してや流鏑馬なんか到底できない。でも、そういうふうな念が出てくると思っちゃいけ浦 ない。その念の出ることを恐れすに、その覚ることの遅きを恐れる。考えない練習をし て、思っちゃいけない。思っている時宗を捨てきゃいけない。何も考えないんだ」 この姿勢を荘子は「迎えす送らす」と言っている。迎えすというのは、まだ来もしな い未来のことに気持ちを迎えてはいけない、 とい、つ。送らずとい、つのは、も、つ過ぎてし まったことをああすればよかった、こうすればよかったと心を送ってはいけない、 うこと。つまり、迎えず送らず、目前のことに専心しなさい、ということである。その 迎えす送らすの境地を、時宗は座神の修行で身につけていったのだ。 蒙古襲来に時宗は動じない′ 蒙古軍が大挙して北九州の海岸に押し寄せてきたのは、そうした折りであった。よも やの奇襲に日本軍は敗走に次ぐ敗走である。いや、敗因は奇襲だけにあったのではなか った。戦い方が旧来の武士のそれとはまったく違っていたのである。 それまでの日本の武士の戦い方と言えば、「やあやあ遠からん者は音にも聞け、近く ゃぶさめ さと
霊媒体質で顔が真っ黒になった 人によかれという祈りが通じて、我によかれは通じないⅡ 「勝っている」イメ 1 ジを訓練せよ′ 「大死一番、死して大生する極意なり」 稽古ではすごく弱かった近藤勇 ほ、つじよ、つときむね 弱気で女々しい若き日の北条時宗 時宗は己を捨てて強気に 蒙古襲来に時宗は動じない / 使者は斬れ / 攻撃は最大の防御だ 時宗の下に国中がまとまったから神風が吹いた観 時宗の決断実行は経営者に通じる 大死一番でなければ強敵に勝てない マムシに噛まれない歩き方 しんじんごういっ 大死一番は神人合一の極意朧 これであなたの弱気は克服 たいせい 150 145 147
くと、どんな民族にも礼儀が行き渡るわけです。 相当、そのあたりで悩んでいらっしやったのですか。 【さん】はい、そうです。いろんな国の方を相手にしていますけれども、アラビア のイスラム教徒とか、インドの人とか、ちょっと考え方がわからないことが 多くて、非常に悩んでおりました。 ふーん、そうです。聞いたらいい 「イスラム教の人たちは、ど、つい、つことを気持ちよく思い、ど、つい、つことを 気持ち悪く思うのですかーと。 、と言うのをして上げれば、喜びます。逆に、気 こ、つい、つのが気持ちがいし 持ちが悪いとい、つことは、触れなかったらいい。気持ちが悪いと思、つことを 触れないようにして上げるのが礼儀です。そうしたら喜びますね。人間、触 れられたくないところは触れないのが礼儀ですよ。 教育訓練のとき、触れなければならないときには、「これは教育訓練だか ら、嫌なことかもしれないけれども、馴染んでくださいよ [ と、ただし書き をすれば、わかったら気持ち悪くならない。気持ちよく思います。 【深見】 210
やり直さなければ : 今度は、学校まで何歩で行けるのか、これがやたらと気になり始める。学校までだい たい一キロぐらいあるのだが、 果たして何歩で歩けるのだろうか。一〇〇〇歩なんだろ うか、一万歩なんだろうか。計ってみると一五〇〇歩ぐらいだった。正確なところは覚 えていないが、多分そんなものだったと思う。 すると今度は、きっかり一五〇〇歩で歩けないと気が済まなくなる。なぜ、今日は一 五〇三歩だったんだろう。なぜ今日は一四九七歩だったんだろう。わずか二、三歩の違 いが気になって、授業が始まってからもそのことが頭を離れなかった。 何歩で歩こうが歩くまいが、そんなことどうでも、 しいことである。それが気になるな んて、やはりどこか変わっていた。いや、目茶苦茶変わった子どもだったと言っていい。 法 相手が上なら弱気になる : : : これ当然 克 中学時代も学校で一番小さかった。それでもまだよかった。勉強の成績が学校で一、 章 第二番だったからだ。 127
に進も、つとい、つことで、自分に合ったこととい、つか、なるべく自分がしやす く伸びるように、自分に合わないことをやろうとしても、どうしても避けて 通るとか : 【深見】ある程度、合理的な人生の追求というのは必要なんですけれども、それで 行き詰まっている状態のときに、どうやったら飛び超えられるか。一歩成長 するためには、考えるのをやめて、己を忘れて、目前のことに没入したら、 ばつが 没我の自己に初めて神様がかかる。神様がかかるから道が開く。三年以内に 必す開運する予兆があるから大丈夫です。 しかし、神霊界が動いて、あなたのために新しい道を開くには約東ごとが 、。一丁き詰まるまではいろいろ考えたらい ある。黙って空を見ていても来なし彳二ⅱ いんですよ。ギリギリまで来たら、につちもさっちも行かなくなったら考え るのをやめて、ただただ己を忘れて励んだら、自分の境地が一歩ポーンと超 えていくんです。神様が来てシュッと上げてくれるわけです。だから、頭で 考えて行き詰まったら、それ以上、頭を使わなかったらいい。全身を使って、 肝っ玉を使えば、己の中の境地が乗り越えていくから、運勢が乗り越えた場 192
ること。言わば、朝の朝礼で自分の目標を宣言するようなつもりで、神様に向かって発 願するのである。セ 1 ルスの会社では毎朝、 「今日のノルマを言ってみろ′ 「はい、私はきよう英会話のカセットを二〇セット売ってきます」 「私は三〇セット売ります / 」 「何、三〇セットもやれるのかね」 「はい、必す達成します / 「ようし、今日もみんなでがんばるぞー。ェイエイオー / 」 なんていう光景が繰り広げられている。 その直前までは全然やる気がなくても、自分でノルマを設定し、それをみんなの前で 宣言すると、弱気の虫はともかく引っ込む。だから、十年一日のごとく「エイエイオ 1 が繰り返されているのだが、あのやり方でいいのだ。 約東する相手が目の前にいなくてもいい。 そのときは、神様に約東するのだ。「きょ うは英語を三時間、数学を三時間、苦手のところだけを集中して勉強しますーとか、あ るいはもっと具体的に、「問題集を英数二〇頁すっ、解けるまでがんばりますーとか約 138
そこまで言われたら食べないわナこよ、、 。。 ( し力ない。私は清水の舞台から飛び下りる気持爲 ちで一切れ口に入れたが、やはりますかった。 「ど、つだ、、つまいだろ、つ ? 「ええ」 ほほを引きつらせながらも、そう答えるほかなかった。お釈迦様ではないが、世の中 は苦しみに満ちている。思いどおりこよ、、 。ーし力ないと、つくづく思ったものである。 牛丼の肉が私の体を変えた / あるとき、「吉野家へ行こう」と、先輩と同僚と連れ立って牛丼を食べに行ったこと があった。当然、誰もが牛丼を食べる。吉野家には牛丼しかないのだから、それが当た り前である。その中にあって、私一人、ショウガばかりを食べる。 「おい、食べないのか、牛丼をー と言われても、 「いいんです、ばくは」
れ。昨日守護していたやつなんか、産土の神社にとって最悪なやつだ。あい 、、ナれどもね。 つは、酒ばっかり飲んでいて」と。酒は少しぐらいならしし。 とにかく、愛と真心と五つの道に叶っていることが第一。反対に我と慢心 を嫌がりますね、神様は。我と慢心、次に怠り、努力しないのを嫌がります。 我と慢心と怠りを避けて、五つの道に合っていたら、「こんなに気持ちのい いやつはいないですよ」と言って、守護神協同組合の中でも発表しています ね。『話題の人物 : : : 今年度、最も気持ちよかった人物は z 君だ』なんて。 それは神集祭のときによく話します。今年度、最も気持ちよかった人物、よ くありますね。今年の一〇大ニュ 1 スなんてやっているでしよう。ああいう のは神霊界でもやっています。「今年の一〇大ニュ 1 ス、最も気持ちのよか った人間。最も気持ちの悪かった人間、これは地獄界へ行っていただこう。 気持ちのよかった人間には功を与えて、みんな守護しようよ」と。 ちゃんと人事考課があるんですよ、神様にも。浮気ばかりするから五点引 き。ただ飯食らいだから一〇点引き、テレビばかり見ているから二〇点引き、 定例講義をさばってばかりいるから一〇〇点引き、こ、つい、つのがいろいろ出 うぶすな 214
祈りを一日でもしなかったら、顔は真っ黒だし、やつばりダメだと落ち込んでしまう。 何ゆえにこんなにも落差が激しいのか、自分でもわからなかったが、そのために私は、 生理的に神様に祈らざるを得ないような人間になったのである。もちろん、もの心つい たころから神様が好きだったということもあるが、私が祈りの生活をするようになった も、つ一つの理由は、極度の霊媒体質ゆえに一日でも祈りを欠かせば顔が真っ黒になるか らであった。 人によかれという祈りが通じて、我によかれは通じない かくして、十五歳のときから日々発願主義の生活が始まったわけだが、次第に「ばく にもやれるんだ、できるんだ」と自信がついてきた。神様にお願いしたことは、ピッタ 法 リと、つまくいくからである。逆に、お願いしなかったことは、、つまくいかない。やつば 克 気 りお祈りの力はすごいんだ、とますます確信を深めていった。 それとは別に、もう一つ、大きな発見があった。それは、自分のことでお願いしたこ 章 第とはことごとく失敗して、人さまのためにと思 0 てお願いしたことは成功する、というⅧ
「お師匠さん、これでどうでしようか」 と弘忍に提出した。 ばだいもと 菩提本樹く めいきようまただい あら 明鏡亦台に非す ほんらいむいちもっ 本来無一物 法 ひ いず る 何れの処にか塵埃を惹かん め この詩はのちのちまで伝わる、褝の最も高い境地とされる。 己 その意味は、 ・目 る 「私の身は菩提樹なんてものじゃなし 、。、いは明鏡のごとく澄みきり台のごとく揺るぎな いというのは、おかしい。身と言ったって心と言ったって、すべてのものは無から来て て いるんだから、どこに塵埃など集まることがあるものか」 っ 破 というもので、神秀の境地に対するあからさまな反歌である。 を 念 神秀は、あからさまに軽蔑した顔をし、七〇〇人のその他大勢は非難轟々、プ 1 イン 観 章グの嵐である。ところが、その中にあって、内心ひそかに「これだ / 」と膝を打った男 第がいた。誰あろう、五祖弘忍禅師その人である。 ところ じんあい