能楽部も二年生までやっていた。こちらの合宿は五泊六日、一日十二時間、板場の上 ( ししカ三日目になったら、みんなぐわ 1 っと に正座で座るのだ。二日目ぐらいまでよ、、、、、、 腹が立ってくるのである。最初は、痺れる、感覚がなくなる。その次に、痛くなる。そ れからずきずきする。夜寝ても、ずきんずきんずきんすきんしているのだ。その次にど うなるかというと、とにかく全てのものに腹が立ってくる。あまりに痛いからだ。先輩 とも、ちょっと何かあると喧嘩だ。板場の上に十二時間も座っているのだから無理もな こうした中に、東の間の喜びがあったわけで、とにかく一日も怠ることなく修業して きた毎日だった。それで良かったのだが、置き忘れてきた青春時代のことを思うと、懐 かしいよりも、寂寥感にとらわれる。心の中に、レトロのような感じでふわっと浮かん でくるのである。映像の周辺が消されて、修正した映画みたいな、昭和初期の写真展み たいなのが浮かんでくる。 それから伊勢神宮へ行ったのだが、どうも気が沈んでしまい、調子が冴えなくなって しまった。 122
男の決意 / 女性を断ち切って修業に打ち込む
第 3 章青春時代を懐かしむな / 御神業をしてお金をもらえるなんて′・ ところで当時の私が、何に感動したかと言って、新聞配達をしてお金をもらえたこと ほど感動したことはない。 私にとっては新聞配達もクラブ活動も、等しく修業のつもりでやっていた。ところが クラブのときには自分の方からお金を出して、月に二十万円ぐらい要る。八回も合宿へ 行くのだから、お金がかかるのである。自分の方からお金を持ち出しした上に、先輩か ら文句言われ、同輩から小突かれ、下から突き上げられて、それに耐えて頑張ってきた のだ。 それに比べて、こちらはお金がもらえる。お勤めって何ていいんだろう。自分の修業 になって、それで給料がもらえるのだ。 「いいんですか。課長。こんなのもらって、 しいんですかー 「おまえ、変わったやつだなあ」 自分は全部御神業のつもりだから、お勤めって何ていいんだろうと思って感動してい たものだ。 117
壊れるかもしれないが残した方がいいんだというふうに、心の中で覚悟を決めたのであ る。 確かに野心も恐ろしい。しかし、野心がないからといって、自分一人で修業して、世 に何の善なる影響が残るか。自分の修業三昧というのは、楽は楽だ。人を使うというの は苦を使、つとい、つことでもある。 嫁さんや子供を持つよりは、ひとり者でいるのが楽なのと同じだ。人を使うは苦を使 う。お弟子を教育するというのが、どれほどストレスのたまるものなのか。弟子にして る みれば、師匠につくことかいかにストレスがたまるものかと思、つかも知れないか不に え 考すればお弟子に教えるこの時間を別に使えば、いつばい本も書けるし、いろんなことが ま できるのにな、と思、つ。 死 しかし、神様の御心や植松先生から出されたものが何も次期世代に残っていかないと ま いうことは、神様に対して申し訳ないことだ。そういう気持ちで、私は今の活動を行っ ざ ている。 生 章 第
はじめに・ 第—章五十代はこんなに素晴らしい 若者よ、急に老けられるか ? 中国では「老」「老人」は尊敬語 若々しい年寄りこそ最高だ / 白ひげはりのしるし、はげは知恵のしるし新 発想、閃きは若者が有利 年齢なりに長所を活かした修業を′ 良き五十代をどう送るか ? どこかの教祖とお釈迦様の夢とは ? きようそうへんきゅう 矜燥偏急を戒めよ 神様は優しいだけじゃない 三十五歳を境に、人は「神」から「鬼」へ′ しん
「九十六の早死には許せない / しんがいごとうな 心外悟道無し 恐怖の青春時代の追憶 『霊界物語』に出会った頃のこと皿 言葉にとらわれないで、精神の流れを読みとれ′ 二十歳で、神様の一言う通りに生きると決意した燗 今明かす女性と神様の板ばさみ体験 私の純な交際の始まりⅧ 鴨川の川辺で私の青春は守護霊につぶされた / 新聞配達でも修業はできる 御神業をしてお金をもらえるなんて′ 京都「月ケ瀬ーの世界一のクリ 1 ムあんみつ 秋の京都で寂寥感にとらわれる 五十以上の人はもっとひどい青春だった 昔を懐かしむようになったらおしまいだ A 」は卩【 4 Ⅱ 2 104
った。一つ一つは書かないが、結局は自分で想いを断ち切って、これでいいんだ、自分 は神の道にすべてを捧げたのだからとまたあきらめた。 すてきな女性はきら星のごとくいたけれど、結局は自分の発願した修養を選んだり、 選ばされたのである。二十五歳の、植松先生との出会いのときまでに、神様が急ピッチ で仕上げをしようとなさったのだろう。 自分が恋しいなあという心をねじ切って、ぶっちぎっていたのである。の長と して上に立つ人間が、女の子、女の子とうつつを抜かしていたらクラブの改革もできな いから、己を慎もうと、恋しい心をぶわ 1 っとぶっちぎった青春時代であった。 新聞配達でも修業はできる さらに、組織の上に立つ人間は、己に厳しくなきゃいかんということで、朝四時に起 きて新聞配達を始めた。ます早起きだ、早く起きて体力もつける。それまで私は大体、 、パッチと長袖の 秋の十月ぐらいになったらパッチをはいていたものだ。冷え症だから シャツである。要するに、地獄に落ちている先祖が多かったわけなんだが。それが、こ ほっがん 114
ほど、脳は蘇るのだ。 だから五十代の人は、脳が一番よく動くお歳になるので、その割には : ・とならないよ 、つにしなけ・れギいけ・よい。 ともあれ、地位的にも、脳ミソの実力からいっても、世の中 を一番動かしてるのが五十代なのだ。 五十代の人というのは、誰も若者とは見ないから、あまりカ仕事を頼まれもしない。 しかも、軽んじられることもない。かと言って年寄り扱いもされないし、老人ではない。 六十五歳までは政府も老人と認めてないわけだから。 だから、この五十歳からの十五年間というのは、若い人たちの習得の十五年間とは違 って、脳が一番よく動き、人脈と社会の信用と、経験、知識が積み重なった上での十五 年なので、人によっては百五十年分ぐらい生きる人もいる。もっとも二、三年分ぐらい ともかく一生のうちで、この十五年間が、もっとも社会表 しか生きない人もいるか : 現ができる、一生涯残していく活動ができるわけだ。 まさにゴ 1 ルデン・エイジというべき時期だ。こんな素晴らしい時期が待っているの だから、若い人ならそれまでに訓練、勉強、修業をしない手はない。
第 2 章生きざま、死にざまを考える 息子や娘がどうしようもないとか、息子も娘もいないという場合も全く気にしない。 子供がいない、継承者がいない、それから、ろくな子供がいないとしても関係なく、今 かて の仕事があくまで自分の修業であり、自分の神試しであり、やった分だけ自分の魂の糧 になるんだと知る。それで大いに頑張る。それが一番だ ガチャガチャな死に方こそ理想た 自分が生きている間に、後のことを思ってなんて考えて、あんまり完璧な死に方をす ると、かえって良くないとも一一「ロえる。私はもう最後はガチャガチャにして死んでやろう と思っている。後のことを考えて、きち 1 っとした死に方したら、その後の人は、する ことがなくなるからだ。 理想を一言えば、私が死んでからミ 1 ティングとか反省会が開かれて、あの先生のこの 部分は良くなかったとか、あんまりに楽しすぎて、真剣な神の道に生きる人が少なかっ たとか、あるいは、踊ってばっかりだから、踊る宗教みたいに誤解されたとか。それか ら、いつも歌ばっかり歌うから、歌謡曲とか、音楽をする人だけが来てしまって、絵画 かみだめ
女性は違うという。「あの時ああだったわ、こうだったわ」と明るく元気に目がキラ キラ、まっげパチパチ。「私は人気者だったわ」なんて言うんだけれども、男はみんな 泣く。「赤いタ日が、」、グシュグシュグシュと。何回コンサートをやっても、『高校三 年生』を歌い、『学園広場』を歌うと、そこで男性の観客は、ます間違いなく泣くとい うのである。五十代の男達がだ。 やつばり、その当時の自分を思い出しているのだ。そうすると、ああ、俺も若かった のに、もうこんなにはげてしまった。昔は腹も出てなかった : ・という後ろ向きでやるせ ない思いに、同じような波調の霊がヒュッと感応する。 想い出霊界は想念の魔窟ヶ原 確かに私にとって、京都には懐かしい青春時代の思い出がある。修業して、苦しいこ ともあった。しかし、その中にも楽しみ、喜びがあったからだ。 けれど京都ほど地縛霊の多いところはないから、すぐにばっと感応してくる。しまっ た、やられたと思った。そういう時には、霊を除霊して、自分がまた未来の霊界へト丿