注文するクセをつけるんだ、ということだった。 それはわからないではないが、 菜食主義者の私にとって、飲みたくもないコ 1 ヒーを 飲まなければならないのは、耐えがたいほどの苦しみだった。このときほど、「すまじ きものは宮仕え」という一言葉が胸に染みたことはなかった。 ステーキ攻撃の苦しみに耐えて だがこれは、私にとってまだまだ軽い試練でしかなかった。菜食主義の私が、パニッ クに陥るような事態がめぐってきたのである。 菜食主義者になってからというもの、私は肉を完璧に遠ざけてきた。ところが、ある 日のこと、直属の事業部長が、 「お前はよく仕事をするから、わしがご馳走してやろう」 と、今でも忘れはしないが、渋谷の道玄坂のステ 1 キハウスに連れて行ってくれたの だ。私が菜食主義であることを知らない部長は、 「さあ、遠慮は無用だ。食べろ、食べろ。どうだ、うまそうだろう」
睡眠時間でもすぐに回復できるようになった。だからもう、菜食主義こそ人類救済の道 である、というくらいに信じ込み、すっかり菜食主義の虜になってしまったのは一言うま でもなく、それは大学を卒業するまで少しも変わることがなかった。 。 ( ( し力ないその後、 しかし私は今、読者のみなさんに菜食主義をお勧めするわナこよ、、 菜食主義は間違いで、単なる思い込みであることに気づいたからである。 営業マンはコーヒ 1 しか飲んではいけない ? 大学卒業後、私はある大手住宅メ 1 カーに就職し、営業マンとして働くようになった。 来る日も来る日も営業先を忙しく回り続けていたある日のこと、一人の先輩から、 「ちょっと喫茶店に行ってコーヒーでも飲もうかー と、私を含め新入社員数人が誘われた。正直言って、あまり気乗りしなかったのだが、 。。 ( し力ない。誘われるままについて行くと、 先輩からの誘いとあっては断るわナこよ、、 「おれがご馳走するから何でも頼め。おれはコーヒー。お前たち、何にする ? 」 ほかの新入社員も口々に、
教えられてからである、喫茶店に行っても野菜サラダは食べないことにしたのは。 それでもまあ、野菜に対する抵抗感はなかった。喫茶店の野菜サラダさえ食べなけれ ばいいのだから、ほとんど問題はなかった。だが、 肉類に限っては絶対にダメだった。 それほどまでに菜食主義にこだわったのはなぜか。そのころ私が信じていた論理にこう いうのがある。 健康を保つ上で必要な必須アミノ酸は一〇種類。そのうち二種類の必須アミノ酸は、 子どもが大人になる成長期に必要なアミノ酸であり、それ以外の八種類のアミノ酸は生 命や新陳代謝の維持をするために必要なアミノ酸である。したがって、成長期が過ぎて 成人した人間は、動物性蛋白に含まれる二種類のアミノ酸がなくても、八種類のアミノ 酸だけで十分。ゆえに菜食だけでもやっていけるんだというのが、菜食主義者の論理だ った。 そういうもっともらしいところで、私も菜食主義を信じていたのである。
菜食主義で朝起きになったけれど : ・ 低血圧と型の体質プラス性格を私が克服できたのは、ねばならない環境に自分を 追い込んだからだった。しかし、それだけではない。 途中でめげそうになったことは、何度もある。そういうときに私は、別の方法も試し 法 る て、実際に効果を上げることができたと思っている。それは菜食主義だった。 め 朝に弱い私にとって、どうしたら短い睡眠時間でも健康を保ち、元気ハッラッとして 目 己いられるか、というのが一番重要テーマだった。それにはどうしたらいいのか、いろい ・目 1 を七・四 るろ考えた末に思いついたのは、筋肉を強くするということと、血液のペー ぐらいに維持する、ということだった。 新 ご存じのように、血液が酸性に傾くと疲労しやすくなるが、それは、細胞組織に乳酸 て っ 1 をアルカリに保っていれば、疲労の原因物 破が溜まるからである。だが、血液のペー を 念質である乳酸が分解される。そのため、たとえ睡眠時間が短くても、細胞組織に乳酸が 章溜まることがないので、すぐに体力が回復する。 第 私が菜食主義になったのは、そういう話を耳にしたからだが、実際、それ以来、短い
いが結果的に、菜食主義の間違いから目を覚まさせてくれたのである。 さて、六祖慧能禅師とは、一体誰なのか 一言で言えば、中国禅の始祖と言われる人物である。その慧能禅師との出会いが 論、本を介してのことだが ) 、なせ菜食主義との決別に結びつくのか、まるで見当もっ かないと言う向きが多いだろうから、少し長くなるが解説しておこう。 かんとん 新州 ( いまの広東州 ) のど田舎に生まれた慧能は、小さいころに父親を失い、貧しい 覚 生活の中、薪を売りながら母を養っていた。それくらいだから、学問をする機会に恵ま 己れるはすもなく、慧能は無学文盲、もちろん字を書くこともできなかった。 こんご、つはんにやきよ、つ ある日、慧能が道端で薪を売っているときのこと、あるお坊さんが金剛般若経の話 をしていた。それを聞いた慧能は、ああ、ありがたいお話だなと思い、そのお坊さんに 尋ねた。 「そういうお話はどこへ行って勉強なさったんですか。そういうものをもっと勉強しょ 念 しんですか」 、つと思ったら、どこへ打けばい、 たるま 「ここよりはるか北に、五祖弘忍禅師という立派なお坊さんがいる。この方は達磨大師 第さんから印伝を受けられた方だ。そこには多くの優秀なお弟子さんがいて、勉強してい
眠気を追い払う絶好の方法もある 私はこ、つして連続四十五時間書き続けた 無味乾燥な基礎学習は、環境変化で克服できる的 「ねばならない 環境に自分を追い込め′ 深見式低血圧克服法 五段階目覚まし時計作戦の成否やいかに ? 目覚まし時計プラス濡れタオル作戦に / 一念発起′・新聞配達を始めた 日の出より早く起きたら私の勝ち 冷え性から脱却できた / 第二章観念を破って、新たなる自己に目覚める法 菜食主義で朝起きになったけれど : 営業マンはコーヒーしか飲んではいけない ?
に入ると浄土教とともに隆盛を極めるのであるが、その後、本家の中国では禅は次第に 袞退し、その真髄は現在、日本でのみ引き継がれているのが実情である。 本来無一物、アルカリが何た′・酸性が何だ / だいぶ話が横道にそれたが、そういう慧能神師の教えのエッセンスに、地下鉄のホー ムで出会ったのである。先輩に肉食を強制されては心の中で泣き泣き食べていた、情け ない菜食主義者であったころの出来事である。 私は夢中になって読んでいた。そして、慧能神師の「本来無一物、何れの処にか塵埃 を惹かん」というところまで読み進んだそのとき、突如として感激の嵐に襲われ、人の 行き交うプラットホ 1 ムにいることも、流れ出る涙を拭くことも忘れ、ただただ感動に 震えるばかりであった。 そうか、本来無一物なんだ / アルカリ性の食物も、酸性の食物も、本来無一物なん だ。アルカリ性だ酸性だ、ペ ー 6 だと言ったところで、それが何に なる。自然食もも関係ない。すべては本来無一物なんだ : ・
と、お肉をはすしてご飯とショウガ、みそ汁、そういうものばかり食べる。 「お前は変わっているな。牛丼でお肉をはすしてご飯を食べているのか。おれがおごる と言っているのに、お前はおれに反抗する気なのか」 それでまたトイレに入って、 「精製されているとはいえ肉は肉でございます。牛丼を食べることをお許しください 法 る とお祈りをして、 め 「お待たせしました」 目 己 と肉を食べる。すると二切れ、三切れで顔色が真っ青になる。肉を食べたら、 ( あっ、 ・目 る血液が酸性になった。このドロッとした血液が肩に回ってきた。あっ、次第に十二指腸 のほうに巡ってきているな ) というのが手に取るようにわかった。信じられないかもし 新 れないが、菜食主義で神経が研ぎ澄まされていたあの当時、肉を食べたら酸性血液が体 っ 破に回っているのが全部わかったのだ。 念 それだけに気分の悪いことといったらなく、翌日になると肩がドッと重くなる。おま 観 けに、それまでは植物的なラララ 1 という非常に軽快だった声まで、ラ、ラ、ラ 5 とい 章 第うひどい声になっている。ああ、獣のような声になってしまったと、悲しみに打ちひし四
をカバンに入れるべきじゃない」と叱られたのは、そんな折りであった。 営業マンとして仕事をしていく限り、これ以上菜食主義は続けられない。 ついに私は、 営業マンをやめなければならない環境に追い込まれてしまったのである。 ああ、どうしよう。どうしたらいいんだろう。私は悩みに悩んだ。半年、八カ月、い やもっと悩んでいたと思うが、ある日のこと、私は決定的な光明を見出したのである。 地下鉄のプラットホームで慧能に出会う 私は営業マンになって以来、駅のプラットホ 1 ムで勉強することを日課としていた。 勉強するなら机の上が常識だが、私の場合、机に向かうと守護霊や神様にお祈りすると いうクセがあり、なかなか勉強できなかった。 ところが、どういうわけかプラットホームのべンチに座ると、驚くほど集中力が湧い てきて、『易経』や『大学』、『論語』など、どんなに難しい本でも次々と読破できた。 だから、勉強は地下鉄のプラットホームでと決めていたのだが、営業マンとしての限界 ろくそえのうぜんじ を感じていたそのころは、ちょうど六祖慧能禅師に関する書物を読んでいた。その出会 、えの、つ
から、食べ物で元気をつけるのである。 とくにたたり霊を救霊する前は、食事にはこだわる。玄米やほうれん草を食べて、 「ああ、体がアルカリになってよかった」と言って満足している人には、ます救霊する ことはできない。たたり霊のほうがはるかにパワーが強いからだ。植物的な声で、「君、 たたりするのはやめなさいーなんて諭したところで、相手の念カパワーのほうが強いか 法 るら、一〇〇パ 1 セントやられてしまうだろう。救霊するには、相手のパワーより強くな ければできないことなのだ。 己 だから、「明日は強烈なたたり霊だな」というときに私はステ 1 キを食べて、ニンニ 自 るクでパワ 1 アップし、さらにユンケルを飲んで、「がんばるぞ′・たたり霊は必す改心 する′・と思、つと明るく元気になる。 新 実際、ステーキを食べた瞬発力で、たたり霊も「負けました。もうたたるのはやめま て 破す。このパワーに勝てない」と霊界に帰ってしまう。怨念霊を救霊するときとか、ここ を 念 一番のときには、やはり元気が出る食べ物を食べるが、そのとき以外は菜食、肉食関係 ハランスよく食べることにしている。 章なく、 第 読者のみなさんの中にも、私のように非常に霊を受けやすい体質の人がいるかもしれ 113