イタリア - みる会図書館


検索対象: 3603号室 (ハヤカワ文庫NF)
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1. 3603号室 (ハヤカワ文庫NF)

189 彼とその特殊工作部門の協力者がニューヨークで考案した計画は、 p-i < e —航空のイタリア本 社のだれか高級幹部からブラジルの同社のイタリア人支配人に書いたとみせかけたブラジル政府 の面子を傷ける手紙を為造してブラジル政府に渡し、同航空の大西洋路線を連航する利権を取り 消させよう、というものだった。スティ】ヴンスンのブラジルにいる部下たちは直ちに仕事に着 手し、数週間後、 :•-ä—の社長アウレリオ・リオッタ将軍が同社のイタリア本社から出した本 物の手紙を入手することに成功した。これをニュ ーヨークに送る際、工作員たちは偽造の手紙は ・フラジルの同航空総支配人ヴィチェンツオ・コッポラ隊長宛にするとよい 、と示唆した。 スティションの専門家たちは、まさにリオッタ将軍が使うのと同型の社名入り便箋とタイ。フ ライターを模造することができた。幸いスティションには、北アメリカで入手できた、この計 画の工作には欠かせない月 、量のわらパルプが用意してあった。便箋の浮き彫りは顕微鏡的正確さ で模写できた。一台のタイ。フライタ】が、将軍の秘書が手紙の原物をタイ。フしたのと全く同じ機 械上の欠陥を出すように改造された。 ついでニセ手紙がイタリア語で作成され、マイクロ写真にとられ、マイクロフィルムはリオの スティーヴンスンの筆頭工作員に送られた。それはローマ本社、一九四一年一〇月三〇 日付となっていた。「ちびのふとっちよが、アメリカのいうなりになろうとしており」とリオッ タ将軍は書いたことになっていた。「わが緑の友人の過激な行為だけが国を救えることに疑いな 。わがベルリンの協力者は、リスポンの代表との彼らの最近の会話通りに、できるだけ早く介 入することに決定した」。その結果ドイツのルフト ( ンザ航空に新たな利権が認められるだろう から、コッポラ隊長は直ちに″緑の紳士〃の間に新しい友人を作り、の現収益が新政権 の下でも維持されるようにしてほしい、彼らがだれを航空相に任命しようとするか突きとめ、最

2. 3603号室 (ハヤカワ文庫NF)

144 の枢軸側計画の詳細を知ることができた。提督が合衆国から強制退去になったのもシンシアの仕 業だった。これはつぎのようにして仕組まれた。 一九四一年の春、アメリカの港には幾隻ものイタリア商船が遊んでいた。船長はイギリスの封 鎖を突破してヨーロッパに行くのは賢明とも可能とも思わなかったからだ。遅かれ早かれアメリ 力は参戦するだろうし、そうなるとこれらの船舶は連合国側に接収されると考え、ライス提督は これらの船を行動不能にする計画を考案した。幸い彼はシンシアに、どのようにして自分はヴァ 1 ジニアのノーフォークにいる船の五隻の機械を使用不能にするかを指図したことをしゃべった ので、彼女は自分の聞いたことを直ちに報告した。そこでスティーヴンスンはこの情報を米海軍 情報部に伝える措置をとり、海軍情報部ではそれを国務省に連絡した。船の大半が破損されるの にストツ。フをかけるのには遅すぎたが、それ以上の重大な妨害行動は阻止された。ついですべて の船は、同様に船員によって行動不能にされていた何隻かのドイツ船とともに、米政府に接収さ れた。イタリア政府とドイツ政府はアメリカの行動に抗議したが、一九四一年四月三日に国務省 は強硬な回答を行い、船員たちは彼らの船を破損することにより航行を妨害し、合衆国の港の安 全を害することで、彼らに与えられている厚遇を無視して合衆国の法の下での重大な罪を犯した ベルン と指摘した。同時にコーデル・ハル国務長官はイタリア大使コロンナ殿下に、海軍武官を″歓迎 ナ・ / ン・グラタ ( 原註 5 ) されざる人物〃であると通告し、その即時召還を要求した。大使はこれに従うより他はなかった。 提督はシンシアを全然疑わなかった。ライス提督をイタリアに連れて帰る船に乗船する時、岩壁 には別れを告げる二つの群れがあった。一つは彼の妻と子供たち、もう一つはやや離れて立って いるシンシアだった。恋にやつれた提督は最後の時間を彼女と過し、涙を流している家族の方は 全く無視した。

3. 3603号室 (ハヤカワ文庫NF)

143 魅力に彼女の望んだような仕方で答えてくれ、じきに・・ー・・・始めて会ってから二、三週間のうちに 彼女と深い恋仲になっていると思うようになった。その結果、彼女は彼を事実上彼女の思い どおりにすることができた。振り返ってみると、彼のような経験も年功も積んだ男で、本能と訓 練と信条から愛国的将校である人物が、情熱に駆られたとはいえ、一女性の好意を得ようとして 自分の国の利益に反する行動を喜んでするというのは、ほとんど信じられないことのように思え る。ところがそれが実際に起ったのだ。 彼が彼女の思うままになると、シンシアは直ちにずばりと要点に入って行った。彼女は提督に、 海軍暗号の写しがほしいといった。驚くべきことにみえるだろうが、彼は一見なんの異議も唱え ないで、彼女を援助すると約東した。彼は彼女を電信係に引き合せ、電信係は適当で満足できる 金銭上の了解が成立すると、暗号書類を出して来た。ワシントンのスティーヴンスンの専門家の ひとりが写真複製を作り、それは直ちにロンドンに送られた。 一九四〇年一一月タラントの主要基地で英海軍航空隊から受けた打撃にもかかわらず、この当 時の地中海のイタリア艦隊は相当なもので、戦艦六隻、うち二隻は一五インチ砲搭載、最新式巡 洋艦一九隻、駆逐艦、水雷艇一二〇隻、潜水艦一〇〇隻以上を擁していた。数の上ではアレキサ ンドリアに基地を置くカニンガム英提督指揮下の地中海艦隊よりはるかに優勢だった。カニンガ ムが海軍暗号から得られるイタリア艦隊の動きに関する情報は、彼自身が艦隊配置をするのに大 変有益だと思ったのは間違いない。例えば一九四一年三月後半のイタリア艦隊の主力のエーゲ海 への移動は、暗号の助けで正確に予知され、イタリア艦隊の大半をこの年の残りの期間、行動不 能に陥れたマタ。 ( ン岬沖の英海軍の赫々たる勝利をもたらした。 暗号を入手してからも暫くの間、シンシアはライス提督と会いつづけ、地中海におけるその他

4. 3603号室 (ハヤカワ文庫NF)

伝に利用された。 不幸にして領事の運んだかねの方は、押さえた上で封鎖されるということを免れた。イギリス の秘密工作員はベルナン・フコでこれを盗な精密な措置を講じていたが、領事たちがニューオー 1 ンズで乗り換えた船が、リオデジャネイロまで行ってしまったので、おじゃんになった。ここ では、かねの到着を予め知らされていたプラジル外相は、そのかねに特別保護を与えることを約 束していた。ところがかねは封鎖勘定に入れる、とリオの有力なイギリスの連絡者に約東してい ながら、外相はイタリア人の方への約東を守った。かねはイタリア大使館に安全に引き渡された。 こうしてフーヴァーとスティーヴンスンの部下によるこの合同作戦は、部分的にしか成功しなか った。しかしそれでも、イタリア人が南アメリカにひそかに資金を移そうとこれ以上試みなくな ・るたけの効果はあった。 フーヴァ ーが口説かれて、こんなに全面的にスティーヴンスンに協力するというのは、その勇 この連携を国務省に知られないように 気と先見を大いに示すものである。すでに述べたように、 する必要があるといい張ったこと自体、彼がこれに同意した時、相当の危険を冒していることを 示していた。その危険とは、彼のイギリス秘密情報機関とのコネが暴露され、もしそれが探知さ れたら、間違いなく大きな政治的スキャンダルに巻き込まれ、すべての孤立主義者、不介入主義 者が彼の辞職を要求するおそれがあるということだった。同時に彼は、の存続が法執行機 関としての成功だけにでなく、対抗ス。ハイ活動と公安秘密活動の広い分野における成果にかかる 時が遅かれ早かれ来ることを知っていた。無比の手段をもったスティーヴンスンの提供できる情 報と援助をフーヴァーが必要としたのは、このような社会的挑戦に答える必要な準備のためたっ

5. 3603号室 (ハヤカワ文庫NF)

269 ヴィシー ・フランスとイタリアの在外公館のほかに、スティーヴンスンの工作員は、西半球に おける日本とスペインの外交機関に隠密な手段で浸透することができた。同時に他の工作員は、 様々な外国の亡命者と接触を維持し、敵の占領下の国のレジスタンス運動を強化するために、 ″自由れグルー。フを組織するのを助けた。とくに O は、ポーランド人、チェコ人、ハンガリ ールウェイ人、イタリア人、ドイツ人、デンマーク人、 トリア人、ノ 1 人、フランス人、オース ューゴ人、オランダ人、それにスペイン共和国派のひとや・ ( スク人とも密接に協力した。 言語その他の障害にもかかわらず、スティーヴンスンはワシントンの日本大使館とニ、ーヨー クおよびサンフランシスコの日本領事館内に信頼できる接触先を持っていた。外部の他の筋から 確認された彼らの報告から、真珠湾の数カ月前から東京の軍国主義者が戦争を企図していること がはっきりしていた。一九四一年中頃のある出来事が、合衆国と戦争となった場合、日本は外交 の隠れみのの下にやっている西半球のスパイ活動本部を、合衆国からアルゼンチンに移す用意を していることが分った。アルゼンチン外務省内部のある筋から、スティーヴンスンはふたりの小 第八章終幕

6. 3603号室 (ハヤカワ文庫NF)

( 京註 9 ) 側にとどまったことには変りはなかった。 ・ヘルモンテの手紙を入手した方法は尋常ではなかったが、この工作はその結果によって判断さ れねばならない。それは多分、革命を回避させたといえる、それは確かにドイツ公使の追放と多 数の危険人物の逮捕の原囚となり、、 六カ月後のリオの全米州会議の空気を準備し、この会議では ポリビアと一八のラテン・アメリカ諸国が枢軸側と断交し、団結して西半球防衛の共通の計画を ( 原註 ) 持っこととなったのた これはサムナー・ウエルズによると、「新世界を救った決断」だった。 スティーヴンスンが南アメリカで遂行した次の大きな工作は、 < —航空の閉鎖をもたらし た。戦争の初期、・フラジルは枢軸側のアメリカ大陸との最も重要な交通路の一つの終点だった。 ヨーロッパと・フラジル間を定期的に飛ぶイタリアの e —航空は、ドイツとイタリアの外交行 嚢、クーリエ、スパイ、ダイヤモンド、白金、雲母、化学製品、宣伝フィルム、本を連んだ。・フ ラジル政府はこ . の航空便を邪魔するつもりはなかった。プラジル大統領の義理の息子のひとりは、 この航空の技術主任だったし、他に多く有力なプラジル人がこの航空の着陸権を維持するのに利 害関係を持っていた。米国務省の抗議を無視して、ある米石汕会社はに給油していた。 »--ä e はイギリスの経済封鎖の最大の抜け穴だった。そこでロンドンの特殊工作執行部 ( 0 @) はこれに対し思い切った手を打っことを迫られていて、スティーヴンスンにその旨の指令が 出された。

7. 3603号室 (ハヤカワ文庫NF)

肥た外交官をしつかりと捉えて離さなかったのは、明らかに性によるものだったからである。その 他に彼女は沢山の長所があった。広く旅行しており、ヨーロッパ人の心理をよく知っていた。鋭 い切れる頭脳を持ち、的確な報告者だった。勇敢で、しばしば彼女の雇主が許さないような危険 を冒そうとし、またそうしたがった。彼女の信頼性は文句なしだったし、雇主に対する忠誠は完 全だった。金銭に貪欲でなく、自分の信ずる主義主張に仕えるのに貪欲なだけたった。事実、生 活するのに必要な経費よりちょっと多くのわずかなサラリーしか貰わなかった。彼女の仕事の価 値は金銭では計れないものがあった。それは結局、かねで買えないものだった。 この物語の都合上、彼女はシンシアと呼ばれるが、それは彼女の本名ではない。またこの文章 の読者が、彼女を本書の筆者の想像の産物であると考えないよう、この頃、筆者は彼女の職業上 のお客の一部が受けていたのとは違った仕方で、彼女と知合いになる喜びを持ったことを明らか にしなければならない。例えば者は一九四一年八月下旬のあるタ方、ニューヨークのマジソン 街を彼女と歩いていて、新聞の見出しにラヴァールがフ一フンスで彼の生命を狙う者によって撃た れ、負傷したとの発表をみたのを、いまでもありありと思い出す。詳しいことの載っている新聞 を買い、彼女が住んでいる近くのホテルに場所を移し、ラヴァーレ ノが怪我がもとで死んだら、ど ういうことになるか議論した。ところがラヴァ 1 ルは負傷から回復し、暗殺者の弾丸によってで なく、彼がフランスの伝統的敵のために裏切った国の、公式の銃殺隊の弾丸によって死ぬ運命に あった。 シンシアは一九四〇 ~ 四一年の冬にかけてでかい功績をあげた。それは最初の大きな仕事で、 ワシントンのイタリア大使館からイタリア海軍暗号を入手する一、とだった。彼女はまず海軍武官 アルベルト・ライス提督に紹介してもらい、時を移さず熱心に交際を深めて行った。彼は彼女の

8. 3603号室 (ハヤカワ文庫NF)

一九四一年末の日本の真珠湾攻撃で合衆国は参戦した。その前の時期、とくにこの年の春に武 器貸与法の成立する前の期間は、イギリスはその厖大な量の生産、補給、輸送、対外投資の資産 をアメリカに置いていたが、アメリカはそれを防衛する義務なそない国の立場だった。だが、そ れらを防衛するのはイギリスの戦争努力にとって死活の問題だった、そしてスティーヴンスンの 諜報組織が合衆国で英安全保障調整局の名の下に公式に認められたのは、この明白な目的のため だった。これらの公然の機能がどのようにして生れ、それがどのようにうまく遂行されたかを、 便宜上やや詳しくここに述べよう。 当時、合衆国にはドイツ語を話す六〇〇万とイタリア語を話す四〇〇万のアメリカ人がいた。 これらのアメリカ人の多くは、ニュ ーヨークの英購人委員会の発注により戦争資材を生産するエ 場に労働者として雇用されていた。そのある者は貨物駅の労働者だったり、完成品を輸送する鉄 道の被使用人だったし、また他の者はそれらをイギリス船に積む港湾労働者だった。 0 がそ の公式の保安上の仕事を引き受ける前は、イギリスの勘定で兵器を生産する民間工場やアメリカ 第三章ス。ハイ、妨害エ作者、宣伝活動家

9. 3603号室 (ハヤカワ文庫NF)

だった。その典型的例は、ヴェルナー・フォン・レヴェッオウというリオのドイツ大使館の参事 官で、以前はつぎの駐アルゼンチン独大使とささやかれた男に関するものだった。彼は背の高い 半分ドイツ、半分デンマークの血をひく″超人〃型で、戦争が勃発して間もなくクルップの女相 続人と結婚した。この婦人は一緒にブラジルに到着すると間もなく彼から去ったが、彼が性的無 能者だったからだとのことだった。なろん彼はリオの社交界で性的無能だということで多くの嘲 ンフレットはブラジルの男性 笑の的となった。スティションはこれを相当うまく利用した。。ハ に警告した、「諸君、この男、このレヴェッオウはあなたのかね、あなたの商売、あなたの国を 奪えるかもしれないが、あなたの妻は決して奪えない : : : 彼にその能力がないのだ」 一九四二年一月のリオ会議のあとで、ラテン・アメリカの共和国の大半が連合国側に立って参 戦するか、あるいは枢軸側との外交関係を断ってからは、スティションの破壊工作機関として の活動範囲は必然的に縮小した。すでに述べた活動のほかにスティションは、文書の作成で大 きな成果をあげ、これがブラジルにおけるイタリアの >-a e —航空の閉鎖をもたらし、それによ って経済封鎖の最大の抜け穴を埋めたのだった。 ・フーヴァーから、大統領命令で—の 一九四一年五月初め、スティーヴンスンはエドガー 範囲外とされている分野で直ちに行動してほしい、とのメッセージを受け取った。そのメッセー ジの趣旨は、駐ベルリンのポリビア大使館付陸軍武官で猛烈に親ナチのエリアス・ベルモンテ少

10. 3603号室 (ハヤカワ文庫NF)

ハンガリーの資産を狙う 石油業者は彼を知らないという、 第二の使命は 対英援助の妨害 この記事は他の新聞にも繰り返され、予想どおりの憤激を巻き起した。スタンダード石油はリ ート博士など聞いたことはないという一方、問題の紳士はホテルの自分のアパートに閉じこもり、 新聞記者に電話で、自分は「純粋に個人的な業務で」合衆国に来たのだ、と告けていた。 そこでは移民局と連絡をとり、表向きは旅行者として合衆国に入った以上、彼は査証中 請で虚偽の申告をしたとして逮捕した。彼はエリス島に移され、一九四一年七月ローズヴェルト 大統領の命令で領事館が閉鎖され、ウエスト・ポイント号で去るドイツとイタリアの領事館員と ともに結局送還されるまで、そこに監禁された。 スティ 1 ヴ 英経済封鎖の公式の戦争記録官メドリコット博士は、「一部の英保安関係官」 ンスンとについての彼の婉曲ないい方ーーーが英検閲当局やワシントンの英大使館の機敏な 経済参事官・・ス トップフォード氏とともに、アメリカの世論を真珠湾以前に、大統領によ る枢軸側の資産の″凍結〃命令その他アメリカの経済的、商業的利害に関係ある措置の結果に直 面する用意を整えさせる役を果したと述べて、温かい讃辞を呈している。「これらの人びとはみ な、ほとんど一年間、合衆国財務省、司法省、その他の当局と密接に、だが慎重に協力し、 合衆国とラテン・アメリカにおける枢軸側の経済的利害や活動について大変必要な情報を与えた。