て倒せるのだ。 柔道でもそうだろう。たとえば、あの田村ャワラちゃんの試合を見ると、瞬間的に相 手との距離を自分から詰める。どちらも相手を投げ得る体勢になるのだから、自分から 死地に入ることになる。その瞬間に「投げられたくない / 」ではなく、「投げられても かまわない / 」という覚悟があるから、必す勝つ。 こういう境地に立つ、ということを私たちは学ばなければいけない。そうでなければ、 大いなる事業をなし遂げることなど不可能である。それには、日々不断に、毎日の発願 のときにも、志を立てるときにも、この「大死一番」の練習をすることだ。 ビジネスであれば、「断られたら恥すかしい」のではなくて、「断られたからどうだっ て一「ロうんだ」と、新規のお客に向かっていく。 勉強であれば、「周りのレベルが高いと自分が惨めだ」と低いレベルの学校を受ける のではなく、「それがどうした。周りが高ければ自分がもっと高くなればいし と立ち ・回か、つ そうやって、自分を練っていけば、本当に大死一番の決断が必要なときに、自然に覚 悟が定まるようになるはすである。 170
はじめに 世の中には自分の性格に悩んでいる人はたくさんいる。と言うより、悩んでいない人 、。田題は、悩んでいるだけでなく、性格 なんか一人もいないと言っていいかもしれなし卩 を変えたいと切に願っているのか、あるいはそのための一歩を踏み出そうとしているか どうかであって、そういう気持ちで本書をお読みいただければ、必ずや何らかの役に立 つものと確信している。 本書が必す役に立っと確信しているのはほかでもない、私自身がダメ人間だったから だ。ムラ気で集中力がなく、何をやっても途中で放り出してしまう。それが若き日の私 であった。そこから苦心惨憺して何とか今日まで這い上ってきた足跡。それをそのまま 記せば、抽象的な「性格改造論」を偉そうに語るより、はるかに役に立つ。そう思って 筆を執った次第である。 私のような人間でも、性格を改造することができたのだから、みなさんもきっと、今 の自分と一八〇度違う自分に変身できるものと信じている。 平成十三年八月 さんたん 深見東州
悟った私は牛丼もステ 1 キも平気に それから、ヨーシと思って、ます吉野家へ牛丼を食べに行った。牛丼をパクパク食べ ると、やつばり血液が即、酸性になるのを感じる。長い間の習慣で、体質的にすぐ反応 するようになっているのだろう。食べた途端にドロッときた。だが、そんなことはもは や気にならない。即座に、 「本来無一物だ、いすれのところにかグリコ 1 ゲンを惹かんや。乳酸を惹かんや」 と念する。すると、不思議なことに、ス 1 ッと離れていくのである。とは言え、肉を いつばい食べたら、やつばり翌日、獣のような声になる。しかし、それももはや気にな らない 「獣のような声でも植物のような声でも、本来無一物の声だ、いずれのところにか獣声 を惹かんや」と念ずると、声もすぐに元にもどった。自分が気にしすぎていただけだっ たのである。 それからは、連日のように牛丼を食べた。牛丼屋に行く前に「本来無一物、いすれの ところに惹かんや」と、これを一〇〇回ぐらい唱える。そうやって牛丼屋に行けば、何 102
ること。言わば、朝の朝礼で自分の目標を宣言するようなつもりで、神様に向かって発 願するのである。セ 1 ルスの会社では毎朝、 「今日のノルマを言ってみろ′ 「はい、私はきよう英会話のカセットを二〇セット売ってきます」 「私は三〇セット売ります / 」 「何、三〇セットもやれるのかね」 「はい、必す達成します / 「ようし、今日もみんなでがんばるぞー。ェイエイオー / 」 なんていう光景が繰り広げられている。 その直前までは全然やる気がなくても、自分でノルマを設定し、それをみんなの前で 宣言すると、弱気の虫はともかく引っ込む。だから、十年一日のごとく「エイエイオ 1 が繰り返されているのだが、あのやり方でいいのだ。 約東する相手が目の前にいなくてもいい。 そのときは、神様に約東するのだ。「きょ うは英語を三時間、数学を三時間、苦手のところだけを集中して勉強しますーとか、あ るいはもっと具体的に、「問題集を英数二〇頁すっ、解けるまでがんばりますーとか約 138
祈りを一日でもしなかったら、顔は真っ黒だし、やつばりダメだと落ち込んでしまう。 何ゆえにこんなにも落差が激しいのか、自分でもわからなかったが、そのために私は、 生理的に神様に祈らざるを得ないような人間になったのである。もちろん、もの心つい たころから神様が好きだったということもあるが、私が祈りの生活をするようになった も、つ一つの理由は、極度の霊媒体質ゆえに一日でも祈りを欠かせば顔が真っ黒になるか らであった。 人によかれという祈りが通じて、我によかれは通じない かくして、十五歳のときから日々発願主義の生活が始まったわけだが、次第に「ばく にもやれるんだ、できるんだ」と自信がついてきた。神様にお願いしたことは、ピッタ 法 リと、つまくいくからである。逆に、お願いしなかったことは、、つまくいかない。やつば 克 気 りお祈りの力はすごいんだ、とますます確信を深めていった。 それとは別に、もう一つ、大きな発見があった。それは、自分のことでお願いしたこ 章 第とはことごとく失敗して、人さまのためにと思 0 てお願いしたことは成功する、というⅧ
霊力でもって、敵をバッタバッタとなぎ倒してしまうのだ。 現代は、近藤勇や柳生宗矩の生きた時代とは全然違う。真剣を握って命がけで主君を 守ることが義とされる時代ではない。しかし、その精神性は大いに見習うべきだろう。 とりわけ大きな事業をなし遂げようというのであれば、「大死一番」の覚悟が必要だ ここ一番、死を超えていくぞという勇気と根性がなければ、成功など望むべくもない。 弱気になるのは、もし失敗したらどうしようという心が働くからである。しかし、失 敗したらまたやり直せよ、 ( しいだけのこと。失敗なんか恐れることではない。よしんば死 ぬことがあったとしても、それも本望だ。それくらいの根性を据え、魂からの気迫にあ ふれていれば、迷いがない。不安もない。葛藤もない。当然、弱気なんかにはならない し、心が澄みきる分、相手の出方が手に取るように見えてきて、結果的に成功を収める ことができるのである。 ほ、つじよ、つときむね 弱気で女々しい若き日の北条時宗 二度にわたって元寇を退けた執権、北条時宗も「大死一番、死して大生する極意」を しつけん 152
第四章弱気克服の接心 【さん】 【深見】今までは、ど、つしても、自分がこ、つしよ、つと思っているけれども、今はこ うだ。こうするためには、これがこうならなきゃいけないから、今こうしょ う、と。自分の個性は、適性は、これがしたいんだ、あれがしたいんだ、と。 そう考えて励んでいらっしやった。一般的にはそれでいいわけですけれど、 やらないよりはいいんですけれど、それなりにいつも努力はしていらっしゃ る。だけれども、そういうふうな努力というものは、いままでのさんと同 じレベルのさん。 そのさんが一歩成長するためにはどうしたらいいかと一一「ロうと、未来のこ やりたいこと、どうでもいい。 となんかどうでもいい。適性、どうでもいい 目前のことを、己の適性、未来、こんなものを一切忘れ去って励むことがで きたら、いままでのさんが、一つランクがポ 1 ンと上がったさんになれ ますね。 おそらく今日までは、いろいろ励んでいるんだけれども、これでいいのだ ろうか、未来はどうなるだろうかと思ってきたんじゃないんですか はい。やつばりどうしても、努力という言葉を見ても、やつばり最短距離 191
第四章弱気克服の接心 てきます。 神様と人間との間も、神様が気持ちよくなるところにして上げれば、神と 人間との礼儀がピチッとできる。夫婦の間でも、親子の間でも、神と人の間 でも、距離と調和、秩序と調和ですから、それが本当なんです。両方が気持 ちよくなるように、最低これだけはと、いつもそう考えていたら、真に礼儀 をわきまえた人間です。その人といたら、非常に気持ちがいいですね。 あまり儀礼張るとぎこちなくて、これ、礼儀だからと言うと、礼儀礼儀と 堅苦しくて、かえっておっき合いしにくいと言われますよ。それはあまり礼 儀正しくない。礼儀に反することで、仲良くなるときは仲良くならないとい ナ . よ、 0 ッポに当たっていないですね。もう少し観念を破って自由に、フリ 1 にものごとを考えられると、その基本的方式さえわかれば、礼儀はきちっ と果たせますから、間違いないです。 少々無礼講でもいいんですよ。無礼講でございますというのも、またいい んですね。気持ちよかったら、無礼講、大いにやってください。「ちょっと すみませんね、不躾ながら」なんて言いますよね。「ちょっと不躾ながらー 215
しかし、昔の私はそれとはまるで逆。超が付くほどムラ気、移り気の激しいタイプだ ったのだ。と言ったところで、信じてもらえないかもしれないが、人工的努力によって、 私はこれを克服したのである。 これが子ど それにしても、このムラ気、移り気は何とかならないものだろうか : もの時分の私の悩みであった。 小学校のころ、勉強のできる子を見ては、どうしてああ勉強ができるんだろうと、不 思議でならなかった。きっと、 しい下敷きを使っているから勉強ができるんだと思って、 できる子の下敷きと同じのを揃えたけれども、やつばり全然ペケだった。筆箱だろうか と、筆箱も揃えたし、カバンも同じのを揃えもした。全部同じのを揃えたけれども、当 たり前のことながら、全然成績は上がらなかったのである。 る しかし興味のあることにだけは夢中だった。バッタやコウモリの捕り方は実に上手だ え 変ったのだ。ピカ一の同時通訳者として有名な松本道弘先生も、子どものころは同じよう を 格 なことをして遊んでいたらしい。 性 松本先生は大学では柔道をやってらして、大学卒業後は日商岩井に就職。証券部で七 章 第年間働いていらっしやった。それから、あるとき突如として目覚めて、独学で英語を勉
集中力のない人はこうして勉強しよう その点、前にも書いているように、私のムラ気は半端ではなかった。その半端ではな かったことが私にとって幸いだったのだろう、私は自分の性格を変えようと思わずに、 自分の性格に合った勉強法を見つけることを考えたのである。 それで、私は何をしたかというと、ムラ気で、移り気で、嫌気がすぐさすので、勉強 の絶対量を増やすために、勉強の場所を変えたのだ。つまり環境を変えたわけである。 次に、意識を変えた。集中力がないことを嘆かないことにしたのである。集中力があ る人とは理科系だ、私は文科系だからこれでいいんだと、意識的に意識を変えたのだ。 環境を変える、というやり方から、ます説明しよう。みなさんもこのやり方なら、性 格を変えなくとも勉強量を増やせるはすだ。 え ムラ気で移り気な人はだいたい、勉強を始めるとすぐにトイレに行き 私もそうだが、 を 格 たくなる。帰って来ると、一度は机に向かっても、すぐ横になりたくなる。みなさん、 性 心当たりがあるだろう。 章 第 そこで私は、トイレには英単語帳を置いておき、トイレに行ったらそのたびごとに、