していろいろ書いたら、それかいいと、いい生徒ばかり来た。 い生徒というのは、大したことを教えてなくても、どんどん成績がよくなっ ていき、最後に「ありがと、つございました」と一一一一口、つ。よくない生徒とい、つのは、 やってもやっても伸びない。そしてプ 1 プ 1 文句を一言う。学校をやめるときにも、 他の生徒に文句ばかり言って去っていく。 来てくれなきや困るしなあ、来て欲しいなあなんて、欲心だとか、心配だとか、 惑いとか、そういうものが頭や心の中にあるときに書いた葉書は、本当にだめだ った。文面がどろどろしていたり、もやもやしていたり、何かこう暗かったりす イるのだ。 汜力い、優しい感じがする、そういうものはやはり人の胸を打つ。 後で本を書くようになったり、チラシを出したり、 ハンフレットを出したりす ジ ネるようになっても、そのときに勉強したことがやはり活きてきた。 運 「人が見てとにかく喜んでいただけますように、幸せになっていただけますよう に」と、ただそれだけを思って書いた文章、チラシ、葉書、案内というのは、旧皿 章 第 かみがある。優しい温かみがある。そしてそれは胸を打つものであり、人の心が ノ 09
現代マネジメントと宗教の密接な関係 私は一時期、経営関係の著作は他のペンネ 1 ムで出そうと準備を進めていたの だが、最終的に、 「私の持っている宗教性を、堂々と前に出したほうがいい」 と思うようになった。確かに、書店というのは、著者の実績で初回配本数が決 まるので、実績のある深見東州の名前で出版したほうがいいに決まっている。し かし、なせそのような考えに達したのだろうか それは、こういうことであった。 まず、平安時代の宗教というのはーー話が飛ぶように思われるだろうが、私の 宗教性を前に出すということの意味を説明するには、ここから始めざるを得ない。 この先十数ベ 1 ジほどで、きれいに結びつくので、じっくりと私の宗教論を楽し んでいただきたい。 さて、まず平安時代の宗教だが、平安時代というのは貴族社会である。したが って、弘法大師も伝教大師も、天皇をはじめとする皇族や貴族階級の人たちに理
銀行は税務署とは違う。税務署というのは、税金を納めていない相手には隠し てるんじゃないかと疑い、納め過ぎても、もっと隠してるんじゃないかと疑う。 性悪説で仕事をするところである。銀行というのはそこまではいかない。結局、 ししところには貸したいと思っている。 一定の要件さえ満たせば、、、 さて、その要件は何かというと、事業計画書である。 もちろん、計画書どおりにいく事業なんてない。しかしながら、少なくとも経 営者のビジョンを出さなくては信用してくれない。これくらいの資金、これくら いの規模でやれば初年度はこれくらいの上がりで、これくらいの利益が出るとい う事業計画書を出さないと、無計画にロで言うだけでは信用してもらえない。そ もそも、事業計画書さえ出せないような経営者に融資したら、回収に不安を感じ てしまうだろう。だから事業計画書だけは、ピシッと書いたほうかいし ところが中小企業経営者というのは、ほとんどの場合、大学で経営の勉強をし たわけではない。 よしんば大学を出たとしても、大半は大学で遊んでいた人だろ う。事業計画書なんてどう書いていいのかわからない だから銀行に提出するもっともらしい事業計画書を、すぐに作ってくれる事業 ノ 00
小さな応援団長だったが、一生懸命お世話していた。どうすれば応援できるん だろうかと考えていた。 話は戻るが、そういうふうに、クラブ活動だとかクラス委員とか生徒会をよく やって、そのために大学には行かなかったとか、あるいは二部だったとか、ある いは何回聞いても覚えられないような名前の大学だった、そういう人材が狙い目 である。 中堅大学とか、その下の、世に言う三流大学、四流大学、あるいは二流大学の 。 ( 彳。オし二流大学の中 二部、一流大学の中退、そういう人はあまり大企業こよ一丁ナよ : 退とか、三流大学の大学院崩れという変化球も中にはあるが、要するに、そうい う人たちが中小企業にやって来るのである。 そういう人たちの中から「掘り出しもの」クンを拾い出すコツは、一流大学に なせ行けなかったのかを聞いてみることである。 高校三年生まで文化祭の委員をしていたとか、一生懸命クラブのためにやって きたとか、生徒会をやってきたがために、大した大学に行けなかったとか、専門 学校に行ったという人は「掘り出しものーである。 ノイ 0
第二章三宝荒神が守る / 企業繁栄の鉄則 支店を出すときには吉方位で出すと 、いいほうへいいほうへと回転する ) 。 しかし、支店を出すときには必ず迷いがある。支店を出せばそれだけランニン グコストがかかる。人も投入しなくてはいけない。果たしてその分、売上が上が るだろうかとなかなか思い切れなくて、出店を果たせない人も多いのだ。 これについての秘策は、ひとっしかない。それは、一意専心、ひとつのことを 「何とかこれを / ーと思ってやれば、エネルギ 1 と波長と目に見えない世界が動 くということである。つまり、霊界が動く、そして人も動くのだ。 そこを知っていれば支店作りは意外と簡単だ。 「君なら絶対やれる。ほらあの子も五年でやった。あの人も二年でやった。君な ら三年で顧客数はこれぐらいにできるし、売上はこうだ。大支店長になるよ。ゼ 口から開拓できるのは君だけだ / 」 「そうすかあ。うふふ、そうですかねえ」 「社長もくれぐれもよろしくと言っていたぞ。君は見込まれているんだ。千葉県 を開拓するのは君しかいない / 千葉の王子様だ / 」 なんて言われたら、たったひとりの所長でも最高責任者だから売上を上げるの 5
その時の感動は忘れられない。住吉の神様が守っていて下さったのだ。 小さな船を漕いでいるときに、最初に受けた波。苦しんだ末に、最後に住吉の 風に助けられた。銀行の担当者が「僕の判断で貸すことにしました」と言って くれた。その人が住吉大社のすぐ側に住んでいる。それを聞いたとき、「金が出 てくるものは住吉ですーという天の声に聞こえた。今、その予備校は十九年目を 迎えて順調である。分校を出して成功し、三千人近く生徒がいる。 ( 編集部注・ 一九九七年当時 ) その一年前のことである。住吉大社に初めて植松愛子先生 ( 神様の道における 私の師匠 ) と行ったとき、ものすごい雪が降った。大阪では珍しい豪雪。住吉大 神が白龍となって動くときには雪を降らすのだ。神様がご発動されたという証の ひとつである。この時の参拝では、神様が確かに祈りをお受け取り下さった感触 があったが、、、 とう受けてくれたのか、そのときには何もなかった。それが一年経 って、予備校を出すときに、最後の最後にパ 1 ッと資金の風が吹いてきて、担当 者の出身が「住吉」である。去年お参りして、お受け取り下さった住吉大神が、 こういうところで船を出す風を与えて下さった。船出ができるようにご守護下さ 70
開いて、申し込んでくれるのだ。 これこそが、チラシや作りの本質である。 考えてもみてほしい。追い込まれて、 「申し込んでくれなきや困る。これだけ費用をかけたんだから、来てもらわなく ちや赤字になるし、潰れてしまう」 なんて思ったら誰でも緊迫する。もちろん、無理もないのだ。それだけの広告 費をかけてやるのだから、広告、チラシの投下費用に見合った分だけ客が来なけ れば赤字である。しかし、 「果たしてお客様が来るんだろうか、果たして生徒が来るんだろうか」 そ、つい、つ思いで作ったチラシには、そ、つい、つ思いか宿ってしま、つ。皆さんはそ うは思わないだろうか ? チラシを出す人、広告を出す人も、読者の中にはいる だろう。そこに充分に注意していただきたい。人が見て、何か嫌な感じがする広 告というのは、そうした思いが宿っているのである。 そういう惑いを越えて、とにかくお客様が喜んでくれたらいい、 い教育内容 を提供して喜んでくれたらいいという、真心とか思いやり、優しさ、そういう思
藤したりしている人の力になり、勇気になり、励みになりたいと思う。サラリー マンにも、どう生きればいいのか、指針を与えていきたいと思う。 それをもっと前に出した方がいい と田 5 、つよ、つになったのだ。 具体的に言えば、中小企業経営の中で、神仏の力をどういうふうに借りればい いか、そしてどういうふうに自分は努力したらいいのか。そこをやはり大いに前 に立てて、出していかなくてはいけない。 ン 私が考え、あるいは神様から担っている宗教性とはそういうものだ。 弘法大師、伝教大師、聖徳太子、親鸞、日蓮、イエス、マホメット、儒教、仏 ネ マ教、すべてを勉強したうえで、永遠に変わらぬ真実なるところと、今の時代・人 神 間とを見て、庶民とともに生きていくのが本当の宗教人である。私もそうしなく てはならない。これが、神様の道に生きるんだと志して三十年間、修養してきた る 結論である。 れ 章 五 第
れた。若いときにプラブラ人間、これは歳をとったら生きてくる。プラブラの自 分の息子は、そのままプラブラで風来坊のような一生に終わってしまうかもしれ なしが、若いときのそういう経験が何かで花開くかもしれない 自分の解釈、自分の規模、自分の学歴だとか、そんな矮小なものは振り捨てて しまうことである。巨匠だとか歴史だとか、中途半端な勉強をしないで、勉強し たとしても忘れて、自分のド素人の発想をどんどん出して、どんなものでも提案 して、割り込んでいって、仕事をもらって全力を尽くしているときに、才能とか 能力とかいうのは、自すから磨かれるのである。 法 用 中小企業のデザイン事務所の成功とは、どんどんプレゼンテ 1 ションすること の にあった。コンテストに出さなければ入賞もない。芥川賞をもらおうといったっ て、作品を発表しなければ芥川賞ももらえない ジ ネ だから、どんどん応募する。発注者があれば、どんどん仕事も受ける。チャン マ スがあったら、それがどんなに大きな相手でも、既成概念にとらわれずに、積極 人 果敢にトライする。プレゼンテ 1 ションする。そうやっていかないと、会社の新 章 第しいジャンルの開拓というのは、なかなかできるものではない。大きな会社、学
もちろん生活できるほどの売上もないときては、無手勝流ならぬ無手負流である。 世のため人のためという気持ちも大切。しかし、そのことはイコ 1 信心はいい。 ル仕事ではない。 これが、神様ごとをする人間のひとつの落とし穴なのである。 「世のため人のために役に立ちたい」という気持ちはいいのだが、だからといっ て「公害防止に役立っ世のため人のためにいい商品」だとか「脳波がよくなる商 品」「体にい、 し水ー「自然食ー「菜食主義の商品」、そういう仕事に手を出すと絶対 つまり、世のため人のためにするから、神様ごとでやるからといって に危ない 必ずうまくいくわけではないのである。 私がこういうことを書くと変に思われるかもしれないが、要するに霊的な、神 がかった要素がある仕事は、きちんとした経営基盤を持ったうえで始めることで ある。そして、それが収益の上がる分野であり、それだけのマ 1 ケットがあると 確認できて、初めてビジネスとして成り立つのだということを、肝に銘じておか なくてはならない