電源車 - みる会図書館


検索対象: 鉄道ファン 1978年6月号
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1. 鉄道ファン 1978年6月号

られない高い絶縁性の高性能モーターを採用している という . 運転室内は , 機関士席の前に速度計と空気圧 カ計 , そして電圧計が並び , 小さなマスコン棒がチョ コンとあリ , バンタ上昇用のスイッチ類があるだけ . そして , 右側にプレーキ弁ハンドルと汽笛ハンドルだ けという , スッキリしたものてある . 助手席には , 椅 子が二つ並んている . 架線の交流セクションに近づくと , 「ヒー」と警報 が鳴リ , 機関士はマスコンをオフにし , 手動てセクシ ョン切換器を操作する . 機関十たちは , この電機に乗るための転換数育は , わすか 2 週間受けたたけだという . 「将来は時速 110 キロまて上げますが , 新竹から台北まては 400 メート ルのカープの連続て速度が出せす困っています」と同 乗の指導機関士はいう . 踏切の直前横断が多く , 何度もヒャリとする . 機関 士は , ひっきリなしに警笛を鳴らして走る . 台湾の電気機関車は , 非常の場合 , バンタグラフが 降リるようになっておリ , 機関室内の高圧部のドアを もし運転中に誤まって開けたような場合ても , バンタ が自動的に下って電源が断たれるよう , 安全装置がつ いているという . 16 時 35 分 , 約 30 分おくれて , 菖光号 4 列車は , 喧噪 の台北站第 3 月台に静かに停車した . なお , 台湾の電気機関車は , 全線 ( 基隆一高雄間 ) 電化の際には , 米国 GE 社製 74 両 ( 旅客用 35 両 , 貨物 用 39 両 ) , 英国 EC 社製 20 両 , 計 94 両がそろうことに なっている . 2 月 23 日現在 , 30 数両到着しているが , 稼動しているのは G E 製のみて , E C 製は整備中てあ る . 翌 2 月 24 日 , 臨時列車による特別祝賀列車が運転さ れ , 正式に基隆一新竹間は電化開業となった . 台湾鉄路局の電気機関車添乗記 台湾の誇る豪華列車 " 菖光号 4 列車は , 30 分遅れて R 形電気式ディーゼル機関車の轟音とともに新竹站 ( 駅 ) 第 1 月台 ( プラットホーム ) に進入して来た . らは , 昨年暮からならし運転をしている電気関機車と 交代てある . ディーゼル機関車が切リ放されると , 側線からスル スルと音もなく近づいて来たのは , アメリカ G E 社製 の E 307 電気機関車てあった . オレンジに白線 , そし てサイドには , 運転台以外は窓ーっないざん新なスタ イルてある . 「電化になったら , 貴方に外人第一号として添乗し てもらいますから , せひ電化されたらまた来てくださ い . 」と台湾鉄路局機務所の副処長 , 許振柱にいわれ たのが昨年 3 月たった . 11 月に基隆一竹南間が電化さ れ , ます貨物列車が電機けん引となリ , 12 月に入って 基隆一新竹間の全貨物列車と快車 ( 急行列車 ) 以上の 旅客列車て新竹停車のものが , 電気機関車けん引にな ったと知らされた . 2 月 21 日 , 1 年ぶリて台湾に渡った . 「本当によく 来てくれた」と , 許副所長は , 約束どおリ早速台湾鉄 路局の正式機関車乗車証を発行してくださった . 2 月 23 日 , 菖光号 4 列車 , 区間は新竹一台北間てある . 「ようこそ , お待ちしていました . 私 , 機関士の林 てす」流ちょうな日本語て迎えられて , 機関車に乗リ 込む . 軽やかな警笛とともに , 機関士は , マスコンを フル丿ッチの 10 丿ッチに引いた . スムーズな発車てあ る . こんな操作をしてもほとんど空転は起らないそう てある . マスコンハンドルは , 上下に操作する新幹線 と似たようなものて , 1 から 10 まて 目盛リがあるが , ラチェット式ては なく , 握リのついた小さい棒のよう なものてある . 列車はグングン加速 し , 見る見る 90 キロの制限速度いっ ばいになった . 機関士は , マスコン ハンドル ( というよリ棒 ) を中間位 置にもどし , 85 ~ 90 キロの速度て快 走する . 列車のゆれはほとんどなく また , わが国鉄の交流機のプロワー モーターの騒音も全然といってよい ほどない . この E 300 形電機は , フェス・コ ントロール採用 , モーターは端子電 圧 2000 ボルトという , ちょっと信し E3 ! を 7 ~ 円 7 8 - 2 ー 23 プ 05 E 300 形 E 307 号 新竹站 ( 台湾の新鋭電機 こて

2. 鉄道ファン 1978年6月号

星の寝台特急 ・プルートレイン系列別一覧表 4 4 4 フ ネネネネ シ 放ロ 開オオス改スオ 一称飾り帯白線 ( クリーム色 ) ステンレス帯 2 段寝台車 ニ正寝台段 3 段寝台車 昭 53.4 現在 ユ 2 4 系 ー 4 系 ( 24 形 ) 24 形 14 形 25 形 集中 電 源 方式 2 系 1 5 形 マヤ 24 分散電源方式 電源車 改 カヤ 2 ~ 24 田 2 5 系 ー 5 系 2 4 系 開放 オロネ 2 ~ 249 オハネ 2 ~ 2467 オノ、ネフ 2 ~ 2427 い 6 ・ロ・田 ) オシ 2 ~ 245 ( 5 ・ 6 ・・Ⅱ・ ) 改 オシ 2 田 ~ 24 田 5 ~ 図田 6 ~ 図 54 ~ 田 3 カニ 22 ( 20 系 ) カニ 25 い 252 個室 オハネ 2 引 ~ 25 引 オロネ 2 引 ~ 2 引 2 カニ 2 ~ 248 オハネ 2 引田 ~ 25226 カニ 249 ~ 2425 オハネフ 2 引 ~ 2547 い 8 廃車 ) オハネフ 2 引田 ~ 2 引 57 カニ 2 田 ~ 24 Ⅱ 2 オハネフ 252 田 ~ 252 オハネー引 ~ スハネフー引 ~ ( 製造中 ) ・プルートレイン分散・集中電源方式概略図 PNC P D ( 上 : 分散電源方式下 : 集中電源方式 ) PNC 西 P N P NC PNC P N 併結面間 P D 各中問車の状況 併結面問 PLe P NC P N P N P N P A PNC 凸 PNC 東北 ( * 不連結もある ) ■各図は電力給電方法の概要と分割併合の関連について , 配線と機器を最少 = 一般 ( 電燈など ) 機器 電力給電ケープル ( ジャンパ線 ) 必要限に簡略化したもの . ■分散電源方式では , 各編成両端の電源装置付き ( ジャンパ線 ) 制御ケープル 〇冷暖房機器 緩急車から一本の電力ケープルにより一般・冷暖房用に給電する . それぞれ トしゃ断器切 ( 電力断 ) 5 両以内を分担する . ・集中電源方式では , 電源車より一般・冷暖房用の 2 ロ食堂用機器 ーしゃ断器入 ( 給電 ) 一台のみ運転 本の電力ケープルに対して 2 台の発電機で別々に給電したり , 180kVA 発電機 して両方へ給電することが負荷の状態に応じて自動的に行なわれる . ■それ プレーキ管工アホース ぞれの緩急車は転向可能な車端装備となっている . ( 除オハネフ 2 引 ) 300kVA 発電機 空気バネ主管工アホース に会える機会はきわめて少ない . すべて " ゆうづる " に を抜いた形のもので , 門 , 、イ所属の 13 両編成 " あかっき・ 明星 " 32 ・ 63 号と , " あかっき " 1 号および " 日本海 " 21 使用され , E C583 系と分けあって下り 4 ~ 7 号・上り 号の 3 本に使用 . 前 2 者は分割運転されるが , 後者は一 1 ~ 4 号の上下 4 本を分担している . 体のまま大阪一青森間を走る . 門 , 、イの 14 系は熊本・長崎 25 系 : すべて関西の大ム。・大ミ , 、に配置され , オールモ ・佐世保から大阪を基点に青森まで , まさに南国から青 ノクラス編成として使用されている . 前者のⅣはモノク ラス 6 両に電源車 1 両の基本 7 両編成の E と , 同じくオ 森棧橋まで日本縦貫をやってのける . しかも , C 編成の ールハネ付属 6 両編成の c . 切り落しの " 明星 " 2 号と 筑豊線経由運転まである念の入れようだ . 代彗星 " 2 号のほか , 付属編成に改造カニ 25 を連結して 24 系 . すべて盛アオに集中配置され , 基本十付属編成の 唯一の珍編成を作る " 明星・あかっき " 54 ・ 23 号の 3 本 形態をとっているが , 一体連用されるⅢの一種類のみ . が該当する . 電源車配置はカヤ 24 のみで編成中 1 両だけ オハネフ 24 は車掌室を北向きに統一転向し , 通路はすべ 白帯車となり , Ⅲの 24 系とはちょうど逆になっている . て東側に揃えられているので , 6 号車は 5 号車に背を向 2 段寝台化のトップランナーだ . 後者の v は付属編成が けた形で連結されることになる . 基本編成は開放 A 寝台 1 両少ない E + d で , " つるぎ " や季節列車 " 日本海 " オロネ 24 と電源車人り 6 両の D , 付属編成は 6 号車が C とは逆向き 6 両のこ旅客車はオール白線入りであるが 12 号用 . ともに一体のまま使用される . 電源車の配置は カニ 24 Ⅱ形のみで , 全車両ステンレス帯の統一された美 盛アオ配置の電源車は長顔のカニ 241 形が主力で , カニ 24 しい編成 . Ⅳ・ V ともオハネフ 25 は , 各編成内で外向き Ⅱ形が 3 両あるがともにステンレス帯車であり , 白線人 に連結されているので 1 ・ 7 号車は反対向き , したがっ りのカヤ 24 はわすか 2 両のため , 全車両白線の 24 系編成 30

3. 鉄道ファン 1978年6月号

やふき 第一住第 品川区に並んだ 14 系と 24 系 円 75 ー 5 写真 : 真柳哲也 ☆ 24 系特急形寝台客車 向できない . また 14 系との混結もできない . 翌年の 48 ー川ダイヤ改正用の特急寝台車は集中電源方式 マヤ編成端の外妻はオ , 、ネフに合わせた折妻半流形で となり , 48 年 8 ~ 9 月に姿を現わした . 各車両は 14 系の生 はあるが , 非貫通式でバックサインの周囲を白く縁取り き写しで , 電源車が加わった編成となり , ナハネフ 23 の し , 2 本の白線がサイドからまわされ , 24 系のシンポル 後を受け集中電源方式の 20 代から 24 系と名付けられた . マスクとなっている . また 20 系と異なり電源車の編成端 形式は開放式 A 寝台オロネ 24 , B 寝台オハネ 24 ・オハ 側にのみ普通の自動連結器が取り付けられている . ( 20 ネフ 24 , 食堂車オシ 24 と電源装置付職用車マヤ 24 の 5 形 系は流線形妻側はすべて自連付 . 他は密着式自連付 ) 式で , 車内設備・外観とも 14 系と同様であるが , 緩急車 当初はマヤ 24 で生まれたが , 後に新聞輸送ができるよ は発電装置がないためオ級で , 全客車とも TR217C を うに改造され , カ級にランクアップしてカヤ 24 となり , はいている . 車側のナンバーのうち力の文字は , 改造途中にペンキ書 アクセントとなている電源車は荷物を積まない設計 きとなり , さらに切り抜き文字へと変態した . で , 車長は 17. ()m と短驅で職用車マヤ 24 となた . 車内 には 2 ( ) 系より大容量の 43()PS 十 3()()kVA のディーゼルエ ンジン 3 相発電機の発電セット 2 組が搭載され , 自動消 火設備等もさらに高性能なものとなたが , 台車はマニ 20 ・カニ 21 と同系の金属コイル枕バネの TR54C を使 用 . 給電方式は 20 系に類似し一般・冷暖房用の 2 本のジ ャンパー線で 3 相電力を延々と送っており , 中間車は転 東京にて 1975 ー 4 ー 24 写真 : 河井秀夫 0 マヤ 24 →カヤ 24 ( 力の字は最初はべンキ書き ) 写真 : 竹中寿人 また編成列車の , 、ネフ後側から見た 14 系と 24 系の大き な差異は , 前者はジャンパー線を左床下に 2 本納めてお り , 後者は外妻腰板部両側に栓納めが 2 個ずつついてい ること , また前者には床下に電源エンジンとおおい , 燃 料タンク , 車側腰板下部に冷却水注入管のキャップ , 右 腰板にエンジン吸気ロ , 左屋根上に排気煙突が付いてい ることなどがあげられる . 24 系は全車大 = 、。に配置され , 同時に 14 系は大 = 、。から初 の門 . 、イへと全車大移転し , ・プルートレイン大移 動劇の幕明けとなた . 両者により関西系プルートレイ ン " あかっき " , " 彗星 " の一部がさらに 2() 系と交代した . ところが 24 系も後述のように 25 系に後を追われること になり , ただ 1 回の製造のみで打ち切られ , オロネ 241 ~ 9 , オハネ 241 ~ 67 , オ , 、ネフ 241 ~ 27 , オシ 241 ~ 5 , マヤ 241 ~ 10 の合計 118 両にとどまった . またオシ 24 とカ 円 78-3 写真 : 増田泉 24 系時代の " はやぶさ " 上り 251 系 " あさかぜ " を引く EF655 のラストナン・バー EF65 。のプルトレを引くシーンも今夏でおわかれがささやかれている . 23

4. 鉄道ファン 1978年6月号

スハネフ 14 形式車の中には車両番号が 10 ( ) 番台のものがあるが , これは昭和 51 年に , 後述のオハネフ 24 形式を改造した もので , また逆に一部のオシ 14 形式車は 電気回路を改造してオシ 24 形式 ( 100 番 台 ) となり 24 系のグループに転属してい る . 1 新に 5 24 系の全貌 14 系寝台車が好評のうちに成長をとげ , さらに量産を続けようとしていた昭和 47 年 11 月に忘れることの出来ない痛ましい 大事故 , すなわち北陸トンネル火災事故 が発生し , 死傷者は約 740 名を数えるに 至ってしまった . それ以来 , 国鉄は旅客 車 , なかでも旅客が就寝していて火災の 発見がしにくい寝台車の防火対策を抜本 的に見直すことになった . そうなると , 寝台車の床下にディーゼ ル・エンジンを装荷するよりは , 当時ま だ自動消火装置が開発されていなかった ので , 2 ( ) 系のように別個の電源車方式と した方がさらに安全性が高いという見解 のもとに , 自動消火装置が開発されるま で , 20 系のように独立した電源車を連結 した固定編成方式の寝台車を新製するこ とになり , 24 系寝台車が誕生した . ナハ ネフ 23 形式に続く 20 代の固定編成客車と オハネ 24 の車内 24 系の A 寝台車オロネ 24 写真 : 三島富士夫 品川にて : レ電 オハネ 24 写真 : 国鉄 写真 : 三島富士夫 品川にて いうことで 24 系と呼称することになったが , 14 系と末尾 の 4 という数字が偶然にも一致する結果となった . それ はまた 24 系が基本的には 14 系の構想を踏襲していること とも一致している . 24 系の第一陣は北陸トンネル火災発生 9 カ月後の昭和 48 年 8 月に落成した . このときの車種は電源車のマヤ 24 , A 寝台車のオロネ 24 , B 寝台車のオハネ 24 , B 寝台緩急 車のオハネフ 24 と食堂車のオシ 24 の 5 形式であった . 電 源車には 20 系と同様ディーゼル発電装置が 2 基搭載され ており , 並列連転を行なうので , 24 系の各車は山側と海 側の両方に 3 相高圧補助回路の引通し線を設けており , 編成全体の通電容量を考えた引通し線としてあるので , 引通し線の構造が 14 系と 24 系とでは異なり , 改造でもし ない限り外観は似ているが両者の混結使用は出来ない . 6 24 形式の特徴 24 系客車のなかでも , 24 形式客車は防火対策を契機に出 現した車両であるため , 単に電源車方式としたことのみ に留まらず , 各部・各所の構造にも徹底して防火対策が 講じられている . 防火対策の多くは一般乗客の目に留ま み 7

5. 鉄道ファン 1978年6月号

に気三一一三 カヤ 24 ( 旧マヤ 24 ) 24 系最初の電源車 . 帯は白色。折妻形 . あかっき カニ 22 を 25 系用に改造したカニ 25 長崎にて円 78 ー 3 写真 : 真柳哲也 可能化改造を施してバラバラに組み込まれて使用される ものもありで , 今後の活躍を見守ってやりたい . ・プノレートレ 現代のスターダムにのし上がったニ インは , 情勢の変化が 20 系時代よりももっと早い時代に 育ったため , 標準化がさらに画られている中にもバリエ ーションが多く , これがまたファンにとって魅惑のつき ないところでもあろう . まずは 15 系 , そして次にはどん な新顔が現われるだろうか . なお現在 , 鳥栖で基本編成と分かれ長崎へ人る 25 系付 属編成 " あかっき " 23 号用の電源車カニ 25 は , その先 20 系用に改造されていたマヤ 20 に替わって生まれた改造車 である . 供給電圧が 20 系の 600V に対して , ニュー ルートレインは 400V であり , マヤ 20 も老朽化したため に廃車とし , 20 系余剰車の有効活用としてカニ 22 が選ば れ 440V 電源装置に載せ換えて , カニ 24 のあとへカニ 25 と命名された . したがって外観はカニ 22 のままであり , 屋上のパンタグラフ 2 基も外され , 白帯も 3 本のままで 「 25 」を呼称してはいるが 20 系の姿 . 25 系との連結列車 で珍編成を演出してくれる貴重な存在となっている . 3. 現在の列車編成 現在の列車編成の状況は折込み付図に示したように , ・プルートレインによる定期列車は 9 形態あり , 最 大は 20 系より 1 両減って 14 両となっている . なお " 日本 海 " 12 号のみは , 季節列車ながら定期列車号数を与えら れているので含めてある . ( 以下折込み付図参照 ) 14 系 : 2 形態あり , I は南シナ所属の 14 両編成東海道系 特急 " さくら " , " みずほ " と複合名の " いなば・紀伊 ". 基本編成は開放 A 寝台オロネ 14 と食堂車オシ 14 が組み込 まれた標準的な 8 両の A , 付属編成はオールハネ 6 両の c で , いすれも分割列車として 14 系の長所を生かして使 用されている . なお " いなば " の食堂車のみは非営業と ・プノレート " さくら " , ”みすほ " はニ なっている . " いなは・紀伊 " は レイン化のトップバッターであり , 山陰線と紀勢線へそれぞれ奥深く分かれて運用される離 れ技をやってのける . 次のⅡとともに西向きの 1 ・ 9 ( 8 ) 号車は逆向きのため , 通路が編成他車とは反対側になっ ている . Ⅱは基本編成のみが A から B へと 6 号車のオシ カニ 241 25 形客車と同時に作られ たため帯はステンレス板 となる . 折妻形 . 0 0 0 0 カニ 24 Ⅱ 昭和 51 年から製造された ものは車体のスソが短く なった . 0 帯はステンレス . 折妻形 . はふさ 0 0 カニ 24 Ⅱ , ・ゆうづる " に使われて いる電源車には上野口の 推進運転用にワイハー 0 床下にタイフォンを持つ . ? うつる 0 0 0 カニ 24 90 初の貫通形電源車 . オハネフ 25100 とほほ同 ーの面構え . 帯はステンレス . 切妻形 . イラスト . 廣吉秀治 ロロロ 0 0 29

6. 鉄道ファン 1978年6月号

ニュー・プルートレイン つけとしては , 汚物処理装置取付けの関係で便所は和式 その後さらに 24 系の運用線区が拡大されるにつれて , っ ・洋式とも前位に設け , 後位には奥行きが深い乗務員室 いに電源車も , 上り向き , 下り向き両方に使えるような 構造とする必要が生じ , 昭和 52 年 6 月に製作された分か があり , 廊下側でも自動扉開閉の操作が可能である . ら後位 ( 今までの機関車寄り ) も切妻形状とし , 貫通扉 9 24 系電源車の変遷 と取手 ( ハンドレール ) とを取り付けることになった . 24 系電源車には 20 系の電源車で使用されていた , もとも それと同時に荷物の荷重も 5t に増加し , 連結面間距離 とは DD13 形ディーゼル機関車用の DMF31SG 形工ン も 19.5m に延伸している . 前位には密着式自動連結器を ジン ( 340 馬力 ) にインタークーラーをつけて出力増強を 付けているが , 後位に並形連結器を使用している点は従 計った DMF31ZG 形ェンジン ( 430 馬力 ) と DM95 形発 来の電源車と同じである . 室内では前位の荷物室に出入 電機とを組み合わせたディーゼル発電装置 (300kVA) 台を設け , 荷扱車掌室の位置が少し変更された . がどの車にも 2 基搭載されている . いつほう車体の方は 10 新系列寝台車のまとめ 用途によっていく種類かのものが製作された . 昭和 53 年 3 月末現在 , ・プルートレインの合計 カヤ 24 形式は第 1 次の 24 系寝台車と共に製作された電 両数は 685 両を数えるにまで至った . 北は青森から , 南 源車で , このときは客貨分離の動きと共に電源車だけの は西鹿児島まで , 運転区間も本州・九州の全域にわたっ 職用車マヤ 24 形式として出現した . 機関室・車掌室と業 務用室だけから構成されており , どちらかといえば小形 ている . で , 連結面間距離は 17m である . この車は昭和 49 年に業 ・プルートレインのうち , 24 系には 24 形式と 25 形式とがあるが , どちらも 24 系の系列に属し , 一般には相 務用室を改造し , 積載荷重を考慮する必要が生じたので 互に混用可能で , 現に 25 形式寝台車の編成にカニ 24 形式 カヤ 24 形式に改称された . やオシ 24 形式が組み込まれている例もある . したがって いつばう 24 系列が次から次へと増備されて運転本数が 24 系としていろいろバラエティのある編成を弾力的に組 多くなると , 特急小荷物輸送をしていた 20 系特急列車と 成することが可能である . ただし食堂車は食堂従事員不 置き換わるため , 新たに荷物室のある電源車が必要とな 足のため一般に欠乏ぎみで , 一部オシ 14 形式車をオシ 24 ってきた . そこで昭和 49 年製の電源車から荷重 3t の荷 形式車 ( 100 番台 ) に改造したりして有効活用をはかった 物車とすることとし , カニ 24 形式が誕生した . 連結面間 りしているが , 14 系・ 24 系として寝台車に対する食堂車 距離は 18.5m となり , 車側には荷物搬出入用の引戸が設 の割合が小さいのは , 運行時間帯の性格上止むを得ない けられたが , 荷物室の構想は 20 系の荷物車とほば同じで 面もある . 最近の傾向として 20 系は廃車になったり , 急 ある . 当初は 20 系の流れを汲んで , 機関車寄りの連結器 ・プノレートレ 行格下げとなり , これらに代わってニ 胴受部分を外板で覆った構造としたので , 縦長のマスク インが , 特に 2 段式 B 寝台車を中心に , かっての 20 系の となっていたが , 昭和 51 年製の分 ( カニ 2415 ~ ) から標 ダイヤで活躍している . 2 段式 B 寝台車 25 形式はきわめ 準化のためオハネフと同じ形状になった . 荷物車とした て好評で今後の発展が期待される . ので , 台車の負担荷重が増え , 台車は 101 系電車などで また北陸トンネル火災事故以来 , 世界に類を見ない狩 おなじみで , カニ 22 形式にも使用されているウイングは 勝・宮古での走行燃焼試験などを通じて , 寝台車の防火 ね方式とした . ( 形式 TR66B ) 対策についての検討が進み , 難しいものの一つに数えら 14 系・ 24 系各形式比較表 れていた床下ェンジン用の自動消火装置の開発を終え 14 ー 4 系 24 系 系寝台車での装着実績が安定してきた . したがって今後 スオオオ オ オ オオオ オオオ オカ カ カカ は分割・併合が必要な線区に対し , 自動消火装置を備え ロ ロ ネ ネネネ た 14 系の 2 段寝台版が登場することになろう . ネ ネ シネネネ ネ ネ フ フ シャ フ フ 形 式 図 24 25 24 25 25 24 25 25 24 24 24 24 25 カニ 24 をラストに広島をあとにする”あさかぜ” 員 ( 名 ) 定 28 48 45 ( 4 の 28 48 34 34 45 32 32 ( 40 ) 荷 重 ( t ) 自 重 ( t ) 33.5 33.0 0 引 .0 5 35.3 33.0 32.0 32.0 33.0 32.7 33.2 引 . 5 42.5 49.6 48.8 52.4 寝 段数 3 3 3 2 ー 3 2 2 3 2 2 寝 昇降 自自自 自固自自固自 自固 車端形状 ( 後位 ) 折折切ー折折切丸 飾り帯 スペ - ヾスス′ヾ スベススペ へ ス 製造初年 47 47 47 47 48 引 48 49 引 48 49 引 48 48 49 引 ( 5 の 注 l. カニ 25 形式は昭和 50 年にカニ 22 形式 ( 20 系 ) を小倉工場で改造した 24 系用の電源車 2. 略字の自は自動昇降 , 固は寝台固定 , 折は折妻 , 切は切妻 , 丸は丸 妻 , べはべン , キ塗 , スはステンレス製を意味する . 系 列 記 写真 : 編集部 5 み

7. 鉄道ファン 1978年6月号

レー龜 ー馴 わー血 第ー・ 4 レらー影・ - 三第にとに 1u1 ~ -- 鬻 上り 14 系“さくら”を引く EF655 のトッフ。ナンノく一 1977 ー 9 ー 7 写真 : 五十嵐六郎 広島にて ・プルートレインを表象する明るいプルーは従来 の 20 系や一般車両にも使用中の「あさかぜプルー」 ( 青 15 号 ) から「新幹線プルー」 ( 青 20 号 ) になり , 白線は 従来の 20 系の飾り帯や EC に広く使われている黄色味の 濃いクリーム 1 号からほとんど白に近い「新幹線アイボ リーホワイト」 ( クリーム 10 号 ) に変えられた . この配 色は 12 系以降の新系列 PC の標準となっている . 3 本か ら 2 本に減った飾り帯は上帯 80mm 幅 , 下帯 60mm 幅で 側面と折妻全面に回されている . 全般的にややいかめし く近代的な姿になり , 明るいイメージを与える新形式車 のデビューであった . 20 系増備の途中から分割併合の列車が増え , 付属編成 を運用して 2 方向に分かれる場合にはもう 1 両の電源車 ( マヤ 20 ) が必要になったことなどから , 14 系では分散 電源方式がとられたが , 分散・集中電源方式を大まかに 比較すると , ( 1 ) 分散電源方式の利点 軸重が大きく旅客が乗れない電源車を 1 両連結する必要 がない . 基本・付属編成車両ともにそれぞれ両端の電源 装置から編成の内側に向かって給電されるため , 分割併 合時には空気ホースのほかは制御ジャンパ線 1 本のみの 取り扱いとなり , 2 個列車として方向別に運用すること がきわめて容易である . 分割時に集中形の場合のように もう 1 両の電源車は不要である . 電源装置が編成端の電 1978 ー 3 ー 12 写真 : 編集部

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急に組み込むよりますは急 行列車でこて調べというこ 行 " 瀬戸 2 ・ 1 号 " ( 当時 " 瀬 戸号 " は急行列車 ) の編成 に 4 両組み込み , 実用性を 確認してから量産に入り , 品川にて 昭和 47 年に東京発長崎・佐 写真 : 三島富士夫 世保行の下り特急 " さくら 号 " から本格的に使用を開 始した . 「あさかぜ形」に 続く新しい特急寝台車とし ての評判は高く , 昭和 47 年 度のプルーリポン賞受賞の 光栄に浴している . 2 14 系寝台車の構成 14 系寝台車は 20 系寝台車と 混用しない新系列の寝台車 としてスタートした . した がって各所各部に新構想や 新しいシステムが採り入れ 品川にて 写真 : 三島富士夫 られているが , 20 系との基 本的な相異は , 冷暖房や照 明などのサービス電源を , 20 系では 1 編成分を 1 両の 電源車にまとめた固定編成 方式としたのに対し , 14 系 では編成の分割・併合が容 易なように , 電源をいくつ かに分散したユニット方式 とした点である . もっとも 20 系でも , 基本 編成から分かれた付属編成 にマヤ 20 などの簡易電源車 品川にて 写真 : 三島富士夫 を連結して運転した実績は あるが , 14 系の場合は分割 なっており , 14 系の出現に 与 線区にも乗客が好む時間帯 に目的地に到着出来るよう 何本かの特急寝台列車を設 定することが出来るように なった . 基本編成には A 寝台車と 食堂車とを 1 両すっ組込み 床下に発電装置を持った電 オロネ ( 山側 ) 源車を両端に配置して 8 両 品川にて 写真 : 太田正行 分散式の床下電源セットを持っスハネフ ( 寝台側 ) スハネフ料の廊下側サイド 系の A 寝台車オロネ料 ( 海側 ) み 2

9. 鉄道ファン 1978年6月号

亠木 # 寺急 オ木 之ゆうつる F 0 R A 0 M 0 R ー 運転が見られる . 最前頭車には , 推進連転設備がある . なお後から生まれた盛岡までの " 北星 " , 奥羽本線経由 青森行の " あけばの " 1 ・ 2 号は , 残り少ない 2 ( ) 系特急列 上野駅円・ 20 番に並ぶ 24 系 " ゆうづる” 6 ・ 7 号 車として , " 北陸 " とともに上野駅から出発する . カニ 24 1 とⅡ形電源車の差異がよくわかる . 円 78 ー 3 写真 : 前田信弘 日本海縱貫系 大阪ー新潟ー青森を結ぶ日本海縦貫系統の列車には " っ 4. 現在の運転状況 るぎ " と " 日本海 " 1 ・ 2 号がある . 前者は大いのモノク ・プルートレインの現在の運転区間は折込み付図 ラス 25 系で , ただ 1 本の新潟連絡列車であり , 朝の到着 に示したとおり , 北は青森から南は西鹿児島まで , 北海 は新潟の方が 6 : 48 と大阪着よりやや早い . 後者は 21 号 道・四国を除く全国に 22 本運転されているが , 現時点で が門 , 、イから延々とやってくる 14 系でオロネ 14 入り , もう は最後の 20 系特急列車が北方にまだ 4 本残っているので 1 本の 12 号は定期ナンバーを持っ 25 系の季節列車で , 大 東北系への進出度は低い . 東海道・関西系特急のラップ ミ , 、のモノクラス列車であり , ともに信越本線を新津まで ・プルートレインの都大路で , する新大阪以西はニ 新幹線との接続をとりつつ , 長崎・佐世保・西鹿児島へ きて羽越本線に入り新潟を横ににらんでパスしてしま う . 両端駅付近はいずれも陽が高い時刻になり , 大阪駅 とキメ細かく運転されている . 以下 , 地区プロック別に 頭へはまだ目新しい感じのする E F 81 がやってくる . 列車の状況を眺めてみよう . 3 列車とも大阪方は , 交直流電機 EF81 けん引で湖西 線を回る . 交直セクションの永原ー近江塩津 , 糸魚川一 東北常磐系 ・プルートレイン 梶屋敷 , 村上ー間島と 3 つの関所をくぐり , 直流→交流 東北本線を貫通する列車には , はまだ運用されていないが , 常磐線回り、・ゆうづる " に 60Hz →直流→交流 50Hz の 4 つの地帯を秋田まで , 直流 ・交流 50 ・ 60Hz 3 電化区間直通可能のオールマイティ は使用され , 7 本のうち 4 本を 24 系が受持ち , EC583 系の 3 本より優位に立っている . みちのくや北海道への 電機 EF81 が担当する . 新津から分れてただ 1 本新潟へ 夢を運ぶ上野からの下り列車は , 4 ~ 7 号と 583 系が出 入る " つるぎ " も , もちろん E F 81 がけん引する . " 日本海 " 1 ・ 2 号の青森方は奥羽線系専用の ED757 の 発した後の遅い列車で , 6 号は 23 : 00 , 7 号は 23 : 05 発 けん引となり , 青森駅へはこの ED757 が奥羽本線方か で 19 ・ 20 番線に並ぶ . 青森方はいすれも明るい時刻にな ら , ED75 ・ 7510 が東北本線方からそれぞれ北海道連絡 るが , いつほうの上り列車は逆に 1 ~ 4 号と 583 系の先 の旅客を乗せて出入りする . 門 , 、イの 14 系はあかっき " 走りとなるため , 上野到着がきわめて早く , 陽の長い季 十 " 日本海 " の運用で継ぎ足しながら , 長崎一青森の約 節にならないと捕えにくい . 1600km を南国の香り , 豪雪の便りを乗せて走り回る . 24 系白帯車は " ゆうづる " のみに集中使用され , ほか なお , 20 系鱸北陸 " が長岡折り返しで上野ー金沢を走る . の地区では見られない . 現在 , 電源車についてはカヤ 24 東海道系 は 2 両しか配置されていないので , ステンレス帯のカニ 最新鋭デラックス 14 両編成の 251 系ニュー ・プノレートレ 24 に会う場合がほとんどということになる . 取手一藤代 間で交直切り換えとなるため , 上野方は全国的にも珍し インと , 客車にマッチした塗色と塗り分けを施した特急 専用の直流機 EF655. そして , プルートレイン発祥の い交直流電機 EF80 , 青森方は ED75 ・ 7510 けん引であ るが , 前述のように上野到着は早朝のため , 水戸以南と 歴史を秘め前頭に輝くへッドマーク . なる EF80 けん引の姿はなかなか撮り難い . 全列車とも 特急 . 主木 分割併合なしで一体で往復するが , 冬期には時折り全身 雪まみれになって上野に現われ , 豪雪の東北路の厳しい 日 : 本冫住 FOR AOMORI 一夜を走り抜けた健気な姿に接することができる . 上野 駅ではまた , 上り列車の 2 号と 3 号が同様に 5 分差着で 並ぶ . 始発・終着駅の時間帯が良いように列車が設定さ ーーー新潟 れているため , 上下 1 ・ 2 号を除くすべての " ゆうづ る " は , 中間の仙台を深夜バスする . また , 上野駅の回 送列車進出入時には , 小さなライトをつけた珍しい推進 FOR NllGATAn;4*9* 32

10. 鉄道ファン 1978年6月号

星の寝台特急 にヤングファンにもてもてのプルートレイン . 昭和 30 年代初頭に E c の 20 系 ( 現 181 系 ) , D C の 8 ( ) 系 等とともに国鉄車両新性能化時代の幕明けを勤めた PC 20 系 " あさかせ ". ハッと息をのむような従来の常識を 破った流線形の深い屋根の車体に 3 条のクリーム色帯を 配し , 落着いたブルーの粧いも目新しい姿で出現した . 以来増備が続けられ北海道と四国を除く各地に足を伸ば していったが , 技術の進展 , 需要側の変化 , 車齢の増加 などにより大幅な見直しが必要な時期に至り , 新しいシ 2. 車両の変せん ステムの第 2 世代ニ ・プルートレイン 14 系の誕生を ☆ 14 系特急形寝台客車 ・プルートレインの第 1 号は , 従来の電源車を連 見ることになった . 結した集中電源方式の 20 系に代わり , 第 2 世代のパイオ これは EC についても 181 系→ 183 系 , また DC の 80 系 ニア 12 系客車の技術を生かして基本・付属編成の各両端 → 181 系にも同様の推移があり , 現在 20 系ともども第 1 の緩急車 4 両の床下に発電装置を搭載した分散電源方式 世代の廃車が進められている . をとり , オハネフ 13 の後を受け 14 系特急形寝台客車と名 46 年 9 月 , 14 系量産先行車 10 両の落成から始まったニ 乗って 46 年 9 月 , 新潟・富士重・日車による量産先行の ・プルートレインの増備は続き , 周囲の各種状況の 10 両が誕生 , 南シナに配置された . 変化により 14 系→ 24 系→ 25 系→ 15 系とニ ーフェイスが 14 系では 3 段寝台ながら居住性向上のため寝台の幅を 登場 . 遂に今年 2 月には最後に残ったプルートレイン創 52 → 70cm へと広く改良 , 電動式の自動寝台設廃装置の 始のデラックス " あさかぜ " 12 号の置き替えにより , 東 採用 , 各内部の変更のほか , 外観も大幅に変わり , 20 系 海道・関西・日本海縦貫・常磐系の特急寝台客車はすべ の非貫通流線形のユル・プリンナを思わす丸い顔が貫通 ・プルートレインに置き替えられ , 残る特急 20 扉・ホロ付きの折妻半流形になり , 冷房ュニットが各車 系は奥羽・北陸・東北系の " あけばの " 2 本と " 北陸 " ・ 彎ヒ星”の計 4 本のみで , 遠からずメンバーチェンジの 端屋上に屋根を削って座った形態にまとめられた . また 広島駅で発車を待つ上り 251 系 " あさかぜ” 2 号 時期が来るものと思われる . ここで今日の主力を占めるニ ・プルートレインを まとめて各角度から眺め , 新しい魅力を引き出してみよ う . 客車の詳細については別稿にあるので , 全体をとら えた見方で紹介してゆこう . なお , 特急列車全体の変せ んの状況は本誌 N ( ). 166 ・ 167 ・ 17 ( ) ・ 172 等を参照された