ラックを造ることが国家的な要請であったこ とが響いている。 それに , プラジルは昔からの縁でポルトガ ルとの関係が深く ( いまでも国語はポルトガ ル語である ) , ポルトガルの左派政権化のお かげでプラジルへ逃避したポルトガルの資本 や技術者が , 仕事をはじめるにも好都合だっ たという政治的な条件もある。 E E 1 5 と E 25 トラック ェンゲサのトラック・ファミリーには , E E 15 と E E25 の 2 つのシリーズがある。 E E 3 ャララカ。全長 3.9 宿 , 全幅 2.0 認 , 高さ 1 . 28 E E 15 は , コンパクトな 1.5 トン級 , ポン い」というまわりくどい表現になっているが , もしこれ ネット型のオン・ロードとオフ・ロードの両方に使用で が事実だとすると , カスカベルのリビアへの輸出は少く きる車で , ェンジンはべンツ製直列 6 気筒水冷の 0M352 ともソ連に優秀な対戦車砲製造のノウ・ハウを教えてし という 56958 のディーゼルである。 まった可能性がきわめて高い これに , 同じべンツ製 G40 という 5 速変速器が組合わ また , カスカベルかその類似車輛が , 将来ソ連で生産 され , サスペンションは前後とも半楕円リーフ・スプリ される可能性もあるのだ。 ングにデュアル・アクション式ショック・アフ・ソーバー いずれにしても , NATO 加盟国の戦略商品が間 がつく。 接的にせよ敵洋の手に渡ったことについては , さまざ 車重は 4100 ん 9 , 最大重量は道路上で 6600 , オフ・ロ まな憶測が流れているが , とりあえずここではこれを追 ードで 5350 ん 9 , ペイロードは道路状況によって変り , 12 ん 9 から 2500 と幅を持たせている。 わない。 ただ , プラジルという国が軍事物資を第 3 国へ売るこ つまり , E E 15 はオーソドックスで頑丈なトラックを とに対しては , きわめておおらかなことが改めて確認さ 狙って造られた 4 X4 車というわけで , 用途も一般の輪 れた。ェンゲサ製のトラックは各国が輸出をひかえてい 送のほか , 消防 , 給水 , 燃料輸送 , 救急 , 指揮 , 通信に および , 民間用では一般作業や冷凍車から , 囚人の護送 る南アフリカへも輸出されている。 などにも使える。 ライセンス生産から出発 このため , E E15 には 10 車種が用意され , 変速器はア ェンゲサ社の車輛市場への参入は , トラックからはじ リソン A T 540 という自動変速器 , ェンジンはパーキン スのディーゼルやシポレーのガソリン・エンジンなども まった。 まず , ェンジンやトランス ミッションのような複雑なも のは外国のものをライセンス 生産か輪入し , シャシーやポ ディを自力で開発して売り出 し , その成績を確かめたうえ で装甲車輛にも進出した。 装甲車輛もトラックと同様 に , 最初のうちは高い技術力 を要するところはライセンス 生産するか輪入した。 トラックから手をつけたの は , 工業力の遅れたフ・ラジル で , できるだけ外国に依存す る度合を低めたいことと , ア マゾンを含めて未開の道路が 多いこの国に , 最も適するト E 25 6 x 6 。軍民両用のトラックで , 工ンゲサ社の下地を造った 76
! ドド川川い モテリンクあの手この手 オープン・トッフ いは内部色を塗り , 乾燥後に テープやゾルをはがせばす む。とくにマスキングゾルは たいへん便利なものだ。 もっともほとんどのキット では , シートやパネルは別パ ーツになっている。このよう なめんどうな作業を必要とす るのは , 主に飛行機やカー・ モデルだろう。 トラックやジーフ。で また , は , ウインドー用に透明部品 が入っている。 以前はぶ厚い透明プラが入 っていたが , このごろでは薄 い塩化ビニール板などを使用 して , 実感を損わないように なっているものがほとんど だ。これはとてもありがたい 配慮である。 オープン・トップの自走砲 ひと昔前に比べると , トラック類なと中がのそけるキットがずいぶん出ている の工作では , 砲身と同じよう に閉鎖機や駐退機のスジはキレイに消そう。 —近は , ひと昔前に比べてトラックや地味な装輪車 他に塗装では , 無線機や照準器 , あるいは弾薬など , のキットが数多く発売されるようになってきた。 車体色と異るもののとりつけは , 組立ての順序に対応し いままで戦車が中心だったわけだが , 今回は装輪車も て , 全体塗装のあとにとりつけたり , それそれ工夫する 含めたオーフ。ン・トップの車輛について書いてみよう。 オーフ。ン・トップといっても , 基本的な工作はすでに とよい。 書いてきたとおりで , 別に他と変わるわけではない。 自走砲では , 砲尾などもほとんど外部と同じ色で塗ら ただいちばん気をつけなくてはならないのは , 組立て れている場合が多い。ただし可動部はコスれるから , 金 属がヒ。カヒ・カ光った状態になるわけだ。照準器などもま てしまったあとで , ちゃんと外から見えるのに , 塗るこ とはできなくなるようなところがあることだ。 ず車体の色と同じと思ってよいだろう。ただ目をあてる 例えば , トラックなどでシートが床板にモールドされ ゴムの部分は黒だし , ツマミなどでは黒く塗られている ていたり , インストルメント・パネルが一体モールドさ 部分もある。しかしあまり細かいことをいってみても , れているときは , 組んでしまってからではとても塗りづ 作業がめんどうな割に実感は出てこないものだ。 内部塗装について述べよう。 らいことがある。 第 2 次大戦のドイツ戦車では , ハッチなど外に露出す このようなときは , あらかしめシートやメーターに色 を塗ってからマスキングゾル ( 模型店で売っている ) や るところを除く内部は明るいタン ( オフホワイト ? ) で テープで保護しておく。そして , 組上ってから車体ある 塗られていたようだ。
白色 ( ライトタン ) で塗装を さて現用のトラックやジー 当呼冢第ジ第 プ ( ほとんどキットはない ・・・ ) は , 自衛隊の車輛をみて もわかるとおり , 塗装様式に 大きな変化はないようだ。 戦車はどうかというと , ァ メリカ , 日本 , 西ドイツなど の国々では白色塗装 , イギリ スではシルバーを主に使って いるらしい 現用車輛は昔のものに比べ てカラー写真なども多く , そ れぞれ製作するキットに応じ とくに現在のアメリカ陸軍 や海兵隊の迷彩などは , トラ 砲尾は外部と同じ色に , 外からみえる大型防楯の内側も , 外部と同色にする ックやジープにまでパッチリ ご存知のとおり , ほとんどがダークグレー塗装のまま 施されているので , 各車輛ごとに調べていくとかなり楽 アフリカに送られたため , のちに現地でダークイエロー しいのではなかろうか。 を上から重ねて塗っていた。そのかわり内側にはもとの しかし自走砲にしても , A P C やトラックにしても , 色 , ジャーマングレーが残ったというわけだ。これは , それそれ例外はあるものだ。 有名なロンメル将軍の Kfz. 15 乗用車を見ればひと目で 記事をう呑みにするのではなく , 記事を参考にして , 各自が写真を片手に調べるようにしよう ( 決して記事が わかる。 ( 宗村明 ) またこのような塗装をしていた車輛は , 1943 年の東部 うそだというのではない ) 。 戦線でもみられた。 連合国側のトラックやジーフ。は ( もちろん M36 駆逐戦 P. s . 最新情報によると , イタラエレイからドイツ 軍のプーマ 8 輪装甲車とアメリカ軍の M32 回収車 (M 4 車 , M 8 自走榴弾砲 , M18 ヘルキャットなどでも同じ ) , キャフ・内や砲塔の内側は外と同じオリーフ・ドラプだった 戦車をベースにした車で , 自衛隊でも使っている ) が発 売になるそうだ。もっとも今年中ということだから , 気 ようだ。 またドイツ , アメリカを問わず , 運転席の周辺だけは を長くして待とう。 イルさ大阪堺のホビー ランドへ ・輸入プラホビーでおなじみのホビーランドには / HO スケールオーストリーロコミニタンワ 西ドイツロスコフミニチュアモテル、スペイン E KO モデル 1 / 285 スケール米国 GHQ メタルミニチュアまで そろえております。 ■ロコカタログ ( コピー ) ・・・ ・・ Y300 〒 200 ■ロスコフカタログ Y150 〒 60 ー GHQ 、ロスコフ、ロコ、 EKO リスト・・・・・・ Y100 ( 〒共 ) ・通信販売 OK 、輸入プラ在庫リスト Y250 ( 切手同封にて ) 106 0 0 をすンわ 新物高野県駅 0 表高 第■ー 冖号呷 大み北引 中央環 ニニックスー ・花田口より 5 分 ■プラホビーの店 ホヒ = ラント 〒ら 90 大阪府堺市戎マ町東 3 丁 2 ー 11 TEL ( 07 ) 32 ー 831 定休日語週木曜日
フォトストーリィー 雪中の激闘 ハルジの戦い ドイツ軍に包囲されたハストーニュ目指して進むアメリカ第 3 軍の機械化部隊。アントワープへの街道上にある バストーニュの争奪はこの戦いの勝敗を決める分岐点となった。車輛はいすれも M3 系のハーフトラック。 Ha 耘 0 ( of し S. 3 「 d Army during advance to Bastogne revelations. 天侯ガ回復した。それを待ち望んでいた連合軍はすくに得意の空輸作戦を開始し、ハストーニュ周辺の友軍 に兵器、食糧、薬品などの物資を補給する。写真はバラシュートをつけた補給品を投下する C -4 / 輸送機。 0 イ / d 「 0P5 suplies to し S. 作 00P5 0 0 仟 in Ba ogne. 晴れた空に姿を現 わした友軍機を見 上げる M4 シャー マンと 1 / 2t トラ ックの乗員達。天 侯の回復と空軍の 援護によって連合 軍は活気すき、い よいよハストー ュの救出作戦ガは じまった。
たが . 〃」〃ザ」 / 〃〃 ca な / 記召〃 g NAG 900 / Ⅲ〃 0 市ハ / 〃 / んにイ / ん月 - 言ん川ん r ん g. 西方作戦のポイントのひとつであったアルデンヌの森林地帯を行く 1 号戦車 B 型。ベルギー軍の作った道路 障害もドイツ軍工兵によって簡単に排除され、ドイツ軍戦車部隊の進撃にはほとんど支障とはなり得なかっ た。クライスト機甲集団は 2 日でこの森林地帯を突破してミューズ川に達した。円 40 年 5 月図日の撮影。 たん雇 . / 」″ザ召 / の、新な / ん川″ g ん / ん川〃イイ」卍″料 / ん町の . 作戦の開始前、集結地 へ輸送される II 号 A 型 戦車。積んでいるのは ビュッシンク N A G 900 トラックで、荷台に一 輛とうしろに引いたト レーラー上に一車兩を乗 せている。機甲集団は 開戦前夜、穏密裡にド イツ西部国境に集結し、 アルデンヌ森林地帯に 浸入した。道路事情の よいドイツならではの 光示だ。
◆ M901 自走 T O W ミサイル ヨーロッパに配備開始 アメリカ陸軍は , 700 輛以上の M 901 自走 T OW ( I T V) をョーロ ッパに配備することになり , 去年秋 に最初の 7 輛を船積みした。 7 輛の うち 5 輛は西ドイツにある第 7 軍統 合武器訓練センターに送られる。 M901 は 1975 年 12 月に計画が承認 され , 3 年半後の 1979 年 6 月には引 渡しがはじまったもので , この種の 兵器としては開発期間が記録的に短 戦車とともに , タンク・キラー Mi ー 24 ハインドの増強も目立っワルシャワ軍 用上差支えないようにするなど , 信 衝撃的な報告が , 去年の秋 , アメリ アメリカ陸軍としては , 装甲で完 全に保護された場所から操作できる 頼性や整備性がかなり向上する。 カ下院軍事委員会の席上 , C I A 高 改修は , 実戦部隊の手で現地で行 最初の対戦車兵器システムで , 陸軍 官によって行われて物議をかもして のタンク・オートモティフ・研究開発 われる。 司令部が開発し , 訓練には特別のチ この報告は極秘に行われたものだ ◆ワルシャワ条約機構軍の ームを編成して , 急速な実戦化を計 が , ある新聞にスッパぬかれ , アメ 増強が急ヒ。ッチ ワルシャワ条約機構軍の地上戦闘 っている。これは , 増大するワルシ リカやヨーロッパの政府筋や産業界 ャワ条約機構軍の戦車に対抗するた 力が , こ 1 ~ 2 年の間に大幅に増 では知らない者はないくらいの、事 実になってしまった。 めの緊急処置のひとつである。 強されたといわれる。 すでに中部ョーロッパだけで , S ◆ M110A2 自走榴弾砲の改良計画 これは , ソ連がカマ河畔のナベレ 現有の M110A2 に 11 カ所の改良 S ー 20 地対地ミサイルのランチャー ツニエ・チェルニイ工場を建設する を施す計画が実行に移され , アメリ が 100 基以上も配備されているが , にあたって , 総資金の 30 % にあたる カ陸軍のロック・アイランドエ廠で このほか数種類の新型地対地ミサイ 5 億ドルの工場設備を , ビジネス・ ルが戦域核部隊に配備されたし , 自 マシン社 , シンドウェル・ドレスラ 走砲や新型対戦車ミサイルの配備も ー社 , インガンル・ランド社が供給 急ヒ。ッチで進められている。 したというもの。 C I A の報告によ ると , すでに生産された 5 万基のデ 第ト第 対空ミサイルでは , 歩兵が操作す ィーゼル・エンジンは軍用車に搭載 る S A- 7 を除いても , 4 種類ほど されたし , 工場が 100 % 完成すると の新型が東ドイツ , チェコスロ / くキ 生産能力は年間ェンジン 25 万 , トラ ア , ポーランドに配備され , その数 ック 15 万という膨大なもので , 第 1 は中部ョーロッパでは N A T 0 軍の 昼夜兼行て改良テスト中の XMI 戦闘機と偵察機を合わせた総数の 4 期工事が 1976 年に完成して間もな く , 計画の年産トラック 7 万台の規 倍に達するという。 敏修キットが 1981 年 1 月から 12 月ま また , 攻撃へリがここ 1 年でほぼ 模に達したという。 でに生産されることになった。 アメリカは , 最近対ソ禁輸物資の 50 % も増強されたので , 固定翼機は 改良は実戦部隊からの要請を入れ 制限を緩和していて , 産業界もそれ その分だけ NATO 軍の後方攻撃な ・たものが多く , 射手が照準器を操作 を歓迎してきたが , 今回の事件、 どに転用する余裕ができるようにな しやすく , また疲労を少くするため で当分は規制が緩みそうもなくなっ った。さらに E CM 装置では妨害装 シートを調整式にしたり , ェンジ 置の数で NATO 軍の 13 倍という圧 た。 ン , 変速器 , ラジェーターの圧力や この新エ場がフル生産 倒的な数になるという。 ちなみに ー温度を操縦手が外へ出ていても車体 に入れば , 軍用トラックの生産台数 以上は , 中部ョーロッパ連合軍 : 外部からわかるようにしたり , 油圧 ではアメリカを追いぬくといわれて (A A F C E) 司令官パウリー将軍 フィルターの破損を警告する指示器 いるだけに , 軍部にも , 「わざわざ 、をとりつけたり , 射撃中に故障する の最近の発言から引用したもの。 ◆ソ連の軍用トラックが 敵に塩をやることはない」という強 ことを防ぐためパーキング・フ・レー 硬な意見が強いらしい。 = キを再設計したりしている。 アメリカの設備で生産 ? 「アメリカの設備と資金がソ連の軍 そのほか , ショック・アフ・ソーパ ーを改良して , 1 コが故障しても実 用車輛生産に役立っている」という
~ 戸ん .7 ・リ ら冬き・ー一 機動工兵連隊 ースアメリカン P ー 51 ムスタング戦闘機も出没するよう 速射砲 ( 対戦車砲 ) および整備中隊 になった。 戦車連隊の編成は九五式軽戦車 1 コ中隊 , 九七式中戦 「老河口飛行場を奪回せよ ! 」 車 3 コ中隊 , 一式砲戦車 1 コ中隊 ( 実際にはわずかしか この作戦が発動されたのは , 日本の敗北より 5 カ月証 配備されなかった ) と整備中隊であり , 戦車 73 輛 , 「い の 3 月 22 日のことであった。 すず」の九四式トラックを中心とする自動車 27 輛であっ 作戦部隊は 800 も西進する。 800 といえば新幹線で 東京から広島県福山までの距離である。 0 また偵察に使う捜索隊は戦車連隊とは逆に軽戦車が多 「酒を配る。各班ごとにとりに く , 九五式軽戦車 2 コ中隊 , 九七式中戦車 1 コ中隊 , 乗 出撃の前夜は盛大な出陣式が行われた。富士山の山 車歩兵 1 コ中隊 , 整備 1 コ中隊という編成であった。南 にある少年戦車兵学校を卒業したばかりの紅顔の少年兵 方の戦線では戦車が不足しているというのに , 軽装備の も , 慣れぬ酒を口の中に流し込む。 中国軍相手に貴重な戦車を投入するのはもったいないよ 途中の町々には壁に大きく「徹底的抗日 ! 」というポ : うな気もする。しかし戦車を使えば歩兵の出血が少くて スターが貼られており , あくまで日本軍に抵抗しようと すむし , 作戦も早く完了するから , 中国大陸に戦車第 3 する中国軍の心意気がヒソヒシと感じられた。 師団がとどめておかれたのであろう。 さて , 戦車第 3 師団は出撃してみると , 道がアメリカ 揚子江と北の黄河との間に河南省がある。同地の葉県 軍戦闘機の爆撃で 20 おきに大穴を開けられているのに にあった戦車第 3 師団は , 1945 年 ( 昭和 20 年 ) 3 月はじ 気づいた。戦闘機でも P ー 51 は 450 ん 9 爆弾 2 発ー一九七丸 め , いよいよ進撃を開始 , キャタヒ。ラの轟音はあたりに 軽爆撃機の 2 倍以上ーーーを抱き , 爆撃機としても使用で こだました。 きたからだ。 このころ , 日本軍はすでにルソン島 ( フィリヒ。ン ) で 九七式中戦車はちょっと走ってはまた工兵隊をよんで 敗北 , 沖縄に上陸される直前だった。中国方面へもイン 大穴に板をかけてもらい , 再びェンジンをかけるという ド経由でアメリカ本土からおびただしい軍需品が到着 , めんどうな進軍をくり返さなければならなかった。 GMC の大型トラックで前線に運ばれていた。それまで 戦車第 3 師団は敵をあざむくため , はじめはわざと方 のカーチス P ー 40 のみならず , 数カ月前からは新型のノ 向を偽って走り , 途中から反転した。 100
四 40 年 5 月ロ ~ 図日頃、セダン付近のミューズ川を渡渉中の S d k f z. 2 引 A 装甲兵車。第一機甲師団第一自動車化 連隊第一大隊の本部車輛で、車体後部に所属マークと標識をつけている。当時、本車のような専用の装甲兵車 を持っ機械化歩兵部隊はドイツ軍にのみ大量に存在したことが、初期の電撃戦に大きな効果を生んだ 立 4 詹 257 」 APC イ / 厖ム / 町 0 /. g /. , ム / ル〃 : な D ん . / ra ハ / んどんな」″ 7 イ / んはね 1. 炎上するヴァノー・レ・ダムの町の中を行く I 号戦車 A 型。 I 号戦車は、一連のドイツ戦 車の始祖ともいえるものだが、開発当初から 訓練用の目的を持っていたことからもわかる とおり決して実戦向きとはいえなかった。し かし戦いは勢いであり、同時にドイツ軍の卓 抜した作戦指導が I 号戦車にも活躍の場を与 えた。たが武装と防禦力が決定的に不足して いることは、この戦いでも実証された。後に 続くのはクルップ L 2 H 6 X 4 トラック。 たん雇 iv. / 山 0 / : 」〃ん & 、〃 / ん川″ g ん / ん 房な〃 g 帰〃 / / - / ハ記の〃い 73 / ん . ん .
昨年 9 月号でお伝えした対ヘリポーン演習でおなじみの 第 12 師団の戦車大隊が、昨年 10 月、富士演習場で射撃訓 練を行った。取材当日はあいにくの曇りで小雨もパラっ く天侯だったが、訓練は予定どおり行われ、この前後約 1 週間にわたって大隊全部のスケジュールが消化された。 射撃する第一および第 2 中隊の引式戦車。射撃準備状態のときは緑の旗を立て るが、射撃直前にこれを赤旗に代える。右側の車体は射撃のショックからピッ チングをしているのに注意 、ン 射撃を終了した第一中隊の引式戦車。車体後部には増加燃料タンク の取付具がみえるが、これをつけた田式の姿は珍しい。 ( 本来は常装 品 ) 。また砲塔上の砲手用ペリスコープには雨天用のフードがつけら れているのにう主意 T 、、 6 ー tank ( ) 「一 C,(). , ・ rain hOO(l mount on the ・ ance い「 gunnet ・ト perl.scope. 第 3 中隊の引式戦車。雨にぬれて黒光りする車体は、パレードのと きのウェット・ペイントの状態に比べてはるかに戦車らしいポリ ーム感がたたよう。左端は弾薬運搬用の 73 式大型トラック。
KLEIST PANZER GROÜP を第 グテーリアンが、その機甲師団群の創設にあた 0 て主力装備として期待したⅢ号戦車だ 0 たが、 1940 年 5 月の時点では、そ の数量は全軍でた 0 た 349 輛しかなく、しかもその備砲 3.7 戦車砲は、英仏の重戦車に対して全く無力であった。写真は 進撃する 2 輛のⅢ号戦車 E 型。後方にヘンシェル Typ33Dl 3t トラックがみえる。 40 年 5 月 ~ 6 月のフランダース・フランス戦、いわゆ クライスト機甲集団は、 1940 年 3 月、ポーランド作戦 るフランス侵攻作戦においてその主力となったゲルト・ において第 14 軍の予備となっていた第 22 歩兵軍団司令部 フォン・ルントシュテット上級大将指揮下の A 軍集団の をもとにして、ザールプリ、ツケンで編成された 中で、空前の大機甲部隊をもって進撃し、この戦いの勝 その兵力は第 19 機甲軍団の 3 コ機甲師団、 1 コ自動車 利の原動力となったクライスト機甲集団は、第 2 次大戦 化狙撃兵連隊。第 41 機甲軍団の 2 機甲師団、さらに集 の様相を第 1 次大戦とは決定的に変えるもとになった革 団予備である第 14 機甲軍団の 3 コ自動車化狙撃兵師団と 命的な戦闘集団であった。 いう、かってみない大きな機甲編合部隊であ。た。そし 今回は、このクライスト機甲集団の戦いのあとを、同 て、この部隊の指揮・統制のために設けられた機甲集団 集団司令部によって記録された戦闘日誌を中心に追って 司令部には、司令官エバルト・フォン・クライスト大将 みることにしたい 参謀長にはクルト・ツアイツラー大佐 ( 後に参謀総長 ) が任命され、その下に、作戦班、情報班、兵站班などが 配属され、さらに自動車化通信連隊、野戦郵便局および 機甲集団の編成