持続的 - みる会図書館


検索対象: 自分を変えれば未来が変わる
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1. 自分を変えれば未来が変わる

まず、自分のムラ気な性格を肯定して考えよ′ 「性格を変えたいんですけれどと、私のところに相談に来る人は、だいたい今言って きたようなムラ気、移り気の文科系のタイプだ。しかし、そういう人でも、まったく精 神の集中がないかと言うと、案外そうではない。たとえば、御飯を食べたり、恋人とデ 1 トするにはどこが最適かと、一生懸命、公園の本で調べたりとか、こういうときには 持続的精神の集中がある。人間なんてだいたいそういうようなもので、何か得意なとこ ろ、大好きな分野、楽しいことは誰でも集中できる。集中するなと言っても集中するも のである。 しかし、意義あることをするときは、すぐに飽きて、あちこちに気を散らす。別にデ ートに意義がないとは言わないが、勉強や仕事などやらなければならないことになると、 ムラ気がむくむくと頭をもたげてくるのが、文科系タイプの特色である。 これはやり方を変えたらいい。ムラ気はいいんだ、移り気はいいんだ、嫌気がさすの ( いいことなんだと、思い込んでしまうことだ。私は文科系特有の妙なる美徳を持って いるから、やりようによっては多芸多才で万能になれる、多面的人格を持っているんだ、

2. 自分を変えれば未来が変わる

しかし、持続的精神の集中も、マイナスに作用すると頑固、偏屈、ワンパターンにな る。これは「単純ーと言ってもいい。 一つのこと、一つの考え方に集中できはするが、 「これは絶対だ」、「私はやり通した」という思いがあるから、やり遂げられない人の気 持ちにはなれない。なぜできないのか、それがわからない。ムラ気、移り気、嫌気の気 持ちが理解できないのである。 ところが、成績が真ん中以下の子どもは、ムラ気、移り気の激しいタイプだ。成績が 中ぐらいというのは、優秀すぎす、悪すぎす、ほどほどということだが、悪く一言えばい い加減、中途半端。だが、これを善意に解釈すれば、中庸の徳を存しているということ になる。 もちろん本人の努力が必要だが、中途半端を克服できた元移り気の人は中庸の徳を得 ることができる。そうすると、ムラ気、移り気の人たちに対しては、とてもいい教師に え 変なることはできる。文科系の人は、努力すればそうなれるのである。ただし、その手前 格 で、「集中力をつけたい、でもっかない」と悩んでいるだけでは、時間がカラ回りする 性 章た。オ 第

3. 自分を変えれば未来が変わる

できたのである。 移り気の普通の人は中庸の徳を備えている ? 文系には文系の長所が、理系には理系の長所がある。ただし、長所は逆に短所、弱点 にもなる。たとえば、多芸多才ということでは文科系のほうがすぐれているが、受験勉 強という限られた分野では、一つのことに集中して努力できる、コッコッタイプの理科 系人間のほうが有利で、ムラ気の文科系人間は不利になる。 しかし、全世界文科系人間の代表者として言わせてもらうと、持続的精神の集中がで きる人、たとえて言うなら大学の先生とか、どこかの研究所の研究者は、一ワーカーに すぎない 一つのことをすっとしていて、ほかに何もしたいと思わないというのだから、 言わば職人さんなのだ。大学の先生は、みんなその職人だ。 一つのことをずっとやれる人というのは、これ、持続的精神の集中がある。一つのこ とを最後までやり遂げ、成就させるのだから、そうでない人から見たら、まるで神様の ような人である。 ちゅ、つよ、つ

4. 自分を変えれば未来が変わる

いくら言われても直らない移り気をどうするか ? ところが、文科系の人はだいたい、そこに至る前に行き詰まる。私もそうだったけれ ど、このタイプの人は、非常にムラ気で、移り気で、何でも嫌気がさす。持続的精神の 集中がないのだ。私も学生時代、学校の先生から、 「君、持続的精神の集中が足りないんだよ」 とよく言われたものだ。 そんなことはわかっているんだけれど、なかなか直せるもんじゃない。それに比べる と、理科系の人はムラ気がないし、移り気ではない。 予備校の理科を担当している先生も、昔、学校の先生が私に言ったようなことを言っ ているので、面白いものだなと思った。この場合、先生自身が理科系でムラ気なし、移 え 変り気なしなものだから、文科系の生徒がなせムラ気なのか、なせ集中力がないのか、わ を 格 からないのである。 性 私はしかし、そういう生徒さんを見ていても、 章 第 「そうだろう。そうだろう。君の気持ちはよくわかる。しかし、君はまだ偉い。私はも四

5. 自分を変えれば未来が変わる

くるのだ。 これは、文科系人間に隠された、もう一つの特色と言っていいだろう。文科系人間に はだいたい、そういうタイプの人が多いはずだ。面白いな、楽しいなと思ったり、情感 が満ちてその気になれば、するなと言われたってずっと集中していられるのである。 意志が弱いから集中できないのではないのだ。 文科系タイプの人は、「ねばならないことーができないのである。「ねばならない」と いう種類の努力は基礎的なことで、無味乾燥なルーチンワークである。だから辛いし、 やりたくない。やってもすぐに飽きる。そういう自分を見て、またまた「ああ、持続カ がない、集中力がない と嘆くことになるのだが、 そうではない。持続力がないのでも なければ集中力がないのでもない。工夫が足りないのだ。私がファミリ 1 レストランを る 活用するように、眠くなったらおトイレに立つように、環境に変化をつけて飽きる心を え 変なだめる工夫。それを自分なりに研究していったら、無味乾燥なル 1 チンワークも克服 格できる。 そうやって、勉強の絶対量、努力の絶対量がある程度のレベルになると、非常に面白 章 第くなる。すると、勉強そのものが面白くなり、興味が持てるようになる。そこまで行っ

6. 自分を変えれば未来が変わる

経営者になったら多角経営ができるんだ。そういうふうに思って、否定的に考えないこ とだ。 試験で失敗するのは集中力の差じゃない′ しかし、自分を肯定するだけで、ただムラ気、移り気に安住していていいかと言えば そ、つじゃない。、 しつも世間の真ん中あたり、学校の真ん中あたりにいて、「ああ私は中 庸の美徳があるーなんて喜んでいたって、ちっともありがたくはないに決まっている。 とくに受験生はそれではダメだ。受験生にとっては、どこまで成績が上がるかが課題 である。そのためには集中力が必要不可欠、というのが世間一般の考え方である。集中 力さえあれば受験は突破できるんだ、ということで、集中力は言ってみれば万能薬のよ え 変うに考えられている。だから、「性格を変えたい。集中力をつけたい。そうすれば、 い大学に受かるはすーとい、つことになる。 性 ところがどっこい、そうは問屋が卸さない。集中力信仰には大きな落とし穴があるの 章 第だ。持続的精神の集中があったら受験に合格できる、というものではないのである。

7. 自分を変えれば未来が変わる

姿があなた本来の性格に見える。ああ、何と集中力のある人だろう。ああ、何と忍耐カ のある人だろう。けれど、一皮むけば、単におトイレに立って眠気を防いでいるだけ。 われわれの目からは持続的集中力があるように見える、コッコッタイプの理科系人間も、 その実像を探れば、案外その程度なのかもしれない。しかし、「その程度」が実は、非 常に重要なのだ。 そうやって工夫に工夫を重ねていけば、やがて多才、多芸、万能、多面的人格、多角 経営という素晴らしいほうに変わっていくはすだ。 無味乾燥な基礎学習は、環境変化で克服できる る 受験勉強をするにしても、語学を習得しようと思っても、文科系の人は一つのことを え 変コッコツはできない。だからいいのだ。ますいのは、文科系のそのマイナスイメージば かりに目を向けて、「どうせおれはダメな男さ。集中力なんかこれつぼっちもないんだ 性 章から」と、ことごとくネガテイプに受け止めてしまう考え方であり、観念である。偉大 第なるムラ気と移り気と嫌気。そこにこそ文科系人間の能力の淵源があるのであって、こ的

8. 自分を変えれば未来が変わる

たら、ちょうど子どものころ、テレビを見るなと言われてもテレビに夢中になったよう に、集中するなと言われても集中する。そして、成果が出てきて、「君、すごいね」な んて言われるとうれしくなって、ますます集中し、ますます実力が上がっていく。かく して多芸多才にして、万能の人が一人、また誕生するのである。 「ねばならない」環境に自分を追い込め′ ここまで読み進まれて、だいたいおわかりになったと思うが、性格を変えるポイント を一言で一言うと、「ねばならない環境に自分を追い込めばよい」ということだ。私がフ アミリ 1 レストランで自らを缶詰状態に追い込むように、「ねばならない」環境に自分 を追い込めば、ムラ気、移り気、嫌気、眠気をある程度、克服できること間違いなしで ある。 これはまあ、半分冗談なので聞き流していただいて結構だが、もし持続的な集中力が なくて悩んでいる人がいたら、青梅マラソンに参加することをお勧めしたい。青梅マラ ソンは別に四二・一九五キロを何時間以内で走らなければならないという基準タイムが

9. 自分を変えれば未来が変わる

はじめに こう問われて、「イエスーと胸を張って答え 「あなたは強い意志の持ち主ですか : : : 」。 られる人がどれだけいるだろうか 勉強するために机に向かってもすぐに飽きてしまう、ちょっと困難な問題に遭遇する とすぐに仕事を投げ出してしまう、何をやっても中途半端で最後までやり遂げたことが 世の中には、移り気、ムラ気が激しく、集中力や持続力、根気や根性に欠け る人がたくさんいるが、そういう人でも、これまでは社会からスポイルされることはな かった。国や社会によって生活が保証されていたからである。 たとえば、ひとたび企業に就職すれば、仕事ができようができなかろうが、能力があ ろうがなかろうが、やる気があろうがなかろうが、終身雇用・年功序列という日本独自 がの人事体系によって、身分はほば完全に保証されていた。たとえ " 月給ドロポ 1 。と非 じ 難されようとも、自分から辞めると言わない限りクビにされることはなく、年功ととも

10. 自分を変えれば未来が変わる

あるわけではないし、予選もない。ただし読売新聞社が主催なので、抽選で当たらない と、正式には参加できないらしい。でも、外れたとしても、正式参加者が出発したあと から勝手に走っていく分には、文句は出ないと思う。 ともかく、参加すると決めたらまず最初に、友人、知人、家族、誰かれかまわず「私 は青梅マラソンに参加しますーと宣言する。行きつけの喫茶店の可愛いウェ 1 トレスと か、会社の受付の色つほいさんとかには、必ず言わなきゃいけない。そうやって、 自分を「走らねばならない環境」に追い込むのだ。 / し / し孑 、寺続力がない人に四二・一九五キロも走れるはすがない。しかし、持続カ も根性も持ち合わせていないのに、何とか走り通した人を知っている。マラソンのオリ ンピック選手は四二・一九五キロを二時間ちょっとで走る。ところが、その人は何とか 完走したものの、八時間以上かかった。参加者中、ダントツのビリだったそうだ。しか 変し、四二・一九五キロメートルをともかく走り通したのだから立派だ。青梅マラソンに を 格参加しなかったら、四二・一九五キロなんか逆立ちしたって走れなかっただろう。 この話を聞いて、私も真似をしてみようと考えた。 章 第 私の場合は一〇〇メ 1 トル以上走ると、何のために走っているんだろうかと、すぐに