に置きてあでやかに、魅力に満ちて語り行うべし。人来りて服するなり。一意専 心、万事動かす」 とんじんち 荒神さんは、貪瞋痴を超えて精進する者を守護するわけだが、会社経営におけ る精進とは何か。とかく精進は、精進のための精進と思われがちなので、そこを 説明しておきたい。 「物よかれ」。これは、消費者にとってあるいは人にとって「いい物」を作ると の いうことである。朝鮮人参で言うならば、白ではなく赤の天然もので、真ん中の 栄 業部分だけを取る。いいものを作る。物よかれというのはそういう意味である。 企 「人よかれ」の人というのは、従業員、販売先、仕入先。そして、それぞれ縁が ある全ての人である。 つまり、いい物を提供し、関連する全ての人たちを喜ばせ、社会に有意義な企 神 宝業活動、世に役に立っことを、少しでもやろうと思って一生懸命生きていること を精進というのである。そのように生きている人は、神仏が喜んで守護してくれ 章 第る。そのために精進するということである。
と ) 荒神とは勾陣である 「人よかれの思い 物よかれの思い 世に役立っことを為さんの思い すべて神仏に愛でらるる企業の元なり 精進はそのためになせ ろく その精進に倍する幸せと恵みと福と祿を与えるのが荒神なり ひときわ目立っことをなすべし ( 人々に知らしめる告知、宣伝、営業力のこ ひときわ特色あるものを持て ひときわ極めた日々を送れ これ繁栄のこつなり こうじん こうじん 5
じゅ も経営者がゆるみ切ったような日々を送っていると、気がついたときにはライバ ルに追い越されている。自分の特色だと思ったものは、当然他の会社もすぐに真 似をする。 しかし、神様の言葉をこの順序通りやっていけば会社の成功は、間違いなし。 「これ、繁栄のこつなり」 繁栄する経営鉄則⑤あでやかに魅力に満ちょ さらに、どんな精進をすればいいのかということが、次に展開されている。具 体的な精進の中身である。 「真は心に置きてあでやかに、魅力に満ちて語り行うべし。人来りて服するな 清荒神におられる三宝荒神は、でぶっちょの布袋様みたいな姿で、手に何か宝 珠を持っている。 普通の三宝荒神は、顔が三つに手が六本。そして、くわ 1 っと恐ろしい顔をし
ししサ 1 ビス、いいシス どうしたら顧客が喜んでくれるか一生懸命考えれば、 テムが浮かんでくる。いい物を作ろうとすれば商品開発力と創造性が出てくる。 合理的なコスト・ダウンの知恵もわいてくる。世の中の役に立とうとすれば、流 通の方法に思いいたる。 あこぎなことをせずに、みんなに喜んでもらえるようなことをして、社会に還 元したい。社員の待遇を良くし、株主へ還元し、納めるべき税金を納めたい。そ 、ついう企業にしたい、 という精神状態で一生懸命精進する人には、その精進に倍 する幸せと恵みと福と祿を与えるというのが荒神である。 繁栄する経営鉄則②ひときわ目立っことをなすべし さきほどの言葉に続いて、いくつかポイントになる言葉が出てきた。神様はサ 1 ビス精神が旺盛である。順に説明していこう。 二番目に出たのが「ひときわ目立っことをなすべしー : という意味ではない。もし自動車部品だとか機械部品を 派手だったらいい :
服して精進をする者に味方したいと思うのだが、そういう人物が少なくなってき たことを嘆くものなり」 ぐち どんよくしんに とおっしやった。貪瞋痴とは、貪欲・瞋恚 ( 怒り・うらみ ) ・愚痴。貪欲なる 欲心と、うらみと、愚かなものの考え方を乗り越えて精進する、そういう努力を する人を、私は守護し、盤石なる力と智慧と財を与えよう、永久に変わらぬ福徳 を与えようと。これが荒神さんの起こりである。 弘法大師は三宝荒神にお参りしていた 次に荒神が歴史に現れるのは、弘法大師、空海のころである。 嵯峨天皇様から賜って高野山に根本道場を作り始めたのは、空海が四十三歳の ときだが、 工事を始めようとすると、雨が降り、嵐が吹いてなかなか工事が進ま ない。そこで空海が、護摩壇を設けて一生懸命祈ったら、そこにまた地震がダダ ダ 1 ン。荒神さん、大地の神様だから地震が好きだ。また異様な神人が出てきて 「我は三宝荒神。我が本地が知りたくば、この高野の山々、峰々の八山、九川
えるのと同じ。それぞれ体質、環境が違うのだから、使い分けができるように主 体的に仏様を使いこなさなくてはいけない。仏様も健康食品も同じことである。 『神社で奇跡の開運』を読んだ人には復習になるが、三宝荒神は、につちもさっ ちもいかなくなったときに行くのが一番いい。そのうえ定期的にお参りしておけ ば、難が避けられて、台所が非常にうまくいくだろう。そのときどきのニ 1 ズに 合った神様や仏様があることも、合わせて知っておいていただきたい。 繁栄する経営鉄則①よかれよかれの思い この章のはじめに書いた言葉をもう一度見てみよう。 「人よかれの思い。物よかれの思い。世に役立っことを為さんの思い。すべて神 仏に愛でらるる企業の元なり。精進はそのためになせ。その精進に倍する幸せと ろく 恵みと福と祿を与えるのが荒神なり。ひときわ目立っことをなすべし。ひときわ 特色あるものを持て。ひときわ極めた日々を送れ。これ繁栄のこつなり。真は心
て、逞しい体つきをされている。つまり、内的な自己を鍛えて、一生懸命努力し ているのだ。ところが清荒神さんでは、ニコニコ笑っていて、布袋様によく似て ふくろくじゅ いる。福祿寿にも似て、にこやかな顔をしているのだ。 これは何を意味するのか ? 精進努力だとか、特色あるものだとか、極めた 日々を送っていても、そういうものは心の奥に置いて、人に対しては、あでやか に魅力に満ちてニコニコして話しなさいよということである。 「俺は一生懸命努力して、精進しているんだあー の これは修行者で言えば「行者の臭み」。こんなのは鼻について嫌らしいから、 栄 業決して人は寄って来ない。そういうものは腹の奥、心の奥底にしまって置いて、 企 表情はあでやかに魅力的に艷つほくにぎにぎしい状態を表現する。人が来てくれ つもニコニコニコニコ、恵比須顔。そ るて初めて福。だから恵比須様みたいに、い ういう状態でなければ、福は来ないということである。清荒神の階段の上にいら 神 荒 宝 っしやるのは、諏訪の神様のような、腹がでぶっとしてニコニコしている荒神さ ん。ああいうお姿がなぜ出ているのかということをよく考えなくてはいけない。 章 ひときわ目立ったことをし、ひときわ特色あるものを持ち、ひときわ極めた 第 7
社は成功するのだ。 これが一番の攻撃力。たとえ劣悪なるものを持っていても、営業力がよく、宣 伝力があって、告知力があれば売れる。その上に特色のある商品を持ったら、そ の強力な営業力、宣伝力、告知力が、独自のマ 1 ケット、独自の力を持てること になって、競争相手に打ち勝っことができるわけだ。 繁栄する経営鉄則④ひときわ極めた日々を送れ の 栄 業 次に「ひときわ極めた日々を送れ」 企 これは意味が大変深い。強力な営業力、特色を持っていながら企業が倒産する るのは、これはもう放漫経営が一番の原因である。ひときわ極めた日々を送れとい うのは、研究力、開発力、それから人さまがやっているいいものをすぐ吸収する 神 宝という柔軟さなどをいう。つまり、経営者がやらなければならない努力をひた向 きに行うことである。別な言葉でいえば、それが経営を極めることであり、その 章 第ような日々をいとうことなく送ることである。これが経営者の精進である。もし
確かに荒神さんは、木火土金水、五行の気をもって台所の家計を守ってくれる。 高野山の経営もそうだ。台所におわす神様だからというので、転じてカマドとい うふうになってきたのだろうが、カマドの神はまた別にカマドの神という神様が ほのいかずちの いる。火の神様も、火雷神という方がちゃんと別にいるのだ。 三宝荒神は、役小角の時にはじめて現れた、メイド・イン・ジャパンの仏様だ。 メイド・イン・ジャパンだから、荒神という字を入れてもいいのだが、その大元 は、結局『五行大義』の中に出ていた神様なのである。 面白いことに、お祈りすると、赤龍みたいな荒神さんが見えることがある。何 回か見たのだが、 荒神さんが龍になると赤龍みたいになって、米粒が等間隔で腹 についているのだ。確かに台所は熱気があるから、ああこれは火の神様だと思う 気持ちはわかる。しかし、本質から見るとちょっと違っている。 経営には荒神様′ 人間の持っ貪瞋痴を超えて精進努力する者を守るんだと、役小角と空海の前に
大峰山を修行場として、山岳信仰・修験道の始まりを作ったのは役小角 ( えん のおづね、またはえんのおずぬ ) 。空を飛んだので有名な人物である。その役小 角が大峰山で祈りを捧げていたとき、突如、地震がドドドオ 1 ンと起きた。しか も東北の方角に紫の雲がふあ 1 っと立ち込めている。何か不思議なことがあった に違いないとそこへ行ったら、顔が三つ、手が六本、足が二本の異様な神人が立 っていた。 「おたく様は器用ですね、顔が三つもあって」 の そんなことを聞いたかど、つか知らないか彳 / 殳ト角は恐る恐るたずねた。 栄 業 「うん、異様な風体。あなた様はどなた様ですかー 企 「我は三宝荒神。我は荒神なり。我が姿を見たくば、これ大峰の九山、九川、こ るれ我が本地なり」 と答えた。大峰山の九つの山と九つの川 : 具体的に九つということではなく、 神 宝すべての大峰の山と川が私の本体だという意味である。つまり、大地のエネルギ 1 のもとから来たわけだ。そして、 章 とんじんち 第「精進努力する人間を私は守りたい、守護したい。すなわち、人間の貪瞋痴を克 7 5