D 第 1 かいもん 8 : 45 → 10 : 42 14 : 15 ( 博多一八代間 " えびの”併結 ) 17 : 56 107D 第 2 かいもん 15 : 55 → → 21 : 26 18 : 00 109D 有 明 20 : 30 → 22 : 44 山 川西鹿児島熊 本博 多 ( 上り ) 7 : 55 → 10 : 24 有 明 110D 10 : 34 第 1 かいもん → 12 : 37 7 : 10 → 108D 10 : 40 17 : 21 20 : 57 第 2 かいもん 16 : 20 → 106D : 35 → 21 : 00 17 ( 八代ー博多間 " えびの”併結 ) 博多旧駅に停車中の " 第 3 ながさき”島原鉄道 2601 ほか 円 6 レ 7 ー 27 写真 : 奈良崎博保 とうぜん早期実現が望まれることとなり , 半年後の 34 年 9 月 22 日改正で米子一博多間準急 " やくも " の間合い使 用で , 気動車化されることになった . ほかにこの改正で , 博多ー西鹿児島間に 109 ・ 110 ( D ) 列車かいもん " が登場したが , じつは " 有明 " は " か いもん " にその道 ( 時刻 ) を譲り , 自らは新たに博多ー 熊本間のパターンを見い出したともいえるが , いすれに してもこの改正で , 鹿児島本線準急午後の下り・午前の 上り列車は , 3 往復に強化された . 長崎準急は久しく列 車名に恵まれず , 今回から " ふたばを名乗った . さて , この " ふたは " の道は " 有明 " 同様けわしい関 門があった . 今回の改正で登場した博多ー佐世保間準急 弓張の到着時分からみると , " 有明 " と " くまがわ ' ' のようにその時間差は否められず , ついに半年後の昭和 35 年 5 月 1 日 , 長崎線内は新設気動車準急ながさき に道を譲り , 自らは広島一鳥栖間に短縮してさらに 6 月 1 日からは , 岡山一博多間急行 " 山陽 " として格上げさ → 15 : 19 → 22 : 50 58 58 系”山陽” キハ 2833 ほか 小倉にて 円 65 ー 4-24 写真 : 奈良崎博保
宗太郎越にいどむ 485 系”にちりん” 3026M 円 76-27 写真 : 奈良崎博保 に、ノ , 冫イ ( 上り ) 2012D にちりん西鹿児島 11 : 45 博多 20 : 30 この特急登場により 1 時間のスヒ。ード・アップが計ら れることになった . 九州特急タイヤ 博 多 0 2 都 城 ① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ キ キ キ キ キ キ キ 82 80 80 80 80 80 82 昭和 45 年 10 月 1 日 , 鹿児島本線電化完成により " 有明 " は一足先に電車化されることになり , 80 系気動車が 11 両 捻出され , うち 2 両は " にちりん " 増結用に充当される 43 ・ 10 ・ 1 ことになった . 車種は 80 ・ 82 各 1 両であったため , 2 組 使用の " にちりん " は , 毎日増結するには車両不足とな るため , 増結車による隔日運用で実施された . この増 1 ・増 2 号車による措置は , 47 年 3 月 5 日改正で 1 ・ 2 号 車とし , 以下繰り下げて 7 号車は 9 号車とし , 次のよう に改められた . 田 に 給 給 20 22 24 霧島神宮・一 68
わめて旅客に不向きな時刻と考えられたが , の博多ー小倉間はけっこう常連客もあり , また日豊線内 でもビジネス旅客が見受けられた . ( 下り ) 4013M にちりん 2 号博多 7 : 53 大分 10 : 50 ( 上り ) 博多 23 : 33 4014M にちりん 2 号大分 20 : 38 山陽・九州線 485 系特急電車ダイヤ 4 8 IO に 田 20 22 24 " にちりん " ①②③④⑤ ⑥⑦⑧ ⑨ キキキキキ キキキ 80 82 80 82 82 80 80 80 80 下り は不連結 ( 生 ) い 2 号車は 上り 2 一 5 日豊線の電車特急 " にちりん " ・みどり 日豊線に初めて特急列車の登場したのは , 昭和 36 年 10 月 1 日改正で , 京都ー長崎・宮崎間に運転した " かもめ ' ' が最初であった . 同区間昼行で初めて設定されたパター ンであったが , 80 系気動車の宮崎乗り入れは宮崎県の足 として , 人気の的であった . 6 両編成でスタートした " かもめ " は , 38 年 10 月 1 日から , それを裏付けるよう に 7 両化された . 昭和 39 年 10 月 1 日 , 新幹線開業の時刻改正では , " 第 2 かもめ " ならぬ " みどり " が新大阪ー熊本・大分間の 運転開始となり , 東京ー大分間は日着可能となった . 昭和 40 手 10 月 , " かもめ ' ' の宮崎編成は西鹿児島行に , 中 津 鹿児島本線経由に修整され , 宮崎特急を大阪一宮崎間単 府 別 独運転に改められ , 6 両の大分編成が増結されて , 列車 名はいそかぜを名乗った . 昭和 42 年 10 月 1 日には日豊線幸崎電化の完成により , " みどり " は 581 系特急電車化してデビューすることと なった . このため , 輸送力調整として " いそかせ ' の大 分編成を佐世保に改められ , 宮崎特急 " いそかぜ ' ' はミ ニ編成となった . しかし , ョン・サン・トウ改正では , 581 系特急電車は 481 系座席特急電車となり , 581 系電 車の日豊線乗り入れは 50.3 改正までお預けとなった . ま た , 宮崎気動車特急は列車系統の立替えが行なわれ , 大 阪ー西鹿児島・宮崎間 " なは・日向 " と改められ , 日豊 特急 " にちりん " は , このような環境のもとに誕生した のであった . 昭和 46 年年末・年始には 485 系座席特急の夜間間合で 新大阪一大分間に " タ月 ' が初めて登場し , ファンを大 いにわかせたものだが , もう 5 年も前のことである . 昭和 47 年 3 月 15 日 , 新幹線岡山開業により昼行特急は その大半を岡山発着に改めたが , 日豊特急 " みどり ' ' 下 りは , 大阪 ( 8 : 25 ) ~ 大分 ( 17 : 53 ) , 上り大分 ( 11 . 昭和 47 年 10 月 2 日には日本海縦貫線 " 白鳥・いなほ・ 20 ) ~ 新大阪 ( 20 : 38 ) と改められた . ひたち " の電化完成による電車化が行なわれた . 80 系気 これまで 485 系特急は " みどり " が 1 往復のみであっ たが , 今回の改正で岡山一博多間 2 往復の " つばめ " , 動車の 55 両捻出により , 北海道・山陰・紀勢線の増発・ および岡山一下関間 " はと " 1 往復増発にともなって , 増強用のほか , " にちりん”増強用に 2 両が転属するこ 合計 5 編成で 4 往復を受け持っこととなるが , 増発列車 とになり , 鹿児島には 24 両配置となった . この措置で気 は所属区所である向日町運転所へ発着ルートが構成でき 動車特急 " にちりん " の通年 9 両化が , 10 月 7 日の上り ないため , この解消策として大分一博多間に編成振り替 から実施された . 新幹線岡山開業後の西日本の各地は , レジャー旅客あ え特急として " にちりん " 1 往復が計画されることにな るいはビジネス旅客の伸びが著しく , このため 48 年 3 月 った . この電車特急 " にちりん " は , 下り " みどり " の 1 ~ 18 日から山陽線を主体に 5 往復の毎日運転臨時特急 大分到着後 , また上り " みどり " の大分発車前に連転す ることが列車設定上のポイントだけに , その時間帯はき の運転開始となった . これによって , 岡山一下関間特急 47. 4. 28 6 2 島国井 新神姫岡一広岩 グートらト + ら 0 ヤの V0 9 この " にちりん 2 号 " の増発は , 上りは 4 月 27 日 , 下 りは 4 月 28 日から車両の落成を待って運転した . また , これにより気動車特急 " にちりん " は , " にちりん 1 号 ' ' と上下列車も改められ , 次の時刻となった . ( 下り ) 4 ( ) 11 D にちりん 1 号 博多 7 : 35 西鹿児島 16 : 13 ( 上り ) 西鹿児島 11 : 45 博多 20 : 34 4012D にちりん 1 号 九州特急タイヤ 博 多 0 2 47. 3. 1 5 田 20 22 24 8 6 4 伯崎城 呂都 69
こととなり , 多目的列車となって南国宮崎ではおおいに 歓迎されたのである . 13 : 07 ( 下り ) 906 博多 12 : 10 倉 小 ( 13 : 11 ) 門司港 12 : 50 907 ひかり 都 城 19 : 46 ( 15 : 04 ) 別府 熊 706 本 18 : 15 15 : 08 15 : 01 ( 上り ) 705 熊本 12 : 00 別 府 ( 15 : 15 ) 908 ひかり 都城 10 : 40 門司港 17 : 24 ( 17 : 08 ) 905 小倉 博多 18 : 10 17 : 12 この " ひかり " 都城延長は , さらに 34 年 9 月 22 日改正 で西鹿児島へ到達することとなり , 鹿児島本線は " 有明 ' ' にまかせたのか , 日豊線を制圧 ? することになった . し かし , 車両運用上は宮崎に夜間滞泊の " えびの " 編成を 宮崎で " ひかり " に併結し , 都城から単独運転としたた め , 宮崎一都城間オーバーラップによる延長となった . ①② ③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩ 55 26 55 25 55 55 25 55 55 55 55 5 5 門司港一都城 博多一都城 博多ー熊本 この " ひかり " の歴史は , 九州の輸送体系を大きく転 換させたことで意義のある列車となり , 引き続き大分を 起点に , 小倉ー博多ー大分一別府間に " 第 2 ひかり " が 昭和 35 年 3 月 10 日にデビュー これにより , 先輩格の " ひかり " は " 第 1 ひかり " と 改称されたが , とかく間違えやすいことなどあって , 昭 和 36 年 10 月 1 日から " 第 2 ひかり " は " ひまわり " と改 め , " 第 1 ひかり " は " ひかり " にと , 元の列車名に戻 ることとなった . この改正で " ひかり " の宮崎一都城間のオーバーラッ プは解消されて , 列車系統は次の時刻に示すように改め られたほか , 宮崎客車準急は 507 ・ 508 列車として " 青 島 " を名乗り , さらに 80 系気動車特急 " かもめ " が宮崎 まで運転を開始したのは , この時刻改正であった . 13 : 01 ( 下り ) 門司港 12 : 48 小倉 2905 D ( 13 : 11 ) ひかり博多 12 18 905 D : 10 西鹿児島 21 : ( 15 : 02 ) 別府 熊本 18 : 17 2905 D 15 : 07 青島門司港 13 : 50 宮崎 21 507 : 35 14 : 54 ( 上り ) 熊本 11 : 55 別府 2906 D ( 15 : 09 ) : 55 博多 18 : ひかり 9 ( ) 6D 西鹿児島 8 08 小倉 ( 17 : 02 ) 門司港 17 : 2906D 17 17 : 04 青島宮崎 8 : 26 門司港 16 : 13 508 この改正で , " 青島 " と " ひかり " では , 宮崎一門司 港間の到達時分で 1 時間 50 分程度の差が生じたが , これ はのちの 37 年 7 月 1 日 , 九州島内初の定期気動車急行と なった " フェニックスが西鹿児島一博多間に登場 , さ らに 10 月 1 日には " 青島 " を呑みこみ , 西鹿児島一小倉 一宮崎間へと発展した . これが有名な九州の馬蹄形急行 " フェニックス " であるが , 時を同じくして " ひかり " は急行へ格上げされることになった . 従来 , キハ 26 ・ 55 系から 28 ・ 58 系へとアコモデー ショ ンの改善もなされ , 次のような編成であった . ① ②③④ ⑤ ⑥ ⑦⑧⑨ ⑩ キ キキキ キ キ キキキ キ 58 58 28 58 58 58 28 58 28 58 博多ー熊本 博多ー西鹿児島門司港ー西鹿児島 宮崎一西鹿児島 55 系 " ひまわり” 小倉にて 円 6 レ 10 ー 2 写真 : 関崇博 65
らを」 鹿児島本線を行く 583 系“有明” 九州線特急気動車タイヤ 門司港 0 2 1976-3 写真 : 月岡忠 飛ンネット形クハ 481 を先頭にした 485 系 " 有明” 42 ・ IO•I 多栖田・不代俣内院 熊八水出川伊 GZ 世 9 ①②③④⑤⑥ キキキキキキ キ 82 80 80 80 80 80 82 この特急増発は , 博多ー西鹿児島間急行 " かいもん " 2 往復中 , 下り第 1 ・上り第 2 " かいもん " の博多ー熊 本間は格上げされたため , 同急行 113 ・ 112D はなぎ さ " と改められたが , 時間的にみると , 北九州からのビ ジネスダイヤで登場した . ョン・サン・トウ時刻改正では , 熊本までの複線化完 了と軌道強化によるスビードアップは , まことに効果的 で , かっ白紙改正による列車設定により " 有明 " は , 上 りはついに 6 時間を割ることになり , またスヒ。ードアッ プ分は門司港の発着時刻を修正し , 次に改められた . ( 下り ) 11D 有明門司港 7 : 00 西鹿児島 13 : 12 ( 上り ) 12D 有明西鹿児島 16 : 55 門司港 22 : 54 そして , 特急 " 有明 " の地盤が着々と固められると , やはり乗客は誘発され , ついには予備車を使って週末に は臨時増結が行なわれた . 限られた両数での措置には限 度もあったが , その実績によって 45 年 3 月 1 日から 9 両 化が実現されることとなった 60
崎大 分門司港 宮 ( 上り ) 8 : 00 → 11 : 12 508 11 : 49 → 15 : 23 7 : 24 → 506 12 : 04 505 列車 マス オ オ ス スス ハ / 、フ ロ ロ 門司港ー大分 508 列車 マオ ス スオ ス ス ハ フ / 、ロ ロ ノ、 大分一ド司港 その後 , 昭和 33 年 10 月 1 日改正では若干の改正が行な われたが , 基本的には準急 2 往復体制は変わらなかっ た . しかしこの準急をおびやかしたのは , 昭和 33 年から の DC " ひかり " の登場で , その輸送体系は大きく書き 変えられるのであった . 2 ー 2 DC 準急の登場 九州の DC 準急の話題は , なんといっても " ひかり " の 登場で , まったく「ひかり」のような早業で観光地を結 ぶこの列車の身軽さは , 当時としてはアッと驚かせたも のであった . スタートは昭和 33 年 4 月 25 日 , 春の行楽シ ーズンに合わせて博多一別府間に , 5 月 1 日には熊本へ 延長する活躍ぶりで , 乗務員のエンド交換で自由に運転 可能な気動車は , 以降の発展への試金石でもあった . ーて円 62 ー 10 ー 1 大分に 写真 : 奈良崎博保 博 多門司港大分宮崎 ( 下り ) 15 : 17 →熊本 18 : 04 3906 ひかり 豊線の利便はおおいに増した . その後 , この京都準急は 12 : 10 → 15 : 18 昭和 26 年 11 月 25 日 , 東海道・山陽線の併結列車を " 阿蘇 " 17 : 09 13 : 50 → 17 : 25 に求め , 晴れて東京直通が実現して客車を都城で受け持 17 : 55 → 21 : 03 つあたり , 地元の意欲が感じられる . この列車は " たか 大 分門司港博 多 宮 崎 ちほ ' ' と命名され , 50 年 3 月 10 日まで親しまれた列車で 8 : 00T 11 : 11 あった . 11 : 49 さて , 昭和 28 年 3 月 19 日 , 長崎準急とともに大分第 2 7 : 24 → 12 : 00 臨時準急が増発された . 14 : 46 → 17 : 58 3905 ひかり熊本 12 : 00 → この臨時準急は , のちに同年 11 月 11 日から定期化され 14 : 46 たが , これで日豊線は朝・昼・夜の 3 本の急・準急行体 当時急行ながら小倉ー別府間 1 時 この " ひかり”は , 制となった . しかし大分以北は 3 往復ながら , 以南にあ 間 50 分は格別で , 途中は中津で 1 分停車のみであったの っては 1 往復となっていることから , 大分準急の宮崎延 は今日の特急並みで , 客車準急の 2 時間 40 分と比べると 長が望まれて , 昭和 29 年 10 月 1 日から 12 月 6 日まで 1 往 その威力がおわかりいただけると思う . 復快速列車として臨時延長された . 下り 505 列車 ( 宮崎 その威力を発揮した気動車は , 全区間キハ 55X4 両と 21 : 35 ) , 上り 508 列車 ( 宮崎 7 : 20 ) が選ばれたが , 翌 し , 博多ー別府間キハ 26X2 両の付属編成と合計 6 両編 30 年 3 月 25 日から臨時準急として再び延長運転された . 成で連転されたが , 3 カ月後の 8 月 1 日には 10 分程度到 しかし昭和 30 年 7 月 20 日改正で , 定期格上げが行なわ 達時分を延伸して , 定期・準急行として再出発すること れ , 翌 31 年 11 月 19 日 " あさかせ ' ' が登場した時刻改正で となり , キロ 25 も連結された . は , 次のように改正された . この " ひかり " プームは登場以来続き , 週末における 混雑を防止するため , 休日および休日の前日は全車指定 ( 下り ) 門司港大 分宮 席とした . 34 年 4 月 1 日には , 門司港ー別府運用を都城 17 : 11 → 21 : 47 13 : 50 → 505 へ延長し , これにより博多ー ( 小倉 ) ー熊本間と , 門司港 17 : 25 一都城間の 2 系統の列車が小倉一別府間併結運転をする 17 : 55 → 21 : 03 507 508 列車 507 列車 スス ス スス / 、フ ロ ー 3 博多旧駅を発車する 26 系”ひかり” 円 58 ー 5 ー 17 写真 : 奈良崎博保 58 系急行に格上げされた " ひかり ” 1 D → 21 : 47 505 507 ( 上り ) 508 506 → 15 : 24 6 み