ED17 ・円の憩う豊橋機関区を横に東京へ向かう 80 系”東海 " 写真 : 神谷静治 円 59- レ 24 豊橋にて 1955-7 一四 写真 : 神谷静治 ライバル名鉄の 3400 系と競争する 80 系 齟 ! 門壟ー習当日 行電車の終日 20 分へッドダイヤを実施したための措置で ( 注 ) ほかに客車準急 " いこい " を運転し , 平日 1 往復 , 週末 4 往復で あった . あった . しかし , 新編成は 29 年 12 月 1 日に統一されたた め , 解消することになった . しかし当時は , 週末湘南準急はその駿足により人気が このようにバラエティに富んだが , 東京からの借入編 高く , 指定準急行券はなかなか手に入れ難く , プレミア 成を含め塗色はそのまま充当した . 特に , 80 系電車の出 ムがつくほどであったので , " はっしま " の毎日運転用 入口 2 カ所に合わせて , 70 ・ 71 系電車の中央の出入口は に 15 両編成 1 本の増強が計画された . 大阪急電の方は , 終日 30 分へッド運転を通勤時 20 分 , 閉鎖して乗降時の混雑・混乱防止が図られた . また , こ データイム 30 分へッドに改正するため , 5 両編成 1 本 , の急行電車増発時には , 中央の 3 両については電車内の 合計 20 両の新製計画であった . そして , 29 年にはさらに 禁煙解除も行なわれた . この措置は 28 年 11 月 1 日からで あったが , これは , 湘南電車のイメージ・アップ , ある 大阪急電編成 1 本の発注が行なわれた . いは併走する私鉄とのレベルアップであった . この編成増備により , これまでの東京からの借入編成 さて , 新増備編成は表でもおわかりのように , 従来の が解消されたが , 永らく続いた暫定編成は今となっては 2 M 3 T 編成から 3 M 2 T 編成でデビューすることにな 思い出となったが , これは , 28 年 9 月 1 日時刻改正で急 ったが , 運転台の運行窓ふたに大きく「非常電源装置車」 暫定編成 借入編成 大阪急電 ③ ④ ⑤ など表示されていた . ①② ①② ③④⑤ クモ モモク 6. 米原電化完成と , 湘南電車 68 70 70 70 68 米原電化完成は昭和 30 年 7 月 20 日であった . この改正で 増備編成 名古屋地区にも湘南電車が新たにデビューすることにな ①② ③④⑤ ったため , 80 系電車 30 両の増備が行なわれ , 大垣機関区 86 % 7 80 四 9 80 刪刪 86 8 改め大垣電車区に配置されることになった . これは , 大 76 刀 引 引 76
ー第 東京方 沼津・伊東方 ⑦⑧⑨⑩⑩朝⑩ @ ①②③④⑤⑥ 86 80 85 87 80 87 80 87 80 86 86 80 80 86 付属編成 ( 新設 ) 荷物・郵便電車 付属編成を沼寄り ( 下り前頭 ) に連結 ( 注 ) 湘南準急電車は下りのみ , した . 上りは東京寄り . 神戸方京都方 ①②③④ クモモク 86 80 80 86 京阪神用急行電車は , 7 編成のうち予備 2 編成を残し , 5 編成で京都ー神戸間 30 分へッドとし , 京都ー大阪間 40 分 , 大阪ー神戸間 35 分運転を行なっていた今日の飯田線 , モハ 52 のあとを受け継ぐこととし , その第 のヒーロー 1 陣は 25 年 8 月 29 日であった . しかし , 同年 10 月 1 日改 正では京阪間 36 分 , 阪神間 28 分と , 80 系電車としての実 力を発揮するスヒ。ード・アップが行なわれた . 52 形電車は , 戦前から働らいていた京阪神間から離れ 天王寺ー和歌山間の特急電車 ( 現行の新快速 ) に転用さ れることになった . 転用にあたり , 従来の濃淡グリーン の塗り分けに赤線を 1 本入れたデザインも , 阪和線では 合の子電車ともどもその塗色は大阪湘南色に統一され , 従来の 4 両編成を 3 両編成に変えられた . ( 注 ) ねん出されたサハ 48 5 両 ( サハ 48029 ~ 033 ) は横須賀線に転用 された . 阪和特急電車 ①②③ 52 48 52 ”急電 " のサ玉を誇らしげに京阪神で活躍する 80 系 写真 : 宮澤孝一 京阪神急行電車 ①②③④ 52 48 48 52 になり , 東京ロは同年 10 月改正用とし , 荷物・郵便電車 の落成により 15 両編成が行なわれることになった . また 川月 17 日から臨時週末準急電車の運転が開始された . いつほう京阪神急行電車 28 両は , その塗色を小豆色と 小麦色に改められたが , そのイメージは関東色の派手な のに対して , 英国風のシックな装いであり , 次のような 編成であった . 昭和 29 年製のクハ 86066. 急電マークは新造と同時に帝国車輛で作られたもの . 4. 湘南電車の編成増強 昭和 26 年度の増備は , 東京ロホーム延伸工事の完成に合 付属編成 1 本増強が計画され わせた待望の 16 両運転と , た . また , 京阪神急行電車は 1 本増強および 5 両化計画で 1953 ー 2 ー 8 写真 : 奥野利夫 京都にて あった . このため , モハ 4 両 ・サロ 13 両・クハ 4 両・サハ 3 両の計 24 両であった . この 措置は , 東京ロ湘南基本編成 の「サハ」を「サロ」に置き 替え , ねん出した「サハ」を は大阪急電に転用された . そ の概要は 42 ページの図のとお りである . この計画により , 区別配置 両数は 42 ページの表のように なる . この計画は , 当初「サロハ」 み 0
特集 : 湘南電車 付属編成は東京ー小田原間を主体とし , 後に平塚駅電留 また , このような規模圧縮については , 東海道線の静岡 線完成にともなってその運用区間に平塚も加わり , 機動 あるいは浜松電化が見込まれるほか , 5 カ年計画により 今後 3000 キロ電化案が決まっており , このためには , 電 性が向上されることになった . さて , 175 両案策定に際し , 実施までのステップとし 気機関車の増備・不足客車の新製などの諸計画の総合調 整が図られた . この結果 , 電気機関車および客車を新製 て第 1 次計画は 73 両でスタートすることになった . すな わち , 10 両編成 5 本 , 4 両編成 4 本および予備車 7 両の する代わりに湘南電車の新製を計画し , そこでねん出し た車両を新電化線区などに転用することで , 一石二鳥の 内訳であった . 効果が期待できることとなり , 互に解決することなども 発注から落成まで短期日のうちに行なうことから , 車 あった . 経済的に引き合うものならほかの予算からねん 両メーカー別に責任体制を図ることとし , このため , 基 出しても実現させたい空気があり , ここに当初の構想を 本 10 両編成のものを A 1 ~ 5 とし , 予備車 7 両は B 編成 改めて , 極力新製を圧縮した 175 両案が計画された . こ 付属 4 両編成のものは c 1 ~ 4 と , 編成番号を付してそ の修正案により当初の 15 両運転計画は , プラットホーム の明確化を図った . 当時の , このような経緯で生まれた の延伸工事がスロー・ダウンされることにともない 14 両 A ・ B ・ C 編成で , 今日ではそのイニシアルに運用番号 ( 1 両減車 ) になるなどして , 付属編成に組み込む予定 を付して A21 ・ 22 ・・・あるいは C71 ・ 72 ・・・等 , 現在 A およ び C 編成イニシアルを田町電車区では使用しているが , の「サロハ」は見送りとなった . これによる編成は次の あんがい 80 系電車登場時の流れが今日まで続いている . とおりである . ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑩ @ ⑩ さて , 落成後の 80 系湘南電車は , 全車田町電車区配置 86 80 85 87 80 87 80 87 80 86 86 80 80 86 伊東線に乗り入れる湘南電車 付属編成 円 56 ー 7 ー 29 伊豆多賀にて 写真 : 鈴木靖人 かせないものとなっている . このことは , 今日の特急電車・新幹線のデザ インにもその例を見ることができるが , 80 系電車にあっては , オレンジ とミドリ色の 2 色塗り電車が「湘南電車」といえよう . その 2 色塗り電車 ふつしよく の登場は , 永らく続いたブドウ色 1 色のゲタ電の観念を払拭して計画され 昭和 20 年代の東海道線は , すべて電気機関車けん引の旅客列車により , 通勤時間は 15 ~ 20 分 , 日中は 30 ~ 60 分へッドであった . これに対し横須賀 線は , 32 系電車により通勤時間 15 分 , データイム 30 分へッドのダイヤであ った . このため , 東京ー大船間では , ラッシュ時間は交互におおむね 7 分 データイムは 15 分へッドとなり , 今日の約半分の輸送カ ( 列車本数 ) とも いえた . このような時期にあって将来を考慮すると , 次の点について十分 配慮する必要があった . ア . 住宅事情等を勘案すると , 通勤・通学距離はしだいに延伸されて , 将来とも混雑が予想される . イ . 客車列車の停車時間は延伸しやすく , また , 発着時に旅客の傷害事 故が発生しやすい . ウ . 客車列車は , 電車に比較して加・減速において劣り , このため , 運 転時分は電車より遅い . ェ . 東京駅にあっては , 機関車付け換え作業が必要となり , ( ア ) この ため , ホームの占有時間は延伸する . ( イ ) 機関車付け換えのため , 機関車を前から後へ回送する線を確保する必要がある . 以上は電車化によるメリットでもある . 特に東京駅での機関車付け換え によるロスは , 都心に簡単にホーム等を増設することは困難であり , また その投資額は地方の設備とくらべものにならないほど高価なものであり , 結果として , 即効的な効果は不可能に近かった . 停車時間の短縮で , 列車 増発・電車化によるスピード・アップは魅力十分ではあたが , 反面 , 電 田原間 30 分へッド , 東京ー沼津間 60 分へッドとし , ラッシ時 15 分へッド のダイヤで計画が推進されることとなり , 280 両案で上記区間列車の完全 電車化の幕が切って落とされた . この計画は , 後に経済的事情により圧縮 されることになったが , 華々しい計画として注目された . 戦後の電車の編成は , 横須賀線の 10 両編成を最長に , おおむね東京付近 の国電は 7 ~ 8 両運転であた . それに対し今回計画の湘南電車は 15 両編 成と , 世界的にも画期的なものとして注目を浴びた . 沼津方 東京方 当初計画 ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑩ 0 ⑩ @ ⑩ 付属編成 当時の標準客車編成 ①②③④⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ ⑩ ススススス ス ス ス ス ス スススス 付属編成 ( 注 ) 電気暖房編成 この当初編成は , 将来 4 ・ 6 ・ 8 号車の「サハ」を「モハ」とし , 13 号車 の「サロハ」は「サロ」に置き替えを予想すれば , 対応可能と考えられた . しかし , 前述のように昭和 24 年 1 月 , ドッヂラインによる均衡予算のあお りを受けて電化関係工事はすべてストップとなり , 一時は試作電車 10 両の 、 ! を第 0 第 △写真 : 五十嵐六郎・権田純朗・鈴木靖 人・三島富士夫・三森康亘・宮 澤孝ー 目員颶第鷁 35 33
呉線のローカルに活躍する 80 系 へと躍進することになった . 特に東海道線の電化完成は , 将来米原を中 心に関東・関西の 80 系電車が互にオーバー・ラップすることなどが考え られることから , 32 年 8 月 , 関東・関西色の統一を図ることとし , ここ に湘南電車は , 関西色のものを関東色のオレンジ色と緑色に統一して , その第 1 編成は 32 年 9 月 11 日に出場した . 31 年の車両計画は , このようにして両線の電車化を主体に , 東海道線 東京口増発用を含めて 98 両 , 更に 32 年債務車 28 両発注となったが , これ は , 12 両編成 2 本を湖東線および高崎線増強用に折半して配置された . 8. 準急 ' 東海・比叡の登場 東海道線直通電車の運転を , なんとか実現させるためには , 従来の電車 では乗心地 , 特に座席幅の狭いことや接客設備において , 多少の難点が 考えられていた . このための改善策として , 80 系 300 台の電車が登場することとなった . この電車は昭和 32 年 10 月改正用として 32 年第 1 次債務 32 両 , 第 1 次債 務 176 両 , 33 年債務 28 両が増備されることになった . 特に 32 年第 1 次債 務車では全車が大垣に配置され , うち 15 両 1 編成は東海準急の試運転お よび在来車の更新修繕のため , 入場期間中の代替車に充当されることに なった . また , 以降の電車にあっては , 東北線宇都宮電化用 43 両および 姫路電化用 60 両の電車を含み , 東海・比叡準急各 3 往復の増発・置替用 80 系の南限幡生ー下関間を行くに両編成 円 75 ー 3 写真 : 真柳哲也 安芸幸崎一須波間にて 第ぃ叫 : を一
9. 宇都宮電化と姫路電化 宮機関区に 80 系電車 43 両を投入して実施されたが , 編成 東北線大宮ー宇都宮間の電化完成は , 昭和 33 年 4 月 14 日 については高崎線同様 , 6 両編成を主体に 6 ~ 12 両運転 時刻改正で実施された . 期日に若干のずれを感じさせら が行なわれた . れるが , これは当時 , 赤羽ー大宮間が複々線であったた ①②③ ④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑩朝 め東北・高崎線列車は , 朝夕通勤・通学時は貨物線を , 86 80 80 87 80 86 86 80 80 87 80 86 データイムは京浜・東北線と , おのおの区分して運転さ れており , ともかく同線の時刻改正は , 東京国電の時刻 高崎線にあっては , この改正で 80 系電車による上野ー 改正時期に合わせて , 夏ダイヤあるいは冬ダイヤと計画 水上間準急 " 奥利根 " が運転された . いすれにしても , 東海道線に電車がデビューして 8 年後の今日 , 上野口に されていた . さて , 完成した東北線の電化では , 前述の高崎線電車 も湘南電市の連転が行なわれ , また , その 80 系電車の地 化でみられるように客車列車の電車化が行なわれ , 宇都 図が塗り変えられた . 円 76-3 ー幻写真 : 諸河久 マ名古屋地区の通勤に活躍する 80 系 函南一三島間にて 写真 : 伊奈弘充 V 冬の陽をあびて東海道を走る 80 系 清洲ー稲沢間にて 1975- レ 4 写真 : 松井崇 箋第ー
可、を、ーン 写真 : 五十嵐六郎 日光線乗り入れの 80 系 写真 : 五十嵐六郎 上越時代の 80 系 写真 : 田部井康修 高崎で EF58 と並ふ 80 系 宇都宮で”日光”と並ぶ 80 系 写真 : 田部井康修 ば京阪神間急行電車の湖東線乗り入れが計画された . す ら , 80 系電車により本格的に運転されることになった . なわち , 京都ロのローカルは 34 往復から 39 往復に増発さ 電車基地は新前橋電車区完成まで高崎第二機関区配置と れ , うち 21 往復は 80 系電車で , 中京地区同様米原ー京都 し , 新製車 38 両でスタートした . もちろん , この電車は 間 1 時間 45 分が 1 時間 20 分と向上し , 沿線の東山・逢坂 客車列車の電車化用としたため , 29 往復 ( うち 5 往復は 山トンネルの煤煙苦が解消したことは何よりのサービス スカ形電車 ) ダイヤは 31 往復に改められ , うち 10 往復は となり , 通勤輸送にとって大いに歓迎された . この湖東 電車置き替えとなった . これにより , 上野一高崎間を主 線の 80 系電車乗り入れのため , 新たに 38 両が増備され , 体に , 一部は水上まで定期 1 往復のほか土曜日にはさら その編成は急行電車 5 両を 2 本併結した 10 両運転が行な に 1 往復運転された . このように , 水上まで連転することから耐寒・耐雪構 われた . 造で , 湖東線同様改造され , 特に豪雪区間の運転を考慮 ①②③④⑤⑥ ⑦⑧⑨〇 して気笛を 2 個に増設するなどの改善が行なわれたので 86 80 87 80 86 86 80 87 80 86 在来車と区別するためクハ 86 ・サハ 87 は 10 ( ) 台 , モハ 80 急行電車は大阪 この 10 両運転は大阪以東としたため , は 200 台と , その個有番号は改められた . で分割および併結作業がともなうと共に , 東京地区と同 高崎線暫定編成 様 , 10 両連転電車には電車運転助士も乗務するようにな ①②③④ クサモク った . また , この 10 両運転により従来大阪駅では降車ホ ーム・乗車ホームと , ーっのホームを 2 カ所に区切って 手前で降車 , ドアーを閉め , 前に動かして乗客を乗せて 発車する , いわば 2 段ステップの客扱いを行なっていた が , 今回の 10 両運転でそれができないことになり , 乗降 ホームの使い分けは中止となった . いつばう , 高崎線の電車運転は 27 年 10 月 1 日に 3 往復 ( 後に 5 往復 ) , 上野ー熊谷間に暫定的に横須賀線の付属 編成による乗り入れを行なっていたが , 31 年 11 月 19 日か を第第・新 43 48 70 76 高崎線新編成 ①⑦③④⑤⑥⑦ ⑧⑨⑩⑩朝 86 80 80 87 80 86 86 80 80 87 80 86 ( 注 ) 基本・付属編成とも共通編成で , 籠原ー上野間に両 , 籠原以遠は 6 両運転であった . このように , 湘南電車は東京付近にスタートしてしだ いに京阪神・中京地区へと発展し , さらに今日 , 高崎線 み 5
「富士」を背に快走する 80 系の準急 " 東海” 山比一興津間にて写真 : 鈴木靖人 案を改め「サロ」とし , 次のように連続連結されること になったが , これは , 開業当初からその居住性の良さが 好評をよんだので , 修正して旅客の要望にこたえた編成 としたのであるが , 編成が長大化したため 2 等車の位置 を編成の中央に移し , 駅での乗降に利便を図ることとし 湘南電車 湘南付属 5 両一本増強 湘南基本 サロ組込 4 両 新製 80 系 24 両 サロ サハ ロ両 7 両 内輌 予備 5 両 2 両 湘南付属 5 両化用 大阪急電 5 両化用 ロ両 ( 6 編成 ) ( サロ 2 両化 ) 大阪急電 5 両一本増強 5 両 2 両 ( 7 編成 ) 東京方 静岡・沼津方 新製 ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩⑩ @ ⑩ @ ⑩ モク モ ククモ モクモサモサ モ 87 80 86 80 86 86 80 85 80 87 8 ー 86 80 87 80 85 付属 転用・増結 編成 大阪急行電車 ①②③④⑤ クモサモク 86 80 87 80 86 増結 以上のように , おおむね頭初の構想どおりの編成が実 現することになった . 5. 湘南準急および大阪急電増発 昭和 27 年の湘南準急電車は , " いでゆ " の毎日運転と共 に週末連転の”はっしま " ・ " あまぎ”であった . 25 本本 両両計 次両両両便 年 0 4 5 郵備 4 5 本属属物予行行 急急合 成基付付荷 27 2 田 73 両 83 28 両 40 226 202 宮原 266 み 2
△鉄道 80 年を記念して沼津に勢揃いした当時の国鉄スター達 . “ LIFE ”のカメラマンによる撮影 も 5 両となって付属 5 両十基本 10 両十荷電という新幹線 代化された全金属製 80 系も誕生し , 10 月ダイヤ改正から なみの堂々 16 両という長大編成も出現した . そして 31 年 80 系による東京と名古屋・大垣を結ぶ長距離準急電車 " 東海 " , 同じく大阪ー名古屋を結ぶ " 比叡 " が運転を開 11 月 19 日の東海道全線電化完成と同時に米原ー京都間の 始 , 33 年 4 月の宇都宮電化とともに東北本線にも運転さ 湖東線と高崎線に耐雪形湘南電車が進出 , 翌 32 年には近 鉄道 80 年の祝賀マー クを付けたクハ 76 と モュニ田 円 52 写真 : 宮澤孝一 20
聖高原をバックに篠 . / 井を走る 80 系 52 塩尻で顔を合わせたクハ 76 とクハ 86 坂北ー西条間にて 円 77-4- 円 写真 : 植村秀夫 写真 : 太田正行 また , 山陽線姫路電化による時刻改正は 33 年 4 月 10 日・ 7 月 1 日の 2 回に分け て , 大阪ー姫路間 10 往復の電車化および 10 往復の増発と , 画期的改正となった . このため 80 系電車は , 42 両十 18 両の計 60 両が投入された . ちなみに編成は , 32 年 10 月 1 日改正以降 , 従来の 80 系 5 両編成 のものを基本 6 両・付属 4 両に改正され ①②③④⑤⑥⑦⑧⑨⑩ 86 80 80 87 80 86 86 80 80 86 基本編成 15 本を 21 本 , 付属編成 5 本を 9 本として , その運用区間は , 米原ー姫 路間 194.8km を受け持つまでに成長する
REPORT 福島県の私鉄近況 国陬行行朝新第ト 整地された旧車庫跡と 5 幻 5 曽根Ⅲにて 円 77 ー 3 ー 20 円 77 ー 3 ー 20 桜水のホームと 5 引 9 十 5 引 8 の 3 両を購入 , デハ 33 ( ) 1 →デハ 33 ( ) 6 と改番して , 33 国十 33 ( ) 5 十 33 ( ) 6 の 3 両編成となっています . 中聞に人った 33 ( ) 5 は福島向きの電動車ですが , 正面にも貫通幌をつけ 吉川文夫 ているため 3 両貫通となっています . ( 形式デハ 330 ( ) 形 ) 福島県内にある二つの私鉄 , 福島交通と福島臨海鉄道を この線はラッシュは約川分おきに電車が走り , 3 両編 訪ねてきましたのて近況をお知らせいたします . 成も出動しますので , この 3300 形はラッシュアワーの専 福島交通 用車ともいえます . 日中は約 25 分おきで , 2 両編成の電 国鉄の福島駅のわきから , しはらく東北本線と平行して 車 2 本で走っています . 走り , 飯坂温泉にいたる 9.3km の電車線ですが , 東北本 当日 ( 52.3.2 ( ) 休日 ) の編成は次のとおりでした . 線の車窓からも見えた曽根田の車庫は昭和 51 年に桜水に 12 ( ) 2 十 12 川 1209 十 1208 移設され , 曽根Ⅲの車庫のあったところはきれいに整地 。 5215 十 5114 。 5318 十 5319 されています . いま東北路は各地で新幹線工事が進めら 。 3304 十 33 ( ) 5 十 33 ( ) 6 れていますが , ここ福島でも高架線のコンクリート打ち 12 ( ) 3 ・ 1211 ・ 3016 ・ 3 ( ) 17 12 ( ) 1 が部分的に行なわれており , 曽根川の車庫の裏手をかす 1201 ・ 12 ( ) 2 は昭 17. 製の車両を改装したものですか , めて高架線が伸びることになるようです . 室内連転台部の幕板にはまだ改番前のナンバー 101 ・ 102 桜水は島式のホームに地下道もあるりつはな新設駅で かそのまま残っています . このわきに車庫も新設されています . 敷地も広く , なか 1208 ~ 12 川の 3 両は台車を住友の釧鋼台車に変更して なかゆったりとした車庫です . います . 車庫の人にお聞きしたところでは , 西武鉄道か 車両の方は , 51 年春に人った東京急行電鉄のデハ 33 ( ) ( ) ら購人したとのことでした . 台車の銘板を調べましたと 形 3 両が一番の新顔てす . 東急からは 33 ( ) 1 ・ 33 ( ) 4 ・ 33 ( ) 5 ころ ( 1208 号のもの ) 昭 17. 製 K S 33 L とありましたか ら , 西武が小川急のデハ 16 ( ) 0 形 を購入した実績かあるところか ら推定すれは、 , 小田急のデハ 16 ( ) ( ) 形の台車ではないでしよう か . なおモハ 1200 形 7 両のうち 12 ( ) い 12 ( ) 2 は在来どおり京成か ら購人した雨宮製の板台わく製 の珍品をはいています . また電車は , 写真でごらんの ように運転台ガラス窓部に行先 方向板をつけています . 東京急 行の 30 ( ) ( ) 系についているものと 似てはいますが , やや細長く , 取り付けられている位置もやや 高凵です 。 5 ( ) 13 十 5 ( ) 12 3304 十 3305 十 33 ( ) 6 ( 旧東 . 急 ) 桜水にて 円 77 ー 3 ー 20