第四章弱気克服の接心 【深見】今一言ったように、宮本武蔵の名言に「われ、事において後悔せすーという 言葉がある。たとえば、今日果たし合いで自分が切られて死ぬ。どこか、右 腕、左腕を切られることがあるかもしれない。それでも後悔はしない。自分 が選んだ道だ、と。二天一流を編み出して剣を捨てましたね。それでも、そ のときに「われ、事において後悔せす」。 その時点では合っているか間違っているかわからないけれども、後悔しな いで先へ進んで行くと、それでよかったという人生が展開される。神様がそ うさせてくださるんです。 やりたい仕事をやりたいと自分で思ったんだったら、思ったとおりに生き たらいい。 その代わり、思ったとおりやったら、子どもも産みたいし、あれ もしたいしという、そちらのほうは満たされないね。何かを得ようと思った ら何かを捨てなきゃならない。何を得て何を捨てるんだと自分でいろいろ考 えて決めたら、結婚せすに仕事で生きるんだ、と。それでもし途中で好きな 人が見つかったら結婚する、いなかったらしない。すっといなくても、「わ れ、事において後悔せす」。もし子どもが産めなくても、「事において後悔せ 195
そういうふうな人間は魅力がありますから、嫌だと言っても、「結婚して ほしいんですが」と、しよっちゅうラブレタ 1 が来ますよ。またこんな男か らラブレターが来た、と言ってみたいですね、こういうこと。そうなります。 思い切りのいい女性というのは目がキラキラしているし。 人生とは、究極的に、自分が思ったとおりの人生だったら、独身を貫いて いても、結婚しても、再婚しても、たとえば許されない人との間に子どもが できたりしても、これが最高だと思っていたら幸せですよ。 私なんかも一人でいます。これは最高だと思って後悔しない。本当は後悔 しそうになるんだけれども、「われ、事において後悔せす」。なせこんな台詞 が出るか。自分に言って聞かせているんです。そう思ったら、「それでよか った」、「ああ、先生はあれだからよかったんですね」というような人生がそ のあとから展開されていくんです。ああだったのに、こうだったのに、じゃ ないんですよ。そう思って生きるから、後悔しなかったような人生が、ドラ マができていくんです。 仕事ですっと生きたいと思って、その仕事が魅力ある仕事であれば、定年
第四章弱気克服の接心 退職までやって、そのあとちゃんと、厚生年金をピチッとして、老後の設計 をピチッとして、好きなように、思ったように生きていく人生。後悔しなか ったら、それは幸せな人生ですよ。 結婚して子どもがたくさんいる人は、「うらやましいね、あなたは。私た ちはもう子どもが二人もいて、夫と子ども二人と、育児だけで追われてきて、 少しも思ったことができなかった。あなたの人生、うらやましいわね」と言 いますよ。その代わり、仕事で成果が出てきたら、の話ですよ。「あなた、 お気の毒ね、仕事もたいしたことないし、ご結婚もいきそびれて、お子さん も生まれないまま、虚しくバストも萎れていった」 ( 笑い ) 。そんなこと言わ れちゃいけない。 一道に徹して、どちらに転んでも「われ、事において後悔せす」と思って 徹底すると、「ああ、それでよかったんですね」というふうになるんですよ。 いまのままだったら両方ダメですね。 ダルマさんとにらめつこして、自分はこう生きるんだと、しばらくお考え になって決めたら後悔しない。縁があるものだったら、男のほうから飛び込 199
第四章弱気克服の接心 【さん】「ああ、それいいですね」。 【深見】何歳までは一切、子どものことは考えない。仕事のことしか考えない。そ の歳になったら、これで仕事は終わりと決めて、それから子どもをつくって やる。その間に経済力さえ養っておけば、その後、子どもを産んでもできる 老後の生活を設計しておけば、まったく迷いがなくて、その人なりのオリジ ナルな人生を送れますよ。 「いろいろと紆余曲折があった人は、人生にドラマがあっていいですね。私 なんか平凡にきてしまったから、来世はもっと波瀾万丈な人生がいいなあ」 という人、いますよ。いませんか、みなさんの中にも。平凡な結婚をした人 というのは、そういう人が多いです。 両方、それなりにどちらの道に行っても、「人生、何事かを選ばば、後悔 あり、何事も選ばざれば、これまた後悔」と言います。だから、「われ、事 において後悔せず」という宮本武蔵のような人生を送ればいい。 そうすれば、 立派な人生を送れますよ。 三年以内に答えを出しましようね。来るものが飛んで来るという霊力のあ 201
それが間違っていたとわかったら、そのときに新しくグレ 1 ドアップした g 愛が出てくる。一路を迷わないで決めなかったら、それが正しかったのかど うなのか、答えが出ないですね。こうすることが自分の愛だと思ったら、一 路を貫き通したらいいです。どうしても違うと思ってわかったら、その時点 さと でパッと変えたらいい 「念の出することを恐れずに、その覚ることの遅き を恐る」と言いますよ。新しい一路をまたっくったら、「ああ、前のあの経 験があったから、もっとよりグレ 1 ドアップした愛を行なうことができるよ うになったんだ。あの愛があったから、この本当の愛があるんだーと。絶え す、経験を成長の糧にしておけば、後悔のない人生になるんです。 吹っ切れましたね。三日以内に答えを出しましよう。答えを出したら、先 ほどのさんと関連していますね。絶対に後悔しない。一路をきちっと突き 進む。どの路でもほとんど変わりない。迷うことが一番不幸なんです。年ば かりとっていって「ああすればよかった、こうすればよかった」と後悔の種 をつくりますね。男性も女性もほとんど変わりないですよ。一日一人殺さな かったら、何か落ち着かないなんていうほどの欠点はないでしよう。私みた
【さん】 仕事よりも子どもが産みたい、家庭を持ちたい、それが本当に自分の希望 であるんだったら、思ったとおりに生きたらいい。結婚して子どもを産んだ ら、その代わり仕事のほうは捨てる。しかし、結婚したら、最初のイメ 1 ジ とまったく違うご主人で、結婚なんかするんじゃなかった、と。子どもを産 んでみたら、こんなに育児が大変だったなんて知らなかった、ああ、子ども なんて産むもんじゃなかった、と。 「ある悩み、ない悩み」というけれども、おなかに戻すことができないから、 もう産んでしまったんだから。そんなの 産むんじゃなかったとは思わない は、どんな母親でも持っ悩みで当然だ、と。結婚する前よりも、してからよ くなったという人はあまりいないだろうから、こんなものだ、と。あとで後 悔しなかったらいいんですよ。 「われ、事において後悔せず」。どちらに進んでもあまり変わらない。 もう一つ救われる道がある。失礼ですけど、今おいくつですか 二十九です。 196
第四章弱気克服の接心 【深見】ギリギリですね。 今年三十歳になります。 【さん】 【深見】 ですから、高齢出産は三十五が限度と言いますけれども、四十でも、伝家 の宝刀、帝王切開というのがありますから。最後に残った帝王切開という秘 伝がありますから大丈夫ですけれども、子どもを産むということが頭にある と仕事が手につかない。仕事が手につかない女性なんか魅力ない。縁談も遠 のくし、仕事もいい加減。許せるのは三十四歳までで、仕事は四割で結婚を 求めるようにがんばってみる。年代で区切るんです、ピチッと。 あるいは逆に、三十四歳までとにかく仕事をやってみて、それまでにもし すごく好きな人が現れたら結婚するけれども、積極的にはしない。仕事のこ としか考えない。三十四歳になったら急激に結婚のことのみ集中する。それ で理想どおりの人が現れなくても、それは仕方がない。それで三十四まで、 とりあえす三十七歳ぐらいまでやってみて、女の厄年まで結婚を探してみる。 少し条件的にマイナスかもしれないけれども、それでもし見つからなかった ら、やつばり私は仕事で生きるべきだったんだ、と。絶対、後悔しない。 197
第四章弱気克服の接心 面が出てくる。それがさんの成長です。 人間、頭脳を使うときと、頭脳を忘れるときと両方がなければね。ギリギ リのところまで行ったら、それしかないんです。ジャンプ。信仰力があって、 修業している人にはそれができるんです。だからいくつも脱皮していく。 それがわからない人は、最初の関門でもつまずいてしまうから、こっちに 行ったりあっちへ行ったり、堂々巡りになる。ここを越さなければいけない。 そうしたら どうやったら越せるか。己を忘れて一生懸命やっていたらいい 後ろから、「はいっーと言って上げてくれる。 これが神様とともに生きている人間の成長の仕方です。 【さん】ありがとうございました。 〈接心・その 3 〉人生とは何か ? 【深見】さて、次に行きましようか。お名前は何でしたつけ。さんだ。 はい、あなたの色紙に書いてある質問は何でしようか 193
志は何でもいい。学校で一番になるんだとか、模擬テストで全国で一番になるんだと しゆっせがしら か、あるいは出世頭になるんだとか、何らかの志を立てるところから始めなければ、弱 気や劣等感を克服することは難しい さて、志という字は無論、「こころざしーと読む。つまり、心がどこかを指している 状態を志が立っていると一言うのであって、あっちに行こうかこっちに行こうか、あれを やろ、つかこれをやろ、つかと、、いこ ノ ( 迷いのある状態は志が立っているとは言えない。「こ れをやるんだ / 最後までやり通すんだ′・」と、心で決意したとき、その指す方向にあ るのが志なのだ。だから、志を立てるには、心をシャキっとさせ、何をやるのか、その 方向を見定めなければならないわけだ。 そうやって志を立て、何かに向かってチャレンジしている人は、目の輝きが違うし、 顔つきも全然違う。歩くときだって胸を張って堂々と歩く。エリートコ 1 スに乗ってい せいうん る人や、青雲の志に燃えて勉学に励んでいる人の目が曇っていたり、うつむいていたり なんていうのは見たこともない。だいたいが、生き生きとしていて、堂々と胸を張って いるものである。ところが、これも度が過ぎると問題で、立てた志がそっくり返って、 まんしん 後ろのほうに折れ曲がってしまう。その折れ曲がらせる原因が「我と慢心」だ。
マムシに噛まれない歩き方 たとえば、 ハイキングでも山登りでも、沢下りでも、 しいこの山道にはど、つもマムシ が出るらしい、というとき、グループの中のどこを歩いていたら安全か。先頭か二番目 か三番目か、はたまた最後尾か。答えは先頭。大死一番、マムシの中に行くのである。 ハプでもマムシでも、先頭の人間が近づいてくると、「あっ、人が来たな」と気がっ く。それで、飛び掛かろうと体勢をかまえるのだが、そのときはだいたい、先頭が通り すぎて二番目の人が目の前にいる。そうやって体勢をかまえてパッと飛びつくと、二番 目が噛まれるかと一言うとさにあらす。三番目が噛みつかれるのである。三番目を歩いて いる人がよくマムシに噛まれるというのは、そういう理由なのだ。 だから、嫌な友達がいたら、「わしが先頭を行くから、三番目を歩け。と言って、森 法 の中を歩いていくと、可哀相にその人がヘビにやられる。最初と二番目、真っ先に行く 克 人間は、かえってやられないのだ。これはちょっとセコイが、死中、活を得るというこ との実践法だ。 章 第戦闘機の空中戦でも、先頭で突っ込む隊長機というのはあまりやられない。向こうの 171