1976 - みる会図書館


検索対象: 鉄道ファン 1977年3月号
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1. 鉄道ファン 1977年3月号

嘉、ユュ 53 スエーデン国鉄の新鋭 R c 4 の引く列車 SJ の新鋭機 Rc4 速水育 スエーデン国有鉄道 (SJ) は数年前に写真資料室 を廃止しているのて , 他の国鉄が供与するようなサ ービスは取リ止めている . 同国最大 , そしてヨーロッパても有数の電機工業 会社てあるアセア ( A S E A は略称 ) の首脳者は , 私の懇請を受け入れて写真班を特派し , Rc4 が引く 都市間急行の撮影にあたらせたが , その一部をお目 にかけることとした . 会社の回答によると , オース トリア国鉄 ( 0 B B ) 向けに , 1971 年 3 , 600 kW 4 両 , その後 4 , 000 kW 6 両を輸出しているが , この電 機はアムトラックに貸・与・した 1 両やスエーデン国鉄 に納入した 70 両と同一の形式てある . アムトラック は北東回廊のテスト期間を終了すればアセアに返還 する契約てある . わざわざ Rc 4 を借リ入れた理由 の一つは , 同出力のアメリカ新製電機に比し , 半分 以下の重量に抑えている魅力にあるらしい . アセアは S J から Rc シリーズ 200 両を受注してお リ , 内訳は Rc1 形 20 両 , 1969 年 Rc2 形 100 両 , 1970 年 Rc3 形 10 両 , 1975 年 Rc4 形 70 両となっている . 出力・速度・歯車比等性能て多少の差異はあるが , Rc シリーズは全部サイリスター・コンパータを装備 している . 0 材当 9 ノ

2. 鉄道ファン 1977年3月号

東山北ー山北間にて 1976 ー 2 写真 : 太田正行 計画か進められており , そのつなぎとして暫定的に 2300 系特急車が造られた . これは小田急初のカルダン車 2200 系をもとに造られ , オール電動車で正面は湘南形を採用 また今では数多くある簡易リクライニングシートを使用 し , 好評を得た . この車両は後年 , セミクロスシートに 新松田一渋沢間にて 1975 ー 4 写真 : 後藤文男 Mc の 3 両編成で , これにより 1910 形は 2000 形に改番さ れ , 一般車になった . これらの車両は , W c ・放送室・ 喫茶室をもうけ , 現在の " 走る喫茶室 " の基礎となった . 利用客の増加は 1 日 3 往復ではさはききれす , 特急車を 増備することになったが , のちの本格的特急車 S E 車の 日、イ 0 物 E

3. 鉄道ファン 1977年3月号

味坂一端間間にて 1976-11 ー 6 写真 : 渡辺浩一 2000 系 ( 1974 年ローレル賞受賞 ) が投入され , 筑紫路の 覇者たる地位をますます不動のものとした . このように大手私鉄とよはれながらもっとも高速鉄道 部門の比率が小さく , しかもひとり中央から離れた九州 にありながら , 西鉄特急電車を語ると数多くのトピック を過去から現在に至るまで有している . これは耶馬台国 として古代日本に覇を唱えたこの地方の , この人々の気 質から , 誇りから来るものかもしれない . 柳川車庫に並ぶ西鉄の新しい主役 2 開 0 ・ 5 開 0 系 筑紫平野を突っ走る西鉄のエース 2g0 系 筑紫路を駆け抜ける黄色い特急 速い / 30 分ことに発車し . 福岡ー大牟田間 75.1 を 6 引 分 , 最高速度 95krn / h て走ります . ~ 現在は高架工事にとも なっ除行運転のため 68 分を要していま 0 ガ , 併行ヴる国 鉄鹿児島本線の特急 ( 59 分 ) ・急行 ( 66 分 ) と比べて遜 色ありません、 ( 国鉄の博多ー大牟田間のキロ程は 69.3 朝 ) 安い / 福岡ー大牟田間 420 円て , 特急料金・座席指定 料金などはいたきません . ちなみに同区間の国鉄運員 は 520 円てを急行は 9 印円 , 特急は何と 1720 円てヴ . 快適 / 昭和 49 年度ローレル賞を受賞した 2000 系は現在 36 両あり , 転換ワロスシート・希房・空気パネなどを備 え , 乗り心地は満点てヴ . 2000 系は清掃周期を他車より 早くし , また申内吊り広告もしないなど , 特急車として のイメージを保つ努力をしていまヴ . 1976 ー 1 1 ー 5 写真 : 慶大鉄研 士を 西日本鉄道 当社のロマンスカー PR

4. 鉄道ファン 1977年3月号

凾 0 のを , アルプスを背に快走する電車特急トランサルピン . 今夏には客車化される . トランサルピンの衣替えと OBB の新鋭電機 1042 ・ 1044 速水育 のチューリヒとバーゼ丿レに伸びる電車急行て , TEE てはないが , 準 T EE として観光客に親しまれてい る . 2 , 500kW の電動車と制御車各 1 両 , 付随車 4 両 の計 6 両編成て , 1 等車 1 , 1 ・ 2 等車 1 , 2 等車 2 食堂車に分類されている . この列車は 2 等車ても , 1 等並みの 2 人と 1 人の座席配置てある . トランサ ルビンは乗客の利用状況に基づき , 1977 年の夏季時 刻改正を期して 1042 形電機 ( 4 , 000kW , 83.5 トン 16.22 m ) が引く客車列車に置き換えられる . 1042 は国内て 100 両新造するが , さらに 1044 形 ( 5 , 280 kW 84 トン , 16 m ) も 24 両発注している . トランサ丿レヒ ン用の客車は 1976 年末に引き渡される . オレンジと アイボリー装の客車列車はシューリレンて新造さ れた客車を使用しておリ , 国内の都市間急行として 1976 年 10 月から運転している . トランサ丿レビンもこ んな編成になるが , 外装にどんな色彩を選ぶのかは 未詳てある . ウィーン・ザノレップ丿レグ・インスプ丿レック・ブレガ ンツの西部線は , オーストリア連邦鉄道 ( O B B ) の最も重要な幹線て , ヨーロッパの各地に直通する 国際急行が通リ , 各列車の表定速度も国内幹線中て 最も高い . トランサルヒ。ンはウィーンから西部線経由スイス 1044 の運転室 , ノ / ノ 92

5. 鉄道ファン 1977年3月号

POST 阪和線旧形 6 連貫通化 和田康之 11 月 17 日にオール 6 連化した阪和線では , 当 初旧形車は 70 系 TcMMTc に朱色の McTc の 増結で非貰通であったが , 順次 70 系 4 連を解 結し , その間に 72 , 60 , 55 の貫通形をいれる 編成となり , 両端に 76 のくる編成もあれば , 他の形式がっくなど乱れつつある . マ阪和線下り区間快速旧形 6 連 . 山中溪一 紀伊 1976 ー 11 -23 急行ビュッフェの営業とりやめ 坂井賢司 あいつぐェル特急と快速列中 : の増発によって 国鉄主要幹線の急行列車は継子扱いされてい る感のある昨今ではあるが , 去る 11 月 30 日限 りで , 最後の急行ビュッフェが営業をとりや め消えた 細々と最後まで営業をつづけていたのは , 信越線の、、信州 " , 、、妙高 " , 中央東線の、、アルプ ス " 等の上下あわせて 16 本のビュッフェだった 最終日の上野にもファンの姿はまったく見かけ られす , なんの案内放送もなく , さびしい引退 となった . かっては , はとんどの急行にビュ ッフェ・食堂車か連結され , 中にはすし屋・ そは屋の営業までしていたものがあったのに と , っくづくと列車パターンの移ろいを感し た 最後の営業をするサハシ 169 ー 5 2303M 西日暮甲 . 1976 ー 11 ー 30 365 ・ 366 ・サハ 1426 の 3 両は , 大井川への 譲渡が決まり所沢工場で改造中である . △走行試験中の E 44 十 C 171 十 M 171 十 E 43 3201 レ新所沢 1976 - 11 - 22 ビスタカー近況 富永裕之 昭和 34 年に名阪直通用として製造された , 10100 系はビスタカーとして近鉄特急の石・板 列車になっているが , 寄る年波に勝てす昭和 52 年中には第 1 次廃車が出るもようである . 計画によると , 52 年度に 34 両のスナックカーー を増備し , 余剰になるビスタカーのうち製造 年度の古い車両 24 両を廃車する . 現在ビスタ カーは , 上本町寄り流線形の A 編成 5 編成 15 両 , 島羽寄リ流線形 B 編成 5 編成 15 両 , 両端 とも貰通の C 編成 8 編成 24 両全車健在で , 主 に名古屋線・大阪線両線で活躍している . 名 古屋線運用は主として , B 編成が工ースカー やスナックカーと 7 連である . 大阪線連用は 名阪乙特急 ( 主要駅停車 ) が中心で , 主に 3 高橋健一 連で多客時には A 編成 + B 編成の 6 連が見ら 栗原電鉄では予備車を確保するために , れ , 往時をしのばせている . なお , 大半の編 成にはスカートが付けられている . ほど西武からクモハ 375 ・ 376 を譲り受け , 所 沢工場で改造の上 C 171 ・ M171 ( 形式 C ・ マ廃止になった青山トンネルに進入するビス M 17 ) として登場させた . 色は今まで ( 1 月 旧西青山駅 1975 ー 11 ー 16 タカー 号 P 96 参照 ) よりカラフルな朱色と黄色の塗 り分けとなっている . これによって , 一昨年の 7 月まで多摩湖線 ( 国分寺ー萩山間 ) で活躍していた国電 11400 台収下げのクモハ 371 形最後の 4 両は , 昨年 大井川へ行った 371 ・ 374 に続いて安堵の地に 落ち着いた なお , 昨年 10 月で検査切れになったクモハ で 10 両編成運転が実現 , 続いて 56 年春には同 ホームの 1 面 2 線の使用が可能となり , さら に池袋駅でも赤羽線用ホームとして , 1 面 2 線が使えるようになれば連転間隔が現在の約 3 分へッドに短縮され , 10 両編成の運転本数 を増やすことができるようになリ , 赤羽線は 大幅に輸送力が増強されることになる . ◆ 52 年 3 月伏見一八事間開業 名古屋市交通局は , このほど建設中の名古屋 市地下鉄 3 号線伏見一八間 8km が 52 年 3 月 18 日開業すると発売した . 同 3 号線は伏見ー 八事間は 48 年 5 月着工以来 , シーールドエの 遅れや財政難などで開通予定が危まれてい たが , このほど軌道工事も終わり新車 37 両搬 入も完了し , あとは駅務関係や電気工事の一 部を残すだけとなっている . 同区間には伏見 ・大須観音・上前津・鶴舞・萃畑・御器所・ 川名・いりなか・八事の 9 駅があり , これら 新製の E F 65 P F 大場雅人 首都圏の旧形電機の代替機として計画されて きた EF65PF がこのはど兵庫 , 川崎重工で 完成した この E F 65 P F は , 昨年の 10 月号 での説明のとおり直流電機中初の新製時から P S 22 B 形パンタグラフを付けている . また , ナンバープレートは E F 651017 号のようなプ レート化されたもので前後左右に同ヒものが 取り付けられている . しかしこれは前者のよ うに切り抜き文字をステンレス板に重ねたも のではなく , 銀色の塗料で数字を書いたもの であったのが少しもの足りなかった . マ整備中の EF651063 鷹取機関区 1976 ー 12 -8 マ 西武 371 形栗原へ を約 15 分で結び , ダイヤはラツンユ時 5 分 , 昼間は 7 分へッドとなっている . 残る八事一 赤池間の工事は 53 年末完成の予定 . ◆全国初の駅の色分け 駅のカラーー化は横浜市営地下鉄 , 札幌地下鉄 で採用 , なかなか好評のようだが , 52 年春開 業予定の東急新玉川線は駅ごとに色分けする という全国で初の試み . 変化のない地下鉄に 親しみやすさと各駅の特徴を鮮明にとネライ を定めているが , このアイデア , 電鉄会社に しては粋なはからいとでもいうべきか , 乗客 の反応の楽しみなところ . では新玉川線がど ういう形で登場するかというと , 電車自体は これといって変化はないが , 渋谷を出て二子 玉川園までの中間 5 駅はすべて色違いとなる . ます , 大橋池尻がカーキ色 , 三軒茶屋は黄色 駒沢公園は緑色 , 桜新町はピンク , 用賀はプ ルー . それぞれ駅周辺の地域特性にちなんだ といい , なかなかのこり方 . また , 各駅ポー ムのタイルはすべて特注の有田焼 . 各駅とも 出口に近づくにつれてタイル張りの密度が細 かくなり , 乗客誘導にも大変な気のつかいよ うだ . 試運転は 1 月早々で 4 月をメドに開業 準備を進めている . ◆総武線複々線化工事本格化へ 総武本線津田沼一千葉間の複々線化工事は , 地平区間については昭和 48 年 11 月から着手 , 高架区間については地元側の反対のため着工 できないという状態が続いていたが , ようや く沿線住民の大多数の同意が得られ , 52 年 1 月未までには地元との話し合いが全面的に解 決する見通しとなった . これにより , 国鉄東京 第 1 工事局ではすでに高架橋建設のための覘 在線移設工事を開始 , 52 年度から本格的建設 なお , 完成は昭 にとりかかることになった . 和 55 年度の予定である . ノ 07

6. 鉄道ファン 1977年3月号

写真 : 増田泉 橋本一紀伊清水間にて 1976-10 551 形であった . " 浪速 " ・。和歌”・“浜寺”・“大浜”・住 " 淡輪 " 号の 6 組成で , スピードは 1 時間 30 分とな った . 大正 15 年阪和電鉄 ( 現阪和線 ) の開業が近づき , 特急の登場となる . しかし阪和との対抗上昭和 4 年 , 半 鋼製 200P S の 301 形 ( 2001 形 , わが国初の冷房電車にも なった ) が登場 , 阪和全通でスビードアップ , 特急の 60 分運転を実現した . こうして発展を続けた南海特急は , 今日では次のタイプにわけることができる . 南紀直通列車ーーー紀勢線乗り入れ列車である . 現在で は D C 急行 " きのくに " 号 ( 南海線内は特急 ) で 1 日 3 往復 , 週末 1 往復がある . 昭和 9 年誕生の戦前派 , 白浜 温泉への旅客誘致を目的とした列車で , 現在は新宮まで 乗り入れている . 当初は " 黒潮 " 号として 2001 形が国 鉄客車をけん引して走った . 今日の紀勢線の看板列車特 紀ノ川鉄橋にて 1975-8 写真 : 後藤文男 に第 1 ー = の「に 1 ー第価 1 第第物第宿礬諸気イ 橋本駅で国鉄 DC と顔合わせ 南紀乗り入れに活躍するキハ 5501 形 写真 : 山村定雄 1976 ーⅡ 写真 : 土屋宝土 1976 ー 5 をくに 高野山・四国・南紀へは南海で 南海の特急には , 霊場高野山への観光特急、、新こうや号 / / ( 難波一極楽橋間 ) や大阪なんばと四国小松島とを結ぶ 、、南海四国ライン″の一環てある四国連絡特急 ) 、四国号″ ( 難波ー和歌山港間 ) , また南紀白浜、新宮へ百通ヴる きのくに号 / / などガあります、な力、ても、 \ 新こうや号〃 は南海の看板列申として人気を集めています . 、、新こうや号″は別名テラッワス・スー乙カー″と 呼はれ , 平地部と 50 % の急勾配を持つ山間部の両区間を もっとも効率よく運転てきるよう設計されていまヴ . 。こ のため , 急勾配ては大きなけん引力を , 平地部ては高速 運転ガてきるようになっていまヴ . 乗名サービスについては , 展望に重点を置き , カープ カラスを使った運転室前をはしめ , 名室の窓もてきる 限り大きくしていまヴ . また , 光天井式の明るい照明 , ゆったりとしたリつライニンクシート , 快適な工アコン など , あ名様に楽しく乗っていただけるようガけてい まヴ . 南海電気鉄道 当社のロマンスカー P R 35

7. 鉄道ファン 1977年3月号

△ DD53 の投雪状況 越後湯沢一石打間にて 1976 ー 2 写真 : 筆者 越後中里ー湯沢間にて マ DD53 の投雪状況 1976 ー 1 写真 : 筆者 ウニモク式投雪装置をつけた DD 2 号機 小出にて 1964-2 写真 : 国鉄 通し区間でもこれをこえて上方に投雪できるよう改良し た以外大きな変更はなく , 現在に至るもまだわずかなが ら新製が続けられている . 2 ) D D53 形 DD14 形は補機をつけても 1000P s の投雪能力しかなく 豪雪に見舞われると本線開通に長時間を要するため , よ り高速で除雪可能な大形ロータリー機関車 DD53 形を昭 和 39 年製作した . 本機の機関・変速機・台車などはすべ て DD51 形と同じである . 除雪先頭の操従席は DD14 形 でとかく問題のあった前方見透しを改良するため , 投雪 ロより前方に放置している . 通常は補機を使用して機関 全出力の 2200PS を投雪にあてるため , 豪雪時でも 20 km / h 程度の高速で運転され , その作業姿はダイナミッ クである . DD202 号機は当初から本機の補機として製 作されたもので , その後 DD201 号機も改造されて現在 後補機として活躍している . 本機は 1 号機新庄 , 2 号機直江津 , 3 号機は長岡に駐 在し , 特に上越線の冬期になくてはならぬ存在だが , 最 近は別の悩みが生まれている . これはロータリ—DL が 登場した当時に比べ上越線などの主要幹線は複線化が進 み , 対向列車への配慮から右方向投雪が規制され , また 沿線に人家や道路ができて , 思うように投雪できなくな ったことである . 投雪方向に細心の注意を払っても民家 の窓ガラス破損や電線切断などの事故が時折発生する . このため , 投雪方向により前方見透しを重視して作られ た DD53 形は沿線の投雪による被害防止を重点的に考え なければならない昨今 , むしろ扱いにくくなってきてお り , このため D D 14 と同じよ うに運転室を投雪ロの後方に 移設し , 投雪着地点の監視を 行ないやすくすることにな り , 今冬までに上越線用の D D533 号機を図のように改造 することとなった . 現在国鉄 土崎工場の手で工事が行なわ れている . マターンテープルに入った DD533 水上機関区にて 19 フ 6-1 写真 : 筆者 2 号機はウニモグ形と呼ばれる車軸と同軸方向に投雪羽 根車が回転する除雪装置を試験的に装備した . 除雪能力 は良好だったが , 前方の見透し確保の点で問題があり , 本格使用に至らなかった . 現在のタイプは 3 号機からで あるが , その後は投雪投角を大幅に拡大し , 少々の切り 運転室 投雪ロ D D53 改造図 〇 - 70

8. 鉄道ファン 1977年3月号

1976 ー ll 写真 : 慶大鉄研 カラーテレピを見ながら京都へ 、、テレヒカー / / てあなじみの 3000 系特急は昭和 46 年に登 場したロマンスカーてヴ . この電車の外観は上畢分ガラ イトオレンジ , 下畢分ガカーマインレッドの鮮やカ、なツ ートンカラー . 前面は曲面ガラスを採用し第特急のシン ホルー・ハトのマーっは貫通扉に組み込まれ電照式てすな ら夜間・地下線てもはつきりと識別てきます、一巧 , 室 内は天井ガ白に薄茶の縦しま , 側板ガ茶系統の格子しま 貫通部の壁面はいグレーの地に白い雲と金適をちりば めて彩雲を表現しています、オ - 司しワロスシートの座席 はふガぶなとしてあり , 自動装置により始発駅て一斉に 座席の方向を変えられまヴ . この他 , ドア付近には補助 イスガ組み込まれていまヴ . 現在 , 大阪淀屋橋ー京都三条間 49.2 を最高 105 朝 / h のスピードて , 朝 6 時 40 分なら夜 11 時まて 1 日 60 往復し ていまヴ . 通勤・通学はもとより嶬らよっと京へ〃ち よっと大阪へ〃というこ乗客まて多くの巧々ガら大好評 のさきがけ 1800 系では , カルダン駆動・空気バネ台車・ テレビ等が試みられた . 昭和 38 年 , 淀屋橋地下線乗り入れを機にデビュー 1900 系は , 今でもその乗り心地のよさを賞讃され , 全列 車テレビ付で夜 24 時発まで運転する等々京阪特急のイメ ージを定着したが , ついに 46 年から画期的な特急専用車 3000 系が出現して 15 分へッドとなり , 45 分運転では 7 編 成で運用できるところを , 7 連 4 本 6 連 5 本の計 58 両が つくられ , 定期検査や故障等いかなる場合でも特急は 3000 系で運転されるようになっている . そして , 車内に は広告を吊さず , 金箔を配した連結面壁には版画や名画 の複製をかかげて落ち着いた雰囲気を創り出し , 冷房装 置はむろんのこと , 自動一斉方向転換クロスシート , ロ ック可能でバネによりはね上げ収納される補助イス・テ ープによる自動車内放送・ " 看板 " のカラーテレビ等 , 特 別料金を取らない特急として最高の設備を有している . 性能的にも定速度制御装置や HRD-I 制動装置など技術 の先端をゆく新機軸が採用されたことに加えて , 白く光 る鳩マークは京阪のクイーンを一層印象づけている . ロマンスカーの語源発祥の地京阪を代表する 3 0 系 東福寺にて 1976 ー 3 写真 : 浅野隆史 3 こ 0 を博していまヴ . 当社のロマンスカー PR 京阪電気鉄道 33

9. 鉄道ファン 1977年3月号

し第画をを第こしは第 マ近鉄 12200 系今後も増備される " スナックカー △阪急 6300 系 1975 年に就役した京都線のスター 南茨木付近にて 今里にて 1976-12 1976 - 7 写真 : 河井秀夫 写真 : 土屋宝土

10. 鉄道ファン 1977年3月号

POST 品川界隈 E L 重連列車の話題 ける重連連行は , 乗車率を察する一種のバロ メータ - ーであり , かつまたファンにとっては 好条件の被写体を呈してくれるわけでありが マ峰ヶ原付近にて旧王子編成の 306 十 301 重 連 1976 ー 11 ー 21 年 3 月 1 日に完成したが , 石油ショックなど で当初の計画より大幅におくれ , 「幻の高架」 西宮健 とさえ言われていたが , 11 月 9 日から営業運 汐留 15 時 05 分発の新鶴見行き貨物 991 列車は , 転を開始した . 去る 10 月のダイヤ改正以来 , 重連仕業となっ 8 日の 358D が通過後 360 レなど 3 本の貨物 前位に下関区の EF66 , 後位に米原区の た 列車を運休させて切リ替え工事を行ない , 9 E F 65 ( 500 ) がつくが , 日によっては , E F 66 日の 331 D から使用開始した がっかないときがあったリ , 字都宮区の E F 当日は 502 D が記念列車として栗林駅で出 65 ( 1000 ) がけん引するときもある . しかし平 この高架により 9 カ所の 発式が行なわれた . 日はたいてい重連であリ , 品川で 15 時 13 分か 踏切が廃止され , 11 月末日現在では旧線の大 ら 36 分までの停車中には , 折りから出発を待 部分の線路が撤収されている . っ E F 58 重連の荷物 35 列車と顔をならべるの ▽栗林駅で交換する急行、、阿南 3 号 ' ' 306 D である . 991 列車は品川で貨物 ( マニ 30 や事 キハ 5866 など 3 連と D E 10 109 のひく 365 業用客車 , 回送の DD13 など ) の増解結を行 なうので新装オープンした品川駅総武快速線 1976 ー 11 -3 レ ホームから眺めれは目の前の荷物 35 列車のま わりを 991 列車の重連機関車が行ったり来た りするようすがよく見える . ちょうど同し時刻 15 時 30 分頃品川駅の 10 番 線と 11 番線の間の引き上げ線には単 874 がや ってくる . これは 51 年 3 月までは米原区の E F65 ( 500 ) と岡山区の EF65 の重連だったのが , 今では稲沢二区の EF65 の重連となってしま い色彩りこそなくなったが重連連用は健在で ある . なお単 874 は休日は単機となるので写 真を撮る方は注意して下さい . マ品川駅 13 番線にて 991 列車 E F 6643 ・ E 1976 ー 10 ー 16 F65533 ・ DD13167 近鉄南大阪線に残る旧形電車 西端智雄 古豪 6600 系が南大阪線を去って久しくなり , 南大阪・吉野線関係はすべて新性能車 6000 ・ 6020 ・ 6200 などに車種統一されましたが , こ柏原線にはモーターもうなる旧形電車が道 明寺ー柏原間 2.2 km を行ったり来たりしてい ます . 車内は昔ながらのニスりが美しく木 製の床面も郷愁をかきたててくれます . しかし , 6200 系の進出などにより , 近いう ちにはこの旧形電車も見られなくなりそうで す . 今のうちに撮影されてはいかがでしよう か . 途中柏原南口付近には大和川の鉄橋もあ リ , 撮影場所にもことかきません . 大阪から も近く , 手軽に写されてはどうでしよう . V モ 6411 形 6413 十ク 6521 形 6521 122 レ 柏原 1976 ー 11 ー 14 発 多 連 日 曜 ( 日 飛田康行 江ノ電の魅力の一つに重連運転があり , ノヾフ 工ティある車両の組み合わせは , なおいっそ う我々ファンの興味をかりたてる . 重連の運行は , 休日を除く朝間ラツンユ時 と , 祝祭日ならびに舂・夏観光多客時の休日に 限られていたが , 近ごろでは雨天を除く毎日 これは言うま 躍日に見られるよ、うになった でもなく沿線に併行する道路渋滞が体日にな バスを敬遠した客と特に ると顕著となリ , 年を通じて長谷駅で見られる , 長谷観嗇・大 仏の参拝客の乗降客増加が重連の出動を余ぎ なくしている要因でもある . 亀田幸徳 この日曜重連の出現は , 客足次第で運行さ 国鉄と高松市が進めていた高徳本線高松一栗 れ , 乗務員や車両調達の関係から , 全線 2 本 林間のうち市内宮脇町 1 丁目ー楠上町 1 丁目 ( 峰ヶ原信号所交換 ) 及び 1 本の重連となる この工事は昭和 2530 M がこのはど完成した ことが常である . いすれにせよ , 日曜日にお 44 年 4 月 1 日に開始され高架のはうは昭和 50 ところが地元の東京北区で れるはすだった ことである . このため E D 71 形より車体 ニュース・スクラップ はこの輸送力増強工事に同意しないため , 着 を長くし , 重量もますので中間の 2 軸の付随 工できないという状態となった . その理由は ◆ E D721 号機永久保存へ 車を設け , スチームゼネレーターを整備し 輸送力がひっ迫している赤羽線の 10 両化には いってみれは , この E D 721 号機は , 文 丿し州の交流電化の歴史の 1 ページを華々しく た 新しく建設される 字通リ九州電化のためのパイオニア的役割を 反対しているわけでなく , 飾った交流電気機関車 ED721 号機が , 北ル 赤羽線用の高架ホームの直にこ新幹線高架橋 果たした E L であった . しかし , 51 年 6 月 30 月ヨ市の手で電化の起点・門司港地区に永久保 新幹線反対 日 , ィ走行キロ 148 万 945 km に達し , ついに廃 を建設する計画があることから , 存されることになり , 関係者を喜はせている . の動きが強い北区住民は高架ホームの建設に 車となりその貴重な歴史に終止符をうち , 国 九州国鉄の電化はさる 36 年 6 月 1 日門司港 鉄小倉工場に回送され , 解体される運命にな 同意すれば , 新幹線も同時に建設されてしま ー久留米間の交流電化で幕をあけた . しかし うのではないかという強い懸念を持って反対 ったが , 歴史的にも貴重な役割を果たした E 開業当初は電車連転のみで , EL が配属され していたわけである . 赤羽線輸送力増強工事 L をこのまま解体 , スクラップにしてしまう たのは , 2 カ月遅れた 8 月 11 日だった では総額の大半の約 70 億円をかける赤羽駅の のは惜しいとの声が盛り上り , 門鉄と北九州 時 , この E D 721 号機は門司機関区に配属さ 市の間で折衝がつつけられ , さる 11 月 1 日本 工事が中心で , 工期も一番かかるというもの れている . ED72 形式は , 九州地区の交流電 で , ようやく地元との話し合いもっき輸送カ 社も承認 , 永久保存がきまったもの . 設置場 化用に国鉄で試作されたもので , 1 ・ 2 号機 所は門司区の老松公園内 . 増強計画をめぐる問題か解決した . の 2 両がます東芝で完成したのが 36 年だった . これによ ◆赤羽線の輸送力増強工事着工 り測量と地質調査に入リエに着手する . E D 72 形は E D 712 号機をモデルに , 変圧器 なお , 赤羽駅の赤羽線用高架ホームは 55 年 ・整流器・機器類ははは、同しものを使ったが , 赤羽と池袋を結ふ赤羽線の輸送力増強計画は この時点 春には 1 面 1 線の使用が開始され , 50 年 7 月の国鉄常務会で決定 , 直ちに着工さ 東北線用機と異なったのは暖房に蒸気を使用 706 高徳本線高松ー栗林間高架完成