松下幸之助 - みる会図書館


検索対象: 日本型マネジメントで大発展!
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1. 日本型マネジメントで大発展!

「子さんは一番の古株で、何かと仕切りたがるが、人望がないー 「 0 さんはふだんは明るいが、失敗するとすぐにめげる とい、つ具合だ。 中小企業はチグハグな人間が集まって、お互いの欠点をカバ 1 し合いながら肩 を寄せ合ってやっていくものなのだ。経営者たるものそれを包括するだけの心を 持たなければならない。不満が先に立ってしまうと、これが辛抱できないのだ。 だから、息子さんや娘さんに後を継がそうと思うなら、いきなり自分の会社で 働かせて仕事を覚えさせるのではなく、奉公に出すつもりで、どこかよその会社 。人の上に立つには、下で働く人 で三年くらいみっちりと勉強させたほうがいい 篇間の気持ちを知らなければならない。そうでないと一生涯従業員に不満を持った 実 まま会社を経営することになる。従業員にとっても経営者にとっても、これほど 論 経不幸なことはないだろう。 本人間というのは、急に大きく立派にはならない。土光敏夫も松下幸之助も、み んな悩んで大きくなったのだ。仕事に対する自覚やそれに必要な物の考え方、そ 章 第して何より与えられたものに対する感謝の心というのは、苦労を重ね葛藤を経る 783

2. 日本型マネジメントで大発展!

テスタンティズムが資本主義を形成したと分析しているが、日本型の資本主義と いうのはキリスト教的ではなく神道的である。 松下幸之助氏に限らす、経営者には深い信仰心を持っている人が多い。西武グ ループをつくった堤康次郎氏は箱根神社の熱心な崇敬者で、出光石油 ( 現・出光 興産 ) をつくった出光佐三氏は熱心な宗像大社の崇敬者だ。京セラの稲盛和夫さ んは、生長の家の『生命の実相』を熟読しているし、土光敏夫さんは、生前、法 華経を熱心に信仰していたことが知られている。また、協和発酵の創立者、加藤 みたらい 辨三郎さんは熱心な在家仏教の推進者として知られ、キヤノンの御手洗冨士夫さ んも熱心な観音崇敬者であった。キヤノンという社名は、カンノンから来ている というのは有名な話だ。その他にも、無数に居るが、エスエス製薬やアキハバラ デパ 1 ト ( 現在は閉店 ) 、泰道繊維 ( 後に倒産 ) を創立した泰道照山 ( 旧名三八 ) は、「財界の怪物」と言われ、彼は普段は丸坊主で、大し。、冫 、こ酉を飲み、僧籍を取 得して照山と名乗った。書もまた品があり、抜群の能筆家でもあった。 こうして優れた経営者が信仰しているのは、仏教でも、神道化された日本型の 仏教である。つまり、神道的なものを意識的にしろ無意識的にしろ精神の奥、ス 3

3. 日本型マネジメントで大発展!

イを持っ必要がある。 こういった神道的な三つのポイントが、まさに松下さんの成功の秘訣であり、 彼の求めた「和ーの実現に、大きな役割を果たしたのだ。 松下さんに限らない。今の三つのポイントは、誰の心をも非常にポジテイプに 明るくするし、それから未来の夢をどこまでもかき立て、みんなが一つにまとま っていく団結力をもたらす。 つまり、日本型のリ 1 ダ 1 に求められている資質がこれである。「和」の要と 論なれるリ 1 ダ 1 にこそ日本人はついていく。特に昨今は企業にとって厳しい状況 ダ だからこそ、なおさら日本型リ 1 ダ 1 シップによって明るく柔軟に乗り越え、 「和」を導くことが大切なのである。 ぶ 学 神 精 の 和 章 四 第 わ 5

4. 日本型マネジメントで大発展!

新製品をつくりだす。 「これがトヨタの最新のニュ 1 スタイルです」 「これがマッダのニューモデルです」 トラックや工事用の車ばかりつくっている日野自動車でさえ、 「日野自動車のニュ 1 スタイルはこれです , とやっている。 自動車産業ばかりではない。もっと典型的な例は、家電産業に見られる。 松下電気なら、 の 論 「これがパナソニックの冷蔵庫、こちらがニュ 1 スタイルの洗濯機、これはニュ 経 1 スタイルの掃除機です」 型 本 とやっている。 る 東芝も日立も zæo も、全ての日本の家電メ 1 カ 1 は、同じように毎年、冷蔵 庫や洗濯機や掃除機のモデルチェンジを行っている。 を 業 さらに顕著なのはビ 1 ル会社だ。 企 「今年のビ 1 ルはこれだー 章 第 と、キリンもアサヒもサッポロもサントリーも、毎年新商品を売り出す。 ノの

5. 日本型マネジメントで大発展!

物語るものだろう。 さて、このことを踏まえた上で、日本文化の歴史を振り返ってみると、日本人 が集めてきた衆知は、身近なものばかりではないことに気がつく。 十七条憲法や律令などに関しては、中国の知恵と仏教の思想を借りているし、 議会制度をつくるときはイギリスの知恵を採り入れた。中国に負けず劣らず、イ ギリスからの借り物は多く、明治天皇のミリタリ 1 ルックや郵便ポストの赤い色 など数え上げたらきりがない そういうふうに、日本人は、身近な仲間同士の衆知ばかりではなく、世界の文 明の衆知を集めることができる特性を持っているのである。 絶対に主体性を失わない日本人 他の国の素晴らしい知恵を集めるというのが、古代からの日本民族の習慣だが、 不思議なのは、松下さんが日本文化の特徴の二で挙げているように、「他国の文 化を吸収しても、日本固有の主体性を失わない」ことだ。 7 イ

6. 日本型マネジメントで大発展!

季節の始まりを感じることに、それほど価値を置いているのだ。 「、ハハ、松茸を食べたぞ。僕は日本で一番初めに今年の松茸を食べたんだ、 と、季節のタイミングを捕らえたことを誇らしく思うのである。 これが我々の伝統的なライフスタイルであり、日本人の感じ方なのだ。 我々は新しい物に対して、自然の生命力やエネルギ 1 や神を感じる。それが自 然の食べ物でなくても、日本人は新しい物を好むのである。 だから、松下電気や日立や東芝は、シ 1 ズンごとに新しいテレビや掃除機をつ くっているのだ。消費者は新製品を買って、 「おお、これは初物だ」 と喜んでいるのである。 そして、新商品から目に見えないエネルギ 1 を感じ取っているのだ。 これが新発売戦略の背景である。この戦略が日本で成功し、定着したのは、 我々の日常に目に見えない神道的なメンタリティが存在しているからなのだ。 アメリカでは、一九五〇年代の自動車や電気掃除機や電子レンジをいつまでも 使っている人が結構いる。しかし、日本人は新製品が出ると、次々に新しい物に 〃 0

7. 日本型マネジメントで大発展!

『古事記』の中に、天照大御神が弟神の須佐之男命の乱暴に怒り、天の岩戸に たかまがはら 隠れてしまったという、いわゆる「岩戸開き神話」が登場する。そのとき高天原 の神々は、皆で集まって、どうしたらいいだろうと解決策を話し合った。その結 果、良いアイデアが浮かび、神々が一致協力して計画を実行したため、無事に天 照大御神は岩戸の中から姿を現すのである。 つまりこれが、「衆知を集める」ということなのだ。日本では、神代の昔から 神々もこれを良しとしていたのである。 論何か問題が起きたとき、西洋の場合は各自が自分で考えて、「私はこう思う」 ダ ということを主張する。それに対して日本人の場合はどうかと言えば、ちょっと 身の周りを観察したらすぐわかる。何かあれば、すぐに皆で集まって、ああでも ぶ 学 ない、こうでもないと、話し合いを始めるのである。それも、問題が起きてから 神 精時間を置かず、すぐに寄り合いが開かれる。 これはもう、天の岩戸開き以来の、先祖から伝わる伝統的な習慣である。松下 和 さんが「衆知を集める。というのを、日本文化の特色の最初に置いたのは、先祖 章 第伝来の本能的な日本人的メンタリティを、氏がいかに豊富に受け継いでいるかを ノイ 5

8. 日本型マネジメントで大発展!

新書判のまえがき 著名なカリスマ企業経営者は、ドグマや教派にとらわれない、普遍的な神仏へ の信仰を持ち、それを心のよりどころにした人が多い 出光興産創業者の出光佐三氏は、宗像大社の熱心な崇敬者で知られる。西武グ ル 1 プ創始者の堤康次郎氏は、箱根神社の熱心な崇敬者。ク経営の神様松下幸 之助氏は、会社の敷地内にク根源の社を建立していた。東芝の社長・会長を歴 任した土光敏夫氏は、熱心な法華経崇敬者だった。また、京セラ・創業 者の稲盛和夫氏や、協和発酵工業の創業者加藤辨三郎氏、エスエス製薬の創業者 泰道照山氏も、熱心な仏教者として知られる。そして、 0 が、ク観 音ツから来ている事はあまりにも有名だ。 カリスマ経営者として知られるようになった私も、歳で大学受験予備校を創 業し、歳で時計会社、歳で出版社、観光会社を設立した。そして、歳の時、 海外で家具屋やヨットのマリ 1 ナ、ホテルを買収し、海外での経営を始めた。こ 3

9. 日本型マネジメントで大発展!

確かにある。 しかし、売上もなければ利益もないのに、はじめから資金繰りが一番というの は、どう考えてもおかしい。だから、経営者はます何を考えなければならないか と言ったら、販売であり営業なのである。 小さな会社の場合は、経営者自らが販売の先頭に立っことが必要だろう。その ときは、猿田彦のように面を付け替え、突撃隊の切り込み隊長のごとくなる必要 がある。鬼のような積極性を出して、とにかく売る。売って、売って、売りまく ることである。 篇 開発は取締役をひきずり出せ 践 実 論 売上をあげるためには、販路を拡大することが大切である。それには、とにか 経 本く、「ここだー と思うところへ真っ正面から飛び込んで行くことだ。そのとき、 いちいち担当の窓口を通すことなどない 章 五 第 とにかく取締役以下には会わないこと。はじめから、取締役仕入部長のような

10. 日本型マネジメントで大発展!

マッカーサーを感動させた昭和天畠 日本の天皇は、築城してその中に籠り、周りに城壁を巡らせて「この中に入る べからずと、下々の者を隔絶するようなことはしなかった。現在、皇居は江戸 城の跡地に置かれているため、周囲には堀がある。しかし明治維新までは、天皇 は京都御所にいらっしやった。感覚としては、我々の家々のすぐ近所にある森の 中に住んでおられたようなものである。その身近な場所で、天皇は神に祭政をつ の 論 かまつる神主のごとくに、日本民族の族長としての役割を務めていらっしやるの である。苦しいときは民と共に耐え忍ぶという性格が現れるのは当然と言えるだ 型 日つ、つ る せ 第二次世界大戦で日本が敗戦を迎えたとき、昭和天皇がマッカーサ 1 のところ さ 展 へ突如、単身でお出ましになった。そのときの写真が今でも残っている。諸外国 発 業は天皇を敗戦国の元首と単純に考えていた。だから、元首がこのような行為に出 るのは、命乞いか財産の保全を頼みに来たのだろうと思っていたのだ。 章 第 ところが昭和天皇は、 いのちご