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検索対象: PANZER(パンツァー) 1980年7月号
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1. PANZER(パンツァー) 1980年7月号

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2. PANZER(パンツァー) 1980年7月号

車がいちばん」という点が認 識され , 主力兵器の座からや や退いている。自走野砲の価 値も大いに認識されてしかる べきであったが , 第 2 次大戦 後の自走野砲開発史をみると 戦車はおろか , 対戦車自走砲 ほどの優先順位も与えられて いない。 これには 3 つの理由が考え られる。 ひとつは , 世界の大部分の 陸軍は , 自走野砲の真の価値 155E 自走榴弾砲 M41 は 60 輛が造られ , 戦後しばらく現役にあった を認識していなかったという かないから , いくつか特記に値するものについてのみ述 ことである。第 2 は , 認識していたとしても , 野砲の自 べる。ただこれらの自走砲が , 戦後世界の自走野砲の発 走化まで資金面で手がまわらなかったという点であり , 第 3 はそれに加えて戦車部隊の首脳部が , 砲を自走化 達に与えた影響は決して小さなものではない。 まず , 大戦中の 1943 年 , T64 155 簡自走榴弾砲という するくらいなら新しい戦車を造れと反対して実現しなか ったということである。第 3 の点は , 結局陸軍全体とし 型が試作された。これは M5 軽戦車の車体を延長したシ て火力の統合的 , 機動的運用という面をじゅうぶんに理 ャシー上に , MI 155 榴弾砲を搭載したものである。 試作だけで生産にはいたらなかったが , すぐあとに M24 解していなかったという事実の証明にすぎないから , つ 軽戦車の車体に同じ砲を載せた T64E 1 が造られ , M41 まるところ自走野砲の価値が認識されていたか否かの 2 として制式化された。当時 M5 軽戦車の生産はおわり , 点につきる。おそらくその両方であったろう。 代ってはるかに優秀で強力な M24 軽戦車が造られるころ 野砲自走化の利点を否定する者はいないだろうが , ほ だったから , これはとうぜんのことであろう。 んとうの価値を理解していなかったから , 資金不足とな M41 はその前に開発された M19 40E 連装対空自走砲 るとつい開発装備計画を削ってしまったのであろう。第 ( 試作名称 T65E1 ) と同様 , ェンジン・ルームを車体 2 次大戦直後の社会 , 経済情勢下ではやむを得なかった 前方に移し , 後部を搭載兵器用に解放したもので , T64 といえるかもしれない。 ここに 155E 榴弾砲を限定的な射界で搭載した。 アメリカだけは違っていた。違っていたというより E 1 は 砲側防禦を全くといってよいほど考慮していない , 完全 も , むしろ第 2 次大戦中に計画したものが戦後になって な間接火力支援用の自走砲であるが , 信頼性の高い車体 続々と実現化してきたといえるかもしれないが , 戦勝国 と火砲 , そして簡素な設計で , 幸にして成功した自走砲 の強味であると同時に , アメリカエ業力の底力をみせつ となっている。 けられる思いがする。 たださすがに M24 の車体だけで 155 榴弾砲の大きな アメリカが大戦中から戦争直後にかけて計画し , 生み 反動力は吸収し切れなかったらしく , 車体後部に駐鋤を 出した ( 大半は試作車 ) 自走砲の種類は膨大なものであ つけている。制式化と同時に生産が開始され , 陸軍機甲 る。これらについてひとつひとつ述べているわけには行 師団の支援火力装備として , 1950 年代なかごろまで , M44 M41 155 簡自走榴弾砲 155 新自走榴弾砲と交代され るまで使われた。しかも M44 と , M44 の準姉妹車的な M52 105E 自走榴弾砲とは , M41 とほぼ同一の基本設計で設計 されたものであり , 流れは現 在の M107 , M110 まで続いて いるのである。 また , 大戦後にもかかわら ず , アメリカが M41 を機甲師 99 0 大ん : 工

3. PANZER(パンツァー) 1980年7月号

歩兵の火力支援車輛から対戦車兵器へ変貌をとげた Ⅲ号突撃砲長砲身シリーズ 後藤仁カット : 浪江俊明 Ⅲ号突撃砲 0 まど、最初に計画 3 第た、運用自第実際ぎ : 0 ご房、ⅲ粤奐包の母体な→なⅢ号戦車い : ・の使われ方が異らた自。走瓰と第 ? 0 も・ず与 ' い、 。ら、はしめの考えでほ第歩兵隊の近接火な支、、、を→にぞ毳 ' 、 ' 、 例えば重防禦を施された敵の火あ破壊なが第 1 の目 食きにつ往、、、悪しきにつげ、、この変化はド彳ツ土業カ 的だ。たが、やがて敵のを車とう対戦車自走砲 ~ と発界を表わしていると。、えよう。 本来第らば , ヾンターが主力となるべきところを、生産 展した。 STUG Ⅲ LONG TUBE SERIES

4. PANZER(パンツァー) 1980年7月号

それも M 7 プリーストや M12 と同様 , 車体は自走砲型と全 く同じであった。 この車輛が 150 輛という , 輛の割で造られたという事実 は , やはり驚くに値すること であろう。ドイツが単なる一 時的な思いつきや , 野砲に足 をつければよいという考えだ けで , 間に合わせに自走砲を 造り上げたのではなく , 野砲 を自走化するということはど が必要なのかをわかった上で フンメルを造ったという証拠 M 5 A 1 軽戦車の車体に 155E 榴弾砲を搭載した T64 。 1943 年に完成した たアメリカの M12 , M40 と共通するところがある。設計 である。信頼性の高い車体を利用し , かっ主力戦車と共 の基本構想は , M12 / 40 と全く同一と考えてよい。オー 通の部品を使い , 大きさも手ごろということから , この フ。ントップではあるが , 厚さわずか 10 簡でも M12 や M40 弾薬運搬車は好評であったらしく , さらに内部を少し改 よりも高い前 , 側面の装甲防禦力を与えた点は , より秀 造して 105E 以下の野砲 , 自走野砲用の弾薬運搬車を生 産することも計画された。 1944 年 10 月から月産 6 輛の生 れた設計である。 砲については , 23.5 t の全備重量の車イ本に , 150E の 産計画が立てられていたが , 戦局の関係から実現にはい 榴弾砲では少しもったいない気がしないでもない。アメ たらなかったようである。 リカの M2 155 簡カノン砲ほどの大きな射程もないし , 前にも述べたが , ドイツの野砲自走化は各国の中でも 8 インチ榴弾砲ほどの大きな威力もないからである。反 比較的早く , またきわめて地についたものであった。戦 局の関係から , 大戦前半は戦車の生産に追われ , 後半は 面 , この車体の割に小口径の砲であったために , 車体後 面に駐鋤がなくてもすんでいる。おかげで操作上にめん 敵戦車を撃破するための駆逐戦車や対戦車自走砲の生産 に全力を注がなければならず , 自走野砲の開発生産が二 どうくささがなくなったということはいえるが , やはり の次になったのは残念なことであった。こうした制約の 砲の長射程と大破壊力は , 駐鋤がいるとかいらないなど 中でも , ドイツの自走砲は他の国に比べてはるかにツブ という小さな問題とは比較にならない , 大きな価値を持 のそろった陣容をなおかっ備えていたといえよう。そし つものである。したがって自走野砲という面から M12 , て , その中で最高峰に位置するのがフンメルであったと M40 とフンメルを比較した場合 , M12 , M40 の方が秀れ いっても過言ではない。 たものであった , といわざるを得ない。 自走野砲の威力を認識させたフンメルの役割は大き フンメルを性能がどうだったかということとは関係な い。フンメルのあとにグリレとよばれる何種類かの大口 く高く評価しなければならないのは , 比較的短かい期間 径自走野砲の系列が計画されたことをみても , フンメル のうちに 666 輛というまとまった数を生産した事実であ のドイツ陸軍に与えた影響が小さいものではなかったこ る。どんなに威力が大きく , 性能の高い兵器でも , 数が とがわかる。ただいかんせん東西から押しよせる敵に対 なくては意味を持たない。 666 輛では決して多いといえ 抗するのが精いつばいで , とても自走野砲を大量に装備 ないかも知れないが , やはりかなりの量である。フンメ ルの戦闘記録について , 筆者はほとんど知識を持ってい する余裕は持てなかった。考え方は秀れていたが , 敵が あまりに強大で , ドイツ 1 国ではとてもかなわなかった ないが , そうとうな威力を発揮したであろうことは想像 というのが実情であった。 に難くない。 フンメルについて , 記しておかなければいけないこと 5.9 アメリカの試み は , もうひとつある。それは , 弾薬運搬車が造られたこ こうして第 2 次大戦はおわった。 とである。 戦車は絶対的な地位を確保し , 筒時に戦車を撃破する フンメルのあの大きな車体に弾薬が 18 発しか搭載でき ための駆逐戦車や対戦車自走砲の必要性も認識された。 なかった , というのは少なすぎる気がするが , これをち もっとも対戦車自走砲はすぐに「戦車に対抗するには戦 ゃんと補うように弾薬運搬車が造られているのである。 98

5. PANZER(パンツァー) 1980年7月号

☆☆☆☆☆ M32 戦車回収車 ☆☆☆☆☆ ネルと組立てる。足まわりは可動部が多いので , 接着剤 今回はイタレリの新製品 , M32 戦車回収車である。 M の使い方には注意したい ( このキットには接着剤が入っ 32 は , M4 中戦車の車体を利用して造られた戦車回収車 で , 陸上自衛隊でもいまだに使用されている。 ていないので , 他のキットから持ってくるか , ラッカー さて , パッケージをみると , 完成した M32 の鮮明な力、 ・シンナーなどを使う ) 。 ラー写真に目を見張る。かなり細部まで手を加えてあり , スプロケットの歯とアイドラー・ホイールのシャフト 塗装も念入りにされ , とても参考になる。このキットは は , しつかりと接着し , じゅうぶんに乾燥させよう。 例によってモーターライズはされてはいず , 完全なディ の部分がいいかげんだとキャタビラを装着したときにポ ロッととれてしまう。イタレリの製品は , 毎度小さな , 、 スプレイキットとなっているため , よけいな穴や張り出 しがないのが非常にうれしい ーツまで部品化されているのはありがたいのだが , もう 少し強度を考えてほしい。サスペンションも細かな部分 パーツは濃いグリーンで整形されており , 150 を越え が多く , 可動するため , 組立にはじゅうぶん注意した方 る部品の数が精密さを表わしている。垂直渦巻スプリン がよい グの懸架装置をはじめ , 各種の工具類 , 装備品 , 車体前 部の迫撃砲や作業室の内部はきっちりとモールドされ , イ車体の下部がおわると , 工程は車体上部へと移るが , フロントのドライフ・・スプロケットは 2 種類の歯が選択 このとき車体上部をとりつける前に , 作業室の床面を塗 できるようになっている。 装しておくとよい。 車体上部はデリケートな部品が多いため , ランナーか また操縦手 , 前方銃手各ハッチが開閉どちらかに作れ らの切り離しはていねいに。接着のときも同様である。 ハッチ裏側のペリスコーフ。までモ るようになっており , ールドされている。キャタヒ。ラのできもよく , リンクの ライトのワクなどは接着面をきれにしておかないと , あ とでとれてしまうので気をつけること。それからとりつ 位置も正確に再現されている。 ドライプ・スフ。ロケッ け位置のはっきりしない場合は , 説明書の 4 面図やパッ 組立は車体下部からはじまり , ト , ロード・ホイール , アイドラー・ホイール , 後部ハ ケージの写真を参考にするのが便利だ。 部品の総数は 150 。モールドも シャープで , ぜ ひコレクション に加えたいキッ トミー / イタレリ・ 1 / 35 1 1 0

6. PANZER(パンツァー) 1980年7月号

A Guide to S. P. Gun Part 5 - ー自走式野砲の発達 自走砲 , 0 の 0 0 汜 江畑謙介 は使われなくなった ) のもととなった , ナースホルン 88 5 . 8 フンメル mm 対戦車自走砲と共通の車体 , 自走砲車 Geschützwagen Gw. Ⅲ / Ⅳフンメル 150E 自走榴弾砲 ( Sd. kfz. 165 ) に Ⅲ / Ⅳについてはここで記すことを避けるが , 1942 年と ついては , これまでに多くが語られてきたため , いまさ いう時期に主力戦車であるⅣ号戦車の車体を利用して , ら技術的な特徴に関して , 述べる必要はないだろう。た 自走砲のシャシーを造ったことは , 賢明な策であったと ドイツの自走野砲史上において , 特記に値する存在 同時に , 大きな決断でもあったといえよう。 1 輛でも戦 であり改めて意義について触れないわけには行かない。 車が欲しいとぎに , 戦車の生産を犠牲にしてまで火力支 第 2 次大戦中 , ドイツは多くの自走砲を開発 , 装備し 援用の車輛を造ろうとしたのである。それが結果的によ たが , 多くが対戦車自走砲に集中したのは , 戦場と戦局 かったか悪かったかについては , きわめて判断が難かし の関係からやむを得ないことであった。それでもなお , いが , 少くとも火力を機甲部隊の一員として , 大きな機 多 ~ が旧式または捕獲戦車を改造したものとはいえ , 自 動力を与えるという戦術的な見地からは秀れた方針であ 走野砲の種類の多さでは , 他の国からだんぜん抜きん出 る。 ているのである。 車体をナースホルンと共通化した点は , 155E カノン フンメル ( 1944 年 2 月からヒトラーの命によりこの名 砲と 8 インチ ( 203E ) 榴弾砲とを同じ砲架と車体に載せ 15c 加自走榴弾砲フンメル 0 0 0 0 0 、 0 K& 日 79 97

7. PANZER(パンツァー) 1980年7月号

今月のトピッワス スカントリーでは 45km/ h の高速で 走る X M ーが、なにかしら不思議な 魅力を持っているのも事実らしい。 走行中に照準器のクロスへアを目標 にピタリと合わせているだけで、射 距離やリード角などの必要なデータ がティスプレーに表示され、ボタン を押すだけで正確にタマが命中する 、感激、を味わった陸軍の関係者は、 口をそろえて「万難を排してモノに してみせる」と発言している。 G A O のように ソロ / ヾンだけで 採否を決めて行く態度に反発する軍 人の気持もわからないではない 運命の決断の日は、刻々と近づい てい名 / 火力演習の「富士教導団」とはどんな部隊か ? 今年も、恒例の富士総合火力演習 が、東富士演習場で行われた。、実戦、、 のもようは、先月号のカラーロ絵で たっふり味わっていただいたが、そ れはそれとして、展示を行った「富 士教導団」とはそもそもどんな部隊 なのか ? 富士教導団とは、その名のとおり ・「富士学校」に所属する「教導 ( 育 ) 部 隊」である。といってしまえばそれ までだが、要するに、ふだんは富士 学校の、、校長、この下にあって、教育 や訓練を行う部隊だ。 ( ちなみに 3 静岡県御殿場にある富 士学校は普、特、機、つまり陸上自 衛隊の中心である歩兵、、 , 砲兵、戦車 の 3 兵科の幹部、陸曹教育を行うと ともに、各種新装備の技術、部隊試・ - 験や、新しい戦法、戦術の研究を行 う学校である ) しかし、富士教導団の任務は、、、ふ だん、、の仕事にとどまらない。 というときには、真先に戦場に投入 される緊急増援部隊としての役目も 持っているのだ。ロコある普通の師 団が、方面隊の指揮下で守備地区を 受持ち、特定の区域にハリッケて使 われるのに対して、富士教導団は第 ー空挺団とならぶ遊撃部隊として、 いざというときには防衛庁長官の直 轄部隊となって、もこでも出動す る精鋭部隊、、なのである。 教導団は、団本部・・本部付隊のほ か、普通科教導連隊、特科教導隊、 戦車教導隊、第刪施設大隊で編成さ れ、兵員は 3000 名、普通科連隊を中 心にして組む連隊戦闘団をひとまわ 6 り大きくしたな = うな人数だが、実際 の戦力は旅団規模にせまり、きたえ ぬかれた実力を誇っている。 普通科教導連隊は 5 コ中隊編成で、 普通の師団 ( 甲、つまり 9000 人師団 ) の普通科連隊が 4 コ中隊編成なのに 比べて一コ多い。それだけではない 規模は小さいが装甲輸送隊 ( A P C 24 輛 ) を持ち、一コ中隊 200 名を車載 化できるのが強味である。 特科教導隊も強力だ。普通科連隊 中心の戦闘団にはい 05mm 榴弾砲大隊 ーコ ( 2 コま燧第物物予と。榴 弾叫中隊コ ( 4 門 ) がっくのが標 準だが、特科教導隊は田 5mm 榴弾砲が 3 コ中隊、計に門 ( 第一 ~ 3 中隊 ) ありい 55mm 榴弾砲は一コ中隊 ( 第 4 中隊 ) だが、 75 式自走砲で機械化さ れている こで、師 また、顰育部隊という 団のレベルに ( 己属されていない・估 5 mm カノン垉ご 203mm 榴弾砲を 2 門すっ 持ち、最新式の 75 式自走多連装 0mm ロケット弾発射機ーコ射撃隊 ( 3 輛 ) ・もある。 戦車教導隊も、連隊規模の戦力を 誇る。普通の戦車大隊は、師団 ( 甲 ) でも 60 輛、 4 コ中隊だが、戦車教導 隊は 5 コ中隊編成で、中隊もは兩多 い馬輛、合計は 79 輛になる。かなり 強力な部隊だ。 円 75 年 ( 昭和 50 年 ) 9 月、全国の 部隊に先がけて 74 式戦車が配備され たものこの部隊である。現在は 74 式、 引式、 M の 3 種類の戦車を持って いる つまり、「富士教導団」は強力な戦 車の打撃力を中心に、普通科、特科 を組合わせた、きわめて強力な実戦 部隊としての能力を持っていること になる。規模こそあまり大きくはな いが、これだけまとまった実 + を持 つ部隊は、他に第 7 師団しかみあた らない。それも戦車の数だけ比べれ は、教導団のほうが多いのだ でも、気になることがないわけで はない。 輸送能力の問題もあり、緊急の場 合に団としてまとまって投入される ケースはあまりなさそうでい実際に はバラバラの増援部隊になりかねな これでは、せつかくふだんいっ し、 しょに訓練を重ねたチームワークも、 あまり発揮できなくなる。 はた、先生が学校を放り出して打 って出るという心細さもある。 円 44 年、敗けが込んできたナチス・ ドイツが、第車学校の教官と生徒で 部隊を編成し、ンくンツアーレアー ( 戦 車教導師団 ) 0 ・どこてノルマンティ戦 に投入した話は有名だ。もう後がな い、背水の陣という意味に他ならな 、、頼もしい、ことではあるのかも しれないが・ ともあれ、教導な第 7 師団、 挺団とならぶ ' 、強い、、部隊だ。決し て展示演習用の部隊ではないのであ ( T )

8. PANZER(パンツァー) 1980年7月号

今月のトビッワス ール弾に耐え、床面は対人用地雷、 天井は砲弾の破片で破れることがな カナダが採用スイスの装輪装甲車ピラー いようになっている。 これは、装甲車としては最小限の 防弾といえるが、そのおかげで車体 は軽くでき、サスペンションは後輪 が独立懸架、前輪がウィッシュポー ンにコイルスプリングと、乗用車な いをい第。をみ みのよさを誇り、乗心地を非常によ いものにしている 車輪は、 4 コ、 6 コ、 8 コの 3 種 類の組合わせがあり、これらの全部 を駆動するようになっている。つま り、、、全、、輪駆動というわけで、水上 では 2 コのプロペラを使って走り、 N B C とェアコン装置を標準装備し ピラーニャ 4 X 4 4 輪駆動車で、標準のディーゼル・ G B D 工リコン製 25 の可包ターレット装備のピラーニャ 6 x 6 D 工ンジンのほかに幻 6 甲のガソリン・ ピラーニヤは、ドライバーを車体 ピラーニヤという耳新しい車輛フ 工ンジンも積める。武装には、ター ァミリーが、脚光を浴びている。 レット搭載の 20mm 砲、 7 .62mm 機銃が 前部の左側におき、うしろに開くハ ある。 スイスのユニークな軍用車輛メー ッチ・カバーには 3 コのペリスコー プがっく ( 中央の一コは夜間ビジョ カー、モワク社が、円 70 年代のはじ ピラーニャ 6 X 6 ン用に交することがそきる ) 。工ン めから自力で開発していた輸出用の 6 輪駆動車で、ターレット搭載の ピラーニャ装甲車ファミリーは、円 ジンはドライバーの右で、空気吸入 . 7mm 機銃、 G A D ー A O A 工リコン 75 年にカナダ陸軍が大量に採用する ・ロは車体上、排気ロは車体の右に設 製ターレットに搭載の 20mm 砲、 G B ことが決まって、世界をアッといわ D 工リコン製ターレットに搭載の 25 けている。 ーのため、後部のスペースは非常 せた。そのうえ、マレーシアやイン mm 砲のほか、同じくターレット搭載 の 30mm 砲や 5mm 砲、 76mm 砲、 90mm 対 ドネシアでも真剣に採用を検討して に広く、障害物がないものとなり、 多用途性を持 . たせることに大きく役 戦車砲などがあり、必要に応じては いるといわれ、ピラーニヤはいまや モワク社のホープになっている。 立った。車体全体は抗張カⅡ 0 ~ ロ 0 後部に田 mm 臼砲を装備することもで km / cm , の防弾鋼板で囲まれている。 ヒ。ラーニヤは、それまでの同社の きる。 装甲車の経験を生かして開発された 側面からならば N A T O の 7 .62mm ポ ピラーニャ 8 x 8 車輛ファミリーだ。車体の前後部、 ドア、ハッチ類、駆動装置、車輪、 テフ、サスペンション、ステアリン グ、プロペラなどをできるだけ共用 化したうえで、対戦車、貨物、指揮、 攵自ゞム宀 。、、 , ロ女維持、回収、偵察などの 幅広い任務を果たすことを狙ってい このような幅広さを狙うと、コス トが下がり、生産や維持が容易にな るというメリットがあるが、ヘタを するとどの用途にも中途半端なもの になってしまう恐れもある。逆にい えば、そこが開発する会社の腕の見 せどころとなるわけだ。 カナダ陸軍に採用された回収車型 、、 / 、スキ 4

9. PANZER(パンツァー) 1980年7月号

日 9 5 地中海方面における演 . 習 , においてビーチングした l_ s T から上陸し、 海岸を走る L V T P ー 7 両用兵車。浜辺にはクレーン車やドーサーも上 陸し、揚陸作業のための準備がすすんでいる。なお、 L_ v T p-7 は沖 合の L ST からも発進できる。 んレ TP-7 ロ m 〃わわ vehicles れ施 d 斤 om ん SI い We Mediterranean. 沖繩における演習に参加した M60A ー印 S E 。キャタピラは菱型のゴ ム・ , くッドをつけた T 図 2 をつけており、これは M 90 の、近代イと型 - A 3 の常装に予定されているコ 05 。。砲の基部に装声・された赤外線 / 白色 光投光器のとりつけ方と車内とのヨ外、類・の接続の様子がよくわか る・み、 - , 3 に ' ら -0 髢ごにばイ b がないようだ。後方には I_VTP ー 7 の部隊がラインアップしている。 沖繩における演習で海に入る L V T P ー 7 。本車は海上ばかりでなく、 河川や湖沼でももちろん行動でき、 こういう場合はより活動範囲の 広い APC としての機能を発揮する。これは LVT 「 , ー 6 をベトナム下往 った経験をとり入れたもので、その結果、本車は 90 年代まて : 就役す ることが予定されている。 んレ TP - 7 m 〃わ 0 わわ vehicle moves レ〃ね 5 可れ the 0 ん加ロ口梔ロ c ん ド : ウヤ , - 、にり第燾、・薹きド・ミを

10. PANZER(パンツァー) 1980年7月号

団に配備したという事実は , 陸軍が自走野砲の価値をよ トムとよばれたように兵士の間で使われた愛称である。 く認識していたことを裏づける。 5.10 大戦後のアメリカ自走砲 M24 の車体を利用した自走砲系列は数多く試作された が , そのうちで実用化にまでこぎつけた自走野砲となる 以後アメリカはを自走野砲の開発生産で独走態勢に入 る。実はフランスがささやかに , しかし着実な切り込み と , M41 の他には M37 105E 自走榴弾砲がある。 を図るのだが , これについては各国別の解説のときに触 T76 の試作名称で開発されたこの自走砲は , 車体こそ M24 軽戦車のものを使っているが , 全体的な配置 , 外観 れるとして , いまここでは現代自走砲の項に入る下準備 のため , 試作されはしたが実用化にいたらなかった第 2 は M 7 プリーストと酷似している。ェンジンの配置は M 次大戦直後のアメリカ自走野砲について簡単に触れてお 24 のままで , 車体後部におかれているところは M41 と違 う点である。 M7 と同様 , プリーストの名を生んだ円筒 くことにしよう。現代の自走砲の基礎を , この時代のア 型の機銃塔が車体前方右側に設けられているし , 戦闘室 メリカ自走砲が造った , といえなくもないためである。 戦車後進国だったアメリカが , 第 2 次大戦末に生んだ の両側に 105E 砲弾をならべているところも M 7 と同一 M24 軽戦車ジェネラル・チャフィーと M26 中戦車ジェネ である。ただし 105E 砲 ()2 ? ) に開脚はつけられて いなかったようである。 ラル・パーシングは , まさに希代の名花であった。こと 残念ながら正確な生産数が不明だが , M7 ほど車体が に M26 は , 戦後のアメリカ主力戦車の基底を築いたとい 大きくなかったことが災いしてか , 現役にとどまった期 ってよい 間は比較的短かく , M 7 がいまだ世界各国の陸軍で使わ しかし M26 が誕生するまで , アメリカは長く多くの試 れているのに対して , すっかり姿を消してしまった。こ 行を経験しなければならなかった。 M6 重戦車からはじ の他に砲だけを 4.2 インチ迫撃砲に変えた T38 , 155m 迫 まるアメリカ陸軍の重 / 中戦車計画は , 実に多くの技術 撃砲を搭載した T96 なども試作されたが , 生産にまでは 的な可能性を追求している。それだけに , ようやく生ま れた M26 はきわめて優秀であり , この車体や各構成部を いたらなかった。 使った自走砲が数多く試作されたとしても不思議ではな 補足的ながら , M41 はゴリラと通称されてはいるが , これはシャーマン ( 正しくはジェネラル・シャーマン ) やチャフィーのような正式名ではなく , M40 がロング・ M26 の試作名称は T26 で , 源をさかのぼると T20 系列 0 1 / 285 5 , 0 メタルミニチュア A ド 赴働娘①点① ・商品についてのご質間は直 接お店へお問い合せ下さい。 通販もどうぞ。 44 Ⅳ号 H 型戦車・ 300 45 ウイルベルウインド・・ 300 46 オストウインド・・ 300 47 Ⅳ号突撃砲戦車・ 300 48 プル乙べアー 300 49 Ⅳ号駆逐戦車・ 300 50 Ⅳ号戦車ラング・・ 300 51 Sd. kfz. 251 / D ハーフトラッワ・・ 300 52 Sd. kfz. 234 / 2 プーマ・ 300 53 Sd. kfz. 234 / 1 装甲車・ ・ \ 300 ソ ビエト R ー 1 T ー 34 / 76 中戦車・・ 2 T ー 34 / 85 中戦車・・ 3 KV ー I 重戦車・・ 4 KV ーⅡ重戦車・・ 5 OS ーⅡ重戦車・・ 6 S IJ ー 85 駆逐戦車・・ 7 K V ー 85 重戦車・・ 8 S IJ ー 122 突撃砲・・ 9 JS— I 重戦単・・ 10 S ー 100 駆逐戦車・ 1 1 J S ーⅢ重戦車・ 1 2 G A Z 67 日・・ 1 3 7.62C 厩つラッシュプー乙・・ 第 2 次大戦の戦車 , キングタイガーか ら現代戦車スーバーシャーマンまで , あなたのコレワションにウォーゲー乙 に今人気最高のソフトメタル製 G H Q マイワロアーマーをどうぞ / 22 Ⅳ号 F2G 中戦車・ 300 23 Ⅲ号突撃砲 ( 75 % ) ・ 250 G ・ 1 I 号 B 型軽戦車・・ 250 24 Ⅲ号突撃砲 ( 105 % ) ・ 300 2 Ⅱ号軽戦車・ 250 25 オペルフリツットラッワ・・ 300 3 III 号 E 型中戦車・・ 250 26 ャーっトバンサー駆逐戦車・・ ・ \ 250 4 Ⅲ号 F / G 型中戦車・・ 250 27 Ⅲ号 M 型中戦車・ ・ \ ・ 250 5 Ⅳ号 D 型中戦車・・ 250 28 Ⅲ号 N 型中戦車・ 250 6 タイガー I 重戦車・・ 300 29 Ⅲ号火炎放射戦車・・ 250 7 プラガ 38t 戦車・・ 250 30 マーターⅢ対戦車自走砲・・・ 250 8 ハノマグ 251 兵員輸送車・・ 250 ドイツ兵 31 A , 31 B ・ 31 ・各 \ 250 9 ビーシング 231 / 18 重装甲車・・ 250 32 キンクタイガー重戦車・ 300 1 0 I 号 47 % 対戦車自走砲・・・ 250 33 ハノマグ 251 / 1 ハーフトラッつ・・・¥ 250 11 エレファント駆逐戦車・・・ 300 34 テマグ 250.. 8 ハーフトラ、挈フ・・ 250 1 2 105 % 加震砲・・ 250 35 フルメル 150 % 自走砲・・ 300 13 150 % 榴弾砲 F H ー 18 ・・・ 300 36 ビーシング 233 装甲車・・ 250 14 88 % 対空砲 F L A K36 / 37 ・・ 300 37 スタイルタイ乙ラートラッワ・・ 300 1 5 ホルヒ 2224 軽装甲車・・・ 38 ャワトタイガー駆逐戦車 250 300 1 6 マーターⅡ対戦車自走砲・・・ 250 39 ナースホルン対戦車自走砲・・ 300 1 7 Ⅲ号空撃砲 D 型・・ 40 キューベルワーゲン・・ 250 250 1 8 テマグ 250 / 1 兵員輸送車・・ 250 ケッテンワラッド・・ 41A 250 1 9 バンサー G 型中戦車・・ サイトカー 300 41B 250 20 ヴェスペ 105 % 自走榴弾砲・・・ 250 G ・ 42 P A K 40 ・・ 300 21 ロネーヌ 150 % 自走榴弾砲・・ 250 43 ヘッツアー 300 っ 0 っ ) ′ 3 っ 0 ( 0 《 0 ( 0 0 れ 0 00 ( 0 っ ) ( 0 ・世界のホビーを提供する ・ビースコン代理店 えんどう ・岩田塗装機代理店 / 卸小売 ホビーセンター ⑦ 151 東京都渋谷区笹塚 1-59-8 / TEL ( 03 ) 3 / 6-4058 ⑦ 1 東京都大田区蒲田 4-15 ー 4 / TEL ( 03 ) 731 ー 6931 100