蒙古襲来のときの神風は、時宗の決断実行の下、鎌倉武士団が一丸となったから吹い た。一回だけなら、たまたまということもあるが、二度目の襲来のときにももう一回吹 いている。しかも二回目のほうがすごかった。蒙古の軍勢も、二回目には一回目の三倍 の勢力で押し寄せてきた。それだけ日本はピンチだったわけで、その分、いよいよ一丸 となったから、いよいよ大きな神風が吹いたのだ。 蒙古のフビライ汗は、もう一度日本を攻めようとしたらしいが、二度目のときに一〇 万人をいっぺんに失い、生き残った三万人ほどの兵隊も、日本に漂着して皆殺しにされ るという、あまりの惨敗ぶりに、二度と日本を攻める気にならなかったと伝えられる。 歴史の本を見ると、日本側が考える以上に日本の武士たちは勇敢に戦って、蒙古軍に 相当被害を与えたとか、日本遠征のための軍船づくりを命せられた中国の船大工が、日 本攻めの片棒をかつぎたくないのでポロ船をつくったとか書いてある。 法 つまり、百戦錬磨、不敗の蒙古軍は、日本に攻めてきたら負けるように、いろいろと 克 仕組まれていたのである。神様はそういうように仕組まれながら、日本人たち全体を見 章ておられて、一丸となったなと見て、神風を吹かせたのだ。 第 165
のだが、なるほど日蓮の予言したとおり国難がやってきた。そこで、わりかし日蓮の言 うことも当たっているじゃないかということで、佐渡から帰されたということが記録に 残っている。 たしかに、日蓮上人が『立正安国論』を出したことも、亀山上皇がお祈りしたのも、 それなりに効力を発揮しただろう。 しかしこのとき、蒙古の使者の首を斬って送り返し、また水際作戦をとって敵を打ち 返すばかりか、中国本土へ攻め上るんだというぐらいの気概が時宗になかったとしたら どうだろう。おそらく、神風が吹く前に、日蓮も亀山上皇も関係なく、日本は滅ばされ て属国になっていたに違いない。日本の歴史は終わっていたのだ。そう考えると、今日、 日本が独立国であるのは、国難に対する時宗の肝っ玉のおかげと言っていい。 そうして、こちらのほうから攻めていくんだ / と、時宗以下、鎌倉武士が一丸とな 膸ったときに、神風が吹いたのである。神風が吹かなかったら、日本が滅んでいたであろ 気 うことは確かである。しかし、考えなければならないのは、なせ神風が吹いたのか、で 章ある。時宗の「鉄の肝っ玉」があったからである。 第 このように、その時代のシナリオとそれにふさわしい役者が揃っていたから、天照大 163
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このときの時宗の取り計らいと意欲がなかったら、神風が吹く前に、日本は滅んでい たに違いない。神風が吹いたのは、そのあとだからである。 時宗の下に国中がまとまったから神風が吹いた 一致団結したのは鎌倉武士団だけではなかった。 日本国中が心を一つにして、国難に当たったのである。たとえば、亀山上皇は、伊勢 神宮にお参りをして、日本の国を守らせたまえと祈ったが、そのときの敵国降伏祈願が 筥崎宮の額になって、いまでも残っている。 日蓮上人も国のために祈った一人である。このとき日蓮上人は、こう語った。 「そら見たことか。法華経を信じないで南無阿弥陀仏なんか信じるから、こんなことに なるんだ。法華経を信じなかったら内紛が起きて、外的の侵略に遭うぞと忠告していた ではないかー りつしようあんこくろん たしかに日蓮は、国難がやってくると『立正安国論』で予言をしていた。そのとき は幕府方の誰一人信じるものがなく、かえって国を乱す者として流刑にされてしまった 162
御神および神々様が働いて神風を吹かせたのである。 天の岩戸カノ 。、 1 ッと開いて、神風が吹く。神様が岩戸の中から出ていらっしやる前に、 たじからおのみこと やはり時宗という手カ男命がいて、日本国民と鎌倉武士たちの気持ちが手カ男命と一 つになったから、神風が吹いたのである。 だから、会社を経営する場合も、社員一丸となって仕事に取り組むことが大切で、そ うすれば社運が隆昌する。国運も同じで、明治時代、日清、日露という勝ち目のない戦 争に勝っことができたのはなせかと言えば、日本国民が明治天皇を中心に一丸となって いたからである。 一度は、我と慢心と権力が出すぎて神様から戒められたが、第二次世界大戦で負けた あと、昭和天皇を中心に国民が一丸となって祖国を再建しようとしたから、神様のご加 護で、世界の奇跡と言われるほどの復興を遂げることができたのだ。 オイルショックのときにも、重厚長大から軽薄短小への産業構造の転換を目指して、 上下一つとなって取り組んだから、みごとに成功を収めることができたのである。 日本は国民がよきにつけ、悪しきにつけ、国民が上下一丸となったら、とくに危機に 対して一丸となったら、神様が動いて不可能を可能にするという体験を持つ国民なのだ。
ば寄って目にも見よ、われこそは村上天皇の血を引きたる何の誰それなり」と、名乗り を上げてから堂々と戦いを挑むのがル 1 ルとされていた。戦にも非常に文学があったわ ところが、蒙古軍はまるで違う。頭には見たこともないへルメットをかぶっているし、 ジャンジャンドラを鳴らすのでうるさいといったらない。しかも、「やあやあ遠からん 者は」なんて言っている間に、蒙古軍の長い槍でプスリと突き刺されてしまう。日本で 戦うんなら日本のルールに従えといったところで、通じるわけがない。 蒙古軍はいよいよもって勢いを増し、長槍をかまえた兵士が集団で襲い押してくる。 このままでは敗戦は必至である。あわてた前線の指揮官は時宗に使者を飛ばして、現状 を報告する。 「到底、わが軍は勝つ見込みはありません。どういたしますか」 法 だが、時宗は微動だにせず、悠然と聞いていた。 克 気 ちょうどそのとき、蒙古の使者が着いた 「これはフビライ汗からの密書の親書でございます。お読みください 章 第見ると、「速やかに降伏し、わが属国となるべし」と書いてある。 157
してや流鏑馬なんか到底できない。でも、そういうふうな念が出てくると思っちゃいけ浦 ない。その念の出ることを恐れすに、その覚ることの遅きを恐れる。考えない練習をし て、思っちゃいけない。思っている時宗を捨てきゃいけない。何も考えないんだ」 この姿勢を荘子は「迎えす送らす」と言っている。迎えすというのは、まだ来もしな い未来のことに気持ちを迎えてはいけない、 とい、つ。送らずとい、つのは、も、つ過ぎてし まったことをああすればよかった、こうすればよかったと心を送ってはいけない、 うこと。つまり、迎えず送らず、目前のことに専心しなさい、ということである。その 迎えす送らすの境地を、時宗は座神の修行で身につけていったのだ。 蒙古襲来に時宗は動じない′ 蒙古軍が大挙して北九州の海岸に押し寄せてきたのは、そうした折りであった。よも やの奇襲に日本軍は敗走に次ぐ敗走である。いや、敗因は奇襲だけにあったのではなか った。戦い方が旧来の武士のそれとはまったく違っていたのである。 それまでの日本の武士の戦い方と言えば、「やあやあ遠からん者は音にも聞け、近く ゃぶさめ さと
ある。 百丈禅師のころになると、禅の修行をしようとする者が数多くなってきた。それまで は、禅僧が独立した禅院に住みながら説法をするということはなかったのだが、ここま で数が増えてきたらもはや禅院を建て、集団生活の中での修行を行なっていくほかない。 それにはどうしても規則が必要だ、ということで百丈禅師が四十八則を定めたわけだ。 さむ 百丈禅師は、自力で集団生活ができるようにと考え、その四十八則の一つに、作務 ( 労働 ) を修行の一環として定め、自ら率先垂範して作務に従事した。 ところがある日のこと、弟子たちが老齢の師をいたわって作務の道具を隠してしまっ た。道具がなければ作務はできない。そこで懐海は作務を休んだのだが、その日は丸一 日食事を摂らなかった。そのときに百丈禅師が残した言葉が、「一日作さざれば、一日 食わすーという有名な言葉である。 いすれにしても、生活に根ざした禅は慧能禅師から始まり、百丈禅師でその基礎が固 りんざいしゅ、っそうと、つしゅ、つおうばくしゅう 臨済宗、曹洞宗、黄檗宗という三つの流派を持つ日本の禅宗は、 められたわけだが、 全部、慧能禅師から出ている。日本の禅宗が生活に根ざしているゆえんである。
しいですよ」なんて。その一言の枕詞がなかっ なんて言いますと、「ああ、 たら、「先生、あの娘は死んだらどうなるんですか」なんてなりますからね。 「こんなことをお聞きしていいのかな」なんて言うと、ああ、心地いいです ク々無礼講でもいいんですよ。 ね。枕詞さえ、日本ではただし書きすれば、ト あまり礼儀で儀式張っていたら、自在性がないから、かえって生きないです ね。それが礼儀じゃないところの礼儀、本当の礼儀というのはそうですね。 【さん】ありがとうございました。 216
たとえば年功序列とか、年齢によるものとか、そういうことではないかと 【さん】 思います。 【深見】それが本当の秩序でしようか 【さん】「相手を気持ちよくさせること」・ : : ・ ( 色紙の答えを読む ) 【深見】あなたはたしか、海外から来る外国の人たちを、いつも礼儀がないと思っ ていませんか 【さん】思いません。 ( しし力と思っていませんか 【深見】どういうふうに礼儀を尽くせよ、、、 思っています。 【さん】 【深見】相手を気持ちよくさせたらいいんですよ。礼儀とは、相手を気持ちよくさ せるものなのです。これが礼儀だからと言ってするんじゃない。外国へ行き ますと、年功序列なんて関係ない。 そういう外国の人が日本に来て、「どうやったらいいんだ」と。 「日本人はこ、つすることを気持ちよく感じるから、そ、つしなさい。それが礼 儀というものですよ