情報 - みる会図書館


検索対象: 3603号室 (ハヤカワ文庫NF)
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1. 3603号室 (ハヤカワ文庫NF)

174 果、閉鎖されるまで、これを阻むことはできなかった。これ以外には白金は主として海路ブエノ スアイレス、リオ、カラカスからリスポンに運ばれ、ここでドイツの工作員が合衆国における公 式市場価格一オンスにつき九ポンドに対し三〇ポンド ( のちに八〇ポンドに上った ) 払った。こ こに・フェノスアイレスのスティーヴンスンの工作員からの典型的報告がある カボ・デ・・フエナ・エスペランツア号上のわが方の監視員からの報告によると、ムリシア ・ア・ハロア・アデルコアは彼の船室に相当量の白金を運んでいる : : : 同金属はアデルコアの 寝台の頭部の羽目板の内側に隠されているビスケットのカンの中に。 数日後、白金は密輸容疑者の手で他の場所に移され、船長室のマンツアニリヤ酒の酒だるの中 に隠された、との趣旨の別のメッセージがニューヨークに届いた。同白金はこれより先プエノス アイレスの船舶雑貨商の情婦のアパートに保管されていたものである、とのことだった。 このような報告に基づいて常に措置がとられ、ある時は成功し、ある時は失敗した。白金とダ イヤモンドのほかに密輸される主な品目は芳香油で、これはニューヨークではマダム・シャパレ リといった香料商に使われていた。リスポンから西行きの乗客によって、封鎖を破ってこれを人 手しようと、果敢な試みがなされていた。ある時、スティーヴンスンからの予めの情報によって、 ビエール・マサンというヴィシー側フランス人が・ハ 、、ユーダの保安官に尋問され、七五〇グラ ム所持しているのを認めた。ニュ ーヨークからの情報では、マサンはもっと相当量を運んでいる ようだったが、彼はこの示唆を強く否定し、上衣のレジョン・ドヌール勲章を指しながら、「フ ランス将校としての言葉にかけて、これが私の持っている全部である」といい切った。ところが

2. 3603号室 (ハヤカワ文庫NF)

278 事をしているスペイン・ドイツ密輸網の内部に「作り上げた」。残念なことに、価値ある情報を もたらし始める直前に、彼はアルゼンチン側に密輸のかどで逮捕され、いなくなった。それに、 すでに示唆したように、二重スパイは彼らが表向きは忠誠を移した組織に浸透して、敵にその構 成、方法、意図を報告しようとするかもしれない。あるいは二重スパイは知らないで敵にそうし た情報を与えないともいえない。敵が裏切られているのを発見し、そこで逆にこの二重スパイに 意図的に正確と思われるような誤らせる情報を供給する時には、 4 ・ タフル・ダ・フル日クロス〃も 起るのである。最後に、二重スパイは時々本当の有用な機密材料を提供されて、これを敵に伝え ることを許されないと、敵をだますのに使えない。 というのは、そうでないと、敵は直ぐに彼ら の情報が無価値であると悟り、彼らをお払い箱にするからだ。こうした情報の当然の源泉は軍な のだが、軍というのはそれを出すのをしばしば最も嫌がるのである。 こうした様々の落し穴があるので、—は戦争の初期は、二重スパイを使うのを警戒した。 ( 原缸 3 ) 確かに—は前に述べたウィリアム・シーポルトの場合はかなりの成功を収めたが、二重ス。、 イとしてシーポルトを利用したのはごく限られたもので、戦略的ニセ情報を送る通路には使われ なかった。真珠湾前のころは、フーヴァーは二重スパイをむしろおとりとみていて、その効用は これまでみつからなかった敵の他のス。ハイを発見するのにあるとしていた。それでシーポルトの 場合、比較的重要度の低い材料で仕事をさせていたので、陸海軍から適当な情報を出してもらう 必要は起らなかった。 スティーヴンスンとフ】ヴァーはともにこの問題に関心を持ったが、合衆国の軍がその重要性 に気づかず、情報を出してくれようとしなかったので、真珠湾前は問題の徹底的検討は行われな かった。スティーヴンスンはこの頃、アメリカにいる敵のスパイが送った情報の書いてある手紙

3. 3603号室 (ハヤカワ文庫NF)

齠なく乗客から郵便物を取り上げる名手だった。「われわれはもう直ぐイギリスの巡洋艦にとつつ かまる」と彼は船の乗客広報組織を通じて告げるのが常だった、「だから安全に持っていたい郵 便物を抱えている人はだれでも、それを船長室に渡してイギリス側に押えられないようにしたら よい」と。ある航海では重要な情報の書いてある一八通もの手紙が、このようにして入手され、 あとでスティーヴンスンのニューヨーク事務所に引き渡されて検査された上で投函された。ヴィ ・フランスのスパイ、ムーサの手紙の一部はこのようにして入手され、スティーヴンスンは 一、れを合衆国におけるヴィシーの隠密活動をやめさせるキャンペーンに利用した。スペイン船に 乗っている別の敏捷な監視員は、スペイン海軍作戦部長からすべてのス。ヘイン船の船長に渡され た、スペイン参戦の時にだけ開封することになっている封緘された航海命令をこっそり入手する ことに成功した。これらの入念に封緘された命令書は、密かに開封され、写真にとられ、一見だ れも手を触れなかったように再び封緘され、船の監視員のほかは、船長も船内のほかのだれにも 知られないでもとの場所に返された。 スティーヴンスンの監視員の多くは、船が寄港した中立国や敵国の出来事を報告できた。彼ら は流言を拡げ、反枢軸文書をばらまくのに使われた。彼らは一つの寄港地から他の寄港地に枢軸 側スパイのために禁制品や口頭のメッセージを運んでいる疑いのある船員について情報を提供し た。こうして船の監視員の定期的にもたらす報告から、スティーヴンスンの事務所では怪しい船 員の完全なリストを作成することができた。このリストは合衆国の各種の海連機関に提供され、 多くの好ましからざる船員が解雇されたり、船主から二度と採用されなくなった。 船舶監視員計画のためには、イギリスが合衆国の港や合衆国の船舶で工作員を使わねばならな かったから、これは必然的に米当局との摩擦の一つの原因だった。それで一九四一年末頃に、ス

4. 3603号室 (ハヤカワ文庫NF)

125 フィールエックの弁護側は最高裁まで持ち込むことに成功した。最高裁は下級審の判決を破棄 し、裁判のやり直しを命じた。判事によってそれは陪審が誤った指示を与えられていたこと、ま たフィールエックは彼自身の費用で行った宣伝活動を明らかにする義務がないのに、法によって 求められる以上の情報を提供するよう要求されていたこと、が理由だった。ストーン裁判長は、 マローニー検事の陪審への発言の若干は裁判の進行に「高度に偏見を抱かせる」ものだった、と 述べた。それで一九四三年六月二五日に始まったやり直し裁判では、検察側を担当した司法長官 特別補佐官ジョージ・・マクナルティ氏は第一審で明らかになったすべての行為はドイツ政府 の工作員としてフィールエックにより行われたのであり、たんに彼自身でやったのでないことを 立証しようとした。 再び・ハ 、ユーダの検閲局のナジア・ガードナー嬢が証言台に立ち、フィールエックからディ ークホフへの週間ニュース報告を取り押えたが、これはしばしばリスポンの中継者の前駐ポルト ガル独大使フォン・ホイニンゲン日ヒューネ男爵、別名ホイニヘロ・フェネラスを通じて行われ この証言 ていたとのべた。ジョ 1 ジ・ヒルが監獄から証言するために法廷に連れて来られた で彼は刑を軽減された。彼はフィールエックの書いた演説を国会議員の″無料郵便″の特典を利 用して郵便で送り、その費用は一部はフィールエックが、一部はプレスコット・デネットが負担 したと述べた。最後にニューヨークの前ドイツ領事。 ( ウル・シ、ヴァルツ博士が、領事館に広報 関係顧問として雇われたフィールエックは彼の文筆でアメリカの世論を左右することに同意した ことを明らかにした。ついでながら検察側が提出したフィールエックの現金出納簿によると、彼 とドイツ情報図書館との契約は月五〇〇ドルなのに、彼は一九四一年の前半の六カ月にここから 三万二〇〇〇ドル受け取っていた。

5. 3603号室 (ハヤカワ文庫NF)

八カ月というものは、ドノヴァンを支えると同時に、フーヴァーの機関が依然としてイギリス筋 からほしい保安上と対抗ス。ハイ上の情報を提供する努力をしているスティーヴンスンには困難な 時期であった。何カ月かフーヴァーは、スティーヴンスンが故意にラテン・アメリカの彼の部下 に情報をよこさないで、ドノヴァンにまわしている、と信じ込んでいた。それは本当ではなかっ たが、その印象は残り、あとまで響いた。時としてまた、彼が関心を持っ特定の問題についての 情報をロンドンから貰わねばならないことが起り、その情報がようやく来るまでの遅延と催促が 双方にとって面倒なことになった。例えば、フーヴァーはイギリスにおける共産分子の活動につ いての情報を要求したが、相当のやりとりのあとで、やっと彼は望む完全で徹底した調査書を手 に入れたのだった。 ついでながらこの後者の情報は、ソ連の秘密機関 (Z の使節団をワシントンに置くの と交換にモスクワに使節団を送ろうとのドノヴァンの案にフーヴァーが反対している時に到着し て役に立っこととなった。「明らかに各政府機関の公式秘密をスパイすることを目的とするロシ アの秘密機関の出みせを合衆国に設置することは極めて危険で、はなはだ好ましくない措置だ、 と思いますーとフーヴァーは当時、大統領の親友で顧問の ( 丿ー・ホ。フキンズに書、こ、 しナ「イギ リスにおける Z の物語は、そこにおけるその活動の基本的目的が英政府の公式秘密をひそ かに入手することにあったことを明白に示しています」。秘密情報使節団の交換の提案はこれで ホワイトハウスに阻止された。もっとも『物語』の著者は、それは関係者すべてから静か ( 原註 4 ) に忘れられたと書いているが、それは必ずしも正確ではないようだ。 こうした厄介ごとがあったが、スティ 1 ヴンスンとフーヴァーの以前の親しく友好的な関係は やがて回復され、双方になんら苦い感情は残らなかった。疎遠だった時期でさえ、それそれの機

6. 3603号室 (ハヤカワ文庫NF)

226 ( 簒諸 ) であるのは意味深い 〈ワシントン、一九四四年一一月一八日〉 私は戦後におけるわが国の秘密情報機構について考えてみました。 われわれの敵が敗北するとともに、今度は平和の問題を解決するのに役立つ情報の要求が 同じく差し迫ったものとなりましよう。 これには二つのことが必要です。 1 秘密情報機関の統制権を大統領に返還する。 2 あなたに直接報告する中央機関を設置する。 ローズヴェルトが生きて、ホワイトハウスで第四期を全うすることができたら、彼は疑いもな く、彼の言葉によると、「提案された新事業に直接の関心」を持っただろうし、彼の後継者のよ うに O(-DØの相当な諜報部面を解体することもなかっただろう。それに O*< も初期の歯の生え る頃の厄介の多くを知らないで済んだことだろう。だが、それは別の物語である。 秘密情報部門のほかに、の本部には別の二つの部があって、それらは有益な情報を出す とともに、スティーヴンスンの幹部職員と規則的に連絡していた。それは〃外国専門家による調 査〃部と″調査と分析〃部だった。前者はなかでも、ヨーロツ。ハ全体にわたって爆撃目標となる ものに関し極めて重要な情報を提供した。戦略調査と地誌学地図作成の後者の仕事は、イギリス 側から一般にどことも引けをとらないものとされていた。一九四二年から戦争の終るまでに、そ れは八〇〇〇種目の地図を作成した。「その作成した地図を私に用立ててくれたので、私はそれ

7. 3603号室 (ハヤカワ文庫NF)

224 この情報はイギリス側に連絡されたが、ロンドンの英諜報機関の責任者たちは、長いことそれ を、だまされやすいアメリカ人に敵がわざと″仕掛けたわな″以上の何物でもない、 といって信 じようともしなかった。それが本物であるのを確信しているスティーヴンスンは、ついに、彼の 一一一口苺亠を借りると、ロンドンにガヴァンメント・コ 1 ド・アンド・ サイファー ・スクールの校長の 支援を得て「暴動を起した」。やがて暗号解読者たちは彼らが調べたものとそれを突き合わせる ことができ、その結果、この情報の信頼性が疑問の余地なく証明された。 ニューヨークに帰って少しして、スティーヴンスンは、報告に帰国していたアレン・ダレスと 会い、彼の成功を心から祝った。これと同時にスティーヴンスンはドノヴァンにつぎのような手 紙を送った。 〈ニューヨーク、一九四四年一一月一五日〉 あなたの実に有能なスイスにおける代表が当地に来られたので、私が最近ロンドノこ、 時、″ウッド〃関係の記録と成果を調べる機会を得たことを想起しました。これは間違いな くこの戦争での最大の秘密情報工作の成果の一つです。 私はこの例外的ケ】スを例にあげていますが、私はさらにあなたの全秘密情報機構が、他 の様々な既存の秘密情報組織と比べて、驚くほど短期間に立派になったことに心から感嘆の 念を表明しなくてはなりません。ここでは、これに劣らず立派なあなたの他の部門の活動に ついて私がみたことはふれませんが、私としてはあなたの″諜報れ面ーーーこれは結局、海外 工作では最も徴妙な活動なのですが が実に驚くほど成功していることに私の喜びを記録 しないではおれません。本当の経験をした人、譟報のやり方とその成果とを多少でも知って

8. 3603号室 (ハヤカワ文庫NF)

この段階ではむろん仕事の詳細は彼女たちに説明するわけに行かなかった。スティーヴンスンの 、ユ 1 ダの専門家はその長官補佐に間に合わせにこうしたら大体間違いないよ、と教えてや った、それは美しい足首をした女の子は、この仕事に必要な程度の手先きの器用さを持っている とみてよい 、というのだった。面接を受けた彼女たちが告げられた唯一のことは、仕事は機密の 、ということたった。それで彼女 性質のもので、それを南米でやるよう求められるかもしれない らの数人は、予備″審査〃というのが年輩のメン ( —の捜査官 ) によって足首をじろじろ みられることだったので、少なからず面喰った、そして・フェノスアイレスやリオといった土地で 自分たちに求められている仕事がどういうものなのか、多少の不安をもってあれこれ推測しはし めた。とくに気にした女の子たちは、そういった種類の仕事でないと聞かされて、ほっと胸を撫 でおろした ! スティーヴンスンはこの時期に入手できる一切の秘密の出どこの機密情報をフーヴァーに渡し たが、そのすべてが必ずしも—の直接に関心あるものでなかった。一部は海軍や陸軍の諜報 部門、つまり海軍情報部 (OZ—) や陸軍情報部 (tea) に関係あるものだった。それでフーヴ アーはそれそれの情報を 0 Z —や ()5 2 に渡してやったが、それはスティーヴンスンが、この頃イ ギリスとの協力の考えに反対しているこれらの陸海の部門となんの連絡も持たなかったからだっ た。いずれにせよフーヴァ 1 は喜んでこの仕事をやったが、それは—の権威と影響力を高め、 その長官に当時のアメリカ秘密情報組織の枠内での優越した地位を与えるからだった。フーヴァ 1 はまた時折り、イギリス側が国務省の厳しい中立政策に反する行動をとる時でも、イギリスの ために軍の援助を発動させてほしいと求められることがあった。一九四〇年秋に起ったつぎの出 来事は、そうした介入の良い例であった。

9. 3603号室 (ハヤカワ文庫NF)

た機密情報を盛った八通の手紙を、彼は一九四一年秋にドイツに送ることができた。それらはパ 、ユーダの検閲局を通過することになっていたが、そのうちの一通が , ーー多分スティーヴンス ンへの連絡が遅れ、彼の検閲官への知らせが間に合わなかったからだろラー・ー、拾い上げられて検 査実験室にまわされ、秘密の文書がすっかり現像され、むろん手紙はそのためもう送れないこと になった。疑いもなく同じ理由で他の手紙も予定以上に遅れてドイツ側の宛先に到達した。 / イシクル〃にリオデジャネイロ出頭を命じた。ここで彼はドイ この年の末頃、ドイツ側は″、、、 ツ大使館付海軍武官補佐官ポーニ 1 中佐とそれにドイツ秘密情報機関の現地責任者アルフレド・ エンゲルスに会ったが、彼らは彼に対し全面的信頼を表明し、ニューヨークに帰り、リスポン、 ハンプルク、リオと連絡する短波無線を設置するよう指令した。 一九四二年の最初の三カ月は、は彼が無電で送ることになっている情報を出しはしたが、 ハイシクル″は自分の にはそれらの情報の写しも、その成否の詳細も知らさなかった。 ために設置された無線所をみに連れて行かれたこともなく、そのため彼は、アメリカにいる本物 のドイツ・スパイから出し抜けの質問を受けたり、短い予告でメッセージを送るよう求められた ら、化けの皮を剥がれるおそれがあった。間もなくドイツ側は、その報告に「実質」がないと苦 とくにプラジルのエンゲルスが逮捕されてからはーーー巣作 ノ〃、カ 情をいい出し、 されて仕事をしているのでないか、と疑い出した。スティーヴンスンがフーヴァーに個人的に強 硬に抗議して、フーヴァーはこの二重ス。 ( イ担当にもっと経験を積んだ幹部のひとりをつけ、軍 から適当な情報をもっと定期的に提供させようと約東した。 ( ハイシクル〃を扱うのにギャングを手 こうした約東にもかかわらす、フーヴァーの部下は、 なずけるような最初の方法をやめられなかった。例えば、ドイツ側が彼にかねを送った時、邪見

10. 3603号室 (ハヤカワ文庫NF)

渡りをつけてくれたのは、保守党の有力な陣笠議員ラルフ・グリン、のちのグリン卿で、彼はラ ムゼー ・マクドナルドが首相となり、のちに枢密院議長となった時、マクドナルドの議会関係個 人秘書だった。グリンはシティでも有力な人物で、スティ 1 ヴンスンはここでは彼をわけても・フ リティシュ ・マッチ・コーポレーションの重役として知っていた。この会社はその製品の原材料 の一部をスウェーデンから輸人していたが、スティーヴンスンの。フレスト・スティールはこの国 に鉄鉱石の採掘という観点から関心があった。スウェーデンの産業上の可能性に対する両者の関 心から会合が持たれ、情報が交換されるようになり、スティーヴンスン側からはヒトラーの軍需 工業へのスウェーデンの鉄鉱石の供給に関する情報が提供された。グリンはこの情報を公式の秘 密情報機関—Ø) に利用さすべきだといい、スティ 1 ヴンスンと—の高官との会合をお 膳立てした。 イギリスに国家機密法があるため、この伝説的な機関の事実的詳細が公表されるのは常に効果 的に阻止されて来た。この機関についての根拠のある情報は、その維持のために格別に用途を詳 しく聞かないで毎年義務的に議会が可決する金額の発表にとどまるのが常だった。サー・カン。フ トン・マッケンジーがその楽しい『ウォ 1 ター・オン・ザ・プレイン』やサマセット・ モームが よりまじめな『アシェンデン』でしたように、作家でこの機関で働いた経験があり、それについ て書かざるを得ないと思った人たちは、フィクションにみえる形をとらざるを得なかった。これ は最近はグレアム・グリーンが『ハ・ハナの男』で、イアン・フレミングが心をワクワクさせるジ ェイムズ・ポンドもので使った方法だった。マッケンジーが無分別にもこの礼儀正しいフィクシ ョンの方法を棄てて、彼の自伝的な『ギリシアの思い出』の中であえて組織の実際の内部作業の 一部を描いた時、彼は直ちに中央刑事裁判所で訴追され、厳しく罰せられる一方、その過ちを犯