低血圧 - みる会図書館


検索対象: 自分を変えれば未来が変わる
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1. 自分を変えれば未来が変わる

単語を一〇個覚えることにしていた。 それから、勉強部屋には、どうせ横になるのだから枕のところに教科書を置いておき、 寝る前に一〇分だけ読む。一〇分読んだら、それ以上読まないで寝てしまう。 そんなバカな、と言うなかれ。受験生というのは何年間も勉強ばかりしているのだ。 一日一〇分しか読まなくたって、三日で三〇分、一月で三〇〇分、つまり五時間になる。 トイレの単語だって、一日五回トイレに行けば、五〇個暗記することになる。一〇日で 五〇〇だ。 これを習慣づけることが大切だ。私はお風呂に入るときも耐水性のカードを置いたり もした。古語、助動詞の活用も声を出して覚えたものだ。あるいは歴史年表にしても、 「八一〇年、薬子の変」とか「鳴くよ ( 七九四 ) ウグイス平安京」といった具合に次か ら次へと覚えていった。まあ、「鳴くよウグイス平安京」なんか誰でも知っているが、 すがわらのみちざね そのほか「白紙 ( 八九四 ) に戻した遣唐使廃止。。八九四年に菅原道真公が、遣唐使は もうこれ以上しても意味がありませんというので、検討し直そうと言って戻したのが西 暦八九四年。そうやって覚えたおかげで今でもスラスラ言えるが、もう何十年も前にお 風呂の中で何度も何度も復唱したことが、たまらなく懐かしく思い出される。

2. 自分を変えれば未来が変わる

今でも鮮明に覚えている。耐水性のカードを作って、湯船にプカプカ浮かべながら覚 えたものだ。三〇年たっても記億しているということは、よほど印象が強かったという ことの証明である。そのまま真似をしろとは言わないが、ムラ気、移り気の人には参考 になるはずだ。 その反対に、机に座ると勉強できす、いつもポケ 1 ッとしていた。そして、ポケ 1 ッ としながら英気を養っていた。そのクセが身にしみて、いまでも机に座るとポケーツと したくなるが、反面、キッチンに入ったり、プラットホ 1 ムで立っと、いろんなことを 覚えたくなって、どうにも落ち着かなくて困っている。 通勤・通学時間は天才になるチャンスた る え マンの中には、「通勤時間が二時間もかかって大変です 変東京へ通勤しているサラリ 1 を よと嘆く人がいる 性 私も大学時代、一時間半から二時間かけて通学していたから、その気持ちはわからな 章 第くはない。しかし私は、ことあるごとにこ、つアドバイスすることにしている。

3. 自分を変えれば未来が変わる

「通勤時間が二時間かかるって ? あっ、あなたは天才になれる。少なくとも、天才に なる要素を天からいただいている」 「は ? 通勤時間二時間が、ですか ? 」 と聞き返されたりするが、私だったら、通勤時間二時間、大歓迎である。なせか。往 復四時間の間は絶対に外へ逃げられないからだ。通勤電車はだいたい満員電車と相場は 決まっている。だから、電車の中で行ったり来たりもできない。当然のことながら、二 時間、吊り革にぶらさがりながら、ウォークマンで英会話など、いろいろ聴くこともで きる。席に座れば座ったで、することがないから新聞や雑誌、単行本を読むしかない つまり通勤時間の車内は、安定した勉強時間の確保の場として使えるのである。だから、 通勤・通学時間が長い人は、神のおかげで偉大なる文科系人間になる要素がある、とい うわけだ。 ところで、私のカバンの中にはいつも八種類の本が入っている。おトイレに入ったら この本、レストランへ行ったらこの本、電車に乗ったらこの本、待っている時間はこの 本と、そのときそのときに応じて読み分けているのだ。それというのも、一冊の本だけ 読んでいると私は飽きるからである。

4. 自分を変えれば未来が変わる

小説を読んでいたら評論文が読みたくなる。評論文を読んでいたら、今度は学術文を 読みたくなるし、学術文を読んだら英文が読みたくなる。英文を読んでたら、古文・漢 文が読みたくなるのだから、自分の移り気とムラ気と嫌気がさすのを慰めて、満たして あげなくちゃならない。だから、漢文、古文、学術文、英文、小説、評論文、いろいろ な本を私は持って歩いて、ときと場所に応じながら、それぞれ並行して読んでいるのだ。 おかげで私は、いつも新鮮な気分でいられる。気分が次から次へと移っていくから楽し いのである。 嫌気がさしたころにはほかの本を読んでいる。ムラ気のあるときにはほかのことをや っているから、非常に多芸多才で多面的な人物になっていられる。集中力のある人なら、 一冊の本を熟読玩味するのがいいだろう。しかし、私のような移り気の人間にはそれは できない。本を読む、その絶対量が多かったらいいのだと割りきって、気分のおもむく 変ままに、好きな本を読んでいればそれでいいのだと思う。

5. 自分を変えれば未来が変わる

電車の中で発声練習もできる′ 通勤・通学電車を、読書だけに活用しているのではあまりにももったいない。工夫次 第で、いくらでも活用法があるのだ。 あるとき私は、道を歩きながら、ふと思った。待てよ、歩いているときだって、別に 黙って歩くことはない。日本の道路だからといって、英語をしゃべりながら歩いてはい けないという法はない。そう思って、道を歩きながら英語をしゃべることにしたのだ。 そうすると、当然、すれ違う人が変な顔をする。何だこの人、頭がおかしいんじゃな いかしら。そんな怪訝そうな顔をして、通り過ぎてから何度も振り返る人もいる。けれ ど、何も悪いことをしているわけじゃないから、気にすることはない。 そのうち私は、この方法を電車の中でもやってみようと思うようになった。 学生時代、私はあの甲子園球場のある西宮市の苦楽園ロという駅の近くに住んでいて、 大学のある京都まで二時間ほどかけて通っていた。もちろん二つのクラブをかけ持ちし ていた私のこと。二時間の間ずっと一つの勉強をしていたのでは、両立できない。そこ で、苦楽園口駅と京都の四条河原町駅との間を二等分し、苦楽園口駅から高槻駅までは

6. 自分を変えれば未来が変わる

眠気を追い払う絶好の方法もある しばらく前、関西方面の電車の運転士が、仕事中に眠くならないようにというので、 覚醒剤を使って電車を運転していたというニュースが報道されていた。この人は逮捕さ れたというが、電車の運転士に限らす、仕事中に眠くなって困るのは誰でも同じだ。 私も睡眠不足で困ることはある。しかし私は、これなら覚醒剤を使わなくても大丈夫 という方法を開発した。それを紹介しておこ、つ。 歩きながら、グ 1 ッグ 1 ッと寝ている人はいない。それから、全力疾走しながら熟睡 、 0 ヾ とんなに眠くても、走りながら眠っている人は絶対にいない。私 している人もいなし の講演会でも、講義の最中に寝ている人がいる。そういう人にはときに、「歩きなさい と言って歩かせることがある。これで寝る人はますいない。 る 変電車の中では、ときどき私も「忍法立ち寝」を研究したことはある。これなら少しは を 眠れる。しかし、走りながら眠るのは絶対に無理だ。筋肉が活動すると、人の目は覚め 性 章るのである。至極当然のことだが、眠いときには歩けばいい。 第

7. 自分を変えれば未来が変わる

私はこうして連続四十五時間書き続けた もともと私はこういうムラ気、移り気の文科系人間だったし、今でもそうだ。だから、 今もって、本を書くという作業は、私にとって難行苦行以外の何ものでもない。 何しろ、机に向かうと空想と言、つか、別世界に心が向いてしまうから、原稿なんぞ進 むわけがない。そういうとき私は、数人のお弟子を連れて、ファミリ 1 レストランへ原 稿を書きに行くことにしている。 なぜファミリーレストランなのか。電車内ほどではないにしても、いったん店に入っ たらあちこち歩き回ることができす、いやおうなく椅子に座っていなければならない。 椅子に座っていても、ほかにやることがなければ、嫌だ嫌だと言いながらも原稿をやる しかない。言わば、ファミリーレストランは私にとって、何ものにも替えがたいほど大 切な書斎でもあるのだ。 そうやって私は、ファミリ 1 レストランで二十四時間ぶつ通しで本を書いたことがあ るし、今でもときどき四十五時間、一分たりとも休ます書き続けることがある。 ただし、そのファミリーレストランにしても、一つだけ困ったことがある。ご飯を定

8. 自分を変えれば未来が変わる

第一章性格を変えるには ? た 期 オ 視 べ ト . る ツ レ つ す 食 線 っ 的 て と へ と オこ 四 行 時 と 緒 ダ を と お る し、 カ 食 と 食 間 で と っ っ な ト に 1 ず 行 た く べす び 目民 い イ ろ レ せ 値 が く 眠 当 1 な レ る っ る て っ に 気 と ら 段 も と お を 具 然 フ し、 も 朝 書 お 弟 追 イ と 皿 を と れ き 弟 っ 醒 に ど お ボ る い 0 こ ス フ 続 は 払 忙 リ 昼 子 て ま な な、 ア 、杯 け し 眠 は お っ し カ る 力、 コ、 七 弟 い 1 晩 ら 0 、日 カ で リ ァ の 冫皿 を 帰 れ 時 子 ム と ふ か 1 四 1 で と 酉星 っ く キ も 十 る 間 で あ み レ 食 も や軽 ま て れ 五 る の ス す 自 き 時 の す 来 て い ト ノ、 る 分 ン 料 ち 間 上 て 眠 る フ ま く 孑妾 ん も と な ノヾ 理 ン の 、作 な 客 と 粘 た 1 を か っ し、 た 書 オ 食 ァ 業 を ら ら の る グ れ 追 と く だ し な べ 1 プ あ が 思 て ど る た そ ダ し、 ら 出 く わ 1 ル る れ値 す そ た け さ は、 し、 る 段 突 っ ら ら る だ お れ ら つ が 店 や 座 く の と と て 伏私 っ り す き は し で 上 ま ト ウ て る に リ て 隣 お 座 と 1 は ェ コ - つ 眠 っ ま ト の つ の 席 イ た パ 的 ト た オこ ム ト レ と 目民 に と や り レ て で ツ 思 く と 量 そ を も だ そ し フ ス れ 自 ま っ な り を 在 = 多 ~ っ た 冷 だ . る や に ら か そ か リ や や て い し、 活 お 料 禾ム ま ら 料 ら や つ て 用 た ト 理 だ は 理 か セ を を ッ 食 パ イ な 47

9. 自分を変えれば未来が変わる

そこはやはり師匠とお弟子、自すから修業の この違いのゆえんはどこにありや : 深さが違う、根性の入り方が違う、集中力が違う、忍耐力が違う、人生に取り組む姿勢 が違う。私は七時間や八時間で眠り込んでしまうようなャワな男ではない、と胸を張っ て言いたいところだが、実はそんな格好のいいことではない。眠くなったらパッとおト イレに立つかどうかの違い、たったそれだけのことなのだ。 「何だ、そんなことなの ? 」と笑うなかれ。ここには天地自然の深遠なる真理が隠され ているのだ、と言ったらこれまたウソになるが、歩きながら寝ている人はいないという 単純かっ明白な法則に気づくか気づかないか、そしてそれを応用しようという意欲があ るかないか。その差が、七時間と四十五時間の違いとなって表れるのだ。 別に、私が性格が強くて、集中力があるから四十五時間ぶつ通しで原稿が書けるわけ ではない。短い期間に楽器の演奏ができるようになったり、絵を上手に描けるようにな ったりするのも、私の性格のゆえではない。ムラ気、移り気という自分の性格を知悉し た上で、それに適した最良の方法を工夫するからできることなのだ。 だから、性格を変えたい、集中力をつけたいという方には、ます手始めに、やり方を 工夫することをお勧めしたい。自分に適した方法で努力していれは、第三者からはその

10. 自分を変えれば未来が変わる

れを人工的に乗り越えたら、文科系人間にしか持ち得ない最高に素晴らしい能力、才能 を発揮できるよ、つになる。 それには結局、やりこなす量で勝負するしかない。受験勉強なら、学習の絶対量が多 い人が学校に合格するし、英語を習得しようと思ったら、読んだ英文の絶対量、暗唱し た単語量、熟語量、それからスピ 1 キングした量、ヒアリングした量が決め手になるわ しかし、そういう基礎的訓練というのは非常に無味乾燥なものだ。単語や熟語、ある いは年表の暗記といったものほどっまらないことはない。文科系人間の最も苦手とする ところでもある。だが、これは避けられない。嫌でもやるしかない。自分の性格に適し た方法を工夫すれば、必すやできるはすだ。 そうやって、知識も、ヒアリングも、スピーキングも、ある程度の絶対量をこなすと、 俄然、面白くなる。ヒアリングもスピーキングも上達して、カタコトながら外人とも話 ができるようになると、反応が違ってくるから、非常に興味が出てくる。つまり、文科 系人間の特色は、ムラ気、移り気、嫌気なのではあるが、絶対量をこなしてある程度レ ベルが上がってくると、興味に引き込まれるかたちで、恐ろしいばかりの集中力が出て