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検索対象: 鉄道ファン 1977年7月号
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1. 鉄道ファン 1977年7月号

南の 特 まミさ↓応 、いこ・ 今春 2000 系がデビューするまで , 3 引系以来ずっと " 湘南 " スタイルを続けて来た西武鉄道の電車たち 昭和 25 年 , 戦後の混乱からやっと復興期をむかえようと たスタイルは , 在来の国鉄モハ 52 形や名古屋鉄道のモ していた国鉄に登場した 80 系湘南電車は , 東京ー沼津間 3400 形のように完全な流線形状をしていないが , それが という 100km を越す , 当時としては長距離を走る電車列 ためにかえって車体長の割合のなかで運転室のスペース を余計にとられることもなく , 2 枚窓の正面は連転士の 車として注目をあびたが , 特に次の 3 点において以後の 展望も良好なところから「雨後のたけのこ」ではないが 国鉄・私鉄電車界に与える影響は大きかったと言えよ 私鉄版湘南スタイルはざっと数えてみただけでもそうと ーっは在来とはうって変わったオレンジとグリーン つ . うな数になる . という塗装色と正面において金太郎の腹掛けのようだと 言われた V 字形にした塗り分け線 , 二つ目は電車列車と 電車の正面窓は 3 っという固定観念のようなものがあ して中間電動車の登場 , そして三つ目は第 2 次車から採 ・・と記したが , 内燃動車の世界においては戦前に った 用された前面傾斜っきの 2 枚窓がそれである . おいてもこのような固定的なものはなく 2 っ窓 , 3 っ窓 特に 2 枚窓の外観スタイルは , 大正期の半流 5 っ窓以 4 っ窓などが存在している . 4 つ窓は国鉄の標準形気動 降 , 昭和期になってからは流線形などごく一部の車両を 車キハ 40000 形 , 41000 形に代表されるが , 私鉄において 除いては電車の正面窓は 3 っという固定観念ができてい は連転室を車体幅の 1 / 2 にとって 2 つ窓とした正面 2 っ たなかにおいて , その塗装色とともに非常に目新しく感 窓車がそうとうある . 国鉄の 4 つ窓というのも車体幅の せられたことは事実である . 1 / 2 を運転室としたいという発想からデザインされたも 国鉄においても , このスタイルは 3 扉セミクロスシー のであるが , 内燃動車はクラッチ , 変速装置など運転室 ト電車クハ 76 形は言うに及はず , 内燃動車キハ 4480 形 内にレバーやその他の機器がかなり多いために電車のよ ほか , 電気機関車 EF58 形 , ディーゼル機関車 DD50 形 うに車体幅の 1 / 3 を連転室にしただけではやや狭すぎる と波及して行ったが , 私鉄においても , この 2 枚窓の流 ための策であった . これらの車両は正面が半流か , 平面 線形は各地にその亜流が登場した . ウインドシル・ヘッダーをつけた車体で , 湘南スタイル 湘南電車クハ 86 形のセミ流線形とも言える前面傾斜し とは異質のものではあるが , 2 つ窓という共通点があっ 1977 ー 3 写真 : 梅村新 63

2. 鉄道ファン 1977年7月号

ょっと試めし組かもしれない . スタイルの影響が及んだものであろう . たしかに 2 っ窓 関西では南海のクロスシート車を代表に西鉄モ 1000 形 という発想の転換に各社とも心が動かなかったと言えは モ 20 , ク 50 形 , 近鉄のモ 5800 形鋼体化車 , 762mm のモ ウソになるだろう . 小田急を例にとってみても流線形 2 4400 形 ( 現サ 200 形 ) , 阪神 3011 系 , 5001 形などがある . っ窓の 2300 系特急車にいたる前に 17 ( ) 0 系特急車の 1 次 近鉄や京阪は車体の更新車に半流で 2 っ窓を採用した 車 , 2 次車を貫通扉付車として製作しながら , 昭和 27 年 が ( 近鉄モ 460 , ク 360 形 , 京阪 500 形など ) これも湘南 の 3 次車デハ 1705 ~ 1706 は半流 2 つ窓に改設計している し , 高性能通勤車の第 1 陣デハ 2200 形も半流 2 っ窓車で ある . 無関心組は地下を走るうえから正面を貫通扉にして乗 客の非常ロとしている地下鉄を論外とすれは , 阪急一社 アメリカ博の宣伝に湘南式塗り分けの宣伝車を走らせた ことはあったが , 電車の正面窓は 3 枚 / と唯一人浮気を せすにいる . 地方私鉄の電車としては神戸電 300 形 , 遠州鉄道モハ 30 ・ 21 系 , 富山地鉄 14780 系 , 近江鉄道モハ 1 形 , モハ 131 形 , 下津井モハ 103 十クハ 24 , 奈良電 ( 現近鉄 ) 130 ( ) 形 , 高松琴平 10010 形 , 定山溪 2100 形 , 栗原電鉄 M18 形 , 秩 父鉄道デハ 300 形 , デハ 500 形 , クハ 600 形 , 伊豆箱根 1000 系などがあり , 流線形 2 っ窓を湘南スタイルの変形 マ九州にも”湘南”スタイルは流行した . 西鉄川 00 系 写真所蔵 : 編集部 阪神のイメージアッフ。に大いに 貢献した " 湘南”スタイルの 30 Ⅱ系 写真 : 高橋弘 △鋼体化ながらも”湘南”スタイルの近鉄 588 形 V 南海も本線・高野線ともに 2 枚窓が一世をふうびした . モハ 218 ー形萩の茶屋にて一囲 2 ー 2 ー 28 写真 : 野上 等 写真 : 梅村 新 . △マ△ツ△△マ△ー△△ー△マ△△、な 66

3. 鉄道ファン 1977年7月号

: にナェー ー 950 年にデビューした横浜市 電の高性能車 00 形は正面 2 枚窓の”湘南 " スタイルがと り入れられた . 竜頭にて 写真 : 日井茂信 状態の性格の差異は大きく , 国鉄と私鉄の湘南スタイル たということのため余談ではあったかも知れないがちょ は前面の形状と塗装において交流がなされたと見て差し っとつけ加えさせてもらった . 支えないと思う . では , 湘南スタイルの正面形状はどんなものであった 戦後 , 私鉄における 2 っ窓車として登場した初期の車 のだろうか , 定義はややこじつけになるかも知れないが 両としては横浜市電 1500 形 ( 昭 25 ) , 東武鉄道 5700 系 ( 昭 私なりに解釈してみると次のようなことになる . 26 ) , 京浜急行デハ 500 形 ( 昭 26 ) , 川崎市 600 形 ( 昭 27 ) , 1. 正面は傾斜形 ( 流線形 ) の 2 枚窓 京王帝都デハ 2700 形 ( 昭 28 ) , デハ 1900 形 ( 昭 28 ) , 等が 2. ウインドシル・ヘッダーはなく , 車体中心部鋼板 ウインドシル・ヘッダーが あげられよう , 東武 5700 系 , 京浜急行 500 形などは湘南 には縦線が入っている . 電車を意識して設計されたものであろうと思われるが , ない車体は全金属車時代の今日 , しごく当り前のことと はなっているが , クハ 86021 ~ の頃は側面にはこれがあ 国鉄クハ 86 形のスタイルをそのまま , 真似することはせ りながら正面にはついていないということがたいへん珍 ず , 自社の構想を盛り込んで製作されている . 東武鉄道 しく感ぜられた . また正面車体中央部に縦線の入ってい の特急車デハ 5700 系は日光 , 鬼怒川の分割運用があるに るのは流線形となった第 1 陣のクハ 86021 ・ 22 にはなく , もかかわらす , あえて流行の 2 枚窓を採用したため , 全 車両を 2 っ窓車にすることができず , 貫通幌付車も製造 その次のクハ 86023 ~ 以降からついているものであり , 特色の一つではあるが , 湘南スタイル応用篇とでも言え するという苦心のデビューであった . 泉浜急行のデハ る私鉄の湘南スタイルには , この「鼻すじ」を曲線で処 500 形は側面の大きな窓に合わせた大形の窓をつけた 2 っ窓車で以後 1000 形 ( 初期 ) にいたるまでの京浜スタイ 理している例もかなりある . ルの出発点ともなった . 湘南スタイルとして正面の形態についてのみこだわっ ているが , 客車形の側面 , 長大固定編成 , 新しい構想の 京王帝都の京王線デハ 2700 形 , 井の頭線デハ 1900 形は 台枠など , 他にも 80 系としては取り上げるべきものは多 湘南電車クハ 86 形に比較的近いスタイルで特にデハ 1900 々あろう . しかし私鉄との対比においては , 路線 , 連行 形は側面ウインドシル・ヘッダー付 , 正面はなしという 流線形ロマンスカー東武 5700 系西新井にて円 52 ーに一Ⅱ写真 : 筆者 写真 : 高井薫平 京浜急行のロマンスカー 500 形 6 み

4. 鉄道ファン 1977年7月号

クハの広々とした運転台 ”冷”サロ 85020 と記された車号 写真 : 西尾克三郎 冷房改造されたサロ 85020 クハのデッキから見た車内 , 右は使所 東京駅にて 1957 ー 8 ー 23 写真 : 西尾克三郎 写真 : 鈴木靖人 写真 : 小玉光 台車も DT17 ・ TR48 ・ 48A に変更 , 29 年度製はさらに 運行窓・出入口ドア・戸袋窓も H ゴムとなり , 主電動機 も T40B を付け , 30 年度製は大垣ー豊橋間の 80 系運転 開始によって中京湘南の登場となった . C グループ ( 昭和 31 年 ~ 32 年度製 ) 湘南電車として発足以来 , 湘南形 80 系へと順調に発展し 31 年度にいたって改良形・耐雪形の登場によって , さら に近代化された . まず座席については両出入台寄り戸袋 部分の縦席を 1310 ミリから 960 ミリに縮少 , 横席間隔を 1400 ミリから 1480 ミリに拡張 , そのため座席定員も減少 し , また客室窓のアルミサッシ化 , ョロイ戸をサランカ ーテンに変更 , 扇風機・拡声器配線準備 , 便所知らせ燈 設置 , 出入台仕切に窓取り付け , 座席窓下に小机・栓抜 ・灰皿の取り付け , サロでは下降式窓の採用など居住性 の向上がはかられ , このほか雨樋の鉄製化 , 電動台車が DT20A に変更されている . 車号もサロ 85 は通し番号だ が , モハ 80200 台 , クハ 86 ・サハ 87 は 100 台に更新され た . なお 32 年度債務車からはクハ 86 が奇数偶数両向用と なり前面に警笛 2 個が取り付けられ , 機能的にも耐雪形 となっている . 31 年 11 月東海道全線電化完成と同時期に上野一高崎一 24 水上間に湘南形の運転が開始され , 降雪地の上越線乗り 入れにさいして 80 系にも主電動機・主制御器など主なる 電気機器の耐雪工事 , デフロスター・スノープローの取 り付けなどの耐雪形が登場した . D グループ ( 昭和 32 年 ~ 33 年度製 ) 32 年度の本予算から湘南形 80 系もいよいよ全金属製車の 時代を迎えて車号も各形式とも 300 台に変更された . 外 形的にもノーシル・ノーヘッダーとなり , 客室の腰掛骨 組 , ヒジ掛も鋼板プレス材を使用 , 座席の奥行も 475 ミ 寒冷地向きにスノーフ。ローとデフロスタを装備し , 側窓もアルミサッシに なったクハ 8 田番台 写真 : 五十嵐六郎

5. 鉄道ファン 1977年7月号

- イ - 日を 那珂湊にて い石 6 ー 2 ー 9 写真 : 梅村新 △茨城交通ケハ 400 形と 600 形 ・ = 3 を第らアを新す第マをぢ鶯 写真 : 梅村 新 こて 円 68 ー 3 南島原ー △島原キハ 4500 形 △仙北鉄道 ( 宮城 - ベス ) キハ 24 も 2 枚窓金太郎塗りのいでたちだった・ 登米にて円 66 ー 3 ー 4 写真 : 諸河久 1000 系 は , 井の頭線のデハ 1900 形と対比できる 270 ( ) 系 , となったが , 井の頭線の場合はまだ現在進行形で表現で と対比できる 2000 系と足なみを揃えて 2 つ窓車が続いた きよう . が , 昭和 38 年の 5000 系からは貫通扉付 3 っ窓車となっ この 2 私鉄 , クハ 86 形に近い湘南スタイルから発足し て , その後正面スタイルは幾変遷ののち自社の顔という た . 京王線は支線も多く , 高尾線の開通も控えており , 固定編成を固着化することは得策ではないとの判断は正 か自前の 2 つ窓スタイルが確立されたと言ってもいいだ ろう . 西武鉄道はモハ 501 形 ( 現クモハ 351 形 ) から途 しかったと言えよう . 高速電車の流行をふりかえってみると , 大正期の 5 っ 中に切妻車をはさみながら , クモハ 551 形・クハ 1601 形 窓付の大きな曲面を持っ車両 ( 近鉄奈良線 1 形 , 阪神 601 では 2 つの窓の中間を細い柱だけにして展望性を向上さ 形など ) , 昭和 10 年頃の流線形 , そしてこの湘南スタイ せ , クハ 1701 形 ( 昭和 38 年 ) 以降は方向幕の新設と幕板 ルなどが大きな波として浮かんでくる . また , 国鉄のス にアクセントとしてステンレスの帯を巻くなどして , ク タイルを真似したものとしては , 地方私鉄の内燃動車は ハ 1101 形まで続けられた . 昭和 52 年の 2000 系クハ 2000 形 は 4 っ扉にするとともに前面も貫通扉付にモデルチェン 常に見られる現象であるが , 電車においては松本電鉄や 吉野鉄道 ( 現近鉄 ) などの木造車にみられる木造国電形 ジされたが , やがて計画されている地下鉄乗り入れ車も そして正面スタイルにおいてこの戦後期の湘南形が見受 当然この 2000 系の流れをくむスタイルとなるであろう . 京王帝都電鉄の井の頭線は山手線に接続する郊外電鉄 けられる . 湘南スタイルは国鉄が電車にとどまらず , 冐 としては一番遅くできた電車線で , その運転区間も 12.9 頭にも記したように内燃動車や機関車にも応用したため km と短く , 分割併合もない連用上はしごく単純な路線で 私鉄においても同じような波及をおよばした点が特に印 ある . そのため車両は固定編成のみで成り立っており , 象に深い . 昭和 28 年のデハ 1900 形以来 , 高性能車デハ 1 ( ) 00 系を経て いま , テレビの歌謡番組を見ているとナツメロがけっ ステンレスに FRP の着色成形品を前面につけた 3000 系 こう登場する . 江利チェミ = テネシーワルツ ( 昭 27 ) , にいたるまで 2 っ窓車の投人が続いている . 現在基本編 春日八郎 = お富さん ( 昭 29 ) , 島倉千代子 = この世の花 ( 昭 3 の , 三橋美智也 = 哀愁列車 ( 昭 32 ) 等々・ 成は 5 両 , 色とりどりの F R p マスクを付けた 308 系が この時代のスターだった 2 つ窓の湘南スタイルも , ナ その後も増備されながら今Ⅱにいたっているが , 地下鉄 ツメロ電車の部類になって来たかの感がしないでもな との相互乗り入れの計画線にもなっていないため , 当分 この状態が続くものと思う . 本線とも言える京王線の方 い . 円 65 ー 3 ー 22 写真 : 諸河久 △有Ⅲ鉄道キハ 250 形 金口にて 69

6. 鉄道ファン 1977年7月号

湘南電車の半鋼製車グループと同じ方式となっている . 路面電車では 2 つ窓とした場合運転席が車体の中央に 置けす , 左側に寄るため , 出入口部のスペースが苦しく なる . 2 っ窓としては横浜 , 川崎のほか仙台市 200 形 , 東京都 6500 形 , 7000 形 , 5500 形 , 呉市 8 ( ) 3 ) 形 , 札幌市 560 形 , 鹿児島市 400 ・ 500 形 , 土佐電鉄 600 形 , 茨城交通 135 , 名古屋市 800 形 , 東急 200 形などがあるが , 上記の ような制約かあるため 3 っ窓の方が配置上は好ましく数 ニア円 00 形 井の頭線の”湘南 " スタイルのパイオ は少ない . また逆に東京都の 780 形や鹿児島のように 3 っ窓に改造されている例もある . またスグイル的にも , 湘南スタイルとはちょっとイメ ージの異なるものが多く , 川崎市の 600 ・ 700 ・ 28 各形 式がやや近いといえるかも知れない . 大手私鉄における湘南スタイルの影響を展望してみる とさっそく流行採用組と , ちょっと試めして見た組と , 我か道を行く無関心組とに別れる . 流行組は関東では京王・京浜・西武 ( 501 形→現 351 形 ほか ) ・東武も 5700 形のあと妻沼線 ( 現熊谷線 ) のディー ゼルカー , キハ 2000 形に採用 , 京成は特急車 1600 形に流 行をとり入れたが , これ一発で終わってしまったからち スタイルだった △東武日光軌道線の ) 形も " 湘南” " 湘南 " スクイルの路面電車仙台市電 2 ( )( ) 形 円 68-2 ー 写真 : 梅村新 交通局車庫にて 1966-3 ー 3 写真 : 梅村新 写真 : 野上等 マ胤電 NSM 車 5502 二田にて円 54 ー 5-29 写真 : 江本広一 5 写真 : 梅村新 写真 : 筆者 円 69 ー 4-24 △川崎市電 600 形と 7 ( 用形 マ東急玉川線 2 ( 用形連接車 ー 1 まを 65

7. 鉄道ファン 1977年7月号

一みぶ人て初を , 落線を側た ~ い靖 つもンすに本面がっ ( 第一だ木 が鈴あけイら 道前窓な もわザたル海てのと 感真 車りデいイ東し席ル の塗のにタ 日突士イ どの案用ス 新衝助タ な面 2 採け月にびス 耐け前 5 車よのる 付たに腹年列お特 りま・式の 引物席独てれ 取 . << 正郎 は貨転てれさ 齢田た が太 5 た運っさ 警「めた金衄してな元 にまたし 覆っに復 一したト 転た窓に 正てつス同ク線あス姿在 つだテとち脱にラの みわ評て降だうで理ガと 込変不つ以うの内修のも めがはたプよこ構旧付は 時埋きのわ一た , 駅復で保 マつのむもにルいお崎 , で在久 シ燈もの年グつなケ破ま現蔗 照お期数ち茅大面が写 う動をす形期前 電キさ勤をもる 通全御 しイ土 中デど はの安制てム保 るのにな . 比式の路れゴ あ初端けるヤ形成回さ戸 が最両付あギ新編メ施の も大ジがク 室電 , りが 転国成取ドが車長戸軸ワ つ運の編の一だ台も , 機窓 はしの O ム , 式用新は 方採どで にな通な 0 変車台貫て分速動をな在 動転車い十と制動る現 , 制すも 電運全除には浦 , たをる機き弁に部 、子 , てれ車せ動 : は磁能 合 がっ入動わ電いを電可ク る破み電思主 << メ作のの あを組 , をも 必弛操窓形 ら枚 は識を室車に か 3 で常客列的 ルの一ハ 4 ~ 車能 2 イ来モけ電機」て両前 タ従車設がの・し後 写真 : 鈴木靖人 △クハ 86005 ( 原形 ) 写真 : 久保敏 写真 : 久保敏

8. 鉄道ファン 1977年7月号

とするなら名鉄 5000 形 , 長野電鉄 200 ( ) 系 , 福井鉄道モハ 200 形 , 北陸鉄道 60 川系 , 相模鉄道モハ 5000 形 , 東急 5000 系なども加えなけれはならない . 特に徹底して湘南スタイルとしたのは東海道線と併走 する静岡鉄道で , 昭和 3 ( ) 年代に自社で製作したモハ 2 ( ) 形 クハ 20 形 , 駿遠線のキハ D14 系は色こそ違え金太郎塗り の 2 っ窓 , ディーゼル機関車の DD5 ( ) 形も車体は自社製 で , なんとはなしに湘南スタイルである . 内燃動車も湘南スタイルは多い . 一番の迷作は羽後交 通のキハ 2 , キハ 3 であろう . 湘南スタイル金太郎塗り ながらローカル色豊かな荷台付 , 製造初年昭和 28 年の川 崎車慵製である . 内燃動車は前述のように戦前から 2 つ 窓車もあり , ローカル私鉄においては自社のスタイルと いうよりメーカー設計の依存度が高いためか , 湘南スタ イルは電車ほど変化を見せてはいない . 定山溪キハ 70 ( ) 0 形・ 7500 形 , 留萠鉄道キハ 1000 形・ 110 ( ) 形 , タ張鈔道キハ 25 ( ) 形・ 300 形 , 三井芦別キハ 100 形 , 茨城交通ケハ 400 形 , ステンレスカーのケハ 600 形 , 東武キハ 200 ( ) 形 , 加越能キハ 12 ( ) 形 , 熊延鉄道チハ 200 形 , 有田鉄道キハ 250 形島原鉄道キハ 4500 形と 1 ( ) 67mm しては静岡のほか井笠ホジ 1 形 , 遠州キハ 1804 , 仙北キ ハ 2406 などがあげられるが , 北海道の私鉄は相ついで廃 線となり , ナローゲージも現存するものなく , 車両の変 動ははげしい . ふうび 一世を風靡した湘南スタイルであったが , やがてこの 流行も衰退するときがきた . 昭和 33 年国鉄は 8 ( ) 系に代わ る新性能長距離電車として 153 系を製造した . 空気はね 台車付 , ュニット式の側窓は 2 段式となり , 正面は貫通 扉付半流と大きく変わった . 変わらなかったのは塗装色 とデッキ付の座席配置といったところか・・ 2 っ窓の湘南スタイルは良いところとして広く視界の よい連転室 , 大きな窓からうける先頭車としてのイメー ジのよさなどかあるが , 欠点としては分割併合のさい , 貫通できないことがあるため , 特急のように固定編成と して連用されるものはいいが , そうでない車両にはやや 三重交通 ( →近鉄 ) のモ料 00 形も " 湘南”スタイルだった . 写真 : 高橋弘 ー一マ第ヤ第ゞヂのを第 - ・ = 第三、”き、第、気み ”湘南”スタイルの変形 ( 上 ) 長野 20 ( 用系 ( 下 ) 福井 200 形 日物ーレに トレ、 マ高松琴平のロマンスカー田 10 形 1965 ー 3 ー 27 写真 : 梅村新 写真 : 藤原浜雄 を第をを第第、 0 三重交モ 44 ) と双壁をなす軽便湘南形下津井モハ川 3 十ク , 、 24 67 下津井にて円 75 ー 2 写真 : 後藤男

9. 鉄道ファン 1977年7月号

。ト喞″な卩 △札幌直通用に製造された定山渓キハ 7000 形 " 田舎湘南”のニックネームもびったりの羽後交通午ノ 、 2 豊平にて円 67 ー 10 ー 10 写真 : 諸河久 写真 : 諸河久 横手にて円 65 ール 29 不便さが残る . 国鉄が 153 系において湘南スタイルとし 相互乗り入れは京浜 , 東武 , 東急とつづき , 大阪でも阪 てイメージを作り上げた長距離電車のマスクを変えたの 急と大阪市の間に行なわれ , 名古屋や福岡などでも計画 もその理由であろうし , キハ 81 形→キハ 82 形も同じよう されていることから , これらの私鉄車両の前面形状はお な理山からであろう . 東武鉄道の「猫のひげ」とか「海 のずから貫通扉付とせざるを得ない . この貫通扉付の正 坊主」とかあだ名のつけられたモハ 5700 形十クハ 700 形 面スタイルにたいして , 在来の中央に単に貫通扉をつけ 特急車も急行用になるにおよび正面スタイルをモハ 5710 たスタイルにあきたらず , 非対称形をもっていどんだの 形十クハ 710 形なみの半流貫通扉付に改装されてしまっ が営団地下鉄の 6000 系であり , 私鉄の電車の正面スタイ た . 特急時代 4 両編成で日光・鬼怒川温泉ゆきとして浅 ルは側面が固定化してしまった現在 , バラエティーにと 草を発車した列車は途中下今市で分割 , 流線形十半流形 んで華やかなとも言えるが , 乱戦模様を呈している . の 2 両に別れてそれぞれの目的地へと向かったが , 運用 この地下鉄相乗り人れに対して , ますそのスタイル 上は大部前面形状に制約されて苦心があったようだ . 現 の改造を必要としたのは 500 形いらい 2 枚窓の京浜スタ 在は " こだま " 形ボンネットスタイルの D R C 1720 系の イルを続けて来た京浜急行のデハ 1000 形であった . オー 登場により固定編成として下今市での分割併合は行なわ ル電動車のデハ 1000 形は昭和 34 年以来製作が続き , 今日 まで続いているが , 当初の車両は正面 2 つ窓の流線形で れていない . 前面非貫通ゆえの制約として , 湘南スタイルの前に大 あった . しかし A ー A 基準に従って昭和 36 年以降の 1000 きくたちはだかったのは郊外私鉄の地下鉄相互乗り入れ 形は正面貫通扉付となり , さらにそれ以前に製作された がある . 関東における京成 : 東京都営地下鉄の相互乗り 1000 形についても改装工事が行なわれ , 現在では非貫通 車は品川止りで地下に入らない 4 ( ) 0 ・ 500 ・ 600 系 ( 現在 入れが開始されたのは昭和 35 年の暮のことであるが , 地 下鉄に乗り入れ運転する車両については , 運輸省の A ー の形式で示した ) にとどまっている . A 基準が適用されることになり , 「車両の前後端面に貫 2 っ窓を長らく続けた私鉄としては京王帝都井の頭線 と西武鉄道とがある . 西武鉄道は昭和 52 年の 2000 系でつ 通口を設けること」がそのなかにうたわれていることで いに 2 っ窓を別れをつけたため「・・・・続けた」の過去形 塗色は違うけれど”湘南形”そっくりの静鉄上ハ D 17 円 66 ー川写真 : 諸河久 袋井にて マ幃便の大形 DL 静鉄 DD5 ( 月も正面 2 枚窓たった 相良にて一 6 ー川一田 写真 : 諸河久 50 ー 68

10. 鉄道ファン 1977年7月号

80 系電車の構造図 ク′、 86 0 86032 4 の モ 80053 7 ⑩ ⑩ 接地スイッチ ( 制御回路用 ) さん板 ⑩ 五道弁 ① 妻窓 朝 接地スイッチ ( ( 蓄電池 ) ⑩ 接地スイッチ ( 主回路用 ) ⑩ 側よろい窓 ⑩ 電磁弁 腰掛 ( 長手 ) 電動空気圧縮機 接地スイッチ ① つり手 ⑩ ( 接地スイッチ ) ⑩ 主抵抗器 ⑩ カーテン ⑩ ⑩ 高圧ヒューズ 制御空気だめ ⑩ 補助抵抗器 ( 電動発電機用 ) ⑩ ニ室空気だめ ⑩ ⑩ 元空気だめ 暖房接触器 ⑩ ⑩ 主制御器 ニ室空気だめ ⑩ ( 電動発電機 ) ⑩ しゃ断器 ⑨ ⑩ 窓ふき器 プレーキてこ 主電動機ノーズ受ばね パンタグラフかぎ外し装置 ⑩ 下揺れまくら ⑩ パンタグラフ ⑩ 制輪子調整装置 9 電気連結器 ( 制御用 ) ⑩ 主電動機 プレーキ戻しばね ⑩ ⑩ 電気連結器 ( 高圧用 ) プレーキ引棒 ⑩ ⑩ 台車端ばり 断路器 ⑩ 職員用足掛 暖房接触器 ⑩ ⑩ 主回路ヒューズ 幌つり ⑩ ⑩ 幌わく 高圧ヒューズ 便器 手洗器 ② / くダノレ てこ及錘 便器洗弁 ⑩ 便所流し管 排障器 ⑩ 制輪子 軸箱 ( コロ軸受式 ) ⑩ 揺れまくらつり ⑩ まくらばね ① 台車わく 油つば 制輪子つり プレーキシリンダ ⑩ 自動すきま調整器 ⑩ 制御空気だめ ⑩ 元空気だめ ⑩ 水タンク ⑩ 給水口 ① 運行燈 ② 前燈 ③ 通風器 ④ 標識燈 ( 尾燈 ) ⑤ 終着駅名札さし ⑥ 雨樋 ⑦ 車側表示燈 ( 戸閉用 ) ⑧ 側窓 ⑨ 天井燈 ⑩ 荷物だな 帽子掛 ⑩ 灰皿 ⑩ 腰掛 ( 中間用 ) 側引戸 ⑩ 幌 ⑩ 緩衝ばね ⑩ 密着連結器 ⑩ 伴板もり ⑩ 電磁弁 ( 戸閉用 ) ⑩ 戸閉機械 * クハ 86 形の床下器機でクサリ線でかか ) のあるものは偶数 れ , 名称に ( 車にのみ取り付けられており奇数車に はない ( 注 ) 名称は現在のものに修正してありま す