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検索対象: 日本型マネジメントで大発展!
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1. 日本型マネジメントで大発展!

そしてまた、昭和天皇が国民に対し、 「ほお 1 、頑張ってますね」 と思いをかける。陛下は、どこに行っても国民の、気が枯れるのをふわっと蘇 らせるお力を持っていらした。オオミコトモチである天皇が、ミコトモチである 国民を蘇らせるのである。 石油ショックでも頑張る。円高でもくじけない。かって、総理大臣の不祥事で あるロッキ 1 ド事件があっても、禊ぎ祓いをすればいいじゃないか。リクル 1 ト 事件があっても、気を枯らさないで、奮い立っていこう。そうやって乗り越えて きたのが日本である。良し悪しは別として、西洋とは価値観の基準が違うのだ。 穢れを祓って蘇る日本人のバイタリティ マテリアル ( 物質的、現実的 ) なものと、スピリチュアル ( 精神的、神霊的 ) なものを区別しないのが、日本の神道の考え方である。マテリアルなものには、 その中に全てスピリチュアルなものがあると考える。逆に言えば、スピリチュア 2

2. 日本型マネジメントで大発展!

とんどの宗教家は、経済は不浄なるものだ、という考え方を基本的に持っている ようだ。どこの宗教会議でも、経済の話は敬遠される。お金は不浄なるものだ、 弱肉強食、優勝劣敗の経済原則は、宗教にはそぐわないものだと決めつけている よ、つだ。 しかし、本当にそうなのだろうか。神道では、生活の中に生きるものを何より 肉も魚も食べる も尊いことだとしている。だから、無意味な殺生はいけないが、 ことに制約はない。要するに、物を生かしていけば尊いという発想である。進歩 発展的で明るい考え方なのだ。 特に、「生活の中に生きるものが、尊い」とする神道には、「経済は不浄」など という考え方はそぐわない。それどころか、恵比寿様という商売専門の神様もい るくらいだ。むしろ神道的な精神の土台があるからこそ、日本の経済は発展して いるという発想のほうが、より神道の精神にかなっていると言える。私は、日本 経済の発展の秘密は日本文化であり、日本文化の中心は神道であり、神道的な要 素が日本型の経営、日本型の経済の発展の中心をなしているのだと考えていいと 思、つ 2

3. 日本型マネジメントで大発展!

ゴミや塵は掃いて始末しなければならない。しかし、同時に完璧に掃除した中 に季節を表さなければならないのである。秋の庭は秋らしく、冬の庭は冬らしく なければならない。それが茶の湯の哲学なのだ。 茶の湯は基本的には禅と道教から起きた。しかし、利休は神道の伝統的な儀式 や作法もその中に取り入れ、我々のメンタリティ 1 に則した独特の世界観を表現 する方法をつくりあげた。しかし、これらの世界観とは、古来より受け継いでき た神道的な世界観だと言えよう。 茶の湯の中から生まれた生花でも、季節を感じさせることを重視している。秋 に花を活けるとしたら、生花の師匠は「秋らしく活けろ」と一言うだろう。 しかし、これこそ正確な秋だ、というものがあるわけではない。完璧な秋とい うものは存在しないのである。 本当の秋というのは、過ぎ去った夏のシンボルが少しだけ残っている。そして、 わずかに冬の兆候が感じられるはずだ。典型的な秋というのはないが、そうした 中にこそ、本物の秋が表現されるのである。 生花の世界では、季節の感覚を大切にする。自然の生命力の生き生きとしたエ

4. 日本型マネジメントで大発展!

テスタンティズムが資本主義を形成したと分析しているが、日本型の資本主義と いうのはキリスト教的ではなく神道的である。 松下幸之助氏に限らす、経営者には深い信仰心を持っている人が多い。西武グ ループをつくった堤康次郎氏は箱根神社の熱心な崇敬者で、出光石油 ( 現・出光 興産 ) をつくった出光佐三氏は熱心な宗像大社の崇敬者だ。京セラの稲盛和夫さ んは、生長の家の『生命の実相』を熟読しているし、土光敏夫さんは、生前、法 華経を熱心に信仰していたことが知られている。また、協和発酵の創立者、加藤 みたらい 辨三郎さんは熱心な在家仏教の推進者として知られ、キヤノンの御手洗冨士夫さ んも熱心な観音崇敬者であった。キヤノンという社名は、カンノンから来ている というのは有名な話だ。その他にも、無数に居るが、エスエス製薬やアキハバラ デパ 1 ト ( 現在は閉店 ) 、泰道繊維 ( 後に倒産 ) を創立した泰道照山 ( 旧名三八 ) は、「財界の怪物」と言われ、彼は普段は丸坊主で、大し。、冫 、こ酉を飲み、僧籍を取 得して照山と名乗った。書もまた品があり、抜群の能筆家でもあった。 こうして優れた経営者が信仰しているのは、仏教でも、神道化された日本型の 仏教である。つまり、神道的なものを意識的にしろ無意識的にしろ精神の奥、ス 3

5. 日本型マネジメントで大発展!

ルなものの内在しないマテリアルというものは存在しないのだ。 針でもウンコでもオシッコでも、その中に神性がある。それが尊き神様かどう かは別として、神性、霊性を見出している。マテリアルなものの中に、スピリチ ュアルなものを見出しているわけだ。 日本人はよく現実主義と言われるが、それは、現実のどのようなものにも神な るものを見出すからである。マテリアルを語っているようで、実は同時にスピリ 神 のチュアルなことも語っているのだ。あらゆるものの中に神性や霊性を見出す感性 主 国 がなければ、このことを理解するのは難しい。 大 る 西洋の学者などは、よく神道のことを宗教的でないと言うが、それは一神教的 え 越 なものの考え方でしか宗教をとらえていないからである。神というものを、超越 を的な絶対者としてしかとらえられない彼らにとっては、アジア的な一即多の宗教 ン もよくわからないし、ましてや、個別の物性とか役割に神性と霊性を見出すなん 。これは宗教と呼べるも 済ていう神道の考え方は、もう何がなんだか理解できない のではなく、アニミズムかシャ 1 マニズムだということになってしま、つのだ。 章 第 ところが我々は、先祖代々受け継いできたこの神道の考え方によって、あらゆ 9

6. 日本型マネジメントで大発展!

このように、民族の精神的なバックポーンが学問的に整理されていないことが、 戦争に負けたことと深いレベルで相関しているのかもしれないと考えた折ロ信夫 は、神道神学というものの端緒をつくりあげたのである。 これを引き継ぐ形で、小野祖教 ( 神道学者 ) という人が、さまざまな文献を学 問的に分類整理した。その後、國學院大学の元学長、上田賢治氏が、神道神学と しる いうものの確立に大きな一歩を標されている。これが組織神道神学と言われるも のである。しかし、神道の学術的な整理や体系化は、他宗教と比べると現在でも これが神道の現実である。やはり、年月とその るあまり進んでいるとは言えない 人材が必要なのである。 の文化というものは、その中にどっぷりと浸かっている間は、特に意識する必要 有 固 がない。共同体の成員にとって、自分たちの文化はごく自然なあたり前のものに すぎないものだ。ところが、外国文化と触れたときに自分自身というものがはっ の きりする。神道という言葉自体も仏教が入ってきたときに、今まで自分たちが自 済 経然に信仰していたものをはじめて意識して、仏教と区別するために名付けた呼び 序方なのである。 5

7. 日本型マネジメントで大発展!

その神性とは、製品づくりに携わる者が、お互いそれぞれの自己主張はあるに しても、最終的には良いものをつくるために、皆で意見を交換し合おう、という ものだった。この方法論を導入してから、日本製品の質が、めきめきと良くなっ てきた。 発明者の博士はアメリカでこう予言していた。四、五年もたてば、日本製品が ウンカのごとくアメリカの国を圧倒するだろう、と。予言どおりに、優れた品質 神 精 の 管理に裏付けられた日本製品が世界市場を席巻し、貿易摩擦さえ生み出すに至っ 主 国 大 る 結局、アメリカで生まれた品質管理のシステムは、本国では奮わなかったが、 え 越 日本で大成功を収めたのである。ここに、本質的な神性を見抜き、こだわりなく その良さを取り入れる日本人の神道的体質が表れている。 かって、関西大学の谷沢永一教授が、「日本人は解釈させれば世界一」とおっ まさにそのとおりである。 済しやっていたが、 仏教が渡来したときに、当代随一の解釈力で仏教の本質を見抜き、巧みに日本 章 第文化の向上に役立てたのが、聖徳太子だった。太子はただ盲目的に受け入れたの

8. 日本型マネジメントで大発展!

るがゆえに日本型仏教、日本型儒教、日本型老荘思想というように「日本型ーと いう一つの形になるわけだ。そして、「日本型経営」もしかりである。 神道こそが、古来からの共同体の中で、すっと育み続けられてきた日本人の文 あいまいもこ 化的特性であり、行動原理なのだ。ただし、神道と言っても、曖昧模糊としてわ かりにくい部分がある。いわゆる「宗教」とは異なり、素朴な信仰をそのままの 形で伝えている日本の神道には、はっきりとした教義もなく、教典も存在しない。 神道そのものというより、神道の精神、あるいは神道的なフィーリングが無意識 のうちに日本人の考え方の根幹を担っていると言ったほうがいいだろう。それが 表に現れたり、また隠れたりという形で、日本文化の中を伏流水のごとくずっと 流れているのである。 神道は歴史的に、仏教や儒教など、ほかのものとつながっては日本型に変えて いく「触媒」のような役目を果してきた。だから、日本文化の特質を理解するた めには、神道とそれら一つひとつの結びつきというものを具体的な事実の中から 検証していく作業が必要となる。この点については第一章で詳しく見ていきたい A 」田ハ、つ。 2

9. 日本型マネジメントで大発展!

日本人が普遍的に好む「中今の思想」 孟子の言葉に次のよ、つなものがある。 しんし 「天の将に大任を是の人に降さんとするや、必す先ず其の心志 ( こころざし ) を ノ、、つ・ほ・つ たいふ 苦しめ、其の筋骨を労せしめ、其の体膚を餓えしめ、其の身を空乏 ( からつほ ) にし、行うこと其の為さんとする所に払乱 ( さからいみだす。食い違う ) せし 極むー の 論 この言葉を糧としたのが、明治維新の志士たちだった。彼等は困難に遭遇した 営 経 とき、「ああ、この試練があるのは、天が私にまさに大いなる任を与えているか 型 日らなんだ」と考えた。そして、その困難を通じて自らの心を鼓舞し、改革の志を る 完遂したのである。これは非常に明るく前向きな考え方であり、神道の「中今の 発思想」に、見事に合致していると言えるだろう。 を 業 仏教の因縁・因果の思想は、反省や内省には通じているが、そのままではどう 企 しても否定的な面ばかり見てしまいがちになる。そんな中で、神道的な只今を積 章 第極的に生きる教えを説いた仏教者もいる。日蓮上人などは、その最右翼と言える 亠まさ ふつらん ノ 27

10. 日本型マネジメントで大発展!

「それでうまくいくならば、どんな役割でも積極的に演じてみせよう」という猿 田彦の神の働きとなる。 あるいは、仏教では衆生を救わんとする大慈大悲のために、三十三相に化身さ れる観音様がある。また、日本の伝統的な芸術である能楽師のあり方と全く同じ であると言える。つまり、現実的な経営の場面においては、一即多でなければな らない。もっとも手つ取り早くそれが出来るのは、役柄を演じ分けるという方法 なのである。 経営者は猿田彦様でなければならない。 篇 はじめに販売ありき 践 実 論 経営者が考えなくてはならない五つの課題の中で、一番大切なのは何だろうか。 型 本 会社というのは利潤を追求することを目的とするものである。企業の全ての営 みは、要は資金の流れだということができる。だから、経営に一番大切なのは資 章 第金繰りだという人が多い。しかし、私はどう考えてもそれは違うと思うのだ。