時宗 - みる会図書館


検索対象: 自分を変えれば未来が変わる
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1. 自分を変えれば未来が変わる

のだが、なるほど日蓮の予言したとおり国難がやってきた。そこで、わりかし日蓮の言 うことも当たっているじゃないかということで、佐渡から帰されたということが記録に 残っている。 たしかに、日蓮上人が『立正安国論』を出したことも、亀山上皇がお祈りしたのも、 それなりに効力を発揮しただろう。 しかしこのとき、蒙古の使者の首を斬って送り返し、また水際作戦をとって敵を打ち 返すばかりか、中国本土へ攻め上るんだというぐらいの気概が時宗になかったとしたら どうだろう。おそらく、神風が吹く前に、日蓮も亀山上皇も関係なく、日本は滅ばされ て属国になっていたに違いない。日本の歴史は終わっていたのだ。そう考えると、今日、 日本が独立国であるのは、国難に対する時宗の肝っ玉のおかげと言っていい。 そうして、こちらのほうから攻めていくんだ / と、時宗以下、鎌倉武士が一丸とな 膸ったときに、神風が吹いたのである。神風が吹かなかったら、日本が滅んでいたであろ 気 うことは確かである。しかし、考えなければならないのは、なせ神風が吹いたのか、で 章ある。時宗の「鉄の肝っ玉」があったからである。 第 このように、その時代のシナリオとそれにふさわしい役者が揃っていたから、天照大 163

2. 自分を変えれば未来が変わる

霊力でもって、敵をバッタバッタとなぎ倒してしまうのだ。 現代は、近藤勇や柳生宗矩の生きた時代とは全然違う。真剣を握って命がけで主君を 守ることが義とされる時代ではない。しかし、その精神性は大いに見習うべきだろう。 とりわけ大きな事業をなし遂げようというのであれば、「大死一番」の覚悟が必要だ ここ一番、死を超えていくぞという勇気と根性がなければ、成功など望むべくもない。 弱気になるのは、もし失敗したらどうしようという心が働くからである。しかし、失 敗したらまたやり直せよ、 ( しいだけのこと。失敗なんか恐れることではない。よしんば死 ぬことがあったとしても、それも本望だ。それくらいの根性を据え、魂からの気迫にあ ふれていれば、迷いがない。不安もない。葛藤もない。当然、弱気なんかにはならない し、心が澄みきる分、相手の出方が手に取るように見えてきて、結果的に成功を収める ことができるのである。 ほ、つじよ、つときむね 弱気で女々しい若き日の北条時宗 二度にわたって元寇を退けた執権、北条時宗も「大死一番、死して大生する極意」を しつけん 152

3. 自分を変えれば未来が変わる

このとき、無学祖元は、こう言ったのだ。 「その時宗を捨てよ」 時宗はハッとした。 「この時宗を捨てる ? 」 「そのとおりだ。迷ったり葛藤したり、弱気になったり、北条執権なんかやれるんだろ うか、どうなんだろうかと思っている、その時宗を捨てればいいんだ。そうすれば大丈 夫だ」 時宗は尋ねた。 「捨てられるものなんですかー 「捨てられる」 「どうしたら捨てられますかー 法 「ただ黙って私の言、つとおりに座りなさい 克 「わかりました。それで捨てられるんだったら、言うとおりにいたしますー かくして時宗は、朝から晩まで座禅をするようになる。 章 第「私は小さいときからお花とか文学が好きで、弓なんかできない。乗馬もできない。ま

4. 自分を変えれば未来が変わる

霊媒体質で顔が真っ黒になった 人によかれという祈りが通じて、我によかれは通じないⅡ 「勝っている」イメ 1 ジを訓練せよ′ 「大死一番、死して大生する極意なり」 稽古ではすごく弱かった近藤勇 ほ、つじよ、つときむね 弱気で女々しい若き日の北条時宗 時宗は己を捨てて強気に 蒙古襲来に時宗は動じない / 使者は斬れ / 攻撃は最大の防御だ 時宗の下に国中がまとまったから神風が吹いた観 時宗の決断実行は経営者に通じる 大死一番でなければ強敵に勝てない マムシに噛まれない歩き方 しんじんごういっ 大死一番は神人合一の極意朧 これであなたの弱気は克服 たいせい 150 145 147

5. 自分を変えれば未来が変わる

年をとればとるほど時宗は弱気になり、迷いに迷っていた。そういうところは小さ、 ころの私にそっくりで、つくづく身につまされる思いがする。 時宗は己を捨てて強気に 時宗は迷いに迷った末、北条執権をやめて出家でもしようかと、禅宗の坊さんに相談 ご存じのように鎌倉には、いまでも鎌倉五山と呼ばれるお寺のほか、禅寺が多い。中 でも臨済宗の建長寺は当時、幕府のトップが信仰していたお寺で、当代の名僧がたくさ んいた。しかし、いくら弱気でも、時宗も北条宗家のプライドがある。誰にでも相談す むがくそげん るわけにもいかす、中国からやって来た無学祖元という坊さんに相談したのである。無 学と称してはいるものの、無論、無学なんかではない。当時の最高の学識経験者である。 時宗は、正直に打ち明けた。 「かくかくしかじかなわけで、私には到底、執権にはなれません。自信がありません。 私は女に生まれてくるべきだったと思います。どうしたらいいのでしようか」 154

6. 自分を変えれば未来が変わる

時宗の決断実行は経営者に通じる そこでもう一度、執権時宗の役割を考えてみよう。 北条時宗は「鉄の肝っ玉」、「鉄の度胸の人ーと言われている。蒙古襲来に際して何の ためらいもなく、攻めて行くんだと決めた。これぞまさしく「迎えす、送らす」の心で ある。 その時宗は、子供のころはなよなよ、めそめそしていた弱気の塊のような人間だった。 そういうくよくよ迷う「その時宗」を捨てて、「迎えす、送らす」の心で、最大の危機 を打開する指導者になった。 し力なることなのか では、北条執権とは、、、 別に弓がうまくても立派な執権ではない。馬術に長じているからといって、立派では ない。槍がうまかったからといって、棟梁が務まるわけではない。そんなのは下っ端が やればいいのであって、決断力と実行力をもってみんなを引っ張っていくこと。これが 長たる者の最大の使命である。なすべきことをなすべきようにやる決断力、実行力、こ れがなければ、長たる者の資格はない。 166

7. 自分を変えれば未来が変わる

使者は斬れ′・攻撃は最大の防御た それにしても、時宗はどうしてしまったのだろうか。世界最強の蒙古軍を前にして、 気が動転し、頭までおかしくなってしまったのだろうか。いや、そうではなかった。あ の女々しく弱々しい時宗はすっかり姿を消し、いよいよ「鉄の肝っ玉」ぶりを発揮し始 めたのである。 時宗はます、海岸へ厳重な警備を命じ、西国一円の武士を博多湾に動員した。今の筥 崎宮があるところで、水際作戦を敷くことにしたのだ。蒙古軍が海上から上陸したあと、 地上戦を挑んだところで勝ち目はない。相手は陸戦にかけては滅法強く、勇猛果敢な大 和の武士をもってしても手に負えないことは、これまでの戦いで十二分にわかっている。 そこで時宗は、敵が上陸する前に撃って出れば勝てるのではないか、いや、勝つ見込 法 みはそれしかないと考えた。敵が上陸しかけているその刹那、ワーツと矢を射かけたり、 克 石を投げたりすれば、敵は集団戦法もとれないし、火薬も使えない。そうなれば勝てる。 章そう考えた時宗は、鎌倉の武士たちまで動員して、いまの筥崎宮のあたりまで行かせた 第のである。 159

8. 自分を変えれば未来が変わる

時宗の周辺の者どもは、誰もがみんな「ど、ど、ど、どうしよう、どうしよう」と顔 面蒼白である。 そのとき、時宗は何と言ったか。「しばらく考えさせてください」とは言わなかった。 「うん、わかった。答えは簡単。即刻、こいつらの首を斬れ」 と、その場で使者たちの首を斬らせた上、その首を敵に送り返したのだ。フビライ汗 はその後、もう一度使者を出したが、またしても首を斬られてしまった。 蒙古軍の司令官にしてみれば、時宗の態度は到底理解できるものではなかった。その 当時の蒙古軍は世界最強である。西はハンガリ 1 、 モスクワ、ベルシャ、東は中国本土、 朝鮮までカで従えていたのだ。 だから、使者が「属国になりなさい」とメッセージを持って行ったら、「はいそうで すか」と言わない国はないと思っている。だから、日本に遣わした使者が首になって返 ってきても、何かの間違いだろうとしか思わなかったのだ。しかし、ついに時宗の真意 を理解したフビライ汗は、大軍を発して、福岡の海岸に攻め寄せさせた。 158

9. 自分を変えれば未来が変わる

御神および神々様が働いて神風を吹かせたのである。 天の岩戸カノ 。、 1 ッと開いて、神風が吹く。神様が岩戸の中から出ていらっしやる前に、 たじからおのみこと やはり時宗という手カ男命がいて、日本国民と鎌倉武士たちの気持ちが手カ男命と一 つになったから、神風が吹いたのである。 だから、会社を経営する場合も、社員一丸となって仕事に取り組むことが大切で、そ うすれば社運が隆昌する。国運も同じで、明治時代、日清、日露という勝ち目のない戦 争に勝っことができたのはなせかと言えば、日本国民が明治天皇を中心に一丸となって いたからである。 一度は、我と慢心と権力が出すぎて神様から戒められたが、第二次世界大戦で負けた あと、昭和天皇を中心に国民が一丸となって祖国を再建しようとしたから、神様のご加 護で、世界の奇跡と言われるほどの復興を遂げることができたのだ。 オイルショックのときにも、重厚長大から軽薄短小への産業構造の転換を目指して、 上下一つとなって取り組んだから、みごとに成功を収めることができたのである。 日本は国民がよきにつけ、悪しきにつけ、国民が上下一丸となったら、とくに危機に 対して一丸となったら、神様が動いて不可能を可能にするという体験を持つ国民なのだ。

10. 自分を変えれば未来が変わる

してや流鏑馬なんか到底できない。でも、そういうふうな念が出てくると思っちゃいけ浦 ない。その念の出ることを恐れすに、その覚ることの遅きを恐れる。考えない練習をし て、思っちゃいけない。思っている時宗を捨てきゃいけない。何も考えないんだ」 この姿勢を荘子は「迎えす送らす」と言っている。迎えすというのは、まだ来もしな い未来のことに気持ちを迎えてはいけない、 とい、つ。送らずとい、つのは、も、つ過ぎてし まったことをああすればよかった、こうすればよかったと心を送ってはいけない、 うこと。つまり、迎えず送らず、目前のことに専心しなさい、ということである。その 迎えす送らすの境地を、時宗は座神の修行で身につけていったのだ。 蒙古襲来に時宗は動じない′ 蒙古軍が大挙して北九州の海岸に押し寄せてきたのは、そうした折りであった。よも やの奇襲に日本軍は敗走に次ぐ敗走である。いや、敗因は奇襲だけにあったのではなか った。戦い方が旧来の武士のそれとはまったく違っていたのである。 それまでの日本の武士の戦い方と言えば、「やあやあ遠からん者は音にも聞け、近く ゃぶさめ さと