編成 - みる会図書館


検索対象: 鉄道ファン 1977年3月号
61件見つかりました。

1. 鉄道ファン 1977年3月号

: 第心え当マ 1959 ー 4 写真・筆者 狛正一和泉多摩川間を快走する SE 車 " 神山” 2 月に第 2 編成が完成し , 4 月から営業に入った . 9 月 内の列車種別は準急 ( 後に急行 ) であったが , 小田急線 にさらに第 3 ・第 4 編成が人り , S E ・ N S E 合わせて 内は特急扱いとしていたので , 特別準急と呼んでいた . 8 編成となり , ほば 30 分時隔運転が始まり , 一部余剰カ 現在では連絡急行と称している . 後殿場線直通用には S をもって " さがみ”号 , 途中停車特急が始められた . そ E 車を充当することにしたが , 1 編成の定員が 354 名で の後 , さらに輸送力の増強を計るため , 41 年 3 月に第 5 は輸送カ過剰となるおそれがあり ( 従来は定員約 80 名の 気動車が 1 ~ 3 両編成で連行 ) , また , すでに S E 車を ・第 6 編成 , 42 年 3 月に第 7 編成が増備され , 定期検査 もって運行している " さがみ " ・ " えのしま”の減少は好 時を除いてははこね特急の NSE 車による 30 分時隔連転 ましくないとの見地から S E 車を短編成化し , 編成本数 か可能となり , S E 車はもつばら途中停車特急 " さがみ " を増加させるという方法をとることとした . そのさい車 や江ノ島線特急 " えのしま " の増発に対応することにな 体の内外にわたって改造が行なわれた . 8 両編成 4 本を 5 両編成 6 本に組み替え , 残余の 2 両は廃重した . 主な改 NS E 車は S E 車の連接構造や低床低重心 , 高速域に おける高加減速等の思想を引き継いだか , 客席サービス キハ 55 系 2 連で快走する " 銀嶺”玉川学園ー鶴川間にて の向上を計り , 車幅は限界一杯の 2900mm に拡げ , 広窓の 円 57 ー 10 ー 16 写真 : 久保敏 採用 , 回転ロマンスシートの背すり・ふとんの改良を行 なった他 , 第 1 ~ 第 4 編成は床下にヒートボンプ方式に よる冷暖房装置 , 第 5 ~ 7 編成は床下は冷房装置のみと し , 暖房は従来どおり全電熱式を採用した . またトイレ は沿線黄害 ? を考慮して , この時すでにタンク式を採用 した . 2 階式連転室は名鉄 7000 系に先をこされたが , そ の構想は 1700 系設計時にすでにあり , 研究されたが諸般 の状況で実現を見なかったものである . 連転室への出人 りは名鉄と異なって車内から行なう構造となっている . 43 年 7 月 , 御殿場線の電化が完成し , 30 年 10 月以来 , 当社が行なってきた新宿 - 御殿場間直通気動車準急は電 車にその席を譲ることになった . 準急と書いたが国鉄線 67

2. 鉄道ファン 1977年3月号

第編デ↓をを 箱根観光の花形 NS を車の行きちがい 改造 , さらに現在は 3 扉ロングシートに改造し , 急行・ 車の 10 連化 , 編成の増備など考えられたが , けっきよく 準急に活躍している . 新しい特急車を作ることになった . これが現在フル運用 32 年 S 車 3000 系が登場 . これは 12m 車 8 両連接 ( 先 されている NSE 車 3100 系である . 38 年 , NSE4 本・ 頭車は 16m ) , 飛行機を思わす流線形のボディで沿線の S E 4 本で , 箱根特急の 30 分へッド化が完成 , 最高速度 目を引いた . この SE 車が東海道線において , 当時の狭 110km/h の運転を開始 , 現在のパターンができあがっ 軌最高速度 145km / h を出したのは , あまりにも有名であ た . 42 年までに N S E は 7 本が増備された . る . S E 車は 4 編成増備され , これにより 178 系・ 238 特急とは別扱いではあるが , 昭和 30 年から気動車によ 系は格下げられた . 利用客の増加は予想を上回り , SE り御殿場線乗り入れのノンストップ列車を運転 . 国鉄線 内は準急 ( 現急行 ) 扱いで , 特別準急と称していた . 42 年御殿場線電化により , SE を 5 連に改造した SSE 車 により乗り入れている . 現在は , " はこね・あしがら・さがみ・えのしま・あ さぎり " の 5 種類の特急が走り , 名称により停車駅を異 にしている . 小田急のロマンスカーは定期券での乗車が 可能で ( あさぎり号を除く ) , 朝夕の " あしがら " がみ " には通勤客が殺到し , 特急券 1 枚で通勤できると 好評である . 休日 , 日中の " はこね " 号は観光客が主体で , N s E は先頭車が展望室となっているため , 子供をはじめ大人 でも一度は乗ってみたいという気持ちになる . ロマンス カーは国鉄の特急と違い , おしばりのサービス ( " はこ ね " 号のみ ) や車内販売も注文すると座席まで持ってき てくれる親切さがある . いかにも私鉄らしいサービスと いえる . 写真 : 日井政美 走る喫茶室 ロマンスカ = といえは小田急〃といわオ 1 るほとに成長し た特急は , 昭和 23 年に 1600 形で始められて以来 , 2000 形 , 1700 形ぃ 2300 形 , S E±, そして S E 申と幾多の名車 を誕生させ , 年間 760 万人を送ヴるに至りました . 現在ダ根登山鉄道に自通しているはこね〃には主 として N S E ガ使われていまヴ . 11 両連接の低年鵝・高 速・軽量特急車て , 運転室を 2 階にあけにハノラミッワ な展望室と , ビーホーの特殊警音器はあ子様方に好評て ヴ . 車内は光天井广式 , 空調と広 , ロマンスシートそ して編成を 3 分割した色調は , ある車室ては華やなに ある車室ては渋く , またある車室ては甘い雰囲気があり その中て紅茶をヴヴりなガら , 移りゆく車窓の風景に目 をやるのは大人の乙ートてはないてしような . その他の特急としては , あしなら″ さガみ″ えのしま / / などガあり , 沿線主要都市に停車し , 需要 に応じ長・短編成を充当しています . これら特急はレジ ャー各の他 , 通勤容にもこ好評をいただいてありまヴ . ■京成電鉄ー開運特急から空港特急へ 「お不動様の成田山といえは京成電車」とまで東京庶民 に親しまれてきた京成のロマンスカーは , 戦後の開運特 小田急電鉄 当社のロマンスカー PR 22

3. 鉄道ファン 1977年3月号

POST 阪和線旧形 6 連貫通化 和田康之 11 月 17 日にオール 6 連化した阪和線では , 当 初旧形車は 70 系 TcMMTc に朱色の McTc の 増結で非貰通であったが , 順次 70 系 4 連を解 結し , その間に 72 , 60 , 55 の貫通形をいれる 編成となり , 両端に 76 のくる編成もあれば , 他の形式がっくなど乱れつつある . マ阪和線下り区間快速旧形 6 連 . 山中溪一 紀伊 1976 ー 11 -23 急行ビュッフェの営業とりやめ 坂井賢司 あいつぐェル特急と快速列中 : の増発によって 国鉄主要幹線の急行列車は継子扱いされてい る感のある昨今ではあるが , 去る 11 月 30 日限 りで , 最後の急行ビュッフェが営業をとりや め消えた 細々と最後まで営業をつづけていたのは , 信越線の、、信州 " , 、、妙高 " , 中央東線の、、アルプ ス " 等の上下あわせて 16 本のビュッフェだった 最終日の上野にもファンの姿はまったく見かけ られす , なんの案内放送もなく , さびしい引退 となった . かっては , はとんどの急行にビュ ッフェ・食堂車か連結され , 中にはすし屋・ そは屋の営業までしていたものがあったのに と , っくづくと列車パターンの移ろいを感し た 最後の営業をするサハシ 169 ー 5 2303M 西日暮甲 . 1976 ー 11 ー 30 365 ・ 366 ・サハ 1426 の 3 両は , 大井川への 譲渡が決まり所沢工場で改造中である . △走行試験中の E 44 十 C 171 十 M 171 十 E 43 3201 レ新所沢 1976 - 11 - 22 ビスタカー近況 富永裕之 昭和 34 年に名阪直通用として製造された , 10100 系はビスタカーとして近鉄特急の石・板 列車になっているが , 寄る年波に勝てす昭和 52 年中には第 1 次廃車が出るもようである . 計画によると , 52 年度に 34 両のスナックカーー を増備し , 余剰になるビスタカーのうち製造 年度の古い車両 24 両を廃車する . 現在ビスタ カーは , 上本町寄り流線形の A 編成 5 編成 15 両 , 島羽寄リ流線形 B 編成 5 編成 15 両 , 両端 とも貰通の C 編成 8 編成 24 両全車健在で , 主 に名古屋線・大阪線両線で活躍している . 名 古屋線運用は主として , B 編成が工ースカー やスナックカーと 7 連である . 大阪線連用は 名阪乙特急 ( 主要駅停車 ) が中心で , 主に 3 高橋健一 連で多客時には A 編成 + B 編成の 6 連が見ら 栗原電鉄では予備車を確保するために , れ , 往時をしのばせている . なお , 大半の編 成にはスカートが付けられている . ほど西武からクモハ 375 ・ 376 を譲り受け , 所 沢工場で改造の上 C 171 ・ M171 ( 形式 C ・ マ廃止になった青山トンネルに進入するビス M 17 ) として登場させた . 色は今まで ( 1 月 旧西青山駅 1975 ー 11 ー 16 タカー 号 P 96 参照 ) よりカラフルな朱色と黄色の塗 り分けとなっている . これによって , 一昨年の 7 月まで多摩湖線 ( 国分寺ー萩山間 ) で活躍していた国電 11400 台収下げのクモハ 371 形最後の 4 両は , 昨年 大井川へ行った 371 ・ 374 に続いて安堵の地に 落ち着いた なお , 昨年 10 月で検査切れになったクモハ で 10 両編成運転が実現 , 続いて 56 年春には同 ホームの 1 面 2 線の使用が可能となり , さら に池袋駅でも赤羽線用ホームとして , 1 面 2 線が使えるようになれば連転間隔が現在の約 3 分へッドに短縮され , 10 両編成の運転本数 を増やすことができるようになリ , 赤羽線は 大幅に輸送力が増強されることになる . ◆ 52 年 3 月伏見一八事間開業 名古屋市交通局は , このほど建設中の名古屋 市地下鉄 3 号線伏見一八間 8km が 52 年 3 月 18 日開業すると発売した . 同 3 号線は伏見ー 八事間は 48 年 5 月着工以来 , シーールドエの 遅れや財政難などで開通予定が危まれてい たが , このほど軌道工事も終わり新車 37 両搬 入も完了し , あとは駅務関係や電気工事の一 部を残すだけとなっている . 同区間には伏見 ・大須観音・上前津・鶴舞・萃畑・御器所・ 川名・いりなか・八事の 9 駅があり , これら 新製の E F 65 P F 大場雅人 首都圏の旧形電機の代替機として計画されて きた EF65PF がこのはど兵庫 , 川崎重工で 完成した この E F 65 P F は , 昨年の 10 月号 での説明のとおり直流電機中初の新製時から P S 22 B 形パンタグラフを付けている . また , ナンバープレートは E F 651017 号のようなプ レート化されたもので前後左右に同ヒものが 取り付けられている . しかしこれは前者のよ うに切り抜き文字をステンレス板に重ねたも のではなく , 銀色の塗料で数字を書いたもの であったのが少しもの足りなかった . マ整備中の EF651063 鷹取機関区 1976 ー 12 -8 マ 西武 371 形栗原へ を約 15 分で結び , ダイヤはラツンユ時 5 分 , 昼間は 7 分へッドとなっている . 残る八事一 赤池間の工事は 53 年末完成の予定 . ◆全国初の駅の色分け 駅のカラーー化は横浜市営地下鉄 , 札幌地下鉄 で採用 , なかなか好評のようだが , 52 年春開 業予定の東急新玉川線は駅ごとに色分けする という全国で初の試み . 変化のない地下鉄に 親しみやすさと各駅の特徴を鮮明にとネライ を定めているが , このアイデア , 電鉄会社に しては粋なはからいとでもいうべきか , 乗客 の反応の楽しみなところ . では新玉川線がど ういう形で登場するかというと , 電車自体は これといって変化はないが , 渋谷を出て二子 玉川園までの中間 5 駅はすべて色違いとなる . ます , 大橋池尻がカーキ色 , 三軒茶屋は黄色 駒沢公園は緑色 , 桜新町はピンク , 用賀はプ ルー . それぞれ駅周辺の地域特性にちなんだ といい , なかなかのこり方 . また , 各駅ポー ムのタイルはすべて特注の有田焼 . 各駅とも 出口に近づくにつれてタイル張りの密度が細 かくなり , 乗客誘導にも大変な気のつかいよ うだ . 試運転は 1 月早々で 4 月をメドに開業 準備を進めている . ◆総武線複々線化工事本格化へ 総武本線津田沼一千葉間の複々線化工事は , 地平区間については昭和 48 年 11 月から着手 , 高架区間については地元側の反対のため着工 できないという状態が続いていたが , ようや く沿線住民の大多数の同意が得られ , 52 年 1 月未までには地元との話し合いが全面的に解 決する見通しとなった . これにより , 国鉄東京 第 1 工事局ではすでに高架橋建設のための覘 在線移設工事を開始 , 52 年度から本格的建設 なお , 完成は昭 にとりかかることになった . 和 55 年度の予定である . ノ 07

4. 鉄道ファン 1977年3月号

に当い亠、いこ . おい。ー 山支阜 2 み わびるのはファンだけではあるまい . ヘッドで 59 分運転の予定と聞く . 1 日も早い開港を待ち ている . 新国際空港の開港後は上野ー空港間を 30 ~ 40 分 往復となっている . 上野ー成田間の所要は 55 分で直結し 2 本は休車中である . 運転は大まかに平日 3 往復休日 6 れたが , 使用しているのは高砂区の 3 本で , 宗吾支区の が見られる . A E 車は 47 年 2 ~ 3 月に 6 連 5 本が新造さ ンハンドルの操作や定速度制御用の 2 針メーターの動き るのが , われわれファンにとっては何よりも楽しく , ワ もある . 運転席は出入口のデッキからのぞくことができ 色とグレイの床 , シートは転換式ながらピッチが約 1 m 天井とプルーまたはプラウンのシートに白の枕 , レンガ / ヾ - ージュ 0 ) た . 車内の印象は新幹線普通車よりは良く , 急」だけだったが , その後 " スカイライナー " にかわっ っき二重眼瞼のようになった . ヘッドマークは当初「特 ふたえまぶた の仕掛けもなかったが , 2 ~ 3 年前から上辺に日よけが 新幹線のように上へ傾斜したフロントウインドは当初何 される ) の特長は何といっても端正なマスクであろう . 山詣に大活躍を始めた . AE 車 ( 正式には AE 形と呼称 イナー " が " 開運号 " にとってかわり , 年末年始の成田 祝う形で新空港の開港を待たずに AE 車こと。スカイラ 48 年 12 月 30 日には京成上野駅改築工事の一部落成を 3295 ~ 98 の 4 連 1 本だけで 48 年 12 月 29 日まで走った . 金山橋付近で行き交う名鉄のエース 780 系 " パノラマカー 成田詣はスカイライナーで 昭和 47 年巻 , 上野と成田空港をむヴふ特急申両として , A E 形車両を 30 両新造しました . 製作にあをつては , 航 空旅客の利用を考え , 居住性に重点をあいた設計としま した . 最高運転速度は 120 / h て , 特に曲線や勾配の多 い線路条件を考慮し , 界磁チョッハ制御を利用しに定速 運転方式を採用しました . 現在は 6 両編成てヴガ , 将来 10 両編成にまてすることガ可能てヴ . 車両寸法は 3000 系 と同してヴガ , 定員は・ 1 両あたり 56 ~ 64 名て , ・ 1 編成て は 364 名てヴ . べットネー乙は , 全国の小・中学生の応募作のななガ ら、、スカイライナー″に決まりました . 本来 , 上野ー成田空港閻をむヴぶ特急車両てヴガ , 空 港開港ガ遅れているため , 昭和 48 年 12 月 30 日力、ら営業運 転を開始し , 上野ー成田間をノンストップ 55 分でむヴん ていまヴ . 空港ガ開港した時は , 上野ー成田空港間をノ ンストッフ 59 分て走り 1 日 20 彳主復くらい運転し , 1 日あ たり 1 5 , 000 人近く送ヴる吊定てヴ、 京成電鉄 当社のロマンスカー PR

5. 鉄道ファン 1977年3月号

柳川にて円 76 ーⅡー 6 写真 : 慶大鉄研 かっての大牟田線のエースも 3 扉化されたい 205 編成 ) 西鉄大牟田線 1 圓 0 系 5 扉化 このように 1000 系は大牢田線の特急運転開始の前後に , その専用車的意義をもって製造された . また西鉄初の金 属製車体 , WN ないし平行カルダン駆動の初の高性能車 であった . 4 両固定編成は私鉄では小田急 230 ( ) 系・名鉄 5000 系・南海 1 川 01 系に続く 4 番目である . 特急用のた め客用扉は片側 2 カ所・客室内には 40 人 ( MC2 ) ・ 48 人 (MI) 分の固定クロスシートを備えており , 昭和 36 年以 後は外部塗色が従来のマルーン・べージュの塗り分けか ら , コバルトプルーに黄帯の鮮かなものとなり , 正に西 鉄の看板車両となり 16 年間君臨した . ート化された田 00 系車内 ロングシ ロ田 大牟田線のかっての看板車両で利用者から " 青電”とし て長い間親しまれてきた 10g 系クロスシート車が , この 8 月から 3 扉・ロングシート化され , アイスグリ ーンに ポンレッドの帯 ( 508 系と同じ ) の新塗色で登場した . 108 系は昭和 32 ~ 35 年にかけて製造されたもので , 4 両固定編成の 6 本 24 両が在籍する . 車号は次の通り . ( ←大牟田 ) MC2 日車製 1001 ー 1002 ー 1003 ー 1004 昭 32. 5 1005 ー 1006 ー 1007-1008 昭 33. 12 1101 ー 1102 ー 1103 ー 1104 1105 ー 1106-1107 ー 1108 近車製 1201 ー 1202 ー 1203 ー 1204 3 近車製 昭 35. 1205-1206-1207 ー 1208 形式はいすれもモ 100 ( ) 形 ~ 1008 の 2 編成 8 両は当時の福岡ー大牟 1001 田間急行 ( 60 分へッド , 所要時間 82 分 ) の輸送 力増強のため製造されたもので , この結果急行 は , ( 旧 ) 60() 系 3 連 2 編成と 1000 系で運用され , 300 系 ( 2 連 ) ・ 5()0 系 ( 3 車体連接 ) の九州鉄 道以来のクロス車が格下げされた . 1101 ~ 08 ・ 1201 ・ 04 の 3 編成 12 両は翌 34 年 5 月の特急 ( 45 分へッド , 所要時間 75 分 ) 連転開 始に備えて増備されたものである . これにより 特急はすべて 10g 系により運用され , ( 旧 ) 600 系は区間急行 ( 福島一久留米 ) へ転用された . 1205 ~ 08 は 5 月特急 70 分運転にさいし増備さ れたもので , これで 6 編成となり予備車を確保 することができた . MC2 写真 : 慶大鉄研 96

6. 鉄道ファン 1977年3月号

になった . 改造は自社で行なわれ , 8 月に 1205 編成が , 大牟田線が福岡都市圏の通勤鉄道としての色彩を増すに 10 月に 1201 編成が施工され登場した . ドア工ンジンは廃 つれ , 朝夕ラッシ時での特急の乗客が増加し昭和 40 年 車された 110 ー 112 ー 155 , 302--352 , 653 より流用しており , 以降 ( 新 ) 600 系 4 ~ 7 連に量的にはその地位を脅かされ このため扉は片開きである . 改造により客窓を 1 個つぶ たが , それでも日中には看板車両として活躍した . 45 年 し , 1 個を戸袋窓としたが , 中間車 MI は非対称の窓配 頃から 1000 系を更新して冷房化 , 同時に中間車を新造し 置となった . 客室は壁面のデコラ板を全面的に交換 , 薄 て 5 ~ 6 連化して , 若返りをはかろうという構想があっ 茶色から 2000 ・ 5000 系で使用しているグレー系格子模様 たようだが , やがてそれは新特急車計画へ変身した . 入のものになった . 外部塗色はアイスグリーンにボンレ 昭和 48 年 3 月 , ついに 6 両固定編成・転換クロスシー ッドの帯だが , アイスグリーンは 5000 系より少々緑が濃 ト・冷房付の 2000 系新特急車が登場 , 1000 系は看板車両 くなるよう , 調合を変更した由である . の座を降りることになった . 同年 5 月より特急は全列車 51 年度中にあと 1 編成を改造し , 52 年度中には 6 編成 6 連化され , 1000 系は区間急行以下に使用された . 翌年 24 両全車の施工が完了する . しかし同じく " 青電 " でも 夏からは区間急行も 600 系 4 ~ 5 連で冷房化され , とう 1300 系 2 編成 8 両には施工されない見通しである . とう 1 ( ) 00 系はローカル用になてしまった . 昭和 50 年初 大牟田線では明年 2 月に 5000 系 4 連 (Tc-M1-MrTc) 頭からは各車両とも出人口付近のクロスシート 16 人分を 3 本が増備されて 7 連の列車が全て 600 系から 5000 系に 撤去 , ロングシート化して収容力増加をはかり , ラッシ 置き替わり , ローカルにも 600 系 5 ~ 6 連が大量に進出 ュに対処した . する . この増備により 10 両が代替廃車となるが 100 系未 しかしながらやはり 2 扉・クロスシートではラッシュ 更新車 , 300 系が対象となっている . この状況の下で改 時に十分対応しきれす , 乗降時間の増加となって現われ 造された 1 ( ) 00 系は持ち前の高性能で 4 連列車の中核車両 連用上不便をきたした . このため客用扉の片側 3 箇所化 として再び活躍することが期待されている . 全ロングシート化を行ない , 同時に内装も改良すること △ 2 扉クロス時代 い 20 り 円 74 ーに 写真 : 筆者 第ト第 ~ : 第イ朝、ミー 3 扉ロング化された に ( 月編成 円 76 ーⅡー 7 写 : 慶大鉄研 97

7. 鉄道ファン 1977年3月号

ため , 戦災国電の 払い下げ台枠を使 用し鋼体は新造す る . ⑤前項同様の ため電動台車は 特急車のシンルマ・・一クであったゆりと 1600 系から主電 OER をあしらったもの写真 : 久保敏 動機とも転用し , 160 ( ) 系には代わりに払い下げ TR25 台車と MT 7 ~ 10 級 モーターをはかせる . ⑥中間サハは登山線内の条件が良 けれは , 2 ( ) m 車とする . ⑦客扉は極力少なくし , 電動車は 1 対 , 付随車はなし ( 広幅貫通であり , 途中乗降は小田原 のみである ) とする . ⑧トイレ・喫茶台等は設置する . ⑧シートは固定クロスをやめ , 転換クロスとする . ⑩客 窓は広幅とする . 後に監督官庁の指導もあり , ⑦の付随車には非常扉が 対角線に 1 対設ける等若干の変更はあったが , 26 年 2 月 に竣工した . 1700 系第 1 次車が使用開始されるや , 非常に好評で , 望により第 2 編成を同様の設計仕様で新造した . 26 年 8 月のことである . これにより 200 ( ) 系 ( 1910 系を改番ー昭 25.12 ) は完全に予備的存在となり , 平日は通勤用一般 車にも使われるようになった . 27 年 8 月に第 3 次編成 1705X3 が新造されたが , これは前 2 編成と異なり完全 な新造であった . そしてまた , 次の点が変わった . ①前 面は貫通扉を廃し 2 枚窓とした . ②張上屋根とした . ③ 汽笛は複音汽笛 2 組 , 計 4 コとした . ④台車は FS108 形新造台車とした . ⑤主電動機は MB-146-C E を新造 した . ⑥室内燈は初めて交流螢光燈とし , アクリルカバ ー内におさめた . ⑦ MG は交直両用発電式とした . ⑧車 新緑の中をに冊系が快走 側外板に神奈川県花の百合を図案化した大きなシンポル 渋尺ー新松田間にて 1954-5-5 写真 : 筆者 をとりつけた . 3 編成が揃うや , 特急運転本数の増加を行なうととも 当然特急車も軽最カルダン車に切り換えて , より早く , に第 1 ・第 2 編成の改造 , 2000 系旧特急車の格下げが行 より快適なサービスを提供すべきであるという考えはあ なわれた . 第 1 ・第 2 編成の改造のうち , 主なものは F ったが , 単に 2200 系の箱だけを特急用にした車でなく , S 108 台車 6 両分と主電 従来の電車の概念を一変させるような , 徹底的な追及を 当時のニュ - ーフェイス ' 占川京子を使 動機 4 両分の新造であり っての宣伝写真ⅱ引室内円 5 レー 行なって産み出されるべきである , という見地から研究 これにより 1600 系 4 両も が始められ , 車両と運転のみでなく , 保線も電路も , そ 旧に復した . して営業も含めて社内で委員会が組織され , さらに国鉄 26 年頃からカルダン車 技術研究所と共同で研究が進められた . の研究が進められ , 28 ~ この頃 , 特急利用客は増加の一途を辿り , さらに 1 編 29 年頃には阪神 3011 形・ 成増備の要求が営業サイドから強く出された . しかし次 0 東急 5000 系・営団 300 形 期特急車の研究はまだ緒についたはかりであった . そこ 等続々登場し , 小田急も でつなぎとして 1 編成増備が決定した . つなぎの特急車 わが国で一番最初に採用 とはいえ , 今さら吊掛式の 1700 系でもあるまい , という した H S C ー D 形プレー ことで , カルダン車になったが , 将来一般車への格下げ キをもった軽量カルダン を予定している車なので , 車長は 2200 系等の 17.5m に揃 えることとし , これによる定員不足分は 4 両編成とする 57

8. 鉄道ファン 1977年3月号

三大祭りのひとつである秩父夜祭り ( 12 月 3 日 ) には大 増発され , 2 本併結の 8 連特急も登場した . ところが 8 連と 4 連では輸送力が適正でないので , 48 年に所沢工場で中間ュニットを製造 , 第 1 ・ 2 ・ 4 編成 ■西武鉄道ー毎時運転の武蔵野横断特急 に組み込み 6 連となった . 49 年には 6 両固定の第 5 編成 が所沢工場で新造されている . これらの車両のシートは 昭和 44 年 10 月 14 日 , 西武秩父線開業によって秩父へのル ートは大きく変わった . 西武初の特急専用車レッドア 朱色で , 従来とは異なり簡易リクライニングシートで若 ロー " 5000 系は , 従来東武東上線 , 国鉄経由で秩父鉄道 干のサービス向上が見られる . に頼っていた観光客輸送に加わり , " 西武で秩父へ特急 ただし第 3 編成のみは , 増加するタ方の下り特急利用 客に対処するための 6 十 4 の 10 連特急用として , 組み込 83 分 " のイメージ定着に貢献した . 武蔵野鉄道のロマンスカー 5560 系にナンバーを由来す みを 51 年 2 月まで延期した . 51 年 3 月にはダイヤ改正が実施され , 現在行なわれて る 5000 系のうち , 第 1 ・ 2 編成は戦後初めて日立笠戸で 外注製作された . 1 両ごとにシートの色を変え ( 青・金 いる池袋線の特急毎時運転が始まった . これは西武秩父 茶・エンジ・若草 ) , 異なったムード作りを考えている . 行ちちぶ " 号と飯能行むさし " 号をほほ、交互に運転 もちろん冷房付固定窓で , 灰盟は肘掛けに埋め込むなど するもので , 18 時以降は帰宅客吸収のため " むさし " 号 接客サービス面でも新機軸が採用されており , 鉄道友の が集中増発されている . 本数から見ても飯能までは平日 16 本 , 休日 14 本となり , ビジネス特急の性格が強くなって 会のプルーリボン賞を獲得している . その後 44 年度中に第 3 編成が日立笠戸 , 45 年に第 4 編 きている . また新宿線にもこの改正からスジがひかれ , 成が自社所沢工場で増備され 4 連 4 本が出揃った . 日本 西武新宿からの直通西武秩父行 " おくちちぶ " 号 1 往復 正丸峠を越えて秩父の町に着いた 50 系レッドアロー , ーしニ をーーを

9. 鉄道ファン 1977年3月号

、んみをなー 新松田付近円 53 ー 3 ー 30 写真 : 筆者 富士を背に小田原に向かう 17(K) 系 3 次車 " あしがら " ことで補なう他 , 制御・制動装置等極力 2200 系に合わせ , オール M 編成とした . このようないきさつで誕生したのが , 2300 系である . 軽量快速特急として乗務 員の評判は良かったが , 利用客のなかに は 1700 系にくらべ , 広窓が狭窓になった こと , 室内配色が重厚から明快にかわっ たこと等から , 1700 系の方をなっかしむ 人もいた . 新特急車の研究はその後着々と進み , 名称もスーパー・エキスプレス . 略して S E 車と称せられることになった . メー カーは , 車体を日車支・川車 , 台車は近 車 , 主電動機と駆動装置は東洋電機 , 制 御装置は東芝 , 制動装置は三菱等と決定 し , 製作に人った . この間 , 前照燈 ( シ ールドビーム ) ・補助警報装置・ディス クプレーキ等々の実用化試験も行なわれ 第 1 編成 3001 ~ 3008 ( 日車支 ) が 32 年 5 月 20 日に経堂工場に到着した . 続いて 第 3 編成 3021 ~ 3028 ( 日車支 ) も到着し ともに 7 月から使用開始した . 第 2 編成 の 3011 ~ 3018 ( 川車 ) は 8 月に経堂工場 に到着したが , 国鉄総裁と小田急社長と の間に取り交わされた文書により , 将来 のわが国における高速電車の資料を得る ために , 9 月東海道本線に回送し , ます 藤沢一平塚間で , 次いで函南ー沼津間で 各種試験が行なわれた . そのメインエベ ントは 9 月 27 日函南ー沼津間で行なわれ た最高速度試験であった . 11 時頃から 120km/h, 13()km/h と営業列車速度より 新宿を発車小田原へ一路つつ走る 17 開系 小田原付近を快走する 1705 " あしがら” 円 52 ー 10-8 写真 : 筆者 円 53 ー 8 写真 : 高橋弘 第、・、 0 ツ物第物 58

10. 鉄道ファン 1977年3月号

東急の " アオガ工ル " が長野電鉄へ 小林宇一郎 McTc クハ 2551 ~ 2557 十モハ 2501 ~ 2507 こと 5000 系 2 両が , 耐寒耐雪試験 東急の " アオガ工ル” McTMc モハ 2601 ~ 2604 十サハ 2651 ~ 2654 十モハ 2611 のため借り人れの形で長野電鉄へ入ることになった . ~ 2614 東急の旧形車は , あちこちの地方私鉄へ譲渡されてい なお , 今回借り入れの形で長電に入るのは , クハ 2551 るが , 高性能車の転出は初めてで , ちょっとした話題の 十モハ 2611 で , 上記編成計画と異なるが , これは後述の タネになりそうである . 耐寒耐雪改造の効果を , テストする目的でとりあえすっ 1. 長電の地下化と車両計画 くった仮編成のためで , いずれ組み替えられることにな 長野線長野ー善光寺下間の地下化は , 都市計画事業とし て施行されるもので , 10 年以上前に発案され , 当初は高 っている . 3. 改造の内容 架化で進んだが , 長野市側の強い意見によって , 最終的 おもな改造個所は次のとおりである . に地下化に決まり , この時点から車両対策がからんでき 1 ) 屋根をイボ付ビニールとし , 押込形通風器に取り替 た . つまり , 運輸省の車両火災防止対策により , 新造車 は A ー A 基准 , 在来車は A 基準に適合させることになっ える . 2 ) 運転室前面腰板を 6 ミリに強化 . たわけである . 3 ) 運転室を 200 ミリ拡張 , 仕切扉を中央にする . 長電の現有車 50 両のうち , 比較的少ない費用で A 基準 4 ) 床面高さを 30 ミリ下げる ( 0 S と同じ 1140 ミリ ) に . 改造ができるのは , 2000 系特急形 12 両と 0 系 OS カー 4 5 ) 主電動機を 2500 形は新品に取り替え , 2600 ・ 2610 形 両だけで , 残る 34 両は , 新造する場合の 50 % をこえる改 造費を要することとなった . そこで , 他私鉄から適当な は絶縁を強化するほ 車が得られればメリットが多いということで調査した結 か , 防雪工事を施行 . 果 , 東急 5000 系に決まったのであるが , この間の経緯は 6 ) 客室側引戸にレー ルヒーターを新設 . 省略する . 地下化にともなう車両計画は次のとおりである . 7 ) 客室内ヒーター反 4 両ー -- ー・一屋代ー須坂間専用に残す ( 地下線に入れない ) 射形 ( 計 15.3kW ) に取り替え . 26 両ーーーー東急 5000 系と入れ替える なお , 外部塗色は , 長 4 両 -- ーーー新 OS カーと人れ替える 電在来事と同様 , ファ 2. 東急 5000 系の導入計画 26 両の長電における編成計画は次のとおりである . ストレッドとストロー クリームであるが , 塗 McTc 7 編成 , McTMc 4 編成 長電では , これらを 2500 系と総称し , 2500 系と 2600 系に り分け方に新鮮味を出 細別する , 番号は次のようになる . ( 左湯田中 ) している . 中央に移設された仕切扉 円 76 ーに一田各写真 : 編集部 奇抜な塗り分けが目を引く ( モハ 26 Ⅱ ) 東急鷺沼検車区にて 0 以よー 95