柳川にて円 76 ーⅡー 6 写真 : 慶大鉄研 かっての大牟田線のエースも 3 扉化されたい 205 編成 ) 西鉄大牟田線 1 圓 0 系 5 扉化 このように 1000 系は大牢田線の特急運転開始の前後に , その専用車的意義をもって製造された . また西鉄初の金 属製車体 , WN ないし平行カルダン駆動の初の高性能車 であった . 4 両固定編成は私鉄では小田急 230 ( ) 系・名鉄 5000 系・南海 1 川 01 系に続く 4 番目である . 特急用のた め客用扉は片側 2 カ所・客室内には 40 人 ( MC2 ) ・ 48 人 (MI) 分の固定クロスシートを備えており , 昭和 36 年以 後は外部塗色が従来のマルーン・べージュの塗り分けか ら , コバルトプルーに黄帯の鮮かなものとなり , 正に西 鉄の看板車両となり 16 年間君臨した . ート化された田 00 系車内 ロングシ ロ田 大牟田線のかっての看板車両で利用者から " 青電”とし て長い間親しまれてきた 10g 系クロスシート車が , この 8 月から 3 扉・ロングシート化され , アイスグリ ーンに ポンレッドの帯 ( 508 系と同じ ) の新塗色で登場した . 108 系は昭和 32 ~ 35 年にかけて製造されたもので , 4 両固定編成の 6 本 24 両が在籍する . 車号は次の通り . ( ←大牟田 ) MC2 日車製 1001 ー 1002 ー 1003 ー 1004 昭 32. 5 1005 ー 1006 ー 1007-1008 昭 33. 12 1101 ー 1102 ー 1103 ー 1104 1105 ー 1106-1107 ー 1108 近車製 1201 ー 1202 ー 1203 ー 1204 3 近車製 昭 35. 1205-1206-1207 ー 1208 形式はいすれもモ 100 ( ) 形 ~ 1008 の 2 編成 8 両は当時の福岡ー大牟 1001 田間急行 ( 60 分へッド , 所要時間 82 分 ) の輸送 力増強のため製造されたもので , この結果急行 は , ( 旧 ) 60() 系 3 連 2 編成と 1000 系で運用され , 300 系 ( 2 連 ) ・ 5()0 系 ( 3 車体連接 ) の九州鉄 道以来のクロス車が格下げされた . 1101 ~ 08 ・ 1201 ・ 04 の 3 編成 12 両は翌 34 年 5 月の特急 ( 45 分へッド , 所要時間 75 分 ) 連転開 始に備えて増備されたものである . これにより 特急はすべて 10g 系により運用され , ( 旧 ) 600 系は区間急行 ( 福島一久留米 ) へ転用された . 1205 ~ 08 は 5 月特急 70 分運転にさいし増備さ れたもので , これで 6 編成となり予備車を確保 することができた . MC2 写真 : 慶大鉄研 96
第物 , 言を。みプ手洋洋。 ~ 二ナ 超デラックスな展望車南海クハ 19g 形は戦後“こうや”号に使用された . 高野下にて 1954-9 ー 11 写真 : 高橋弘 は 2 連固定・ MM' ュニットの 700 系を投入 , 週末特急 ラ・メーーノレ” " パルラータ”に使用するとともに , 翌年 からの特急の終日運転に備えた . 後に 4 連固定に改造さ れ 60() 系となっている . また西鉄も 32 年に 4 連固定 MM ′ ユニットの 1000 系を製造し , 特急運転をはじめた . 山陽は 32 ( 1957 ) 年 , 2000 系に転換クロスシートを装備 し特急用に使用した . 増備車にはステンレスカーや私鉄 初のアルミカーも登場した . 神戸電鉄も急行用に 300 形 を製造したが , メーカーの関係で京浜急行 700 系と似た スタイルである . 32 年に登場した長野電鉄の特急用 2000 系は McTMc の 3 連ながら , スタイルは先の名鉄 5000 系にそっくりであ る . 36 年の 10020 系を中心とする富山地鉄の特急車群も , 近鉄 2250 系の特急すずか”号 三本松付近にて 1959-9-3 写真 : 高橋」 : 弘 1952 ー 8-24 写真所蔵 : 編集部 南海クハ 19 形の車内 幕あけである . ロマンスカーでは 28 ( 1953 ) 年にまず京阪 が 1800 系で , 在来車と同じスタイルながら全金車体・カ ルダン駆動を採用した . 翌年からはテレビ受像もはじめ 以後 " テレビカー " の名は京阪特急を示すものとなった . 翌 29 年に登場した奈良電デハポ 1200 形はこの京阪 1800 系 の影響をうけて造られたもので , 特急用に充当された . 近鉄に合併後 , 改造されてモ 680 形となった . 全金車体で , 25 年に登場した国鉄湘南電車の正面 2 枚 窓流線形をとり入れたスタイルは当時のプームとなった がその先陣を切ったのが 29 ( 1954 ) 年の阪神 3011 形である 固定クロスシートをもつ 3 連固定の特急用で悲願の阪神 25 分運転を達成した . 阪神唯一のロマンスカーであった 続いて名鉄は翌年 4 連固定 MM ′ュニットの 5000 系を 名古屋本線特急用として登場させた . 南海は 29 年に全金 ・カルダンの 11001 系 ( 現 1000 系 ) を本線特急用に製造 , 31 年の増備車からは湘南スタイルの 4 連固定となった . 33 年に同系スタイルの高野線急行用 21001 系 ( 現 21000 系 ) が登場し , 特にズームカーと呼ばれている . 京浜急行 み 3
ーロロー ロロ ーロ 0 ■ 0 0 ー 9 7 5 76 69 ー 970 64 ー 965 66 4 3 7 2 59 ー 960 8 6 7 6 ー 9 5 5 西暦ー 92021 3 6 49 ー 950 5 ー 3 4 ー 9 3 5 36 24 ー 92 5 26 6 39 ー 940 4 ー 4 4 ー 9 4 5 46 っ 9 ー 930 3 ー 8 5 7 5 6 5 3 4 7 3 4 5 5 7 4 3 3 8 2 2 3 5 8 4 4 3 2 2 3 3 ロ 0 ロ 0 局 0 0 0 0 0 ー 0 0 ー 50 ー 9 阪急 6300 名鉄キハ 8000 小田急 3100 名鉄 7000 名鉄 5500 小田急 3000 小田急 2300 京成クハ 1500 東武 5700 南海電 7 京阪 3000 近鉄 12000 京成 1600 湘南デ 1 小田急モハニ 101 山陽 820 名鉄 3400 0 0 0 ロ ・ 20 西鉄 1000 0 225 ー ロロ 0 近鉄 16000 西鉄 2000 名鉄 5000 Ⅲ 111 ⅲⅢ 11 京浜 500 京阪 1900 南海 20000 近鉄 10100 京阪 1550 東武 1800 国鉄 181 系 近鉄 18 0 0 0 国鉄 4 81 系 国鉄新幹線 近鉄 16 0 0 0 京成 319 0 近鉄 114 0 0 名鉄 7 5 0 0 ロ 0 近鉄 2250 九鉄 300 参急デ 2200 ( 旧 ) 名岐 800 0 0 小田急 1 9 1 0 8 8 0 0 8 0 2 ・は ロ 0 ? 0 フ 0 0 南海キハ 5501 山陽 2000 近鉄 18200 西武 5000 東武 1700 0 0 富山 10020 京阪 1700 新京阪ディ 100 阪急 2800 阪急 900 南海モハ 2001 ( 冷 名鉄 8 5 0 東武テハ 阪神 3011 -0 一 0 0 5 長野 2000 東武 1720 京浜 700 近鉄 6431 西鉄 600 大鉄デニ 500 南海クハ 1900 台 広 ス国鉄 381 系 名鉄 7 7 0 0 ラ イ ・トロ 阪和モョ 100 ロ 0 0 0 304 ロ 近国鉄 151 系 南毎 210 01 戸近鉄 18200 南海 11009 近鉄モ 6401 0 名鉄 3 9 0 0 田 田急 17 0 0 1 国鉄系 南毎クハ 2 8 01 阪各 ) 810 阪急 710 国鉄 4 8 9 系 国鉄 18 3 ~ 泉【成 3 2 9 0 国鉄 5 81 系 【 ( 1 ・ 8 4-0 0 一 ( ・ーっ 4 っ 4 0 0 国鉄 4 8 5 系 近鉄 18 2 0 0 西鉄 13 0 0 近鉄 10 4 0 0 富山 14 7 2 0 国鉄 15 7 系 阪急 13 0 0 東武 1710 富山 14 7 8 0 京阪 1810 京阪 18 0 0 南毎 110 01 奈良テハポ 12 0 0 富山 14 7 7 0 」田急キハ 5 0 0 0 西鉄 5 0 0 鉄道省モハ 京阪 関急モハ 九鉄 10 0 宀物 ( 00 っ 0 -30 鉄道省モハ盟 京浜テ ん大タタ 1 ・ 0 東武トク 5 0 0 南毎モハ 3 01 武蔵野 5 5 6 0 京阪 15 8 0 愛電 3 3 0 0 伊勢モハニ 2 31 鉄道省モハ 愛電 3 0 8 0 備考 5 49 50 8 4 4 46 44 4 5 3 4 2 4 4 39 40 8 3 3 6 3 34 3 5 3 3 2 3 29 30 3 ー 8 2 つ 4 つ 5 26 3 3 2 5 6 4 正 大 20 8 4 2 2 3 0 昭元 4 2 号 年
REPORT 最近の貨車の話題 埴岡寿 従来 , 本誌にあまり取り上げられることの 少ない分野に貨車があるが , 最近 , 各種需 要の増大・変化に応じて種々の新形式車両 や改造車が生まれている . これらのうち , 比較的目につきやすい車両や , 変わった車 両を 2 ~ 3 紹介する . ■コンテナ車の改造 ( 4 個積化 ) 国鉄のコンテナ車には , 大別して旧 5 t コ ンテナを 5 個積載するコキ 5500 ・コキ 10000 両形式の系列と , 昭和 46 年以降新製された 新 5 t コンテナ ( 旧 5 t より大形 ) を 5 個 積載するコキ 50000 形式の二つのグループ がある ( 他に海上コンテナ用コキ 1000 形式 などもある ) が , 前者はコンテナ緊定金具 の位置により , このままでは新 5 t コンテ ナは 2 個しか積めない . このため , 新 5 t コンテナの増備により , コンテナ緊定金具 を移設し新旧どちらでも 4 個積載可能とす る工事が実施されている . ます , 昭和 47 年 からコキ 550 ( ) 形式 , 49 年からはコキ 10000 形式について改造が行なわれている . これ らの改造車は金具位置が異なるとともに荷 重が 34t から 28t に減少している . この区 別のため , 改造車の車号は原番号の頭に 2 を冠したものに変更されている ( 例 : コキ 10123 →コキ 210123 ). コキフ 10000 形式 は , 昭和 51 年から従来の 4 個積を 3 個積と する改造が行なわれ , 車号は他と同様頭に 2 を冠したものとなり , 荷重は 28 t から 21 t となった . 荷重 21 t は本来コサフとなる べきところである ( キは 25 t 以上 ) か , 現 、第物個積化されたコキフ幻 0022 、 ' ・第、物第みをを , 、 : 、 . 吹田にて円 76 ー 3- 新 △上 : ワサー改造のヤ田 苗穂にて 1976 ー l( レ 7 中 : ヮム 8000 ( ) 改造のヤ 82 新得にて円 76 ー川一 6 下 : ヤ田の荷崩れ防山装置 苗穂にて円 76 ー川一 7
3 扉化され 5000 系と同一の塗装になった 1000 系 筑紫ー津古間にて 写真 : 慶大鉄研 1 976-1 1 - 7 トピック 長電へ行く東急 5000 系と 3 扉化された西鉄 1 000 系 長電色に塗られ現地送りを待つ 5000 系 ( 長電 2500 系 ) カラー 鷺沼庫にて 写真 : 編集部 1 9 76 - 1 2 - 1 0 2 4 V ー電池 第電第
画 - ヤ△マ△マ語 : △マ△第一マ凶・ ) を 42 ←をごまま言癶に 阪神初の高性能車はロマンスカーであった ( 3011 形 ) 円 60 ー 3 ー 7 写真 : 高橋弘 甲子園にて 窓配置など共通点が多い . この長 野・富山の特急は座席指定ではな いが , 特急料金を徴収する . いつばう有料特急の分野では , この時代に運転体系が確立され , おのおののトレードマークとなっ た車両が誕生した . 東武は 31 ( 1956 ) 年に 5700 系の近 代化版の , 2 両固定・ MM ′ュニッ トの 1700 系を製造したが 35 ( 196 の 年に至って 6 連固定でサロンルー ムをもち , 独特なデザインの先頭 1962 ー 2 ー 28 写真 : 久保敏 萩の茶屋にて 部をもつ DRC1720 系を登場させ 国鉄との競争に大きく水をあけた 松阪にて 写真 : 田尻弘行 小田急も 30 ( 1955 ) 年に 1700 系の マイナーチェンジ車 , 4 連固定 MM' ュニットの 2300 系を登場さ せたが , 32 ( 1957 ) 年には流線形・ 8 車体連接の S E 車 3000 系を登場 させ , その技術水準の高さは世間 をアッといわせた . 近鉄は名阪特急用に 3 車体連接 うち 2 両をビスタードームとし , これを含んだ 7 連のビスタカー 10000 系を 33 ( 1958 ) 年に登場させ たが , 翌年名古屋線広軌化ととも に 3 車体連接・全軸駆動の新ビス タカー 10100 系を大量投入 , 直通 。、物を豊を物第 ~ ー △南海の高性能ロマンスカ - ー 1 1 形 先頭部の冷房機が特徴の近鉄 2250 系
特集・華麗なる私鉄ロマンスカー られ 1 日上下 3 本の定期特急が走るに至った . 伊勢電鉄 や列車電話 ( ともに現在は廃止 ) の設備 , おしほりサー ビスなどの私鉄ならではのサービスを満喫した . また名 の方は参急への対抗意識が強く , 名古屋乗り入れという 阪乙特急・伊勢特急用として 36 年には旧ェースカー 10400 本来の使命を置き去りにして , 新松阪ー大神宮前間に参 系を , 38 年には旧形車の一掃と増発を目的に 11400 系が 急との重複路線をわざわざ敷設し , 桑名一大神宮前間を 製造された . 1 時間 30 分でぶっ飛ばす特急 " 神路 " ・ " 初日 " を 1 日上下 2 本走らせ , 軽快なモハニ 231 系 ( 後のモ 6231 系 ) が 100 39 年 , 東京ー新大阪間に新幹線が開業したが , これに km / h で参急のモ 2200 系に対抗した . しかし始発駅が桑 あわせて近鉄特急も体質改善をはかり , 京都ー橿原神宮 名であった伊勢電は , 名古屋地区からの乗客を誘致する 前間に , 旧奈良電の車両を改造した 680 系をデビュー ことがことができす , 業績は年々悪化し , ついに 11 年参 せ新幹線と直結 . 翌 40 年には旧形車の部品流用の 18000 宮急行に合併されてしまった . 参急はその後関西急行鉄 系がデビューし , 京都ー奈良間にも特急を新設 . いつほ 道をへて現在の近畿日本鉄道となった . 戦後の特急復活 う 40 年には南大阪・吉野線にも本格的特急車 16000 系か は国鉄に先んすること 2 年 , 22 年 10 月 8 日に上本町一名 ーした . また同年には大阪・名古屋から湯の山温 アビュ 古屋間に中川乗り換えとはいえ , クロスシート全席指定 泉へ直通特急を設け , さらに 41 年には長年の夢であった の特急 " すすか " 京都ー伊勢直通特急が 18200 系 ( 複電圧車 ) によって始 " かつらぎ " がさっそうとデビュー た . 使用車両は大阪線モ 2200 系新 , 名古屋線はモ 6301 系 められた . この直通特急は八木で大阪線特急と併結され が充当された . その後 , 28 年にノーシル・ノーヘッダー るものであった . 42 年にはビスタカーに変わる新しい近 のモ 2250 系・モ 6421 系が登場し , それまで旧形車はかり 鉄の顔としてスナックカー 12000 系が , また 44 年には であった特急電車陣に新風を吹き込んだ . 33 年にわが国 京都ー伊勢特急の増発用として 18400 系が新造され , ス 初のビスタドームを持つ本格的 2 階電車 10000 系 7 両編 ナックコーナー・リクライニングシート等を設けサービ 成が大阪線に , また 6431 系が名古屋線にそれぞれ就役し ス向上を計った . 45 年には難波・志摩線等の一連の工事 その翌年には伊勢湾台風で大被害を受けた名古屋線を復 が完成し万国博の開催とあいまって乗客が急増し , つい 旧のさい , 大阪線と直通すべく広軌に拡幅 , 新ヒスタカ に 48 年伊勢特急は大阪発 6 連・京都発 4 連で八木ー鳥羽 間 10 連という長大編成に成長したが , 50 年秋の新青山ト ー 10100 系を導入し , 大阪ー名古屋間直通運転が実現し ンネル開通によるダイヤ改正のため京都ー伊勢特急は大 た . 名阪間利用者は " 2 階電車の魅力 ' とシートラジオ 右から新エース・ピスタ・スナック・旧ェースと揃った近鉄特急 米野にて 1975 ー 7 写真 : 伊藤秀夫 ヤ、二へ鵞 29
吉家 ・大好評 / ・ ・残数あとわすか。 追分機関区での営業用蒸気機関車の歴史的な最期、音の記録 としては幻とまで言われてきたせのはち ( 山陽本線・瀬野 ~ 八本松での C62 ・ D52 ) 等収録 / 永遠の思い出 し日の気機関車 営業 ・ニ俣線 C58 重連さよなら列車豊橋発車走行音 気機関車の最期 なら 9600 お別れ式 b . 追分機関区最 ・山陽本線 ( 瀬野 ~ 八本松 ) a . C62 ~ D52 2 列車 600 入換添乗音 C . ありし日の追分機関区 特別急行さくら通過音 b . D52 ~ D52 重連貨物 列車通過音 右北本線、 ~ 西女満別発車・美幌到着 C58 旅客列車 ・鹿児島本線伊集院 C57 ~ C57 旅客列車発車音 ・志布志線都城 C 58 貨物列車発車音 / 他 走行音 ・奥羽本線大館 C 61 旅客列車発車走行音 ・企画・構成野向敏男 ・態越東線要田 D60 貨物列車発車音 ・陸羽東線長沢 ~ 新庄 C58 旅客列車走行車内音 ・ BH - 9001 ~ 2 (30cmLP 2 枚組 ) *3,600 ・日中線会津加納 ~ 熱塩 C 11 旅客走行音 ☆写真入豪華解説付 ・中央西線鳥居峠 D51 臨急ちくま 52 号走行音 SL の歴史の中で最も多くの名機関車を残した明治・大正の SL を厳選集録 / ありし日の孫気機関車 ・大井川鉄道井川線 ( 千頭 ~ 川根両国間 ) 1275 形く 12 75 〉添乗音 ・北炭眞谷地専用線 ( 眞栄町 ~ 沼の沢間 ) 8100 形〈 5051 〉添乗音・・ ・・昭和 41 年 3 月録音 ・日鉄鉱業羽鶴専用線 ( 常盤 ~ 羽鶴間 ) 1070 形く 108 の通過音 ・・・昭和 44 年 9 月録音 / 他 ・構成利根常昭 ・ UOP ー 9004 (30cmLP) *2,300 ☆写真入豪華解説付 ・花輪線 ( 岩手松尾 ~ 龍ケ森間 ) 8620 形三重連〈 88 ・・昭和 46 年 5 月録音 620 十 2 輌〉 967 レ通過音 ・久大本線 ( 豊後三芳 ~ 豊後中川間 ) 8620 形〈 78625 〉 ・・昭和 45 年 7 月録音 629 レ通過音 ・米坂線 ( 手の子 ~ 羽前沼沢間 ) 9600 形〈 9634 〉 123 し通 ・・昭和 47 年 2 月録音 ・美唄鉄道 ( 盤の沢 ~ 我路間 ) 4110 形〈 4122 〉 11 レ過 ・・・昭和 46 年 5 月録音 ・北炭眞谷地専用線 ( 沼の沢附近 ) 4110 形く : 5055 〉通 ・・・昭和 46 年 3 月録音 ・大井川鉄道井川線 ( 千頭 ) 1275 形〈 1275 〉出発音 狩勝峠から日本最期の SL 旅客、さよなら列車岩見沢到着迄 永遠の思い出 明治伏正の 3 たら : 第ミ ー第 4 集 ヨーロッパの S L ~ ポ ーランド・チェコスロ パキア編 ~ ■第 5 集 ヨーロッパの S L ~ オ ーストリア・スイス・ 西ドイツ編 ~ ・第 6 集 インドネシアの S L ~ ジャワ・スマトラ編 ~ ■第 7 集 英国の S L ー第 2 集 ■第 1 集 ・第 3 集 第第 8 集 南アフリカの S L ヒマラヤ鉄道山岳 SL 台湾鉄路の SL たち 泰緬鉄道最後の SL ー第 9 集 アメリカの保存鉄道 ・第 10 集 南アメリカ・アンテス ・ U L P -1003 ¥ 2 , 200 ・ UOP-9001 \ 2 , 300 ・ UOP - 9003 \ 2 , 300 の S L ・ SL ー 1406 ~ 8 ( 30cmLP3 枚組 ) \ 4 , 500 外ラ 海イ 今後のシリースの発売予定 上ユせこ、 0 物ユ : ン 1- ド ディ第 1- R を ( 0R05 and TA PES 明治正の 3 たち
蒸気機関車の角度 国に「 > ロ 0 ド〒ロ 一小 - を - 康・止 堂々 1 000 枚の写真で C 62 から 8 620 までの全容と 小寺康正写真集 : 、い第に 四ッ切アル " ハム大の大型紙面にあふれる蒸気 機関車の威容。全景写真はもとよリ、クロー ズアップによる細部描写も多数。 O から大正の名機にいたるまて、三万枚のネガ から選んた千枚の写真がファンを魅了する / 小寺康正 0 、一 = 0 ■ C 6 2 20 頁 77 枚■ C 6 ー 6 頁円枚・ C 5 9 ロ頁 56 枚 ・ C 6 0 9 頁 20 枚・ D 5 2 田頁 52 枚■ D 6 2 6 頁図枚 ・ D 5 ー 26 頁 83 枚■ D 6 ー 4 頁枚・ D 5 0 田頁 67 枚 ■ D 6 0 6 印 5 枚・ C 5 8 頁 46 枚・ C 5 7 32 頁田 3 枚 ・ C 5 6 8 頁 33 枚・ C 5 5 20 頁 73 枚・ C 5 4 8 頁 20 枚 ■ C 5 3 7 頁 29 枚・ C 5 一円頁 64 枚■ C 5 0 8 頁引枚 ・ 862024 頁 75 枚・ 960023 頁 76 枚他に部分特集など多数 B 4 変型判 ( 四切アルバム大 ) 増届リ安子評発中′オ→ ' →。頁・高級印刷 5 7 0 0 円 ( 荷造送料 300 円 ) 全国有名模型店にて発売中・書店にも御注文くたさい
になった . 改造は自社で行なわれ , 8 月に 1205 編成が , 大牟田線が福岡都市圏の通勤鉄道としての色彩を増すに 10 月に 1201 編成が施工され登場した . ドア工ンジンは廃 つれ , 朝夕ラッシ時での特急の乗客が増加し昭和 40 年 車された 110 ー 112 ー 155 , 302--352 , 653 より流用しており , 以降 ( 新 ) 600 系 4 ~ 7 連に量的にはその地位を脅かされ このため扉は片開きである . 改造により客窓を 1 個つぶ たが , それでも日中には看板車両として活躍した . 45 年 し , 1 個を戸袋窓としたが , 中間車 MI は非対称の窓配 頃から 1000 系を更新して冷房化 , 同時に中間車を新造し 置となった . 客室は壁面のデコラ板を全面的に交換 , 薄 て 5 ~ 6 連化して , 若返りをはかろうという構想があっ 茶色から 2000 ・ 5000 系で使用しているグレー系格子模様 たようだが , やがてそれは新特急車計画へ変身した . 入のものになった . 外部塗色はアイスグリーンにボンレ 昭和 48 年 3 月 , ついに 6 両固定編成・転換クロスシー ッドの帯だが , アイスグリーンは 5000 系より少々緑が濃 ト・冷房付の 2000 系新特急車が登場 , 1000 系は看板車両 くなるよう , 調合を変更した由である . の座を降りることになった . 同年 5 月より特急は全列車 51 年度中にあと 1 編成を改造し , 52 年度中には 6 編成 6 連化され , 1000 系は区間急行以下に使用された . 翌年 24 両全車の施工が完了する . しかし同じく " 青電 " でも 夏からは区間急行も 600 系 4 ~ 5 連で冷房化され , とう 1300 系 2 編成 8 両には施工されない見通しである . とう 1 ( ) 00 系はローカル用になてしまった . 昭和 50 年初 大牟田線では明年 2 月に 5000 系 4 連 (Tc-M1-MrTc) 頭からは各車両とも出人口付近のクロスシート 16 人分を 3 本が増備されて 7 連の列車が全て 600 系から 5000 系に 撤去 , ロングシート化して収容力増加をはかり , ラッシ 置き替わり , ローカルにも 600 系 5 ~ 6 連が大量に進出 ュに対処した . する . この増備により 10 両が代替廃車となるが 100 系未 しかしながらやはり 2 扉・クロスシートではラッシュ 更新車 , 300 系が対象となっている . この状況の下で改 時に十分対応しきれす , 乗降時間の増加となって現われ 造された 1 ( ) 00 系は持ち前の高性能で 4 連列車の中核車両 連用上不便をきたした . このため客用扉の片側 3 箇所化 として再び活躍することが期待されている . 全ロングシート化を行ない , 同時に内装も改良すること △ 2 扉クロス時代 い 20 り 円 74 ーに 写真 : 筆者 第ト第 ~ : 第イ朝、ミー 3 扉ロング化された に ( 月編成 円 76 ーⅡー 7 写 : 慶大鉄研 97