を、 0 夏を ハンツアー、カラー・ガイド 0 ァイーガー重戦車大隊のマーキング 原図・野原茂 後藤仁 を進めよう。 それでは , 各大隊ごとに話 いただければ幸いだ。 かいところも注意して読んで 戦車大隊 , 第 3 中隊所属の車輛 クルスク戦に参加した第 503 重 昨年 12 月号で , ティーガー I の塗装とマーキングをご 紹介したが , 今回は続編として , ティーガーを装備した 国防軍重戦車大隊のマーキングと砲塔ナンバーを総ナメ にしてみたい。 さて , つい最近まで , ティーガーの写真はかなり多く 発表されていても , 一部はっきりしたものを除いて所属 部隊はまったくわからないというのが現状だった。 こんな暗黒の世界に光明を与えてくれたのが , かの有 名なモーターフ・一フ社のティーガー I 戦史だ。この本の おかげで , 不明だった重戦車大隊や中隊が多くの写真と ともに解説され , かなりのことがわかるようになった。 このティーガー戦史に次いで発売となったポッデン社 のヴァッフェン・アーゼナルの新刊 , ティーガー I では 写真こそあまり新しくないものの , ティーガー戦史では 不明だった部隊のマーキングがすべてわかるという , れまた大変ありがたいものであった。 しかし残念なことにいずれもドイツ語の本で , 筆者ご ときにはとうぜん手に余り , 実につらく , やるせない日 々を送らざるをえなかった ! ? そこにまたまた光明 , アメリカでマニア向けに発刊さ れている A F V ニューズ , 1979 年 5 月号に , W. F . マー ー J r. 氏がティーガー戦史を要領よくまとめたもの が載せられ ( 海の向うでもドイツ語は障害なんだね ) , おかげでかなりのことがわかるようになったわけだ。 今回の解説は , これまでの通説とかなり異る部分もあ るが , これは上記 3 点の新資料をもとにしたためである。 ミこれはかなり正しい、と筆者は確信しているので , 細 106 ・陸軍第 501 重戦車大隊 1942 年 5 月 10 日 , ニアフルトで編成。同年 11 月 , 北ア フリカにティーガー 1 3 輛を第 1 陣として派遣し , 以後 第 1 , 2 中隊をもって 1943 年 5 月まで北アフリカで連合 軍と砲火を交えたが , 武運ったなく連合軍の前に敗れ , 両中隊とも壊滅した。 手足をもがれた第 501 重戦車大隊は , 同年 9 月 , 再び ティーガー I の配備を受け , 3 コ中隊 ( 各中隊は 14 輛 ) と本部に 3 輛 , 合計 45 輛のティーガー I を装備する重戦 車大隊として再編成された。この新生第 501 大隊は同年 末から , 東部戦線で強力なソ連軍と戦うことになる。 1944 年夏 , 同隊はティーガーⅡに装備を更新した。 1944 年 12 月 , 第 501 重戦車大隊から第 424 重戦車大隊 と名前を改め , 第 24 機甲軍団の直轄部隊として戦闘を続 けたが , 1945 年 , ソ連軍の前に全滅した。 さて , 第 501 重戦車大隊のマーキングはおなじみの虎 をモチーフとしたもので , 赤または黒で描かれていた。 北アフリカ当時は車体前面にこのマークを描き , 砲塔 には白フチつきの赤で 3 ケタのナンパーが記入されてい たが , 規定から外れたナン / くリングで判読は困難だ。 その後東部戦線で闘うようになってからは写真がほと んどなく ( 1 枚あるが , 特殊な冬期迷彩 ) , マーキング , 砲塔ナンノく一ともに不明だ。 ティーガーⅡでは , 虎のマーキングがなくなったよう で , 砲塔ナンパーは白フチつきの黒になっている。 また第 501 重戦車大隊が再編成されたとき , 本部車裲 には I , Ⅱ , Ⅲのナン , く一が記入されていたようなの
のかな ? などと考えていたのだから , いやはやなんと で , 以後ティーガーⅡのときにもこのナンーがついて もいいかげんなものである。 いたと思っていいだろう。 余談になるが , 戦争もここらへんまでくると , 破壊さ ・陸軍第 502 重戦車大隊 れたティーガーの代りなどほとんどなくなり , この第 511 1942 年 5 月編成。同年 8 月 , 実戦テストをかねて , 第 重戦車大隊などは , 1945 年 2 月末の時点で 2 コ中隊の編 1 中隊がレニングラート付近のムガに送られて戦闘を経 成となり , ティーガーを装備するのは第 2 中隊のみで , 験したが , このときは地形の悪さ ( 戦場選びのマズさ ) 第 1 中隊はなんとヘッツアーが配備されていた。これが もあってさんざんの目に会ってしまった。これがティー ガー I の初陣である。このときはラドガ湖付近の戦闘で 戦争の実態で , 机上の編成表など役に立たなくなってい 出動した 4 輛のうち 3 輛が対戦車砲で失われた。 たことがおわかりになるだろう。 以後 , 同隊は東部戦線を転戦するが , 1942 年末 , ティ さて , 第 502 重戦車大隊のマーキングは , これまた有 名なマンモスのマークで , 赤または黒で車体前面右側に ーーガー I からティーガーⅡに装備を変えている。 描かれていた。このマークは , 1943 年末または翌 44 年初 さらに 1945 年 1 月 , 第 502 重戦車大隊は第 511 重戦車大 隊と改称された。 頭ごろまで確認できるが , その後は不明で , おそらく第 501 同様廃止されたのではないだろうか。 これまでの解説では , 第 511 重戦車大隊は大戦末期に またこのころの砲塔ナンバーは黒で , 3 ケタを使用し 編成された新しい部隊となっていたが , 事実はかくのご ていたが , 第 3 中隊はやや特殊な字体を使用し , 車体側 とくである。筆者も今回この原稿を書くために調べるま 面にも同じ数字が記されているのが変わっている。 で , 第 511 重戦車大隊のマキングはなんでわからない 可”ー - 三翩 0 盟 第川 0 0 0 0 0 0 陸軍第 501 重戦車大隊 三 1410 北アフリカに派遣された第 501 重戦車大隊第 1 中撃。 ナンパーは白フチっきの赤 、 313 + 新装備 , 501 大隊のティーガ ーⅡ。ナンパーは白フチの黒 0 クルスク戦ころの第 502 重戦車大隊。ナンバーが 車体側面にも記入されて いる。色は黒 107
デ当 1 ! 0 1944 年末の第 503 大隊第 3 中隊。断定はできない が , このころの砲塔ナン バーは第 2 中隊が白フチ っきの赤 , 第 3 中隊が白 フチっきの黒 ( 第 1 中隊 は不明 ) のように思える 新 4 誉 0 陸軍第 504 重戦車大隊 02 〇 もしかしたらこの車輛が重戦 車連隊べーケ所属車かもしれ ない。ナンバーは白フチの み。この白フチのみのナンバ ーはかなリ見うけられる 1943 年末から 44 年にかけて再編成 された後の第 504 重戦車大隊所属 車。ナンバーは黒フチっき白 師団に派遣された第 504 重戦車大隊の第 2 中隊のことが 砲塔ナンパーは , 初期には黒フチつぎの白字で 3 ケタ のナン / く一を記入していたが , チタデレ作戦のころには 誤って伝えられたものである ! 北アフリカ , シシリーで壊滅的な打撃を受けた同大隊 白フチっきの黒字にかわり , 重戦車大隊べーケに派遣さ は , 1943 年 ~ 44 年の冬の間にオランダで再編成された。 れたティーガー I には , 白フチだけで数字が 1 字だけ書 そして , 1944 年 6 月に再びイタリア戦線に投入され , かれていたようだが , これはあくまでも推定だ。 1945 年 , 連合軍に投降した。 またティーガーⅡでは , ノルマンディ戦 , プタベスト 侵攻時ともに白フチっきの赤のようだが , 例の有名なフ・ 大隊のマーキングは , 戦車を表すヒシ型の戦術マーク の中にたいまつを描いたもので , 色はグリーンのようだ。 タベスト侵攻時の第 3 中隊長 , フロンメ大尉搭乗の 300 残念ながら , このマークの車輛もみたことがない 号車のナン / く一など , どうみても白フチっきの黒としか 北アフリカで闘った第一中隊の砲塔ナン , く一は , 断定 みえない。 できる写真がないために不明ナ効 ; , 第 501 重戦車大隊と ・陸軍第 504 重戦車大隊 同様のナンノく一をつけていたと推定される。 1943 年 2 月 , グロースロームで編成。翌 3 月には第 1 同様に , ヘルマン・ゲーリンク機甲師団に派遣されて 中隊が北アフリカに派遣され , 第 501 重戦車大隊の第 1 , いたティーガー I の砲塔ナン / く一も不明だ。 こで壊滅した。 第 2 中隊とともに戦闘に参加したが , 1943 年から 44 年にかけて再編成されたときの砲塔ナン 第 2 中隊は , 1943 年 7 月にヘルマン・ゲーリンク機甲 師団に派遣され , シシリー島の防衛にあたった。このと ーは , 黒フチっきの白字で , 中隊を示す最初の数字が 大きく , うしろの 2 ケタはその半分ぐらいの大きさで , き , 同中隊はティーガー 17 輛を装備していたが , 連合軍 しかも頭合わせという特徴あるものだ。 の攻勢に 14 輛が破壊され , 第輛しか残らなかった。 中隊長車は 18 , 28 , 300 番を記入していたが , 大隊 これまで , ヘルマン・ゲーリンク師団はティーガーを ( つづく ) 装備していたというのが通説になっていたが , これは同 本部車輛のナンノく一はまだわからない。 1 1 0 0
そして , 1944 年 4 月ごろまで東部戦線にあったが , そ また 1943 年秋の第 1 中隊の車輛では , 砲塔ナンノく一が 白で記入されており , ここらへんも不可解だ。さらに の後フランスに送られ , 連合軍フランス上陸後の 1944 年 1944 年秋に撮影された写真では , 砲塔ナン / く一は白フチ 6 月 11 日から 17 日にかけて , ティーガーⅡを 12 輛受領し た。ティーガーⅡは第 1 中隊に配属され , 第 2 , 第 3 中 つきの赤となっており , これが第 1 , 第 3 中隊で確認で きるためおそらく 1944 年のスタンダードと考えられる。 隊はそれまでどおりのティーガー I という混成装備をと ・陸軍第 503 重戦車大隊 っていた ( なお , ティーガーⅡの配備はこの第 503 重戦 1942 年 5 月 , ノイルッヒ。ンで編成された。 車大隊が最初である ) 。 東部戦線で闘い , チタデレ作戦にも参加した 。 1944 年 そして 8 月には全中隊がティーガーⅡに変わり , 強力 はじめに重戦車連隊べーケに少数のティーガー I を分派 な重戦車大隊として連合軍と闘った。 している ( これについては後述 ) 。 ノルマンディ戦終了後は本国にもどり , 再装備が行わ 0 0 陸軍第 502 重戦車大隊 1943 年 1 1 月ころの第 502 大 隊。ナンパーは白字となっ ているが , 大隊や中隊レベ ルで統一されていたかとう かは不明 1944 年ころの第 502 大隊。ナン パーは白フチっ きの赤になった 0 陸軍第 503 重戦車大隊 同しく 1944 年ころ の第 502 大隊のテ ィーガー後期型 第 503 重戦車大隊の砲塔 ナンパーは , 1943 年はじ めころ , このように黒フ チっきの白たったようた 0 108
、凵町川 " ドヤ州卩、いい・凵卩ヨ - 、 可ー - 三 0 懃 のべーシ クルスク戦ころの第 503 重戦車 大隊は白フチっきの黒になった 0 0 4 第 503 大隊がはしめてティー ガーⅡを装備したころ。砲培 ナンパーは白フチっきの黒 軍と闘ったが , これも壊滅してしまった。 れ , 同年 10 月 , こんどはフ・タベスト侵攻に加わった。 第 503 重戦車大隊は , 黒と黄で虎の横顔を描いている 1945 年 1 月 , 第 503 重戦車大隊は壊滅した第 60 装甲擲 が , はたしてティーガー I にこのマークがつけられてい 騨兵師団フェルドへーン・ハーレの兵員とともに , 重戦 たかどうかは不明だ。筆者はおそらくなかったのでは , 車大隊フェルドへーン・ハーレを新設し , 第 503 重戦車 大隊の名前は戦史から消えた。大隊はハンガリーでソ連 と思っている。 国産・輸入 N ゲージ専門 西荻第 1 店 西荻第 2 店 吉祥寺店 プラマニア 必見を プラモデノレ・ プラモデル・ N ゲージ この完璧な品ぞろえ / この圧倒的な在庫 / この優秀な作品群 / マニアのあなたまず来て下さい ナカマ模型はお待ちします ナカマ模型 吉祥寺店 422 ー幻ト・訂 近 鉄 @交番冖 至吉祥寺 定休日 / 毎週火曜日ナカマオ莫型都杉並区西荻北 4 ー 18 ー 9 コ凵凵凵 1--14\ 交番⑧ 井草八幡 番ナカマ模型 西荻第 2 店ナカマ模型 西北 03 ー : 3 35 西荻第 1 : 店 荻ロ 至新宿 女子大通り ミ日市 西 友 北ロ 至新宿 吉祥寺 中央線 109
PANZER バックナンバー ぐ 97 ・ 11 月号〉 特集 : M113A1 装甲兵員輸送車す 34 / 8 こと改造まロ絵 : 日 v. 206 雪 上汎用車 AMX30 53 年度富士尖カ演習イギリスの巡航戦車本文 : イタリア機甲師団 く 197 ・ 12 月号〉 特集 : 1980 年代の MBT 九五式軽戦車ロ絵 : 各地の自衛隊イギリ ス陸第の装橋ソ連の装第装甲車本文 : 戦車はミサイルにどう対抗す るかポーランドの豆戦車 く 197 ・ 1 月号〉 62 柄 特集 : ドイツ連邦共和国陸重九五式軽戦車ロ絵 : 世界の M ー C V 題名のない写資集ヘッツアー写真集カラー折込 : SCkfz. ア牽引車 本文 : キャタピラの幅と接地圧 く 197 ・ 2 月号 > 特集 : ソビエトの装甲送車イギリス第 79 機甲師団ロ絵 : 西欧側の 対空自走砲 M48 写真集 K V— I 第戦車本文 : 西ドイツの 57 第砲護 戦車 BMP 歩兵戦罌車 く 197 ・ 3 月号〉 68 円 特集 : ソビエト地上第ドイツ対空戦車ロ絵 : 60 式 106 自走無反動砲 イギリス・ライン第の演習 M 2 / M 3 / M 5 軽戦車本文 : 80 年代 戦車のめざすもの く 1979 年・ 4 月号〉 特集 : FV432 シリーズドイツ第ど機甲師団ロ絵 : XM 一 1 試作車 CLGP カッパーヘッドイギリス砲兵隊の装第 2 次大戦のアメ リカ装第装甲車本文 : 中国人民解放軍 く 1979 年・ 5 月号 > 6 特集 : ワルシャワ条約統一第ドイツ田号戦車ロ絵 : AMX30 のファ ミリーモワク社の装甲戦闘車第海兵隊の M48A 3 第 2 次大戦のイ ギリス対空戦車 く 1979 年・ 6 月号〉 6 円 特集 : 今日のアメリカ陸第 ( 1 ) ドイツ突撃砲ロ絵 : 第 12 師団創立記 念祭の車第アメリカ陸の現用車日本陸重九セ式軽装甲車ソビ 工ト戦まインアクション く 1979 年・ 7 月号〉 6 特集 : S い v .103 戦車クルスクの戦い口絵 : 第 6 師団の創立記念祭 東富士の海兵隊キャンプ公最近のスイス陸軍第 2 次大戦のイギリ ス装甲車本文 : 日本陸重の装甲列車 く 1979 年・ 8 月号 > 特集 : アメリカ陸軍 ( 2 ) 逐戦車ヤークトパンターロ絵 : 北ヨーロ ッパの雪上車齲北アフリカのイタリア第車本文 : アメリカ陸第装 催車データ表油気圧式サスペンションは ? く 1979 年・ 9 月号 > 620 円 特集 : 装甲偵察車ルクスパットンとアメリ第、力ラースペシャ ル : 陸自第 12 師団の立体演習部隊配催されたノオバルト 2 ロ絵 : 60A 1 のディテールイギリス工兵隊の装物車 く 197 ・ 10 月号〉 6 特集 : アメリカ陸戦車Ⅳ号戦車短砲身シリーズカラースペシャ ル : 最近のカナダ第 AFV 第 10 師団の夜置演習ロ絵 : LVT—7/*' LVT—öフランスの装第装甲車 く 19 / ・ 11 月号〉 6 特集 : アメリカ陸第の戦術 M 3 ハーフトラックカラースペシャル : 活躍するチーフテン戦車ロ絵 : レオノヾルト戦車の歩み世界の現用砲 車日本陸三式中戦車本文 : 74 式戦車のマーキング く 1979 年・ 12 月号 > 620 円 特集 : イギリス陸第 3 ハーフトラックカラースペシャル : 自衛隊 中央観閲式 . アリソナで訓する海兵隊ロ絵 : ドイツ A FV アルお、 フランスのシャール日 1 本文 : タイガー I の装とマーキングい ぐ 980 年・ 1 月号 >, 640 円 特集 : 戦車世界地図歩兵物マチルダカラースペシャル : 74 式戦車 第 8 師団の自衛隊記念日折込 : 74 式戦車の内部機構ロ絵 : 西ドイツ の装甲車物ベトナムにおけるアメリカ軍尖器 く 1980 年・ 2 月号 > 640 円 特集 : アメリカの M ICV クライスト機甲集団カラースペシャル : 第 12 戦車大隊の射撃訓繰西ドイツ陸軍のレオバルト 1 フ 4 式自走 105m Ⅲ 榴弾砲ロ絵 : 対空砲車ゲパルト / チータ - 一 戦う機甲集団 ここに紹介していない号は在庫しておりません。 く 197 ・ 11 月号〉 特集 : V 1 シェリ・ダン債察戦車パレンタイン歩兵戦車ドイツ N し . Fz. 多砲戦車フォックス装甲債察車カラー図 : ノヾレンタイン戦車シ リーズ く 1977 年・ 2 月号〉 5 特集 : リ 48 パットン中戦車特ニ式内火艇カラー図 : 特ニ式内火艇 ロ絵 : VI 74 : 対空自走ドイツⅡ , ーⅣ号戦車ドイツ A F V アル バム II 号突砲 く 1977 年・ 3 月号〉 特集 : レオパルト I 大転前半のイギリス巡航戦車カラー図 : イギリ ス巡航車こ絵 : 九三二軽戦車レオハルト A ドイツ田号戦車本 文 : 対空人器の発違 く 1977 年・ 6 月号 > 5 特第 : アメリカ自走砲ドイツ軽戦車ルクスカラー図 : Ⅱ号察戦車 ルクスこ絵 : 橋載車 : 世界の工兵用車日本の自走砲対 空久基の発違 く 1977 年・ 7 月号〉宿 53 眄 い ( ソー三・逐ま大戦後半のイギリス巡航戦車カラー図 : 特集 イギリス巡猷産匚竓 : 対空載車ゲハルト本文 : チェコ陸第戦車小 史世界の工兵車 く 19 ル・ 11 月号〉 55 眄 特集 : 6 ・式戦車 , : : き第まシリーズロ絵 : ビカーズく . 1 / M K. 3 VTF ーア水陸生らを 0 スイス陸の機甲部隊イギリスの特 戦ま く 19 〃年・ 12 月号〉 55 特集 : アラブの陸第ドイツ逐戦車工レファントカラー図 : アラブ の車齣ロ絵 : ガマ・ご一トトラック陸上自衛隊観閲式カン ガルーの国のレオパルト く 197 ・ 2 月号 > 55 眄 特集 : フランス AMX ー軽車ナスホルン / フンメルカラー図 : ナスホルン / フンメルロ絵 : V 60 F V 622 アルピス・ストールワー ト本文 : フランス第の題点 く 197 晦・ 3 月号 > 55 眄 特集 : A F 0 マルダーリ 3 / リう軽戦車カラーピンアップ : M60 A ・ 1 匚絵 : スコービオン戦車ベトナムにおけるアメリカ重現代の スエーデン陸第 く 197 ・ 4 月号〉 55 眄 特集 : 74 まドイツ引車カラーピンアップ : フ 4 式戦車ロ絵 : ベトナムにおけるアメリカ 61 式戦車の速彩塗装イギリスの特戦 ま本文 : べールをぬいだ 7 ー 72 く 197 ・ 5 月号 > 55 眄 特集 : な式ま大前のソビエト戦車カラー図 : 74 式戦車ロ絵 : XV ・ 1 実用化へ近すくストライカードイツ第に使われたフランス車 本文 : = 陸産、 - ソ A く 197 師・ 6 月号〉 55 特集 : センテニリ方ンまドイツⅣ号 H / 型ロ絵 : 富士教導戦 東大隊のマーキングフランスの AML パナール丁 62 戦車朝静にお けるアメリカを 57 く 197 ・ 7 月号〉 特集 : AVX—ー CP 大戦前のソビエト戦車カラー析込 : チーフテ ン、二 / センチュリオン V<. 13 ロ絵 : チームスピリット 1978 最近 のチーフテン A F V マニアのウォーゲーム く 197 ・ 8 月号〉 5 印円 特集 . 4 リ X30 の最辷の発製型ドイツⅣ号駆逐戦車ロ絵 : ソピエト の戦まドイツ F しアルバム 1940 年代のイギリス第戦車本文 : マルダー く 197 晦・ 9 月号〉 5 印円 特集 : 第 4 動争における戦車 I 号戦車の改造車ロ絵 . 第ア師団の開時祭イタリアのカルロ・ペローチェ本文 : イスラエル のメルカバを新を く 197 ・ 10 月号〉 550 円 特集 : 第 4 次中東載争における戦車丁 34 / 76 中戦車ロ絵 : イギ リスの装鶲装甲まパ、ノトンミュージアムで米独戦車戦九セ式中車 本文 : S S 第「機手立 ・上記のツツナンおトをを第盟の方は第に要望の号数を明記しを金書を定小為に 0 ド 、 = ざいは = ま物 = ゑ解円贇第妻部円すす第なおツツ十ッパ、は約購読矚いに朝なりはぜん ; ■、を ・ので . 両方 = を時に年心 = 込を五どきは海文書第・なををの、を注文卞さ、、・、 5 サンテーアート社パンツア・パックナンパー係〒川 2 東京都千代田区飯田橋 4 , 4 - ・ 5 ポンビアンハイツ 702 号
は , 第 11 機甲師団の主力とともにこの反撃を撃退するた と対戦した。同旅団の対戦車砲小隊は , 1000 川から 37E めに進撃を中止せざるを得なかった。 対戦車砲で射撃したが , これらを撃破することはできな ドゥプノ地区に投入された第 8 機械化軍団は , 右興に かった。 第 34 戦車師団を , 左翼には第 12 戦車師団を 2 ( ) にわたっ しかし , ドゥプノ地区で包囲された第 11 および第 16 機 て展開させていた。さらに第 7 機械化師団が第 12 戦車師 甲師団は , 第 16 自動車化旅団の奮闘で包囲網から救出さ 団の左興に進出する予定で集結地に急行していた。しか れ , ソ連軍の反撃はかろうじて撃退された。そして新し し , 第 8 機械化軍団の攻撃開始の地点は , その前面に湖 く戦線に投入された第 16 自動車化師団と , 解放された部 沼の多いスノヌフカ川があるなど , 機甲部隊の展開には 隊は再び第 48 機甲軍団の主力として撤退する南西方面軍 不適当な地域で , このために 第 1 機甲集団の主な部隊指揮官ー 1941 年 4 月 ~ 9 月一 26 日 ( ) 900 に行われた戦車部隊 による攻撃は不成功におわっ - 集団司令官ェルト・フォン・クライスト上級大将 ( 騎 ) た。だがさらに攻撃を続けて 第 3 機甲軍団長ェアハルト・フォン・マッケンゼン大将 ( 騎 ) スノヌフカ川の対岸に橋頭堡 第 14 機甲軍団長グスタフ・フォン・ヴィータースハイム大将 ( 歩 ) を確保した。 第 41 機甲軍団長ゲオルク・ハンス・ライン , 、ルト大将 ( 甲 ) その後この部隊はさらに 20 第 48 機甲軍団長ヴェルナー・ケンプフ大将 ( 甲 ) も進出し , 第 48 機甲軍団の 第 11 歩兵車団長ョアヒム・フォン・コルッフライシュ大将 ( 歩 ) 後方に反撃を加え , 続いて 27 第 29 歩兵軍団長・ , 、ンス・フォン・オプストフェルダー大将 ( 歩 ) 日早朝から再攻撃を行って , 第 5 機甲師団長フランツ・フェーン少将 ( 騎 ) 翌 28 日までの間に , 第 16 機甲 第 9 機甲師団長アルフレ - ート・フービキ中将 ( 甲 ) 第 11 機甲師団長ルードヴィヒ・クリューベル少将 ( 甲 ) 師団 , 第 111 師団および第 75 第 13 機甲師団長フォン・ロートキルヒ・ウント・パンテン少将 ( 甲 ) 師団の一部に大打撃を与え 第 14 機甲師団長フリートリヒ・キューン少将 ( 甲 ) 第 16 機甲師団長・ , 、ンス・フーベ中将 ( 甲 ) タラカノフ付近では , 第 48 第 16 自動車化師団長ヴェルデアー・ヘンリーキ少将 ( 歩 ) 機甲軍団の第 448 通信大隊お 第 25 自動車化師団長 ェーーリヒ・クレスナー中将 ( 歩 ) よび第 448 新重大隊の一部が 第 6 ( ) 自動車化師団長 ェーベルハルト中将 ( 歩 ) 撃破され , さらにウェルノ : ・ 第 44 師団長フリートリヒ ・ジーーベルト中将 ( 歩 ) カーミエンナ付近では , 第 16 第 57 師団長オスカーー プリュム中将 ( 歩 ) 機甲師団司令部 , 第 2 戦車連 第 75 師団長ェルンスト・ハンマ中将 ( 歩 ) 隊および第 16 自動車化偵察大 第 111 師団長オット ーータップ中将 ( 歩 ) シュ 第 294 師団長ヨハネス・プロッ少将 ( 歩 ) 隊などが包囲されるという危 第 298 師団長グレスマーー少将 ( 当県 ) 機が訪れた。 第 299 師団長ヴィリーー・モーゼル中将 ( 歩 ) この攻撃にソ連軍は , KB 第 4 山岳兵師団長カール・エルゲルゼーレ少将 ( 山 ) Ⅱ A 重戦車および T34 / 76 中 s s ヴィーーキング自動車化師団長フェリクス・シュタイナー中将 ( S S ) 戦車を投入し , スノヌフカ川 s s L A H 自動車化旅団長ゼップ・ディ - ートリヒ少将 ( S S ) の戦闘では第 16 自動車化旅団 G D 自動車化連隊長フォン・シュトクハウゼン大佐 ( 歩 ) がソ連第 12 戦車師団の先遣部 ヘルマン・ゲーリンク高射砲連隊長ゲルハルト・コンラート大佐 ( 空 ) 隊に接触したとき , この戦車 194 1 年 6 月 22 日 , ド イツ軍は 1700 にわ たる国境を越えてい っせいにソ連国内に なたれこんた
撃破されたソ連軍の T34 / 76A 戦車。この戦車の存在はドイツ軍にとって 驚異てあリ , 事実この後 , ドイツ機甲部隊の頭痛のタネとなった チエプジェシン地区に配置されていたが , 後退するソ連 ・ゲーリンク空軍高射砲連隊の一部 , ロケット砲連隊お 第 4 および第 8 機械化軍団を追撃するために戦線に投入 よび独立第 651 戦闘工兵大隊などがつけられ , さらにジ され , プースクーテルノボリの線まで進出した。その後 ール方面に対する行動を起こしたときに , SSLA トミ 軍団は前進方向を東北に変更して , 第 48 機甲軍団の前進 H 自動車化旅団の増援を受けることになっていた。 を支援するためにル , く一ルに進出し , さらに東方に旋 すなわち , 両翼に機甲師団を配し , 中央に各種の機動 してスターリン防衛線を突破 , ソ連第 4 , 第 8 機械化軍 兵力を集中して , 打撃力を誇る機械化突撃隊ともいえる 団の背後にまわることになった。 隊形を組んだわけである。 国境会戦において , その突破に大きな役割を果たした 7 月 2 日 , 軍団は 3 つの突進軸を並列に配置して , 3 第 48 機甲軍団は , 右翼に第 16 機甲師団 , 左翼に第 11 機甲 つの攻撃路をおのおのが前進することを命じた。しかし , 師団 , 中央に第 16 自動車化師団を配置し , とくに第 11 機 進撃開始後間もなくは順調に進んだが , ほどなく激しい 甲師団の後方には , 独立第 670 駆逐戦車大隊 , ヘルマン 雨となり , このため第 11 機甲師団を除いては予定されて 宀・ゝ一、づ ロシア農民から様子 を聞く Sdkfz. 251 装甲車に乗った偵察 隊員。作戦当初 , 住 民は協力的だった が , ドイツはその処 置を誤った 55
屋外展示場には世界各国から集 められた戦車がならぶ。 4.7c 宿 砲搭載 0 新砲塔九七式中戦車ド第、、 0 、 . ( 右 ) とイギリスの軽戦車 Mk. Ⅵ、、。 で , またもとの位置へもどるだけで 大変だ。 建物のらしろへ出て , 私は一瞬息 をのんだ。何十裲もの各国戦車がズ ラリと 2 列にならんでいるではない か ! まさに壮観の一語につきる。 とつぜん , 私は子供の手を引いた いやしくも戦車ファンなら , ト砲 ) も仲よくならんでいた。 で血圧や脈搏が上がるのは当殀だ 中年の中国女性に話しかけられた。 2 戦車の大群に息をのむ だが感動ばかりしてもいられない。、 見学者ではなく近所の住民らしい 早く仕事にかからなければ ! 「いや , この人は日本人なのよ。中 迫撃砲やロケットの一角がおわっ 最前列の向って右端 , つまりいち 国語じゃあわからないわ」事務員は て , 「さてどっちへ先に行こうか ? 」 ばん近いところは , 日本の九七式中 顔見知りらしく彼女にいう。中国女 と考えた。 性の顔に失望の色が浮かんだ。おか 戦車の 47m 砲装備の型である。これ 向って左には戦車があるし , 右に は一昨日 , ワシントンの海軍博物館 げでパンフレットの話も宙に浮いて は列車砲がある。忘れつぼい自分の でも見た。しかしアパディーンのも、 しまった。 ことだ。あとで行こうなどと思って 建物の右側には数門の迫撃砲がな のは不自然なカムフラージュ 忘れてはいけない。こう考えて私は えばビンクとプルーの一一一が塗って らんでいる。第 2 次大戦中のドイツ 数の少い展示場へ先に足を進めた。 のものや , 朝鮮戦争の中国軍のもの あり , 玩具のような感じがした。 うわさに聞くドイツの列車砲アン すぐお隣りがイギリスの重戦車 , もあった。いちばん左側にはチェコ ツイオ・アニーだ ! H 0 サイズの 模型はともかく , 実物にはまさに天 歩兵協力用のチャーチルだ。 のトラックがカチューシャ・ロケッ を指さすの感がある。あまり近寄る ト砲を乗せておいてある。私はもう 十二分に広い土地に 1 輛ずっ間隔 夢中だった。それでもはじめのうち とカメラからハミ出してしまうので をおいて配置してあるためか , さほ 少し歩いてはそのたびにファインダ ど大きな戦車という気もしない。狭 は , カメラにおさめた兵器の型式を ーをのそいた。まさに鋼製のかたま い屋内の博物館だったらまた感じ方 いちいちノートにとっておくノン気 さもあった。ごく簡単な説明ーー兵 も違うだろう。 りだ。 器の名称が立札となって書かれてい この戦車の配列は国別でもな 正確には , この列車砲 K-S E レ たからである。 く , 時代別でもなく , といってアト オポルドは博物館の敷地にあるので 変わったところでは , フィンラン はなく , 道の向う側ーーっまり戦車 ランダムにおいたわけでもない。 ド陸軍の迫撃砲 1953 年型の 16 型があ イツの戦車は中央に何輛もかたまっ 試験場の側にレールを敷き , 展示し った。どうしてアメリカにあるのだ ていたが , 日本のものはあちこちに てある。だから私はときたま現れる ろうと不思議に思う。丸い床板の迫 自動車にハネ飛ばされないよう , 注 1 輛ずつの差別待遇。マチルダはび 撃砲には , ひとつだけ立札がないも 意しなければならなかった。 どかった。キャタビラがすっかりな のもあった。 もうひとつ , 列車砲のような大型 くなっており , 対戦車砲にヤラれて おなじみドイツの 15 礪と 21 ネー トラックがある。アメリカの原子 ェンコしたときのような情ない姿で ベルベルファー ( 4 人で射つロケッ 砲 , M65 だ。なにしろ土地が広いの ある。 ゞい
こまて南下するとさすがにまわリには雪 ギリシア北部をアテネに向って進む第 2 機甲師団のⅢ号戦車 F 型 はない。砲塔上にも予備キャタビラーをのせているのは , これまての戦訓に対する処置てある 急行し , 奇襲をもって渡河 , 敵の反撃を排除してドゥプ 作業を行った。さらに軍団はソ連軍のトーチカ陣地を撃 ノに進出した。これによって , ソ連第 5 と第 6 軍の中間 破して突破口を拡大した。 に 50 のクサビを打込んだわけである。 さらに , 集団の左翼部隊として配置された第 48 機甲軍 一方 , ソ連車はくずれかかった防衛線を回復するため 団は , 第 57 と 75 両師団をもって攻撃開始と同時にプーク に , 第 11 機甲師団と軍団主力の連絡を遮断する反撃をは 川を渡り , 第 11 機甲師団の東方への突進を容易にするた じめた。この反撃はソ連第 26 軍から方面車予備となった めソカール地区に構築された無数のトーチカ群を白兵戦 第 8 機械化軍団を主力に , 第 9 および第 19 機械化軍団が で占領した。 協力した。この結果 , ドゥプノの付近 ( ルーック , ドゥ そしてケンプフ軍団長は , 奇襲による緒戦の戦果を利 プノ , フ・ロディの各地区 ) で激い戦車戦が 26 日から 29 日 用し , 第 11 機甲師団を 22 日 1200 , スチュロウェッェおよ までの 4 日間にわたって行われ , この間南方部戦域の主 びべレステッコ付近においてスール川の渡河点を占領 導権は一時敵の手に移ったが , 後続する第 14 機甲軍団の する任務を与えて発進させた。 第 16 機甲師団が第 11 機甲師団と連絡をつけることに成功 第 11 機甲師団は , 2300 にソ連第 6 軍の第 4 機械化軍団 したので , 第 11 機甲師団は包囲される危機をまぬがれる が配置されていたストヤノフの西方に進出した。この結 ことができた。 果 , 軍団は作戦第 1 日で頑強なトーチカ群で守られてい 開戦当時 , / : ルカン作戦による消耗のため , 機甲集団 たソ連軍のプーク川防衛線を突破して , 20 以上も進出 の予備となっていた第 14 機甲軍団は , 第 48 機甲軍団があ することができた。 けた突破口から逐次戦線に投入され , 第 16 機甲師団は , そして翌朝 , レンベルクに薄明攻撃を行って短時間の 第 11 機甲師団に続いてラジェホフ東方の森林地帯からド 戦闘でこれを攻略し , さらにラジェホフ付近で第 4 機械 ウフ・ノ地区に向って発進した。そして 26 日 183 ( ) にプラス 化軍団との間に , 第 48 機甲軍団としては初めての戦車戦 を展開し , 第 15 戦車連隊は第 71 高射砲大隊の支援を受け ツォ付近でスチール川を渡河し , ドゥプノ地区に進出し て , 約 6 時間半にわたる戦闘で 30 輛以ツのソ連戦車を撃 た。 だがソ連軍の反撃はなかなか頑強で , 第 16 機甲師団は 破した。 機甲集団の背後に反撃を行おうとする第 8 機械化軍団と ラジェホフの戦車戦ののち , 第 11 機甲師団は戦場の掃 遭遇して , 主力である第 2 戦車連隊と第 16 機甲偵察大隊 討を後続する第 57 師団にまかせてスチール川の渡河点に 50