写真 : 三森康亘 士の登場を新たに行なわれるなど , 新しい電車に対する 意気込みの一環ともいえる . また , 従来客車列車時の運 用客車は沼津検車区 ( 現在は沼津客貨車区 ) 受け持ちで あったため , その業務はそっくり受け継がれるなど , 苦 しいやりくりを行なって電車区の新設を抑制することに なった . これらは , 前述の経済事情に基づいたことにな るが , そういった当時の事情があんがい鮮明に浮き彫り されないところで , 苦心の作といえるだろう . 2. 湘南電車のデヒュー 昭和 24 年 9 月に発注し翌 25 年 1 月落成 , 3 月から営業運 転開始といったスケジュールには , きわめて困難ないく っかの壁があった . このため , 当初は車両事故が目立ち 営業開始後 10 日間の運転実績により , 3 月 9 日から 4 月 15 日まで 2 往復を客車列車に再置き替えを行なって初期 故障の防止が図られたが , これにより安定した湘南電車 た . もともとこの 80 系電車は , 列車区間に初めての電車 運転とあって , そのアコモデーションには特に留意し , 朝夕の通勤輸送・データイムの輸送兼用と , 互に反する 条件ながらも両者兼用形であること . また , 乗り心地に は客車並みの設備としたため , デッキを大きくして客室 とは仕切ることにした . しかし , 混雑する通勤時を考慮 して通路を幅広くしたので座席は若干狭いものとはなっ たが , 当時の客車のレベルは , ガラス窓の板張り , 破れ た座席モケット時代であったから , いわゆる汚れた客車 と新製湘南電車との比較は , まさに雲泥の差であった . ツートンカラーで統一された湘南電車の編成美は , 世を風靡し , 従来の客車あるいはゲタ電との格差に , そ の人気はまったく絶対的でもあった . もちろん , 客車の 電車化でデビューしたこともあって , そのスピードによ る快適性は十分で , 東京ー小田原間約 20 分 , 東京ー沼津 間約 30 分短縮が可能であったが , 多勢に寡勢の湘南電車 にあっては , 客車の足に遠慮して 10 分程度は停車時分に E ロ 5 の貨物列車を追い抜く 根府川にて 写真 : 鈴木靖人 37
代の幕あけを迎えたわけである . 2 月に入って 9 日の朝 7 時 45 分頃品川発沼津行 14 両編 成の新製湘南試運転電車が保土ヶ谷一戸塚間の下り貨物 線を進行中架線を切断してスパークし最後部 2 両のモハ 80027 ・クハ 86017 が全焼 ( ともに 26 年復旧 ) するという 思わぬ事故もあったが , 2 月 24 日には国鉄関係者をはじ め招待客・報道陣を乗せた 15 両編成の公式試運転電車が 12 時 35 分東京駅を発車 , 沼津・伊東方面へと向かった . 沿線主要駅では花火を打ち上げ , ミス〇〇が出迎えるな ど華やかな場面をくりひろげた・・・と当時の新聞は報じ ているが , このような悲喜こもごもの話題をのせて 25 年 3 月 1 日から東京ー沼津・伊東間を結ぶ基本 10 両十付属 4 両編成の湘南電車がさっそうとデビューし , 時刻表に も 2 ・ 3 電 , 列車番号 700 台として登場し営業連転が開 始された . ・湘南電車大いなる躍進 だが , 期待のうちにスタートした湘南電車も営業開始直 後は故障続出で , 事態を重視した国鉄では一部を連休し て全車両の車体再点検を実施し 4 月から再スタートした 前面 3 枚窓の第 1 次湘南電車が出場してから約半年 , 25 年 7 月には前面 2 枚窓の装いも新たな第 2 次湘南電車 が登場 , このマスクはその後私鉄にも影響をおよほし , いわゆる湘南タイプを決定づけたわけである ( 63 ページ 参照 ). また , 9 月には湘南用荷電モュニ 81 形 6 両が久 しぶりに国鉄工場 ( 大井 ) で新製されて仲間入りし , こ こに湘南一族 5 形式が揃ったわけである . その後は東海道の電化進展とともに同年 7 月静岡 , 12 月には島田まで , 翌 26 年 2 月浜松へと順調に足をのはし ていった . この間 , 25 年 10 月ダイヤ改正から初の準急電 車 " あまぎ " ・ " はっしま " として伊東・修善寺へと伊豆 の温泉地に乗り入れが開始され , また 9 月には京阪神間 を結ぶ急行電車としてマルーンとべージュに塗りわけた 関西湘南形が登場 , 翌 26 年 10 月には湘南地区の付属編成 マ快走する 80 系大阪急電神戸にて円 53 ー 2 ー 8 写真 : 奥野利夫 デ . 川に川第置。、 プ 8
写真 : 三森康亘 東京駅にて 写真 : 権田純朗 △名古屋駅の 80 系 " 湘南”モードのオンパレード " 湘南地方 " 辞典をひもとくと , 東京湾の南部三浦半島 が出はじめる時期を迎えたようだ . そこで湘南電車系の大きな流れと形態をファン的な立 から伊豆半島まで相模湾に沿った地域の総称のようだ . 場からながめてみたいと思う . 湯河原・熱海・伊東などの名だたる温泉地を有し , シー ズンともなれは密柑がたわわに実のる温暖の地 , 東海道 ■ ' 湘南電車 ' に想うこと 国鉄における湘南方面への電車運転の夢はかなり古く , 本線でいえは東京から沼津あたりまでの沿線である . 「湘南」の名称が鉄道に登場したのは , かっては軽便 かっては大正末期に運転計画がたてられ , 2 扉横座席の 鉄道湘南軌道 , また現在京浜急行の一部である湘南電鉄 大形木造電車も製作されたが , この計画も大正 12 年の関 などがあるが , これらはすでに過去のものとして鉄道フ 東大震災によって挫折してしまったと聞いている . しか ァンの記憶から忘れ去られてしまっていた . しかし戦後 し第 2 次大戦後 , 国鉄における輸送カ復興への一環と は湘南電車 80 系の出現によって " 湘南 " の名称も再びよ して湘南地区への長距離高速電車運転計画の気連が高ま みがえり今日まで受けつがれている . り , 昭和 23 年 4 月流電モハ 52 を使用して函南ー沼津間に 昭和 25 年 3 月 1 日東京ー沼津・伊東間に湘南電車の営 おいて高速運転安全性確認のための高速度試運転を実 業が開始されてから四半世紀余 , 湘南電車の誕生ととも 施 , また輸送計画の基礎調査 , 新製車両の設計・発注 , 資材 に生まれた方たちも数年前に成人式を迎えられ , いまで の調達など , いまだ連合軍監督下という悪条件のなかに はりつはな社会人として活躍されておられるわけである あって当事者の苦労は並たいていのものではなかったか と想像される . しかも従来 , 本線の列車運転は機関車け だがこのような成長とはうらはらに , 電化の進展 , 技術 の進歩 , と時勢の流れとともにかっては国鉄のホープと ん引による客車列車に依存していた動力集中方式の殼を 破って動力分散方式の電車列車を開発した技術陣の努力 して活躍した湘南電車も現在では後輩の 153 系・ 113 系な は高く評価すべきであり , 特急列車をはじめとする今日 どの新形電車にその任務を讓って発祥の地 , 湘南地区か の電車全盛時代の基礎をつくったといっても過言ではな らほとんど姿を消してしまった昨今だが , その一族は欠 けることもなく信州・東海・中部・中国などの各地に分 いだろう . 湘南に走り出した湘南電車も , その後の電化区間の進 散して主として本線ローカル連用に活躍していることは ご承知のとおりである . だがこの 80 系にもそろそろ廃車 捗 , 車両の増備 , 改良形の製作とあいまって西へ , 北へ " はと”と顔合わせのクハ跖高槻にて 1 0 ー 5 写真 : 高橋正雄 マ先輩格のモハ 43 と並んだクハ 86 田町にて写真 : 鈴木靖人
△鉄道 80 年を記念して沼津に勢揃いした当時の国鉄スター達 . “ LIFE ”のカメラマンによる撮影 も 5 両となって付属 5 両十基本 10 両十荷電という新幹線 代化された全金属製 80 系も誕生し , 10 月ダイヤ改正から なみの堂々 16 両という長大編成も出現した . そして 31 年 80 系による東京と名古屋・大垣を結ぶ長距離準急電車 " 東海 " , 同じく大阪ー名古屋を結ぶ " 比叡 " が運転を開 11 月 19 日の東海道全線電化完成と同時に米原ー京都間の 始 , 33 年 4 月の宇都宮電化とともに東北本線にも運転さ 湖東線と高崎線に耐雪形湘南電車が進出 , 翌 32 年には近 鉄道 80 年の祝賀マー クを付けたクハ 76 と モュニ田 円 52 写真 : 宮澤孝一 20
80 系湘南電車の プロフィール 1 のこ一 1 4 編集部 いらを 湘南電車 80 系の活躍 湘南電車 , それは幹線輸送に大きな使命をもって登場し 1. スタートまでの湘南電車の運転計画など 戦後の大きな話題は , 昭和 24 年 9 月 15 日 , 特急 " へいわ " た通勤・通学輸送 , そしてデータイムにおける行楽ある の復活 , そしてもうーっは湘南電車の登場であった . いはビジネス旅客を輸送する電車である . 今日では , ラインカラー化されて , 東京地区では中央 戦後 , 昭和 25 年 3 月 1 日 , 東京ー沼津・伊東間の運転 線 ( オレンジ ) , 総武線 ( カナリャイエロー ) , 山手線 開始でデビューしたこの湘南電車は , 80 系電車ともいわ ( ライトグリーン ) , 京浜・東北・根岸線 ( スカイプル れ , この電車の成功により新性能電車の開発 , そして今 ー ) , 常磐線 ( エメラルドグリーン ) など , それぞれ 101 日の新幹線へと進展したのは , 事実である . ・ 103 系電車により , その電車あるいは線区を特徴づけ 今回は , その湘南電車が登場し , いくつかの工ポック られた . それは旅客にとって便利であり , 合わせてその を印しつつ今日まで続いた話題を中心に , また , 登場か 線区のイメージアップされることとなって , 今日では欠 ら今日までの編成の変遷をたどってみることとしたい . 32
として横須賀線 32 系 ( 後の 14 系 ) 電車と同居させ , 検査・修繕は夜 間作業を行なうこととしたため , 同区では夜間照明設備が増強され 少ない両数で大きな効果を , 昼間 の電車運転が証明されることにな ・つ . この湘南電車の登場は , 客車列 車の電車化を前提としたため , 電 車の運転は沼津機関区の電気機関 士を転換教育のうえ乗務させるほ か , 長大編成であることから , 機 関助士を転換教育して電車運転助 東京駅で EF574 と並ぶ 80 系 " いでゆ " 号 モュニ田を先頭に堂々の両編成で東海道を下る . 一宅気物ー、三、 写真 : 宮澤孝一 試験塗装のクハ 86 を先頭に根府川を行く 性およびスビード・アップによるサービスに重点を置く みといった事情ともなり , この湘南電車連転計画は見送 こととなった . この見直しにより「クハュニ」は「クハ」 りかにみられた . に改められ , 後にこのクハュニ構想は , 東京着後編成を 折から昭和 24 年 6 月 1 日 , 国鉄は公社制をみることと 離れて上野まで単独運転が可能とするよう修正されて , なり , ここに湘南電車の見直しが行なわれ , 当初の全面 " モハュニ 81 ”の計画が進められることになった . 電車化案を縮小して現行規模程度とし , 電車による機動 写真 : 三森康亘 34
「富士」を背に快走する 80 系の準急 " 東海” 山比一興津間にて写真 : 鈴木靖人 案を改め「サロ」とし , 次のように連続連結されること になったが , これは , 開業当初からその居住性の良さが 好評をよんだので , 修正して旅客の要望にこたえた編成 としたのであるが , 編成が長大化したため 2 等車の位置 を編成の中央に移し , 駅での乗降に利便を図ることとし 湘南電車 湘南付属 5 両一本増強 湘南基本 サロ組込 4 両 新製 80 系 24 両 サロ サハ ロ両 7 両 内輌 予備 5 両 2 両 湘南付属 5 両化用 大阪急電 5 両化用 ロ両 ( 6 編成 ) ( サロ 2 両化 ) 大阪急電 5 両一本増強 5 両 2 両 ( 7 編成 ) 東京方 静岡・沼津方 新製 ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑩ @ ⑩ @ ⑩ モク モ ククモ モクモサモサ モ 87 80 86 80 86 86 80 85 80 87 8 ー 86 80 87 80 85 付属 転用・増結 編成 大阪急行電車 ①②③④⑤ クモサモク 86 80 87 80 86 増結 以上のように , おおむね頭初の構想どおりの編成が実 現することになった . 5. 湘南準急および大阪急電増発 昭和 27 年の湘南準急電車は , " いでゆ " の毎日運転と共 に週末連転の”はっしま " ・ " あまぎ”であった . 25 本本 両両計 次両両両便 年 0 4 5 郵備 4 5 本属属物予行行 急急合 成基付付荷 27 2 田 73 両 83 28 両 40 226 202 宮原 266 み 2
沼津にて 1952 写真所蔵 : 編集部 れるなど , この時期が湘南電車 80 系の全盛期でもあり , 企業体日本国有鉄道として発足した最初の新製車でもあ 一湘南地区を走る湘南電車から東海道・東北・高崎各線 ・つ . 半流非貫通 3 枚窓のクハ 86 の前面はいささか平凡なス に活躍する国鉄電車を代表する湘南形電車へと大きく躍 進していった . 表 1 湘南形 80 系グループ別両数ー ・湘南電車から湘南形電車へ 計 形式 サハ 87 クハ 86 サロ 85 モユニ 8 ー モハ 80 ここで湘南形 80 系に登場してもらいその形 プ製造年度 態の変化についてながめてみたいと思う . A 昭和 24 年度 ~ 32 湘南形 80 系を大別すると次の 4 つのグル ープにわけられる . A. 前面 3 枚窓の第一次新製車とそのグ ループ B . 前面 2 枚窓となった第二次以降の新 製車グループ C. 31 年度製改良形・耐雪形とそのグル D. 32 年度製全金属製車とそのグループ この 4 グループを形式番号別にみると表 1 のようになっている . A グループ ( 昭和 24 年度製 ) このグループは湘南電車を世に送り出した 湘南形 80 系のくさわけでもあり , また公共 73 両 ~ 20 ロ ~ 40 幻 ~ 56 33 ~ 86 ~ 43 ~ 27 57 ~ 60 87 ~ 90 208 両 44 ~ 47 28 ~ 29 引 ~ 66 引 ~ 98 67 ~ 68 69 ~ 80 82 ・ 84 90 ~ 2 ロ 4 3 沼 5 ~ 2 99 ~ ー田 22 ~ Ⅱ 7 30 ~ 33 20 ~ Ⅱ 4 34 ~ 35 Ⅱ 5 ~ Ⅱ 9 300 ~ 3 Ⅱ 200 ~ 244 32 に 6 両 245 ~ 256 ( 債務 ) 300 ~ 393 300 ~ 35 ー 353 ・ 360 ・ 362 ( 本予算 ) 409 ~ 425 364 ~ 373 ・ 375 352 394 ~ 408 354 ~ 359 ( 債務 ) 36 ー・ 36 ー 300 両 200 両 3 圓 ~ 327 245 両 6 両 652 両 328 ~ 3 引 99 両 47 両
特集 : 湘南電車 付属編成は東京ー小田原間を主体とし , 後に平塚駅電留 また , このような規模圧縮については , 東海道線の静岡 線完成にともなってその運用区間に平塚も加わり , 機動 あるいは浜松電化が見込まれるほか , 5 カ年計画により 今後 3000 キロ電化案が決まっており , このためには , 電 性が向上されることになった . さて , 175 両案策定に際し , 実施までのステップとし 気機関車の増備・不足客車の新製などの諸計画の総合調 整が図られた . この結果 , 電気機関車および客車を新製 て第 1 次計画は 73 両でスタートすることになった . すな わち , 10 両編成 5 本 , 4 両編成 4 本および予備車 7 両の する代わりに湘南電車の新製を計画し , そこでねん出し た車両を新電化線区などに転用することで , 一石二鳥の 内訳であった . 効果が期待できることとなり , 互に解決することなども 発注から落成まで短期日のうちに行なうことから , 車 あった . 経済的に引き合うものならほかの予算からねん 両メーカー別に責任体制を図ることとし , このため , 基 出しても実現させたい空気があり , ここに当初の構想を 本 10 両編成のものを A 1 ~ 5 とし , 予備車 7 両は B 編成 改めて , 極力新製を圧縮した 175 両案が計画された . こ 付属 4 両編成のものは c 1 ~ 4 と , 編成番号を付してそ の修正案により当初の 15 両運転計画は , プラットホーム の明確化を図った . 当時の , このような経緯で生まれた の延伸工事がスロー・ダウンされることにともない 14 両 A ・ B ・ C 編成で , 今日ではそのイニシアルに運用番号 ( 1 両減車 ) になるなどして , 付属編成に組み込む予定 を付して A21 ・ 22 ・・・あるいは C71 ・ 72 ・・・等 , 現在 A およ び C 編成イニシアルを田町電車区では使用しているが , の「サロハ」は見送りとなった . これによる編成は次の あんがい 80 系電車登場時の流れが今日まで続いている . とおりである . ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑩ @ ⑩ さて , 落成後の 80 系湘南電車は , 全車田町電車区配置 86 80 85 87 80 87 80 87 80 86 86 80 80 86 伊東線に乗り入れる湘南電車 付属編成 円 56 ー 7 ー 29 伊豆多賀にて 写真 : 鈴木靖人 かせないものとなっている . このことは , 今日の特急電車・新幹線のデザ インにもその例を見ることができるが , 80 系電車にあっては , オレンジ とミドリ色の 2 色塗り電車が「湘南電車」といえよう . その 2 色塗り電車 ふつしよく の登場は , 永らく続いたブドウ色 1 色のゲタ電の観念を払拭して計画され 昭和 20 年代の東海道線は , すべて電気機関車けん引の旅客列車により , 通勤時間は 15 ~ 20 分 , 日中は 30 ~ 60 分へッドであった . これに対し横須賀 線は , 32 系電車により通勤時間 15 分 , データイム 30 分へッドのダイヤであ った . このため , 東京ー大船間では , ラッシュ時間は交互におおむね 7 分 データイムは 15 分へッドとなり , 今日の約半分の輸送カ ( 列車本数 ) とも いえた . このような時期にあって将来を考慮すると , 次の点について十分 配慮する必要があった . ア . 住宅事情等を勘案すると , 通勤・通学距離はしだいに延伸されて , 将来とも混雑が予想される . イ . 客車列車の停車時間は延伸しやすく , また , 発着時に旅客の傷害事 故が発生しやすい . ウ . 客車列車は , 電車に比較して加・減速において劣り , このため , 運 転時分は電車より遅い . ェ . 東京駅にあっては , 機関車付け換え作業が必要となり , ( ア ) この ため , ホームの占有時間は延伸する . ( イ ) 機関車付け換えのため , 機関車を前から後へ回送する線を確保する必要がある . 以上は電車化によるメリットでもある . 特に東京駅での機関車付け換え によるロスは , 都心に簡単にホーム等を増設することは困難であり , また その投資額は地方の設備とくらべものにならないほど高価なものであり , 結果として , 即効的な効果は不可能に近かった . 停車時間の短縮で , 列車 増発・電車化によるスピード・アップは魅力十分ではあたが , 反面 , 電 田原間 30 分へッド , 東京ー沼津間 60 分へッドとし , ラッシ時 15 分へッド のダイヤで計画が推進されることとなり , 280 両案で上記区間列車の完全 電車化の幕が切って落とされた . この計画は , 後に経済的事情により圧縮 されることになったが , 華々しい計画として注目された . 戦後の電車の編成は , 横須賀線の 10 両編成を最長に , おおむね東京付近 の国電は 7 ~ 8 両運転であた . それに対し今回計画の湘南電車は 15 両編 成と , 世界的にも画期的なものとして注目を浴びた . 沼津方 東京方 当初計画 ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑩ 0 ⑩ @ ⑩ 付属編成 当時の標準客車編成 ①②③④⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ススススス ス ス ス ス ス スススス 付属編成 ( 注 ) 電気暖房編成 この当初編成は , 将来 4 ・ 6 ・ 8 号車の「サハ」を「モハ」とし , 13 号車 の「サロハ」は「サロ」に置き替えを予想すれば , 対応可能と考えられた . しかし , 前述のように昭和 24 年 1 月 , ドッヂラインによる均衡予算のあお りを受けて電化関係工事はすべてストップとなり , 一時は試作電車 10 両の 、 ! を第 0 第 △写真 : 五十嵐六郎・権田純朗・鈴木靖 人・三島富士夫・三森康亘・宮 澤孝ー 目員颶第鷁 35 33
振り向けられるなどして調節された . 特にこの 80 系電車は , デビューにさいしてニックネー ムの一般公募が行なわれ , " 湘南・伊豆電車 " と決まり , 車体のミカン色 , そして葉の緑色とのコントラストがう まくマッチして , なかでも , この密柑の発想はヒットで あり今日もなお踏襲されている . このように , すべてに 連続ヒットした電車は今までにその例も少なく , それが また湘南電車への期待でもあった . 第 1 次 73 両の特徴は , クハは前面 3 枚窓の半丸妻形の 全室運転台とし , その運転台はゆったりとした感じとな った . 通風器は押込形を初めて採用し , 通風器下の天井 には優雅な飾り付き整風器が取り付けられた . 座席は , 背中部を板張りとし , 腰部には「エ」マークのデザイン のついたモケット張りとしたが , 室内電燈が 2 列となっ た車内は , 明るい湘南電車のイメージに大きな役割を果 たしたともいえる . しかし , 腰掛けは上半部の板張りが あまり感心しないとあって , 以降の電車はモケット張り に改善された . 湘南電車登場時の東海道線東京発のローカル列車は , 下り片道 36 本運転され , うち 12 本は湘南電車で , 行先別 には次のとおりであった . ( 行先 ) ( 客車 ) ( 電車 ) ( 計 ) 東京ー平塚・小田原 1 本 3 本 4 本 熱海 1 2 3 伊東 2 1 3 富士・御殿場・沼津 7 5 静岡 0 1 島田・掛川・浜松・豊橋 5 0 名古屋・大垣・米原 4 0 京都・大阪 4 0 24 ( 注 : 25 ー 7 ー 15 改正 ) このように , おおむね 1 / 3 が電車化され , 電車化列車 京都にて 1950 ー 8 ー 17 写真 : 奥野利夫 12 12 京阪神間にもデピューした 80 系電車 神戸の市内を走る京阪神間の 80 系 には列車番号を 700 台とし , 701T ~ 740T と今日の 「 M 」と異なり , 当時は漸新的なイニシアルを使って 区別された . この 78 台の列車番号は , 25 年 10 月 1 日 改正で 800 台に改称されることになった . 3. 湘南電車の増備 ( 昭和 25 年度 ) 昭和 25 年 2 月 25 日 , 湘南電車 175 両計画の第 2 次発注 の一部繰り上げが行なわれた . これは , 近年の 25 年度 本予算分に相当することになるが , 基本編成 10 両 1 編 成が発注された . これにより , 湘南電車は前述のよう に静岡延長が実現することになった . しかし , 当初計 熱独物 38