天畠は本家、国民は分家 こういった、ミコトモチを生かす考え方は、天皇から国民を見たときも同じで ある。オオミコトモチである天皇は、ミコトモチである国民それぞれの働きの中 に、神性を見出して尊いと感じる。だからこそ、天皇は自分の存在は国民と共に ある、と思っておられる。 そしてまた、天皇がそうであるように、国民もまた浸すべからざるものを持っ ているからこそ、天皇は国民の一人ひとりを尊敬する。だからこそ、日本の天皇 は城の中に住むことなく、国民と地続きの御所の中にずっといらしたのである。 みんな仲良く行こうというのが、天皇のお考えなのだ。 面白いことに、武士の時代である鎌倉時代でも室町時代でも江戸時代でも、天 皇は廃されなかった。源頼朝は初めて日本を全国的に平定した武士だが、天皇家 は天皇家として殺すことなくちゃんと尊重している。いったいなぜだろうか。 十二世紀に一時、日本は源平の派閥に二分されたことがある。実際には、源氏 と、平氏と、藤原氏と、橘氏などの四つ巴からなる勢力争いなのだが、大きく分
るバネとなった。これは、もともとはアメリカが仕向けたことだが、仕向けた当 人も、まさか極東の島国が、自国の経済を脅かすまでに成長するとは思いもよら なかっただろう。それで、今になって「安保タダ乗り論」などと言って、いろい ろなバッシングをかけてきているのだ。 もちろん日本は一夜にして経済の発展を遂げたわけではない。朝鮮戦争の特需 で景気にはすみがついたとか、池田勇人の所得倍増政策が成功したとか、いろい ろな局面でのプロセスを踏んでいる。そのときどきの政策がおおむね的を射たも るのであったと一言、つこともできる。資源がなかったということもプラスに転換し、 一丸となって他国の国民の何倍も働いて工業化を成功させた。また、通産省 の ( 現・経済産業省 ) と国会議員とが一つになり、あるいは官民一体となって、「日 蜩本株式会社」といわれる体制をつくったことを指摘する人もいる。 日本経済が発展してきた理由は、いろいろな要素が複合的に絡んでおり、さま 景 ざまな角度から分析することができる。その一つひとつは、皆それぞれに真実だ 経ろ、つ。 章 しかし、その根幹を深く理解しようと思えば、やはり日本人の文化、日本文化 7 /
そしてまた、昭和天皇が国民に対し、 「ほお 1 、頑張ってますね」 と思いをかける。陛下は、どこに行っても国民の、気が枯れるのをふわっと蘇 らせるお力を持っていらした。オオミコトモチである天皇が、ミコトモチである 国民を蘇らせるのである。 石油ショックでも頑張る。円高でもくじけない。かって、総理大臣の不祥事で あるロッキ 1 ド事件があっても、禊ぎ祓いをすればいいじゃないか。リクル 1 ト 事件があっても、気を枯らさないで、奮い立っていこう。そうやって乗り越えて きたのが日本である。良し悪しは別として、西洋とは価値観の基準が違うのだ。 穢れを祓って蘇る日本人のバイタリティ マテリアル ( 物質的、現実的 ) なものと、スピリチュアル ( 精神的、神霊的 ) なものを区別しないのが、日本の神道の考え方である。マテリアルなものには、 その中に全てスピリチュアルなものがあると考える。逆に言えば、スピリチュア 2
らずとも、まさかと思うだろう。敗戦当時、このような陛下がおられたからこそ、 国民は動乱も暴動も起こさなかった。国民は陛下を心から慕っていたわけである。 これが「天皇の存在感」というべきものではないだろうか。 「天畠の存在感」を持った経営者が成功する 我々日本人は、こういう「天皇の存在感」と似たものを、企業の中でも感じ取 論ることができる。社員が理想的な経営者に抱く敬愛の念がそれだ。この感情から、 経 企業や社会に対して貢献したいという精神が生まれるわけである。 型 本 理想的な経営者の像が形作られたことこそ、日本企業の成功した大きな要因で る せあると言っても過言ではない。国家における国民という概念と、会社における社 発員という概念は、実はパラレルな関係にあるのだ。成功した企業の体質には「天 を 業皇の存在感」のひな型を例外なく見ることができる。 この構図を抜きにして、日本企業が成功している理由は語れない。日本型の企 章 第業経営者には、神道の担い手であるような、一種の神秘性が備わっているとも言 わ 5
「これが私ならびに皇室の財産目録です。これを全て差し上げる。私の身はどう なってもいい。 その代わり国民に食べ物を与えてほしい」とおっしやった。 この言葉を聞いてマッカ 1 サーは愕然としたそうである。オオミコトモチとい う立場の方が、自分の命を捨てている。日本の国民を生かさんがために、自分が それで死ねるのなら喜びなんだとお考えになる。 マッカ 1 サ 1 は、昭和天皇の我が身を顧みずに国民を思いやる、この切々とし た真心に感動した。それがアメリカの占領政策に好影響を与えたことは想像に難 くない。おかげで日本はアメリカの完全な属国にならすに済んだのだ。 もちろん、アメリカが日本を属国にしなかった背景として、対共産圏の封じ込 め政策として、日本を防波堤とし不沈の戦艦のごとく利用するという国策があっ たのは事実だ。けれども、マッカ 1 サ 1 がやはり、昭和天皇の言葉に大きな衝撃 を受けたことは事実だろう。一説によると、日本国憲法の第九条も、マッカーサ 1 が昭和天皇の心を尊重して決定したという話もある。 普通、戦争に敗れた国の元首が、自らの命を捨てて国の平和を願おうとするよ うな行為に出ることはない。世界の歴史がそれを証明している。マッカ 1 サ】な わイ
機会に詳述することとしよう。 日本人は戦争の痛手をも水に流した 日本はかって戦争に負けた。終戦直後、国民が深い心の痛手と明日をも知れぬ 生活の不安に脅かされていたときに、昭和天皇は全国を回られて「頑張りましょ う」と励まされた。その言葉から、どれほど多くの国民が奮い立ったかわからな 。日本人の誰もが、必ずや近い将来に国を復興させようと、切実に心に誓った。 きようじゅ その結果、我が国は戦後、目覚ましい発展を遂げ、未曾有の繁栄を享受するに 至ったのである。 しかし、戦後から半世紀以上を過ぎた今日でも、韓国、中国、ヨ 1 ロッパなど で、日本人が冷遇非難されることも珍しくない。パ リのとある果物屋で「日本人 には売らないよ。ドイツと同盟を結んでいただろう。私のおじいさんはドイツ人 に殺されたよーと言われた日本人がいたそうである。 先日、ある中国の方とお会いした。この人は「日本人には負けない」「日本は みぞう 〃イ
いろんな国の福の神を一つの船に乗せて拝む : : : 菊 神道は汎神論ではない : 日本人は神の宿る場所を選んで祈る : : : 多神教が神道の本質・ : あらゆるものの働きの中に神を見出すのが神道・ : 禅や阿弥陀信仰が日本に定着した理由 : 神道と儒教が日本で結びついた : 日本の儒教は革命思想を拒否した : 一人ひとりが命を持って生まれてきている : : : 間 日本人は腹の底でコミュニティに役立ちたいと思っている : : : 肥 世襲制は日本の伝統 : 天皇は本家、国民は分家・ : みこと
日本文化の中心に流れる思想とは 最近では、経済学者による日本文化論もあれこれと出ているが、そんな中に今 さら私がノコノコと出て行って、同じ内容をただ言葉を替えて主張したところで 意味はない。本書では、他の人があまり顧みなかった視点から、なぜ日本が繁栄 してきたのかという秘密を論じてみようと思う。序章で、特に大事な部分の幾つ かにはかいつまんで触れてきたので、重複する部分も出てくるが、ご了承いただ きたい。 一国の経済活動の背後には、その国特有の文化のあり方が影響を及ばしている。 日本文化の特色については、既に色々な方が語っているわけだが、では、その中 心を成すものといったら何だろうか。文化に中心なんかないと思う方もいるかも しれないが、私はあると考える。日本の神や茶道・華道、「わび」「さび」「もの のあはれ。「をかし」「幽玄」「まこと」などに代表される繊細な感覚はもとより、 さまざまな日本文化の根底に流れ、日本人の行動原理・心理や国民性の原点を育 んでいるものがあると思うのだ。 8 3
びしやもんてん まず、毘沙門天。これは貧乏を克服する神様である。もともと悪神だったが、 改心して人々の幸せのために働くようになった。言ってみれば、「水戸黄門」の 風車の弥七だ。もとは悪人だから、悪の手口は全部わかっている。だから頼りに なるわけだ。武略、戦略、戦の神でもある。 べんざいてん 次に弁才天。弁才とは、弁舌と才能のことである。弁才天はまた弁財天とも書 くが、文字を見ればわかるように、貝 ( お金 ) を集める才能が財。これを持って いるかどうかで出世したり、名声を得られるかどうかが決まる。つまり弁財天と は、弁舌によって財を得る、出世の神様なのである。厳島神社を崇敬していた平 清盛が大いに出世したのも、ご祭神の弁財天のご神徳をいただいていたからなの 次に大黒天。大いに福をもたらす神である。お顔が真っ黒なのは、一生懸命汗 水たらして働きなさいということだ。働けば働いただけの収穫をもたらす神であ り、だから収穫を表す米俵の上に腰掛けて、アッハッハと笑っている。ところで、 この大黒天を大国主大神と同一視する場合もあるが、それは江戸時代に大国主を 祀る出雲大社が神仏習合となったときの名残りである。大国をダイコクに当ては だいこくてん
『孟子』の中のこの部分だけは、日本人は非常に嫌っていたのである。 毛沢東の革命も、『孟子』のこの革命思想を論拠にしている。今の王朝は、既 に人民を動物のように扱っていて、あれはもう君子じゃない、ケダモノだ。だか ら、殺していいんだ、と。 ところが、日本では、そういう考え方は受け入れられない。典型的なのが、松 下村塾の吉田松陰である。松陰は『講孟余話』という著書の中で、真っ向から反 想論をぶつけている。中国ではそうかもしれないが、我が日の本ではこれは間違っ ている。もし、自分の主が横暴悪逆をしていたならば、臣下はこれを諫めねばな らない。諫めて諫めて諫めたときに、逆鱗に触れて首を切られそうになるだろう。 る 収そのときは、そのまま切られて死ねばいいんだ。これが日の本の道なんだ。それ を がだめなら、また次の人が行って諫め、だめならまた殺されるだろう。それでい 智 いのだ。それが忠の道の本質である、という思想だ。 ゅ 「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず , という言葉もあ あ る。忠か孝かの選択を迫られたら、聖徳太子は孝を取れと言ったが、吉川神道の 章 かんながら 第吉川惟足は忠を取るんだと言っている。日本の神道、即ち惟神の道は忠を取る げきりん