ビッカース - みる会図書館


検索対象: PANZER(パンツァー) 1980年1月号
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1. PANZER(パンツァー) 1980年1月号

トプルク戦に活躍したマチルダ。第 7 ロイヤル戦車連隊の車輛て , 捕獲したイタリア軍の旗を立てている。 41 年 1 月 22 日撮影 は機密保持上の理由から , 慣習にしたがって A11 に、マ ら , 部分部分に流用部品などの寄せ集めが目立った。 チルダ (Matilda). という秘匿暗号名を与えていたが , 否 , むしろ全体が寄せ集めでなり立っているといっても これは軽歩兵戦車 A11 が小型で「あひる」のようなユー 過言ではなかった。 モラスな形をしているところから , ェリス自身で命名し 70 馬力の v 型対向 8 気筒フォード・ガソリン・エン ジンと変速機は民間型だったし , フ・レーキ , ステアリン たものであった。 グ , クラッチなどはオランダ陸軍への輪出向けとして生 しかしながら , 予算制限のしわ寄せからくる制約を受 産された非制式のビッカース軽戦車ダッチマンのも けた歩兵戦車 A11 マチルダでは , 歩兵部隊の主役として のを流用していた。また , サスペンション ( 懸架装置 ) はどうしても力不足であることは歴然としていた。 そのため , 1936 年 11 月 , A11 戦車の開発を続行する一 は , ポルトガルやタイにまで輸出されて成功をおさめた ビッカース 6 トン戦車からドラゴン・トラクター ( 自走 方 , 同じマチルダの名称で , はるかに強力な重歩兵 重砲牽引車の名 ) へと使用されていたポックス・ボギー 戦車 A12 の設計開発が着手されたのである。 & リーフ・スプリング式に手を加えたものであった。 この重複した名称での開発が , ある意味では , ロンド ンの中枢にまで浸透していた各国情報組織に対するかく 主武装は , 小さくまとめあげられてなんとなくューモ 乱と予防線をねらったものであったことは確かである。 ラスな鋳造砲塔に , ビッカース製 0.303 インチあるいは それまで , 機甲戦闘車輛の開発生産をビッカース関連 同じビッカース製 0.5 インチ機関銃を最高 4000 発の銃弾 会社にほとんど依存してしまっていたことに対する陸軍 とともに 1 丁搭載していた。 省内部のうっ積した不満と , そこに潜む危険に対する警 A11 戦車のリべットで接合された車体装甲板の最大厚 戒もあって , 新型重歩兵戦車 A12 マチルダの開発 , 生産 は車体前面の 65E で , 総重量は 24 , 640 ポンド ( 約 11 ト は , A11 戦車にとりかかっていたビッカース社を極力外 ン ) , 2 名の乗員に操られて最高速度 8 マイル ( 約 12.8 ) 毎時というかなりの低速で確実に走行するはずだっ して行われることになった。 当初 , A12 は A11 の大型化をもくろんでいたが , 車体 た。だが AIIE 1 の試走の結果サスペンションの改良が 計られ , 結局 2 フィート 1 インチ ( 約 0.63 川 ) の障害突 スペースの点ひとつをとってもとても現実的ではなく , 破力と 7 フィート ( 約 2.13 川 ) の対塹壕性能を備えた , 計画は 3 輛の試作車輛によって各種試験を重ねていた中 廉価な , しかし機械的な信頼性に満ちた軽歩兵戦車とし 戦車 A7 を引き継ぐ形で新たに出発した。 最低 10 ないし 15 マイル ( 約 24 ) 毎時の速度を得られ て完成した。 ること , また純ディゼルでなく , なるべくなら多燃料 マチルダⅡ戦車の開発 ェンジンを , などというぜいたくな要求のもと , 陸軍省 軍 内の機械化推進部門がウーリッチ兵器工廠で一般的 , 機 ところで話は変るが , A11 戦車の開発にあたって , 54

2. PANZER(パンツァー) 1980年1月号

ラビアなどへの輸出向けに造 られたタイプであった。 海軍陸戦隊は , 買入れた 4 輛の車体に旭日の軍艦旗と 1 ~ 4 までナンノく一を入れ , 7.7 のビッカース機銃を 1 丁と 機銃弾 3000 発を携行した。 工ンジン 0 よフォ ドを用 い , 上海の実戦では軽快で形 が小さいため斥候や伝令など の他に弾薬輸送にも活躍し , また敵前で煙幕を構成したこ ともある。 カーデンロイド装甲車の煙 り , ひとつは発煙筒を使用す 煙幕を張って走行中のカーデンロイドⅥ装甲車。十一年式軽機を装備している る方法 , もうひとつは硫酸を 局戦車隊の補助車輛や一般歩兵部隊の装甲車として弾薬 マフラーの中に滴下して濃い煙幕を出す方法である。後 運搬などに限って使用されることになった。 者は一時陸戦隊で応用して味方部隊や車輛の行動の秘匿 海軍のカーデンロイドⅥ b 装甲車 に重宝がられたが , 装甲車自身は煙幕構成の間敵に暴露 陸軍のカーデンロイド装甲車は , 後年九四式軽装甲車 して狙撃される可能性があった。 開発のもととなったが , その後 , 当時の陸軍大演習など ともあれ , 上海での海軍陸戦隊は , Mk. Mb を利用し に参加したものの , いつの間にかお倉入りとなってしま った。 ところが , 1931 年 ( 昭和 6 年 ) , 中国の上海へ派遣さ れた上海海軍陸戦隊は , 警備用にビッカース・クロース レイ 25 年式装甲車とともに , 同じビッカース社のカーデ ンロイドⅥ b 装甲車を 4 輛買入れて配備した。 海軍では , 陸軍が買入れた時点では装甲車に興味を示 さなかったが , カーデンロイド装甲車の走行性や特性に 目をつけて , 上海事変の市街戦に利用したのである。 海軍のカーデンロイド Mb は , 陸軍で購入したⅥのサ スペンションを改良した型で , やや車高が高く , また上 部装甲板は一体となってし 、る。カナダ , ポーランド , ア て最も良い効果を上げた。 当時 , カーデンロイド装甲 車の価格は , 通常 1 t あたり 5000 円から 10 , 000 円見当であ った。 フィアット・アンサルド M 1932 装甲車 日本への輸入時期ははっき りしないが , イタリアの軽装 甲車フィアット・アンサルド M1932 が日本の戦車開発の参 考として 1 輛輪入された。 M1932 は , フィアット・ア ンサルド社が 1931 年から 1932 0 十一年式軽機装備のカーデンロイドⅥ装甲車 ( 図 ) と海軍の Mk. Ⅵ b 装甲車 ( 上 ) 90

3. PANZER(パンツァー) 1980年1月号

に送って装甲車隊を編成した。 て急襲してくる。 満州の奉天に着いた装甲車隊は , さらにウーズレイ装 いよいよ 500 まで引きつけ , 4 コ分隊いっせいに砲 甲車を含む装甲車隊として再編成され , ビッカース・ク 門を開く , と同時に上る 4 条の紅。各個に最先頭の戦車 から逐時猛撃を加えて撃滅 , 近々 500 川の応戦で 1 台も ロスレイ M25 装甲車は 3 輛が配備された。この陸軍装甲 車隊 ( 当時は装甲自動車隊と呼称 ) の主な任務は , 満鉄 残さず全戦車 14 輛を破壊しつくしたのだ」 ( ノモンハン 戦車撃滅戦記 , ノロ高地 , 草葉栄著 ) より 奉天駅と奉天鹹内の市街地警備と巡察で , 道路が整備さ れていたため効果的な警戒行動ができたという。 1939 年 ( 昭和 14 年 ) に , 満蒙国境 , ノモンハンで日本 とソ連軍が衝突し , ノロ高地での対戦車戦を体験した日 同年に起った上海事変では , このビッカース・クロス 本軍は , 初戦において一部のソ連軍 BT 戦車をほうむっ レイの活躍に目をつけていた海軍が , 上海居留民の保護 と市街地警備用に 9 輛を購入し , 上海陸戦隊に装備させ たが , その後ノモンハン草原を圧倒る BT 戦車の反撃は 日本軍を圧倒した。 ている。 ノモンハンの B T 戦車 「煙幕のような砂塵が , 右前方の 稜線上に見えだす , と見るとすで に 1500 , 全速を上げて驀進してく る。時速約 45 ~ 50 , 敵との距離 は刻々縮む。しかも敵戦車はいっ きょに蹂を接し , 1 発の砲弾も射 たずにただまっしぐらに我が方を 目ざして直進してくる。生まれて はじめての戦車射撃だ。指揮官車 が待つ間もなく 1300 に入る今 無想の第 1 発を放つ。続いて 2 発 , 3 発 , 戦車との距離はしやくにさ わるほど近づく。命中するだろう か , 砲弾で戦車はこわれるだろう か , と疑惑と恐怖とを感じたその 整備中のビッカース・クロスレイ M25 装甲車。工ンジンに保温カバーがかけられている 瞬間 , 先頭の戦車からぼっという異様な爆音が起ったと このノモンハンの戦いで日本軍が捕獲したソ連の B T 見ると , 真紅な火炎がばあーんというにぶい爆音と同時 5 戦車が , 戦利品として日本へ送られ , 陸軍技術本部で に猛烈に吹き出している。見れば戦車は動かない。 調査研究された。 この敵戦車の隊形は第 1 発で指揮官戦車を破壊された BT 戦車は快速 , 重装甲で強力な 45E 砲を搭載し , 当 ので隊形を失い , 2 輛あるいは 3 輛と戦車群が相前後し 時の日本軍関係者をおどろかせたといわれる。 捕獲された I 号戦車 1937 年 ( 昭和 12 年 ) 1 月 , 日華事変が起り , への渡洋爆撃が開始さ れるとともに , 陸軍は 抗州湾に敵前上陸し , またたくまに上海を占 領し , その年の 12 月に は国民政府の主都 , 南 京攻略を開始した。 この南京攻略作戦を 命じられた菅原部隊 は , 南京にわずか 1 の地点に隠れていた中 国軍戦車 3 輛の攻撃を オースチン装甲車 1918 型。ウラジオストックのシベリア派遣軍に送られたもの 92

4. PANZER(パンツァー) 1980年1月号

不整地走行テス ト中のフィアッ ト・アンサルド 軽戦車 1931 年 ( 昭和 6 年 ) 9 月 , 満川 ( 現中国の東北部 ) で ビッカース・クロスレイ装甲車 戦している。 上海事変には車体に 4 色のカムフラージュ塗装をして参 しがちで , ドライ / く一や整備兵の悩みの種だった。また が , 一見がん丈そうにみえているが , 後部の車軸が故障 の山東地方に起った済南事変や上海事変にも参加した オースチン装甲車は , その後 1928 年 ( 昭和 3 年 ) 中国 を搭載し , 陸軍では「装甲機関銃車」とよんでいた。 特徴は , 併立回転銃塔が 2 コあることで , それに機銃 ストックで使用された。 のシベリア出兵時に買入れて , 派遣軍とともにウラジオ 日本でもこの装甲車に目をつけ , 1920 年 ( 大正 9 年 ) もしろい経歴を持っている。 されたときに , 主としてこの部隊に配備されるというお その後 1918 年にベルシアでイギリス軽装甲車部隊が編成 ア革命が起ったためにロシアに対する供給を停止され , の注文をうけて生産されたものだが , 1917 年 11 月にロシ た装甲車である。 1918 装甲車は , はじめロシア政府から 第 1 次大戦に , イギリス陸軍の第 17 戦車大隊で活躍し オースチン装甲車 191 8 輸入されたときは , ホチキス機銃を搭載していた。 査研究にあたったものである。 端として装軌式の車輛を要求し , 騎兵学校自動車班が調 入れた。習志野の陸軍騎兵学校が馬にかわる機械化の一 日本へ入ってきたのは 1932 年型で , 陸軍技術本部が買 としてイタリア陸軍に採用されたものである。 年にかけて試作したもので , のちの 1933 年型が制式兵器 日中両軍が衝突 , 満州事変がはじまった。 日本軍はすかさず奉天 , 北大営などを占領したが , ち ようど陸軍技術本部がイギリスから購入して調査研究に あてていたビッカース・クロスレイ M25 装甲車を , 満月 カーデンロイド M b 装甲車を楯に進む海軍陸戦隊

5. PANZER(パンツァー) 1980年1月号

◆ソ連の T80 最新情報 アメリカ情報筋は , ソ連の新型戦 車 T80 のテストはその後も進み , 80 年代の中 ~ 後半には実戦化されるこ とになろうと語った。外側から見る 限り , T80 は T72 とあまり大きな違 いはないが , アメリカの X M 1 とよ く似た装甲スカートをつけ , 車体は T72 よりやや長く , 転輪と転輪の間 隔も少し広くなった。武装には , T 64 / 72 と同じ 125 砲を装備してい るとのこと。 I DR 誌 1979 年 8 号によれ また , ば , T80 の装甲は明らかに T64 / 72 とは異るものらしく , 少くとも 1 輛 テストが続けられる X M 1 。生産か否か , 最終決定は 2 月に予定される のフ。ロトタイフ。がガス・タービンを 搭載して試験を行ったが , どうやら ャヤンタ ) から続く同シリーズの最 情報でも戦車 , 火砲の増強がみられ ガス・タービンを主工ンジンとして 新型で , 特徴は車体と砲塔の重要部 るという。 採用するにはいたらなかったらしい カーター大統領は , 1977 年の時点 分に増加装甲として、チョー / くム・ で , 在韓アメリカ陸軍 3 万 2000 名の ということである。 アーマー戔をつけていること。ニン 撤退を 1982 年までに完了すると発表 ◆在韓アメリカ陸軍の撤退 ジンはいまのところ 2 種類あるが , し , 1978 年には第 1 陣 3400 名の引揚 ローノレス・ロイス婁 ! ディーゼノレ , コ 公式に延期となる げが行われていた。 カーター大統領は , 在韓アメリカ ンドルが有力だといわれる。 Mk. 4 陸軍の引揚げを , 少くとも 1981 年ま ・ハウスの広報担当官 のフ。ロトタイプはすでに昨年の春に ホワイト ではこれ以上行わないと決定した。 完成し , 数カ国の関係者を招いて数 は , 「これ以上の撤兵は , 南北の兵 これは , 統合参謀本部の「撤退 2 年 回のデモンストレーションがイギリ カノくランスが安定し , 緊張が緩和さ ス国内で行われている。採用になれ 間凍結案」に見合ったもので , 根拠 れる見とおしが立つまで」行わない ば , ギリシアでライセンス生産され としては , 朝鮮民主主義人民共和国 と述べている。 る可能性も強い ◆ビッカース MBT Mk. 4 ( 北朝鮮 ) 側の兵力増強があげられ ビッカースの新型 M B T , Mk. 4 またビッカースの M B T シリーズ ている。 では , 最近 Mk. 3 が完成している。 が , フランスの A M X 32 とギリシア 統合参謀本部の見積りによれば , これはケニヤが発注した 80 輛のうち 陸軍の受注を争っている。 当初 40 ~ 45 万といわれていた北側の の第 1 号車といわれ , GM 製 12V71 兵力が実際は 60 万もあり , 陸軍側の Mk. 4 は , Mk. 1 ( インドのビジ T ディゼルを積んだ V800 パワー ・パック , 車長用の新型 No. 15 キュ ーボラ ( 昼夜間兼用 ) , 操縦手用の パッシプ・スコープ , 砲手用の / & ストラウド製レーザー測遠機など が追加されている。外見上の特徴は 砲塔の前部が鋳造製の丸味を持った ものとなっていることだ。 ◆イギリス陸軍に新戦車 ! イギリス陸軍は , チーフテンの旧 式化と MBT80 戦車の開発の遅れの ギャッフ。を理めるため , チャレンジ ャーとよばれる新型戦車 200 輛を発 注する意向といわれる。この決定に は , B A O R ( 在ドイツ・イギリス 軍 ) の戦力アッフ。はもちろんだが , 在韓アメリカ軍の撒退は , 来年までタナ上げとなった を

6. PANZER(パンツァー) 1980年1月号

。海を越第呼 てやってきた 帝国陸軍の外国製戦車 ( 下第 TANKS ″ 0 カーデンロイドⅥ軽装甲車 購入して各種のテストを行っていたが , 1931 年 ( 昭和 6 陸軍技術本部はイギリスからカーデンロイド装甲車を 0 しての目的に合うような戦車を開発する必要にせまられ 外性能 , いわゆる不整地なども楽に走行し , 補助戦車と 連絡なども行えることを期待したとき , 戦車と同等の路 いが , 独立した 1 コの戦車隊として , 自ら捜索や偵察 , 歩兵などに付属させる従来の戦術をとっているうちはよ だが , 陸軍大演習のときのように , 戦車隊を分割して ドカーっきオートパイなどを配属して用いていた。 部隊編成はほとんど戦車だけであり , 補助車輛にはサイ ルノ—FT, ホイベット戦車などで編成されていたが , 陸軍歩兵学校戦車隊は , 発足当時イギリスの Mk. Ⅵ , 年 ) , 歩兵学校に貸与所属させた。また習志野騎兵学校 も騎兵の補助車輛を希望していたので , 合わせて報告書 : ゞ 力はともに不じゅうぶんで , テストの結果 , 攻撃 , 防禦 帽蓋があった。 く , 乗員の頭上に個々の装甲 た軽装甲車である。砲塔はな 散開して用いるよう考えられ くの砲や機関銃を広い地域に し , 乗員 2 名で , 少しでも多 め砲 1 門か機関銃 1 丁を搭載 た。歩兵と密接に協力するた 「豆戦車」として知られてい 産 , 発達したもので , 当時 イギリスのビッカース社で生 カーデンロイド装甲車は , を提出させた。 弾薬運搬トレーラーを牽引してテストを行うカーデンロイドⅥ装甲車 た構造上も完全ではなく , 結 89

7. PANZER(パンツァー) 1980年1月号

・ライト スポット 車長キューホラ ・、リスコーーフ - 、ンラ・レーーターー / ュ・片ット カモフラー ペサ 7 . 92 機銃 右側ロッカー : 各種工 具 , コンプレッサー オイル缶 . 工ンジン予 備部品 , 予備キャタビ ラ・ビン , る包ロカ / 、一 など 0 0 0 0 0 0 み / 予備キャタビラ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 ヘッド・ライト 0 6 包塔吊上けフック 30 フィート牽引口一プ 左側ロッカー : 雑のう ) く 4 , オー / 、一 X 4 , 食料 6 セット , 調理ス アンテナ・ケース 縦士ハッチ ( 開いている ) キャタビラ張度調整装置 トープ , 布 / ヾケツなど 提とするものと , 対戦車砲を搭載し , 重装甲とともに高 備がとりざたされるようになったのである。 い戦闘能力をもたせた主力としての重歩兵戦車の 2 種類 イギリス陸軍では , 戦車を開発・用途上 , 歩兵 (ln- が提起されていたが , 具体的には 1934 年 4 月の時点で次 fantry) 戦車と巡航 (Cruiser) 戦車という 2 種類のタ イプに分けて性格づけていた。前者は言葉どおり , 歩兵 のように決定された。 の戦車であり , 歩兵部隊の作戦活動を直接支援するため すなわち , 1 ) 安価で大量配備を可能とする 0.303 イン チ ( 7.7m ) または 0.5 インチ ( 12.7n ) 機関銃を搭載し 走行速度を抑え , 重武装・重装甲による攻撃力と防護カ た小型軽戦車 2 ) 新開発の高初速 2 ポンド ( 40E ) 砲を の強化をはかるという趣旨で , また後者は本来の騎兵部 搭載した重戦車で , ともに最少限 1 インチ ( 25.4mn ) の 隊に替る戦力として , 逆に武装や装甲防禦力をやや犠牲 装甲と 10 マイル ( 約 16 ) 毎時の速力が可能なことが必 にしても速度の高速化を目ざして , それそれ開発 , 生産 するものとされていた。 要であった。 このうち , 歩兵戦車の開発基本構想の細部について そして , 陸軍の兵器調達の責任者の地位についたエリ スの下命によって , 1934 年 5 月 , ビッカース・アームス は , 生産経費が安く , 小型軽量 , 主武装として機関銃を トロング社のジョン・カーデン技師が先の基本構想にの 備えたいわゆる移動機関銃陣地のような , 大量配備を前 52 予備キャタビラ

8. PANZER(パンツァー) 1980年1月号

59 式 ( T55 ) , 60 式 (p T76 ) , 62 式 , 63 式 , T34 , S など合計 10 , ( ) 00 輛 ヴィジャヤンタ 70 国柄 , T54 / 55 センチュ リオン Mk. 5 / 7 100 輛 , p T 76 15 ( ) 輛 , A M X 13 合計 1850 輛 ( T72 発注中 ) インドネシア AMX13 15 ( ) 輛 , P T76 75 輛 合計 225 輛 日本 560 輛 , 74 式 200 輛 , M41 100 輛 61 式 合計 860 北朝鮮 T54 / 55 / 59 式 1600 輛 , 350 輛 , P T 76 10() T34 輛 合計 2050 輛 韓国 M47 / 48 880 輛 M60 , ラオス P T76 , M24 モンコ丿レ T54 / 55 10 ( ) 輛 , 3 ( ) 輛 T34 戦車を生産している国は ? 現代の主力戦車は、近代工業の所産である。砲や装甲 の治金、金属工業はもちろん、 FCS ( 射撃統制装置 ) の 光学や電子工業、エンジンの自動車工業、電気、通信 など分野は広がり、また量産ということもひとつの大き な問題となる そのため、主力戦車を自分で開発、生産している国は そう多くない。アメリカ、ソ連の他に西ドイツ、イギリ ス、フランス、スエーテン、スイス、日本の 8 カ国に つい最近メルカ / ヾのイスラエルが加わったていどた さらに生産したとはいっても、構成部分すべてを自国 て開発したという例は少く、ビッカースやラインメタル の砲、アメリカやドイツのエンジン、アメリカのレーサー 部品などはいろいろな国の戦車に使われている。また外 国製の部分を使うにしても、その方がコストや政治的な 理由で有利だからという例もあれは、イスラエルのメル カバのように、独自の思想の上に他国の部品を集めたと いう。スクラッチ・ヒルド、、まで、内容はさまさまだ 航空機や火砲などでは国際協同開発がかなり進み、実 績も上けているが、こと主力戦車の世界では話こそあれ、 実現した例はまたない。 / くンクラ・テシュ T54 3() 輛 プルネイ 16 輛 スコーーヒ。釮 - ン ビ丿レマ コメット 中国 西欧陣営のフランスも , N A T 0 軍からは一歩はなれて行動する。 32 万の陸軍の主力は機甲師団 4 コて , A M X 30 戦車 1060 輛を持っ 合物 30 輛 一三卩 ネノ、一丿レ A M X 13 ー , ュー - シ・一ラント M41 7 輛 パキスタン

9. PANZER(パンツァー) 1980年1月号

日本軍は , この戦車をコレ ヒドール要塞攻略に参加した 戦車第 7 連隊第 3 中隊に配属 した。第 3 中隊では味方識別 のため , 中隊マークである梅 鉢マークを砲塔両面に , 車体 には日の丸を描き , さらに砲 塔上に日の丸の旗を立てて前 進した。 また , 1943 年 ( 昭和 13 年 ) ごろ , 北ビルマのラシオに駐 留していた戦車 14 連隊が , 各 中隊に捕獲した M3 スチュア ート軽戦車で 1 コ小隊を編成 し , イギリス軍のひきいる 3 グラント中戦車と戦闘をま じえたという戦記も発表され 南京地区で日本軍に捕獲された中国戦車隊のドイツ I 号 A 型戦車 受け , 部隊に同行していた朝日新聞の報道カメラマンが ている。 この他 , アメリカ製やイギリス製の軍用トラックや装 戦死した。 甲車も , 戦場で多数捕獲され , 一部は戦利品として調査 直ちに攻撃に移った菅原部隊の手で中国軍戦車は破壊 研究のため日本へ送られたが , 多くは現地部隊の補助と されたが , 1 輛だけは無傷で捕獲された。従来の中国戦 して活躍した。 ( おわり ) 車と異った型式であったから調査してみると , 中国軍が 参考資料日本の戦車出版共同社 , 内燃兵器大観 , ドイツから買入れた I 号戦車とわかった。破壊された他 写真集日本の戦車潮書房 , ノロ高地草葉栄著 , 戦 の 2 輛の戦車の型式は不明だが , おそらく同じ I 号戦車 車月報第 8 号 であろうと推測する。 I 号戦車 p 2. Kpf w. I は , ナチス・ドイツが再軍備 を公式に宣言してからはじめて装備した戦車で , 1935 年 にドベリツツの軍事パレードにはじめて姿を現わしてか ら , 存在が世界各国に知れわたって行った戦車である。 1936 年に起ったスペイン内戦に参戦し , 実戦を体験した が , 搭載した 7.62E の MG13 機銃の威力が弱く , 1939 年 からはⅡ号戦車がドイツ機甲師団の主力戦車となった。 当時中国軍は , 各国の戦車を多数購入して使用してお り , 中国大陸を転戦した日本軍はこの I 号戦車の他に , イギリスのビッカース戦車 , カーデンロイド水陸両用戦 車なども捕獲して日本へ送付し , 陸軍は徹底的に調査研 究したあと , 戦利品として一般に公開した。 しかし I 号戦車のあっかいに関しては , 当時ドイツと の友好関係を考えてか , ドイツ戦車の名で展示せず「ソ 連製軽戦車」の名で , 他の戦利兵器とともに公開してい 日本軍の M 3 軽戦車 太平洋戦争中 , フィリピンのパターン半島で編成され ていたアメリカ・フィリヒ。ン軍の戦車隊は , 開戦当時 100 輛ほどの M 3 スチュアート軽戦車を持ち , 攻めよる 日本軍を悩ませた。だが結局は , 大半が火砲や対戦車砲 の的となり , 残った数裲の M 3 スチュアート軽戦車は日 本軍の手に落ちた。 0 日の丸を立てて走行中の戦車第 7 連隊の M3 軽戦車 93

10. PANZER(パンツァー) 1980年1月号

ッとの共同生産の形をとる。 それにつけても気になるのはソ連戦車の動向だが , 125E 砲 , 車高の調節が可能なサスペンション ( 油気圧 式 ? ) , 複合装甲 , レザー兵器 ? を持っといわれる T8() ( 仮称 ) については , 最近目新しい情報はない。新 しい説では , T80 は T72 よりやや長く , スカートをはい ている他は , T 72 と外形的に大きく変わらないという。 しかしこの説のいう T80 と , 上述の新世代 MBT とが同 アフガニスタン、 インド ? 、イラク、 ガミーーフン ヨルダン、モロッコ、ノルウェー オーストリア、エチオピア、イラン、イスラエル、イタリア、ヨルダン、サウジアラビア、ソマリア、スペイン、トルコ 戦車の輸出国、輸入国 しものかどうかわからない。ともかく , T 80 の就役は , 1980 年代の後半になるとされている。 一方 , T72 については , 現在年間 2000 輛 ( 月産 167 輛 の割合になる ) の高いペースで生産中といわれているか ら , すでに T64 ( 東ドイツの国内に約 2000 輛がおかれて いるとされる ) と合わせて数千輛のオ・一ダーに達してい るはずだ。 T 72 は , ポーランド , チェコスロノくキア , ル ーマニアでも生産が行われるらしく , 現在ワルシャワ条 M 60 シリーズ M 48 シリーズ 西ドイツ、ギリシア、イスラエル、 トルコ、ベトナム イギリス アメリカ ソビエト フランス 西ドイツ 中国 アルゼンチン、 リシア、日本、 M41 M47 オーストリア、ベルギー、ポリビア、 レ / ヾノン、ロ冫弯、 ーユージ - ーランド、 パキスタン、フィリピン、 パキスタン、韓国、スペイン、台湾、タイ、 ポルトガル、サウジアラビア、 プラジル、チリ、デンマーク、ェクアドル、エチオピア、ギ ス ペイン、タイ、チュニジア、トルコ、ベトナム オーストリア、ベルギー、プラジル、ギリシア、 アラビア、韓国、スペイン、台湾、トルコ、ユーコスラビア、 イラン、イタリア、ヨルダン、パキスタン、ポルトガル、サウジ フランス、西ドイツ T54 / 55 アノレ / ヾ T62 ルーマニア、 プルガリア、チェコ、東ドイツ、エジプト、ハンガリ シリア ニア、アルジェリア、アフガニスタン、 / ヾングラデシュ、プルガリア、中国、キュ リビア、 キプロス、チェコ、 インド、イラク、リビア、モンゴル、モロッコ、朝鮮民主主義 東ドイツ、エジプト、フィンランド、ハンガリー 人民共和国、ベトナム、北イエメン、パキスタン、ベルー P L A 、ポーランド、ソマリア、 南イエメン、スーダ ン、シリア、ウガンダ、ユーゴスラビア P T 76 アフガニスタン、プルガリア、中国、 インド、インドネシア、イラク、 リア、ユーコスラビア スコービオン インド、クウェ ビッカース M B T イラン、クウェ チーフテン コンコ、 キューバ、チェコ、東ドイツ、エジプト、フィンランド、ハンガリ ラオス、朝鮮民主主義人民共和国、ベトナム、パキスタン、ポーランド、シ センチュリオン ト、南アフリカ、 A M X 30 チリ、ギリシア、 A M X 1 3 シリーズ アプダビ、アラブ首長国連邦、ベルギー オーストラリア、カナダ、テンマーク、インド、イラク、イスラエル、ヨルダン、レバノン、オランダ、 イラン、ナイジェリア、サウジアラビア スエーテ・ン、スイス、 エジプト、リビヤ イラク、リビア、ベルー、サウジアラビア、 スイン、 ( ネズエラ クウェー インド、 アルジェリア、アルゼンチン、カンポジア、チリ、ドこニカ、工クアドル、エジプト、エルサルバドル、 インドネシア、象牙海岸、ケニヤ、レバノン、モロッコ、オランダ、ベルー ス、チュニジア、ベネズエラ、オーストリア イスラエル、サウジアラビア、スイ 59 式、 60 式、 63 式など パキスタン、スーダン、タンサニア、ベトナム・・ レオパルト 1 オーストラリア、ベルギー、デンマーク、イタリア、オランダ、ノルウェー、カナダ、 トルコ ? 27