1700 - みる会図書館


検索対象: 鉄道ファン 1977年3月号
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1. 鉄道ファン 1977年3月号

ーロロー ロロ ーロ 0 ■ 0 0 ー 9 7 5 76 69 ー 970 64 ー 965 66 4 3 7 2 59 ー 960 8 6 7 6 ー 9 5 5 西暦ー 92021 3 6 49 ー 950 5 ー 3 4 ー 9 3 5 36 24 ー 92 5 26 6 39 ー 940 4 ー 4 4 ー 9 4 5 46 っ 9 ー 930 3 ー 8 5 7 5 6 5 3 4 7 3 4 5 5 7 4 3 3 8 2 2 3 5 8 4 4 3 2 2 3 3 ロ 0 ロ 0 局 0 0 0 0 0 ー 0 0 ー 50 ー 9 阪急 6300 名鉄キハ 8000 小田急 3100 名鉄 7000 名鉄 5500 小田急 3000 小田急 2300 京成クハ 1500 東武 5700 南海電 7 京阪 3000 近鉄 12000 京成 1600 湘南デ 1 小田急モハニ 101 山陽 820 名鉄 3400 0 0 0 ロ ・ 20 西鉄 1000 0 225 ー ロロ 0 近鉄 16000 西鉄 2000 名鉄 5000 Ⅲ 111 ⅲⅢ 11 京浜 500 京阪 1900 南海 20000 近鉄 10100 京阪 1550 東武 1800 国鉄 181 系 近鉄 18 0 0 0 国鉄 4 81 系 国鉄新幹線 近鉄 16 0 0 0 京成 319 0 近鉄 114 0 0 名鉄 7 5 0 0 ロ 0 近鉄 2250 九鉄 300 参急デ 2200 ( 旧 ) 名岐 800 0 0 小田急 1 9 1 0 8 8 0 0 8 0 2 ・は ロ 0 ? 0 フ 0 0 南海キハ 5501 山陽 2000 近鉄 18200 西武 5000 東武 1700 0 0 富山 10020 京阪 1700 新京阪ディ 100 阪急 2800 阪急 900 南海モハ 2001 ( 冷 名鉄 8 5 0 東武テハ 阪神 3011 -0 一 0 0 5 長野 2000 東武 1720 京浜 700 近鉄 6431 西鉄 600 大鉄デニ 500 南海クハ 1900 台 広 ス国鉄 381 系 名鉄 7 7 0 0 ラ イ ・トロ 阪和モョ 100 ロ 0 0 0 304 ロ 近国鉄 151 系 南毎 210 01 戸近鉄 18200 南海 11009 近鉄モ 6401 0 名鉄 3 9 0 0 田 田急 17 0 0 1 国鉄系 南毎クハ 2 8 01 阪各 ) 810 阪急 710 国鉄 4 8 9 系 国鉄 18 3 ~ 泉【成 3 2 9 0 国鉄 5 81 系 【 ( 1 ・ 8 4-0 0 一 ( ・ーっ 4 っ 4 0 0 国鉄 4 8 5 系 近鉄 18 2 0 0 西鉄 13 0 0 近鉄 10 4 0 0 富山 14 7 2 0 国鉄 15 7 系 阪急 13 0 0 東武 1710 富山 14 7 8 0 京阪 1810 京阪 18 0 0 南毎 110 01 奈良テハポ 12 0 0 富山 14 7 7 0 」田急キハ 5 0 0 0 西鉄 5 0 0 鉄道省モハ 京阪 関急モハ 九鉄 10 0 宀物 ( 00 っ 0 -30 鉄道省モハ盟 京浜テ ん大タタ 1 ・ 0 東武トク 5 0 0 南毎モハ 3 01 武蔵野 5 5 6 0 京阪 15 8 0 愛電 3 3 0 0 伊勢モハニ 2 31 鉄道省モハ 愛電 3 0 8 0 備考 5 49 50 8 4 4 46 44 4 5 3 4 2 4 4 39 40 8 3 3 6 3 34 3 5 3 3 2 3 29 30 3 ー 8 2 つ 4 つ 5 26 3 3 2 5 6 4 正 大 20 8 4 2 2 3 0 昭元 4 2 号 年

2. 鉄道ファン 1977年3月号

写真 : 高井薫平 南紀直通客車を引く往年の南海ロマンスカー 2 0 形 写真 : 岩沙克次 戦後も特急に活躍した東武 5310 系 28 ( 1953 ) 年に至り新形車を投入した . 大阪線 2250 系 , 名 国鉄の準急 " 日光 " 号に対抗する東武は 26 ( 1951 ) 年に 古屋線 6421 系であり , まもなく冷房化・シートラジオの 5700 系を製造した . 同じ年に小田急は箱根特急用に 1700 系を投入した . 共に客用扉を少なくした完全な座席指定 取り付けを行ないサービス向上を図った . 用の設計で , 一部の車両は先頭部を 2 枚窓の流線形とし 3. ロマンスカーの発展 ( 昭和 30 ~ 40 年 ) た . 28 ( 1953 ) 年には京成にも同じような構造で , 客室で 昭和 20 年代末から 30 年代初頭にかけては , 電車界の大革 テレビを受像する 1600 形が登場 , 特急 " 開運 " 号として 命期である . 全金属製車体・カルダン駆動方式がほば同 じ頃開発され , 1500V 用の MM ′制御方式やオール M 方式 活躍した . とともにものすごい勢いで普及した . 高性能車プームの 近鉄は戦後いちはやく座席指定特急の運転を始めたが 写真提供 : 阪急電鉄 写真提供 : 阪急電鉄 阪急京都線 710 系 阪急 1300 系クロスシート車 ~ 第 0 叮 " 開運号”に使用の京成クノ、 15g 形 戦前・戦後の名鉄ロマンスカーの顔合わせ 新岐阜にて 1955 ー 2 ー 4 写真 : 高橋弘 1952 ー 8 写真 : 吉村光夫 高砂にて に 0 ー

3. 鉄道ファン 1977年3月号

DRC 1720 系“けごん”快走 。、を第物を一 1976-10 写真 : 増田泉 戦後はいち早く 23 年 6 月運転再開 , 東武日光行は " 華 厳 " , 鬼怒川温泉行は鬼怒のトレインマークを付け た . 26 年 , 新たに 5700 系が登場 , 31 年には高性能の 1700 系とあいついで新形車にモデルチェンジ , そして 35 年 9 ■東武鉄道ー豪華誇る日光・鬼怒川特急 月には現在の 6 両固定編成のデラックスロマンスカー 1720 系が華々しくデビ = ーした . ジュークポックスや回 東武鉄道の特急運転は , 日光線の全通した昭和 4 年 10 月 転イスをそなえたサロンルーム , ビュフェ , マジックド から , まず一般車両によって浅草 ( 現在の業平橋 ) ー東 ア付きという , 国鉄のグリーン車をしのぐ豪華車両で , 武日光間で始まった . その後昭和 10 年 , 特急専用ロマン 対日光間の国鉄との競争に決定的な勝因をもたらした . スカーデハ 10 系 ( 後の 5310 ・ 350 形 ) が誕生 , 優等車両 その後 1700 系も 1720 系と同様の車体に更新されている . による特急運転の幕明けをつげている . 1976-10 写真 : 石井謙一 西新井一竹ノ塚間の複々線区間で 808 系と行き交う。きぬ " ノ 5

4. 鉄道ファン 1977年3月号

に CK 京 京成 1600 系 東武 1700 系 新古河ー栗橋間にて 写真 : 伊東隆 1 971 - 5 - 16 京阪 1800 系 近鉄 2250 系 国分一安堂間にて 写真 : 久保敏 1959 - 3 - 3 1 三条にて 写真 . 久保敏 近鉄 10000 系 高安にて 1 9 6 1 - 3 - 3 1 写真 : 飯島濺 1959- 3 - 1 1

5. 鉄道ファン 1977年3月号

京阪 00 系 2 両目がテレピカー なった名阪ノンストップ特急に使用した . 以後各線に特 急が運転され , 多くの特急用車が次々と製造された今日 でも , ビスタカーは近鉄特急の代名詞である . 南海は大阪難波一高野山極楽橋間の特急用として , 36 ( 1961 ) 年にデラックスがキャッチフレーズの " 新こうや " 号 2 01 系 ( 現 2008 系 ) を製造した . 30 年代も後年になると有料特急車はすべて冷房付とな ったが , マイカー普及率の高い名鉄では都市間連絡の特 別料金なしの特急に 5500 系冷房車を 34 ( 1959 ) 年に投入し た . しかも 36 ( 1961 ) 年には同特急に , 運転席を 2 階に上 げて最前部までを客室にしたパノラマカー 7000 系を登場 させ , マイカーに対抗した . この運転席を 2 階に上げた 構造は , 38 ( 1963 ) 年の小田急の有料特急 , 11 車体連接の NS E 車 3100 系にも受け継がれた . 阪神間の都市間連絡特急は利用客の増加により阪急・ 阪神ともロングシート車に切り替え , 頻発性と速度を争 うようになった . 阪急は京阪間でも一時ロングシート車 に切り替えたが , 速度でおくれをとる京阪が 38 ( 1963 ) 年 に転換クロスシートの 1900 系を新造するにおよび , 翌年 急きょ 2800 系を製造したというエピソードがある . 40 ( 1965 ) 年 , 名鉄は国鉄高山線乗り入れ急行用として 8000 系ディーゼルカーを新造した . これは 10 年後に日本 初の国鉄乗り入れ特急となる . 私鉄のディーゼル特急は 牧野ー御殿山間にて 円 57 ー川 写真 : 高橋弘 ミ 2 を」を町材鰮り : をな噬 : △奈良電デハボ 1200 形油坂付近にて 1954 一日一 20 マ東武 57g 系 日光にて円 53 ー 8 写真 : 吉村光夫 マ近鉄 6 生引系 マ東武 1720 系と 1700 系 松阪にて 1960 ー川一 3 写真 : 高橋弘 写真 : 田尻弘行 写真 : 飯島厳 45

6. 鉄道ファン 1977年3月号

ため , 戦災国電の 払い下げ台枠を使 用し鋼体は新造す る . ⑤前項同様の ため電動台車は 特急車のシンルマ・・一クであったゆりと 1600 系から主電 OER をあしらったもの写真 : 久保敏 動機とも転用し , 160 ( ) 系には代わりに払い下げ TR25 台車と MT 7 ~ 10 級 モーターをはかせる . ⑥中間サハは登山線内の条件が良 けれは , 2 ( ) m 車とする . ⑦客扉は極力少なくし , 電動車は 1 対 , 付随車はなし ( 広幅貫通であり , 途中乗降は小田原 のみである ) とする . ⑧トイレ・喫茶台等は設置する . ⑧シートは固定クロスをやめ , 転換クロスとする . ⑩客 窓は広幅とする . 後に監督官庁の指導もあり , ⑦の付随車には非常扉が 対角線に 1 対設ける等若干の変更はあったが , 26 年 2 月 に竣工した . 1700 系第 1 次車が使用開始されるや , 非常に好評で , 望により第 2 編成を同様の設計仕様で新造した . 26 年 8 月のことである . これにより 200 ( ) 系 ( 1910 系を改番ー昭 25.12 ) は完全に予備的存在となり , 平日は通勤用一般 車にも使われるようになった . 27 年 8 月に第 3 次編成 1705X3 が新造されたが , これは前 2 編成と異なり完全 な新造であった . そしてまた , 次の点が変わった . ①前 面は貫通扉を廃し 2 枚窓とした . ②張上屋根とした . ③ 汽笛は複音汽笛 2 組 , 計 4 コとした . ④台車は FS108 形新造台車とした . ⑤主電動機は MB-146-C E を新造 した . ⑥室内燈は初めて交流螢光燈とし , アクリルカバ ー内におさめた . ⑦ MG は交直両用発電式とした . ⑧車 新緑の中をに冊系が快走 側外板に神奈川県花の百合を図案化した大きなシンポル 渋尺ー新松田間にて 1954-5-5 写真 : 筆者 をとりつけた . 3 編成が揃うや , 特急運転本数の増加を行なうととも 当然特急車も軽最カルダン車に切り換えて , より早く , に第 1 ・第 2 編成の改造 , 2000 系旧特急車の格下げが行 より快適なサービスを提供すべきであるという考えはあ なわれた . 第 1 ・第 2 編成の改造のうち , 主なものは F ったが , 単に 2200 系の箱だけを特急用にした車でなく , S 108 台車 6 両分と主電 従来の電車の概念を一変させるような , 徹底的な追及を 当時のニュ - ーフェイス ' 占川京子を使 動機 4 両分の新造であり っての宣伝写真ⅱ引室内円 5 レー 行なって産み出されるべきである , という見地から研究 これにより 1600 系 4 両も が始められ , 車両と運転のみでなく , 保線も電路も , そ 旧に復した . して営業も含めて社内で委員会が組織され , さらに国鉄 26 年頃からカルダン車 技術研究所と共同で研究が進められた . の研究が進められ , 28 ~ この頃 , 特急利用客は増加の一途を辿り , さらに 1 編 29 年頃には阪神 3011 形・ 成増備の要求が営業サイドから強く出された . しかし次 0 東急 5000 系・営団 300 形 期特急車の研究はまだ緒についたはかりであった . そこ 等続々登場し , 小田急も でつなぎとして 1 編成増備が決定した . つなぎの特急車 わが国で一番最初に採用 とはいえ , 今さら吊掛式の 1700 系でもあるまい , という した H S C ー D 形プレー ことで , カルダン車になったが , 将来一般車への格下げ キをもった軽量カルダン を予定している車なので , 車長は 2200 系等の 17.5m に揃 えることとし , これによる定員不足分は 4 両編成とする 57

7. 鉄道ファン 1977年3月号

画 - ヤ△マ△マ語 : △マ△第一マ凶・ ) を 42 ←をごまま言癶に 阪神初の高性能車はロマンスカーであった ( 3011 形 ) 円 60 ー 3 ー 7 写真 : 高橋弘 甲子園にて 窓配置など共通点が多い . この長 野・富山の特急は座席指定ではな いが , 特急料金を徴収する . いつばう有料特急の分野では , この時代に運転体系が確立され , おのおののトレードマークとなっ た車両が誕生した . 東武は 31 ( 1956 ) 年に 5700 系の近 代化版の , 2 両固定・ MM ′ュニッ トの 1700 系を製造したが 35 ( 196 の 年に至って 6 連固定でサロンルー ムをもち , 独特なデザインの先頭 1962 ー 2 ー 28 写真 : 久保敏 萩の茶屋にて 部をもつ DRC1720 系を登場させ 国鉄との競争に大きく水をあけた 松阪にて 写真 : 田尻弘行 小田急も 30 ( 1955 ) 年に 1700 系の マイナーチェンジ車 , 4 連固定 MM' ュニットの 2300 系を登場さ せたが , 32 ( 1957 ) 年には流線形・ 8 車体連接の S E 車 3000 系を登場 させ , その技術水準の高さは世間 をアッといわせた . 近鉄は名阪特急用に 3 車体連接 うち 2 両をビスタードームとし , これを含んだ 7 連のビスタカー 10000 系を 33 ( 1958 ) 年に登場させ たが , 翌年名古屋線広軌化ととも に 3 車体連接・全軸駆動の新ビス タカー 10100 系を大量投入 , 直通 。、物を豊を物第 ~ ー △南海の高性能ロマンスカ - ー 1 1 形 先頭部の冷房機が特徴の近鉄 2250 系

8. 鉄道ファン 1977年3月号

、んみをなー 新松田付近円 53 ー 3 ー 30 写真 : 筆者 富士を背に小田原に向かう 17(K) 系 3 次車 " あしがら " ことで補なう他 , 制御・制動装置等極力 2200 系に合わせ , オール M 編成とした . このようないきさつで誕生したのが , 2300 系である . 軽量快速特急として乗務 員の評判は良かったが , 利用客のなかに は 1700 系にくらべ , 広窓が狭窓になった こと , 室内配色が重厚から明快にかわっ たこと等から , 1700 系の方をなっかしむ 人もいた . 新特急車の研究はその後着々と進み , 名称もスーパー・エキスプレス . 略して S E 車と称せられることになった . メー カーは , 車体を日車支・川車 , 台車は近 車 , 主電動機と駆動装置は東洋電機 , 制 御装置は東芝 , 制動装置は三菱等と決定 し , 製作に人った . この間 , 前照燈 ( シ ールドビーム ) ・補助警報装置・ディス クプレーキ等々の実用化試験も行なわれ 第 1 編成 3001 ~ 3008 ( 日車支 ) が 32 年 5 月 20 日に経堂工場に到着した . 続いて 第 3 編成 3021 ~ 3028 ( 日車支 ) も到着し ともに 7 月から使用開始した . 第 2 編成 の 3011 ~ 3018 ( 川車 ) は 8 月に経堂工場 に到着したが , 国鉄総裁と小田急社長と の間に取り交わされた文書により , 将来 のわが国における高速電車の資料を得る ために , 9 月東海道本線に回送し , ます 藤沢一平塚間で , 次いで函南ー沼津間で 各種試験が行なわれた . そのメインエベ ントは 9 月 27 日函南ー沼津間で行なわれ た最高速度試験であった . 11 時頃から 120km/h, 13()km/h と営業列車速度より 新宿を発車小田原へ一路つつ走る 17 開系 小田原付近を快走する 1705 " あしがら” 円 52 ー 10-8 写真 : 筆者 円 53 ー 8 写真 : 高橋弘 第、・、 0 ツ物第物 58

9. 鉄道ファン 1977年3月号

富士山をバックに御殿場線をカ走する SSE 車”あさぎり” 湯本乗り入れが , 登山鉄道の 3 線化 ( 登山 = 1435mm , をいド第 小田急 = 1067mm ) により実現し , 特急運転も箱根湯本 まで延長された . さらに , 25 年 9 月には毎日 3 往復に増 強された . 特急の需要は次第に高まり , 27 年全車転換式 クロスシートの 1700 系を造った . 1910 形と同じく , McT 堂々 11 連接を連らねて快走する NSEXP " はこね” ■小田急電鉄ーピーホーのロマンスカー 小田急の場合 , 特急というよりもロマンスカーという言 葉を強調し , 親しまれている . 昭和 11 年 , 新宿ー小田原にノンストップの特急が毎土 曜日に運転された . 車両は , 当時使用されていた一般車 ではあるが , 座席定員制を採用し , 現在の特急運転の足 がかりとなった . この特急は戦中・戦後の一時期を除き 運転された . 戦後はまず , 23 年 1600 形による週末特急 が連転され , さらに 24 年 , 面目を一新した小田急に初 の特急専用車が登場した . 最近廃車になった 1900 系であ る . 当初は , McTMc の 3 両編成で特急車と普通車と が作られた . 特急車はセミクロスシートで , 1910 形と 呼はれ 3 編成が作られた . これにより特急は毎日運転さ れるようになった . また , かねてから念願であった箱根 NSE 車の前頭部はチビッコでいつも大賑わい 大根ー大秦野間にて写真 : 日井政美 20

10. 鉄道ファン 1977年3月号

シックな塗装と独特なマスクを誇る京成 AE 特急“スカイライナー 京成成田一宗吾参道間にて 写真 : 後藤文男 1975 ー 5 ー 18 急から現在は流線形の空港特急スカイライナーへと大変 革をとげている . 京成の座席指定特急は昭和 27 年 5 月 1 日に誕生してい あせた感がぬぐえず , 遂に 38 年 12 月に製造されたリリー る . 当時 , 戦災復興も一段と進み同年 3 月には国鉄 EF フ役の通勤兼用セミクロス車 3190 形 ( 3191 ~ 94 ) へその 58 が新ボディで登場 , 4 月には国鉄高崎線の全線電化が 任を譲った . 3190 形とはいえ , 3150 形のうちの 4 両を便 完成 , 西の近鉄では 2200 系特急 " すすか・かつらぎ・あ 宜上扉間にクロスシートを配しただけであり , 大幅なサ った・なにわ " 号が名阪間を 3 時間を切る駿足で大活躍 ービス低下となった . していた . こういった社会情勢から成田山詣に座席指 42 年 12 月には , さらに 3290 形 ( 3291 ~ 98 ) 4 連 2 本が同タイプで登場し , 先の 3190 形 定の特急をとの要望が高まってきたのに応えて前年から と 6 連 2 本に組み替えられて 47 年秋まで活躍その後は 運転を復活していた急行 " 護摩号 " 用のクロスシート車 1500 形を急きょ " 開運号にひきあて東武特急や小田急 特急と伍することとなった . 所要時間は 84 分であった . 宗吾参道のトンネルをくぐりぬける AE 車 1975-5-18 写真 : 太田正行 " 開運号 " の評判は非常に良く成田講中などの利用者 から大歓迎を受けることになり , 戦前派車両よりデラッ クスな専用車を一一の気連が急速に高まり 1600 形へと発 展した . この 1600 形は 28 年 6 月には早々とその雄姿を現 わし万雷の拍手を受けた . 1600 形の特長は , 前面 2 枚窓のいわゆる湘南タイプに ヘッドマークを掲げ , それを囲む翼形の装飾と側扉が非 対称の 1 カ所であり , 窓の上下に走るサイドラインがス ビード感と王者の貫祿を漂よわせていた . さらには , 私 鉄界初のリクライニングシートを備えて , 放送間もない テレビを取りつけて力道山全盛のプロレス放送を受像す る力の入れようでたちまち人気の的となった . この時の 所要時間は 75 分で 33 年には 60 分連転を実現している . 40 年代の高度成長期に入り , 虎の子 1600 形もさすが色 23